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[一巻]

一限、煤掛中学校……1

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「文武両道は高校のみの嗜みにあらず。一貫校ならば殊更聞こえのよい文言であるが、しかしわざわざそんな大がかりな取り組みは必要ない」
 こう訴えるのは、首都圏からは離れた田舎地帯、煤掛すすかけ町にある煤掛中学校嶽釜たけがま校長だ。田舎と言えど、田畑広がる古風なものではない。昨今は農地を切り開き作られた郊外の県道を中心として大型商業施設が多数立ち並んでいる。かつては青々としていた水田もいつしか家屋が軒を連ね、この町は小さいながらも年々人口が増加傾向にあった。さもすれば、出生率も高く子供達は自ずと煤掛中学校に進学する。町立の名には不似合いなほど増えた在校生徒によって一学年八組までクラス編成され、生徒数は千余人。他校からはマンモス校などという異名を冠されてもいた。
 これほどの規模を誇るようになったのは、煤掛中学校の奇抜な教育方針にもある。それこそ、文武両道であったのであるが、しかしこれがどうも人の知るそれとは違うのだ。常に生徒を主体に立たせ、成したくも成したくなくも常に助長を厭わない。その助長も決して手は抜かない。背景にあるのは多くの卒業生から毎年贈られる多額の寄付金。そして、技術提供によるものである。こうした好環境が幾重にも合わさることで、生徒達は自発的に文武を両立させていく。その風潮は「手を貸すならば全力で」をモットーとする嶽釜体制時に昇華したとも言えよう。
 西極鉄也が中学二年を迎えたのは、まさに嶽釜体制全盛期であった。惜しみなくも寄付金は生徒達に融資され、ほぼ毎日が学校行事前夜のような盛り上がりであったと言っても過言ではない。校内をぐるっと覆うブロック塀には多様な催しのポスターが貼り合わされており、田舎町特有の町長の選挙広告などは片隅に追いやられていた。それでも、学校長の許可を経て町長が広告の掲示を続けるのは、町長自身煤掛中学校の出自であることはもとより、街道一本挟んで東部に位置していた町民公園〈パルケ・ススカケ〉の存在もあった。これは町長が初当選の選挙から目標としていたいわば公約の一つであり、若者だけでなく煤掛町民全員にとっての娯楽施設として整備されたものである。のちに赴任した嶽釜校長との協議の結果、煤掛中学校美化委員会による定期清掃を前提として、学校行事への使用も許可され生徒にとっても特別な場となった。
 現在では、各部放課後の練習に使用していることは勿論のこと、調理部によって週に二、三日ほど露店が開かれているということもあり、一年を通して町民で賑わう人気の場所となっている。
 さて。
 路端の茄子が花を咲かせる頃合いであった。県道の彼方にそびえる山々も裾野美しく目に映る。晴れやかな朝だと言うのに蒼穹にはこんもり入道雲が盛られている。
「今日も暑くなりそうだ」
 こうごちたところで共感してくれるのは、小鳥と庭先で雑草取りに勤しむ近所の年寄りくらいだ。というのも、八時手前のこの時間。悠長に通学をする者は煤掛中にはいない。鉄也の家は学校からそこそこ近かったのであるが、最大の要因として挙げられるのは、彼が部活に所属していないということである。本人は帰宅部を自称してはいる。それもまた良いのではないか、と担任から御墨付きをもらったこともあり、彼の通知簿には堂々と帰宅部と記されている。これと言った活動もなかったのだが、顧問が必要ならばと、今では担任がこれを受け持っている。彼もまた、嶽釜体制に保護されていた一人だったのである。
 パルケ・ススカケをなぞるように、通学路を歩む。園内の中央時計が鐘を鳴らし、時報が聞こえてきたかと思えば、少年少女の活気ある声と金管楽器の練習音が耳に入ってきた。学校が近づいてきた。
校外外周のブロック塀にさしかかった。校舎の三階から厳しい声が聞こえてくる。きっと吹奏楽部の譲じょうがいきり立っているのだろうと思い浮かべる。
 この時期になると、煤掛中では世代交代が行われる。三年生が部を去ったあとでも安心して後輩に任せられるようにと、どの部でも二年生が新たな部長となり部を切り盛りするのである。彼らは皆、鉄也と同学年であり故に、
「おーい、テツ。取ってくれ!」
 道端にサッカーボールが転がる。塀をよじ登り指差すのは角切り頭の圭けい佑すけだ。彼もまた、じきに部を率いる者の一人である。白と青のストライプはまさに、この部の象徴とも呼べるだろう。
 ボールを拾い上げると鉄也は言った。
「塀登る癖、いい加減やめたらどうだ」
「こっちの方が早いだろ?」
「股間が擦れて痛そうだぜ」
「慣れれば大したこたぁねぇよ」
 不格好な体勢のまま、圭佑は切り出した。
「そういえば、今日は九時から生徒集会だったな」
「そうだったっけか」
「馬鹿野郎。今日は英梨さんの最新作が観られる日じゃねぇか。忘れてたのか?」
「ああ。そういえば舞子がなんか言ってたな」
「英梨さん。今頃きっと衣装に着替えてる最中なんだぜぇ」
 下品な笑い声があがる。面持ちもさながら猿のそれだ。呆れた鉄也は圭佑の顔面目がけて、しかし気を遣ってボールを蹴り飛ばした。ボールもろとも塀の内に退場する姿はなんとも潔い。それも圭佑の良さだと鉄也は鼻を鳴らしていた。
 校門までの一本道では純白のユニフォームが雄々しい声を上げてランニングに励んでいた。先頭を走る坊主頭に鉄也は声をかけた。
「よぉ。やっぱり、お前んところは朝もしっかりやってんな」
 だが、この答えが返ってくることはなかった。坊主頭はキャップの底から彼をちらっと見ただけで、一言も無駄口は叩かず、「そい」「せい」と声を上げて去っていってしまった。後続の部員達も彼に習って声を張り上げる。だが、鉄也がこれで機嫌を損ねることはない。これもまた、朝の見慣れた光景なのである。
 間もなくして校門にたどり着いたかと思うと、鉄也は背後から声をかけられた。
「おはよう、てっちゃん」
 向かいのパルケ・ススカケからやってきたのは、ゴミ袋を抱えた舞子であった。
 彼女は鉄也の幼馴染みであり、また現ボランティア部部長でもあった。
「朝から大変そうじゃねぇか」
「そう思うならてっちゃんも手伝ってよ。絶賛部員募集中だよ」
「お前しかいない部を部と呼ぶのか」
「美化委員会が協力してくれるし」
「それは部員とは呼ばねぇだろ」
 ゴミ袋が鉄也の脇腹を直撃する。空き缶がぶつかり合い、乾いた音を鳴らす。
 鉄也はこれをとめようと話題を切り替えた。
「そういえば、今日は生徒集会だってな」
 ゴミ袋の襲撃はやみ、舞子は後頭部の縛り髪を左右に揺らした。
「そうそう。英梨さんの最新作が上映されるんだって」
「みんなそう言ってるけど、最新作ってそんなすごいのか」
 すると、再度ゴミ袋が脇腹を直撃した。
「やめろ。マジで、スチール缶は痛い」
「外周のブロック塀にも貼られてたのに。今回の最新作は演劇部、映像部、さらに劇中曲を吹奏楽部が担当する一大傑作なんだよ?」
「観る前から傑作って言われてもなぁ」
 だが、それで先程の光景に合点がいく。吹奏楽部も世代交代が行われていたはず。ともすれば、今日タクトを握るのは譲だ。初めて責任を担う大舞台となるわけだ。
「私、指定席確保してあるからてっちゃんも一緒に観ようよ」
「中学生の映画上映に指定席なんてあるのか」
 額に手を当てがう鉄也の手を舞子が引く。ゴミの処理や後始末をしていれば、たちまち三十分は経つ。その頃には、集会会場になっている体育館も準備が終わり、開場することだろう。鉄也は「おう」とこれに応じ、校門をあとにした。
 煤掛中学校では代々生徒会長のことを《統領》と呼ぶ習わしがあった。というのも、この学校の生徒会長は単純な生徒投票によって選出されるのではなく、各部の部長を選挙人として立てて執り行われる、間接選挙方式を導入していたからである。
 先述にも出てきた英梨であるが。本名は一瀬英梨いちせえり。現職の第七十七代煤掛中統領であり、三年の女子生徒であった。統領選定の歴史は長かったが、彼女はそうした歴代統領の中でも指折りの支持率を持つ人気を誇り、嶽釜体制と相まって様々な学校行事を催してきた。その始終はメディア部を通じて日々生徒の注目を集めており、今日までの人気を維持していたのである。
 また、彼女は演劇部部長を兼任していたことから派手な催しを好んだ。年に四回ある生徒集会での映画上映はその最たる一例とも呼べるだろう。演技は折り紙つきであるが、なんと言っても彼女の抜群のスタイルと容姿だ。これらは男女限らず、生徒達から評判であった。切れ長の眼に鼻筋のしっかりとした顔立ち。八頭身体型は雪化粧が通年施されており、天然の赤みがかった長髪を女子生徒が真似しようとして、生徒指導担当が四苦八苦するほどであった。実にローカルな人気ではあったが、それが故に生徒集会での指定席抽選は毎度競争率が高かった。一人二席までの応募に落ち続けること三度。舞子にとっては、最後にしてようやくの当選であった。
 この日の演目は演劇部による完全オリジナルであった。スクリーンに羽根が舞ったかと思えば、タイトルが表示される。『雨垂れの姫君』というらしい。パソコン技術普及の低年齢化が生んだ産物だろうか。なかなか凝った演出である。物語はこんな感じだ。相思相愛の貴族の娘が二人。そのうちの一人が隣国の侵略によって略奪されてしまう。これに憤った英梨演じるもう一人の娘が軍を率いて逆襲をするという。まぁ、古風ながらなかなかに男臭い内容である。だが、終盤に二人の娘が口づけをするシーンに会場はどっと沸き立った。女子の黄色い声や、初心うぶでませ盛りの男子の悶絶する声に包まれたのである。
 舞子もこの一人であったが、鉄也はこの異様な空間が早々と終わらないかと、腰かけたパイプ椅子を軋ませながらも傍目で願っているばかりであった。
鉄也は決して統領不支持者ではない。やることはやってくれている。だからこそ、この学校は恵まれている。おかげで自分のような自由人間も安心して闊歩できるのだから、それ以外はどうぞご自由に、という比較的放任派であった。
 さて、演目が終了するとスクリーンが舞台上部に引き上げられ、金管楽器の演奏とともに総領の英梨が現れた。館内が照らされ露出されるその姿に生徒達はどよめいた。そう、演目で用いたフリル衣装だったのである。彼女はマイクのスイッチを切り替えると弁舌を振るった。
「皆さん、おはようございます」
 こう振られると、生徒はそれこそ台本に記されているかのように挨拶を揃えた。
「ありがとうございます。演説を始めるにあたりまして、今回の演劇部最新作製作を手伝って下さった映像部、また私の無茶な演出に応じてくれた吹奏楽部に御礼を。ならびに、先生方におかれましては朝の貴重な御時間を下さりましたこと、感謝申し上げます。さて、本日は残念な御知らせを二点ほど。そして、大切な御知らせを皆さんに告知しなければなりません」
 静まり返った館内を確認すると、英梨は舞台の袖端に向けて手招きをした。すると、やってきたのは先の映像作品で英梨と熱い口づけを交わしたもう一人の娘役の少女ではないか。彼女が演目で用いられた純白のドレス衣装で躍り出たのである。
「私も各部同様、世代交代をすることに致しました」
 これには一同落胆の声を上げる。しかし、そうこう言っても世代交代は避けられるものではない。誰しも、この煤掛中を三年間過ごした暁には卒業するのである。
「ごめんなさい。でも、私も皆さんと同じ。普通の学生だったのです。まずは、演劇部の後継者を紹介致します。二年のルーシーです」
 こう紹介された少女。驚くべきは衣装に留まらなかった。その長髪はまるで金麦畑のようなブロンドだ。演目を観賞していた鉄也は、その時から違和感を抱いていたが、今目視してその理由が明らかになった。彼女の髪は、地毛なのだ。ともすれば、彼女はハーフなのだろうか。館内の者達もこのように考えていただろう。
しかし、その憶測は彼女の自己紹介によって打ち砕かれる。
「ハロー全校諸君。二年の為石ためし胡桃くるみです。よろしくぅ!」
 はきはきとした挨拶に会場は動揺していた。
 鉄也は思い出した。
(そうだ。胡桃。一年の時、同じクラスにそんな名前の女子がいた。でも、あの頃は髪も短くて黒かった。まさか、染めたのか。でも、そんな許可どうやって……)
 彼の疑問はすぐに解決した。
「御安心ください。彼女の髪型は演劇部の活動において必要なものであると、生徒指導担当からは許可を頂いております」
「ってことで、気軽にルーシーって呼んでくださいねぇ!」
 この明るさ。受け取り方はまちまちだ。女子はまだいい。派手にウェーブのかかった髪型に真新しさを感じるような声も聞こえていた。問題は男子だ。こちらの反応は鈍かった。原因として挙げるなら、その佇まいと言動。英梨から奇抜さだけを抽出したような彼女に、ファッション性など重視もしない彼らは不快感を示していたのだ。
 その後の反応を一通り見回した英梨は、「はい」とルーシーの弁舌を中断させると、自ら開口し始めた。
「分かりました。この次の御知らせというのが、統領退任の御話だったのですが」
 これには、むさ苦しい声が揃いも揃ってブーイングを決め込んだ。皆々、ルーシーに世襲するのだと勘ぐったのであろう。
とりわけ館内に響き渡る奇声と鈍い音が、鉄也は気になって仕方がなかった。それで、ちらっと後方を覗き見たのであるが。

 ――ドコドコドコッ

「ウォォォォォン!」
 サッカー部の圭佑だ。彼が仁王立ちして。抗議のつもりだろうか、奇声を上げて胸を両手で叩いている。さながらマウンテンゴリラの様相だ。それでは英梨にも見限られるぞ、と鉄也は苦笑した。
 すると、英梨は一声をあげた。
「静粛に」
 それは尊厳たるもので、一塊の女子生徒の放ったものとは思えない貫禄があった。生徒会長などという肩書きでは有り余る。まさに、全校生徒千余人を率いる、統領のそれであった。傍らでにこやかに微笑んでいたルーシーの表情も一変する。
 静けさの中、統領英梨は先程の物腰柔らかな声色を一変させ、しかし安直に怒鳴りつけることなく、生徒達にこう述べた。
「世襲は私の本意ではありません。この子は、あくまでも我が部の後継者に過ぎないのです。我が煤掛中学校を統べる存在は、代々各部の部長さん達によって選出されてきました。私もそのような過程を経て選ばれたに過ぎません。その伝統を、ここで絶やすことなど、どうして許されるのでしょうか」
 こう諭しつつ、英梨は舞台下で呆然と立ち尽くす譲に目配せを送った。彼は襟元を引き締めるとタクトを構え、そして振るった。
 壮大な金管楽器の音色とともにスクリーンが再度下ろされたかと思うと、館内は再び暗がりに包まれた。壇上の照明はスポットライトに切り替えられ、統領の姿を追う。そして、プロジェクターはでかでかとその文字を映し出したのである。
 そう。【第七十八代煤掛中統領選定選挙】の告知である。
 抑え込まれた演奏の中、英梨は続ける。
「本日は月曜日です。立候補の届出は金曜日までと致します。なお、土曜日に臨時部長会を開きます。各部、次期部長の立ち会いのもと、公平で厳正な会議を行い、翌月曜日までに最終候補二名に絞る予定ですので、御理解御了承の程、宜しく御願い申し上げます。以上を持ちまして、統領演説とさせて頂きます」
 こうして、混沌を孕みながらも第四季生徒集会は閉幕した。
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