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番外編第二章:「料理人ジン・キタヤマ:食材探訪編」
番外編第十八話「閑話:マッコール商会」
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七月十日。
ジンたちがマシア共和国に向かう一ヶ月ほど前。食料品の卸業を営むマッコール商会の商会長モーリス・マッコールは強い焦りを感じていた。
(ノードリー局長とキタヤマ氏がマシア共和国とマーリア連邦に向かうだと……せっかく小出しにして値を釣り上げたのに、このままでは取引そのものがなくなるかもしれん。これは不味い状況だぞ……)
モーリスはジンが依頼した食材の調達に関し、不正紛いのことを行っていた。
依頼された品に関しては、メティス内海方面の事情に通じたヴェンノヴィア支店のハンフリー・アスキス支店長によって多くが見つかり、トーレス王国の王都ブルートンに送られている。
送られてきたにもかかわらず、モーリスはそれらの食材を倉庫に隠し、少しずつ提供していた。そして、それらを渡す時、どれほど手間が掛かったかを切々と説明し、値を吊り上げている。
更に食材の保管に高価な収納袋を使用せず、通常の倉庫を使っていた。そのため、食材の一部に劣化が発生していたが、東方の食材に対する知識がなく、そのことに気づいていなかった。
気温・湿度ともに上がり始めた五月頃から、ジンのクレームが増えたが、自分たち以外にマシア共和国から食材を調達できるものはいないと高を括り、言い訳を行うだけで、それを半ば無視する。
実際、ブルートンにはマッコール商会以外に食品の輸入業者はなく、スールジア魔導王国の商人が半年に一度現れるくらいで、ライバルは皆無であった。これはモーリスが十年間にわたってライバルの追い落としを図った結果だ。
ジンは遅延に対しては比較的寛容だった。日本と違い流通が貧弱だと理解しているためだ。
しかし、品質の低下に対しては非常に厳格に注文を付けた。マジックバッグという究極の保存装置があるだけでなく、本来保存食品であるはずの味噌や鰹節に劣化が発生していることは管理の甘さ以外に考えられなかったからだ。
それでもモーリスは意に介さず、その要望を無視し続けた。
そのことに業を煮やしたジンが自ら東方の国々を訪問しようとしていることが分かった。
直接足を運べば、すぐに食材があることは判明する。そのことに焦りを覚えたのだ。
すぐにマシア共和国に連絡を入れるべく、行動を起こす。
マッコール商会のマシア共和国の拠点は港町ヴェンノヴィアであり、そこの支店に指示を送ることにした。
(ちょうどヴェンノヴィアに向かう船がいる。上手くいけば、局長たちより先にハンフリーに連絡が入れられる。奴なら上手く取り繕ってくれるはずだ……だが、私の言うことを聞くかが問題だな……)
モーリスとハンフリーは微妙な関係だった。
ハンフリーはモーリスの父、先代の商会長の下で三十年近く働き、右腕とまで言われていた。実際、マッコール商会の最大の支店であるスールジア魔導王国の王都シャンドゥ支店の支店長を務め、売り上げに多大な貢献をしていた。
しかし、十年前にモーリスが商会長を継ぐと、シャンドゥ支店長からマシア共和国の港町ヴェンノヴィア支店長に異動となった。ヴェンノヴィアも重要な支店ではあるが、マッコール商会にとっては中継地点に過ぎない。モーリスは有能で真面目なハンフリーを嫌い、左遷したのだ。
ハンフリー自身はそのことに対して抗議することなく、ヴェンノヴィアが面するメティス内海沿岸の珍しい食材などを探し、商会の売り上げに貢献する。しかし、モーリスはそのことを一切評価せず、飼い殺しに近い状況を十年も続けていた。
(まあいい。奴もうちの商会を潰すようなことはせんだろう……)
モーリスはハンフリー宛ての指示書をヴェンノヴィアに送った。
(このままマシアに行かれると不味いことになる。時間を稼がねばならん……貴族たちを使ってランジー伯に揺さぶりを掛けるか……)
時間を稼ぐためにダスティンの直属の上司である内務卿のランジー伯爵に対してアクションを起こすことにした。
モーリスは普段賄賂を贈っている貴族を使い、ランジー伯に陳情を行わせた。内容は“国の宝である流れ人に危険が及ぶようなことはすべきではない”というものだ。
この陳情により、ランジー伯もマッコール商会が動いていることに気づく。
(マッコールが動き始めたか。キタヤマ殿が“あの商会は障害になる”と言っていたが、まさにその通りになったな……)
ランジー伯は貴族たちからの陳情に対し、“もっともな話であり、検討に値する”と賛同する姿勢を見せる。しかし、その裏で情報統制を強化し、モーリスに情報が流れないようにしつつ、秘密裏にスールジア魔導王国との交渉を行った。
モーリスはこれで何とかなると安堵するが、ジンたちが出発した後、彼らがマシア共和国に向かったことが判明した。
(まさかスールジアの魔導飛空船を使うとは……これ以上、ここではどうしようもない。後はハンフリーが何とかしてくれることを祈るだけだ……しかし、オーデッツの奴はただでは済まさぬ。零細企業の分際で我が商会に楯突くとは……)
モーリスはオーデッツ商会に対し、嫌がらせを強化した。
それまでも町に噂を流すなどして嫌がらせを行っていたが、更に直接的な行為に切り替える。
ならず者を使って営業を妨害し、仕入れ先に対しては金と今後の取引を材料に圧力をかけた。
それに対し、ランジー伯は先手を打つ。
伯爵はジンからオーデッツ商会が高品質の食材を扱っていると聞き、王宮の御用商人にと考えていた。そのため、王都の警備隊にオーデッツ商会に対して気に掛けるように命じ、仕入れ先の生産者に対しても、今後王宮と取引する可能性があるという話を部下にさせている。
この処置により、オーデッツ商会は大きな被害を受けることなく、逆に王宮との取引が決まったという噂が流れ、取引が増えることになる。
こういったことに慣れているモーリスは彼が関与の証拠は一切残さず、表面上は何事もないかのように振舞っていた。
しかし、内心では怒りが渦巻いていた。
(ことごとく防がれるとは! それにしても忌々しい。オーデッツには相応の報いを与えてやる!)
モーリスはスキャンダルをでっち上げるべく、行動を開始した。
■■■
八月二十五日。
マッコール商会ヴェンノヴィア支店長ハンフリー・アスキスはモーリスからの指示書を受け取り、苦々しい思いを抱いていた。
(だから真面目に対応すればよいと進言したのだ。商会長は商人に最も重要な信用を軽視し過ぎる……)
彼はモーリスが値を吊り上げるために商品を小出しにしていると聞き、煙たがられることを覚悟しながらも忠告を行っていた。しかし、モーリスはその忠告を聞き入れず、商会は厳しい状況に陥った。
(その流れ人がどのような人物かは分からぬが、宮廷料理長が辞を低くして教えを乞うほどの腕を持っていることは確かだ。宮廷料理長も教えを乞う料理人が嫌っている商人から仕入れることはあるまい。僅かな利を求め、大きな利を逃そうとしているようだ……)
ハンフリーにとって、マッコール商会は先代の商会長と共に苦労して大きくした宝だ。三十年前には中堅どころでしかなかった商会をトーレス王国一の食品卸業者に育て、スールジア魔導王国やマシア共和国でも名が売れるほどの大店にしたことを誇りに思っている。
そんな子供のような存在が落ちぶれようとしている。そのことに忸怩たる思いがあるが、世話になった先代への想いもあり、商会を見捨てるという選択は全く考えていなかった。
そのため、ジンたちが到着する前に彼らのためにできることをしようと考えた。
(キタヤマ様はショウユやミソを探しておられたな。他にはカツオブシだったか……もう少し堅いものがないかというご要望があったと聞く。カツオブシはマーリアのヘレナのものだったが、ここから700キロ以上ある。いつマシアに来られるか分からない状況では、さすがに現物を探している時間はないな……)
ヘレナはマーリア連邦の南に位置し、最短の経路を使っても片道十日は掛かる。
(情報を集めることくらいしかできなさそうだな……)
そう考えたハンフリーは部下たちに情報収集を命じた。
更に自らも領事館に赴き、ジンたちの情報を集めようとしたが、領事のコンラッド・オルグレンも詳しいことは知らなかった。
「流れ人のキタヤマ殿の情報か……アスキス殿も知っての通り、食材を探しているという情報しかないな」
この時、ジンたちはマシア共和国に入国しておらず、大使館からもここに寄るという情報は来ていない。
ただ、ジンがマシアやマーリアの調味料に興味を持っているという情報は来ており、コンラッドもジンに興味は持っていた。
コンラッドは五年前に赴任したが、初めての土地で苦労した。その際、同国人であるハンフリーにいろいろと助けられており、彼のことを十分に信用していた。
「何か情報があれば、連絡しよう」
「ありがとうございます。私の方でも面白い話があればお伝えします」
領事館で情報が得られなかったため、料理人という線から情報を集め始める。そのため、地元の料理人から話を聞き、使われている調味料や食材などについて以前よりも詳細に調べていった。
更にジンが日本からやってきた流れ人と知り、過去の日本出身者についても情報収集を行っていった。
有名な醸造家ナオヒロ・ノウチ以外にもマシア共和国やマーリア連邦には数人の流れ人がいたという情報を知っていたためだ。
九月七日。
コンラッドから連絡が入った。
「アーサロウゼンの大使館から連絡がきた。キタヤマ殿がここを訪問されるそうだ。今の予定では今月の中旬から下旬。マーデュで酒蔵を見てからこちらに来るそうだ」
「ご連絡ありがとうございます。では、私の方でもキタヤマ様にお見せできるものを大至急集めさせます」
支店に戻り、従業員たちに指示を出す。
「キタヤマ様がこちらに来られるとオルグレン領事から連絡をいただいた。可能な限り、情報と現品を集めるのだ……キタヤマ様は非常に品質に拘られる。現品は必ずマジックバッグを使って保管するように」
「保管用にマジックバッグを使うのですか? 数が足りなくなるかもしれませんが」
従業員の一人がそう指摘する。
通常マジックバッグはその収納力を生かして運搬に使われる。重量を気にしなくて済むため運送コストを下げられるためで、通常は輸送が終われば倉庫に保管する。
これはマジックバッグが高価な魔導具であり、マッコール商会といえども保管に使うほどの数がないためだ。
「気にしなくていい」と即答する。
「ですが、ほとんどが長期保存に向いた食材なのです。他の取引に影響が出ます」
「構わん。キタヤマ様の案件は最優先と考えてくれたまえ」
従業員たちは納得しがたいものの、尊敬する支店長の命令にそれ以上何も言わずに従った。
九月の半ば頃には多くの情報が集まった。
その情報を整理していくと、面白いことが分かった。予想していたより多くの日本からの流れ人が食材の品質向上に関わっていたのだ。
(ニホン人というのは食にこだわりが強い人たちなのだな。ショウユやミソの改善も行っているとは思わなかった……)
醤油や味噌は日本人が現れる前からあったが、ここ百年ほどで品質が大きく向上していたと分かったのだ。
更に遠洋漁業が盛んなマーリア連邦では保存食である干物の改善を行っており、その一つが鰹節であるということも分かった。
ヘレナで最近になって作られるようになった枯節が偶然手に入った。首都アーサロウゼンの高級料理店に売り込むために購入した商人が譲ってくれたのだ。
「まるで木のようでしょう。ですが、これを削ってスープにすると澄んでいながらも非常に濃い旨みがでるそうなんですよ。ただ、とても高くて……世話になっているアスキスさんですから仕入れ値で売りますが、それでも一本金貨一枚もするんです」
その話を聞き、驚きを隠せなかった。
金貨一枚は百ソル(日本円で一万円相当)だ。魚が豊富なメティス内海では魚介類の価格は非常に安く、浜値であればハタ系の高級魚の大物でも銀貨五枚、五十ソル程度しかしない。
他にも海藻を乾燥させたものや小エビの干物なども手に入れ、ジンが来ても失望されない程度には食材を揃えられたと安堵していた。
九月二十日。
領事館からジンたちが到着したという連絡がきた。
「では、我々もご挨拶に」とハンフリーがいうと、領事館の職員は小さく首を横に振る。
「キタヤマ殿とノードリー局長が御社と関わりたくないと……オルグレン様が取りなされ、明日お会いするということになったようです」
その言葉にハンフリーは一瞬悲しげな表情をするが、すぐにいつもの営業用の笑みを浮かべ直し、
「分かりました。明日の朝、領事館に伺います。キタヤマ様がお探しの品かは分かりませんが、我々で集められる限りの物と情報をお届けします」
領事館の職員が帰った後、ハンフリーは気合を入れ直した。
(ここで私が何とかしなければ、我が商会の未来はない! 何としてでもキタヤマ様とノードリー局長に認めていただき、王宮御用商人の地位を守らねばならん)
ハンフリーは決意を新たに、部下たちに更なる指示を出していった。
ジンたちがマシア共和国に向かう一ヶ月ほど前。食料品の卸業を営むマッコール商会の商会長モーリス・マッコールは強い焦りを感じていた。
(ノードリー局長とキタヤマ氏がマシア共和国とマーリア連邦に向かうだと……せっかく小出しにして値を釣り上げたのに、このままでは取引そのものがなくなるかもしれん。これは不味い状況だぞ……)
モーリスはジンが依頼した食材の調達に関し、不正紛いのことを行っていた。
依頼された品に関しては、メティス内海方面の事情に通じたヴェンノヴィア支店のハンフリー・アスキス支店長によって多くが見つかり、トーレス王国の王都ブルートンに送られている。
送られてきたにもかかわらず、モーリスはそれらの食材を倉庫に隠し、少しずつ提供していた。そして、それらを渡す時、どれほど手間が掛かったかを切々と説明し、値を吊り上げている。
更に食材の保管に高価な収納袋を使用せず、通常の倉庫を使っていた。そのため、食材の一部に劣化が発生していたが、東方の食材に対する知識がなく、そのことに気づいていなかった。
気温・湿度ともに上がり始めた五月頃から、ジンのクレームが増えたが、自分たち以外にマシア共和国から食材を調達できるものはいないと高を括り、言い訳を行うだけで、それを半ば無視する。
実際、ブルートンにはマッコール商会以外に食品の輸入業者はなく、スールジア魔導王国の商人が半年に一度現れるくらいで、ライバルは皆無であった。これはモーリスが十年間にわたってライバルの追い落としを図った結果だ。
ジンは遅延に対しては比較的寛容だった。日本と違い流通が貧弱だと理解しているためだ。
しかし、品質の低下に対しては非常に厳格に注文を付けた。マジックバッグという究極の保存装置があるだけでなく、本来保存食品であるはずの味噌や鰹節に劣化が発生していることは管理の甘さ以外に考えられなかったからだ。
それでもモーリスは意に介さず、その要望を無視し続けた。
そのことに業を煮やしたジンが自ら東方の国々を訪問しようとしていることが分かった。
直接足を運べば、すぐに食材があることは判明する。そのことに焦りを覚えたのだ。
すぐにマシア共和国に連絡を入れるべく、行動を起こす。
マッコール商会のマシア共和国の拠点は港町ヴェンノヴィアであり、そこの支店に指示を送ることにした。
(ちょうどヴェンノヴィアに向かう船がいる。上手くいけば、局長たちより先にハンフリーに連絡が入れられる。奴なら上手く取り繕ってくれるはずだ……だが、私の言うことを聞くかが問題だな……)
モーリスとハンフリーは微妙な関係だった。
ハンフリーはモーリスの父、先代の商会長の下で三十年近く働き、右腕とまで言われていた。実際、マッコール商会の最大の支店であるスールジア魔導王国の王都シャンドゥ支店の支店長を務め、売り上げに多大な貢献をしていた。
しかし、十年前にモーリスが商会長を継ぐと、シャンドゥ支店長からマシア共和国の港町ヴェンノヴィア支店長に異動となった。ヴェンノヴィアも重要な支店ではあるが、マッコール商会にとっては中継地点に過ぎない。モーリスは有能で真面目なハンフリーを嫌い、左遷したのだ。
ハンフリー自身はそのことに対して抗議することなく、ヴェンノヴィアが面するメティス内海沿岸の珍しい食材などを探し、商会の売り上げに貢献する。しかし、モーリスはそのことを一切評価せず、飼い殺しに近い状況を十年も続けていた。
(まあいい。奴もうちの商会を潰すようなことはせんだろう……)
モーリスはハンフリー宛ての指示書をヴェンノヴィアに送った。
(このままマシアに行かれると不味いことになる。時間を稼がねばならん……貴族たちを使ってランジー伯に揺さぶりを掛けるか……)
時間を稼ぐためにダスティンの直属の上司である内務卿のランジー伯爵に対してアクションを起こすことにした。
モーリスは普段賄賂を贈っている貴族を使い、ランジー伯に陳情を行わせた。内容は“国の宝である流れ人に危険が及ぶようなことはすべきではない”というものだ。
この陳情により、ランジー伯もマッコール商会が動いていることに気づく。
(マッコールが動き始めたか。キタヤマ殿が“あの商会は障害になる”と言っていたが、まさにその通りになったな……)
ランジー伯は貴族たちからの陳情に対し、“もっともな話であり、検討に値する”と賛同する姿勢を見せる。しかし、その裏で情報統制を強化し、モーリスに情報が流れないようにしつつ、秘密裏にスールジア魔導王国との交渉を行った。
モーリスはこれで何とかなると安堵するが、ジンたちが出発した後、彼らがマシア共和国に向かったことが判明した。
(まさかスールジアの魔導飛空船を使うとは……これ以上、ここではどうしようもない。後はハンフリーが何とかしてくれることを祈るだけだ……しかし、オーデッツの奴はただでは済まさぬ。零細企業の分際で我が商会に楯突くとは……)
モーリスはオーデッツ商会に対し、嫌がらせを強化した。
それまでも町に噂を流すなどして嫌がらせを行っていたが、更に直接的な行為に切り替える。
ならず者を使って営業を妨害し、仕入れ先に対しては金と今後の取引を材料に圧力をかけた。
それに対し、ランジー伯は先手を打つ。
伯爵はジンからオーデッツ商会が高品質の食材を扱っていると聞き、王宮の御用商人にと考えていた。そのため、王都の警備隊にオーデッツ商会に対して気に掛けるように命じ、仕入れ先の生産者に対しても、今後王宮と取引する可能性があるという話を部下にさせている。
この処置により、オーデッツ商会は大きな被害を受けることなく、逆に王宮との取引が決まったという噂が流れ、取引が増えることになる。
こういったことに慣れているモーリスは彼が関与の証拠は一切残さず、表面上は何事もないかのように振舞っていた。
しかし、内心では怒りが渦巻いていた。
(ことごとく防がれるとは! それにしても忌々しい。オーデッツには相応の報いを与えてやる!)
モーリスはスキャンダルをでっち上げるべく、行動を開始した。
■■■
八月二十五日。
マッコール商会ヴェンノヴィア支店長ハンフリー・アスキスはモーリスからの指示書を受け取り、苦々しい思いを抱いていた。
(だから真面目に対応すればよいと進言したのだ。商会長は商人に最も重要な信用を軽視し過ぎる……)
彼はモーリスが値を吊り上げるために商品を小出しにしていると聞き、煙たがられることを覚悟しながらも忠告を行っていた。しかし、モーリスはその忠告を聞き入れず、商会は厳しい状況に陥った。
(その流れ人がどのような人物かは分からぬが、宮廷料理長が辞を低くして教えを乞うほどの腕を持っていることは確かだ。宮廷料理長も教えを乞う料理人が嫌っている商人から仕入れることはあるまい。僅かな利を求め、大きな利を逃そうとしているようだ……)
ハンフリーにとって、マッコール商会は先代の商会長と共に苦労して大きくした宝だ。三十年前には中堅どころでしかなかった商会をトーレス王国一の食品卸業者に育て、スールジア魔導王国やマシア共和国でも名が売れるほどの大店にしたことを誇りに思っている。
そんな子供のような存在が落ちぶれようとしている。そのことに忸怩たる思いがあるが、世話になった先代への想いもあり、商会を見捨てるという選択は全く考えていなかった。
そのため、ジンたちが到着する前に彼らのためにできることをしようと考えた。
(キタヤマ様はショウユやミソを探しておられたな。他にはカツオブシだったか……もう少し堅いものがないかというご要望があったと聞く。カツオブシはマーリアのヘレナのものだったが、ここから700キロ以上ある。いつマシアに来られるか分からない状況では、さすがに現物を探している時間はないな……)
ヘレナはマーリア連邦の南に位置し、最短の経路を使っても片道十日は掛かる。
(情報を集めることくらいしかできなさそうだな……)
そう考えたハンフリーは部下たちに情報収集を命じた。
更に自らも領事館に赴き、ジンたちの情報を集めようとしたが、領事のコンラッド・オルグレンも詳しいことは知らなかった。
「流れ人のキタヤマ殿の情報か……アスキス殿も知っての通り、食材を探しているという情報しかないな」
この時、ジンたちはマシア共和国に入国しておらず、大使館からもここに寄るという情報は来ていない。
ただ、ジンがマシアやマーリアの調味料に興味を持っているという情報は来ており、コンラッドもジンに興味は持っていた。
コンラッドは五年前に赴任したが、初めての土地で苦労した。その際、同国人であるハンフリーにいろいろと助けられており、彼のことを十分に信用していた。
「何か情報があれば、連絡しよう」
「ありがとうございます。私の方でも面白い話があればお伝えします」
領事館で情報が得られなかったため、料理人という線から情報を集め始める。そのため、地元の料理人から話を聞き、使われている調味料や食材などについて以前よりも詳細に調べていった。
更にジンが日本からやってきた流れ人と知り、過去の日本出身者についても情報収集を行っていった。
有名な醸造家ナオヒロ・ノウチ以外にもマシア共和国やマーリア連邦には数人の流れ人がいたという情報を知っていたためだ。
九月七日。
コンラッドから連絡が入った。
「アーサロウゼンの大使館から連絡がきた。キタヤマ殿がここを訪問されるそうだ。今の予定では今月の中旬から下旬。マーデュで酒蔵を見てからこちらに来るそうだ」
「ご連絡ありがとうございます。では、私の方でもキタヤマ様にお見せできるものを大至急集めさせます」
支店に戻り、従業員たちに指示を出す。
「キタヤマ様がこちらに来られるとオルグレン領事から連絡をいただいた。可能な限り、情報と現品を集めるのだ……キタヤマ様は非常に品質に拘られる。現品は必ずマジックバッグを使って保管するように」
「保管用にマジックバッグを使うのですか? 数が足りなくなるかもしれませんが」
従業員の一人がそう指摘する。
通常マジックバッグはその収納力を生かして運搬に使われる。重量を気にしなくて済むため運送コストを下げられるためで、通常は輸送が終われば倉庫に保管する。
これはマジックバッグが高価な魔導具であり、マッコール商会といえども保管に使うほどの数がないためだ。
「気にしなくていい」と即答する。
「ですが、ほとんどが長期保存に向いた食材なのです。他の取引に影響が出ます」
「構わん。キタヤマ様の案件は最優先と考えてくれたまえ」
従業員たちは納得しがたいものの、尊敬する支店長の命令にそれ以上何も言わずに従った。
九月の半ば頃には多くの情報が集まった。
その情報を整理していくと、面白いことが分かった。予想していたより多くの日本からの流れ人が食材の品質向上に関わっていたのだ。
(ニホン人というのは食にこだわりが強い人たちなのだな。ショウユやミソの改善も行っているとは思わなかった……)
醤油や味噌は日本人が現れる前からあったが、ここ百年ほどで品質が大きく向上していたと分かったのだ。
更に遠洋漁業が盛んなマーリア連邦では保存食である干物の改善を行っており、その一つが鰹節であるということも分かった。
ヘレナで最近になって作られるようになった枯節が偶然手に入った。首都アーサロウゼンの高級料理店に売り込むために購入した商人が譲ってくれたのだ。
「まるで木のようでしょう。ですが、これを削ってスープにすると澄んでいながらも非常に濃い旨みがでるそうなんですよ。ただ、とても高くて……世話になっているアスキスさんですから仕入れ値で売りますが、それでも一本金貨一枚もするんです」
その話を聞き、驚きを隠せなかった。
金貨一枚は百ソル(日本円で一万円相当)だ。魚が豊富なメティス内海では魚介類の価格は非常に安く、浜値であればハタ系の高級魚の大物でも銀貨五枚、五十ソル程度しかしない。
他にも海藻を乾燥させたものや小エビの干物なども手に入れ、ジンが来ても失望されない程度には食材を揃えられたと安堵していた。
九月二十日。
領事館からジンたちが到着したという連絡がきた。
「では、我々もご挨拶に」とハンフリーがいうと、領事館の職員は小さく首を横に振る。
「キタヤマ殿とノードリー局長が御社と関わりたくないと……オルグレン様が取りなされ、明日お会いするということになったようです」
その言葉にハンフリーは一瞬悲しげな表情をするが、すぐにいつもの営業用の笑みを浮かべ直し、
「分かりました。明日の朝、領事館に伺います。キタヤマ様がお探しの品かは分かりませんが、我々で集められる限りの物と情報をお届けします」
領事館の職員が帰った後、ハンフリーは気合を入れ直した。
(ここで私が何とかしなければ、我が商会の未来はない! 何としてでもキタヤマ様とノードリー局長に認めていただき、王宮御用商人の地位を守らねばならん)
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