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第二章 その感情の名を知る
閑話 可哀想なキドマ文官2ーその鳥は自ら籠の中を望んでいる
しおりを挟む「なあ、カルム嬢って婚約者とか恋人はいるのかな」
そんな会話が聞こえてきて、キドマは思わず足を止めた。
どうやら、話をしているのは流星祭の準備に携わっている文官のようだ。
かつては王宮侍女の憧れのような存在だった王付き侍女ではあるが、今では呪いのせいで婚期が遠のくとまで言われていた。
しかし、最近になって、その認識が変わろうとしている。
そのきっかけは、やはりリューイリーゼだ。
王付き侍女となった彼女を、ラームニードが兎角大切にしたからだ。
危害を加えられそうになれば激怒し、楽しそうに話す姿もよく目にする。
呪いを減らす為に彼女の提案を受け入れたり、うっかり失言をしてもクビを切る事なく叱責で済ませているのだから、王宮で働く人間達にとっては何処からどう見ても彼女を溺愛しているとの見解で一致していた。
そうなると、リューイリーゼ自身に価値が生まれてしまう。
国王からの覚えもめでたく、気難しい彼を上手く誘導出来る彼女はあまりに稀有な存在であり、彼女を嫁として迎え入れたいと陰ながら画策する者も勿論いた。
しかし、未だそれが表面化していないのは、恐らく彼女の保護者らが陰ながら動いているからだろう、とキドマは察している。
真偽は定かではないが、彼女の家に婚約を申し込もうとしたものの、上からの圧力で諦めざるを得なかった家もあるらしいと聞く。
子爵家である彼女の生家にそのような力がある訳がないので、圧力はもっと別の所──言ってしまえば、この国の最高権力である国王周辺からに違いなかった。
(何て不憫な……)
全裸の世話をさせられているだけに飽き足らず、婚姻の自由さえないとは。
もしかしたら彼女に似合いの結婚相手を見繕うつもりなのかもしれないが、それにしたって色々と可哀想だ。
(まるで、籠の中の鳥だ)
国王に気に入られてしまったばかりに、ただ籠の中で歌う事を強いられている哀れな金糸雀のようだ。
彼女に自由は無いのか。
(どうにか、自由にしてやりたい)
そして、自分の隣で自由気ままに歌ってくれたなら。
そこで、キドマは自分の気持ちを自覚した。
流星祭が近付くにつれ、リューイリーゼがキドマの元を訪れる機会も徐々に減っていった。
当然だ。
最早彼女に教える事など何も無い。
そんな名目が無ければ、彼女と話す機会すら無いのだと気付いてしまったら、もう居ても立ってもいられなかった。
───彼女に好きだと告白しよう。
幸い、流星祭は告白に打ってつけのイベントである。
下手に呼び出したりすると保護者の邪魔が入る可能性があるので、偶然を装って彼女と話そう。そうしよう。
キドマが用意したのは、シトリンを使ったブローチだった。
明るい黄色の水晶がリューイリーゼに似合うと思ったし、ブローチならば仕事中でも付けていられる。
彼女が喜ぶ姿を想像してニヤけながら、いざ彼女の元へと向かった。
「カルム嬢、……少し、宜しいですか?」
「キドマ卿、どうしたんですか? そんな顔をして」
廊下を歩いていたリューイリーゼを呼び止めると、振り返った彼女はこちらに微笑み掛けてきた。
───やっぱり、可愛い。
久々に見たその笑みに、思わずドギマギとしてしまう。
「い、いや……えっと」
「もしかして、流星祭についてですか? 何か変更点でも……」
「違うんです! 流星祭に関係する事ではなくて!」
胸の鼓動が激しく脈打ち、今にも心臓が弾けそうだ。
頑張れ、私の心臓。震えそうになる己を叱咤しながら、何とか勇気を振り絞った。
「あ、あの!」
「……? はい」
「じ、実は、大事な話がありまして……。その、私は、私はあなたが──!」
「──リューイリーゼ殿!」
──何処から聞き付けた、保護者!!!
真っ青な顔をしたアーカルドが何処からともなく現れて、物凄い勢いでこちらに駆け寄ってくる。
アーカルドは息も切らさずにリューイリーゼの前に立つと、チラリとキドマの方へ視線を向けた。
いつも温厚な彼からは考えられない程の殺気だ。
まるで戦場で敵と相対するかの如き視線に、冷や汗が止まらない。
そんな不穏なやり取りには何も気付いていないリューイリーゼが、ごく不思議そうに首を傾げた。
「アーカルド様?」
「……リューイリーゼ殿、お話中申し訳ありませんが、陛下の御用が……」
「えっ!?」
アーカルドの口から出て来た名前に、彼女はこちらが吃驚してしまう程血相を変えた。
「す、直ぐに戻ります! 執務室にいらっしゃいますよね?」
(……え、私の大事な話は!?)
確かに国王の御用を優先するのは王付きとしては当然だろう。
しかし一才の迷いもない即断即決に、キドマは呆気に取られるしかない。
「キドマ卿も申し訳ありません。大事なお話とおっしゃっていましたが、また後日でも宜しいですか?」
「え、い、いや……」
本当は呼び止めたい。呼び止めたいが……。
リューイリーゼの隣で、物凄い顔をしているアーカルドを無視する事など出来なかった。
騎士の本気の殺気が凄い。
ここで下手な事をすれば、ここで切り捨てられてしまうのではないかと思ってしまう威圧感に、ただの一介の文官でしかないキドマは屈服するしかなかった。
「……だ、大丈夫です。もしかしたら、こちらで何とかなる案件かもしれないので」
「そうですか? 有難うございます。また何かありましたら、直ぐに声を掛けて下さいね」
行きましょうアーカルド様、と足早に去っていくリューイリーゼの背中をキドマは呆然と見つめる。
彼女にとって自分は、決して意に介するような存在ではないのだ。
その事実を突きつけられたような気がした。
それを決定的にしたのは、その日以降彼女の襟元に付けられるようになったエメラルドのブローチだ。
そのブローチはどうしたのか、と震える声で尋ねたキドマに、リューイリーゼは少し照れ臭そうにはにかんだ。
「王付き侍女の証だと、陛下から頂いたのです」
確かに彼女の言うように、王付きの面々には同じブローチが渡されているようだった。
しかし、それを愛おしげに見つめる彼女の視線を見て、流石に気付かざるを得ない。
彼女が何よりも国王を優先した意味を。
国王がよりにもよってこの時期に、そして他の誰よりも先にリューイリーゼに装飾品を──しかも彼女の瞳によく似た色の物を渡した意味を。
王付きの面々がキドマを警戒し、圧を掛け続けてきた意味を。
そして、もう一つ──。
『そうねぇ……。そう出来たら良いと思っていたのだけど』
侍女長の後任にしたいが、そうは出来ないかもしれない。
そう濁した侍女長が、本来王妃がするべき仕事に彼女を関わらせた、その意味を。
「……よ、良かったですね。お似合いですよ」
「有難うございます!」
心底嬉しげに微笑むリューイリーゼに、キドマはそれ以上何も言う事が出来なかった。
彼女は国王の籠から出る事を望んでいない。
自ら望んで、その籠に囚われているのだ。
それならば、赤の他人がとやかく言える事ではない。
──だがしかし、キドマは声を大にして言いたかった。
(──陛下のお相手候補だったのなら、もっとハッキリと教えてくれても良いじゃないですか!!!)
行き場を失ったシトリンのブローチは、キドマの引き出しの奥深くに眠る事となった。
失恋の痛みは、暫く癒やせそうにない。
今日はやけ酒だ。
呑まずにはやっていられなかった。
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