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第二章「王国侵攻編」
第十一話「シーバスの苦悩」
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四月二十日。
グラント帝国軍がサードリンの町を占領した翌日の朝、聖都ストウロセスにその情報が届いた。
届けたのはサードリンに駐留していた天馬騎士で、一昼夜かけて飛んできた。
本来なら聖都とサードリンの直線距離は約百五十マイル(約二百四十キロメートル)であり、ペガサスの能力なら昨日中に届いてもおかしくなかったが、サードリンを出た後、すぐに飛ぶと古龍たちに襲われると思い、正午過ぎまで地上を歩いたため遅くなったのだ。
情報を受け取ったのは聖堂騎士団の副団長、ペルノ・シーバス卿だ。彼は概略を聞くと、その天馬騎士を引き連れ、聖王マグダレーンの下に向かった。
聖王に謁見が叶うと、得られた情報を伝えていく。
「二日前の四月十八日の正午頃、魔族の大軍がサードリンの西に押し寄せました。数え切れないほどで恐らく五万はいたかと……空には龍や魔獣で覆いつくされ、我らは成すすべもなく、魔帝の勧告に従い抵抗を諦め、退却に至りました……」
五万という数字に聖王を始め、側近である枢機卿フェルディや大司教レダイグらの顔が青ざめる。
しかし、唯一冷静なシーバスがそれを否定にかかる。
「五万というのは確かな情報なのか? これまで魔族の軍勢が二万を超えたことはなかったはずだ。それが突然、その倍以上となったというのは真のことなのか」
天馬騎士は自分たちの失態を糊塗するために大げさに言ったのだが、すぐに訂正する。
「申し訳ございません。今の情報はあくまで某の想像。それほどの大兵力であったと確信しておりますが、全容を把握できるほどの時間はございませんでした」
シーバスはその言葉に嘆息するが、今は情報を集める方が重要だとそれ以上突っ込むことなく、「事実を包み隠さず話せ」とだけ命じた。
天馬騎士は恐縮しながら説明を続けた。
魔帝ラントが直卒していること、鬼人族だけでなく、龍、魔獣、妖魔、巨人など様々な種族の魔族がいたこと、包囲した後は降伏勧告を行ったことが説明される。
「魔帝が生命、財産を保証……帝国に寝返れば、税と裁判の公平を約束するだと……」
その説明にレダイグが理解できないとでもいうように頭を振っている。
「……正確な数は分かりませんが、サードリンには二万人以上の民が残ったようです」
天馬騎士の報告にそれまで黙っていた聖王が怒りを見せる。
「二万以上もの背教者を出しただと……何ということだ!」
フェルディ枢機卿もそれに同調するように怒りを見せ、レダイグと聖女クーリーもそれに合わせる。
唯一シーバスだけは冷静で、ラントのことを考えていた。
(前から侮れないと思っていたが、恐ろしい相手のようだな。移動手段がなかったとはいえ、全住民の四分の三が我が国を見限った。もしこの事実が王国内だけでなく、他国にも知られたら、我が国と教会は窮地に陥るだろう。魔族と戦うことなく、降伏するという選択肢があると示されたのだから……)
これまで民衆は貴族や教会に不満を持つものの、これが当たり前のことだと諦めていた。また、魔族は降伏を許さず、一致団結して当たらなければ自分たちが滅びてしまうという危機感も、不満を抑え込むのに役に立っている。
シーバスは、魔帝ラントが魔族と人族が必ずしも敵対する必要がないことを示し、民衆の不満を王国や教会に向けさせるという策を採ったと考えた。
(やはり魔帝ラントを暗殺するしかない。しかし、勇者が戻ってこぬ。いや、戻ってきたとしても、魔帝の下で団結している魔族軍の中に突っ込ませても無為に殺されるだけだろう。何か別の方法を見つけねば、我が国は滅びるしかない……)
聖王たちはまだ騒いでいるが、シーバスは黙考を続けていた。
(魔族に、魔帝に弱点はないのか? それを探らねばならん。今までは間者を潜入させることはできなかったが、サードリンなら人族がいる。今ならできないことはない。だが、魔族は人の心を覗けると聞く。どうしたものか……)
天馬騎士の報告が終わり、シーバスは自分の執務室に戻ってきた。
彼は魔族対策を練るため、腹心の部下、ウイリアム・アデルフィ中隊長を呼び出す。
アデルフィが現れると、挨拶もそこそこにすぐに本題に入った。
「サードリンが陥落したことは聞いているな」
「はい。魔帝ラントが無血開城させたと聞いていますが」
そこでシーバスは得た情報を伝えた。
「……奴は今までの魔帝とは全く違う。このままでは王国は教会と共に崩壊するだろう」
シーバスの危機感にアデルフィも同意する。
「確かに魔帝ラントは危険ですね。勇者殿が倒してくれればよいのですが……」
「無理だろう。話を聞く限りだが、魔族たちを完全に掌握しているようだ。近づくことすらできん」
「では、暗殺者を降伏したサードリンに潜入させてはいかがですか? 同胞たちの中に紛れ込めば、隙を突いて襲うこともできると思うのですが」
「悪くない手だが、それは一度しか使えん。勇者か、勇者候補に実行させねば成功の目はほとんどないだろうな」
二人はさまざまな案について協議を重ねていく。
「結局、魔帝の周りの兵を減らし、隙を作る。そこに勇者をぶつけるしかないということか」
シーバスは諦めたような口調で何度目かの結論を口にする。
アデルフィも「そうですね」と言って同意するが、そこであることを思いついた。
「魔帝ラントは降伏した民を守ると宣言しました。それを逆手にとってはどうでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「これから魔族軍は占領地域を増やしていくでしょう。守るというなら魔族の軍の一部がそこに残るはずです」
シーバスはアデルフィの考えが理解できなかった。
「確かにそうだが、奴らの能力なら一つの町に百人はいらぬ。どの程度の規模かは分からんが、少なくとも数千はいるのだ。魔帝の周りが手薄になるほど占領させることは不可能だぞ。それとも分散させた魔族を暗殺部隊に始末させるのか?」
「いいえ、違います」とアデルフィは即座に否定し、驚愕すべき提案を行った。
「狙うのは占領された町の民です。降伏した民を無差別に殺していけば、民衆は不安を感じ、魔帝に助けを求めるはずです。魔帝も守ると言った以上、兵を出さないわけにはいかないでしょう」
その提案にシーバスは目を大きく見開く。
「ま、待て! 同胞を殺せというのか!」
アデルフィは酷薄そうな表情を浮かべて即座に否定する。
「同胞ではありません。既に帝国の民なのですから。それに教会上層部も乗り気になるはずです。忌々しい裏切り者の背教者を処分できるのであれば、喜んで我々に命じるでしょう」
アデルフィの提案は降伏した民衆を対象とした無差別テロを行い、帝国軍の戦力を分散させるというものだった。
「幸い、上層部が迷ってくれたお陰で、ロセス神兵隊はまだ聖都に残っています。彼らを有効に使うことができるのです」
ロセス神兵隊は半月前に結成され、サードリンやナイダハレルに送り込まれる予定だった。しかし、聖王を始めたとした上層部がその戦力を出し惜しみ、出撃することなく聖都に残っていた。
シーバスはアデルフィの提案の有効性を認めるものの、罪のない民衆を殺すという策に素直に頷けない。
「殺すのは恐怖を与えるためですから、多くても百人程度です。それに暗殺部隊が全滅してもそこに五百人が加わるに過ぎません。ですが、魔族軍と正面から戦えば、その百倍以上、十万近い兵が死ぬのです。閣下のご決断で多くの者が救われるかもしれないのですよ」
「確かにそうだが、国を守る兵士が戦いで死ぬのと、本来守られるべき民を我々が殺すのでは意味が全く違う。私は国を守る騎士であることに誇りを持っている。それにこのようなことが知られたら、後世に悪名を残すことになる」
「閣下のお気持ちは分かりますが、悪名の方は聖王陛下が喜んで引き取ってくださるでしょう。何といっても神に代わって背教者を処分するのですから。それに提案者は神兵隊の隊長である私でも構いませんし」
アデルフィは飄々とした表情でそう言い切った。
シーバスはそれに答えず目を瞑って考え込む。そして、三十秒ほど沈黙した後、ゆっくりと目を開いた。その瞳には強い意志が宿っている。
「卿の提案を採用しよう。だが、陛下には私から伝える。勝利のためにやると決めたら、責任を逃れるような真似はしたくないからな」
シーバスはすぐに聖王に謁見を求めた。
グラント帝国軍がサードリンの町を占領した翌日の朝、聖都ストウロセスにその情報が届いた。
届けたのはサードリンに駐留していた天馬騎士で、一昼夜かけて飛んできた。
本来なら聖都とサードリンの直線距離は約百五十マイル(約二百四十キロメートル)であり、ペガサスの能力なら昨日中に届いてもおかしくなかったが、サードリンを出た後、すぐに飛ぶと古龍たちに襲われると思い、正午過ぎまで地上を歩いたため遅くなったのだ。
情報を受け取ったのは聖堂騎士団の副団長、ペルノ・シーバス卿だ。彼は概略を聞くと、その天馬騎士を引き連れ、聖王マグダレーンの下に向かった。
聖王に謁見が叶うと、得られた情報を伝えていく。
「二日前の四月十八日の正午頃、魔族の大軍がサードリンの西に押し寄せました。数え切れないほどで恐らく五万はいたかと……空には龍や魔獣で覆いつくされ、我らは成すすべもなく、魔帝の勧告に従い抵抗を諦め、退却に至りました……」
五万という数字に聖王を始め、側近である枢機卿フェルディや大司教レダイグらの顔が青ざめる。
しかし、唯一冷静なシーバスがそれを否定にかかる。
「五万というのは確かな情報なのか? これまで魔族の軍勢が二万を超えたことはなかったはずだ。それが突然、その倍以上となったというのは真のことなのか」
天馬騎士は自分たちの失態を糊塗するために大げさに言ったのだが、すぐに訂正する。
「申し訳ございません。今の情報はあくまで某の想像。それほどの大兵力であったと確信しておりますが、全容を把握できるほどの時間はございませんでした」
シーバスはその言葉に嘆息するが、今は情報を集める方が重要だとそれ以上突っ込むことなく、「事実を包み隠さず話せ」とだけ命じた。
天馬騎士は恐縮しながら説明を続けた。
魔帝ラントが直卒していること、鬼人族だけでなく、龍、魔獣、妖魔、巨人など様々な種族の魔族がいたこと、包囲した後は降伏勧告を行ったことが説明される。
「魔帝が生命、財産を保証……帝国に寝返れば、税と裁判の公平を約束するだと……」
その説明にレダイグが理解できないとでもいうように頭を振っている。
「……正確な数は分かりませんが、サードリンには二万人以上の民が残ったようです」
天馬騎士の報告にそれまで黙っていた聖王が怒りを見せる。
「二万以上もの背教者を出しただと……何ということだ!」
フェルディ枢機卿もそれに同調するように怒りを見せ、レダイグと聖女クーリーもそれに合わせる。
唯一シーバスだけは冷静で、ラントのことを考えていた。
(前から侮れないと思っていたが、恐ろしい相手のようだな。移動手段がなかったとはいえ、全住民の四分の三が我が国を見限った。もしこの事実が王国内だけでなく、他国にも知られたら、我が国と教会は窮地に陥るだろう。魔族と戦うことなく、降伏するという選択肢があると示されたのだから……)
これまで民衆は貴族や教会に不満を持つものの、これが当たり前のことだと諦めていた。また、魔族は降伏を許さず、一致団結して当たらなければ自分たちが滅びてしまうという危機感も、不満を抑え込むのに役に立っている。
シーバスは、魔帝ラントが魔族と人族が必ずしも敵対する必要がないことを示し、民衆の不満を王国や教会に向けさせるという策を採ったと考えた。
(やはり魔帝ラントを暗殺するしかない。しかし、勇者が戻ってこぬ。いや、戻ってきたとしても、魔帝の下で団結している魔族軍の中に突っ込ませても無為に殺されるだけだろう。何か別の方法を見つけねば、我が国は滅びるしかない……)
聖王たちはまだ騒いでいるが、シーバスは黙考を続けていた。
(魔族に、魔帝に弱点はないのか? それを探らねばならん。今までは間者を潜入させることはできなかったが、サードリンなら人族がいる。今ならできないことはない。だが、魔族は人の心を覗けると聞く。どうしたものか……)
天馬騎士の報告が終わり、シーバスは自分の執務室に戻ってきた。
彼は魔族対策を練るため、腹心の部下、ウイリアム・アデルフィ中隊長を呼び出す。
アデルフィが現れると、挨拶もそこそこにすぐに本題に入った。
「サードリンが陥落したことは聞いているな」
「はい。魔帝ラントが無血開城させたと聞いていますが」
そこでシーバスは得た情報を伝えた。
「……奴は今までの魔帝とは全く違う。このままでは王国は教会と共に崩壊するだろう」
シーバスの危機感にアデルフィも同意する。
「確かに魔帝ラントは危険ですね。勇者殿が倒してくれればよいのですが……」
「無理だろう。話を聞く限りだが、魔族たちを完全に掌握しているようだ。近づくことすらできん」
「では、暗殺者を降伏したサードリンに潜入させてはいかがですか? 同胞たちの中に紛れ込めば、隙を突いて襲うこともできると思うのですが」
「悪くない手だが、それは一度しか使えん。勇者か、勇者候補に実行させねば成功の目はほとんどないだろうな」
二人はさまざまな案について協議を重ねていく。
「結局、魔帝の周りの兵を減らし、隙を作る。そこに勇者をぶつけるしかないということか」
シーバスは諦めたような口調で何度目かの結論を口にする。
アデルフィも「そうですね」と言って同意するが、そこであることを思いついた。
「魔帝ラントは降伏した民を守ると宣言しました。それを逆手にとってはどうでしょうか?」
「どういう意味だ?」
「これから魔族軍は占領地域を増やしていくでしょう。守るというなら魔族の軍の一部がそこに残るはずです」
シーバスはアデルフィの考えが理解できなかった。
「確かにそうだが、奴らの能力なら一つの町に百人はいらぬ。どの程度の規模かは分からんが、少なくとも数千はいるのだ。魔帝の周りが手薄になるほど占領させることは不可能だぞ。それとも分散させた魔族を暗殺部隊に始末させるのか?」
「いいえ、違います」とアデルフィは即座に否定し、驚愕すべき提案を行った。
「狙うのは占領された町の民です。降伏した民を無差別に殺していけば、民衆は不安を感じ、魔帝に助けを求めるはずです。魔帝も守ると言った以上、兵を出さないわけにはいかないでしょう」
その提案にシーバスは目を大きく見開く。
「ま、待て! 同胞を殺せというのか!」
アデルフィは酷薄そうな表情を浮かべて即座に否定する。
「同胞ではありません。既に帝国の民なのですから。それに教会上層部も乗り気になるはずです。忌々しい裏切り者の背教者を処分できるのであれば、喜んで我々に命じるでしょう」
アデルフィの提案は降伏した民衆を対象とした無差別テロを行い、帝国軍の戦力を分散させるというものだった。
「幸い、上層部が迷ってくれたお陰で、ロセス神兵隊はまだ聖都に残っています。彼らを有効に使うことができるのです」
ロセス神兵隊は半月前に結成され、サードリンやナイダハレルに送り込まれる予定だった。しかし、聖王を始めたとした上層部がその戦力を出し惜しみ、出撃することなく聖都に残っていた。
シーバスはアデルフィの提案の有効性を認めるものの、罪のない民衆を殺すという策に素直に頷けない。
「殺すのは恐怖を与えるためですから、多くても百人程度です。それに暗殺部隊が全滅してもそこに五百人が加わるに過ぎません。ですが、魔族軍と正面から戦えば、その百倍以上、十万近い兵が死ぬのです。閣下のご決断で多くの者が救われるかもしれないのですよ」
「確かにそうだが、国を守る兵士が戦いで死ぬのと、本来守られるべき民を我々が殺すのでは意味が全く違う。私は国を守る騎士であることに誇りを持っている。それにこのようなことが知られたら、後世に悪名を残すことになる」
「閣下のお気持ちは分かりますが、悪名の方は聖王陛下が喜んで引き取ってくださるでしょう。何といっても神に代わって背教者を処分するのですから。それに提案者は神兵隊の隊長である私でも構いませんし」
アデルフィは飄々とした表情でそう言い切った。
シーバスはそれに答えず目を瞑って考え込む。そして、三十秒ほど沈黙した後、ゆっくりと目を開いた。その瞳には強い意志が宿っている。
「卿の提案を採用しよう。だが、陛下には私から伝える。勝利のためにやると決めたら、責任を逃れるような真似はしたくないからな」
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