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番外編第二章:「料理人ジン・キタヤマ:食材探訪編」

番外編第二十話「ジン、酒米を見つける」

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 マシア共和国の港町ヴェンノヴィアに到着し、マッコール商会の支店長ハンフリー・アスキスと面会した。
 その際、探していた“枯節”を見せられ、大きな問題が解決したと安堵する。

 この他にも和食に必要な食材を見せてもらい、更にマーリア連邦の食材と産地、生産者などに関する情報ももらった。

 ハンフリーの誠実な姿勢に感銘を受けると、逆にマッコール商会の商会長に対する嫌悪感が強くなる。

 ハンフリーが退出した後、護衛のフィル・ソーンダイク、商人のチャーリー・オーデッツを交えて、今後の協議を行った。



「アスキス支店長が持ってきた情報では、醤油や味噌などの発酵食品がバイライという町に、カレブシがヘレナという町にあることが分かった。マーリアの首都ダイラリオンは中継地になるから立ち寄るとして、この先の行動について協議をしたい」

 ダスティンが司会役となり、協議を始めた。

「私としては海での安全とマーリアの治安の状況が気になります。オルグレン領事はどの程度ご存じですか」

 普段無口なフィルが珍しく口火を切った。

「そうですね。メティス内海には魔物や海賊もいますが、今回手配した船はマシア共和国の大型商船なので、襲撃は気にしなくていいでしょう。マーリア連邦の治安ですが、悪くありません。ただ、どこも港町ですから、ここと似たような状況だと考えた方がいいですね」

「だとすると、ダイラリオンの大使館で案内役と護衛を付けてもらう方がいいですね。バイライまでは船で行くとしても、ヘレナは陸路もありますし、地図を見る限りでは峠越えもありそうですから」

 ヘレナも港町であり、船で行くことは可能だが、メティス内海から外洋に出て半島をぐるっと回る形になり、千キロを超える距離になる。陸路を行けば、ダイラリオンから120キロほどしかなく、ゴーレム馬車なら三日で済む。

「既にダイラリオンの大使館には協力要請が行われていますから、案内役と護衛の確保は問題ないでしょう。ダイラリオンで情報収集を行った後に、天候を見てバイライに船で行く感じでいいのではないでしょうか」

 米の話でも出たが、九月は嵐の季節でもあり、普段穏やかなメティス内海でも荒れることはあるらしい。そのため、ダイラリオンに到着した段階で、地元の大使の意見を聞いて次の目的地を決めることにした。

「それにしてもアスキス支店長の情報は凄いですね。あのマッコール商会の人とは思えません」とチャーリーが言ってきた。

 コンラッドがその問いに答える。

「詳しい話は分からんが、昨夜調べさせたところでは、アスキスは先代の商会長、つまり現商会長モーリスの父親の右腕と呼ばれていたらしい。先代が急死してモーリスが商会長になってから商会のやり方が変わったそうだ」

 コンラッドは昨日、俺とダスティンがマッコール商会に対し不信感を持っていると知り、領事館の職員を使って情報収集をさせたようだ。

「アスキス支店長なら信用してもいいですが、マッコール商会をどうするか考えねばなりませんな。商会長がモーリスである限り、我々の障害にしかなりませんから」

 ダスティンの言葉にチャーリーが頷く。

「今も心配なんです。うちの商会が嫌がらせを受けているでしょうから」

「それについては心配はいらんだろう。内務卿閣下が手を打ってくださっているはずだ」

 詳しい話は聞けなかったが、俺がマシア共和国に向かうと決まった後、モーリスが貴族たちを使って妨害活動を行ったらしい。他にもチャーリーのオーデッツ商会にも執拗に嫌がらせをしていたが、内務卿のランジー伯がそれを処理したそうだ。

「では、ダイラリオンに行くことは決定ということで、今手配している船は最速で明日二十二日の午後出発する便となります。それを逃すと更に五日後の二十七日になりますから、明日出発された方がいいでしょう」

 帰路でもここには必ず寄るため、何か調べる必要が出た場合でもマーリア連邦からの帰りにできる。

 昼食を摂り、午後のメインイベントである“ヴェンノヴィア醸造”を訪問する。
 コンラッドが手配した護衛はヴェンノヴィアの警備隊で、指揮官一名と十名の兵士ですべて騎兵という大掛かりなものだった。

「こんなに必要なんですか?」とコンラッドに聞くと、

「領事である私に加え、準閣僚級の局長の警備です。これでも少ない方ですよ」

「局長って準閣僚級だったのですか!」と驚く。

 課長級という認識しかなかったからだ。

「正確には違いますが、ヴェンノヴィアの警備隊の隊長には“国王陛下の勅命を受けた重要な役職で、内務卿直属”と説明しています。こう聞けば閣僚のすぐ下、“準閣僚級”と思ってもおかしくありません」

 そう言いながら笑っている。どうやら意図的に勘違いさせたようだ。

「ですが、大袈裟とは全く思っていませんよ。何といってもキタヤマ殿がいらっしゃるのですから」

 警備の対象は俺のようだが、このVIP待遇にはいつまで経っても慣れることができない。

 ゴーレム馬車はトーレス王国の紋章が入った大型の箱馬車で、コンラッドと俺たち四人、御者として領事館の職員が一人の計六人が乗っている。

「少し離れておりまして、三十分ほどかかります。ヴェンノヴィア唯一の酒蔵ですが、比較的規模が大きいと聞いております……」

 コンラッドが説明を始めた。
 ヴェンノヴィア醸造は豊富な米と水、輸送に適した港町ということでマシア国内より輸出に力を入れている酒蔵だそうだ。

 昔はハディン河の下流域ということできれいな湧き水がなく、酒蔵を作れる環境になかったそうだ。しかし、井戸の水は上質であったため、スールジア魔導王国製のポンプを導入し、酒造りが行われるようになった。
 ここでもナオヒロ・ノウチ氏が関与しており、酒蔵自体の歴史は二十年ほどと、比較的新しい蔵だと教えてもらった。

「……銘柄は定番の“ミストガルフ”と上級酒の“ハディンリバー”です。サケの特徴は実際に飲んでいただいた方がいいでしょう」

 ミストガルフは“ミスト湾”、ハディンリバーはそのまま“ハディン河”という意味だ。

 そんな話をしながらハディン河沿いの道を上流に向かって進んでいく。
 窓から見える風景は黄金色に色づいた稲穂と遠くの山々で、そこに稲刈りをしている人が加わると、日本の田園風景そのままだ。
 町から少し離れると、水田はまばらになり、雑木林が見られるようになる。

「この辺りは水棲の魔物が出やすいので、農家も少なくなっているのです。まあ、陸上の魔物が少ない分、トーレス王国より安全なのですが」

 俺たちがいるアロガンス大陸は別名、“千迷宮大陸”と呼ばれるほど多くの迷宮が存在する。そのため、管理されていない迷宮から定期的に魔物が溢れ出て、それが受肉し野生化する。

 しかし、マシア共和国は比較的迷宮が少ない土地で、魔物による被害が出るのは北部の山岳地帯と東部のスールジア国境付近の森林地帯だけだ。ただし、水棲の魔物は別で、海からハディン河を遡上することがあり、町から離れると警備隊の目が届かず危険なのだそうだ。

 ちなみに千迷宮と言われているが、実際には一万を遥かに超えているらしいが、正確な数は分からないそうだ。

 三十分ほどで馬車が減速する。
 外を見ると、アーサロウゼンやマーデュで見た酒蔵と同じような建物があった。

「ヴェンノヴィア醸造に到着しました」と御者である職員が声を掛けてきた。

 警備隊の兵士が先触れをしてくれたようで、酒蔵の人が数人玄関の前で待っていた。

 馬車を降りて挨拶を行う。

「ヴェンノヴィア醸造の社長をしております、ハリス・ロートンと申します」

 小太りで禿頭の好々爺という感じの男が頭を下げる。

「トーレス王国のヴェンノヴィア領事、コンラッド・オルグレンです。この度は我が国の調査に協力していただき、感謝に堪えません……」

 コンラッドが挨拶をし、俺たちを紹介していく。

「……ダスティン・ノードリー産業振興局長、ジン・キタヤマ特別調査官、フィル・ソーンダイク護衛官、オーデッツ商会のチャーリー・オーデッツ商会長です。では、ノードリー局長、この後はお任せします」

 その言葉を受け、ダスティンが話し始める。

「我が国のヘンリー国王陛下はマシア共和国のサケに強い関心をお持ちです。そのため、小職とキタヤマ調査官が派遣され……」

 ダスティンの説明をハリスは笑みを浮かべて静かに聞いている。

「……この蔵はかのナオヒロ・ノウチ翁の教えを引き継いでいると聞いています。ぜひとも、どのような酒が造られているか見せていただきたい」

「ノウチ先生のこともご存じなのですか!」と明るい声でいい、

「ではさっそく蔵を見ていただきましょう」と上機嫌で先導していく。

 中に入ると、エンバリー酒造の醸造所よりも規模が大きく、タンク類が所狭しと並んでいる。蔵人の数も多く、忙しそうに品質の確認を行っていた。
 ここでも試飲させてくれるようで、

「本日は運がよかったですよ。少量だけ作っている“オールド・ノウチ”を搾る日なのです」

「オールド・ノウチですか。名を聞くだけで素晴らしいサケのようですが、ジュンマイダイギンジョウですかな」

 ダスティンの問いにハリスは「いかにも」と満面の笑みを浮かべ、

「磨きは四割五分。丹精込めて作ったジュンマイダイギンジョウです。生産量が少ないので、特約店にしか卸しておりません」

 どうやら特約店限定の幻の酒のようだ。
 五勺(約90ミリリットル)の蛇の目を受け取る。

「これは凄い!」と先に受け取ったダスティンが声を上げる。

「これがサケ……確かに認識が変わりますな」とコンラッドも感嘆の声を上げている。

 彼らの言葉を聞き流しながら、蛇の目を見つめる。色は薄い琥珀色で搾り立ての特徴である炭酸の泡が表面に浮かんでいる。
 口を付けると、今まで飲んだ酒とは明らかに違う香りがした。

「米が違う……」

「お分かりになるのですか!」と驚かれる。

「はい。明らかに米が違います。今までの酒ではどれだけ磨いたものでも僅かですが雑味を感じました。米の脂質が完全に取れていなかったのだと思います。ですが、このオールド・ノウチからはその雑味を一切感じませんでした。恐らくですが、心白しんぱく部分が大きい米を使ったのではないかと」

 俺の言葉にハリスは無言で目を見開いていた。その顔には先ほどまでの笑みはない。

「キタヤマ特別調査官殿とおっしゃいましたな。あなたは何者ですか? 今まで誰一人、コメの違いに気づいたものはおりません。それを一口で見破るとは……」

 ここまで驚かれるとは思っていなかった。確かにアーサロウゼン、マーデュと六ヶ所の醸造所を巡ってきたが、米は地元の物を使うだけで酒専用の酒米を使っているところはなかった。
 その時はちょうど刈り入れ前で酒米がないだけだと思っていたが、どうやら違ったようだ。

「この米はノウチ先生が亡くなられる前まで研究されていたものです。先生はヤマダニシキ、オマチ、ゴヒャクマンゴクなどの酒米が欲しいと常々おっしゃっておられました。そのため、自ら水田に足を運び、サケに合うコメがないか探し続けられ、何度も交配を繰り返しておられました。その時、既にご高齢であり、その研究を私が引き継ぎ、五年前にようやくこれにたどり着いたのです」

 驚くべきことに、ノウチ氏は酒米の研究までやっていた。

「素晴らしいですね。この米と精米技術があれば、香りと旨みを究極に高めた酒が造れるはずです」

「造れるはず……つまり、今のオールド・ノウチはまだ究極ではないと?」

 そこで目を細めて睨んできた。

「失言でした。私がこの国で飲んだ酒では最も美味いものです」

「この国でとおっしゃるということは別の国では飲んだことがおありのようですが、どこで飲まれたのですかな?」

 ここまで来たら流れ人であることを明かすしかない。ダスティンに目で謝ると、“仕方がないですね”という感じで笑い、俺に変わって説明を始めた。

「内密にお願いしたいのだが、キタヤマ殿はニホンからこられた流れ人なのです。サケだけでなく料理にも精通しておられ、今回はサケと食材を探す調査を行っているところなのですよ」

「ニホンからの流れ人……先生と同じ国から……」

 そこで表情を緩め、先ほどまでの好々爺然とした表情に戻る。

「それなら納得いたします。かの美食の楽園ニホンからの流れ人であれば、これ以上のサケを飲んでいてもおかしくはありません。先生も亡くなられる直前まで、未だにニホンのサケには及ばぬとおっしゃっておられましたので」

「そうですか。ですが、これは日本でも十分に通用するものです。これだけ切れがあり、香りが爽やかな日本酒は滅多に出会えませんでしたから」

 正直な気持ちだ。

「そう言っていただけると今までやってきた甲斐があります。改善点があればお聞かせいただきたいのですが」

「私は蔵人ではなく、料理人に過ぎません。ですので、酒の美味い不味いは分かってもどう改善したらよいかは全く分からないのです」

 ハリスはそれでも引き下がらなかった。

「では、足りないところはどこでしょうか? 先ほどの口ぶりですと、何かが足りないという感じに聞こえたのですが」

「そうおっしゃられても……強いて言うなら、香りの華やかさでしょうか? 米の旨みと香りに比べ、酵母の香りが弱く、華やかさに欠けている気がしました。もちろん、これは好みの問題ですし、華やかすぎると料理に合いませんから、この方向性が間違っているわけではないと思います」

 苦し紛れに思ったことを口にする。

「なるほど……酵母ですか……確かに酵母は先生が使っておられたものをそのまま使い続けています。新たな酵母を探すのもいいかもしれませんな」

 その後、ハリスとは打ち解け、オールド・ノウチを譲ってもらうことが了承された。

「そういえば特約店にしか売らないというのはなぜなのでしょうか?」とチャーリーが聞くと、

「管理がいい加減な店が多すぎるためなのです。せっかくのサケが台無しにされるのを見たくはありませんから。その点、キタヤマ様がお認めになった商会であれば安心です。キタヤマ様がそのような店を認めるはずはありませんので」

 そこまで言われると面映ゆい。

「ところでこの酒米の名は何というのですか?」

「まだないのです。便宜上、三十二号と呼んでいますが……」

 そこで何か思いついたのか、前のめりになる。

「キタヤマ様! 名を付けていただけませんか!」

「わ、私がですか!」

「ニホンの方なら酒米の名の付け方もご存じでしょう。正直なところ、適切な名前が思いつかず、ズルズルとここまで来ていたのです。何卒お願いします」

 そう言って土下座しそうな勢いで頭を下げる。

「では、“ノウチニシキ”という名はいかがでしょうか? 酒米に多く使われる“錦”とノウチ氏の名を合わせたものです」

「ノウチニシキ……素晴らしい名です! ぜひともこれを使わせてください!」

 こうしてこの世界初の酒米の名は俺が付けることになった。
 この縁もあって、オールド・ノウチの生酒も特別に作ってもらうこともできたが、俺が名付けてよかったのかと未だに思っている。
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