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野営
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風がなく、月は雲に隠れていた。
夜の闇の中。
もやもやとした白いものがゆっくりと近づいてきた。
曖昧で不安定な輪郭だが、かろうじて人の形を成しているのがわかる。
危険だと、脳の本能に近い部分がそう告げる。
だが声が出ない。そしてどういうわけか、そいつから目が離せず、動くこともできなかった。
気が付けば、すぐ目の前にそいつがいた。
ぞわりと全身が総毛立つ感じがあって、背骨を氷の棒にすり替えられたような気がした。
そいつには顔などないのに、どうしてだか笑っている気がした。
白いものが言った。
「 」
***
ガドール・フォセ。
ばっくりと大地に開いた大きな穴。その昔、英雄と呼ばれた王が闇の者を封印した場所であると言い伝えられている。
アルナイル王城跡地よりも更に東、荒野の中心に開いたその大穴に、探し求める英雄王の剣はあるのだという。
神の遣いである山吹がそう言った。
だからルフス達は今、メルクーアから南東に向かって進んでいる。
預かった馬がいるが、三人乗ることはできないから、移動は徒歩だ。
途中野営をすることになった。火を起こし、携帯食料を摘まみながら、ティランが地図を開いて確認する。
「この先に村があるな、歩いて半日ほどか。おい、目指しとるんは王城から東のこの辺りやったな」
「はい」
横から覗き込みながら、山吹は短く頷く。
ティランは地図上に指を滑らせながら言う。
「そしたらこの村に寄って、そこから東に向かう……村で、ちょっと色々買い足しとくか。またこの先は人里もなさそうやしな」
「でしたら、こちら側の道を行くのはどうでしょうか? やや遠回りにはなってしまいますが、ここに街があるようです」
「ああ、なるほど。それでええな、ルフス?」
話に入ってこようともせず、ぽそぽそとパンを齧っていたルフスにティランが声を投げた。
ルフスは顔を上げ、気のない返答をする。
「あ、うん……」
そうしてふらりと立ち上がり、木に繋いだ馬のところへ行ってしまう。
その背中を黙って見つめる山吹に、ティランが言う。
「放っとけ、あいつでも考えたいことくらいあるんやろ」
「………」
「それよかおまえさんに聞きたいことがあるんや」
山吹は視線を動かしただけで、何も言わず頷きもしない。ただティランの言葉を待っているように見えた。
ぱちっと音がして、火が爆ぜる。橙色の小さな火の粉が舞って消える。
「おまえさんは、神の遣いなんやろ? だとしたら……ひょっとしておれのことも何か知っとるんやないか?」
山吹はあくまで英雄王の生まれ変わりであるルフスの補佐役であり、案内人だ。ティランはただルフスと偶然に出会い、成り行きから共に行動していただけの、ルフスとは違って記憶喪失で身元の不確かな人間だ。
だが、妖魔の双子の狙いはティランだった。賢者様とあの女は言っていた。
底知れない魔法力があって、この現代では稀有ともされる古代魔法によって見た目を変えられていて。
考え過ぎだろうか。
本当に偶然なのか。ルフスと出会ったことさえも、何か意味があるのではないのか。
疑念がわく。
それともただの期待だろうか。
もし自分がルフスに因縁があるならば、山吹は自分のことについても何か知っているかもしれないという、希望的観測にすぎないのだろうか。
「私は、ルフス殿を剣の元まで導き、お守りするために生み出された者です。その為に必要な知識と力を与えられはしましたが、それ以外のことは何もわかりません」
「そうか……」
それはそうかと思いながらも、やはりがっかりしてしまう。
俯くティランの額に、山吹が触れた。
「ティラン殿の記憶は、僅かずつではありますが戻っているはずです」
「どういうことや」
「ティラン殿の記憶が失われた原因は、おそらく過去に強い力を受けた反動によるもの。つまりは薬の副作用と同じようなものですが、時間の経過と共に凍り付いた記憶も融け始めているようです。焦らずとも、近いうちにすべて思い出されることでしょう」
山吹の、温度の低い指先が離れる。
強い力を受けた反動。
それはあの姿を変える魔法の話だろうか。
強い魔法の反動については聞き覚えがあるようにも思う。ただ変化の魔法は、ましてや髪と瞳の色を変える程度のものは、それほど強力ではないはずだ。
考え込むティランに、山吹が問う。
「真実を知るのが恐ろしいですか?」
「ようわからん……」
目を細めて焚火を見つめながら、ティランは呟く。
少しの間沈黙があって、山吹が言った。
「私が火の番をいたします。お二人はお休みください」
ティランはすぐさま首を横に振る。
「いや、おれが起きとる。今はどうにも眠れそうにないからな。おまえさんたちが先に休んでくれ」
一度考え事を始めると止まらない。
冴えた脳はなんらかの答えを得るまで満足しない。
それがティランの、昔からの悪い癖だった。
夜の闇の中。
もやもやとした白いものがゆっくりと近づいてきた。
曖昧で不安定な輪郭だが、かろうじて人の形を成しているのがわかる。
危険だと、脳の本能に近い部分がそう告げる。
だが声が出ない。そしてどういうわけか、そいつから目が離せず、動くこともできなかった。
気が付けば、すぐ目の前にそいつがいた。
ぞわりと全身が総毛立つ感じがあって、背骨を氷の棒にすり替えられたような気がした。
そいつには顔などないのに、どうしてだか笑っている気がした。
白いものが言った。
「 」
***
ガドール・フォセ。
ばっくりと大地に開いた大きな穴。その昔、英雄と呼ばれた王が闇の者を封印した場所であると言い伝えられている。
アルナイル王城跡地よりも更に東、荒野の中心に開いたその大穴に、探し求める英雄王の剣はあるのだという。
神の遣いである山吹がそう言った。
だからルフス達は今、メルクーアから南東に向かって進んでいる。
預かった馬がいるが、三人乗ることはできないから、移動は徒歩だ。
途中野営をすることになった。火を起こし、携帯食料を摘まみながら、ティランが地図を開いて確認する。
「この先に村があるな、歩いて半日ほどか。おい、目指しとるんは王城から東のこの辺りやったな」
「はい」
横から覗き込みながら、山吹は短く頷く。
ティランは地図上に指を滑らせながら言う。
「そしたらこの村に寄って、そこから東に向かう……村で、ちょっと色々買い足しとくか。またこの先は人里もなさそうやしな」
「でしたら、こちら側の道を行くのはどうでしょうか? やや遠回りにはなってしまいますが、ここに街があるようです」
「ああ、なるほど。それでええな、ルフス?」
話に入ってこようともせず、ぽそぽそとパンを齧っていたルフスにティランが声を投げた。
ルフスは顔を上げ、気のない返答をする。
「あ、うん……」
そうしてふらりと立ち上がり、木に繋いだ馬のところへ行ってしまう。
その背中を黙って見つめる山吹に、ティランが言う。
「放っとけ、あいつでも考えたいことくらいあるんやろ」
「………」
「それよかおまえさんに聞きたいことがあるんや」
山吹は視線を動かしただけで、何も言わず頷きもしない。ただティランの言葉を待っているように見えた。
ぱちっと音がして、火が爆ぜる。橙色の小さな火の粉が舞って消える。
「おまえさんは、神の遣いなんやろ? だとしたら……ひょっとしておれのことも何か知っとるんやないか?」
山吹はあくまで英雄王の生まれ変わりであるルフスの補佐役であり、案内人だ。ティランはただルフスと偶然に出会い、成り行きから共に行動していただけの、ルフスとは違って記憶喪失で身元の不確かな人間だ。
だが、妖魔の双子の狙いはティランだった。賢者様とあの女は言っていた。
底知れない魔法力があって、この現代では稀有ともされる古代魔法によって見た目を変えられていて。
考え過ぎだろうか。
本当に偶然なのか。ルフスと出会ったことさえも、何か意味があるのではないのか。
疑念がわく。
それともただの期待だろうか。
もし自分がルフスに因縁があるならば、山吹は自分のことについても何か知っているかもしれないという、希望的観測にすぎないのだろうか。
「私は、ルフス殿を剣の元まで導き、お守りするために生み出された者です。その為に必要な知識と力を与えられはしましたが、それ以外のことは何もわかりません」
「そうか……」
それはそうかと思いながらも、やはりがっかりしてしまう。
俯くティランの額に、山吹が触れた。
「ティラン殿の記憶は、僅かずつではありますが戻っているはずです」
「どういうことや」
「ティラン殿の記憶が失われた原因は、おそらく過去に強い力を受けた反動によるもの。つまりは薬の副作用と同じようなものですが、時間の経過と共に凍り付いた記憶も融け始めているようです。焦らずとも、近いうちにすべて思い出されることでしょう」
山吹の、温度の低い指先が離れる。
強い力を受けた反動。
それはあの姿を変える魔法の話だろうか。
強い魔法の反動については聞き覚えがあるようにも思う。ただ変化の魔法は、ましてや髪と瞳の色を変える程度のものは、それほど強力ではないはずだ。
考え込むティランに、山吹が問う。
「真実を知るのが恐ろしいですか?」
「ようわからん……」
目を細めて焚火を見つめながら、ティランは呟く。
少しの間沈黙があって、山吹が言った。
「私が火の番をいたします。お二人はお休みください」
ティランはすぐさま首を横に振る。
「いや、おれが起きとる。今はどうにも眠れそうにないからな。おまえさんたちが先に休んでくれ」
一度考え事を始めると止まらない。
冴えた脳はなんらかの答えを得るまで満足しない。
それがティランの、昔からの悪い癖だった。
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