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金の問題
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インターホンの画面に映るスーツ姿の男を見て、私は一瞬、心臓が止まったような感覚に陥った。
——ついに来た。
頭の中が冷たく冴え渡る。
私は深く息を吸い、玄関の扉を開けた。
「……どちら様でしょうか」
ドアの前に立っていたのは、四十代半ばほどの男だった。
黒いスーツに、安っぽいネクタイ。
鋭い目つきが、獲物を見定めるように私を見つめている。
「奥さんですよね?」
私の名前を言い、確認するように微笑んだ。
「お話があるんですが、少しお時間よろしいでしょうか」
私は黙っていた。
何を言われるのか、わかりきっている。
「……和義の借金、ですね?」
男の笑みが少し深まった。
「話が早くて助かります」
***
リビングに男を通す気にはなれなかった。
私は玄関のドアを少しだけ開いたまま、男の話を聞くことにした。
「ご主人、和義さんが、うちからお金を借りていましてね」
男は懐から封筒を取り出した。
中には、借用書のコピーが入っていた。
私はそれを受け取り、目を走らせる。
——三百万円。
私は眉をひそめた。
夫がいくら金に困っていたとしても、ここまでの額を借りるとは思わなかった。
「ご主人、最近お会いになっています?」
私はゆっくり首を横に振った。
「いいえ。彼は家を出ました」
「なるほど、それは困りましたねぇ」
男はポケットから煙草を取り出し、くわえた。
「ちょっと失礼」
そう言うと、火をつける前に私の顔をじっと見つめた。
「奥さん、どうします?」
私は言葉を失った。
「……どうする、とは?」
「ご主人、今どこにいるかもわからないんでしょう?」
私は息をのんだ。
「つまり、この借金、あなたが払うってことになりますよ」
血の気が引いた。
「……そんな」
「いやいや、奥さん。法律上はともかく、現実問題として、うちもね、お金を返してもらわなきゃ困るんですよ」
男は肩をすくめた。
「だから、ご主人が払えないなら、奥さんが払うしかない」
そう言って、男は封筒を軽く叩いた。
「三百万円。すぐに用意できますか?」
***
私は呆然としたまま、男を見つめた。
そんな大金、あるはずがない。
和義は、こんな額を何に使ったのか。
女か。ギャンブルか。それとも——。
私は拳を握りしめた。
「……彼が払うべきお金です。私には関係ありません」
男は笑った。
「奥さん、それは違うでしょ」
「違わないわ」
「でもね、奥さん」
男は煙草をくわえたまま、少し身を乗り出した。
「うちの会社も、そう簡単に諦めるわけにはいかないんですよ」
私は無意識に後ずさった。
「だからね、奥さん。ご主人が見つかるまで、せめて少しずつでも返してもらえませんか?」
私は押し黙った。
男はふっと笑い、名刺を差し出した。
「今日のところはこれで帰ります。でも、近いうちにまた来ますよ」
そう言って、男は玄関から去っていった。
***
私はその場に崩れ落ちた。
——三百万円。
夫は、私に何も言わずに、こんなものを背負わせたのか。
悔しさが込み上げる。
私は立ち上がり、スマートフォンを手に取った。
夫に電話をかける。
呼び出し音が鳴る。
——出ろ。
——今すぐに。
私は強くスマホを握りしめた。
だが——
「……おかけになった電話番号は、現在使われておりません」
——夫は、私からも逃げた。
——ついに来た。
頭の中が冷たく冴え渡る。
私は深く息を吸い、玄関の扉を開けた。
「……どちら様でしょうか」
ドアの前に立っていたのは、四十代半ばほどの男だった。
黒いスーツに、安っぽいネクタイ。
鋭い目つきが、獲物を見定めるように私を見つめている。
「奥さんですよね?」
私の名前を言い、確認するように微笑んだ。
「お話があるんですが、少しお時間よろしいでしょうか」
私は黙っていた。
何を言われるのか、わかりきっている。
「……和義の借金、ですね?」
男の笑みが少し深まった。
「話が早くて助かります」
***
リビングに男を通す気にはなれなかった。
私は玄関のドアを少しだけ開いたまま、男の話を聞くことにした。
「ご主人、和義さんが、うちからお金を借りていましてね」
男は懐から封筒を取り出した。
中には、借用書のコピーが入っていた。
私はそれを受け取り、目を走らせる。
——三百万円。
私は眉をひそめた。
夫がいくら金に困っていたとしても、ここまでの額を借りるとは思わなかった。
「ご主人、最近お会いになっています?」
私はゆっくり首を横に振った。
「いいえ。彼は家を出ました」
「なるほど、それは困りましたねぇ」
男はポケットから煙草を取り出し、くわえた。
「ちょっと失礼」
そう言うと、火をつける前に私の顔をじっと見つめた。
「奥さん、どうします?」
私は言葉を失った。
「……どうする、とは?」
「ご主人、今どこにいるかもわからないんでしょう?」
私は息をのんだ。
「つまり、この借金、あなたが払うってことになりますよ」
血の気が引いた。
「……そんな」
「いやいや、奥さん。法律上はともかく、現実問題として、うちもね、お金を返してもらわなきゃ困るんですよ」
男は肩をすくめた。
「だから、ご主人が払えないなら、奥さんが払うしかない」
そう言って、男は封筒を軽く叩いた。
「三百万円。すぐに用意できますか?」
***
私は呆然としたまま、男を見つめた。
そんな大金、あるはずがない。
和義は、こんな額を何に使ったのか。
女か。ギャンブルか。それとも——。
私は拳を握りしめた。
「……彼が払うべきお金です。私には関係ありません」
男は笑った。
「奥さん、それは違うでしょ」
「違わないわ」
「でもね、奥さん」
男は煙草をくわえたまま、少し身を乗り出した。
「うちの会社も、そう簡単に諦めるわけにはいかないんですよ」
私は無意識に後ずさった。
「だからね、奥さん。ご主人が見つかるまで、せめて少しずつでも返してもらえませんか?」
私は押し黙った。
男はふっと笑い、名刺を差し出した。
「今日のところはこれで帰ります。でも、近いうちにまた来ますよ」
そう言って、男は玄関から去っていった。
***
私はその場に崩れ落ちた。
——三百万円。
夫は、私に何も言わずに、こんなものを背負わせたのか。
悔しさが込み上げる。
私は立ち上がり、スマートフォンを手に取った。
夫に電話をかける。
呼び出し音が鳴る。
——出ろ。
——今すぐに。
私は強くスマホを握りしめた。
だが——
「……おかけになった電話番号は、現在使われておりません」
——夫は、私からも逃げた。
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