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第三部:「砲艦戦隊出撃せよ」
第十一話
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宇宙暦四五一八年三月五日。
インセクト級砲艦レディバード125号はキャメロット星系第五惑星ボース付近で行われた演習を終え、第四惑星ガウェインの軌道上にある大型兵站衛星、プライウェンに帰投した。
同艦の艦長であるクリフォードは、二週間にわたって行われた大演習の成果について考えていた。
(ようやく戦闘単位と言えるところまで来られたな。この艦は癖が強くて扱いにくいが、今では愛着すら湧いている。乗組員たちにしてもそうだな。癖の強さなら、この艦に負けないほどだが、何とかチームとして機能してきた。砲艦戦隊という戦闘単位も使い方によっては十分強力だと分かってきたが、あとはどうやってそれを上層部に認めさせるかだ……)
八ヶ月に及ぶ艦上生活により、彼はこの艦の特性を十分に把握できている。
扱いにくい動力炉、発射のたびに冷却と微調整が必要な主砲、長時間に及ぶ加速と減速、狭い艦内生活によるストレス……。
そのいずれもが宙軍士官の忌避するものであったが、それにも徐々に慣れ、今では当たり前のように艦の運用を行っていた。
優秀な准士官はいるものの、初期の頃の下士官兵たちの不服従は目に余るものがあった。しかし、彼の指導力に加え、部下たちの理解を得ようとする地道な努力により、従順とは言えないまでも不服従と取られるような行動は激減している。
乗組員たちの多く、特に下士官や兵たちからクリフォードは当初敬遠されていた。メディアを通じ、英雄として知らぬ者はなく、更に次期首相の呼び声高いノースブルック伯爵の娘と結婚した成功者であり、自分たちとは住む世界が違うと考えていたからだ。
クリフォードの真摯でありながらも毅然とした態度に、艦隊の鼻つまみ者と言われていた乗組員たちも少しずつ心を開いていった。
しかし、彼は特別なことをやったわけではない。
彼が行ったのは士官学校で学んだ組織運営術の忠実な実践であり、独創的なものは何一つなかったのだが、今までの艦長たちはその程度の努力すら怠っていたのだ。
反抗的な下士官兵たちが、彼を認めたのにはもう一つ理由があった。それはクリフォードが副長であるバートラム・オーウェル大尉と良好な関係を築けたことだ。
オーウェルは上官には嫌われているが、男気のある、いわゆる親分肌の士官であり、下士官兵たちの信頼が篤い。
そのオーウェルがクリフォードを艦長として認め、積極的に協力する姿勢を見せたことが、若い艦長に対するわだかまりを氷解させるきっかけとなった。
しかし、副長との信頼関係を築くまでには多くの時間と忍耐が必要だった。なぜなら、オーウェルはことあるごとに彼を試すような態度を取っていたのだ。
下士官同士の喧嘩の裁定から補給物資の確保の交渉。果ては乗組員同士の色恋沙汰の後始末まで、本来副長が捌くべきことまで、艦長であるクリフォードに押し付けた。
クリフォードはオーウェルの意図するところが何となく分かっていたが、それでも指揮官としての責務と考え、一言も不平を洩らすことはなかった。
オーウェルがクリフォードを認めるようになったのは、彼が艦長に就任してから二ヶ月ほど経った頃だった。
オーウェルが艦長室を訪れたのだが、いつもは陽気に振る舞うことが多いオーウェルが、その時は真摯な表情でクリフォードに頭を下げたのだ。
「これまでの試すような行い、申し訳ありませんでした」
「いや、艦長として未熟な私にとって、いい経験になったよ。副長というのは、本当に大変な仕事なのだと実感した」
クリフォードは笑いながらそう答える。
それに対し、オーウェルは真剣な表情を崩さなかった。いつもの彼なら軽口の一つも叩くところだが、その日に限っては真面目な態度を崩すことがなく、クリフォードもその意図を掴みかねていた。
「私はあなたのことが信用できなかったのです。“英雄”という奴は部下の屍の上に立つものですから……」
クリフォードは慌てて“自分は作られた英雄だ”と否定しようと思ったが、真剣に話しを続けるオーウェルの言葉を遮ることはせず、彼の話を静かに聞くことにした。
オーウェルはクリフォードに軽く頷くと、自身が候補生時代に経験した話を始めた。
「十年ほど前、四五〇七年頃の話なのですが、当時私は士官候補生として軽巡航艦に乗り組んでいました……」
宇宙暦四五〇七年三月、第三次アルビオン-ゾンファ戦争は終盤に差し掛かっていた。開戦初期は押されていたアルビオン王国だったが、攻勢に転じ、敵国ゾンファ共和国の侵攻拠点であるジュンツェン星系に攻撃を加えようとしていた。
その当時、アルビオン艦隊はアテナ星系での勝利を皮切りに連戦連勝であり、勢いに乗っていた。
しかし、ゾンファ側も艦隊戦で敗れ続けていることに危機感を持ち、ジュンツェンの手前にあるハイフォン星系を最終防衛ラインと位置づけ、逆襲の機会を窺っていた。
そのハイフォン星系で行われた戦闘において、オーウェルは地獄を見たという。
会戦自体はそれほど大規模ではなく、両軍とも二個艦隊、一万隻を投入した前哨戦と言える戦闘だったが、勢いだけのアルビオン軍に比べ、準備を整えていたゾンファ軍は巧妙だった。
戦意旺盛なアルビオン軍との戦闘を避けるように緩やかな曲線を描く機動を行い、あたかも味方の増援を待っているかのように見せかけた。
その上で巧妙に隠蔽した機雷原にアルビオン軍を誘い込み、タイミングを計って半包囲陣を敷く。その結果、アルビオン軍は一個艦隊と二名の艦隊司令官を失い、戦力比は一気にゾンファ側に傾いた。
オーウェルが乗っていた軽巡航艦は機雷原から辛くも脱出したが、彼の艦隊は司令官を失い、指揮命令系統が寸断された。
艦隊司令官が二人とも戦死したため、生き残りの中で最先任であるハワード・リンドグレーン少将が指揮を引き継いだ。
彼は自らの指揮する分艦隊は温存し、指揮命令系統がズタズタになった生き残りの艦艇に無謀な攻撃を命じる。
数倍近い戦力差があるにも関わらず、二千隻以上の艦艇が指揮命令系統の再建がなされないまま、何の策もなく敵に突撃させられたのだ。
オーウェルの乗る軽巡航艦も同じように敵艦隊に向かっていた。
その時、戦闘指揮所にいた彼は、圧倒的な火力によって次々と火の玉に変えられる味方の艦を、震えながら見つめていた。
当時、地の利のない敵星系内で一対二以上に開いた戦力差という不利な状況にも関わらず、リンドグレーン少将が残存戦力を敵に叩き付けるという作戦に出た理由は明かされなかった。
ただ、生き残った者たちは自分たちに無謀な突撃をさせ、敵が混乱したところで、リンドグレーンは撤退するつもりだったのだと噂した。
ちなみに無謀な攻撃を命じられた者の中に、クリフォードの父、リチャード・コリングウッド大佐がいた。
混乱の中、彼は二等級艦からなる十数隻の戦隊の指揮を一時的に執っていた。そして、彼の的確で苛烈な指揮が思った以上にゾンファ艦隊に損害を与え、それが結果としてリンドグレーンの分艦隊の脱出を助けることになる。
攻撃を命じられた二千隻の艦艇のうち、生き残れたのは四分の一、僅か五百隻に過ぎず、リチャードも愛艦と右腕を永久に失った。
リンドグレーンの思惑は定かではなかったが、アルビオン艦隊各艦の奮闘と味方の増援の到着という幸運によってハイフォン星系を確保するという目標は達成される。
リンドグレーンにとって運がよかったことに、彼が選んだ航路が偶然、敵を遮断する位置にあったのだ。これが決め手となり敵を敗走させることに成功したと認定された。
「……その戦いの後、リンドグレーンは“すべて作戦だった。自分の分艦隊が生き残り、敵を引きずり回していれば、必ず後続部隊が到着する。だから、時間稼ぎの策に出たのだ。戦略目的であるハイフォン星系が確保できているのが何よりの証拠だ”と言ったそうです。私は血が沸騰するかと思うくらいの怒りを覚えましたね。確かに奴が出した命令は理に適っていると言ってもいいかもしれない。だが、あの時、奴が選んだ針路は明らかに撤退、いや、逃亡を意識したものだった……」
オーウェルが言う通り、航宙日誌の正式記録には“ターマガント星系への転進のため、航路を設定する”と記載されており、リンドグレーンが敵と戦う意思を持っていなかったことは確認されている。
ハイフォン星系を確保したものの、七千隻以上の艦が失われたため、ジュンツェン星系への侵攻作戦は中止された。
会戦後、リンドグレーンの行動に疑問を持つ将官も多かったが、作戦の失敗による士気の低下に配慮した軍司令部が、ハイフォンでの勝利をリンドグレーンの功績と認め、彼は勲章を受けて中将に昇進した。
その結果、リンドグレーンは“英雄”として賞賛されることになった。
そして、今では自分たちの上官である第三艦隊司令官として、約五千隻の艦艇と約六十万の将兵の頂点に立っている。
「私はその時思ったのです。結果さえ良ければ、あんな奴でも英雄と呼ばれるのだと。だから、あなたがどのような人物か試させてもらったのです」
クリフォードは父リチャードが退役する原因となった戦いにそのような話があったことに驚きを隠せなかった。
リチャードは上級士官の指揮について一度も不平をもらしたことがなかったからだ。
クリフォードは父親のことは一切言わず、
「リンドグレーン大将についての君の思いに何も言うことはないが、一つだけ言っておきたいことがある」
オーウェルは何を言われるのかと身構えるが、黙ってクリフォードの言葉を待った。
「私は自分のことを英雄だとも天才だとも思っていない。私が武勲を挙げることができたのは運に恵まれたことが大きいからだ。第一、私の指揮で多くの仲間を失っている……」
オーウェルは何か言いたそうにしているが、クリフォードはそれに構わず言葉を続けていく。
「……だが、私はそのことを後悔しないようにしている。私が後悔しても彼らは帰ってこない。私は彼らのためにも前を向いていこうと思っているんだ。できれば、君にも前を向いて生きて欲しいと思う」
オーウェルはクリフォードの言葉に一瞬反発しそうになった。だが、すぐに自分が狭量な人間だと気づいた。
(この人は二度も絶望的な状況になっている。一度目は俺が絶望したときと同じ候補生時代だ……俺は何をしていたんだろうな。確かにリンドグレーンは嫌な奴だ。だが、嫌な奴ならいくらでもいる。そんな奴にこだわって、こんなところで燻っていた……なるほど、本当の英雄って奴はこういう人を言うんだろうな。親父さんの“火の玉ディック”の血がなせる業なのか……まあいい。俺はこの“崖っぷち”に出会えた。この幸運を生かしてみるか……)
オーウェルは相好を崩し、
「改めて言わせてもらいます。これからもよろしくお願いします、艦長」
同じようにクリフォードも笑みを浮かべ、
「こちらこそ、よろしく頼むよ。任務中でなければクリフと呼んで欲しい」
「では、私もバートと呼んでください」
二人はがっちりと握手をした。
インセクト級砲艦レディバード125号はキャメロット星系第五惑星ボース付近で行われた演習を終え、第四惑星ガウェインの軌道上にある大型兵站衛星、プライウェンに帰投した。
同艦の艦長であるクリフォードは、二週間にわたって行われた大演習の成果について考えていた。
(ようやく戦闘単位と言えるところまで来られたな。この艦は癖が強くて扱いにくいが、今では愛着すら湧いている。乗組員たちにしてもそうだな。癖の強さなら、この艦に負けないほどだが、何とかチームとして機能してきた。砲艦戦隊という戦闘単位も使い方によっては十分強力だと分かってきたが、あとはどうやってそれを上層部に認めさせるかだ……)
八ヶ月に及ぶ艦上生活により、彼はこの艦の特性を十分に把握できている。
扱いにくい動力炉、発射のたびに冷却と微調整が必要な主砲、長時間に及ぶ加速と減速、狭い艦内生活によるストレス……。
そのいずれもが宙軍士官の忌避するものであったが、それにも徐々に慣れ、今では当たり前のように艦の運用を行っていた。
優秀な准士官はいるものの、初期の頃の下士官兵たちの不服従は目に余るものがあった。しかし、彼の指導力に加え、部下たちの理解を得ようとする地道な努力により、従順とは言えないまでも不服従と取られるような行動は激減している。
乗組員たちの多く、特に下士官や兵たちからクリフォードは当初敬遠されていた。メディアを通じ、英雄として知らぬ者はなく、更に次期首相の呼び声高いノースブルック伯爵の娘と結婚した成功者であり、自分たちとは住む世界が違うと考えていたからだ。
クリフォードの真摯でありながらも毅然とした態度に、艦隊の鼻つまみ者と言われていた乗組員たちも少しずつ心を開いていった。
しかし、彼は特別なことをやったわけではない。
彼が行ったのは士官学校で学んだ組織運営術の忠実な実践であり、独創的なものは何一つなかったのだが、今までの艦長たちはその程度の努力すら怠っていたのだ。
反抗的な下士官兵たちが、彼を認めたのにはもう一つ理由があった。それはクリフォードが副長であるバートラム・オーウェル大尉と良好な関係を築けたことだ。
オーウェルは上官には嫌われているが、男気のある、いわゆる親分肌の士官であり、下士官兵たちの信頼が篤い。
そのオーウェルがクリフォードを艦長として認め、積極的に協力する姿勢を見せたことが、若い艦長に対するわだかまりを氷解させるきっかけとなった。
しかし、副長との信頼関係を築くまでには多くの時間と忍耐が必要だった。なぜなら、オーウェルはことあるごとに彼を試すような態度を取っていたのだ。
下士官同士の喧嘩の裁定から補給物資の確保の交渉。果ては乗組員同士の色恋沙汰の後始末まで、本来副長が捌くべきことまで、艦長であるクリフォードに押し付けた。
クリフォードはオーウェルの意図するところが何となく分かっていたが、それでも指揮官としての責務と考え、一言も不平を洩らすことはなかった。
オーウェルがクリフォードを認めるようになったのは、彼が艦長に就任してから二ヶ月ほど経った頃だった。
オーウェルが艦長室を訪れたのだが、いつもは陽気に振る舞うことが多いオーウェルが、その時は真摯な表情でクリフォードに頭を下げたのだ。
「これまでの試すような行い、申し訳ありませんでした」
「いや、艦長として未熟な私にとって、いい経験になったよ。副長というのは、本当に大変な仕事なのだと実感した」
クリフォードは笑いながらそう答える。
それに対し、オーウェルは真剣な表情を崩さなかった。いつもの彼なら軽口の一つも叩くところだが、その日に限っては真面目な態度を崩すことがなく、クリフォードもその意図を掴みかねていた。
「私はあなたのことが信用できなかったのです。“英雄”という奴は部下の屍の上に立つものですから……」
クリフォードは慌てて“自分は作られた英雄だ”と否定しようと思ったが、真剣に話しを続けるオーウェルの言葉を遮ることはせず、彼の話を静かに聞くことにした。
オーウェルはクリフォードに軽く頷くと、自身が候補生時代に経験した話を始めた。
「十年ほど前、四五〇七年頃の話なのですが、当時私は士官候補生として軽巡航艦に乗り組んでいました……」
宇宙暦四五〇七年三月、第三次アルビオン-ゾンファ戦争は終盤に差し掛かっていた。開戦初期は押されていたアルビオン王国だったが、攻勢に転じ、敵国ゾンファ共和国の侵攻拠点であるジュンツェン星系に攻撃を加えようとしていた。
その当時、アルビオン艦隊はアテナ星系での勝利を皮切りに連戦連勝であり、勢いに乗っていた。
しかし、ゾンファ側も艦隊戦で敗れ続けていることに危機感を持ち、ジュンツェンの手前にあるハイフォン星系を最終防衛ラインと位置づけ、逆襲の機会を窺っていた。
そのハイフォン星系で行われた戦闘において、オーウェルは地獄を見たという。
会戦自体はそれほど大規模ではなく、両軍とも二個艦隊、一万隻を投入した前哨戦と言える戦闘だったが、勢いだけのアルビオン軍に比べ、準備を整えていたゾンファ軍は巧妙だった。
戦意旺盛なアルビオン軍との戦闘を避けるように緩やかな曲線を描く機動を行い、あたかも味方の増援を待っているかのように見せかけた。
その上で巧妙に隠蔽した機雷原にアルビオン軍を誘い込み、タイミングを計って半包囲陣を敷く。その結果、アルビオン軍は一個艦隊と二名の艦隊司令官を失い、戦力比は一気にゾンファ側に傾いた。
オーウェルが乗っていた軽巡航艦は機雷原から辛くも脱出したが、彼の艦隊は司令官を失い、指揮命令系統が寸断された。
艦隊司令官が二人とも戦死したため、生き残りの中で最先任であるハワード・リンドグレーン少将が指揮を引き継いだ。
彼は自らの指揮する分艦隊は温存し、指揮命令系統がズタズタになった生き残りの艦艇に無謀な攻撃を命じる。
数倍近い戦力差があるにも関わらず、二千隻以上の艦艇が指揮命令系統の再建がなされないまま、何の策もなく敵に突撃させられたのだ。
オーウェルの乗る軽巡航艦も同じように敵艦隊に向かっていた。
その時、戦闘指揮所にいた彼は、圧倒的な火力によって次々と火の玉に変えられる味方の艦を、震えながら見つめていた。
当時、地の利のない敵星系内で一対二以上に開いた戦力差という不利な状況にも関わらず、リンドグレーン少将が残存戦力を敵に叩き付けるという作戦に出た理由は明かされなかった。
ただ、生き残った者たちは自分たちに無謀な突撃をさせ、敵が混乱したところで、リンドグレーンは撤退するつもりだったのだと噂した。
ちなみに無謀な攻撃を命じられた者の中に、クリフォードの父、リチャード・コリングウッド大佐がいた。
混乱の中、彼は二等級艦からなる十数隻の戦隊の指揮を一時的に執っていた。そして、彼の的確で苛烈な指揮が思った以上にゾンファ艦隊に損害を与え、それが結果としてリンドグレーンの分艦隊の脱出を助けることになる。
攻撃を命じられた二千隻の艦艇のうち、生き残れたのは四分の一、僅か五百隻に過ぎず、リチャードも愛艦と右腕を永久に失った。
リンドグレーンの思惑は定かではなかったが、アルビオン艦隊各艦の奮闘と味方の増援の到着という幸運によってハイフォン星系を確保するという目標は達成される。
リンドグレーンにとって運がよかったことに、彼が選んだ航路が偶然、敵を遮断する位置にあったのだ。これが決め手となり敵を敗走させることに成功したと認定された。
「……その戦いの後、リンドグレーンは“すべて作戦だった。自分の分艦隊が生き残り、敵を引きずり回していれば、必ず後続部隊が到着する。だから、時間稼ぎの策に出たのだ。戦略目的であるハイフォン星系が確保できているのが何よりの証拠だ”と言ったそうです。私は血が沸騰するかと思うくらいの怒りを覚えましたね。確かに奴が出した命令は理に適っていると言ってもいいかもしれない。だが、あの時、奴が選んだ針路は明らかに撤退、いや、逃亡を意識したものだった……」
オーウェルが言う通り、航宙日誌の正式記録には“ターマガント星系への転進のため、航路を設定する”と記載されており、リンドグレーンが敵と戦う意思を持っていなかったことは確認されている。
ハイフォン星系を確保したものの、七千隻以上の艦が失われたため、ジュンツェン星系への侵攻作戦は中止された。
会戦後、リンドグレーンの行動に疑問を持つ将官も多かったが、作戦の失敗による士気の低下に配慮した軍司令部が、ハイフォンでの勝利をリンドグレーンの功績と認め、彼は勲章を受けて中将に昇進した。
その結果、リンドグレーンは“英雄”として賞賛されることになった。
そして、今では自分たちの上官である第三艦隊司令官として、約五千隻の艦艇と約六十万の将兵の頂点に立っている。
「私はその時思ったのです。結果さえ良ければ、あんな奴でも英雄と呼ばれるのだと。だから、あなたがどのような人物か試させてもらったのです」
クリフォードは父リチャードが退役する原因となった戦いにそのような話があったことに驚きを隠せなかった。
リチャードは上級士官の指揮について一度も不平をもらしたことがなかったからだ。
クリフォードは父親のことは一切言わず、
「リンドグレーン大将についての君の思いに何も言うことはないが、一つだけ言っておきたいことがある」
オーウェルは何を言われるのかと身構えるが、黙ってクリフォードの言葉を待った。
「私は自分のことを英雄だとも天才だとも思っていない。私が武勲を挙げることができたのは運に恵まれたことが大きいからだ。第一、私の指揮で多くの仲間を失っている……」
オーウェルは何か言いたそうにしているが、クリフォードはそれに構わず言葉を続けていく。
「……だが、私はそのことを後悔しないようにしている。私が後悔しても彼らは帰ってこない。私は彼らのためにも前を向いていこうと思っているんだ。できれば、君にも前を向いて生きて欲しいと思う」
オーウェルはクリフォードの言葉に一瞬反発しそうになった。だが、すぐに自分が狭量な人間だと気づいた。
(この人は二度も絶望的な状況になっている。一度目は俺が絶望したときと同じ候補生時代だ……俺は何をしていたんだろうな。確かにリンドグレーンは嫌な奴だ。だが、嫌な奴ならいくらでもいる。そんな奴にこだわって、こんなところで燻っていた……なるほど、本当の英雄って奴はこういう人を言うんだろうな。親父さんの“火の玉ディック”の血がなせる業なのか……まあいい。俺はこの“崖っぷち”に出会えた。この幸運を生かしてみるか……)
オーウェルは相好を崩し、
「改めて言わせてもらいます。これからもよろしくお願いします、艦長」
同じようにクリフォードも笑みを浮かべ、
「こちらこそ、よろしく頼むよ。任務中でなければクリフと呼んで欲しい」
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