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本編第五章:宴会編
第八十二話「宮廷での晩餐:後篇」
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トーレス王国の王都ブルートンにある王宮でトーレス王アヴァディーン、魔王アンブロシウスらとの晩餐会に出席している。
一皿目、二皿目は意外なことに中華風の料理だった。しかし、そのクォリティは高く、十分に満足している。
二皿目の小籠包などの点心を食べ終えたところで、給仕たちがワイングラスを並べていく。今回も白ワインのようだ。
グラスを配り終わると、給仕長が説明を始める。
「ワイングラスに入っておりますが、日本酒でございます。銘柄はフェニックスバイデンのジュンマイギンジョウでして、産地はブルートン郊外にあるバイデン地区でございます」
大ぶりのワイングラスに入っており、色は薄い琥珀色で先ほどの白ワインに近い感じだ。
仄かにマスカットのような爽やかな香りがあるが、口を付けると確かに日本酒だと思わせる米の味が口に広がる。
まろやかな舌触りでとろみを感じ、最後に酸味が残る。
「ジュンマイギンジョウとは何なのだ」と魔王がベリエスに聞くが、ベリエスは「サケの種類としか」と言いながら、俺に助けを求める。
「純米吟醸は酒の作り方を表しています。純米、すなわち米だけで醸した酒のうち、米を六割以下にまで磨き上げたものを純米吟醸と呼びます」
「六割まで磨き上げるということは、四割は酒にならぬということか。贅沢な作り方なのだな」
「そうですね。純米大吟醸ですと、五割以下ですからもっと贅沢と言えるかもしれません」
「ならば磨けば磨くほど美味くなるということか」
「いいえ、そう単純なものではないんです。米を磨くのは表面の雑味を取り除くためです。ですが、単に磨くだけでは酒本来の旨味までなくなってしまいます。どこまで磨いても大丈夫なのかは米の種類や出来、作り手の技量にもよりますから、私の好みを言わせてもらえば、酒単体で飲むにしても五割くらいが限界かなと思っています」
この世界ではどこまで磨いているのかは知らないが、日本では十パーセント以下にまで磨いたものもある。二割三分のものまでしか飲んだことがないから何とも言えないが、二割三分でも米の旨味は三割五分の物に比べ、圧倒的に減っていた。確かに香りは立てやすいかもしれないが、やる意味が分からない。個人的な意見だが、酒造メーカーや杜氏の自己満足にしか思えないのだ。
「難しい物なのだな」
そんな話をしている横でウィズがグラスを傾けていた。
「このサケもよいの! そう言えば前にワイングラスで飲んだのは何であったかの」
「ブルートンのシャーロックだ。あれは花のような華やかさがあったが、こちらは優しい感じだな」
そこで給仕長に質問をする。
「これもジン・キタヤマ氏が関わった酒でしょうか?」
給仕長は一瞬驚きの表情を見せるが、すぐに表情を戻し、
「その通りでございます。よくお分かりですね」
「以前、シャーロックという酒をいただいたことがありまして、タイプは全く違うのですが、こだわりと言いますか、とことんまで美味さを突き詰める執念のようなものを感じましたので」
そこで魔王アンブロシウスが「サケからそのようなことが分かるか」と驚いていると、ウィズが「もちろんじゃ」と勝手に頷いている。
「ドレイク殿もお分かりになるか」と国王アヴァディーンが聞くが、
「無論、我に分かるわけがない。もちろんと言ったのはゴウのことじゃ」
そこでテーブルから笑いが漏れる。
「この酒もよいな。ブルートンのものであれば、我が国にも融通してほしいのだが」
アンブロシウスの言葉にアヴァディーンが大きく頷く。
「この酒も陛下にお譲りするものの候補の一つです。先ほどエドガー殿がいったシャーロックも候補に入っておりますぞ」
「それは重畳」
そんな話をしていると、料理長が入ってきた。
彼の後ろにはワゴンがあり、そこには大きな楕円形の皿が載っている。更にその後ろには魔導コンロと中華鍋もワゴンに載っており、鍋からは白い煙が上がっていた。
皿の上には五十センチを超えるハタ科の魚があった。
料理長ユアン・ハドリーが中華鍋とお玉を持ち、最後の仕上げに掛かる。
鍋には熱した油が入っており、それをネギや糸唐辛子、香菜が載った魚の上に一気に掛ける。
ジュッという音と共にゴマ油とネギ、ショウガなどの香りが一気に広がる。
「凄いものじゃな」とウィズが驚きながらも喜んでいる。
「ボスコム沖で取れました黄ハタのネギショウガ蒸しでございます。こちらにて取り分けますので、少々お待ちください」
そう言ってスプーンとフォークを使って小皿に取り分けていく。
「これも蒸しと言っておったが、同じ名の料理ばかりじゃの」とウィズが聞いてきた。
「俺も気になっていたんだが、何となく理由が読めた気がするな」
「それは何かな、エドガー殿」とトーレス国王アヴァディーンが聞いてきた。
俺の斜め前にいる魔王も気になっているようで、料理ではなく俺に視線を向けている。
「蒸すという調理法を使っていますが、最初の蒸し鶏は肉にやさしく火を入れる手段として蒸すという手法を使っています。二品目は皮で包まれたものを蒸気の熱を使って蒸し上げることで旨味を閉じ込め、かつ熱々で食べられるようにしております」
「うむ。ではこの料理はどうなのじゃ?」と手元に置かれた魚を見てウィズが聞いてきた。
「説明の前に料理をいただきましょう。せっかくの料理が冷めてしまいますので」
「その通りじゃ。で、これはどのように食せばよいのじゃ?」
取り分けられた魚の横には白髪ネギと糸唐辛子、シャンツァイなどの香味野菜が置いてある。
「最初は魚だけがいいだろう。次にネギをソースに絡めて魚の上に載せて食べて、最後に緑色のハーブと一緒に食べるのが、一番味が分かりやすいと思う」
そう言いながらハタだけを口に入れる。
ホロッとした食感に醤油とネギやショウガなどの香味野菜の香り、更にやや甘口のソースが口に広がる。ハタ自身の持つゼラチン質と仕上げで掛けた油がハタの淡白な味を引き立て、思わず酒に手が伸びる。
フェニックスバイデンのグラスに口を付けると、純米吟醸らしい艶やかでいて軽やかな吟醸香が上がり、ソースの香りと複雑に絡み合う。
口に含むと爆発的な旨味が脳天に突き刺さる。
「これは美味い。この酒はこの料理のためにあると言ってもいいほどですね」
軽やかでフルーティな香りと米本来の旨味がハタの身の旨味と混ざり合い、最後に爽やかな酸味が油分をきれいに流していく。食べ終えた後の爽やかさは白ワインでは味わえないと言い切れる。
「それほどなのか!」とウィズが慌ててグラスに口を付ける。
「確かによいぞ! 酒だけでも美味かったが、確かに魚と一緒の方が美味くなった!」
魔王や四天王も同じように驚いている。
「余もこれほど美味な組み合わせは初めてだ」と王宮の主、アヴァディーンまで驚いていた。
「ゴウよ。先ほどの続きを教えてくれぬか」とウィズが聞いてきた。
「蒸す以外の調理法では、煮るや焼くがあります。まず煮るという調理法ですが、煮ると具材の旨味がスープ側に流れていきますが、蒸せば旨味成分がほとんど逃げません。その僅かに逃げた旨味もソースが受け止めていますから、それを身に掛けて戻すことで魚の旨味をすべて味わえるのです」
魔王たちは酒を飲む手を止めて俺の話を聞いている。
「なるほどの。焼くのとは何が違うのじゃ?」
「焼くと一部分の温度が上がるが、蒸した場合は外側から均等に熱せられるんだ。その分、味の変化が少ないという特徴がある」
「確かにそうじゃの。ならば蒸し料理が一番良いということかの」
「それは違うぞ。煮るにしても焼くにしてもそれぞれのいい点がある。煮れば旨みはスープに逃げるが、逆に言えばスープが美味くなるんだ。それに従って他の具材にも旨味が移る。焼けば一部が熱せられることになるが、これは皮目なんかをパリッとさせられるし、焼き目で香ばしさを付けて味を変えることもできる」
「確かにそうじゃ。では、今回の趣向はどういう意味があるのじゃ?」
「それは後で料理長に聞いた方がいいだろう」
蒸し魚を食べ終えたところで、赤ワインが出てきた。
給仕たちがグラスを配る間に給仕長が説明を行っていく。
「次は本日のメイン料理となります。それに合わせ、赤ワインをご用意いたしました」
そう言いながらアヴァディーンのグラスにワインを注ぐ。
「産地はブルートンで一一〇四年でございます。この年はここ二十年で最高の当たり年と評価されております」
今年は一一二〇年であるので、十六年物になる。
美しい深いルビー色で色あせた感じは全くなく、見た目からはへたった感じはしない。
俺のグラスにもワインが注がれる。
流れてくる香りは完熟したベリーのようで、見た目通り濃いワインのようだ。
顔を近づけていくと完熟したブルーベリーやカシスに加え、爽やかなプラムのようなフルーティな香りが嗅覚を支配する。
口に含むとビロードのような滑らかな舌触りで、赤ワイン独特のスパイスのような刺激が僅かに残る。
「さすがは美食の都のワインですね。十六年もの長期熟成でまだ若さを感じます。これほど状態がいいというのは奇跡です」
温度や湿度を自動で管理できる保管庫であれば十五年程度の熟成は難しくないが、自動管理どころか計測すらまともにできないこの世界で長期間じっくり熟成させることは非常に難しい。特にボトルは一本一本手作りされたもので、コルク部分から酸化が進んでもおかしくないのだ。
「このワインは十年熟成なのです。熟成が最高になったと判断したところで収納袋に入れて時間を止めております」
「なるほど。十六年にしてはフレッシュさがあると思いました。マジックバッグにはそのような使い方もあるのですね」
マジックバッグは時間を止めることができる。そのため、最高の状態と判断したところでマジックバッグに入れて熟成を止めれば、へたることなく美味いワインを楽しめるということだ。
「我が王宮には専門の職人がいるのだ。その職人がワインの状態を完璧に管理し、最高の状態を維持している。このようなことをしているのは世界広しといえども我がトーレス王国のみであろうな」
アヴァディーンが得意げに説明する。
「では、そのワインも余に分けてもらえるということかな」と魔王が尋ねる。
「もちろんです。そのために我が国のワインを飲んでいただいたのですから」
そんな話をしていると、次の料理が出てきた。
さすがに蒸し料理ではなく、焼かれた大きな肉の塊だ。それが五つもあった。
表面はやや焦げており、ウィズが「焦げておる。焼き過ぎではないのかの」と文句を言っている。
「エドガー殿、ドレイク殿より王宮に献上いただきましたミノタウロスチャンピオンの肉でございます。それを塊ごと、石窯でじっくりと焼いております」
料理長と料理人たちが表面の焦げた部分を丁寧に削ぎ落していく。一分ほどで焦げた部分はほとんどなくなった。
「味は全くつけておりません」と言いながら、大胆に切り分けていく。
中は美しいロゼ色でその色だけで涎が出てくる。
その間に給仕たちがカトラリーと共に小さな皿をいくつか置いた。小皿の上には岩塩と黒胡椒、マスタードが載っており、更にやや深めの皿におろしポン酢まで用意される。
「塩はハイランド北東部で獲れた岩塩です。黒胡椒はマーリア連邦のもので生の状態から塩漬けにしておりますので、それだけでも塩分は充分にございます。マスタードは酸味が強いウエストハイランドのものを用意いたしました。さっぱりと食べていただくためにおろしポン酢も用意しております」
客たちの前に肉が置かれていく。
見た目はローストビーフに近いロゼ色だが、焼けた香りはまさにステーキだ。大きさから五百グラム近い量があるように見える。
最初は肉本来の味を感じようと塩すらつけずに食べてみることにした。
ナイフで一口大に切り、口に運ぶ。
次の瞬間、脳天に突き刺さるような衝撃を受けた。
最高の牛肉の旨味だけを凝縮したような爆発的な旨味を感じ、その後に脂の甘みがやってくる。それが咀嚼するごとに連鎖するように続いていく。
「ハイランドでも美味いと思ったが、これは別格じゃ」と誰に言うでもなく、ウィズが呟いている。
肉に岩塩を少量付けてみると、今度は肉の旨味が甘みに変化し、その美味さに圧倒される。
「これを表現する言葉をしらない……」と思わず呟いたほどだ。
「我も同じじゃ。これほど美味い肉だとは思わなんだぞ」とウィズが応え、更に魔王も「余も同じ思いだ」と頷いている。
「ワインを飲んでいただきますと、より一層楽しんでいただけるかと思います」
料理長はそれだけ言うと、次の料理の準備のため、部屋を出ていった。
言われた通りにワインに口を付ける。
ベリー系の甘みがソースのように感じるほどで、まろやかさが肉の美味さを引き立てる。更に仄かに感じるスパイス感が肉本来の香りを引き立てており、これほど合う酒をよくぞ選んだと溜息が出るほどだ。
「素晴らしい……私ではこのような組み合わせは到底できない……」
そう呟いた後、アヴァディーンに向かって、自分の気持ちを正直に伝える。
「アヴァディーン陛下、貴国の料理と酒は私が知る限り最高のものでございます。中華風の料理の後にシンプルな石窯焼きの肉を持ってきたことに一瞬疑問を感じましたが、全くの杞憂でございました」
「余もこれほどの料理を食せるとは思っていなかった。エドガー殿を唸らせてくれと言った甲斐があったというものだ」
アヴァディーンはそう言って満足げに笑っている。
「アヴァディーン殿。貴国に投資するという判断が間違っていなかったことは充分に確認できた。具体的な事業について話し合わねばならんな」
「既にランジー伯爵に素案を作らせております。晩餐の後に確認いただくつもりでおりました」
「仕事が速いな。エドガー殿、貴殿も付き合ってくれぬか。ぜひとも意見を聞きたいのでな」
「では、晩餐の後に我が私室で最高のブランデーを飲みながら確認してはいかがでしょうか。それならばエドガー殿も参加されやすいかと」
「最高のブランデーじゃと! ならば我も参加するぞ!」とウィズが勝手に表明する。
「打ち合わせなんだぞ。分かっているのか」と聞くと、
「邪魔はせぬ。我にもその最高のブランデーを飲ましてくれぬか」
ウィズの悲しげな声にアヴァディーンが笑いを堪えながら、
「では、ドレイク殿も参加ということで。よろしいですかな、エドガー殿」
こうなったら仕方がないので、「分かりました。参加させていただきます」と頷くしかなかった。
ミノタウロスチャンピオンの石窯焼きを黒胡椒の塩漬けで食べてみた。
ピリッとしたペッパーの刺激はあるものの、乾燥させた黒胡椒より優しい辛さで肉の旨味を全く損なわない。
更にマスタードで酸味と刺激的な香りで味を変え、最後におろしポン酢でさっぱりといただく。
「このおろしポン酢なる調味料もよいな。塩分と酸味に加えてこのすり下ろしたものの辛みがよい」
魔王はおろしポン酢が気に入ったようだ。
ミノタウロスチャンピオンの肉を存分に楽しんだところで、料理長が現れた。
「もし余裕がございましたら、先ほどの黄ハタの蒸し物のソースを使った麺がございます。スールジアから取り寄せたこの辺りでは珍しい麺でございますが、いかがでしょうか」
「私は食べてみたいです」と即座に手を上げる。
「我もじゃ」とウィズが言うと、満腹でこれ以上食べられないと断った王妃とリチャード王子以外は全員注文した。
五分ほどで麺が出てきた。
細めの縮れ麺にモヤシと白髪ネギが入っている。煮詰めてあるため、先ほどより少し濃厚で、魚の旨味が凝縮されて美味い。
麺を食べていると、給仕たちが白ワインの入ったグラスを置いていく。
「セオール川沿いの白ワインでございます。非常にフレッシュなものですので、ご一緒にどうぞ」
口に含むと酸味が強い微発泡のライトな白ワインだった。麺の濃い目の味を中和してくれる感じで非常に合う。
麺の後はデザートだった。
デザートはマンゴーのソルベで、それにスパークリングワインという組み合わせだった。甘みが強いマンゴーのソルベに爽やかなスパークリングワインで十分に満足できるものだった。
最後に甘口のシェリー酒が配られる。
「今宵の晩餐はいかがでしたかな」とアヴァディーンが魔王に聞いている。
「これほどの晩餐は初めてだ。さすがは美食の都と言われるだけのことはある。そうは思わぬかな、エドガー殿、ドレイク殿」
「陛下のおっしゃる通りです。先ほども申しましたが、これほどの料理を食べたのは初めてです」
「我も満足しておる。この国に根を下ろしてもよいと思うほどじゃ」
その言葉にアヴァディーンの表情が僅かに緩んだ。
「満足いただけたようで安心しました」
最後に料理長から最初の三品を蒸し料理にした理由を聞いた。それは俺が思っていたことと同じで、合理的なものだった。
一皿目、二皿目は意外なことに中華風の料理だった。しかし、そのクォリティは高く、十分に満足している。
二皿目の小籠包などの点心を食べ終えたところで、給仕たちがワイングラスを並べていく。今回も白ワインのようだ。
グラスを配り終わると、給仕長が説明を始める。
「ワイングラスに入っておりますが、日本酒でございます。銘柄はフェニックスバイデンのジュンマイギンジョウでして、産地はブルートン郊外にあるバイデン地区でございます」
大ぶりのワイングラスに入っており、色は薄い琥珀色で先ほどの白ワインに近い感じだ。
仄かにマスカットのような爽やかな香りがあるが、口を付けると確かに日本酒だと思わせる米の味が口に広がる。
まろやかな舌触りでとろみを感じ、最後に酸味が残る。
「ジュンマイギンジョウとは何なのだ」と魔王がベリエスに聞くが、ベリエスは「サケの種類としか」と言いながら、俺に助けを求める。
「純米吟醸は酒の作り方を表しています。純米、すなわち米だけで醸した酒のうち、米を六割以下にまで磨き上げたものを純米吟醸と呼びます」
「六割まで磨き上げるということは、四割は酒にならぬということか。贅沢な作り方なのだな」
「そうですね。純米大吟醸ですと、五割以下ですからもっと贅沢と言えるかもしれません」
「ならば磨けば磨くほど美味くなるということか」
「いいえ、そう単純なものではないんです。米を磨くのは表面の雑味を取り除くためです。ですが、単に磨くだけでは酒本来の旨味までなくなってしまいます。どこまで磨いても大丈夫なのかは米の種類や出来、作り手の技量にもよりますから、私の好みを言わせてもらえば、酒単体で飲むにしても五割くらいが限界かなと思っています」
この世界ではどこまで磨いているのかは知らないが、日本では十パーセント以下にまで磨いたものもある。二割三分のものまでしか飲んだことがないから何とも言えないが、二割三分でも米の旨味は三割五分の物に比べ、圧倒的に減っていた。確かに香りは立てやすいかもしれないが、やる意味が分からない。個人的な意見だが、酒造メーカーや杜氏の自己満足にしか思えないのだ。
「難しい物なのだな」
そんな話をしている横でウィズがグラスを傾けていた。
「このサケもよいの! そう言えば前にワイングラスで飲んだのは何であったかの」
「ブルートンのシャーロックだ。あれは花のような華やかさがあったが、こちらは優しい感じだな」
そこで給仕長に質問をする。
「これもジン・キタヤマ氏が関わった酒でしょうか?」
給仕長は一瞬驚きの表情を見せるが、すぐに表情を戻し、
「その通りでございます。よくお分かりですね」
「以前、シャーロックという酒をいただいたことがありまして、タイプは全く違うのですが、こだわりと言いますか、とことんまで美味さを突き詰める執念のようなものを感じましたので」
そこで魔王アンブロシウスが「サケからそのようなことが分かるか」と驚いていると、ウィズが「もちろんじゃ」と勝手に頷いている。
「ドレイク殿もお分かりになるか」と国王アヴァディーンが聞くが、
「無論、我に分かるわけがない。もちろんと言ったのはゴウのことじゃ」
そこでテーブルから笑いが漏れる。
「この酒もよいな。ブルートンのものであれば、我が国にも融通してほしいのだが」
アンブロシウスの言葉にアヴァディーンが大きく頷く。
「この酒も陛下にお譲りするものの候補の一つです。先ほどエドガー殿がいったシャーロックも候補に入っておりますぞ」
「それは重畳」
そんな話をしていると、料理長が入ってきた。
彼の後ろにはワゴンがあり、そこには大きな楕円形の皿が載っている。更にその後ろには魔導コンロと中華鍋もワゴンに載っており、鍋からは白い煙が上がっていた。
皿の上には五十センチを超えるハタ科の魚があった。
料理長ユアン・ハドリーが中華鍋とお玉を持ち、最後の仕上げに掛かる。
鍋には熱した油が入っており、それをネギや糸唐辛子、香菜が載った魚の上に一気に掛ける。
ジュッという音と共にゴマ油とネギ、ショウガなどの香りが一気に広がる。
「凄いものじゃな」とウィズが驚きながらも喜んでいる。
「ボスコム沖で取れました黄ハタのネギショウガ蒸しでございます。こちらにて取り分けますので、少々お待ちください」
そう言ってスプーンとフォークを使って小皿に取り分けていく。
「これも蒸しと言っておったが、同じ名の料理ばかりじゃの」とウィズが聞いてきた。
「俺も気になっていたんだが、何となく理由が読めた気がするな」
「それは何かな、エドガー殿」とトーレス国王アヴァディーンが聞いてきた。
俺の斜め前にいる魔王も気になっているようで、料理ではなく俺に視線を向けている。
「蒸すという調理法を使っていますが、最初の蒸し鶏は肉にやさしく火を入れる手段として蒸すという手法を使っています。二品目は皮で包まれたものを蒸気の熱を使って蒸し上げることで旨味を閉じ込め、かつ熱々で食べられるようにしております」
「うむ。ではこの料理はどうなのじゃ?」と手元に置かれた魚を見てウィズが聞いてきた。
「説明の前に料理をいただきましょう。せっかくの料理が冷めてしまいますので」
「その通りじゃ。で、これはどのように食せばよいのじゃ?」
取り分けられた魚の横には白髪ネギと糸唐辛子、シャンツァイなどの香味野菜が置いてある。
「最初は魚だけがいいだろう。次にネギをソースに絡めて魚の上に載せて食べて、最後に緑色のハーブと一緒に食べるのが、一番味が分かりやすいと思う」
そう言いながらハタだけを口に入れる。
ホロッとした食感に醤油とネギやショウガなどの香味野菜の香り、更にやや甘口のソースが口に広がる。ハタ自身の持つゼラチン質と仕上げで掛けた油がハタの淡白な味を引き立て、思わず酒に手が伸びる。
フェニックスバイデンのグラスに口を付けると、純米吟醸らしい艶やかでいて軽やかな吟醸香が上がり、ソースの香りと複雑に絡み合う。
口に含むと爆発的な旨味が脳天に突き刺さる。
「これは美味い。この酒はこの料理のためにあると言ってもいいほどですね」
軽やかでフルーティな香りと米本来の旨味がハタの身の旨味と混ざり合い、最後に爽やかな酸味が油分をきれいに流していく。食べ終えた後の爽やかさは白ワインでは味わえないと言い切れる。
「それほどなのか!」とウィズが慌ててグラスに口を付ける。
「確かによいぞ! 酒だけでも美味かったが、確かに魚と一緒の方が美味くなった!」
魔王や四天王も同じように驚いている。
「余もこれほど美味な組み合わせは初めてだ」と王宮の主、アヴァディーンまで驚いていた。
「ゴウよ。先ほどの続きを教えてくれぬか」とウィズが聞いてきた。
「蒸す以外の調理法では、煮るや焼くがあります。まず煮るという調理法ですが、煮ると具材の旨味がスープ側に流れていきますが、蒸せば旨味成分がほとんど逃げません。その僅かに逃げた旨味もソースが受け止めていますから、それを身に掛けて戻すことで魚の旨味をすべて味わえるのです」
魔王たちは酒を飲む手を止めて俺の話を聞いている。
「なるほどの。焼くのとは何が違うのじゃ?」
「焼くと一部分の温度が上がるが、蒸した場合は外側から均等に熱せられるんだ。その分、味の変化が少ないという特徴がある」
「確かにそうじゃの。ならば蒸し料理が一番良いということかの」
「それは違うぞ。煮るにしても焼くにしてもそれぞれのいい点がある。煮れば旨みはスープに逃げるが、逆に言えばスープが美味くなるんだ。それに従って他の具材にも旨味が移る。焼けば一部が熱せられることになるが、これは皮目なんかをパリッとさせられるし、焼き目で香ばしさを付けて味を変えることもできる」
「確かにそうじゃ。では、今回の趣向はどういう意味があるのじゃ?」
「それは後で料理長に聞いた方がいいだろう」
蒸し魚を食べ終えたところで、赤ワインが出てきた。
給仕たちがグラスを配る間に給仕長が説明を行っていく。
「次は本日のメイン料理となります。それに合わせ、赤ワインをご用意いたしました」
そう言いながらアヴァディーンのグラスにワインを注ぐ。
「産地はブルートンで一一〇四年でございます。この年はここ二十年で最高の当たり年と評価されております」
今年は一一二〇年であるので、十六年物になる。
美しい深いルビー色で色あせた感じは全くなく、見た目からはへたった感じはしない。
俺のグラスにもワインが注がれる。
流れてくる香りは完熟したベリーのようで、見た目通り濃いワインのようだ。
顔を近づけていくと完熟したブルーベリーやカシスに加え、爽やかなプラムのようなフルーティな香りが嗅覚を支配する。
口に含むとビロードのような滑らかな舌触りで、赤ワイン独特のスパイスのような刺激が僅かに残る。
「さすがは美食の都のワインですね。十六年もの長期熟成でまだ若さを感じます。これほど状態がいいというのは奇跡です」
温度や湿度を自動で管理できる保管庫であれば十五年程度の熟成は難しくないが、自動管理どころか計測すらまともにできないこの世界で長期間じっくり熟成させることは非常に難しい。特にボトルは一本一本手作りされたもので、コルク部分から酸化が進んでもおかしくないのだ。
「このワインは十年熟成なのです。熟成が最高になったと判断したところで収納袋に入れて時間を止めております」
「なるほど。十六年にしてはフレッシュさがあると思いました。マジックバッグにはそのような使い方もあるのですね」
マジックバッグは時間を止めることができる。そのため、最高の状態と判断したところでマジックバッグに入れて熟成を止めれば、へたることなく美味いワインを楽しめるということだ。
「我が王宮には専門の職人がいるのだ。その職人がワインの状態を完璧に管理し、最高の状態を維持している。このようなことをしているのは世界広しといえども我がトーレス王国のみであろうな」
アヴァディーンが得意げに説明する。
「では、そのワインも余に分けてもらえるということかな」と魔王が尋ねる。
「もちろんです。そのために我が国のワインを飲んでいただいたのですから」
そんな話をしていると、次の料理が出てきた。
さすがに蒸し料理ではなく、焼かれた大きな肉の塊だ。それが五つもあった。
表面はやや焦げており、ウィズが「焦げておる。焼き過ぎではないのかの」と文句を言っている。
「エドガー殿、ドレイク殿より王宮に献上いただきましたミノタウロスチャンピオンの肉でございます。それを塊ごと、石窯でじっくりと焼いております」
料理長と料理人たちが表面の焦げた部分を丁寧に削ぎ落していく。一分ほどで焦げた部分はほとんどなくなった。
「味は全くつけておりません」と言いながら、大胆に切り分けていく。
中は美しいロゼ色でその色だけで涎が出てくる。
その間に給仕たちがカトラリーと共に小さな皿をいくつか置いた。小皿の上には岩塩と黒胡椒、マスタードが載っており、更にやや深めの皿におろしポン酢まで用意される。
「塩はハイランド北東部で獲れた岩塩です。黒胡椒はマーリア連邦のもので生の状態から塩漬けにしておりますので、それだけでも塩分は充分にございます。マスタードは酸味が強いウエストハイランドのものを用意いたしました。さっぱりと食べていただくためにおろしポン酢も用意しております」
客たちの前に肉が置かれていく。
見た目はローストビーフに近いロゼ色だが、焼けた香りはまさにステーキだ。大きさから五百グラム近い量があるように見える。
最初は肉本来の味を感じようと塩すらつけずに食べてみることにした。
ナイフで一口大に切り、口に運ぶ。
次の瞬間、脳天に突き刺さるような衝撃を受けた。
最高の牛肉の旨味だけを凝縮したような爆発的な旨味を感じ、その後に脂の甘みがやってくる。それが咀嚼するごとに連鎖するように続いていく。
「ハイランドでも美味いと思ったが、これは別格じゃ」と誰に言うでもなく、ウィズが呟いている。
肉に岩塩を少量付けてみると、今度は肉の旨味が甘みに変化し、その美味さに圧倒される。
「これを表現する言葉をしらない……」と思わず呟いたほどだ。
「我も同じじゃ。これほど美味い肉だとは思わなんだぞ」とウィズが応え、更に魔王も「余も同じ思いだ」と頷いている。
「ワインを飲んでいただきますと、より一層楽しんでいただけるかと思います」
料理長はそれだけ言うと、次の料理の準備のため、部屋を出ていった。
言われた通りにワインに口を付ける。
ベリー系の甘みがソースのように感じるほどで、まろやかさが肉の美味さを引き立てる。更に仄かに感じるスパイス感が肉本来の香りを引き立てており、これほど合う酒をよくぞ選んだと溜息が出るほどだ。
「素晴らしい……私ではこのような組み合わせは到底できない……」
そう呟いた後、アヴァディーンに向かって、自分の気持ちを正直に伝える。
「アヴァディーン陛下、貴国の料理と酒は私が知る限り最高のものでございます。中華風の料理の後にシンプルな石窯焼きの肉を持ってきたことに一瞬疑問を感じましたが、全くの杞憂でございました」
「余もこれほどの料理を食せるとは思っていなかった。エドガー殿を唸らせてくれと言った甲斐があったというものだ」
アヴァディーンはそう言って満足げに笑っている。
「アヴァディーン殿。貴国に投資するという判断が間違っていなかったことは充分に確認できた。具体的な事業について話し合わねばならんな」
「既にランジー伯爵に素案を作らせております。晩餐の後に確認いただくつもりでおりました」
「仕事が速いな。エドガー殿、貴殿も付き合ってくれぬか。ぜひとも意見を聞きたいのでな」
「では、晩餐の後に我が私室で最高のブランデーを飲みながら確認してはいかがでしょうか。それならばエドガー殿も参加されやすいかと」
「最高のブランデーじゃと! ならば我も参加するぞ!」とウィズが勝手に表明する。
「打ち合わせなんだぞ。分かっているのか」と聞くと、
「邪魔はせぬ。我にもその最高のブランデーを飲ましてくれぬか」
ウィズの悲しげな声にアヴァディーンが笑いを堪えながら、
「では、ドレイク殿も参加ということで。よろしいですかな、エドガー殿」
こうなったら仕方がないので、「分かりました。参加させていただきます」と頷くしかなかった。
ミノタウロスチャンピオンの石窯焼きを黒胡椒の塩漬けで食べてみた。
ピリッとしたペッパーの刺激はあるものの、乾燥させた黒胡椒より優しい辛さで肉の旨味を全く損なわない。
更にマスタードで酸味と刺激的な香りで味を変え、最後におろしポン酢でさっぱりといただく。
「このおろしポン酢なる調味料もよいな。塩分と酸味に加えてこのすり下ろしたものの辛みがよい」
魔王はおろしポン酢が気に入ったようだ。
ミノタウロスチャンピオンの肉を存分に楽しんだところで、料理長が現れた。
「もし余裕がございましたら、先ほどの黄ハタの蒸し物のソースを使った麺がございます。スールジアから取り寄せたこの辺りでは珍しい麺でございますが、いかがでしょうか」
「私は食べてみたいです」と即座に手を上げる。
「我もじゃ」とウィズが言うと、満腹でこれ以上食べられないと断った王妃とリチャード王子以外は全員注文した。
五分ほどで麺が出てきた。
細めの縮れ麺にモヤシと白髪ネギが入っている。煮詰めてあるため、先ほどより少し濃厚で、魚の旨味が凝縮されて美味い。
麺を食べていると、給仕たちが白ワインの入ったグラスを置いていく。
「セオール川沿いの白ワインでございます。非常にフレッシュなものですので、ご一緒にどうぞ」
口に含むと酸味が強い微発泡のライトな白ワインだった。麺の濃い目の味を中和してくれる感じで非常に合う。
麺の後はデザートだった。
デザートはマンゴーのソルベで、それにスパークリングワインという組み合わせだった。甘みが強いマンゴーのソルベに爽やかなスパークリングワインで十分に満足できるものだった。
最後に甘口のシェリー酒が配られる。
「今宵の晩餐はいかがでしたかな」とアヴァディーンが魔王に聞いている。
「これほどの晩餐は初めてだ。さすがは美食の都と言われるだけのことはある。そうは思わぬかな、エドガー殿、ドレイク殿」
「陛下のおっしゃる通りです。先ほども申しましたが、これほどの料理を食べたのは初めてです」
「我も満足しておる。この国に根を下ろしてもよいと思うほどじゃ」
その言葉にアヴァディーンの表情が僅かに緩んだ。
「満足いただけたようで安心しました」
最後に料理長から最初の三品を蒸し料理にした理由を聞いた。それは俺が思っていたことと同じで、合理的なものだった。
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