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第六話 ミゾレ

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「あ、れ?」

 凍てつくほど冷たいはずの川は、なぜか人肌のように温かった。
 そして何かに抱きしめられているかのように包み込まれているのがわかる。

「またゴミでも投げ込まれたかと思えば、まさか人間とはな」

 顔を上げるとそこには眉間に皺を寄せた美しい男性の顔があった。
 髪は長く、透き通った水色のような色をしていて、瞳は黄金に輝き、肌は陶器のように滑らかで乳白色。
 さらにこめかみからは黄金に輝く二本のツノが生えていて、人間離れしたその容貌に志乃は目を見張った。

「貴方、は……?」
「随分と太々しい人間だな。名乗れというなら先に名乗るのが礼儀では?」
「あ、申し訳ありません」
「別に謝らんでもよい。それで、お主の名は?」
「私は志乃と申します」
「ほう、シノか。よい名だ」

 美しい青年は目を細めると口元に笑みを浮かべた。

「我の名はミゾレ。お主たちが呼ぶミゾレ川のミゾレだ。川の神と言えばわかりやすいか」
「川の、神様……」
「ただの概念だ。神など仰々しい呼び方でなく、ミゾレと呼べばいい。それで? シノはどうして身投げなぞした」
「それは……」

 志乃は一瞬躊躇ったあと、今まであったことをありのまま話す。
 ミゾレは黙ったまま志乃の話を聞き、何か考え込むような仕草をしたあと、さらに眉間の皺を深くした。

「委細承知した。それで、シノはどうしたい?」
「どうしたい、とおっしゃいますと……?」
「このまま死ぬこともできるが、シノがよければ我がシノを身請けすることもできる」
「身請け、ですか」
「あぁ。死ぬくらいなら我のところに来ないか?」

 まるで求婚のような甘い言葉。
 人ならざる者だからか、志乃には甘美に聞こえるその言葉に心が揺れた。

「ですが、私は人妻の身ですし」
「義理堅いな。だが、お主に狼藉をはかった者とはもう縁が切れている。今更義理も何もないだろう。それに、お主の両親がずっと片時も離れずお主を心配しておるぞ」
「え、両親が!?」

 とうに死んだはずの両親がずっと側にいると言われ驚く。

「何を驚くことがある。ずっと心配だ心配だと周りをうろちょろとしておるぞ。シノが今まで大きな怪我や不埒なことをされてないのは両親のおかげだ。ずっと守っていたようだからな」

 言われてかつて階段で突き落とされそうになったり熱湯を浴びせられそうになったりしたことを思い出す。
 いずれもたまたま手すりを掴んでいたり、落とした物を拾おうとしゃがんだり、と運良く回避できていたのだが、あれは全部両親のおかげだったのかと思い至る。

「せっかく両親が守ってくれた命を粗末にするのはよくないのではないか?」
「ですが、私がミゾレさまのところへ行ってご迷惑にはならないでしょうか?」
「ならん。なるのであればそもそも我のところへ来いなどとは最初から言わぬ。それでどうする? 我のところへ来るのか、来ないのか」

 ジッと瞳を見つめられる。
 美しく輝く黄金の瞳はあまりに浮世離れしていて、視線が外せなかった。

「行きます。ミゾレさまのところへ」

 志乃がまっすぐ答えると、ミゾレは先程までの険しい顔をふっと緩めて微笑んだ。

「そうか。であれば、その不要な枷は外してしまおう」

 ミゾレが志乃の額に口づけると、志乃の身体から痣や傷がみるみるとなくなっていく。
 そして元の美しい姿へと戻っていた。

「すごい……」
「このくらい造作でもない。……うむ。やはり我の見立て通りだ。シノは美しい」

 ミゾレから優しい眼差しと言葉を向けられて志乃は赤面して俯く。
 褒められ慣れていない志乃はどう反応したらよいかわからなかった。

「あ、ありがとうございます」
「照れる姿も愛らしいな」
「そ、そんな褒められましても……っ、あ! 私ったら、ずっとミゾレさまに抱かれたままで、申し訳ありません。立てますから、降ろしてください」
「このくらい大したことではない。それにシノは軽すぎるくらいだ」

 そう言いながらどこかへ歩き出すミゾレ。

「ミゾレさま!? あの、降ろしてください」
「家はすぐそこだ。降りるまでもない。それにここはうつつとのさかいだから今降ろしたら地獄へと堕ちてしまうかもしれぬぞ?」
「地獄!?」

 びっくりして志乃がミゾレの首元に引っ付く。

「驚く姿も愛らしいな。このまま落ちぬようしっかりと掴まっておれ」

 ミゾレは満足した様子で笑んだあと、志乃を抱えたまま彼の言う家へと向かって歩き出した。
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