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第二章 その感情の名を知る

56、もう手放してやる事は出来ない

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 ──この感情を、何と表現すれば良いのだろう。
 


 ラームニードは手の中のハンカチを見つめ、思った。
 
 
「お前が刺繍をしたのか」
「……僭越ながら」
「上手いものだ。上出来じゃないか」


 そう褒めながら刺繍部分を撫でれば、いつも凛とした表情をしているリューイリーゼの顔が真っ赤に染まった。
 居た堪れ無さそうに縮こまる彼女を見て、どうしても表情の緩みを抑えられない。


 流星祭のお守り──それも、手作りの物だなんて、ラームニードにとっては暫く縁が無い物だった。

 勿論、あの苛烈な母がラームニードの為に用意する訳がない。
 父もそんな母を刺激しないように、一目見て『流星祭のお守り』だと分からない程に、そこら辺にありふれた物を密かに用意する程度に留めていた。

 ──ラームニードに手作りのお守りを用意してくれたのは、ただ一人だけだ。



「……手作りの流星祭のお守りなど、久方振りだ」



 心の中だけで思っていた筈なのに、気が付いたら口から漏れ出ていた。
 リューイリーゼが目を見開くのを見て、どうしようかと考える。


 でも、良いか。
 リューイリーゼならば。



「あいつが……異父弟が死んでからは」



 異父弟が死んでからは、彼の事をラームニード自身の口から語る事は無かった。
 彼に対しては未だにこんがらがった複雑極まりない感情を抱いている。
 ただの愚女だと早々に見切りを付ける事の出来た母へのそれの方が、余程単純だ。    


「……トロンジット様、ですか」


 リューイリーゼの口から出て来た名前に、知らず口角が上がる。
 他人の口からその名前を聞いたのは、久方振りの事だった。
 宰相も護衛騎士達も、まるでそれが禁忌であるかのように、頑なに呼ぶ事は無かったからだ。


「あれも頑固な奴でな。幾らあの女に何を言われようとも、自分の側近に諌められようとも、自分の装飾品に付いている宝石をバラしてでも、お守りを用意してくれた」


 あれだけ敵視されていたのだ。ラームニードへと渡す為のお守りを買うなど、許される筈がない。
 それでも、彼はどうにか用意をしてくれた。
 時に自分で使うと嘘を吐いたり、自分の側近を泣き落としたり、舌先三寸で言いくるめたり、ありとあらゆる手を使っては密かに準備をしてくれた。



「……どこまでが嘘だったんだろうな」



 思わずそんな本音が漏れる。
  
 トロンジットはラームニードにとって、ただ一人の兄弟だった。
 何にも変え難い、唯一信じられる『家族』だったのだ。
 
 けれど、結果彼はラームニードに毒を盛り、殺そうとした。
 

『兄上、来年も一緒に星を見ましょうね』


 そう約束した彼の笑顔は、決して嘘ではなかった。
 ……そう信じていた。


『私は貴方が嫌いでした』

『貴方を、殺すしかなかった』

『許せなかった。ただ、許せなかったのです。──それだけです』


 死の間際、牢の中でそう吐露された彼の本心にラームニードは愕然とするしかなかった。
 信じていたものは、全て幻想だったのだろうか。
 彼が自分に向けてくれていた優しさも、親愛も、敬愛も、全て──。



「……嘘ではなかった、と思います」



 かつてに思いを馳せていたラームニードは、その言葉でふと現実に戻る。

 
「私は、トロンジット様がどういう方だったのかは存じ上げません。ですが、トロンジット様が陛下を裏切るような御仁には思えないのです」
「……何を根拠に」


 耳当たりの良いだけの下手な慰めなど要らぬ。
 常ならば、そうやって怒り出していたかもしれない。
 
 けれど、聞いてみたいと思った。


「流星祭のお守りは、心の底から大切に思う人へと渡すのです。義理で渡すようなものではありません。渡しては、ならないのです」


 特に、見栄や体裁を重視する高位以上の貴族で、手ずからお守りを作る者は少ない。
 デザイナーに依頼し、特注の装飾品を作る場合が殆どだ。
 だからこそ、幾ら周囲に反対されていたからとはいっても、トロンジットが自ら手作りのお守りを用意していた事には意味がある筈だと、リューイリーゼは訴えた。



「トロンジット様は、陛下の一年の健やかを祈ってくれていた方です。それ程あなたを想っていて下さっていた。その気持ちには嘘は無かった。……私はそう信じます」


 
 目の前のエメラルドの瞳にそう微笑みかけられ、ラームニードは唐突に理解した。 
 何故、リューイリーゼの隣に誰かが居るという想像に耐えられなかったのか。

 答えは、簡単だ。


 彼女の隣にいるのは、いつも自分でありたかったのだ。


 流石にラームニードも馬鹿ではない。
 その感情の名を知っていた。

 
 そこまで理解して、ほんの少しだけ後悔した。



(……ああ、やっぱり。エメラルドの首飾りを用意しておくべきだった)



「……そうだ、忘れていた。お前に渡すものがあった」
「え?」
「つい先日、完成したんだ。……お前に一番に見せたかった」


 
 立ち上がり、机の引き出しから取り出した物をリューイリーゼへと差し出す。
 訳も分からず受け取ったリューイリーゼは手の中にある物を見て、目を見開いた。

 彼女の手の中にあるのは、大粒のエメラルドを使ったブローチだ。


「これは……?」
「王付きの証だ。それを付けていれば、もう侮られる事はあるまい」



 お前が俺の一年の無事を願ってくれるのなら、俺も同じ事を願おう。
 この一年、お前が無事でありますように。その笑顔が、決して曇る事がありませんように。

 言外のその言葉を察したのか、驚いたように向けられた瞳が、きらりと輝きを増す。
 その頬は仄かに赤らみ、僅かに滲んで見えるエメラルドは、今までに見たどんな宝石よりも綺麗に思えた。

 嬉しくて仕方がないとでも言うかのように、手の中のブローチを大事そうに両手で包み込んだ彼女は、満面の笑みを浮かべた。
 


「今までで貰った贈り物の中で、一番嬉しいです! 有難うございます」



 その笑顔の、愛らしさといったら!



(……え、何だこれ。可愛すぎでは? 殺人的な可愛さでは??)



 ラームニードは、自分を律するのに必死だった。
 このまま手を出してしまうのは、どう考えても拙い。
 外堀的なものが埋まると言えば埋まるかもしれないが、彼女の外聞諸々が犠牲になってしまう。何より、彼女が持つ仕事への誇りをこんな形で穢してはいけない。
 
 今にも手を伸ばしかける自分の煩悩と闘いながら、不意に不憫に思って零す。

 

「……可哀想にな」

 

 多分、このままだと手放してやる事が出来なくなってしまう。
『大事なものに執着する』という王家の習性を疎んでいるラームニードは、周囲を大いに巻き込み混乱に陥れた両親のような見苦しい真似をするつもりはない。
 しかし、それでもリューイリーゼがこの想いを受け入れなかった場合、この衝動を抑え切れるかどうかは甚だ疑問だ。

 燃え上がる激情に途方に暮れるラームニードの内心など知りもせず、ブローチを付けながら不思議そうにする。



「何がですか?」
「……いや……。このまま王付きをやれば、婚期を逃すと思って」


 
 正確に言えば、婚期を逃すというよりは、多分ラームニードがぶっ潰すのだが。
 ほんの少しだけ罪悪感を抱いたラームニードに、リューイリーゼは何を今更とでも言わんばかりの表情だ。


「外聞的には既に手遅れでしょうし、お気になさらずに。それに……」
「それに?」



「──あなたのお側にいると、言ったでしょう?」


 
 まるで当然のように微笑むリューイリーゼに、自分の顔が情けなくも歪んでいくのを感じた。
 今の今まで何故気付かなかったのだろうと思えるくらいに湧き上がってくる愛おしさに、胸が張り裂けそうだ。



 ───ああ、やっぱりもう、手放せそうにない。




 
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