63 / 145
本編第五章:宴会編
第九十話「ウイスキー三昧」
しおりを挟む
トーマスたちドワーフの鍛冶師とカニ料理専門店“エピキュリアンクラブ”で切り裂き蟹を堪能した。
鎧専門の鍛冶師ルドルフが太鼓腹を軽く叩き、
「では腹も膨れたことじゃし、今日の主役を飲みにいくとするかの」
今日のメインはカニではなく、ハイランド王からもらったウイスキーの銘酒を味わうことだ。
ルドルフの言う通り、腹は膨れたが、状態異常無効のスキルがあるため、酒はまだまだ飲める。日本にいる頃なら満腹と酔いで二次会には行けなかっただろう。
二軒目はドワーフ御用達のバー、“ドワーフの隠れ家”だ。カニを食べに行く前に“隠れ家”に行き、マスターのライナス・アンダーウッドに今日飲むウイスキーを選んでおくよう頼んである。
探索者街まで戻り、ドワーフの隠れ家に入っていく。既に午後八時くらいになっており、多くのドワーフが飲んでいるが、予約してあるので俺たちの席は確保されている。
「お待ちしておりました」とエルフのライナスが微笑みながら出迎える。
席に案内しながら、
「選ぶのに苦労しました。持っている本や昔のメモをずいぶん見ましたよ」と楽しそうに言ってきた。苦労したことすら楽しかったのだろう。
席に着くと、ライナスはいつも通り、おしぼりを配っていく。
「最初の一杯はいつものものにされますか」とトーマスたちに聞いた。
彼らは飲むウイスキーが決まっており、一杯目はいつも通りかもしれないと思ったようだ。
「今日はゴウとウィズのウイスキーをもらいたい」と槍専門の鍛冶師ダグが代表して答える。
「分かりました。では、一杯目を用意いたします」
そう言ってバックヤードに入っていった。
その時、いつもと雰囲気が違うことに気づいた。いつもは他の席のことなど気にしないドワーフたちが俺たちの方をチラチラ見ているのだ。
「奴らも気づいているようじゃな。格別の酒があるということを」
兜専門の鍛冶師ガルトが俺に説明する。
「ライナスさんが何か言ったんでしょうか」
「いや、あいつはそう言うことは言わぬ。奴らは本能で感じておるのだろう。儂も美味い酒があるとヒシヒシと感じておる」
以前読んだWEB小説のドワーフのように、この世界のドワーフにも酒を感知する能力が備わっているらしい。
「さすがにここにいる全員に飲んでいただくほどはありませんよ」
「もちろんそれは分かっておる。奴らも気になるだけで飲ませてくれとは言わん。ただ視線が強くなることだけは覚悟しておくのじゃな」
トーマスが真面目な表情で言った。
そんな話をしていると、ライナスが戻ってきた。
手には収納袋があり、彼の後ろには若い従業員がグラスと水が入ったタンブラーを運んでいる。グラスはドワーフたちがいつも使うワイングラスではなく、丸みを帯びた小型のテイスティンググラスだ。
「ドワーフの皆さんにチェイサーが不要なことは分かっておりますが、今回は味が混じらないよう水を飲んでいただこうと考えています」
いつも柔和な表情のライナスにしては厳しい表情をしており、トーマスたちもノーとは言えない雰囲気だ。
「当然です。その方がより味や香りを楽しめるのですから」と俺が言うと、ライナスがニッコリと頷く。
「では、一本目をお出しします」と言って、マジックバッグから一本のボトルを取り出した。
「最初の一本ですが、これは割とすぐに決まりました。是非とも飲んでいただきたい銘酒ですので」
既に封は切ってあり、グラスに注いでいく。
量は三十ミリリットルほど、グラスの四分の一ほどで注ぐのをやめる。
トーマスたちは目で“もう少し入れろ”と訴えているが、ライナスは再びニコリと微笑み、
「じっくりと香りを楽しみながら飲んでいただきます。エドガーさん、それでよろしいですね」
いつもの柔和な笑顔だが、目だけは“頷け”と強く主張している。ノーという気はないが、その迫力に「もちろんです」と反射的に答えてしまう。
ライナスはそこで目の力を緩める。
「ご不満でしょうが、私が言いたいことは飲んでいただければわかります」
グラスが全員に行き渡ったところで、ライナスが説明を始めた。
「一本目はスプリングフィールド二十五年です。サウスハイランドのヘストンベック市の老舗蒸留所スプリングフィールドで作られたシェリー樽のノンピートで、創業二百周年記念ボトルです。加水していないカスクストレングスでアルコールは結構強いですが、シェリーカスク独特のトロピカルフルーツの香りが楽しめると思いますよ」
色は濃い琥珀色。グラスに鼻を近づけると、甘い香りが上がってくる。
「よい香りじゃ」とウィズが呟くが、誰もそれに反応しない。
口を付けると酒精の刺激を僅かに感じるが、舌を焼くようなことはなく、トロッとした舌触りとその後に感じるフルーティさ、更にキャラメルのような僅かに苦みを感じる甘さがあった。
ゆっくりと飲み込むと、喉から鼻にかけて再びマンゴーのようなトロピカルフルーツの甘みが広がる。
「これは美味い……これは香りを楽しまねばもったいないですね」
「おっしゃる通りです。スプリングフィールドはうちにも置いてありますし、いろいろと飲んだことがあるのですが、これほどトロピカルな感じがするものがあるとは知りませんでした」
周りからの視線が強くなった。物理的な圧力を感じるほどだ。しかし、誰も何も言わない。
ライナスも試飲用にグラスにごく少量入れた。量にして十ミリリットルほどだ。
ウィズは量が少なすぎると思ったのか、
「もう少し飲んでもよいぞ」と声を掛けた。
「このくらいで十分です。私は皆さんとは違いますから。これ以上飲んだら最後の方の味と香りが楽しめません」
そう言いながらもグラスを回して香りを楽しんでいる。
ウィズはそれに頷くと、トーマスたちの方を見た。俺も釣られてみると、四人はグラスを何度も口につけながら恍惚としていた。ウィズがそんなトーマスに声を掛ける。
「どうじゃ。このウイスキーは」
トーマスは声を掛けられたことに気づかず、中毒患者のようにグラスに夢中になっている。もう一度ウィズが声を掛けると、ようやく我に返った。
「これほどの酒は初めてじゃ。普段飲んでおるヘストンベック八年と同じところで作っておるのにこれほど違うとは驚きじゃ。これならばライナスの言う通り、じっくりと香りと味を楽しむ方がよい」
トーマスたちはヘストンベック八年を愛飲している。決して安い酒ではないが、味や香りのふくらみの差に驚きを隠せないようだ。
「そうであろう。ウイスキーは香りと味を楽しむものじゃからの」となぜか自慢げにウィズが頷き、
「酒精の強さを楽しむのも嫌いではないがの」と付け加えた。
十分ほどで一杯目がなくなった。それでもトーマスたちはグラスを放そうとしない。
「次のウイスキーは更に美味しいですよ」とライナスが言うと渋々グラスを手放した。
ウイスキーの前に水の入ったタンブラーが置かれる。
それに対し、ルドルフが「この香りが消えるのか。もったいないのぉ」と呟きながら、寂しそうな顔でタンブラーに口を付けた。
「次のウイスキーはワイルディングです。こちらもヘストンベック市のウイスキーですが、シングルモルトではなく、ブレンデッドです。五十年ほど前にボトリングされたもののようですね」
「何年物なのですか? あとどこのウイスキーがキーになっているのでしょうか?」と聞いてみた。
「公表はされていませんが、調べて分かった範囲ではヘストンベックのローリンソンが使われているようです。キーモルトは最低十八年のシェリーカスクで、シェリーカスク三十年も使われていると思います。ピートはウエストハイランドのポスルトン市のシーモアで利かせていると資料にはあったのですが、シーモアのピーテッドは既に作られておりませんので本当のところはよく分かりません」
シェリーカスクがキーモルトの割に色は比較的薄いから、シェリー樽で仕上げただけかもしれない。
香りを嗅ぐとピートのスモーキーさが最初に来る。その後は花のような軽くて甘い香りを感じた。ピートとのバランスがよさそうな上品なウイスキーのようだ。
口を付けると、印象がガラリと変わる。
「これほどピートが前面に出てくるとは……」と思わず呟いてしまうほど、スモーキーさが強い。
しかし、その後はそれが嘘のように複雑な甘さを感じる。シェリーカスクの上品な甘みとバーボンカスクの軽やかな甘み、更に新品のオーク樽のバニラのような香りと複雑な苦み……スコットランドのアイラ島の上品なシングルモルトのようだ。
「これは凄いですね。これほど複雑な味なのにバランスがいい。飲み込んだ後に感じる柑橘のような爽やかさがスモーキーさを和らげて、いい余韻にしてくれます」
「おっしゃる通りですね。これほど秀逸なブレンデッドを飲んだのは初めてです」
ライナスはそう言って自分のグラスをクルクルと回している。
再び他のドワーフたちの視線が強くなる。時折、ゴクリという喉を鳴らす音が聞こえ、意識しないようにすることは難しい。
ウィズとトーマスたちは真剣な表情で、グラスに鼻を突っ込むようにして味と香りを感じようとしていた。
「ゴウの言っていることがよく分からぬ。確かにスモーキーさはあるし、甘さもあるが、飲み込むと何が何だか分からなくなるのじゃ」
ガルトがウィズに同意するように大きく頷く。
「ウィズと同じじゃ。儂にはさっぱり分からん。まあ絶品だということは分かるがの」
「あまり気にしなくてもいいですよ。美味いと感じることが大事なんです。味や香りを表現する必要なんてないんですから」
「ゴウのようにいろいろと感じたいのじゃ」とウィズがちょっと拗ねた感じで言ってきた。
「いいバーテンダーさんの店でいろいろ飲むしかないぞ。こればっかりは本や聞いた話だけじゃ、絶対に分からないんだから」
俺も記事を書く時に書籍やネットの情報は参考にしていた。しかし、一番参考になったのはその酒を飲むバーのバーテンダーの意見だった。
本の場合、全く同じ酒ではない可能性が高い。仮に全く同じシングルモルトであっても、樽が違えば味は変わるし、樽が同じでもボトルを開栓してからの時間やグラスの形状などでも印象は全く変わってしまう。その点、バーテンダーの意見は自分が飲んでいるものと全く同じだから、共有しやすいのだ。
「エドガーさんのおっしゃる通りです。私たちプロは別として、お客様はお酒を楽しむ方がいいと思います。その瞬間に幸せを感じていただく方が私たちもうれしいですね」
「我も同じように話をしたいのじゃ」
向上心があることはいいことだが、数千年生きている竜が突然学習意欲に目覚めたことに驚きを隠せない。
「まあこれから一緒に覚えていけばいいから、今日はとりあえず楽しんだらどうだ」
「うむ。ゴウが我に教えてくれるなら、今日は楽しむことにしようぞ」
二つ目を飲み切ったところで水を口に含む。トーマスたちも何も言わずに同じように水を飲んでいた。
「次は今飲んでいただいたワイルディングにも使われている、ローリンソン三十年シェリーカスクです」
そう言ってグラスにウイスキーを注いでいく。
「ご覧の通り、非常に濃い色をしており、長熟のシェリーカスクの特徴がこれでもかと出ていると思います」
ライナスの言う通り、琥珀色というよりマホガニー色と言った方がいいほど色が濃い。
「確かに甘い香りがするが、木の香りもするの」
「ウィズさんのおっしゃる通り、樽の香りがとても強く出ています。ここまで濃いとえぐみが出るのですが、これに関しては、えぐみは一切ございません」
色の濃いウイスキーが長期熟成の証かというとそうでもない。樽の種類や気候によって熟成の速度が異なるためだ。
「先ほどのワイルディングは色が割と薄かったですし、香りもここまで個性的ではなかったと思います。これと同じローリンソンの十八年が主体だということでしたが、個性が弱い感じがしました。シェリーフィニッシュのものでしょうか?」
「私もそうではないかと思います。ただ、ローリンソンでも年代が違いますから、作り手も違う可能性があります。そうなると、職人の好みの差ということも考えられるのではないかと思います」
先ほどのワイルディングは五十年前にブレンドされたものだ。それに使われている三十年物は八十年前の物ということになる。
地球なら蒸留所の職人は代わっているが、この世界にはエルフなどの長命種族がいるため、八十年程度では職人が代わっていないこともあり得る。
「確かにそうですね」
「同じ蒸留所で五十年以上仕事をし続ける職人はいないわけではありませんが、少ないですから」
意外な言葉に疑問が湧く。
「それはどうしてでしょうか?」
「同じ蒸留所で五十年仕事をすれば、三十年物などの長期熟成のウイスキーを一から作ることができます。蒸留器の個性や気候などを加味しても五十年あれば大体作りたいものはできるそうで、新たなところで別の酒を造りたくなるらしいのです」
「なるほど。長命種族ならではですね」と感心する。
地球であれば一人前の職人になるのに二十年掛かるとして、二十歳で働き始めても四十歳になっている。そこから三十年の熟成を待つと七十歳になり、ほとんどの場合、第一線から身を引いているだろう。
その点、長命種族であるエルフは千年くらい生きるから、一箇所で五十年働いても十箇所以上場所を変えることができるのだ。
そんな話をしながら、ライナスの選んだウイスキーを飲んでいった。
鎧専門の鍛冶師ルドルフが太鼓腹を軽く叩き、
「では腹も膨れたことじゃし、今日の主役を飲みにいくとするかの」
今日のメインはカニではなく、ハイランド王からもらったウイスキーの銘酒を味わうことだ。
ルドルフの言う通り、腹は膨れたが、状態異常無効のスキルがあるため、酒はまだまだ飲める。日本にいる頃なら満腹と酔いで二次会には行けなかっただろう。
二軒目はドワーフ御用達のバー、“ドワーフの隠れ家”だ。カニを食べに行く前に“隠れ家”に行き、マスターのライナス・アンダーウッドに今日飲むウイスキーを選んでおくよう頼んである。
探索者街まで戻り、ドワーフの隠れ家に入っていく。既に午後八時くらいになっており、多くのドワーフが飲んでいるが、予約してあるので俺たちの席は確保されている。
「お待ちしておりました」とエルフのライナスが微笑みながら出迎える。
席に案内しながら、
「選ぶのに苦労しました。持っている本や昔のメモをずいぶん見ましたよ」と楽しそうに言ってきた。苦労したことすら楽しかったのだろう。
席に着くと、ライナスはいつも通り、おしぼりを配っていく。
「最初の一杯はいつものものにされますか」とトーマスたちに聞いた。
彼らは飲むウイスキーが決まっており、一杯目はいつも通りかもしれないと思ったようだ。
「今日はゴウとウィズのウイスキーをもらいたい」と槍専門の鍛冶師ダグが代表して答える。
「分かりました。では、一杯目を用意いたします」
そう言ってバックヤードに入っていった。
その時、いつもと雰囲気が違うことに気づいた。いつもは他の席のことなど気にしないドワーフたちが俺たちの方をチラチラ見ているのだ。
「奴らも気づいているようじゃな。格別の酒があるということを」
兜専門の鍛冶師ガルトが俺に説明する。
「ライナスさんが何か言ったんでしょうか」
「いや、あいつはそう言うことは言わぬ。奴らは本能で感じておるのだろう。儂も美味い酒があるとヒシヒシと感じておる」
以前読んだWEB小説のドワーフのように、この世界のドワーフにも酒を感知する能力が備わっているらしい。
「さすがにここにいる全員に飲んでいただくほどはありませんよ」
「もちろんそれは分かっておる。奴らも気になるだけで飲ませてくれとは言わん。ただ視線が強くなることだけは覚悟しておくのじゃな」
トーマスが真面目な表情で言った。
そんな話をしていると、ライナスが戻ってきた。
手には収納袋があり、彼の後ろには若い従業員がグラスと水が入ったタンブラーを運んでいる。グラスはドワーフたちがいつも使うワイングラスではなく、丸みを帯びた小型のテイスティンググラスだ。
「ドワーフの皆さんにチェイサーが不要なことは分かっておりますが、今回は味が混じらないよう水を飲んでいただこうと考えています」
いつも柔和な表情のライナスにしては厳しい表情をしており、トーマスたちもノーとは言えない雰囲気だ。
「当然です。その方がより味や香りを楽しめるのですから」と俺が言うと、ライナスがニッコリと頷く。
「では、一本目をお出しします」と言って、マジックバッグから一本のボトルを取り出した。
「最初の一本ですが、これは割とすぐに決まりました。是非とも飲んでいただきたい銘酒ですので」
既に封は切ってあり、グラスに注いでいく。
量は三十ミリリットルほど、グラスの四分の一ほどで注ぐのをやめる。
トーマスたちは目で“もう少し入れろ”と訴えているが、ライナスは再びニコリと微笑み、
「じっくりと香りを楽しみながら飲んでいただきます。エドガーさん、それでよろしいですね」
いつもの柔和な笑顔だが、目だけは“頷け”と強く主張している。ノーという気はないが、その迫力に「もちろんです」と反射的に答えてしまう。
ライナスはそこで目の力を緩める。
「ご不満でしょうが、私が言いたいことは飲んでいただければわかります」
グラスが全員に行き渡ったところで、ライナスが説明を始めた。
「一本目はスプリングフィールド二十五年です。サウスハイランドのヘストンベック市の老舗蒸留所スプリングフィールドで作られたシェリー樽のノンピートで、創業二百周年記念ボトルです。加水していないカスクストレングスでアルコールは結構強いですが、シェリーカスク独特のトロピカルフルーツの香りが楽しめると思いますよ」
色は濃い琥珀色。グラスに鼻を近づけると、甘い香りが上がってくる。
「よい香りじゃ」とウィズが呟くが、誰もそれに反応しない。
口を付けると酒精の刺激を僅かに感じるが、舌を焼くようなことはなく、トロッとした舌触りとその後に感じるフルーティさ、更にキャラメルのような僅かに苦みを感じる甘さがあった。
ゆっくりと飲み込むと、喉から鼻にかけて再びマンゴーのようなトロピカルフルーツの甘みが広がる。
「これは美味い……これは香りを楽しまねばもったいないですね」
「おっしゃる通りです。スプリングフィールドはうちにも置いてありますし、いろいろと飲んだことがあるのですが、これほどトロピカルな感じがするものがあるとは知りませんでした」
周りからの視線が強くなった。物理的な圧力を感じるほどだ。しかし、誰も何も言わない。
ライナスも試飲用にグラスにごく少量入れた。量にして十ミリリットルほどだ。
ウィズは量が少なすぎると思ったのか、
「もう少し飲んでもよいぞ」と声を掛けた。
「このくらいで十分です。私は皆さんとは違いますから。これ以上飲んだら最後の方の味と香りが楽しめません」
そう言いながらもグラスを回して香りを楽しんでいる。
ウィズはそれに頷くと、トーマスたちの方を見た。俺も釣られてみると、四人はグラスを何度も口につけながら恍惚としていた。ウィズがそんなトーマスに声を掛ける。
「どうじゃ。このウイスキーは」
トーマスは声を掛けられたことに気づかず、中毒患者のようにグラスに夢中になっている。もう一度ウィズが声を掛けると、ようやく我に返った。
「これほどの酒は初めてじゃ。普段飲んでおるヘストンベック八年と同じところで作っておるのにこれほど違うとは驚きじゃ。これならばライナスの言う通り、じっくりと香りと味を楽しむ方がよい」
トーマスたちはヘストンベック八年を愛飲している。決して安い酒ではないが、味や香りのふくらみの差に驚きを隠せないようだ。
「そうであろう。ウイスキーは香りと味を楽しむものじゃからの」となぜか自慢げにウィズが頷き、
「酒精の強さを楽しむのも嫌いではないがの」と付け加えた。
十分ほどで一杯目がなくなった。それでもトーマスたちはグラスを放そうとしない。
「次のウイスキーは更に美味しいですよ」とライナスが言うと渋々グラスを手放した。
ウイスキーの前に水の入ったタンブラーが置かれる。
それに対し、ルドルフが「この香りが消えるのか。もったいないのぉ」と呟きながら、寂しそうな顔でタンブラーに口を付けた。
「次のウイスキーはワイルディングです。こちらもヘストンベック市のウイスキーですが、シングルモルトではなく、ブレンデッドです。五十年ほど前にボトリングされたもののようですね」
「何年物なのですか? あとどこのウイスキーがキーになっているのでしょうか?」と聞いてみた。
「公表はされていませんが、調べて分かった範囲ではヘストンベックのローリンソンが使われているようです。キーモルトは最低十八年のシェリーカスクで、シェリーカスク三十年も使われていると思います。ピートはウエストハイランドのポスルトン市のシーモアで利かせていると資料にはあったのですが、シーモアのピーテッドは既に作られておりませんので本当のところはよく分かりません」
シェリーカスクがキーモルトの割に色は比較的薄いから、シェリー樽で仕上げただけかもしれない。
香りを嗅ぐとピートのスモーキーさが最初に来る。その後は花のような軽くて甘い香りを感じた。ピートとのバランスがよさそうな上品なウイスキーのようだ。
口を付けると、印象がガラリと変わる。
「これほどピートが前面に出てくるとは……」と思わず呟いてしまうほど、スモーキーさが強い。
しかし、その後はそれが嘘のように複雑な甘さを感じる。シェリーカスクの上品な甘みとバーボンカスクの軽やかな甘み、更に新品のオーク樽のバニラのような香りと複雑な苦み……スコットランドのアイラ島の上品なシングルモルトのようだ。
「これは凄いですね。これほど複雑な味なのにバランスがいい。飲み込んだ後に感じる柑橘のような爽やかさがスモーキーさを和らげて、いい余韻にしてくれます」
「おっしゃる通りですね。これほど秀逸なブレンデッドを飲んだのは初めてです」
ライナスはそう言って自分のグラスをクルクルと回している。
再び他のドワーフたちの視線が強くなる。時折、ゴクリという喉を鳴らす音が聞こえ、意識しないようにすることは難しい。
ウィズとトーマスたちは真剣な表情で、グラスに鼻を突っ込むようにして味と香りを感じようとしていた。
「ゴウの言っていることがよく分からぬ。確かにスモーキーさはあるし、甘さもあるが、飲み込むと何が何だか分からなくなるのじゃ」
ガルトがウィズに同意するように大きく頷く。
「ウィズと同じじゃ。儂にはさっぱり分からん。まあ絶品だということは分かるがの」
「あまり気にしなくてもいいですよ。美味いと感じることが大事なんです。味や香りを表現する必要なんてないんですから」
「ゴウのようにいろいろと感じたいのじゃ」とウィズがちょっと拗ねた感じで言ってきた。
「いいバーテンダーさんの店でいろいろ飲むしかないぞ。こればっかりは本や聞いた話だけじゃ、絶対に分からないんだから」
俺も記事を書く時に書籍やネットの情報は参考にしていた。しかし、一番参考になったのはその酒を飲むバーのバーテンダーの意見だった。
本の場合、全く同じ酒ではない可能性が高い。仮に全く同じシングルモルトであっても、樽が違えば味は変わるし、樽が同じでもボトルを開栓してからの時間やグラスの形状などでも印象は全く変わってしまう。その点、バーテンダーの意見は自分が飲んでいるものと全く同じだから、共有しやすいのだ。
「エドガーさんのおっしゃる通りです。私たちプロは別として、お客様はお酒を楽しむ方がいいと思います。その瞬間に幸せを感じていただく方が私たちもうれしいですね」
「我も同じように話をしたいのじゃ」
向上心があることはいいことだが、数千年生きている竜が突然学習意欲に目覚めたことに驚きを隠せない。
「まあこれから一緒に覚えていけばいいから、今日はとりあえず楽しんだらどうだ」
「うむ。ゴウが我に教えてくれるなら、今日は楽しむことにしようぞ」
二つ目を飲み切ったところで水を口に含む。トーマスたちも何も言わずに同じように水を飲んでいた。
「次は今飲んでいただいたワイルディングにも使われている、ローリンソン三十年シェリーカスクです」
そう言ってグラスにウイスキーを注いでいく。
「ご覧の通り、非常に濃い色をしており、長熟のシェリーカスクの特徴がこれでもかと出ていると思います」
ライナスの言う通り、琥珀色というよりマホガニー色と言った方がいいほど色が濃い。
「確かに甘い香りがするが、木の香りもするの」
「ウィズさんのおっしゃる通り、樽の香りがとても強く出ています。ここまで濃いとえぐみが出るのですが、これに関しては、えぐみは一切ございません」
色の濃いウイスキーが長期熟成の証かというとそうでもない。樽の種類や気候によって熟成の速度が異なるためだ。
「先ほどのワイルディングは色が割と薄かったですし、香りもここまで個性的ではなかったと思います。これと同じローリンソンの十八年が主体だということでしたが、個性が弱い感じがしました。シェリーフィニッシュのものでしょうか?」
「私もそうではないかと思います。ただ、ローリンソンでも年代が違いますから、作り手も違う可能性があります。そうなると、職人の好みの差ということも考えられるのではないかと思います」
先ほどのワイルディングは五十年前にブレンドされたものだ。それに使われている三十年物は八十年前の物ということになる。
地球なら蒸留所の職人は代わっているが、この世界にはエルフなどの長命種族がいるため、八十年程度では職人が代わっていないこともあり得る。
「確かにそうですね」
「同じ蒸留所で五十年以上仕事をし続ける職人はいないわけではありませんが、少ないですから」
意外な言葉に疑問が湧く。
「それはどうしてでしょうか?」
「同じ蒸留所で五十年仕事をすれば、三十年物などの長期熟成のウイスキーを一から作ることができます。蒸留器の個性や気候などを加味しても五十年あれば大体作りたいものはできるそうで、新たなところで別の酒を造りたくなるらしいのです」
「なるほど。長命種族ならではですね」と感心する。
地球であれば一人前の職人になるのに二十年掛かるとして、二十歳で働き始めても四十歳になっている。そこから三十年の熟成を待つと七十歳になり、ほとんどの場合、第一線から身を引いているだろう。
その点、長命種族であるエルフは千年くらい生きるから、一箇所で五十年働いても十箇所以上場所を変えることができるのだ。
そんな話をしながら、ライナスの選んだウイスキーを飲んでいった。
33
お気に入りに追加
3,550
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
断腸の思いで王家に差し出した孫娘が婚約破棄されて帰ってきた
兎屋亀吉
恋愛
ある日王家主催のパーティに行くといって出かけた孫娘のエリカが泣きながら帰ってきた。買ったばかりのドレスは真っ赤なワインで汚され、左頬は腫れていた。話を聞くと王子に婚約を破棄され、取り巻きたちに酷いことをされたという。許せん。戦じゃ。この命燃え尽きようとも、必ずや王家を滅ぼしてみせようぞ。
【完結】もう…我慢しなくても良いですよね?
アノマロカリス
ファンタジー
マーテルリア・フローレンス公爵令嬢は、幼い頃から自国の第一王子との婚約が決まっていて幼少の頃から厳しい教育を施されていた。
泣き言は許されず、笑みを浮かべる事も許されず、お茶会にすら参加させて貰えずに常に完璧な淑女を求められて教育をされて来た。
16歳の成人の義を過ぎてから王子との婚約発表の場で、事あろうことか王子は聖女に選ばれたという男爵令嬢を連れて来て私との婚約を破棄して、男爵令嬢と婚約する事を選んだ。
マーテルリアの幼少からの血の滲むような努力は、一瞬で崩壊してしまった。
あぁ、今迄の苦労は一体なんの為に…
もう…我慢しなくても良いですよね?
この物語は、「虐げられる生活を曽祖母の秘術でざまぁして差し上げますわ!」の続編です。
前作の登場人物達も多数登場する予定です。
マーテルリアのイラストを変更致しました。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
英雄一家は国を去る【一話完結】
青緑
ファンタジー
婚約者との舞踏会中、火急の知らせにより領地へ帰り、3年かけて魔物大発生を収めたテレジア。3年振りに王都へ戻ったが、国の一大事から護った一家へ言い渡されたのは、テレジアの婚約破棄だった。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/fantasy.png?id=6ceb1e9b892a4a252212)
聖女の私が追放されたらお父さんも一緒についてきちゃいました。
重田いの
ファンタジー
聖女である私が追放されたらお父さんも一緒についてきちゃいました。
あのお、私はともかくお父さんがいなくなるのは国としてマズイと思うのですが……。
よくある聖女追放ものです。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
冤罪だと誰も信じてくれず追い詰められた僕、濡れ衣が明るみになったけど今更仲直りなんてできない
一本橋
恋愛
女子の体操着を盗んだという身に覚えのない罪を着せられ、僕は皆の信頼を失った。
クラスメイトからは日常的に罵倒を浴びせられ、向けられるのは蔑みの目。
さらに、信じていた初恋だった女友達でさえ僕を見限った。
両親からは拒絶され、姉からもいないものと扱われる日々。
……だが、転機は訪れる。冤罪だった事が明かになったのだ。
それを機に、今まで僕を蔑ろに扱った人達から次々と謝罪の声が。
皆は僕と関係を戻したいみたいだけど、今更仲直りなんてできない。
※小説家になろう、カクヨムと同時に投稿しています。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
だが夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。