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10 過保護を放っておいた結果

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初夏が過ぎ、本格的な夏がきた。
ドロテアは蝉の鳴き声に耐えきれず窓を閉めたライラに言った。

「ねぇ知ってる?  彼等セミは雌に求愛する為に鳴いているのよ」
「では鳴いているのは全て雄なのですか?」
「そうよ。ビンビン蝉は鳴き声で雌に自分の居場所を示しているって、そう書いてあるわっ」
「……そうなんですね。それにしても今年は何故こんなにも蝉の数が多いのでしょうか」
「さあ?  恋に季節は関係ないけど、繁殖には関係があるのかもねっ」

そう言ったドロテアは図鑑を手にころころと笑った。その様子にライラはぐったりと床にしゃがみこんだ。実は先程まで幾度となく部屋に侵入してくる蝉を追い出していたのだ。窓を閉めた理由はそれもある。そして専属侍女のコリンは蝉が怖くて逃げた。でかい、鳴くし、気持ち悪いと尻尾を巻いていた。元騎士でも虫は苦手らしい。今は厨房でドロテアの為にクッキーを焼いている。

「お嬢様は苦手なものがないのですか?」
「……苦手なもの?」

部屋に蝉が侵入してきても、ドロテアは気にする素振りもなく紙にペンを走らせていた。そして部屋で逃げ惑うコリンの様子にたまに顔を上げて、楽しげに笑っていた。コリンは騎士として帯剣していた時は、虫は虫けら以下の扱いで向かってくる虫は普通に切り捨てていたそうだ。しかし払う得物がないから今は怖いと逃げ惑いながらそう言い訳していた。
もしかしてお嬢様も……爪先を武器として扱えるから、今は帯剣しているから蝉が怖くないのだろうかと思っての質問だった。

「苦手なもの……あるわよ。目に見えないドキドキとか、ソワソワとか、ゾクゾクとか……きゅ、きゅんきゅん、とか?」

きゅんきゅん、とはなんだろうか?  ライラは最後の擬態語に首を傾げるも、的確な答えを出した。

「……ブラッドリー・クワイス様が苦手なんですか?」
「やだ!  恥ずかしいから言わないでっ、ブラッドリー様の名前を聞くと胸がきゅんきゅん締め付けられるのっ」

それは苦手ではなく、慣れないという事では?
そう言葉にはせずライラは少しだけ開いたドアの外で聞き耳を立てているブラッドリーに内心苦笑いをした。屋敷の中で働く使用人達は、こんな事にももう慣れっこだ。

ライラは蝉との格闘でボサボサになった髪を掻きあげると、気合いを込めて腰を上げた。

「予定より三時間ほど早いですが、そろそろお茶会の準備をはじめましょう」
「そうね。ブラッドリー様はいつも早めに到着なさるから。お待たせしないよう早めに着替えるわ。ドレスを選んでくれる?」

その言葉にライラが少し開いたドアを見ると、そっと立ち去るブラッドリーがみてとれた。

「はい。お任せ下さい。いくつか候補を出します」

支度が済んでから婚約者殿が来たことをお嬢様に伝えよう。まだクッキーも焼けていないようだし。そう思ったライラはブラッドリーからドロテアへ贈られたドレスがパンパンに詰まったクローゼットを開けた。
可憐なものからシックなもの、色味は銀色や緑色や紫色、ブラッドリーを連想させる色が多い。別室にもまだ大量にある。
針仕事が得意なライラはドロテアの衣装、その管理から修繕まで任されるようになった。責任のある大変な仕事だが、貴族令嬢の高価なドレスに触れる機会がある侍女は専属を除いて数が少なく、やり甲斐の方が大きい。ライラは今日のドレスを選別するため再び気合いを入れた。



ドロテアがドレスを選んでいる一方で、ジューン家の庭では飛び交う蝉が次々と魔力を纏う剣で切り捨てられていった。

「的は小さいが動きは鈍いな」
「はっ。流石の腕前です」

蝉を切り捨てているのはブラッドリー。そして切られている部位は羽か頭のみだ。それを全て回収しながら跡をついていくのはジューン家の庭師。

基本庭師は仕事中でも貴族の前に姿を見せないのが礼儀なのだが、いつもかなり早めに来て手持ち無沙汰に庭を歩くブラッドリーと鉢合わすことがあり、二人は顔見知りになってしまった。ちなみに何故鉢合わせたかというと、ブラッドリーがいつも気配を消して庭を歩いているからだ。

「大猟ですな。これだけあれば……」
「?  花の肥やしにでもするのか?」
「身を焼いて食べるんです。あっしの故郷は漁村でして、蝉はそこで獲れる海の虫に風味が似ていて、これがなかなかうまくて」

庭師の言う海の虫とは、海老の事だ。この世界では海老は殆ど食べられていない。身が少ないのが理由なのだが、出汁の元として干したものは使われている。蟹も同じ扱いだ。見た目が悪いので食卓に並ぶことはない。だがこの出汁で作られたスープなどは人気で、海が近い国民のほとんどが口にしている。

「……その、なんというか、君がいいなら、好きにすればいいんじゃないか」

ブラッドリーは心なしか庭師と距離をあけた。先程まで鳴いている蝉は全て雄だという事実と、その雄がドロテアの部屋に侵入してドロテアに求愛の鳴き声を発していたという苛立ちは庭師との会話で相殺されていた。食べられてしまうのか、と。大人げないことをしたなとブラッドリーは剣を鞘におさめた。

「食は文化だからな。虫は……鳥も好んでよく食べていることから、美味なのだろう」
「へえ。有り難きお恵み。捕まえるのも根気がいりましたので」
「……そ、そうか」

実は以前ドロテアが故郷の味を恋しがる庭師の独り言を聞いて、蝉は海の虫海老に味が似ているらしいと前世の知識をポロっと漏らしたのがはじまりなのだが、それを今後ブラッドリーが知るよしは無い。

「そういえばドロテアは虫は平気なのか?  貴族令嬢ならでかい虫を前にすれば悲鳴をあげそうなものだが……」
「お嬢様は幼少期から心優しいお方でした。蟻一匹ころしたりしませんよ。避けるか道を譲ってあげる程で」
「……そうか。やはり好ましい。私も見習わなくてはな」



「あら……午後はとても静かですわ」

裏庭にある東屋でブラッドリーとのお茶会がはじまった。辺りはそよ風が樹々を撫でる音と、庭に巣がある小鳥の鳴き声しかしない。東屋が建設されてから庭の木々や花の配置が変わり、裏庭はリス等の小動物も度々訪れる憩いの場になっていた。からっとした風も心地よく、夏でも気持ちの良い午後だった。

「朝から虫の鳴き声でとても賑やかだったのですが」
「はは、蝉も私達に気を遣って今はどこかで羽を休めているんだろう」
「まあ、うふふ」

ドロテアは来週開く落成式で、ブラッドリーに涼しげなものをお披露目すると楽しそうに話した。
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