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本編第四章:魔物暴走編

第六十六話「裏方の仕事」

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 四月二十九日の午後一時過ぎ。
 私リア・フルードは迷宮管理局の受付で強敵と戦っていた。睡魔という強敵と。
 ランチを食べ終えた後の一番眠くなる時間なのに、受付に人はほとんど現れない。本当に辛い。
 特に昨夜遅くまで、ハイランド連合王国に増援を派遣するために残業していたので、今日はいつも以上に眠かった。

 襲ってくる睡魔に敗れそうになっていた私は、突然駆け込んできた管理官エリック・マーローさんと三十歳くらいのベテランの探索者シーカーの足音に飛び上がるほど驚いた。
 ベテランのシーカーは最近、魔銀級ミスリルランクに上がったばかりのパーティのリーダーだったはずだけど、名前までは憶えていない。

「局長のところにいく。しばらくの間、誰も通すな」

 いつもとは違う雰囲気に何があったのかと聞きたかったが、それを許す感じではなく、頷くことしかできなかった。
 最近はゴウさんたちの担当のようなマーローさんだが、二人がいないのに焦っているように見えた。

 十分ほどすると、局長室からダルントン局長がマーローさんとシーカーを引き連れ、降りてきた。

「中庭に今いる職員を至急集めてくれ」

「はい」と答えるが、それを確認することなく局長はマーローさんと共に奥に向かった。

 ベテランのシーカーに「何があったのですか」と尋ねたが、首を横に振るだけで何も言わずに去っていった。ただ、その顔は青ざめており、深刻な事態が起きたことだけは分かった。

 その後、同僚と手分けして各部署に回り、局長の指示を伝えていく。
 十分ほどで伝え終え、私たちも迷宮の出口がある中庭に向かった。
 同じタイミングで管理局の職員たちがぞろぞろと集まってくる。他にも守備隊の兵士たちも加わり、その数は五百人くらいに見え、広い中庭が窮屈に感じた。

 その中には「人が減って忙しいのに」と言っている人もいた。守備隊が減った影響をまだ受けている人がいるらしい。
 職員が集まり終わったタイミングで局長が入ってきた。すぐに演台の上に上がり、緊張した声で話し始めた。

「先ほど三百階付近でオーガとミノタウロスを見たという報告があった。他にも百階付近でオークの集団を見たという報告も上がっている。また守護者ガーディアンの部屋の扉が開放されたままになっていた。それらの情報から考えられることは……」

 そこで局長は一旦言葉を切った。言いたくないことを言うために気合を入れているみたい。

「……魔物暴走スタンピード! それしかありえない!」

 次の瞬間、今まで静かだった中庭にざわめきが起きる。
 それは仕方ないと思う。誰も予想していなかったことだから。

「ここグリーフ迷宮でスタンピードが発生したという記録はない! しかし、五十階層も上に魔物が上がってきているのだ。皆も知っている通り、これは他の迷宮で発生したスタンピードの兆候と全く同じだ!」

 確かに管理局に入った時、そんなことを教えられた気がするけど、自分には関係ないと思っていた。何百年も起きたことがないのだから、先輩たちも皆、同じように考えていたはず。

「私はグリーフ迷宮管理局の局長として、国王陛下に代わり非常事態を宣言する!」

 その一言で私たちは息を呑んだ。
 この宣言は本来国王陛下が行うものだけど、迷宮管理局長にはスタンピード発生に限り、宣言を出す権限がある。

 宣言が行われると、管理局は大きな権限を有することになる。
 商人たちからゴーレム馬車を徴発したり、傭兵を召集したりできる。また、騎士団だけでなく、本来私兵である貴族領の兵士たちに対しても、命令する権限を持つことになる。

「王宮にはマーロー管理官を派遣した。すぐに王都から増援が来るはずだが、このペースで上がってくれば今日の夕方には出口から溢れ出すだろう……」

 あまりの時間のなさに絶望する。スタンピードの恐ろしさは局に入った時に嫌というほど教えられているから。

「今は一分一秒が惜しい。直ちに決められた手順に従って、住民たちの避難計画を実行に移すのだ!」

 その言葉で職員たちは走り始めた。もちろん私もだ。何かしていないと悪い方向に考えてしまいそうで、今は身体を動かすことだけに集中する。

 スタンピードが発生した場合の対応は訓練などで繰り返し叩き込まれており、自分が何をしていいのかは分かっている。
 私に与えられている仕事は探索者街シーカータウンに行き、残っているシーカーに声を掛けることだ。

 走り出した直後、管理局の屋上にある大型の鐘が“ゴーン、ゴーン”と普段とは違うリズムで鳴り始めた。
 その音に気付いた人々が建物の外に出てくる。年に二回、訓練で鳴らしているので意味は分かっているはずだけど、訓練でもないのになったことから不審に思っているみたい。

 そんな人たちに「スタンピードが発生しました!」と叫びながら、シーカーたちが宿泊する宿や昼から飲める酒場に向かう。

 一軒目の宿で支配人を捕まえ、スタンピードが発生したことを伝え、シーカーたちを迷宮管理局に向かわせるよう依頼する。
 本来なら私がシーカーに直接指示を出すべきだが、時間が無い。

 途中で顔見知りのおばさんに「訓練よね」と震える声で聞かれたけど、私は首を横に振り、「早く避難してください」としか言えなかった。それ以上しゃべれば絶望的な言葉を吐き出しそうだったから。

 何軒かの宿と酒場を回り、局に戻ろうとした時、“探索者たちの台所シーカーズダイニング”の料理人、カールさんが私に声を掛けてきた。

「スタンピードが発生したと聞いたが、本当か!」

「そうみたいです。局長から直接聞きました……」

「そうか……忙しいところを呼び止めて済まなかった」

 そう言ってカールさんは頭下げる。

「すぐに避難の準備をしてください。救援は来ると思いますが、夕方には戦闘が始まるそうですから」

 何とか希望があるように言うことができたけど、準備をしても無駄という言葉が頭の中でグルグル回っていた。

「分かった。お前も気をつけてな」

 私はカールさんに頭を下げ、管理局に向かって走り始めた。

■■■

 リアからスタンピードが発生したと聞き、どうしていいのものかと悩んでいる。
 逃げればいいと思うかもしれないが、今は午後三時前、つまり夕方まで三時間ほどしかないということだ。
 今から準備をして逃げだしたとしても大して進まないうちに夜になる。夜通し歩いたとしても、セオール川に辿り着くのが精々だ。

 魔導飛空船が来てくれる可能性はあるが、住民だけで八千人近くいる。飛空船には多くて三百人くらいしか乗れないと聞いているから、明日になっても全員の避難は終わらないだろう。

 ゴーレム馬車で逃げるという選択肢もないわけではないが、農家が使う荷馬車ならともかく、商人が使う馬車は十人くらいしか乗れない。正確な数は知らないが、精々三十輌くらいしかないだろうから、乗れる人数は限られてくる。

 もちろん家族は逃がしたいと思っている。
 俺の家族だが、女房のマギーの他に三人の子供がいる。運がいいことに子供たちは皆この町を離れていた。二人の息子は王都の有名店で修業中だし、娘は結婚してフォーテスキューにいる。

 ここに残っているのは俺とマギーだけだ。逃げられる人数が限られるなら、妻だけは逃がしたいと考えていた。

 マギーにそのことを話したら、肩を思いっきりぶっ叩かれた。

「なんて情けない顔をしているんだい。あたしもここに残るに決まっているだろ。守備隊やシーカーのみんなが命懸けで町を守ろうとしているんだよ。あたしらにできることをやるに決まっているじゃないか」

「俺たちにできること?」

「ほんとにどうしちまったんだい。あんたにできることと言ったら料理を作ることだろ。戦っている連中に美味いものを食わせてやるんだよ」

 確かにそうだ。俺は突然のことでおかしくなっていたらしい。こういう時、女の方が強いのかもしれない。

「そうだな。なら、今から仕込みだ。ゴウとウィズには悪いが、美味いものというなら、あいつらが置いていった肉を使うべきだな」

 本来ならやってはいけないことだ。客が持ち込んだものを勝手に使うのだから。
 普段ならどれほど金を詰まれようが、脅されようが勝手に使うことはありえないが、今回は特別だ。
 運よく生き残れたら、土下座して謝って弁償しよう。弁償できるような額じゃないが、一生掛けて返済すれば何分の一かは返せるはずだ。

「それがいいね。それにあの人たちも分かってくれるわよ」

「そうだな。また持ってくると言って終わるだけのような気はする。それでも料理人としてやっちゃいけないことなんだが」

 そこで気合を入れ直し、仕込みを開始した。
 戦場での食事など作ったことはないが、激戦になるだろうからできるだけ消化がよくて精が付くものがいいだろう。

 煮込み料理を作ることに決め、調理を開始する。
 調理を開始し始めたところで、ゴウとウィスティアの顔が思い浮かんだ。

(あいつらなら酒とつまみがいいと言いそうだな。ビーフシチューは既に作ってあるから、これを出せばいいか。あとはステーキもいいだろう……)

 そんなことを考えていたら、リアが再びやってきた。

「やっぱり避難していなかったんですね」

「まあな。逃げろと言ってくれたのにすまんな。だが、お前もいいのか。こんなところにいて」

「私は迷宮管理局の職員ですから。逃げるにしても住民の皆さんの避難が終わった後です」

 毅然とした表情で言い切る。

「でも、カールさんが残っていてくれて助かりました」

「助かる? どういうことだ?」

「先ほどゴウさんとウィズさんが王都から戻られたんです。二人だけで二百階で魔物と戦うらしいんですが……」

「二人だけでか! 無茶だろう!」

 話の途中だったが、つい口を挟んでしまった。

「私もそう思います。お二人が納得していたので何も言えませんが、局長の指示だそうです」

「納得しているのか……」

「ええ。それでウィズさんから、カールさんに夕食用の弁当を作ってほしいと依頼がありまして」

「弁当? たった二人なのに飯を食っている暇なんてあるのか?」

「その点は大丈夫だと思います。あの二人が美味しい料理とお酒があるのに食べないことはないと思いますから」

 そう言って少しだけ笑う。

「真面目な話ですが、お二人なら何とかできそうな気がするんです。ですので、最高のお弁当というか、料理とお酒をお願いします」

 そう言って大きく頭を下げる。

「分かった! だが、夕食までには時間が無い。夕食は今準備してあるもので何とかするが、夜食は面白いものを作るから期待しておけと伝えてくれ」

「分かりました」と言ってリアが帰りそうになったので「ちょっと待ってくれ」と呼び止める。

「何でしょうか?」

「他の連中の食事も作るつもりだ。俺にできるのは料理だけだからな。今からだと八時くらいにしかできないが、鍋と材料を運んでくれればある程度の量は作れると思う」

「分かりました。戦っているみんなも喜ぶでしょう。カールさんの作る料理なんて滅多に食べられないんですから」

 そう言って笑い、局に帰っていった。

 その後は戦場のようだった。
 大量の肉や野菜を処理し、管理局から持ち込まれた大鍋でミノタウロスのポトフとコカトリスのクリーム煮を作っていく。パンは店にある分では到底足りないが、管理局が買い上げているだろうから心配はしていない。

 午後四時を過ぎたところで「そろそろ、ゴウたちの分を作らないとな」とマギーに言いながらフライパンを出す。
 ステーキを焼き、シチューに最後の仕上げをするだけだから、時間自体はほとんど掛からない。
 完成したところで、管理局から若い職員が現れた。

「ドレイクさんが注文した弁当を取りに来たんですが」

「ちょうどできたところだ。マジックバッグを貸してくれ」

 職員が持ってきたマジックバッグに料理とワインを入れていく。料理とワインの説明の他に勝手に肉を使ったこともメモにして入れておいた。

 午後七時頃に守備隊の若い兵士たちが料理を取りに来た。

「戦況はどうなんだ」と聞くと、

「順調ですよ。エドガーさんとドレイクさんが食い止めてくれてますし。何でも一時間くらいで五千体の魔物を倒しているそうです。ただ傑作だったのは肉をいれるバッグが欲しいと言った時でしたね。さすがは肉収集狂ミートマニアだってみんなで笑っていましたよ」

「そうか。ゴウたちも無事なんだな」

「ええ、あの人たちが無事じゃないというのは想像できませんけど」

 思いの外、兵士たちの表情が明るいことに安堵する。

「そう言えばエドガーさんからの伝言がありました」

「伝言?」

「はい。“肉は好きなだけ使ってください。すぐに補充できますから”とのことです。確かにマジックバッグを三十個も持っていきましたから、すぐに補充されそうですよ」

 予想通りの答えだが、事後承諾なので謝罪することは必要だろう。

「分かった」とだけ答えておく。

「それからあまり気にしないでくださいとも言っていましたね。料理人には料理に集中してほしいのだそうです。あの人らしいですね」

 こちらのことはお見通しのようだ。
 それで俺も吹っ切れた。

「分かった。最高の料理を作ってやるから楽しみにしておけと伝えてくれ」

 兵士たちは鍋を持って管理局に戻っていった。
 とりあえず兵士たちに出す料理が一段落したので、ゴウたちに渡す夜食を作り始める。

「何を作るつもりなんだい」とマギーが聞いてきた。

「ハンバーガーとビーフカツだ。バーガーは戦いながらでも食べやすいだろうし、肉はステーキとシチューだったから、揚げ物がいいだろうと思ってな。この二つならビールにもよく合う」

「そうだね。多分喉が渇いているだろうからビールに合うつまみはいいと思うわ」

 そんな話をしながら夜食を作っていく。
 午後九時頃には夜食ができたため、自分のマジックバッグに入れて管理局に向かった。

 管理局の門はしっかりと閉まっているが、中から戦っている兵士たちの叫び声や魔物の鳴き声が聞こえていた。
 門番の職員にゴウたちの夜食を持ってきたと伝えると、リアが現れた。

「わざわざありがとうございます。夕食は大好評でした。カールさんだけじゃなく、マシューさんも作ってくださったので、物凄く豪華な食事になっていました」

 しゃべりながらも夜食をマジックバッグに入れ替えていく。

「マシューも残ったのか」

「はい。ゴウさんたちが戦っているんだから、自分も何かしたいとおっしゃっていました」

「そうか。じゃあ、明日のゴウたちの朝食はマシューに作ってもらうか。ゴウもウィズも和食を気に入っていたようだしな」

「喜ぶと思います」

 そういうとリアは建物の中に入っていった。

 それからマシューの店に向かった。
 商店街に人の気配はなく、住民のほとんどが脱出したようだ。
 ゴーストタウンのような商店街を歩いていき、マシューの店“ロス・アンド・ジン”に到着する。

 ドアを開け、「今大丈夫か」と言いながら中に入っていく。
 マシューと店員のタバサが料理の仕込みをやっていた。

「どうしたんですか?」とマシューが聞いてきた。

「頼みがあってな」と言ってゴウたちの朝食のことを話す。

「それならちょうどよかった。もしかしたら頼まれるかなと思って、ちょっと変わった食材の仕込みをしていたんです。サケのつまみにもなりますし、精も付く食材なんです」

 マシューも俺と同じことを考えていたらしい。

「それなら朝食は任せる。昼飯は俺が作るから、晩飯は任せていいか?」

「もちろんです」といった後、クスリと笑い、

「普通なら明日の夕方まで生きていられるはずがないと考えるのでしょうけど、全くそんな気がしません。カールさんもそうじゃありませんか?」

「俺も同じだな」と言って笑い、

「一番の心配はウィズが“酒が足りぬ”と言い出さないかということくらいだ」

「確かに言いそうですね」

 そう言った後、二人で声を上げて笑い合った。
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