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7 実は若返れるけど若返りません
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それから八年。
ヨハンは18歳になっていた。
両親譲りの美貌は成長過程で薄れ、美形というよりド迫力のある男前になっていた。高身長で、首から下は筋肉ダルマだ。アカデミーを卒業後は騎士として隣領にあるサムズ伯爵家の臣下となることが決まっている。そして数年後にはその当主から末娘のマリアを嫁に貰い、ロト男爵家を継ぐことも。
「ヨハン様ぁ、互いの領地の街道を繋ぐ工事がもっと早く終わったらぁ、わたし達の結婚も速まりますかねぇ?」
「どうだろうか? 結婚が速まっても、こうやってたまに私と出掛けて、互いに読んだ本の意見交換をすることは続けて欲しいが」
「勿論ですぅ」
ヨハンの婚約者のマリア・サムズ伯爵令嬢。
政略婚になるが関係はうまくいっている。顔合わせした時は寡黙で口数の少ない令嬢だったが、実際は舌たらずで語尾が子供っぽいことを気にしてあまり喋らないようにしていた可愛い令嬢だった。互いに本好きで読むジャンルもわけ隔て無く選ぶところをヨハンは気に入っていた。
「今日選んだ本はなんだい?」
「拷問全集ですぅ。あと蟻とフェロモンの関係性について書かれた本もぉ」
「私も後で読みたい」
「はぁい。ヨハン様のはぁ?」
「釘の魅力について書かれた本だ。釘を作る職人と、釘を使う大工では意見が違う」
「あ、それわたしも後で読みたいですぅ」
ヨハンは首から下は筋肉ダルマだが、マリアは身長140cmに満たないガリヒョロな令嬢だった。性別は違えど同い年で身体的に大きな差があったが、互いに健康そのものだった。
そして王立図書館ではこの二人はすっかり噂の凹凸カップルになっていた。
「マリア」
ヨハンは受付に行こうとマリアから本を受け取ろうとしたが、マリアは重さ四キロの分厚い拷問全集に釘付けで、視線はひっきりなしに頁の行を辿っている。
「マリア」
首から下は筋肉ダルマのヨハンがマリアから本を引っ張るも、びくともしない。物凄い集中力と火事場の馬鹿力だ。
そこでヨハンはキィキィと聞こえてきた耳覚えのある音に後ろを見た。
そこには車椅子で介護人に付き添われるハンスがいた。ヨハンの母親の元婚約者だ。
ハンスはマリアに気付くなり、「あー、あー、はつこい」と言いながら手を伸ばしてくる。
車椅子を掴む介護人がいるので今までマリアに何かされたことはなかったが、念の為にとヨハンはいつものようにマリアの首根っこをひょいと掴んで肩に乗せた。
「あー! あー! あー!」
それを見たハンスはヨハンを睨んで声を荒げるも、甥に後頭部を殴られて黙った。マリアは遠くの音が気になったように一度顔を上げたが、また拷問全集に集中してしまった。
帰りはブックカフェに寄って、給仕に紅茶を頼んだ。そのあとヨハンはマリアに言った。
「一度若返ってあの馬鹿の贄になろうと思う」
「……そんなぁ。そしたら次はヨハン様が狙われてしまいますぅ。前もそれで嫌なおもいをされたと言ってましたよねぇ? わたしはヨハン様の肩に乗せてもらえれば実害は無いのでぇ!」
「なに、一度きりの幻の令嬢だ、今の私ならあの馬鹿も同一人物とは思わんよ」
「……でもヨハン様若返るのは嫌だってぇ、本心ではそう思ってるんですよねぇ?」
「……色々あってな。両親を見てきて、切実にそう思った」
ヨハンの父親セシルは後継ぎだったため、妙齢になると数々の令嬢と顔合わせさせられた。その時に決まって言われる台詞が「夫がいつまでも若いって、素敵ですわねぇ」「その美貌は衰えることがないのですよね? なら性欲も……」という下心が含まれたものが殆どだった。母親の場合は、ハンスとの婚約解消を抜いても父と婚約するまでは本当に色々あったらしく、あまり話してはくれない。だが婚約解消時は24歳だった母親が十代の姿に戻ったのだ。周りの反応がどう変わったかなど、ヨハンの想像に容易かった。
そのせいかヨハンは両親からエルフの血を引いていないと、自ら広言していた。このことは要らぬ心配をかけたくないので両親にも言っていない。知っているのはマリアだけだ。
「だが今回は仕方ない。あの馬鹿に物理的な害を加える力はなくとも、自分の婚約者をいやらしい目で見られるのは……じわじわと精神にくる」
なんせ今のハンスは会話も通じないのだ。おまけにヨハンに対してまるで自分の女に手を出す輩のように敵意を向けてくる。昔も今も、輩はハンスの方なのだが。
「……蟻とフェロモンの関係みたいにぃ、はじめから岐路をやり直させたらどうですかねぇ?」
「え?」
マリアの提案はハンスを蟻扱いした実験的なものだった。
ある特定の働き蟻は巣から餌場まで、フェロモンを辿って労働をする。そのフェロモンとは、蟻自身から出ているものだ。餌を見つけた蟻は、ここに食糧があるぞとフェロモンを垂れ流しながら巣に戻る。そしてそのフェロモンを辿ってまた餌場へ向かうのだ。他の蟻もそれにつられて餌場へと向かう大群ができる。
その岐路を変えさせることが出来るのは再び餌場を見つけた時に出されるフェロモンだけ。ならばわざと餌の場所を変えて、フェロモンを辿って向かう道を反らそうとマリアが言った。
話を頷きながら聞いていたヨハンは紅茶を飲んでからこたえた。
「つまりは今は餌場に向かって進行してるあの蟻に、違う餌場を与えて気を反らせばよいのだな?」
「いいえぇ。それだけだとまた他の子に被害が出るのでぇ。既に未練もないほど素晴らしい人生を送っていたのだとぉ、もう餌場には向かわなくていいと蟻を勘違いさせるんですぅ」
「うむ。全くわからん。つまりはどういうことだ?」
「生い先短い人間はぁ、今まで辿ってきた人生を思い返すんですぅ。拷問されて死ぬ間際に走馬灯が過る死刑囚みたいにぃ」
マリアが拷問全集(死刑囚版)の本を掲げた。
「ハンスさんは未練があるんだと思いますぅ。生い先短い自分にぃ、いい人生だったと思い返せる素晴らしい記憶は何もないからぁ、いまだに女の子のお尻を追い掛けてるんだと思いますぅ」
ならば偽造してやりましょう、素晴らしい記憶を。そう言ったマリアにヨハンは「これは両親の手を借りねばならないな」と考えを巡らせた。
ヨハンは18歳になっていた。
両親譲りの美貌は成長過程で薄れ、美形というよりド迫力のある男前になっていた。高身長で、首から下は筋肉ダルマだ。アカデミーを卒業後は騎士として隣領にあるサムズ伯爵家の臣下となることが決まっている。そして数年後にはその当主から末娘のマリアを嫁に貰い、ロト男爵家を継ぐことも。
「ヨハン様ぁ、互いの領地の街道を繋ぐ工事がもっと早く終わったらぁ、わたし達の結婚も速まりますかねぇ?」
「どうだろうか? 結婚が速まっても、こうやってたまに私と出掛けて、互いに読んだ本の意見交換をすることは続けて欲しいが」
「勿論ですぅ」
ヨハンの婚約者のマリア・サムズ伯爵令嬢。
政略婚になるが関係はうまくいっている。顔合わせした時は寡黙で口数の少ない令嬢だったが、実際は舌たらずで語尾が子供っぽいことを気にしてあまり喋らないようにしていた可愛い令嬢だった。互いに本好きで読むジャンルもわけ隔て無く選ぶところをヨハンは気に入っていた。
「今日選んだ本はなんだい?」
「拷問全集ですぅ。あと蟻とフェロモンの関係性について書かれた本もぉ」
「私も後で読みたい」
「はぁい。ヨハン様のはぁ?」
「釘の魅力について書かれた本だ。釘を作る職人と、釘を使う大工では意見が違う」
「あ、それわたしも後で読みたいですぅ」
ヨハンは首から下は筋肉ダルマだが、マリアは身長140cmに満たないガリヒョロな令嬢だった。性別は違えど同い年で身体的に大きな差があったが、互いに健康そのものだった。
そして王立図書館ではこの二人はすっかり噂の凹凸カップルになっていた。
「マリア」
ヨハンは受付に行こうとマリアから本を受け取ろうとしたが、マリアは重さ四キロの分厚い拷問全集に釘付けで、視線はひっきりなしに頁の行を辿っている。
「マリア」
首から下は筋肉ダルマのヨハンがマリアから本を引っ張るも、びくともしない。物凄い集中力と火事場の馬鹿力だ。
そこでヨハンはキィキィと聞こえてきた耳覚えのある音に後ろを見た。
そこには車椅子で介護人に付き添われるハンスがいた。ヨハンの母親の元婚約者だ。
ハンスはマリアに気付くなり、「あー、あー、はつこい」と言いながら手を伸ばしてくる。
車椅子を掴む介護人がいるので今までマリアに何かされたことはなかったが、念の為にとヨハンはいつものようにマリアの首根っこをひょいと掴んで肩に乗せた。
「あー! あー! あー!」
それを見たハンスはヨハンを睨んで声を荒げるも、甥に後頭部を殴られて黙った。マリアは遠くの音が気になったように一度顔を上げたが、また拷問全集に集中してしまった。
帰りはブックカフェに寄って、給仕に紅茶を頼んだ。そのあとヨハンはマリアに言った。
「一度若返ってあの馬鹿の贄になろうと思う」
「……そんなぁ。そしたら次はヨハン様が狙われてしまいますぅ。前もそれで嫌なおもいをされたと言ってましたよねぇ? わたしはヨハン様の肩に乗せてもらえれば実害は無いのでぇ!」
「なに、一度きりの幻の令嬢だ、今の私ならあの馬鹿も同一人物とは思わんよ」
「……でもヨハン様若返るのは嫌だってぇ、本心ではそう思ってるんですよねぇ?」
「……色々あってな。両親を見てきて、切実にそう思った」
ヨハンの父親セシルは後継ぎだったため、妙齢になると数々の令嬢と顔合わせさせられた。その時に決まって言われる台詞が「夫がいつまでも若いって、素敵ですわねぇ」「その美貌は衰えることがないのですよね? なら性欲も……」という下心が含まれたものが殆どだった。母親の場合は、ハンスとの婚約解消を抜いても父と婚約するまでは本当に色々あったらしく、あまり話してはくれない。だが婚約解消時は24歳だった母親が十代の姿に戻ったのだ。周りの反応がどう変わったかなど、ヨハンの想像に容易かった。
そのせいかヨハンは両親からエルフの血を引いていないと、自ら広言していた。このことは要らぬ心配をかけたくないので両親にも言っていない。知っているのはマリアだけだ。
「だが今回は仕方ない。あの馬鹿に物理的な害を加える力はなくとも、自分の婚約者をいやらしい目で見られるのは……じわじわと精神にくる」
なんせ今のハンスは会話も通じないのだ。おまけにヨハンに対してまるで自分の女に手を出す輩のように敵意を向けてくる。昔も今も、輩はハンスの方なのだが。
「……蟻とフェロモンの関係みたいにぃ、はじめから岐路をやり直させたらどうですかねぇ?」
「え?」
マリアの提案はハンスを蟻扱いした実験的なものだった。
ある特定の働き蟻は巣から餌場まで、フェロモンを辿って労働をする。そのフェロモンとは、蟻自身から出ているものだ。餌を見つけた蟻は、ここに食糧があるぞとフェロモンを垂れ流しながら巣に戻る。そしてそのフェロモンを辿ってまた餌場へ向かうのだ。他の蟻もそれにつられて餌場へと向かう大群ができる。
その岐路を変えさせることが出来るのは再び餌場を見つけた時に出されるフェロモンだけ。ならばわざと餌の場所を変えて、フェロモンを辿って向かう道を反らそうとマリアが言った。
話を頷きながら聞いていたヨハンは紅茶を飲んでからこたえた。
「つまりは今は餌場に向かって進行してるあの蟻に、違う餌場を与えて気を反らせばよいのだな?」
「いいえぇ。それだけだとまた他の子に被害が出るのでぇ。既に未練もないほど素晴らしい人生を送っていたのだとぉ、もう餌場には向かわなくていいと蟻を勘違いさせるんですぅ」
「うむ。全くわからん。つまりはどういうことだ?」
「生い先短い人間はぁ、今まで辿ってきた人生を思い返すんですぅ。拷問されて死ぬ間際に走馬灯が過る死刑囚みたいにぃ」
マリアが拷問全集(死刑囚版)の本を掲げた。
「ハンスさんは未練があるんだと思いますぅ。生い先短い自分にぃ、いい人生だったと思い返せる素晴らしい記憶は何もないからぁ、いまだに女の子のお尻を追い掛けてるんだと思いますぅ」
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