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本編第四章:魔物暴走編

第六十七話「朝酒」

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 四月三十日の午前三時過ぎ。
 グリーフ迷宮の二百階で魔物暴走スタンピードの対応をしていた。三百五十一階から四百階までの魔物であるミノタウロスやオーガなどの姿は消え、アンデッドと悪魔系に変わっている。

 現状出てきている魔物は、アンデッドがゴーストとヴァンパイア、悪魔系が下級悪魔であるデーモンと夢魔ナイトメア淫魔サキュバスだ。
 ウィズの情報ではアンデッドにはデュラハンとリッチもいるらしいが、移動速度の関係でまだ辿り着いていないようだ。

 一番数が多いゴーストだが、一般の探索者シーカーにとって、物理攻撃無効の能力を持ち、精神攻撃を加えてくる厄介な敵だそうだ。特に精神攻撃については防御する手段が少なく、高価なミスリル製の防具か、神聖魔術になる。

 四百階より下層にいるゴーストと戦うのは通常、最上級ブラックランクのシーカーだが、彼らでもミスリル製の防具をパーティ全員に装備させることは難しく、聖職者の魔力MPがパーティの継戦能力に直結する。

 ヴァンパイアもゴーストに劣らず厄介な敵らしい。物理攻撃無効の能力と高い再生能力を持ち、更に高い知性を持つことから、シーカーたちの弱点を突く嫌らしい攻撃を仕掛けてくる。
 そのため、僅か一体のヴァンパイアにブラックランクのパーティが全滅寸前にまで陥ったこともあるらしい。

 悪魔系の魔物も強力だ。
 デーモンは武術の才能に加え、高位の魔術も使えるだけでなく、耐久力もあることから容易に倒せない。持っている武器も魔剣や魔槍といった通常の防具を無効化するもので、飛翔による高速移動を使った奇襲を受けると、大きな損害が出る。

 ナイトメアやサキュバスは武術の才能こそないが、ゴースト以上に精神攻撃に優れ、知らず知らずのうちに術中にはまり、危機に陥ることがあるそうだ。

 但し、あくまで一般のシーカーたちに対してであって、俺たちには当てはまらない。
 物理攻撃だけでなく、精神攻撃も全く効かないし、圧倒的な魔術攻撃力で瞬殺できるからだ。

 唯一面倒なのはゴーストの数が多いことで、ほとんど途切れることなく、湧き続けている。数は不明だが、恐らく三千以上は倒しているはずだ。
 階段には金貨などの硬貨と魔力結晶マナクリスタルが敷き詰められたように落ちており、足場を確保するために箒とちり取りで掃除が必要なほどだ。ちなみに箒などは夜食を取りに行った時に借りてきたものだ。

「そろそろ次の魔物に代わってもいい頃なんだがな」と呟くと、

「これだけ出てくると面倒で仕方がないの」

 そんなことを話しながら魔術を放ち続けていた。
 午前六時頃になり、ようやくゴーストの流れが途切れ始める。その代わり、霧に姿を変えて奇襲を掛けてくるヴァンパイアが増え、デュラハンとリッチも現れ始めた。
 ヴァンパイアだが、霧に姿を変えても魔力感知を持っているから全く関係ない。姿を戻す前に魔術で消滅させている。

 デュラハンは迷宮内では珍しい騎兵だが、階段を駆け上ってくるまでに魔術で倒しているので騎兵の利点は生かせていない。
 リッチは上級魔術である範囲攻撃を階段室の下から放ってくるが、俺たちには全く通用しない。デュラハンと一緒に魔術で焼き払っている。

 デーモンたちも続々と飛び込んでくるが、瞬殺している。ただ、消滅する時にいちいち呪詛の言葉を吐くため鬱陶しい。

「黙って死ねないのかね」とぼやくと、

「奴らの末期の言葉は呪いの言霊ことだまになっておるからの。並の者なら少しずつ呪われて力を落としていくはずじゃ」

 悪魔系には自らの命と引き換えに弱体化デバフを掛けることができるらしい。但し、状態異常無効のスキルを持つ俺たちには全く効かない。

 午前七時になり、「そろそろ飯の時間じゃの」とウィズが言ってきた。
 夜食を受け取る時に朝食を頼んでおり、指定した時間が七時だったのだ。

「今度は任せるよ」

「うむ」

「出口にいる魔物はついでに倒してやってくれ。苦戦しているかもしれないしな」

「分かった。出たところにおる魔物はすべて倒しておけばよいのじゃな」

 そう言うと転移魔法陣を起動した。
 残された俺は一人で作業を続けていく。
 十分ほどでウィズが戻ってきた。その顔には満面の笑みが浮かんでいる。

「マシューが作ってくれたものじゃ! サケも入っておると聞いた。楽しみじゃ!」

 和食の料理人マシュー・ロスが朝食を作ってくれたらしい。

「朝から和食で酒が飲めるのか。楽しみだが、ゆっくり飲ませてくれそうにもないな」

 そう言いながら、魔術を放ってくるデーモンに魔術を撃ち返す。デーモンたちは階段室に入った瞬間に攻撃を受けると気づき、リッチと同じように階段室の入口から魔術を放つようになったのだ。

「我らに当たっても何ということもないが、弁当に当たったら目も当てられぬ。何とかせねばならんな」

 俺たちなら直径一メートルほどの炎の玉を食らっても、魔術無効のスキルによってダメージは全く受けない。この効果は服や装備品も含まれる。
 しかし、装備品に含まれない弁当は攻撃を受ければ食べられなくなってしまう。

「どちらかが階段のところで魔物を牽制しておいて、その隙にもう一人が部屋の奥で食べるしかないな」

「それは味気ないの。一人では楽しさも半減じゃ」

 言わんとすることは分かるが、今は戦場にいるのだから諦めるしかない。

「奴らに傀儡くぐつの魔術が効けばよかったのじゃが、迷宮の魔物には効かぬからの」

 俺たちも暗黒魔術の精神攻撃ができる。その中には魅了や傀儡といったものもあり、相手を隷属させることが可能だ。しかし、それは迷宮外の魔物に限られる。迷宮の中にいる魔物は迷宮の意思に従っているため、精神操作系の魔術は無効化されてしまうのだ。

 ちなみに土魔術で壁などを作る方法も迷宮内では使えない。正確に言うと、完全に使えないわけではないが、有効時間が非常に短く、三十秒程度で迷宮に吸収されてしまうのだ。

魔力の盾マジックシールドで片方が守って、もう片方が攻撃する方法しかないか」

 マジックシールドは神聖魔術で、物理攻撃や魔術を無効化できる。展開していられる時間は魔術師の能力によって決まるため、俺とウィズなら何日でも展開していられる。大きさも自在に変えられ、二人が隠れられる二メートル四方くらいなら全く問題ない。
 問題と言えるほどのことではないが、マジックシールドを発動させるためには、手の平をその方向に向けておかなければならない。つまり、片手を上げ続ける必要があるのだ。

「それしかないの。面倒な話じゃ」

「それじゃ。シールドは任せるぞ」

「うむ。そなたが取り分けてくれた方が早いから仕方がないの」

 いつも通り、収納袋マジックバッグから弁当の入った籠を取り出す。籠には木の箱と一升瓶が入っていた。木の箱からは懐かしい香りがする。

「酒は“ブラックドラゴン”の純米大吟醸か。つまみは何だろうな……やっぱり鰻か! この世界にも鰻がいるんだな」

 鰻の蒲焼きが食べやすいように串に刺してある。
 その下には肉や野菜の串焼きもあり、更に味噌が塗られた焼きおにぎりまであった。

「鳥に牛、豚……野菜もあるし、出汁巻きに焼きおにぎりまで……マシューさんも考えたな」

「ウナギとはなんじゃ? よい香りがしてくるが」

 ウィズが箱を覗き込んで聞いてきた。その間にも下から攻撃は続いており、マジックシールドに当たって消えていた。

「川にいる魚だ。細長くて脂が乗っている美味い魚なんだが、調理が面倒なんだ」

 そう言いながら、下に向けて火魔術を放つ。それも自動追尾ホーミング機能付きのものだ。狙うのが面倒なので攻撃してくる敵を自動的に選んで向かっていくようにしている。

「香ばしくて甘い香りじゃな。早う食わせてくれ」

「まあ、待て。まずは酒を味わわないと」

 マシューさんのメモが入っており、料理や酒の説明が書いてある。

「ブラックドラゴンはマシア共和国北部の酒だそうだ。切れがよくて味わい深い銘酒だそうだ」

 一升瓶からグラスに注ぐ。よく冷やされており、グラスが結露で白く曇る。
 色は薄い琥珀色で、日本酒独特の甘い香りが漂ってくる。
 ウィズに渡すと、すぐに口を付けた。

「よい香りじゃ! 前に飲んだシャーロックとも違う。あれよりもコクがある気がするの」

 ウィズのコメントを聞きながら俺も一口すする。
 最初にしっかりとした酸を舌に感じ、その後、米の旨味と華やかな香りが口に広がっていく。しかし、香りは華やか過ぎず、料理を邪魔することなく食中酒となりそうな感じだ。

「これはいいな。じゃあ、つまみだが、まずは鰻からでいいか?」

「うむ。その香りが気になって仕方がない。早うくれ」

 片手を上げていなければならないため、一旦酒を床に置き、右手を伸ばしてくる。

「慌てなくてもいっぱいあるぞ」と言いながら串を渡す。この串は金属製ではなく、竹串だった。この辺りにはない素材だと聞いたので、これも輸入したものなのだろう。

 ウィズは受け取るとすぐにかぶりつく。

「何という美味さじゃ! 柔らかい身にこってりとした脂が乗っておる。それに弾力がある皮の香ばしさもよいの。我はこれが気に入った!」

 最近、ウィズのコメントの語彙が増えてきた気がする。
 俺も鰻の蒲焼串を手に取った。東京の老舗の串焼屋で出てくるような小さめの串で、身のホロッとした食感と皮の弾力が甘辛い蒲焼のタレにマッチしている。脂の旨味がやや薄い気がするが、ニホンウナギとは別の種類か、焼き方などが異なるのだろう。

 そこにブラックドラゴンを流し込む。鰻の香ばしい香りとこってりとした脂に爽やかな吟醸香が合わさり、更に旨味が上がったような気がする。

「この酒によく合うの! 他の串も合いそうじゃ。早うくれ!」

「ちょっと待ってくれ」と言って奇襲してきたデーモンに氷の杭を叩きつける。炎系の魔術を使わないのはせっかくの鰻や肉のよい香りが、焼けた悪魔の臭いで消されるのを防ぐためだ。

「次はこれだな」

 そう言って豚肉を巻いたアスパラの串を手渡す。

「変わっておるの。野菜に肉を巻き付けてある」と言って一切れ口に入れる。

「おっ。これもよいの。肉の脂がよい感じで野菜に染みておる」

「確かにいい豚の脂だな。もしかしてオーク肉か? 普通の豚肉よりコクが強い気がするが」

 メモを見るとオーク肉と書いてあった。そこには“上位種が手に入りませんでした。すみません”と注記があった。

「これでも充分に美味い。そう言えばオーク肉は回収しただけで渡していなかったな」

「これが終わったら料理してもらわねばならんな」

 牛肉はミノタウロスの上位種、鶏肉はブラックコカトリスだった。いずれもシンプルに塩焼きにされており、絶妙の火通しで日本酒のつまみとして最高だった。

「その黄色いものは何じゃ? 玉子料理のようじゃが」

「出汁巻きだ。玉子に出汁を加えて焼いたものだ。出汁巻きの出汁にサケがよく合う。但し、きちんと作られたものに限るがな」

 出汁巻き自体は割と好きな料理だし、日本酒に合わせることも多い。
 しかし、焼き方がいい加減な場合は別だ。僅かでも焼き過ぎた出汁巻きは出汁と玉子が分離した感じで、日本酒を飲んだ時に灰汁のようなえぐみを感じることがある。これは俺だけが感じることかもしれないが。

「そうなのか……では、フォークに刺して渡してくれんか」

「柔らかいからスプーンで食べた方がいい」と言ってスプーンに載せて渡す。

 その間に俺も一切れ箸でつまむ。
 美しい黄色できれいに巻かれている。口に入れると優しい出汁の香りと柔らかい玉子の食感が楽しい。

「さすがはマシューさんだな。完璧な出汁巻きだよ」

 そう言ってブラックドラゴンを口に含む。米の香りが出汁の香りを更に引き立ててくれる。

 のんびりと飲んでいるように見えるかもしれないが、この間にずっと攻撃を受けていた。そのため、マジックシールドに受ける真っ赤な炎が料理と酒を照らし、風や石礫、氷などが当たって弾ける音が響いている。

 三十分ほどかけてつまみを食べ、締めの焼きおにぎりを食べる。冷めないようにマジックバッグに入れており、表面はまだ熱い。一緒にたくあんが入っており、茶が入っている水筒もあった。

 焼きおにぎりをウィズに渡すと、しげしげと見ている。

「以前食った塩むすびに似ておる気がするが、それを焼いておるのか?」

「そうだが、表面に醤油と味噌が塗ってあるから、もっと香ばしい。店ならだし茶漬けにしてもらいたいところだが、ここでは仕方ないな」

 一口齧ったウィズが「香ばしいの。ウナギとも違うが、この香りも癖になるの」と満足げな表情を浮かべていた。

 俺も同じようにかぶりつく。
 少し焦げ目のある甘めの味噌が香り、その後から下味として塗ってある醤油の香りが上がってくる。噛むとほんのり塩味の付いた米が甘さを主張する。
 焼けた米が歯に引っ付く感じがあるが、それをブラックドラゴンで流していく。

「これはいいな。しかし、悩んだんだろうな」

「何がじゃ?」

「いや、朝っぱらから飲む奴に何を出そうかって。それに常識的に考えたら、戦闘で手が離せないはずだ。そんな状況で少しでも食べやすいものを考えてくれたんだろうな。マシューさんは」

「うむ。確かに片手でも食べられた。カールもそうじゃが、よく考えておるのじゃな」

 マシューたちがどんな想像をしながら料理を作ったのか、後で聞いてみようと思った。
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