人生のゴール

鳥柄ささみ

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人生のゴール

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 結婚したらそこがゴールだと思ってた。
 だって、いつも御伽噺では主人公が結ばれたらめでたしめでたしで終わるし、結婚式だって幸せな姿を見てお祝いして「はい、おしまい」じゃない。
 今までだって、入学して卒業して、大会で入賞したり資格を取ったり、目標の先には必ずしも成功や失敗があり、それはつまりスタートの先にはゴールがあったといっていいだろう。
 それが私にとって当たり前だったから、気づかなかった。

 結婚にゴールはないのだと。

 職場で出会った取引先の彼と結婚して、彼の転勤に合わせて仕事を辞め、専業主婦になり、子供も産まれ、はたから見たら幸せな順風満帆な家庭であるように見えるだろう。

 でも実際は違った。

 家事育児は全部丸投げで、ワンオペ状態。
 帰宅後や休日に夫に話かけようものなら「疲れてる」「それ今しなきゃいけない話?」と聞く耳を持ってくれない。
 最初こそこの生活ではダメだ、どうにかしようと試みて反論するも、「誰のおかげで飯が食えていると思ってるんだ!?」と言われ、挙げ句の果てには「どうせ息子と家でぐうたらしてるだけだろ? だったら俺が子供の面倒見るから、俺と仕事変わってくれよ。は? 何、できないの? だったら文句言うなよ」と言われて目の前が真っ暗になった。

 どうしてこうなってしまったのだろうか。

 交際時は優しかったはず、と昔のアルバムを引っ張り出してくるとそこには今では思い出せないほど眩しい自分の笑顔があった。

 苦しい。

 幸せになるはずだったのに、どうしてこんなことになってしまったのだろう。
 考えても考えても理由がわからない。
 息子が悪いことしたり、成績が悪かったりしたら全部私のせいと詰られ、逆にいいことをしたり、成績がよかったものは全部俺の血筋のおかげだ、と見下される。
 毎日必死に育てていた息子はいつのまにか夫と同じようなことを言うようになり、「何で母さん働かないの?」「父さんの寄生虫じゃん」と反抗的な態度や暴言を吐くようになった。

 私のこの結婚生活のゴールはどこなの……?

 明るい未来が待っていると期待していた結婚式。
 転勤に合わせて仕事も辞めてしまってブランクがあり、転勤続きで友達とも疎遠になってしまった。
 息子はガミガミと叱る私よりも、甘やかす夫のほうについて、一緒になってバカにされて見下される。


 それが脆くも崩れ去った今、私にはもう何もなかった。

 いっそ死んでしまおうか、と思ったこともあった。
 誰にも望まれていない存在ならば、いっそ消えてしまおうかと。
 そう思って、どうやって死のうかと考えたとき、最善策が何もないことに気づいた。
 手首を切っても痛いし、首を括っても苦しい。
 飛び降りだって、飛び込みだって絶対に痛いだろうし、下手したら誰かを巻き込んでしまうかもしれない。
 そうぐるぐるぐるぐると考えたときに、ふと気づいた。

 何で私、ずっと受け身だったんだろうと。

 思えば結婚から、言われたままの人生を歩んでいた。
 親から言われたとおりに結婚して、夫に言われたとおりに仕事を辞めて転勤についていき、周りに促されるままに妊娠して出産して。
 結婚前後から今までの選択に自分の意思はあったかと聞かれたら、いずれも答えはノーだった。
 結婚するまでは、自分で学校を選び、自分で部活や習い事、委員会活動やバイトなど好きなように選んでいた。
 たまに失敗することもあったけど、それはそれで自分の選択だからと受け入れた。
 だが、今は違う。
 これは私の望んだものじゃない。
 ……だったらどうするべきか。

「新しいゴールを作ろう」

 そこからは毎日が生き生きしていた。
 私はどんどんと自らゴールを作った。
 転勤でも有利になる資格を探し、短いスパンでも就職できるように資格を取り、就職先を見つけ、家事を疎かにするなという夫を説得して働き始めた。
 忙しくても、苦しくても、自らが設定したゴールへと突き進むのは楽しかった。
 いつか終わりが来る、そう信じて私は自分の作ったゴールに向かって突き進んだ。


 ◇


「ようやく肩の荷が降りたな」
「えぇ、そうね」

 今日は息子の結婚式だった。
 息子は相変わらず夫には愛想を振りまいていたが、私につっけんどんな態度をとっていた。
 というのも学生時代は寄生虫だと罵っていたにも関わらず、私が就職してからは自分で自分のことをする機会が増えたことに腹を立て、「母親のくせに」と詰り続けていたからだ。
 それでもこれが最後の務めだと私はニコニコと振る舞い、母親としての仮面を被り続けてきた。
 でもそれもやっと今日で終わりだ。

「やっとゴールできた……」

 長い長い旅だった。
 最初は行き先もわからないほど真っ暗だったが、それも今日やっと終わりなのだと思うと涙が溢れてくる。
 それを息子の結婚に感動したと思われたのか「あぁ、親としてのゴールだな」と同調する夫。
 それを聞いて、心が冷めるのを感じた。

「何を言ってるの? 私達の関係のゴールよ」

 そう言って突き出したのは離婚届だった。
 自分のサインは済ませてあるそれを、夫の目の前に掲げる。

「は? 急に何を言ってるんだ」
「私の人生のゴールに貴方はもういらないの。だから、夫婦としてのゴールは今日。息子が結婚した今、これでおしまい」
「はぁ!? な、何を言ってるんだ! これから親の介護だってあるってこの前言ってただろ!」
「知らないわよ、そんなの。私はするつもりないし、返事もしなかったでしょう? そもそも、介護なら大好きなアケミちゃんにしてもらえば?」

 私が女の名前を出せば、今まで見たこともないようなくらい目をひん剥き、驚いている夫の顔は滑稽だった。

「私が知らないとでも思ったの? 結婚前から付き合ってたんでしょう? まさか隠し子までいただなんて。そりゃあこっちの家族はおざなりになるわよねぇ」
「いや、それは違う。誤解だ……っ」
「誤解? しょっちゅう出張だ休日出勤だって言ってたけど、全部嘘だったんでしょう? ふふ、びっくりよね。それをまるっと信じてた私が。本当アホらしい」

 夫の浮気に気づいたとき、自分なりに夫に愛想を尽かしていたつもりであったが、それでも少なからずショックを受けていた自分に驚いた。
 それと同時に、ちゃんと自分は夫のことを愛していたのかと気づき、複雑な気持ちになった。
 だが、それももう終わりだ。

「私の第二の人生に貴方はいらないの」
「なっ! まさか、お前も浮気してたのか……!?」

 見当違いなことを言い出す夫に笑いすら起きなかった。
 この人はそんな低俗なことしか考えられないのかと思うと、ひどく悲しい気持ちになった。

「本当に私のこと微塵も見ていなかったのね。そう思うなら好きなだけ調べてもらって結構よ。新しいゴールには、私一人で十分。もう一生結婚なんかするつもりはないから」

 そう吐き捨てると、ギャアギャアと夫が喚いているのが聞こえるが、あえて聞こえないフリをして部屋を出る。
 がらんどうになった家の状態にも気づかない夫に対して本当に愚かだと思いながら、私は身一つでそのまま新たに契約した賃貸へと向かった。

「今日はゴール。そして、新しいスタートね」

 新しく自分だけの人生が始められると思ったら、年甲斐もなくワクワクしてくる。

「せっかくだし、美味しいワインでも買っていこ」

 そして私は「今日は第一の人生のゴール記念日だ」と普段買わないお酒を奮発し、一人で祝杯をあげるのだった。
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