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第七部:「謀略と怨讐の宇宙(そら)」
第十五話
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宇宙暦四五二四年八月十九日。
ダジボーグ星系の首都星ナグラーダの藩王宮の一室では、スヴァローグ帝国の皇帝補佐官、ディミトリー・アラロフの部屋にベテランの秘書官が現れた。
「アルビオン王国の外交使節団がヤシマ星系を出てダジボーグ星系に向かっております」
アラロフは皇帝アレクサンドル二十二世の命を受け、ダジボーグ星系の復興の指揮を執り、ダジボーグにおける実質的なトップと言える。
彼は皇帝の代理人とも言える存在だが、三十三歳と非常に若い。その姿は保育所で幼児を相手にしていてもおかしくないような優しい笑みを浮かべ、柔らく丁寧な口調で話をする人物だった。
その内実は若くして皇帝の補佐官を務めるほど怜悧かつ冷徹な性格をしており、皇帝のためならどのような汚い手でもためらわずに行うと言われている。
そんな彼がアルビオン王国の外交使節団が帝国領内に入るということで、僅かに首を傾げる。
「このタイミングでここに向かっていると……他に情報はありますか?」
「特使であるパレンバーグ伯爵が急病によってヤシマの病院に入院したそうです。現在は使節団の副団長、グリースバック伯爵が特使代理として引き継ぎ、本星系に向かうことになったようです」
アラロフは更に疑問を感じ、秘書官に確認した。
「急病? 帝国保安局が動いているのですか?」
帝国保安局はスヴァローグ帝国における情報機関であり、諜報活動の他に暗殺や誘拐などの荒事にも従事している。
「保安局に確認しましたが、そのような命令は来ていないようです。但し、皇帝陛下直属の部隊が動いている可能性は否定できないとのことでした」
「陛下が……私のところには何も連絡はありませんね……」
アラロフはそう呟くが、目で先を促す。
「ゾンファが画策しているらしいという情報があるそうです。保安局ではゾンファの諜報部が動いているのではないかと考えています」
秘書官の言葉にアラロフは優しい笑みを浮かべながら頷く。
「分かりました。引き続き情報収集をお願いします。特にヤシマ企業や商船には目を光らせておいてください」
秘書官が出ていくと、アラロフは浮かべていた笑みを消す。
(陛下が独自に動かれてもおかしくありませんね。ですが、私のところに連絡がないことが少し気になります。そうなると、ゾンファが動いている可能性があるということですか……ただゾンファがアルビオンの外交官を暗殺する必要はないと思うのですが……)
そこで個人用情報端末を操作し始めた。
そして、データベースからある人物の情報を表示させる。
(グラエム・グリースバック伯爵。年齢三十三。オベロン大学法学部を卒業後、外務省に入省。国際協力局政策課、帝国局第二課などで勤務。能力的には平凡。虚栄心が強く、功を焦る傾向にある……なるほど……)
PDAの表示を消すと静かに目を閉じる。
(ノースブルック首相の懐刀と言われるパレンバーグ伯爵とは、比べようがない凡庸な人物のようですね。グリースバック伯爵を我が国に送り込んで大きなミスを犯させようとしているということですか……どなたが動いているのでしょう? それはともかく、狙いが分かれば……)
アラロフはそこでゆっくりと目を開くと、再びPDAを操作する。
(護衛戦隊はキャメロット第一艦隊第二特務戦隊ですか……軽巡航艦二隻、駆逐艦四隻、偵察艦二隻……)
指揮官の項目で“ほう”と思わず声が出る。
(司令はクリフォード・C・コリングウッド准将ですか。若き英雄が准将に昇進したのですね……尊敬に値する人物ですが、彼に相応しい職位とは言えない気がします……)
そこである噂を思い出した。
(そうとは言えないかもしれません。ストリボーグ艦隊を無傷で残したのはハース提督の策と言われていますが、コリングウッド艦長が進言したという噂がありました。ゾンファに対しても下士官兵による反乱を誘発させたそうですし、今回の外交使節団の主役はコリングウッド准将かもしれませんね……)
そこでパレンバーグを暗殺しようと動いた者が誰かを考え始める。
(だとすると陛下が独自に動かれている可能性は否定できませんね。パレンバーグ伯爵とコリングウッド准将が組んだ場合、ストリボーグに対して何をするか分からないと思われてもおかしくないですから。その点、グリースバック伯爵ならコリングウッド准将を遠ざけるでしょうし……)
アラロフは僅かな情報からグリースバックのひととなりを正確に洞察する。
(ならば、私の方でも手を打っておくべきですね。もちろん、陛下の邪魔にならないように……)
アラロフは頭の中で計画を組み立てると部下を呼んだ。
「アルビオン王国の外交使節団が到着したら監視を付けてください。護衛戦隊の兵士に接触して情報を集めるのです」
部下が出ていくと再びPDAを使い、ある人物を呼び出した。
三十分ほどでがっしりとした体つきの軍人が部屋に入ってくる。
「ガウク中将、お呼び立てして申し訳ありません。少し相談したいことがあり、来ていただきました」
レオニード・ガウクはダジボーグ出身の軍人で、二年前のダジボーグ星系会戦で活躍し、平民であるにもかかわらず、三十五歳で中将に昇進した人物だ。
皇帝アレクサンドルは名将メトネルの後継者として、ダジボーグ艦隊の総司令官にしたいと考えるほど卓越した能力を持つ。
現在はソーン星系の哨戒部隊の司令官であるが、旗艦の補給のため、ダジボーグに戻っていた。
「相談したいことですか? どのようなことでしょうか?」
ガウクは合理的であれば味方の犠牲を全く厭わないアラロフのことを苦手としており、探るような感じで聞く。
「アルビオン王国の外交使節団が五日ほど後に本星系に到着します。アルビオン王国から正式に連絡はありませんが、本星系で補給と整備を行った後、ストリボーグに向かうと思います。その際、ソーン星系までの護衛をお願いしたいのです」
「ストリボーグまでではなく、ソーン星系までの護衛ですか? ドゥシャー星系以降は護衛しなくともよいと」
アラロフはニコリと笑って頷く。
「はい。ストリボーグ藩王府に事前連絡なしにドゥシャー星系に戦闘艦を入れるわけにはいきませんから。念のため、ストリボーグにはアルビオン王国の外交使節団が向かうことは伝えます」
そこでガウクはアラロフの考えを何となく察した。
(補佐官には何か考えがあるようだな……我がダジボーグは自らの勢力範囲内では最善を尽くしたことにしたいのだろう……)
ガウクは敬礼し、了解を伝えた。
「了解しました。ちょうどそのくらいのタイミングで、ソーン星系に向かう哨戒艦隊がおりますので、護衛任務を命じておきます」
「よろしくお願いします。ちなみに指揮官は誰になりますか?」
アラロフのさりげなく問う。
「ゲオルギー・リヴォフ少将です。重巡航艦を旗艦とする小戦隊ですので、アルビオン王国の外交団を威圧することもないでしょう」
ガウクの答えにアラロフは小さく頷く。
「リヴォフ少将ですか……彼ならば適任でしょう。では、よろしくお願いします」
「承知しました。それでは小官は先にソーン星系に戻ることにします」
ガウクが部屋から出ると、アラロフは再び一人で考え始めた。
(本当に陛下が動かれているのでしょうか? 陛下でなければゾンファですが……ゾンファ軍は壊滅的な損害を受け、支配体制も崩壊しています。旧支配層が復権を目指すことは容易に想像できますが、アルビオンの外交使節団を殺害してどのような得があるのでしょう? 彼らは時間を稼ぎたい。そのためにアルビオンの反帝国感情を悪化させる……)
そこまで考えたところでクリフォードのことを思い出す。
(ですが、いくら英雄と言ってもただの准将。彼一人を殺したところで戦争に踏み切ることもないでしょう。ノースブルック首相の求心力を落として政治的に混乱させるのなら、コリングウッド准将を殺すことは悪手です。未亡人に同情が集まれば一時的に支持率を上げることになるのですから……)
アラロフは思考の袋小路に入ったことに気づく。
(情報が足りない状況で考えても意味はないですね。仮にゾンファが動いているなら、アルビオンの使節団が到着すれば、何らかのアクションを起こすでしょう。それからまた考えましょう。但し、手だけは打っておかないといけませんが……)
アラロフはゆっくりと目を開けると、別の仕事に取り掛かった。
ダジボーグ星系の首都星ナグラーダの藩王宮の一室では、スヴァローグ帝国の皇帝補佐官、ディミトリー・アラロフの部屋にベテランの秘書官が現れた。
「アルビオン王国の外交使節団がヤシマ星系を出てダジボーグ星系に向かっております」
アラロフは皇帝アレクサンドル二十二世の命を受け、ダジボーグ星系の復興の指揮を執り、ダジボーグにおける実質的なトップと言える。
彼は皇帝の代理人とも言える存在だが、三十三歳と非常に若い。その姿は保育所で幼児を相手にしていてもおかしくないような優しい笑みを浮かべ、柔らく丁寧な口調で話をする人物だった。
その内実は若くして皇帝の補佐官を務めるほど怜悧かつ冷徹な性格をしており、皇帝のためならどのような汚い手でもためらわずに行うと言われている。
そんな彼がアルビオン王国の外交使節団が帝国領内に入るということで、僅かに首を傾げる。
「このタイミングでここに向かっていると……他に情報はありますか?」
「特使であるパレンバーグ伯爵が急病によってヤシマの病院に入院したそうです。現在は使節団の副団長、グリースバック伯爵が特使代理として引き継ぎ、本星系に向かうことになったようです」
アラロフは更に疑問を感じ、秘書官に確認した。
「急病? 帝国保安局が動いているのですか?」
帝国保安局はスヴァローグ帝国における情報機関であり、諜報活動の他に暗殺や誘拐などの荒事にも従事している。
「保安局に確認しましたが、そのような命令は来ていないようです。但し、皇帝陛下直属の部隊が動いている可能性は否定できないとのことでした」
「陛下が……私のところには何も連絡はありませんね……」
アラロフはそう呟くが、目で先を促す。
「ゾンファが画策しているらしいという情報があるそうです。保安局ではゾンファの諜報部が動いているのではないかと考えています」
秘書官の言葉にアラロフは優しい笑みを浮かべながら頷く。
「分かりました。引き続き情報収集をお願いします。特にヤシマ企業や商船には目を光らせておいてください」
秘書官が出ていくと、アラロフは浮かべていた笑みを消す。
(陛下が独自に動かれてもおかしくありませんね。ですが、私のところに連絡がないことが少し気になります。そうなると、ゾンファが動いている可能性があるということですか……ただゾンファがアルビオンの外交官を暗殺する必要はないと思うのですが……)
そこで個人用情報端末を操作し始めた。
そして、データベースからある人物の情報を表示させる。
(グラエム・グリースバック伯爵。年齢三十三。オベロン大学法学部を卒業後、外務省に入省。国際協力局政策課、帝国局第二課などで勤務。能力的には平凡。虚栄心が強く、功を焦る傾向にある……なるほど……)
PDAの表示を消すと静かに目を閉じる。
(ノースブルック首相の懐刀と言われるパレンバーグ伯爵とは、比べようがない凡庸な人物のようですね。グリースバック伯爵を我が国に送り込んで大きなミスを犯させようとしているということですか……どなたが動いているのでしょう? それはともかく、狙いが分かれば……)
アラロフはそこでゆっくりと目を開くと、再びPDAを操作する。
(護衛戦隊はキャメロット第一艦隊第二特務戦隊ですか……軽巡航艦二隻、駆逐艦四隻、偵察艦二隻……)
指揮官の項目で“ほう”と思わず声が出る。
(司令はクリフォード・C・コリングウッド准将ですか。若き英雄が准将に昇進したのですね……尊敬に値する人物ですが、彼に相応しい職位とは言えない気がします……)
そこである噂を思い出した。
(そうとは言えないかもしれません。ストリボーグ艦隊を無傷で残したのはハース提督の策と言われていますが、コリングウッド艦長が進言したという噂がありました。ゾンファに対しても下士官兵による反乱を誘発させたそうですし、今回の外交使節団の主役はコリングウッド准将かもしれませんね……)
そこでパレンバーグを暗殺しようと動いた者が誰かを考え始める。
(だとすると陛下が独自に動かれている可能性は否定できませんね。パレンバーグ伯爵とコリングウッド准将が組んだ場合、ストリボーグに対して何をするか分からないと思われてもおかしくないですから。その点、グリースバック伯爵ならコリングウッド准将を遠ざけるでしょうし……)
アラロフは僅かな情報からグリースバックのひととなりを正確に洞察する。
(ならば、私の方でも手を打っておくべきですね。もちろん、陛下の邪魔にならないように……)
アラロフは頭の中で計画を組み立てると部下を呼んだ。
「アルビオン王国の外交使節団が到着したら監視を付けてください。護衛戦隊の兵士に接触して情報を集めるのです」
部下が出ていくと再びPDAを使い、ある人物を呼び出した。
三十分ほどでがっしりとした体つきの軍人が部屋に入ってくる。
「ガウク中将、お呼び立てして申し訳ありません。少し相談したいことがあり、来ていただきました」
レオニード・ガウクはダジボーグ出身の軍人で、二年前のダジボーグ星系会戦で活躍し、平民であるにもかかわらず、三十五歳で中将に昇進した人物だ。
皇帝アレクサンドルは名将メトネルの後継者として、ダジボーグ艦隊の総司令官にしたいと考えるほど卓越した能力を持つ。
現在はソーン星系の哨戒部隊の司令官であるが、旗艦の補給のため、ダジボーグに戻っていた。
「相談したいことですか? どのようなことでしょうか?」
ガウクは合理的であれば味方の犠牲を全く厭わないアラロフのことを苦手としており、探るような感じで聞く。
「アルビオン王国の外交使節団が五日ほど後に本星系に到着します。アルビオン王国から正式に連絡はありませんが、本星系で補給と整備を行った後、ストリボーグに向かうと思います。その際、ソーン星系までの護衛をお願いしたいのです」
「ストリボーグまでではなく、ソーン星系までの護衛ですか? ドゥシャー星系以降は護衛しなくともよいと」
アラロフはニコリと笑って頷く。
「はい。ストリボーグ藩王府に事前連絡なしにドゥシャー星系に戦闘艦を入れるわけにはいきませんから。念のため、ストリボーグにはアルビオン王国の外交使節団が向かうことは伝えます」
そこでガウクはアラロフの考えを何となく察した。
(補佐官には何か考えがあるようだな……我がダジボーグは自らの勢力範囲内では最善を尽くしたことにしたいのだろう……)
ガウクは敬礼し、了解を伝えた。
「了解しました。ちょうどそのくらいのタイミングで、ソーン星系に向かう哨戒艦隊がおりますので、護衛任務を命じておきます」
「よろしくお願いします。ちなみに指揮官は誰になりますか?」
アラロフのさりげなく問う。
「ゲオルギー・リヴォフ少将です。重巡航艦を旗艦とする小戦隊ですので、アルビオン王国の外交団を威圧することもないでしょう」
ガウクの答えにアラロフは小さく頷く。
「リヴォフ少将ですか……彼ならば適任でしょう。では、よろしくお願いします」
「承知しました。それでは小官は先にソーン星系に戻ることにします」
ガウクが部屋から出ると、アラロフは再び一人で考え始めた。
(本当に陛下が動かれているのでしょうか? 陛下でなければゾンファですが……ゾンファ軍は壊滅的な損害を受け、支配体制も崩壊しています。旧支配層が復権を目指すことは容易に想像できますが、アルビオンの外交使節団を殺害してどのような得があるのでしょう? 彼らは時間を稼ぎたい。そのためにアルビオンの反帝国感情を悪化させる……)
そこまで考えたところでクリフォードのことを思い出す。
(ですが、いくら英雄と言ってもただの准将。彼一人を殺したところで戦争に踏み切ることもないでしょう。ノースブルック首相の求心力を落として政治的に混乱させるのなら、コリングウッド准将を殺すことは悪手です。未亡人に同情が集まれば一時的に支持率を上げることになるのですから……)
アラロフは思考の袋小路に入ったことに気づく。
(情報が足りない状況で考えても意味はないですね。仮にゾンファが動いているなら、アルビオンの使節団が到着すれば、何らかのアクションを起こすでしょう。それからまた考えましょう。但し、手だけは打っておかないといけませんが……)
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