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第八部:「聖王旗に忠誠を」
第十話
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宇宙暦四五二五年二月二十七日。
キャメロット星系第三惑星ランスロットの首都チャリスの下町には一軒のロンバルディア料理店がある。
その店の名は“シスレーの店”。その名の通り、マイク・シスレーというロンバルディアからの移住者二世が店主だ。
既にオープンから三十年以上経っているが、平均より少し上程度の味でメディアに取り上げられることはなく、常連客からは少しガヤガヤとしながらも居心地のいい店と評判だった。
マイクは三十五歳になる大柄な男だが、ロンバルディア人らしく陽気な料理人で客や近所の評判は非常によい。
そのマイクが常連客らしい壮年の男に声を掛ける。
「今日のパスタは魚介のクリーム系だよ。もちろん白ワインにはばっちり合うけど、アマレットのソーダ割も美味しいよ」
「なら、アマレットのソーダ割を……いや、リモンチェッロの方がいいな。それで頼む」
その会話は自然で、周囲の客は全く気に留めていない。
マイクがリモンチェッロのソーダ割を運んでくると、その客はいじっていた個人用情報端末の画面をコンコンと叩いた。
そこには“十二時、バー・トレノ、左端”と書かれているが、どちらもそれを見ることなく会話していた。
「このパスタは絶品だな。これは定番にしてもいいんじゃないか?」
「どうしようかなと思っているよ。お客さんの評判次第だね」
それだけ話すとマイクは離れていった。
夜の営業を終え、マイクは指定されたバーに入っていく。
左端の席には昼間の男とは全く違う若い白人男性が座っていた。彼と同じロンバルディア人のように見える。
「久しぶりだね。元気だったかい?」
「この通り元気だよ。久しぶりに顔が見たくてね」
マイクはそういいながら席に座ると、ハイボールを頼む。
彼がハイボールを一口飲んだところで、男が陽気な口調で話し始めた。そして、他愛のない話が数分続く。
「……そう言えば、飼っていた蜘蛛のことを覚えているかい?」
その言葉にマイクはピクリと反応する。彼の言葉の中に符牒が入っていたためだ。
あまりに意外な言葉に一瞬戸惑ったが、すぐに笑顔で答える。
「もちろん覚えているさ。六匹も飼っていたんだからな」
「そうそう、全部すぐに死んじゃったけどね」
そう言って笑い、また世間話が続いた。
「言い忘れていたけど、近々帰国するんだ。故郷に伝言を持っていけるけど、どうする?」
「そうか、帰国するのか……親戚に伝言を頼むかもしれない。で、いつ出発するんだ?」
「とりあえず、二ヶ月後を考えているよ。まあ、国王が代わるみたいだし、それは見ておきたいけどね」
「それじゃ、送別会も考えておかないとな。誰を誘ったらいいかな」
「ナタリーとゴードンとは最後に挨拶をしておきたいな。他は任せるよ」
「いまいち思い出せないな」
「この二人だよ」
そこで個人用情報端末を操作し、画面を見せる。
「ああ、思い出したよ。あの二人ならこっちから連絡しておく。それじゃ、明日も早いから僕はこれでお暇させてもらう」
そう言ってマイクは支払いを済ますと店を出た。
(毒蜘蛛隊を動かせだと……国王の即位に合わせてか……何をする気だ、ゾンファの連中は……)
マイクはスヴァローグ帝国の工作員だ。それも親の代から潜入しており、多くの情報網を持っていた。しかし、彼は帝国保安局の所属ではなかった。彼は皇帝直轄部隊として、保安局とは全く別の指揮命令系統に属している。
今ではキャメロット星系で全権を任されるほどの地位に上り詰め、保安局の工作員にまで命令する権限を有していた。
しかし彼は帝国に忠実な工作員ではなかった。キャメロットで生まれ、王国の自由な空気の中で育った彼は帝国人としての価値観をあまり持っていなかった。また、いつ捕えられるか分からない状況で生きてきたため、ストレスが溜まり、それが帝国への不満となっている。
特に三年前に父親が死んでからは、冷酷な皇帝アレクサンドルに対する不信感が更に強まり、いつ自分が捨て駒にされるのかと常に恐怖を感じていた。それでもそのことは巧妙に隠し、忠実な工作員と活動していたのだ。
祖国を裏切ると言ってもアルビオン王国に寝返るつもりはなかった。これまで多くの仲間がアルビオンに捕えられており、今更王国に尻尾を振る気はない。
彼は帝国と王国に一矢報いた後、自由星系国家連合に移動し、そこで静かに暮らすつもりでいた。そのため、ゾンファの工作員に接触し、多額の報酬と引き換えに協力することにしていたのだ。そして、今日命令が届いた。
(タランタル隊は今ヤシマにいるはずだ。国王の崩御と新国王即位のタイミングで混乱を起こせということだが、それまでにナタリー・ガスコイン少佐とゴードン・モービー一等兵曹に接触か……新たな命令が届くまでに調べておかないといけないな……)
タランタル隊とはダジボーグ艦隊の通商破壊艦部隊の通称で、ロンバルディア商船に偽装し、自由星系国家連合で活動している。
マイクはまっすぐ家に帰ることなく、路地裏にあるパブに入っていく。そして、スタッフルームにこっそり入り、更にその奥の隠し扉の中に入った。
そこには一人の若い女性がいた。彼女も帝国の工作員だ。
「ナタリー・ガスコイン少佐とゴードン・モービー一等兵曹に接触できるように段取りをつけてくれ。期限はないが、可能な限り速やかにだ。手段は問わない」
それまでの人の好さは影を潜め、無表情で指示を出すと、スタッフルームに戻ることなく、別の扉から去っていった。
■■■
宇宙暦四五二五年三月二日。
キャメロット星系に大きなニュースが飛び込んできた。
国王であるジョージ十五世が崩御したのだ。
『ジョージ十五世陛下は去る一月二十二日に身罷られました。国葬は一月二十七日に執り行われ、エドワード王太子殿下がエドワード八世陛下として即位されました。また、ジェームズ王子殿下が立太子され、プリンスオブキャメロットの称号を得られることも発表されております。キャメロット星系政府は追悼のため三日間の喪に服することを決定いたしました。公共施設では半旗を掲げ……』
そのニュースを受けた艦隊では全員が喪章を付ける。
不満を持っている下士官兵もさすがに国王崩御という事態に素直に従っていた。それほどまでにアルビオン王国では王家の権威は高く、敬愛されている。
艦隊司令本部ではジークフリード・エルフィンストーン司令長官が盟友であるアデル・ハース提督と今後のことを協議していた。
「陛下が身罷られたが、内閣総辞職の情報も入ってきた。これからが本番だな」
服喪期間が終わった段階で公表される予定だが、ノースブルック内閣は政権運営の混乱を理由に一月三十日付で総辞職を発表している。本来であれば、もっと早い段階での総辞職を狙っていたのだが、ジョージ十五世崩御と重なることで混乱することを恐れたのだ。
「そうですね。ただ帝国でもゾンファでも混乱が起きていますから、どのような事態になるか全く予想できません」
「クリフは何か言っていなかったか?」
「個人的に話を聞いていますが、彼でも情報が少なすぎて予想が付かないそうです。ただ、何も起きないことはないとは言っていましたが」
「アデルも同意見か?」
エルフィンストーンは憂い顔で聞いた。
「はい。帝国とゾンファが手を組む可能性もあります。実際、我が国の諜報部やヤシマの情報部が得た情報ではダジボーグとゾンファの間でやり取りがされているようですから。もっとも綿密な連携は距離の関係で難しいでしょうけど」
「そうだな。となると、個別に何かを起こして、それが重なる可能性があるということか」
「はい。狙うとすれば、エドワード陛下の行幸とその後の即位の式典だと思います。その時が人の数が一番多くなりますし、警備を厳重にしても限界がありますので」
二人とも不安を感じているのか、表情が硬い。
「参謀本部でも検討させるが、君の方でも気づいたことがあったらすぐに教えてほしい。私はこういったことが苦手だからな」
エルフィンストーンは猛将型の指揮官で、前線での指揮は得意だが、謀略を防ぐという緻密な作戦は苦手としている。
「承りました。統合作戦本部の作戦部と諜報部とも連携を密にして、敵を抑え込みましょう」
ハースは笑みを浮かべながらそう言うが、内心では不安を感じていた。
(これだけ情報が少なくて複雑な状況は初めてだわ。帝国もゾンファも何が起きているのかすら分からない。それに一艦隊司令官ではできることに限界があるわ。もう少し自由に動けたら楽なのだけど……)
彼女はそう考えながらも、統合作戦本部に連絡を入れた。
キャメロット星系第三惑星ランスロットの首都チャリスの下町には一軒のロンバルディア料理店がある。
その店の名は“シスレーの店”。その名の通り、マイク・シスレーというロンバルディアからの移住者二世が店主だ。
既にオープンから三十年以上経っているが、平均より少し上程度の味でメディアに取り上げられることはなく、常連客からは少しガヤガヤとしながらも居心地のいい店と評判だった。
マイクは三十五歳になる大柄な男だが、ロンバルディア人らしく陽気な料理人で客や近所の評判は非常によい。
そのマイクが常連客らしい壮年の男に声を掛ける。
「今日のパスタは魚介のクリーム系だよ。もちろん白ワインにはばっちり合うけど、アマレットのソーダ割も美味しいよ」
「なら、アマレットのソーダ割を……いや、リモンチェッロの方がいいな。それで頼む」
その会話は自然で、周囲の客は全く気に留めていない。
マイクがリモンチェッロのソーダ割を運んでくると、その客はいじっていた個人用情報端末の画面をコンコンと叩いた。
そこには“十二時、バー・トレノ、左端”と書かれているが、どちらもそれを見ることなく会話していた。
「このパスタは絶品だな。これは定番にしてもいいんじゃないか?」
「どうしようかなと思っているよ。お客さんの評判次第だね」
それだけ話すとマイクは離れていった。
夜の営業を終え、マイクは指定されたバーに入っていく。
左端の席には昼間の男とは全く違う若い白人男性が座っていた。彼と同じロンバルディア人のように見える。
「久しぶりだね。元気だったかい?」
「この通り元気だよ。久しぶりに顔が見たくてね」
マイクはそういいながら席に座ると、ハイボールを頼む。
彼がハイボールを一口飲んだところで、男が陽気な口調で話し始めた。そして、他愛のない話が数分続く。
「……そう言えば、飼っていた蜘蛛のことを覚えているかい?」
その言葉にマイクはピクリと反応する。彼の言葉の中に符牒が入っていたためだ。
あまりに意外な言葉に一瞬戸惑ったが、すぐに笑顔で答える。
「もちろん覚えているさ。六匹も飼っていたんだからな」
「そうそう、全部すぐに死んじゃったけどね」
そう言って笑い、また世間話が続いた。
「言い忘れていたけど、近々帰国するんだ。故郷に伝言を持っていけるけど、どうする?」
「そうか、帰国するのか……親戚に伝言を頼むかもしれない。で、いつ出発するんだ?」
「とりあえず、二ヶ月後を考えているよ。まあ、国王が代わるみたいだし、それは見ておきたいけどね」
「それじゃ、送別会も考えておかないとな。誰を誘ったらいいかな」
「ナタリーとゴードンとは最後に挨拶をしておきたいな。他は任せるよ」
「いまいち思い出せないな」
「この二人だよ」
そこで個人用情報端末を操作し、画面を見せる。
「ああ、思い出したよ。あの二人ならこっちから連絡しておく。それじゃ、明日も早いから僕はこれでお暇させてもらう」
そう言ってマイクは支払いを済ますと店を出た。
(毒蜘蛛隊を動かせだと……国王の即位に合わせてか……何をする気だ、ゾンファの連中は……)
マイクはスヴァローグ帝国の工作員だ。それも親の代から潜入しており、多くの情報網を持っていた。しかし、彼は帝国保安局の所属ではなかった。彼は皇帝直轄部隊として、保安局とは全く別の指揮命令系統に属している。
今ではキャメロット星系で全権を任されるほどの地位に上り詰め、保安局の工作員にまで命令する権限を有していた。
しかし彼は帝国に忠実な工作員ではなかった。キャメロットで生まれ、王国の自由な空気の中で育った彼は帝国人としての価値観をあまり持っていなかった。また、いつ捕えられるか分からない状況で生きてきたため、ストレスが溜まり、それが帝国への不満となっている。
特に三年前に父親が死んでからは、冷酷な皇帝アレクサンドルに対する不信感が更に強まり、いつ自分が捨て駒にされるのかと常に恐怖を感じていた。それでもそのことは巧妙に隠し、忠実な工作員と活動していたのだ。
祖国を裏切ると言ってもアルビオン王国に寝返るつもりはなかった。これまで多くの仲間がアルビオンに捕えられており、今更王国に尻尾を振る気はない。
彼は帝国と王国に一矢報いた後、自由星系国家連合に移動し、そこで静かに暮らすつもりでいた。そのため、ゾンファの工作員に接触し、多額の報酬と引き換えに協力することにしていたのだ。そして、今日命令が届いた。
(タランタル隊は今ヤシマにいるはずだ。国王の崩御と新国王即位のタイミングで混乱を起こせということだが、それまでにナタリー・ガスコイン少佐とゴードン・モービー一等兵曹に接触か……新たな命令が届くまでに調べておかないといけないな……)
タランタル隊とはダジボーグ艦隊の通商破壊艦部隊の通称で、ロンバルディア商船に偽装し、自由星系国家連合で活動している。
マイクはまっすぐ家に帰ることなく、路地裏にあるパブに入っていく。そして、スタッフルームにこっそり入り、更にその奥の隠し扉の中に入った。
そこには一人の若い女性がいた。彼女も帝国の工作員だ。
「ナタリー・ガスコイン少佐とゴードン・モービー一等兵曹に接触できるように段取りをつけてくれ。期限はないが、可能な限り速やかにだ。手段は問わない」
それまでの人の好さは影を潜め、無表情で指示を出すと、スタッフルームに戻ることなく、別の扉から去っていった。
■■■
宇宙暦四五二五年三月二日。
キャメロット星系に大きなニュースが飛び込んできた。
国王であるジョージ十五世が崩御したのだ。
『ジョージ十五世陛下は去る一月二十二日に身罷られました。国葬は一月二十七日に執り行われ、エドワード王太子殿下がエドワード八世陛下として即位されました。また、ジェームズ王子殿下が立太子され、プリンスオブキャメロットの称号を得られることも発表されております。キャメロット星系政府は追悼のため三日間の喪に服することを決定いたしました。公共施設では半旗を掲げ……』
そのニュースを受けた艦隊では全員が喪章を付ける。
不満を持っている下士官兵もさすがに国王崩御という事態に素直に従っていた。それほどまでにアルビオン王国では王家の権威は高く、敬愛されている。
艦隊司令本部ではジークフリード・エルフィンストーン司令長官が盟友であるアデル・ハース提督と今後のことを協議していた。
「陛下が身罷られたが、内閣総辞職の情報も入ってきた。これからが本番だな」
服喪期間が終わった段階で公表される予定だが、ノースブルック内閣は政権運営の混乱を理由に一月三十日付で総辞職を発表している。本来であれば、もっと早い段階での総辞職を狙っていたのだが、ジョージ十五世崩御と重なることで混乱することを恐れたのだ。
「そうですね。ただ帝国でもゾンファでも混乱が起きていますから、どのような事態になるか全く予想できません」
「クリフは何か言っていなかったか?」
「個人的に話を聞いていますが、彼でも情報が少なすぎて予想が付かないそうです。ただ、何も起きないことはないとは言っていましたが」
「アデルも同意見か?」
エルフィンストーンは憂い顔で聞いた。
「はい。帝国とゾンファが手を組む可能性もあります。実際、我が国の諜報部やヤシマの情報部が得た情報ではダジボーグとゾンファの間でやり取りがされているようですから。もっとも綿密な連携は距離の関係で難しいでしょうけど」
「そうだな。となると、個別に何かを起こして、それが重なる可能性があるということか」
「はい。狙うとすれば、エドワード陛下の行幸とその後の即位の式典だと思います。その時が人の数が一番多くなりますし、警備を厳重にしても限界がありますので」
二人とも不安を感じているのか、表情が硬い。
「参謀本部でも検討させるが、君の方でも気づいたことがあったらすぐに教えてほしい。私はこういったことが苦手だからな」
エルフィンストーンは猛将型の指揮官で、前線での指揮は得意だが、謀略を防ぐという緻密な作戦は苦手としている。
「承りました。統合作戦本部の作戦部と諜報部とも連携を密にして、敵を抑え込みましょう」
ハースは笑みを浮かべながらそう言うが、内心では不安を感じていた。
(これだけ情報が少なくて複雑な状況は初めてだわ。帝国もゾンファも何が起きているのかすら分からない。それに一艦隊司令官ではできることに限界があるわ。もう少し自由に動けたら楽なのだけど……)
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