緋の英雄王 白銀の賢者

冴木黒

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なかったはずの未来

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 男は息絶えていた。呼吸をしておらず、脈がない。どれだけ呼びかけても反応がない。
 胸の、心臓のある辺りに穴があいていて、たぶん即死に近かったのだろうと思う。
 すぐさまやってきて動かぬ男の体に触れた山吹に、ルフスは少しだけ期待したが、彼女は黙って首を横に振った。グルナはその後ろで立ち尽くし、胸を押さえて痛ましいような顔になり俯く。
 身体にできた、いくつもの穴からは、まだ血が流れ続けていた。
 ついさっきまで生きていたひとが、それも親しい誰かが目の前で死ぬのは、ルフスにとって初めての経験だった。どうしてだか思い切り叫んで走り回りたいような衝動が湧き上がったが必死に堪える。腰のベルトに結わえた巾着の中から小さな紙包みを取り出す。

 可愛い花模様の紙に包まれたガラス玉。

 それを、大切な叔父であったその人の手に握らせると、ルフスは静かな声で己の剣を再び呼び出した。
 立って歩き、無我夢中で片割れに回復魔法を施すコロネの横で立ち止まる。
 剣の切っ先をコロネに突きつけて言う。

「アンノウンの所へ、連れていけ」

 傷口にかざしていたコロネの手から光が消えて、クッと喉で笑う声が聞こえた。
 コロネは無言のまま右腕を持ちあげる。まっすぐに伸ばされた腕の先、彼女の人差し指が示す方向に大きな渦が生まれた。

「行きたいなら行くがいい。どうせ、覚悟も何もないお前のようなひ弱な人間ごときが、あの方に敵うはずもないわ」

 深い憎悪に満ちた言葉も、ルフスの胸には響かない。
 ただ冷めた目でコロネを見下ろし、視線を据えたまま背後に向けて言った。

「グルナさん、そのひとをどうかお願いします。山吹も」
「私も共に参ります」

 機先を制して山吹が言い、ルフスは彼女の意思を尊重し、口にしようとしていた言葉を飲み込んだ。
 ルフス、山吹と順に飛び込んだ後、渦は消えた。
 グルナが、なんだか疲れてきったような声で言った。

「その子、うちに運びなさい。寝床くらいなら貸してあげる。薬が必要なら、少しくらいは置いてあるわ。そんな大層な怪我に役に立つかはどうかわかんないけど……」

 しばしの沈黙があって、それから返答があった。

「……何が目的?」
「別に? 何も?」
「理解できない……どうかしてるわ」
「大事な人が傷ついて泣いてる子がそこにいるのに、見なかったふりするのは気分が悪い。それだけよ……」

***

 天井が高く、広い部屋だった。白い石の柱と床で、部屋の中心に細長い赤の絨毯が敷かれている。
 恐らく、ルフスが一生、この先も足を踏み入れることのないような場所。
 けれど記憶の中に残っているその場所。
 ルフスの前世である王の、ロッソの記憶。
 絨毯が繋ぐ、広間の突き当りに見える玉座。そこに頬杖をついて座る者の姿に、ルフスは驚愕し怯む。

「ティラン……」

 半信半疑で、警戒を解かず前に進み、数段高く造られたそこを見上げる。
 微笑むティランの足元に何かの塊が見えた。
 ティランはふっと笑みを零すと、それを思い切り蹴り飛ばした。大きな塊はごろごろと階段を転がり落ちてきて、ルフスはその正体を確かめ、息を詰める。

「この身体を手に入れるまで、長かった。春の姫君よ、おまえはそれまで器として隠れ蓑として立派に役割を果たしてくれた。最後に情けをくれてやろう。別れの挨拶でもしてはどうだ、愛しくも憎きおまえの陛下がそこにいらしている」

 頭が動いて、乱れた髪の間から暗い眸が覗く。
 か細い声が言う。

「へい、か……」
「おれは、ロッソじゃない」

 ルフスはその場から動かず、見下ろしながら言った。

「でも、おれの中にあるあの人の記憶を、あんたが呼び起こした。だから知ってる。あの人は、あんたのことをちゃんと想ってた。大切に、想っていたんだ」
「うそよ。あの人はだって、一度だってわたくしのことなど、見て、いなかった……」
「ティランに色々相談してた。異国のあんたが、慣れない土地に来て心細いだろうからって、どうすればいいかとか、どうすれば喜んでもらえるかって……そしたらティランが、こうしたらいいんじゃないかって教えてくれて。あんたが花が好きだっていうから、それならって」

 庭の片隅に、セラフィナの故郷にある花を植えた。
 公務の合間に、ロッソが自ら土を弄って。臣下の老爺には叱られながら、それでも春になった時に、セラフィナの喜ぶ顔を見られることを願って。
 有能でとても強い王様なのに、ちょっと不器用な人なんだと、ルフスは思った。
 だからこそ親しみがあって、周りの人々に愛されていたんだと。
 でもその結果、セラフィナとの間にはすれ違いが生じて、不幸を招いてしまった。だから本当は、彼女に何かしてあげるとか、それよりも前にもっと大切なことがあったんじゃないかと思う。
 セラフィナと、もっと話をしていればよかったんじゃないだろうか。お茶をしたり、一緒に庭を歩くだけでもいい。何かもっと、一緒にいる時間があったなら。
 もっと変わっていたのではと、考えられずにいられなかった。
 もう、どうしようもない過去のことだけれど。

「そんなこと、」

 セラフィナが苦しい息の中で呟く。

「そんなこと、今更聞かされて、どうしろというのよ……わたくしは、あなたともっと、仲良くなりたかった、もっと、いろんな話がしたかった、あなたのことをもっと知りたかった……それだけなのに………でも、それならせめて」

 力のない緑色の目から涙があふれて零れた。

「……もっと早くに、知りたかった………」

 言って、セラフィナはそのまま動かなくなった。


「おまえのせいだよ」

 頭上から声が降ってきた。
 声には嘲笑が含まれている。

「おまえの剣、その光が彼女を殺した。闇に染まり切った体にとって、光に貫かれた傷は致命傷となる。けれどその女も本来はただのヒトだ。つまり英雄王様とて所詮はただの人殺し」
「だまれ」

 吐き出すように、ルフスが言った。一段一段、階段を昇り、距離を詰めていく。

「返せ。その身体は、ティランのものだ」
「嫌だといったら? この身体も斬るか? そこの哀れな女のように殺すか? ああ、悲しいなあ、これも英雄のさだめと唯一無二の親友の命をその手で奪うというのか」

 芝居がかった口調でティランは言い、ルフスが足を止める。
 背後で山吹が言った。常にない、強く張った声だった。

「惑わされてはいけません! 光の剣には闇を切り離す力があります。セラフィナ王女の場合は、長い時の中で身も心も闇に染まりきっていたために、光の力によって滅びましたが、ティラン殿はまだ体を奪われ、さほど時間が経っていない。今ならまだ十分に間に合うはずです!」

 憎々し気に舌打ちを漏らし、玉座から立ち上がったティランは突風を起こして、ルフスと山吹を弾き飛ばした。
 ルフスは全身を打ち付けて意識を失い、山吹は術で咄嗟に身を守って難を逃れる。
 ティランは自分を中心に風を渦巻き、強力な防壁を作った。その風は更にどんどん強く大きくなって、広間全体に達し、ルフス達を巻き込もうとしたが、すぐさま山吹が印を結んで結界を張る。
 山吹とルフスの周囲に半球体の空間が生じ、山吹は苦しい表情で呼びかけた。

「水鏡殿、いらっしゃるのでしょう? 水鏡殿!」
「騒ぐな。お前らしくもない」

 水鏡が現れ、倒れるルフスの横に片膝をついた。

「どうにかなりませんか!?」
「なるならどうにかしてる。妖力と魔力が合わさると、前にも言ったが厄介なんだよ。かといって確かにこれは生身の状態じゃあいつに近寄れねぇ。山吹お前、なんか修行とかしてたんじゃねぇのかよ」
「人に憑りついた悪霊や、妖を札に封じ込める術を! 先程、密かに試みましたが、」
「付け焼き刃の力じゃ無理ってか、いやそれ以前の問題だな……」

 ティランの魔力は、アンノウンにとって粘着性の強い接着剤のようなものだ。
 それを引き剥がそうとするのは、祓い屋の技を以てしても敵わないらしい。

「肉体のない水鏡殿であれば近づくことはできるのではないのですか!? 憑りついて、ティラン殿の精神に直接干渉すれば」
「あー……」

 水鏡は二本の指でルフスの額に触れて、何事か短く呟く。
 すると僅かな間があって、ルフスの全身が輝き、その後で床に横たわっていた彼の身体は消えた。代わりに水鏡の姿がルフスのそれに変化する。水鏡の前に白い靄が現れ、すっと消えて、次に風が止んだ。
 玉座の近くに、ティランがうつ伏せに倒れていた。
 近づき、その身体に触れて、いくつかの魂の存在を感じ取る。ルフスが上手くティランの中へ潜りこんだのだと、山吹はすぐに理解した。そしてアンノウンは、それを阻むために動いたのだと。

「水鏡殿」

 後ろからやってきた水鏡に向けて、山吹は言った。

「ルフス殿とティラン殿が無事に戻られたら、どうか私に力をお貸しください」

✴︎✴︎✴︎

 透明度の高い、輝く青に囲まれた世界。よく見ると、所々の内側に気泡のような小さな粒がいくつもあり、それが見える壁面は白色だった。表面はつるつるしていて、ルフスはそれを氷であると認識する。
 けれど寒さは全く感じられない。
 奥へ。
 奥へ。
 入り口も出口もあるわけでもないのに、足を動かす度に、深い場所へ進んでいる。そんな気がする。
 ここは美しくて、寒くはないけれど、寂しい場所だと、なんとなく思った。
 進むうちに、辺りの様子が変化した。左右の青白い氷壁の向こうに、閉じ込められた景色があって、それはまるで絵画のようであった。中にはルフスも知るものもあった。ごく最近目にした光景も。知らないものもいくつもあった。その中に、ロッソとセラフィナの姿を見つける。
 恐らく、これらは全てティランの記憶なのだとルフスは思って、その意味に気づいた。
 凍り付いた記憶。
 ここはティランの中で、つまりそれは、ティランの意思によって行われたことだ。
 ルフスは立ち止まって、大声で言った。

「ティラン!! ティランどこだ!?」

 ルフスの叫びは反響することもなく、氷に吸われて消えた。
 どこからか、別の声が返ってきた。

「やめてあげなよぉ。かわいそうだろぉ?」

 ルフスは顔を険しくして、剣を喚んだ。
 せせら笑う声が聞こえて、その後に言葉が続いた。

「悲劇は起こらなかった。望む未来に。コイツの魂は今、幸福の中にいる。それなのに現実を突きつけて、目を覚まさせようだなんて英雄殿はなんて残酷なんだろうねぇ」
「アンノウン! 姿を現せ!」
「けひゃひゃひゃひゃ、現わすかよバーカ。殺る気満々の奴の前にだぁれがノコノコと。なあぁ英雄様よぉ、あんたは英雄どころか疫病神じゃあないのかい? あんたの周りの人間は、気の毒なやつばっかりだ。あんたのせいでどれだけの人間が不幸になった? 傷ついた? あの姫君も、あんたを慕う国民も」
「ちがう! おれは……」
「あの王とは別だと? まあそれならそれでいいだろう。だがどうだ、今世でも。思い出してみろよ。旅の途中で出会った親切な魔法使いも、大事なおじさんも、そしてこの身体の持ち主も。お前さえいなければ、だぁれも傷つかなかったんじゃないのか? ん?」

 激情に、目の奥が揺らぐような感覚があった。腹の底が煮えるようだ。
 俯いて一度目を閉じ、短く息を吐いて、顔を上げる。
 緋色の瞳は怒りに燃えて輝いていた。

「そうやってアンノウン、お前がみんなの人生を滅茶苦茶にしたんだ。傷を抉って広げて、そこに甘い言葉を吐いて……ティランのことも、そうやって心を弱らせてのっとったのか?」
「へえぇ!」

 アンノウンが素っ頓狂な声を上げて、それから言う。

「全部自分のせいじゃないっていうんだぁ? そういうの責任転嫁っていうんだぜぇ? こっちはちょっと背中を押してやっただけ」
「黙れ、お前の口車には乗らない」

 こういうことはやった奴が一番悪いんや。おまえはあいつらの恨みを買うようなマネを何かしたか? そうやないやろ。あいつらが、おまえのことを狙ったんは、あいつらの勝手な都合や。おまえに落ち度はない。ええか? おまえは悪くないんや。
 胸に残るティランの言葉。
 背中を押すというのは、こういう温かい言葉のことを言うんだと、ルフスは知っている。
 ルフスはもう一度、声の限り叫んだ。

「ティラン!!」


***


 空の水色。雲は白くて、光の当たらない部分は影ができている。夕暮れ時になれば、強い陽光に輝き、薔薇色に染まる。
 庭の緑。瑞々しい若い葉のにおいが、花の甘いかおりが、風に運ばれてくる。土は温かくて、しっとりとしていて、柔らかい。土の栄養と陽光の恵みを受けた花々は、鮮やかな彩りを地上に添える。
 世界は、色に溢れているのだと知った。
 自然の温もりがこんなに心地よいものだと初めて感じた。
 何もかもが、生まれ育った国とは異なるのだと実感した。

「ティーエー!」

 窓の外から呼ぶ声に、書き物の手を止めて、バルコニーに出る。下を覗くと、ロッソが手を振っていた。手には作業用の手袋をはめていて、服装も庭師のものを借りている。一国の王にはまるで見えなかった。

「悪いけど、ちょっと降りて来てくれ! 見てほしいんだよ、多分虫かなんかだと思うんだけど、葉っぱの一部黒くなってて」
「専門外や。庭師に頼れ庭師に」
「いやみんな忙しいしさ」
「おれかて忙しいんや」
「ティーエは国でこういう植物の研究とかもしてたんだろ。土の改良とかそういうの。いいから一回見てくれよ」
「ったく……」

 インク壺の蓋を閉めて、日記帳を閉じると、ティエンランは部屋を出て行く。
 長らく外界から隔絶状態にあったエストレラは、ここ数年の間に他国との交易を再開した。特にアルナイル王国とは概ねいい関係が築かれていて、ティエンランは勉学の為、数月ほどアルナイルに滞在した。アルナイルの王、ロッソはティエンランと年が近く、まるで古くからの親友のように、気安さと親しみを持って彼らは互いに接した。留学期間は当初の予定を過ぎていたが、ロッソがもうすぐ妃を迎えるから、エストレラの代表としてティエンランが式典に出ることが決まり、滞在期間をそのまま延長することになった。
 ロッソから相談を受けたのは、半月ほど前。ロッソの伴侶となる予定の、隣国の姫君を紹介された後の夜のことだ。
 他国に来て心細いだろう彼女のために、自分が何かしてあげられることはないかと。
 それでティエンランは、一つの提案をした。
 それならば春の姫君と呼ばれ、花を愛する彼女ために、彼女の国の花を庭に植えてはどうかと。
 ロッソは姫君が特に好むという花の苗を庭の一角に植えて、世話をしていた。
 廊下の途中で、セラフィナとすれ違った。セラフィナは清楚に微笑み、会釈をして立ち去った。その微笑みはどこか、ティランの目に寂しげに見えた気がして、呼び止めようと振り向いたが、彼女は足早に廊下の角に消えた。
 外に出て、ロッソについて庭を歩く。ロッソはにこにこと笑いながら言う。

「悪いな、今度ティーエの資料整理とかあったら手伝うからさ」
「やったらこの後、図書室に戻す本持って行って返しといてくれ」
「いいけど、あんまり溜め込むなよ。前に持ち出した本を返してから、次の本持って行ってくれって、おれが叱られたんだけど」
「何度も持ち出しやこうしとらん。一度に十冊ほど借りただけや」
「一気に持ち出したらいいってわけでもないからな」

 短く息を吐いてロッソが言い、ティエンランはフンと鼻を鳴らす。
 話すうちに、庭園の片隅に辿り着き、ロッソはこれこれと言いながら、石の囲いの傍にしゃがみ込む。

「これ、見てくれよここのとこ。なんか元気なくって」
「ああ……」

 ティエンランは隣にしゃがんで、指で葉に触れる。
 葉には虫に食われた跡があり、一部黒くなっていたが、苗全体に萎びた印象があった。

「気候の、僅かな違いかな。この花はこの土地に合わんのかもしれん」
「気候、それほど違いなくないか? だってすぐ隣だぞ」
「植物はお前さんと違って繊細やからな。けどこのままじゃ花も可哀想やからな、わかった、おれも協力したる。ちょっとだけ時間くれ」
「ありがとう。助かる」
 
 ロッソの明るい笑顔に、ティエンランはふと思い出す。
 
「なあ、ロッソ。セラフィナ王女のことやけど、」

 控えめで、寂しいようなあの微笑み。

「お前さん、あの姫さんとちゃんと話しとるか?」
「え?」
「いや、本当は……求められてもいないのにおれが口出しするのはどうかと思うんやけど……」

 この、花を植える計画は、ティエンランが持ち掛けたものだけれど。これはこれで、きっと姫君は喜ぶだろうと思うけれど。
 今の彼女に真に必要なのは、そんなことではないんじゃないかと、あの微笑みはティエンランの中に疑問をもたらした。

「これはこれでええんや。でも、」

 慣れない土地で、元気がないのはこの花だけではない。
 彼女も同じだ。
 だったら、今すぐ、彼女を元気づける存在が必要なのではないか。
 それは他ならないロッソの役目であるのではないか。

「それよりもあの姫さんとの時間、もうちょっと作った方がええんやないかな。公務が忙しいのもわかるし、こうしてお前さんが密かに彼女を喜ばせようとしとるのも理解しとる。お前さんは妙なところで不器用やから、何を話していいのかもようわからんって言うかもしれん。でも、なんでもええんや。好きな食べ物のことでも、その日の天気の話でも。それで少しずつでも相手を知っていって、そうすれば自然と話も弾むようになるんとちがうかなって……」

 ロッソはうんと頷いて、笑った。

「ありがとうティーエ。そうだな、おまえはやっぱりすごい奴だ。そうしていつも、おれの背中を押してくれるんだ」
「お前さんは、肝心なところで不甲斐ないから」

 ティエンランも笑う。
 ああ、こうすればよかったんだ。
 心の隅でそう呟く、今の自分とは別の存在の声を、ティエンランは必死に聞こえないふりをする。
 ロッソがふと笑顔を引っ込めて言った。

「ティーエは、今悩んでることとかないか?」
「ねぇよ。なんや、急に」
「そうか」

 ロッソは立ち上がり、穏やかな表情で言う。
 ティエンランは花壇の前に膝をついたまま、ロッソを見上げる。

「今からでも、姫と話をしてくるよ。お茶でも飲みながら、何か足りないものや困りごとはないか、聞いてみる」
「ああ、行ってこい。こっちのことは任せといてくれ」


 部屋に戻り、様々な本を読み漁る。植物に関するもの、各土地の気候に関するもの、園芸に関するもの。気が付けば夜が更けていて、軽く腹を満たしてから、ベッドに入って眠った。
 夢を見た。
 ここ最近毎日のように見る、悪い夢だ。奇妙に現実感があった、起きた時いつも鮮明に記憶に残っていた。
 たかが夢だと、思い込む。
 この未来はなかった。
 なかったのだと。

「ティラン!!」

 夢の中の人物が叫ぶ。気迫に満ちた声だった。
 声が響く。
 現実感を伴って。
 耳を塞いでも、脳に、心に直接届くように。

「目を覚ませティラン! 迎えに来た!」

 赤い眸が、怒りに燃えている。まだあどけなさが少しだけ残っているけれど、凛々しい眉の両端を吊り上げて。いつもは穏やかで優しく、邪気のない目が、怒りで歪んでいた。
 いけないと、ティランは無意識に思った。
 怒りで我を忘れてはいけない。感情に振り回されてはいけない。
 お前はお前だから強いんだ。
 だからおれはあの時、お前はお前のままいるのが役目だと、そう言った。
 輝く赤い髪と瞳の男はまだ何か訴え続けている。

「わかってる、ティランにとって現実は、望まない未来だったんだ。本当は、国も妹も全部無事で、王様と出会って、あのお姫様と王様が上手くいって、そんな未来がよかったよな。わかるよ。現実はいつだって酷くて、無残だと思う。
 そして今おれのしようとしていることは、ティランにとって、残酷で、望まないことなんだろう。
 でも、ごめん。嫌なんだ。

 このままなかったことにされるのは。
 なければよかった未来にされるのは、なんか、なんていうか、すっげぇ腹立つ。

 だから、

 一緒に戻ろうティラン!! 残酷で優しくて、美しくて醜い世界に!!」
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