眩惑の空 夜の宴

冴木黒

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夜の宴

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「十年」

 脈絡もなくカナキが言った。
 なんのことだかわからなくて、エルミネアが次の言葉を待っていると、その前にシオンが返した。

「数日で充分では?」
「ダメだ、そんなちょっと観光にきました程度の期間で愛着が湧くもんか。知らない誰かでもなんとなく知っている誰かでもない、友人を作れ、恋人でも家族でもいい。そうだ、それがいいうん、で、君好みは?」
「なんです、その枷」

 眉を顰めるシオンにカナキがニヤリと笑った。

「手っ取り早くていいだろ」
「嫌ですよ、誰かに強要されて愛する相手を決めるなんて真っ平だ。それに枷というよりは、まるで人質じゃないですか。非人道的です」
「じゃあ十年だ」
「百歩譲って譲って、譲りまくったとして、いいとこ一年ですよ」
「あ、あの、さっきからお二人は何を?」

 エルミネアが困惑しながら割って入ると、シオンが答えた。

「拘束期間の話です」

 即座にカナキが否定する。

「拘束だなんて人聞きの悪い。君たちには少なくとも他人事ではなくなってもらわないと」
「だから、そのためにもこの世界の営みを見せてくださいって言ってるんですよ。何より重要なのはそこに誰かが生きているということをこの目で見て実感することです」
「それでも最低十年は」
「半年!」
「八年!」
「一年!」
「七年!」
「一年半!」

 エルミネアは少しの間そのやりとりを見守っていたが、途中で飽きて冷めたお茶に手を伸ばした。
 シュガーポッドの横の花柄の皿があり一口サイズの菓子を一つ摘まむ。
 ほんのり甘くて、噛み砕くことなく、口の中でとろけて消える。
 おいしい。初めて味わう食感だ。見た目は白くて、クリームを絞り出したような形で小さく角があった。
 名前も知らない。
 今まで見たことのない食べ物。

「アルクトスさん」

 エルミネアが腕をつつき、シオンは振り向く。指先で持った菓子を見せると、シオンが口を開けたので、中に放り込んでやる。
 交渉を中断して、シオンはエルミネアの方を見て言った。

「おいしいですね」
「初めて食べました」
「俺もです」

 エルミネアが笑う。

「ねえアルクトスさん、こんなおいしい食べ物や、他にも見たこともないような面白いものが沢山あるとしたら、全てを知るのに数年はかかりますよ。十年でも足りるかどうか」
「それはわかってるんですけど、嫌じゃないですか自由じゃないのって」
「そうですねぇ。では留学期間ととらえてみては?」

 顎に手を添えちょっと考えて、シオンが言う。

「だったら、せいぜい三年です」
「三年でいかがでしょうか?」

 エルミネアがカナキに向き直る。カナキは拗ねたみたいに唇を尖らせていた。

「……エルが言うなら」
「気に入らないですね」
「ハアァ? 何? 僕の方が随分譲歩してやったじゃん。何が気に入らないっての」

 ムッとした声でシオンが言ったので、カナキが驚いて目を見張った。

「初対面で愛称で呼ぶとか馴れ馴れしいにも程がある。厚かましい」
「私は別にどうでも」

 エルミネアがぼそりと言う。
 カナキが口の端を上げて、嫌味っぽく笑う。

「ほら見ろ、言っとくけど本人が嫌ってんじゃないならセクハラには当たらないんだからな」
「セクハラって何です?」
「セクシュアルハラスメント」
「知らないので教えてください」
「さっきの君の行動とかがそうだよ」

 シオンが本気でわからないといった風に首を傾げ、カナキは呆れた声音で言った。

「あーんってやつ」
「ああ。でも本人が嫌がってないならいいんでしょう?」

 シオンがエルミネアを見やる。エルミネアはまるで気にしていない顔をしていた。

「私は別にどっちでも」
「ほら、やるでしょ結構、友人同士とかでも。そっち一口ちょうだいとか」
「あーうんそうね若者ってそういうノリだったねー」
「お年寄りの発言じゃないですか」

 違和感にシオンが苦笑する。

「君らからしたらお爺ちゃんだろ、年齢的には」
「それすら超越してる気がしますけどね。さて、話がまとまったところで、まずはこのごった煮みたいな街から出してもらえるんでしょうか?」
「せっかちだな。でも正直なとこ、本当はそんなにお勧めではないんだけどね。現代の地上は」

 声に茶化している調子はなく、カナキは少し寂しげだった。
 不安になったエルミネアが質問する。

「地上はどんな様子なんですか?」
「乱立するビル群、電気ビカビカ、品がない。でも娯楽は溢れるほどあるから、飽きることはないかな。ちなみにこの世界では魔法という技術はないから気をつけなね。というより失われてしまったという方が正しいか」
「デンキってなんです? あとビルって?」

 言葉の意味がわからないので、全く想像がつかない。疑問符を飛ばすエルミネアにカナキは微笑む。

「自分で確かめるといいよ。どう感じるかは君らの自由だ」
「カナキさん、あなたは?」

 シオンが言い、カナキは迷わず答えた。

「今までもこれからもここにいるよ。僕は僕の同胞と、それから僕たちと同じく夜の闇を好む者たちと。地上にはもう僕たちの居場所はないからさ」
「なぜですか?」

 シオンは驚いて言った。
 シオンの知る二つの世界では、魔族も妖も、たとえ関わりはなくても、どこにでも当たり前のようにいる存在だった。
 身近で遠い、遠くて身近な者たち。

「この世界では魔法でない技術が発展して、科学的根拠のないものは排除された。魔法も消えた。地上に住むのは人間ばかりだ。夜はあってもないようなもので、地上は人工的な明かりが絶えることなく照らし出す。空の高い場所ですら管理されてて、うっかり姿を見られるようなことがあったら、うるさく騒がれるし、どうにも居心地が悪いよ」
「それでも地上も、空も、世界は誰のものでもありませんよ」

 誰がいてもいいし、いなくてもいい。
 生命体がいなくても、それでも存在し続ける世界だってある。
 昔一度出会ったきりの、いくつもの世界を渡り歩く旅人から聞いた話の中にもあった。全ての命が途絶えてしまった世界の話。そんな世界であっても、魔王はやはり存在するのだろうか。

「事故とか、誰かが危険に晒されるとか、そういう迷惑さえ掛からなければよいのでは?」
「そうだなあ」

 カナキは笑って、顔を下に向けた。

「あえて言うなら世界はあなた自身でしょう。魔王カナキ」

 シオンの言葉が終わると同時に、景色が変わった。
 辺りには何もなくなっていた。地面もなかった。遥か下に雲が広がっていて、背後には大きな丸い月が見えていた。風の音はしていたが、肌に感じない。
 二人に対面する形でカナキが浮いていて、彼の周りにはどんどん異形のものが寄り集まってきた。カナキは両腕を広げ、更に高いところへ浮上しながら言った。

「さあおいで、夜の闇に巣食う者たち。我が同胞。遮るものなきこの空間は誰のものでもなく、我ら魔に属するものも、寄る辺なき魂たちも何に縛られることもない。この月明かりのもとに集い、己の姿を映えさせろ」

 歓喜の声が、夜の空に響き渡った。
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