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8月
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朝、夫が暗い顔で起きて来た。
「琴子と結婚したんだ。」
「おめでとう。」
わたしは心から云ったのだけど、俊ちゃんはちょっと厭な顔をした。
「めでたくないよ。」
わたしは首を傾げる。
「そう?」
俊ちゃんは頷く。
「そうだよ。なんか最近怖いんだ。ずっと同じ夢を見るなんて変だろ。それに前は普通の夢だったのに、どんどん長くなるし。今ぢゃ一年くらいあるんだ。全然起きれなくて、会社にもいつも遅刻するし。」
「人は眠る度に、死んでるんだと思うの。それで此方の世界を離れて、あちらの、パラレルワールドに行くんだと思うの。俊ちゃんはいつも同じ世界に行けるわけだから。」
わたしの言葉に夫は首を捻る。
「そうかなあ。」
「そうだよ。だから良いことなんだよ。」
夫は更に首を捻る。
「そうかなあ。」
「それに、もしかしたら琴子ちゃんが本物で、わたしの方が俊ちゃんの想像が創り出した、夢の住人かも知れないぢゃない。」
真面目に云うと、俊ちゃんは顔を顰めた。
「怖いこと云うね。」
「だって自分が確かな存在だって、どうして思えるの。」
「やめてよ。怖いから。」
夫は目を閉じる。長い睫毛の影が白い頬に落ちる。
最近、俊ちゃんが眠っていて呉れるので、わたしは安心して出掛けることができるようになった。
帰って来ても、俊ちゃんは同じ姿勢で眠っている。わたしは美しいその寝顔にただいまを云う。
週に二回は映画に行く。水曜日のレディースデイと金曜日のシネスイッチ銀座のレディースデイだ。
だけど、この日帰っても、俊ちゃんは居なかった。わたしはパニックに陥った。 ベッドを触ってみる。冷たい。
「俊ちゃんがいない。」
声に出した瞬間、後悔した。空白をよりリアルにしただけだったからだ。わたしは、よりパニックに陥った。
わたしは、ベッドにうつ伏せになつた。わっと子供のように嗚咽の声が漏れた。
「俊ちゃんがいない。俊ちゃんがいない。俊ちゃんがいない。」
一時間程度泣いていた。
玄関のところで音がした。わたしは慌てて玄関に駆け寄った。俊ちゃんがいた。
「ただいま。」
過不足のない声で云われ、わたしは俊ちゃんに飛びついた。
「どこ行ってたの?」
「久し振りに起きたら、ひどい有様だったから、散髪に行ったんだ。」
確かに、さっぱりしている。わたしは俊ちゃんの首筋に顔を押しあてる。
「いい匂い。」
「久し振りになんか作るよ。アキちゃんもいつまでもそんな犬みたいなことしてないで、お風呂入ってきたら?」
俊ちゃんは笑いながら、云った。わたしは素直に従った。
俊ちゃんは、わたしの泣き腫らした顔に、触れなかった。
お風呂の水をバシャバシャと、叩く。わたしはいつからこんなに脆くなったのだろう。大体、俊ちゃんがいけないのだ。家にいないなんて。わたしったら何を考えているのだろう。
わたしは、お湯の中にじゃぼんと顔をつけた。そのまま、何度か水中に潜る。結局、それを延々と繰り返し、一時間くらい入っていた。
お風呂から上がってみると、フレンチトーストができあがっていた。
わたしは歓声を上げて、席に着いた。フレンチトーストは、わたしの子供のころからの大好物だ。
「美味しい。」
「そう? 善かった。あのね、アキちゃん、こう云うことはもうやめようと思うんだ。」
来た。お風呂は懐柔策だ。わたしは、できるだけ、無頓着に聞こえるように云った。
「こう云うこと?」
「今みたいな自堕落な生活。もっとちゃんとしようと思って。」
「ちゃんと?」
「うん、まずは起きれるようにならなくちゃね。病院に行ってみようと思うんだ。」
来た。フレンチトーストも懐柔だ。
「反対だわ。だって、不自然だもの。」
「こうしてずっと眠っているのも不自然だよ。」
「それはそうだけど。」
「心療内科かな。今のままじゃろくろく会社にも行けやしないし。」
俊ちゃん至極穏やかな声を出した。
「でも、」
わたしの声は平生にも似ず、強い調子を帯びた。
「わたしは反対だわ。」
「琴子と結婚したんだ。」
「おめでとう。」
わたしは心から云ったのだけど、俊ちゃんはちょっと厭な顔をした。
「めでたくないよ。」
わたしは首を傾げる。
「そう?」
俊ちゃんは頷く。
「そうだよ。なんか最近怖いんだ。ずっと同じ夢を見るなんて変だろ。それに前は普通の夢だったのに、どんどん長くなるし。今ぢゃ一年くらいあるんだ。全然起きれなくて、会社にもいつも遅刻するし。」
「人は眠る度に、死んでるんだと思うの。それで此方の世界を離れて、あちらの、パラレルワールドに行くんだと思うの。俊ちゃんはいつも同じ世界に行けるわけだから。」
わたしの言葉に夫は首を捻る。
「そうかなあ。」
「そうだよ。だから良いことなんだよ。」
夫は更に首を捻る。
「そうかなあ。」
「それに、もしかしたら琴子ちゃんが本物で、わたしの方が俊ちゃんの想像が創り出した、夢の住人かも知れないぢゃない。」
真面目に云うと、俊ちゃんは顔を顰めた。
「怖いこと云うね。」
「だって自分が確かな存在だって、どうして思えるの。」
「やめてよ。怖いから。」
夫は目を閉じる。長い睫毛の影が白い頬に落ちる。
最近、俊ちゃんが眠っていて呉れるので、わたしは安心して出掛けることができるようになった。
帰って来ても、俊ちゃんは同じ姿勢で眠っている。わたしは美しいその寝顔にただいまを云う。
週に二回は映画に行く。水曜日のレディースデイと金曜日のシネスイッチ銀座のレディースデイだ。
だけど、この日帰っても、俊ちゃんは居なかった。わたしはパニックに陥った。 ベッドを触ってみる。冷たい。
「俊ちゃんがいない。」
声に出した瞬間、後悔した。空白をよりリアルにしただけだったからだ。わたしは、よりパニックに陥った。
わたしは、ベッドにうつ伏せになつた。わっと子供のように嗚咽の声が漏れた。
「俊ちゃんがいない。俊ちゃんがいない。俊ちゃんがいない。」
一時間程度泣いていた。
玄関のところで音がした。わたしは慌てて玄関に駆け寄った。俊ちゃんがいた。
「ただいま。」
過不足のない声で云われ、わたしは俊ちゃんに飛びついた。
「どこ行ってたの?」
「久し振りに起きたら、ひどい有様だったから、散髪に行ったんだ。」
確かに、さっぱりしている。わたしは俊ちゃんの首筋に顔を押しあてる。
「いい匂い。」
「久し振りになんか作るよ。アキちゃんもいつまでもそんな犬みたいなことしてないで、お風呂入ってきたら?」
俊ちゃんは笑いながら、云った。わたしは素直に従った。
俊ちゃんは、わたしの泣き腫らした顔に、触れなかった。
お風呂の水をバシャバシャと、叩く。わたしはいつからこんなに脆くなったのだろう。大体、俊ちゃんがいけないのだ。家にいないなんて。わたしったら何を考えているのだろう。
わたしは、お湯の中にじゃぼんと顔をつけた。そのまま、何度か水中に潜る。結局、それを延々と繰り返し、一時間くらい入っていた。
お風呂から上がってみると、フレンチトーストができあがっていた。
わたしは歓声を上げて、席に着いた。フレンチトーストは、わたしの子供のころからの大好物だ。
「美味しい。」
「そう? 善かった。あのね、アキちゃん、こう云うことはもうやめようと思うんだ。」
来た。お風呂は懐柔策だ。わたしは、できるだけ、無頓着に聞こえるように云った。
「こう云うこと?」
「今みたいな自堕落な生活。もっとちゃんとしようと思って。」
「ちゃんと?」
「うん、まずは起きれるようにならなくちゃね。病院に行ってみようと思うんだ。」
来た。フレンチトーストも懐柔だ。
「反対だわ。だって、不自然だもの。」
「こうしてずっと眠っているのも不自然だよ。」
「それはそうだけど。」
「心療内科かな。今のままじゃろくろく会社にも行けやしないし。」
俊ちゃん至極穏やかな声を出した。
「でも、」
わたしの声は平生にも似ず、強い調子を帯びた。
「わたしは反対だわ。」
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