1 / 5
ナにもノデモ なイも ノ
しおりを挟む
目を開けると、そこは知らない場所だった。どうも自分は今まで地面に倒れて眠っていたようだ。
頭上に広がる枝葉の間には、星の瞬く空が見えていて、月は半分かけていた。辺りは風がなく、葉の擦れる音も生き物の声もしなくて、どこまでも静かだ。
ここはどこだろうか。
夜の森のようだが、それ以外のことはわからない。
起き上がり、あたりを見回す。
自分以外に、そこには誰もいなかった。
途方に暮れる彼の耳に、ぱちぱちという音と笑い交じりの声が聞こえてきた。
「よ~うこそようこそっ!! ここは嘆きと絶望の森! 歓迎するよ、誰でもない君!!」
声と音は上の方からだったので、顔を上げると、さっき見た時には何もいなかったはずの木の枝に誰かが一人腰かけていた。
足をぶらぶらさせながら、愉快そうに手を叩く男。明るい髪と瞳の金色だけが、夜の暗闇の中でもはっきりと知れた。顔は影のせいでよくわからないが、笑っているのだろうことだけは何となくわかる。
「君はこれからこの出口のない森をどこまでもどこまで、宛てもなく彷徨い続けるんだ。ど? 悲嘆に暮れたくなるだろ? 死にたくなるだろ? でもざ~んねん! もう君は死ぬことすら叶わないんだなぁ!!」
あんたは誰だ。
言おうとして、彼は声が出ないことに気が付いた。
男がせせら笑って、言う。
「言ったじゃんさっき、あんたは誰でもないんだって。名前も姿も声も記憶も、なぁんにも持ってない!」
言われた意味をすぐに理解できなくて、彼は何度も男の言葉を頭の中で反芻する。
誰でもない。
なんにも持っていない。
じゃあ、自分は誰なんだ。
その思考を、男の声が邪魔する。
「だぁかぁらぁ、あんた名前は? どこの誰で、年はいくつで、どんな家族や友人がいて、どこで何してた? ね、わからないっしょ? ああ、でも名前がないのはやっぱり不便かなー! ああ、そっか、いーこと思いついた! オレが君に名前をあげよう!! そうすりゃ万事解決、ンフフ、オレってばあったまいー!!」
揺らしていた足の動きを止めて、男は彼をひたりと見据えると言った。
「アンノウン」
ぎらつく二つの金。
その目に射抜かれ、体は縫い留められたように動かなくなる。
「君の名は、アンノウン。何者でもないものという意味だ。ぴったりだろ?」
***
「ひとつ、ゲームをしようか」
男が一つの提案をした。楽しげに。まるで子供のような無邪気な声で、面白い遊びを思いついたとでもいうように。
こちらが喋れないから、ずっと一人で喋り続ける。
「君はこの森のあちこちに落ちている大切な物を拾い集める。大切な物って何かって? それはあんたにしかわからない。だってそれらは全部、本来あんたものもだからさ。どういうことかは、そのうちわかるよ」
時折心を読んだかのように、男は彼の疑問に答えを寄越した。それが不思議だったが、そのことを尋ねる術を今の彼は持っていなかった。
男が両腕を上げ、声高に言う。
「そんじゃ宝探しスタート! 制限時間は夜が明けるまで! ま、ほどほどにがんばってねぇ~!!」
言い終えると同時に、男の姿は影の中へ吸い込まれるようにして消えた。
賑やかな男の声がなくなると、森には再び静寂が戻った。
深い森の中に一人残された彼は、しばらくその場に立ち尽くしていたが、やがておもむろに歩き始めた。
ただそこにいても、何も変わらないからだ。
音のない、夜の森は不気味だった。自分の歩く音すら聞こえない。歩いている感覚、地面を踏みしめる感覚も、あまりない。それでも足を動かせば、景色が流れていく。景色が流れているなら、前に進んでいるということだ。そして前に進んでいるということは、変化しているということだ。
アンノウンという名前。
何者でもないものという意味と、あの男は言っていた。
確かに今の自分に相応しい。自分が何者であるのか、何一つわからない今の自分には。
頭上に広がる枝葉の間には、星の瞬く空が見えていて、月は半分かけていた。辺りは風がなく、葉の擦れる音も生き物の声もしなくて、どこまでも静かだ。
ここはどこだろうか。
夜の森のようだが、それ以外のことはわからない。
起き上がり、あたりを見回す。
自分以外に、そこには誰もいなかった。
途方に暮れる彼の耳に、ぱちぱちという音と笑い交じりの声が聞こえてきた。
「よ~うこそようこそっ!! ここは嘆きと絶望の森! 歓迎するよ、誰でもない君!!」
声と音は上の方からだったので、顔を上げると、さっき見た時には何もいなかったはずの木の枝に誰かが一人腰かけていた。
足をぶらぶらさせながら、愉快そうに手を叩く男。明るい髪と瞳の金色だけが、夜の暗闇の中でもはっきりと知れた。顔は影のせいでよくわからないが、笑っているのだろうことだけは何となくわかる。
「君はこれからこの出口のない森をどこまでもどこまで、宛てもなく彷徨い続けるんだ。ど? 悲嘆に暮れたくなるだろ? 死にたくなるだろ? でもざ~んねん! もう君は死ぬことすら叶わないんだなぁ!!」
あんたは誰だ。
言おうとして、彼は声が出ないことに気が付いた。
男がせせら笑って、言う。
「言ったじゃんさっき、あんたは誰でもないんだって。名前も姿も声も記憶も、なぁんにも持ってない!」
言われた意味をすぐに理解できなくて、彼は何度も男の言葉を頭の中で反芻する。
誰でもない。
なんにも持っていない。
じゃあ、自分は誰なんだ。
その思考を、男の声が邪魔する。
「だぁかぁらぁ、あんた名前は? どこの誰で、年はいくつで、どんな家族や友人がいて、どこで何してた? ね、わからないっしょ? ああ、でも名前がないのはやっぱり不便かなー! ああ、そっか、いーこと思いついた! オレが君に名前をあげよう!! そうすりゃ万事解決、ンフフ、オレってばあったまいー!!」
揺らしていた足の動きを止めて、男は彼をひたりと見据えると言った。
「アンノウン」
ぎらつく二つの金。
その目に射抜かれ、体は縫い留められたように動かなくなる。
「君の名は、アンノウン。何者でもないものという意味だ。ぴったりだろ?」
***
「ひとつ、ゲームをしようか」
男が一つの提案をした。楽しげに。まるで子供のような無邪気な声で、面白い遊びを思いついたとでもいうように。
こちらが喋れないから、ずっと一人で喋り続ける。
「君はこの森のあちこちに落ちている大切な物を拾い集める。大切な物って何かって? それはあんたにしかわからない。だってそれらは全部、本来あんたものもだからさ。どういうことかは、そのうちわかるよ」
時折心を読んだかのように、男は彼の疑問に答えを寄越した。それが不思議だったが、そのことを尋ねる術を今の彼は持っていなかった。
男が両腕を上げ、声高に言う。
「そんじゃ宝探しスタート! 制限時間は夜が明けるまで! ま、ほどほどにがんばってねぇ~!!」
言い終えると同時に、男の姿は影の中へ吸い込まれるようにして消えた。
賑やかな男の声がなくなると、森には再び静寂が戻った。
深い森の中に一人残された彼は、しばらくその場に立ち尽くしていたが、やがておもむろに歩き始めた。
ただそこにいても、何も変わらないからだ。
音のない、夜の森は不気味だった。自分の歩く音すら聞こえない。歩いている感覚、地面を踏みしめる感覚も、あまりない。それでも足を動かせば、景色が流れていく。景色が流れているなら、前に進んでいるということだ。そして前に進んでいるということは、変化しているということだ。
アンノウンという名前。
何者でもないものという意味と、あの男は言っていた。
確かに今の自分に相応しい。自分が何者であるのか、何一つわからない今の自分には。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。
梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。
あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。
その時までは。
どうか、幸せになってね。
愛しい人。
さようなら。
婚約者の浮気相手が子を授かったので
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。
ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。
アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。
ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。
自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。
しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。
彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。
ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。
まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。
※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。
※完結しました
貴方の愛人を屋敷に連れて来られても困ります。それより大事なお話がありますわ。
もふっとしたクリームパン
恋愛
「早速だけど、カレンに子供が出来たんだ」
隣に居る座ったままの栗色の髪と青い眼の女性を示し、ジャンは笑顔で勝手に話しだす。
「離れには子供部屋がないから、こっちの屋敷に移りたいんだ。部屋はたくさん空いてるんだろ? どうせだから、僕もカレンもこれからこの屋敷で暮らすよ」
三年間通った学園を無事に卒業して、辺境に帰ってきたディアナ・モンド。モンド辺境伯の娘である彼女の元に辺境伯の敷地内にある離れに住んでいたジャン・ボクスがやって来る。
ドレスは淑女の鎧、扇子は盾、言葉を剣にして。正々堂々と迎え入れて差し上げましょう。
妊娠した愛人を連れて私に会いに来た、無法者をね。
本編九話+オマケで完結します。*2021/06/30一部内容変更あり。カクヨム様でも投稿しています。
随時、誤字修正と読みやすさを求めて試行錯誤してますので行間など変更する場合があります。
拙い作品ですが、どうぞよろしくお願いします。
【完結】忘れてください
仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。
貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。
夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。
貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。
もういいの。
私は貴方を解放する覚悟を決めた。
貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。
私の事は忘れてください。
※6月26日初回完結
7月12日2回目完結しました。
お読みいただきありがとうございます。
愚かな父にサヨナラと《完結》
アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」
父の言葉は最後の一線を越えてしまった。
その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・
悲劇の本当の始まりはもっと昔から。
言えることはただひとつ
私の幸せに貴方はいりません
✈他社にも同時公開
【完結】いてもいなくてもいい妻のようですので 妻の座を返上いたします!
ユユ
恋愛
夫とは卒業と同時に婚姻、
1年以内に妊娠そして出産。
跡継ぎを産んで女主人以上の
役割を果たしていたし、
円満だと思っていた。
夫の本音を聞くまでは。
そして息子が他人に思えた。
いてもいなくてもいい存在?萎んだ花?
分かりました。どうぞ若い妻をお迎えください。
* 作り話です
* 完結保証付き
* 暇つぶしにどうぞ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる