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番外編第三章:「料理人ジン・キタヤマ:開店編」

番外編第二十六話「ジン、開店準備をする:前篇」

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 十二月五日。
 俺たちの東方での食材探しの旅は終了し、無事王都ブルートンに帰ってきた。
 最後の方はアレミア帝国の内乱で緊張したが、終わってみれば、全員無事に帰還しただけでなく、当初の目的をほぼ完璧に達成している。

 出汁に必要な枯節と昆布と干し椎茸。良質の醤油と各種の味噌。ワカメや干しエビなどの乾物類。マシアでしか取れない魚介や野菜。そして、美味い日本酒を手に入れた。

 昆布だけはスールジア魔導王国原産ということで、入手ルートを開拓できなかったが、他のものについてはチャーリーのオーデッツ商会と取引することを了承してくれており、安定的に仕入れることができるはずだ。

 もっともアレミア帝国の内乱が落ち着かなければ輸送ルートの安全が確保できないため、確実に手に入ると決まったわけではない。

 それでも日本の品質に近いものを多く見つけられたことから、ここブルートンで和食を提供する目途が立った。

「今回は皆さんに本当にお世話になりました」

 そう言って俺はダスティン・ノードリー、フィル・ソーンダイク、チャーリー・オーデッツの三人に頭を下げた。

「いやいや、今回はジンさんがいてくれたお陰ですよ。私たちではほとんど手に入らなかったと思います」

 ダスティンがそういうと、他の二人も大きく頷く。

「私一人では何もできませんでした。お礼に明日にでもご馳走しますよ」

「それは楽しみです!」とチャーリーがいい、フィルも嬉しそうに頷いている。

「残念ですが、明日は陛下に謁見がありますから難しいかもしれませんね」とダスティンが言ってきた。

「いきなり謁見ですか? 明日、お伺いを立てて日程調整すると思っていたのですが」

「到着と同時にランジー伯爵閣下に連絡を入れています。既に閣下が陛下に報告されているでしょうから、明日呼び出しがあると考えておいた方がいいでしょう」

 翌日、ダスティンの予想通り、王宮から呼び出しがあった。
 ダスティンと共にまず内務卿であるナイジェル・ランジー伯爵の執務室に向かった。

 ランジー伯とはすぐに面会が叶い、

「無事に帰ってきて来ていただき、感謝しますぞ」といって俺の手を取った。

 そして、ダスティンには「難しい任務だったが、よくやってくれた」と感謝の言葉を掛ける。
 一年前までは会うことすらなかった閣僚から感謝の言葉を掛けられ、ダスティンは感激していた。

 応接用のソファに座ると、今回の報告を求めてきた。

「既に報告書は読んでいるが、直接話を聞きたい」

 それに対し、ダスティンは報告書の写しを取り出し、すぐに報告を始める。

「まず今回の成果でございますが、キタヤマ殿の必要とする調味料、食材類の入手に成功しております。また、その入手ルートもほぼ確立し、現状では確立していないものにつきましても……」

 ダスティンの報告は五分ほど続いた。

「うむ。では、キタヤマ殿が思う存分、腕を振るう環境が揃いつつあるということだな」

「その通りでございます。あとは厨房機器、食器類を取り揃えれば、問題ないと考えます。キタヤマ殿、この認識で問題ありませんね」

 官僚モードのダスティンが俺に確認してくる。

「それで問題ありません。厨房機器や食器類も特別なものは必要ありませんから」

 このやり取りだが、ランジー伯から王宮で働くか、市内で店を出すかを選んでほしいと言われ、市内で店を出したいと伝えていたための確認だ。

「既に店舗はいくつか候補を見つけていると聞いています。旅の疲れが取れたら確認してもらえると助かるのですが」

「ありがとうございます。飛空船に乗っていただけですから、疲れというほどのことはありません。明日にでも確認させていただきます」

「では、ノードリーよ。すまぬが、キタヤマ殿と店の確認を頼む」

 そこでダスティンに悪いことをしたと気づいた。家族持ちの彼には特別休暇が与えられることになっており、それを一日潰す形になるためだ。

「案内の方を付けていただければ、ノードリー局長に案内いただかなくても問題ありません。ご家族と四ヶ月近く離れ離れになっていたのですから、ゆっくりと休んでいただきたいと思います」

「そのお気遣いは無用ですよ。店の確認だけなら、それほど時間は掛からないでしょうから。それに私がいた方が話は早く済むと思います」

 そう言って小さく首を横に振る。
 結局、翌日にダスティンと不動産会社の社員と共に、店舗の候補を見に行くことになった。

「では、陛下に報告をお願いしたい。ノードリーも同行せよ」

 そう言って立ち上がると、すぐに王宮の奥に向かった。

 国王の執務室に入ると、国王と王太子というこの国のトップ2が待ち構えていた。アレミア帝国の内乱という大きな問題があるのに、俺に関わっていていいのかと思わないでもない。

 挨拶もそこそこに国王への報告が始まる。
 といってもすべてダスティンがやってくれるので、俺はそれを聞いているだけだ。報告しているダスティンの方は最高権力者たちへの報告ということで汗を拭きながら必死に説明している。

「……でありまして、今回の調査は成功の裡に完了いたしました。報告は以上でございます」

 三分ほどの報告だが、ダスティンは憔悴している感じだ。

「うむ。ノードリーよ、よくやってくれた。此度の功績には必ず報いよう」

 国王の言葉に「ありがたき幸せ」といって片膝を突き、頭を大きく下げる。

「キタヤマ殿に尋ねるが、これで我が国にワショクを根付かせることは叶うと思われるか?」

「難しいと思います」と即答する。

「それはなぜかな?」

「そもそもの食文化が違います。マシア共和国のように醤油などの調味料に馴染みがあれば別ですが、和食は出汁の文化であり、油の使用は比較的少なく、物足りないと考える人が多いのではないかと思います」

「貴殿の料理を食べている身としては、言わんとすることは分かるが、あの味ならば受け入れられるのではないか。実際、余は最初から貴殿の料理のとりこになったが?」

 東方諸国に向かう前だが、宮廷料理人たちに料理を教えるという名目で、数日おきに料理を作っていた。それほどの頻度で食べているので、そのような感想を持ったのだろう。

「そうおっしゃっていただけることは光栄なことですが、一般の方たちは陛下ほど美食に慣れておりません。実際、ブルートン市内の安い料理店の料理は油を多く使ったものが多く、旨みではなく、油による満足感を感じている人が多いように見受けられました」

 そこでランジー伯が話に加わる。

「キタヤマ殿の言葉は分からないでもありませぬ。私も稀に市内の評判の料理店に足を運びますが、油の多さに辟易することがございます」

 トーレス料理は基本的にバターやオリーブオイルなどの油を多く使う。もちろん、腕のいい料理人は肉や野菜の旨みもしっかりと利かせているが、安いレストランでは素材の味ではなく、大量のバターか、肉自身の脂身のコクで誤魔化しているところが多い。

「では、どうすればよいのかの」

「日本にはいろいろな料理がございました。和食は日本古来の料理法を突き詰めたものでございますが、他にも日本で発展した料理は多数ございます。その中には味の濃いもの、油の多いものもございます。ですので、それらの料理も紹介しつつ、和食の技法を広めていけば、全体として料理の質が上がるのではないでしょうか」

 俺が狙っているのはまずは受け入れやすい料理から始めることだ。
 鰻のかば焼きや鶏の照り焼きは宮廷でも評判がいい。他にも味噌漬けの肉や魚など比較的味がはっきりとしている料理は、この町でも受け入れられやすいのではないかと思っている。

「なるほど。では、ランジーよ、キタヤマ殿の店は王家の予算を用いて準備せよ」

 その言葉に俺は「恐れながら」と口を挟み、

「陛下にお願いがございます」

「何かな」

「陛下のお言葉は大変ありがたいことですが、私は自身の手で店を持ちたいと考えております」

「余の金はいらぬということかな」とやや不機嫌な声になる。

 その空気にダスティンの顔が真っ青になり、ランジー伯も慌てている。
 散々世話になったダスティンには悪いが、こればかりは譲れない。

 それまで黙っていた王太子が慌てて話に入ってきた。

「父上、ここはキタヤマ殿の考えを最後まで聞きましょう。キタヤマ殿が考えもなしにこのようなことを口にするとは思えませんので」

「うむ……では、理由を聞かせてくれんか」

 そこで一度頭を下げ、

「これまで陛下並びに王国の方々には多大なるご厚情をいただきました。特に陛下は他国の平民に過ぎない私に対し、敬称を付けて名を呼ばれるなど、あり得ないほどの厚遇を受けております」

「うむ。当然であろう。貴殿にはそれだけの価値がある」

「ですが、それでは駄目になる気がするのです。自分は特別な存在だと勘違いしそうで……もし、陛下の温情を受けて店を出した場合、お客様は私に対して遠慮するでしょうし、口に合わなくても褒めると思います。それでは本当に美味い料理を楽しんだとは言えないのではないかと思ったのです」

「分からぬでもないが、考え過ぎではないのか?」

 王家の金で作った料理店なら、王家に伝手を持ちたい者は挙って押し寄せるだろうから繁盛は約束されたようなものだ。しかし、俺の料理を求めてくる客ではない。
 もう一つの懸念もあった。

「私は美味い料理を提供し、お客様に喜んでもらえることに誇りを持っております。今のままでは自分が偉いと勘違いしそうで怖いのです。もし、そんな勘違いをしたら、間違いなく美味い料理は作れなくなりますから」

 これまでの約十ヶ月間、俺はどこに行っても特別扱いされた。
 魔導飛空船の運賃を含め、マシア共和国、マーリア連邦への旅費はすべて王室持ちだ。恐らく俺の分だけで一千万円以上掛かっているはずだ。

 マシア共和国のナオヒロ・ノウチ氏の例にもあるように、流れ人はその国に計り知れないほどの貢献をする可能性があるから先行投資という側面を否定する気はない。特に俺は高いレベルのスキルを持っていることが分かっているから、期待するなという方がおかしいだろう。

「しかし、店を出すなら資金は必要だと思うのですが」とランジー伯が言ってくる。

「おっしゃる通りです。王国から支給されているお金で暮らしている身だと重々承知しておりますが、資金調達も商売をするなら当然必要なことです。何とか出資してくださる方を探すつもりです」

 そうは言っても、まだ伝手は全くない。
 とりあえず、どこかのレストランで働いて金を稼ぎながら資金を貯め、この世界の借金の利率などを確認し、誰に借りるのがいいかゆっくりと考えようと思っているためだ。

 そのことを説明すると、王太子がやや冷たい声で聞いてきた。

「いずれ王国から出ていかれるおつもりかな。先ほどの話ではマシア共和国なら貴殿の料理は受け入れやすいと言っていた。いずれマシアに行くから王家に借りは作りたくないと考えているのでは?」

「そのつもりはありません。ここまで世話になっておいて義理を欠くようなことはしたくありませんので」

 嫌な空気が流れるが、これははっきりとしておきたい。
 王家の紐付きになれば、確かに安全だが、今後やりたいことができても自由にできなくなる可能性が高い。

 例えば、王家と半ば敵対関係にあるフォーテスキュー侯爵家の特産品を使った料理に横やりが入ったり、侯爵家が推薦する料理人に指導できなくなったりする可能性は否定できない。

 政治のために美味い料理が作れなくなることや学びたいという者を排除するようなことは我慢できない。それなら最初から紐付きにならないようにすべきだと思ったのだ。

「なるほど。キタヤマ殿の料理人としての矜持がとても強いようです。さすがは美食の桃源郷ユートピア、ニホンで腕を振るっていた方ですな」

 そう言ってランジー伯が持ち上げる。
 そして、国王に向かって頭を下げてから、

「無理強いすることは陛下のご本意に反すると愚考いたします。ですが、キタヤマ殿ほどの腕の料理人を市井のレストランで燻らせることは、キタヤマ殿にとっても我が国にとっても大いなる損失。そこで私に一つ提案がございます」

「うむ。ランジーよ、その提案とやらを聞かせてくれんか」

「はっ」といってもう一度頭を下げ、

「王室がキタヤマ殿に融資をしてはいかがでしょうか? もちろん、低利ですが金利も付けます。これならば前例のある話ですし、キタヤマ殿にとってはどこから借りようが金に違いはありませんから問題はないかと」

「確かに王家が有望な工房に低利で融資することは何度もあった。それと同じと考えればよいということか」

 王家からの融資という提案は魅力的だ。
 開店資金がすぐに手に入るだけでなく、俺の債権が知らぬ間に変なところに渡る恐れもない。
 市中の金利より安いだろうし、無理な取り立てがなされることもない。

 王家にとっても自分たちが融資した店なら勝手にやめる可能性は下がるから、思惑に近い形になる。

「この辺りが落としどころだと思うのだが」と王太子が言ってきた。

「ご配慮いただきありがとうございます。私に異存はございません」

 これで俺の店の開店資金の問題は解決した。

 しかし、今になって冷や汗が噴き出してくる。相手はこの国の絶対権力者、つまり合法的に俺を殺せる相手だ。
 もう少し冷静になって対応すればよかったと反省している。
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