聖女様は良い趣味をしている

sorato

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前編

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 その日、アメリアは朝からツキまくっていた。
 朝目覚めてすぐに淹れたお茶にはなんと三本の茶柱が立っていたし、朝食を買おうと出掛けた先で朝市の中でも美味しいと有名なパン屋の一日二十個限定惣菜パンをラスイチで購入することができた。
 今まで買えたのは一度で良いから食べてみたいと開店前から並んだ時のみであったので、これだけでもアメリアはとってもハッピーだった。朝から幸先が良過ぎる。

 ホクホクした気持ちで惣菜パンを食べ歩いていると、魔術学校同級生のエルラ・シャイニーとバッタリ出逢った。彼女はなぜだかアメリアをライバル視していて、試験が終わる度にアメリアの元に現れては成績勝負を仕掛けてくるのだ。アメリアは元々勉強が嫌いな性質たちではないし、予習復習に余念がないので成績は上位をキープしており、エルラとは毎回良い勝負を繰り広げている。
 エルラは勝つとそれはそれは嬉しそうに「私の勝ちですわね!このまま突き放してやりますわ!」と言ってスキップのように軽やかな足取りで立ち去るし、負けると「くっ……つ、次こそは負けませんわ…!首を洗って待ってらっしゃい!」と涙目で走り去っていくのだ。とても可愛らしい人である。良い好敵手ライバルであり良い友だ、とアメリアは思っている。

 先日などは、「貴女は成績は優秀ですけれど浮いた噂は何一つございませんね?それとも、自己評価が高すぎて男性への理想も高くていらっしゃるのかしら?」と恋バナまで振ってくれた。確かにアメリアの想い人は雲上の人であり、それ故に堂々と言うのも憚られたので、アメリアは心の内に留めていたのだ。単に話す相手がいなかったということもある。
 恋バナ等初めてであったアメリアはついテンションが上がり、密かに憧れていた稀代の天才魔道具師との呼び声高いカルロス・マードナーについて小一時間程語ってしまったのだが、エルラは律儀にもちゃんと全部聞いてくれた上で「……良い趣味をしてますわね」と褒めてくれた。アメリアとしては是非ともあと数時間はカルロスの素晴らしいところを語り合いたかったのだが、流石に聞いてもらってばかりはまずいと思いエルラのタイプも聞いた。

 どうやら彼女は魔術学校の一学年先輩でありこの国の王太子でもあるラサエル・ストリーチのことが好きらしい。
 エルラは気さくにアメリアに話し掛けてくれるが、身分としては公爵令嬢であり、王太子であるラサエルとも幼い頃から親交があるのだとか。アメリアもエルラと共に一度だけ挨拶をしたことがあるが、金髪碧眼でキラッキラした正に王子!というラサエルの風体は、正直アメリアの好みではない。良い人だとは思っているし、学友としては良いけれど恋愛対象ではないのだ。
 エルラにそれを伝えたところ、信じられないと返されたがその顔は明らかにホッとしていた。そうは見えないけれど、案外ヤキモチやきなのかもしれない。本当に可愛い人だ。

 ちなみに、アメリアとエルラは何度か恋バナを嗜んだが、その内数回はエルラから見えないところでラサエルが会話の内容を盗み聞いていた。様子を見るにラサエルもエルラのことが好きなようなので、くっつくのは時間の問題だろう。
 他人の好意を勝手に伝えるのは良くないのでエルラには隠しているけれども、早く交際してエルラをデートなどに連れ出してあげてほしい。きっと喜ぶことだろうし、出来ればデート後のエルラと恋バナをしたい。楽しそうである。

「こんなところで会うなんて奇遇ですわね。……って、貴女、食べ歩きなんて行儀が悪いですわよ。ほら、口元に屑がついて…」

 世話焼きで優しいエルラが、呆れた表情をしつつも綺麗なハンカチを出し、それで口元を拭ってくれる。肌をするりと撫ぜる触り心地の良いハンカチは、公爵令嬢たるエルラが持つに相応しい値がすることだろう。そんな品をアメリアのために躊躇なく使ってくれるとは、本当に優しい女性だ。アメリアはエルラに対して何度目かも分からない感銘を受けた。
 しかも。

「そんなにお腹が空いていらっしゃるなら、甘いものでも食べに行きませんこと?ああ、勿論嫌ならそう仰って構いませんわよ、私は一人だって行けるのですし。ただ、そうですわね、きっと庶民である貴女は簡単には入れない処ですから、この機会にと……いえ、庶民を馬鹿にしているわけではなくて」

 こんな風に、早口で頬を赤らめながらアメリアをお茶に誘ってくれるのだ。しかも、生粋の貴族令嬢であるエルラは、決して家柄で人を蔑むことはしない。時折ふとアメリアが平民であることに触れるけれども、すぐに「言い方が不味かったのではないか」と自分で考えてこちらが何かを言う前に訂正してくれる。貴い身分であるのに腰が低い。今回の発言だって、庶民であるアメリアが簡単に入れない場所があるのは確かだし、何一つ間違いはないというのに、エルラは申し訳なさそうな表情を浮かべている。なんて心根が優しいのだろうか。
 アメリアはエルラの誘いに笑顔で応じると、ルンルン気分で少し早足で先を進むエルラを追った。ツンと澄ました顔をするエルラの口元は、いつもよりも緩んでいるように見える。綺麗なのに可愛いとは、本当にエルラは素敵な人だ。








 ◇







「おや、奇遇だね」

 エルラに着いていった店でそう声を掛けてきたのは、件の――エルラの想い人であり、この国の王太子である――ラサエルであった。エルラもまさかラサエルに会うとは思っていなかったのか、「ラサエル様!?」と驚いた表情を浮かべている。その頬が赤く染まっているのは、休みの日に偶然会えた嬉しさが滲み出ているのだろう。
 一方のラサエルも、エルラに会えたのが嬉しいのか満面の笑みを浮かべている。早くくっつけばいいのに、とアメリアは思ったが、まあ二人には二人のペースがある。第三者であるアメリアが口出しできることではないので、勿論そんな素振りは見せずに「こんにちは」とだけ挨拶の言葉を口にした。

「二人は本当に仲が良いね。ここへはお茶をしに?」
「そうなんです!エルラ様が誘ってくださって」
「べ、別に仲が良いだなんて。ただ、その、アメリアがお腹を空かせていてみっともないからと……」
「ふふ、そんなに照れなくても良いのに」
「エルラ様って照れ屋で可愛いですよね」
「本当にね」
「っ、か、かわ…!?ラサエル様も、アメリアも、人を揶揄うのはお止めになって!」

 顔を真っ赤にするエルラは、やはり可愛い。そんなエルラのことを、ラサエルはやはり好意的に思っているらしい。ラサエルとは殆ど話したことはないけれど、いつかエルラの可愛さについて語り明かしてみたいものだ。きっと話が合うことだろう。

「良かったら、一緒にお茶でもどうだい?私にも一人ツレがいるから、人数もちょうど良いと思うんだが」
「い、一緒にですの?ですが……」

 ちらり、とエルラの視線がアメリアに向く。ご一緒したいだろうにこうして戸惑ったようにアメリアに視線を寄越すのは、自分から誘った手前勝手に判断するのは悪いと思ってのことだろう。アメリアのことなど気にしなくても良いのに、と思いながら了承の意を伝えようと口を開こうとすると、それよりも先にラサエルが口を開いた。

「きっと、アメリア嬢もと話したいんじゃないかな」
「っ、おい、ラサエルお前何勝手なことを……!」
「え?――あっ!」

 ラサエルは自身の後ろにいた(ラサエルに気を取られて気付かなかった)男の腕を引いた。男は三白眼をこれでもかというくらいに見開いている。うねった黒髪が揺らめいて、アメリアはハッとした。瘦せ型の、190cmはあろうかという高身長の男は、アメリアの憧れの人――カルロスそのひとであったからだ。
 相変わらず顔色が青白く、そして若干頬がこけている。身長が高い故に目立つそのひょろりと痩せた身体。本人の体質も影響しているだろうが、それらが寝食を疎かにしてまでも熱心に魔道具を研究するが故であることをアメリアは(一方的に)知っている。

「カルロス様!わ、私、アメリアっていいます!その、えっと、す、好きです!握手してください!」
「は?え、…ああ、どうも…?」
「わー…ありがとうございます…!」

 突然の告白と握手の要求に関わらず、カルロスは戸惑いながらもおずおずと手を差し出してくれた。アメリアはその手をひしと握る。白くて細いけれど、筋張っていて指は長く、手の平はアメリアのそれよりも随分と広い。男の人だなあ、と当たり前のことに頬を赤くし、アメリアはうっとりとしながらカルロスの手をじっくり堪能する。この手が人々の生活に役立つ魔道具を開発しているのだと思うと、崇め奉りたい。勿論カルロスに引かれるだけだと思うのでやらないけれども。
 まさか、見つめるだけで良いと思っていた雲上の人と握手まで出来るとは思わなかった。これはお茶に誘ってくれたエルラとこの機会を与えてくれたラサエルに最上級の感謝をせねばなるまい。アメリアは後日お礼をしようと考えながら、後ろ髪を引かれる思いでゆっくりとカルロスの手を離した。

 今日は絶対に手を洗わない。そんな決意を胸にしながら、今度はカルロスの顔を見上げる。獲物を睨みつける猛禽類のように鋭い瞳は、見つめられるだけでぞくぞくとしてしまうかっこよさである。すっとまっすぐに通る鼻はとても整っているし、少し薄紫がかった唇は不健康そうではあるものの色気があってセクシーだ。毛量が多くうねる黒髪は艶々としており、じっと見ていたら思わず触ってしまいたくなる魅力がある。
 これ以上見ているのは危険だと判断したアメリアは、恍惚としてしまっているであろう表情を意識的に引き締めた。いくら憧れの人との対面とはいえ、流石にだらしない顔を見せすぎてしまったと反省する。

「良かったねえ、アメリア嬢」
「はい!憧れのカルロス様に会えるなんて、本当に今日はツイてます!今日は朝から運が良いんですよ」
「それは何よりだ。それで、麗しいレディー達と一緒にお茶をする栄光を賜っても良いかい?」
「エルラ様が良ければ、ぜひ!」
「私もアメリアが良いのであれば。…カルロス様もよろしいですか?」
「え、あ、……か、構わない」
「わあ、ありがとうございます。カルロス様とお茶だなんて嬉しいです!一生の思い出にします」

 なんと、会って握手をするだけでなくお茶をする等という夢のような事態に発展してしまった。朝からツイてるとは言ったものの、それらが霞む程の幸運である。ラサエルは好みではない等と庶民の分際で失礼なことを考えてしまっていたが、もうラサエルの――王宮の方向には今後足を向けて寝られない。自室の寝台はどの方角を向いていただろうか、等と考えつつ、アメリアは再びカルロスを見つめた。

(障害物なしで見るカルロス様、かっこよすぎる…。しかも、私のことを認識してくれてるなんて、どんな奇跡?)

 こうしてこの距離でカルロスを見るのは初めてであるが、窓ガラス越しであればアメリアは頻回にカルロスを見つめている。具体的に言えば、週1回程度で。もっと言えば、アメリアは昨日もカルロスを一方的に拝見したばかりだ。
 何故そんなことが可能かと言えば、それは目の前のカルロスが人格者だからである。基本的に魔道具師の技術というのは門外不出で、師匠から弟子へと伝わるものだ。その中で、カルロスは異質だった。誰からも師事を受けず、過去の古い文献を元に独学で魔道具師となった。既に世に出回っている魔道具の作製は勿論、新たな魔道具の開発にも余念がない。すごいのは、そのどれらも品質が最高級ということだ。それなのに驕らず良心的で、品質からすればもっと高値を付けても良いのに、一般的な流通価格で魔道具を下ろしている。勿論、アメリアが所持する魔道具は全てカルロスが作製したものだ。
 そして、基本的には門外不出の技術を、カルロスは全ての人に開放しているのだ!カルロスの工房は一室が一面大きな窓ガラスになっており、誰でもカルロスが魔道具を製作する工程を見学することが出来る。週に1回許されているそれに、アメリアは毎週通っているのだ。皆遠慮しているのか時折遠巻きに見学に来る魔道具師らしき者くらいしか見かけないが、アメリアは窓ガラスに張り付くレベルで毎回見学している。アメリアは何も魔道具作製をしたいわけではない。ただ、憧れのカルロスが真剣に仕事に取り組むさまを見たいのである。不純極まりないが、あまり見学者がいないので良いと思うことにしている。もし迷惑なら、きっとカルロス本人から注意を受けるだろう。

 ちなみに、アメリアはカルロスと話したのは正真正銘これが初めてだ。特に幼い頃彼に助けられたことがあるわけではなく、運命的な出会いをしたわけではない。ただ、品質が高く価格も安い魔道具を作っているカルロスが技術を開放しているという噂を聞き興味半分冷やかし半分で見学に行った結果、あまりにも好みな外見をしたカルロスに一目惚れしてしまったのだ。後から独学で魔道具師になった努力家なところや高品質な魔道具を安価で販売している慈愛の精神があるところ、そして知識や技術を惜しげもなく公開する親切で豪胆な性格を知り、益々好きに――崇拝するように――なってしまったわけだが。

「ふふ。アメリア嬢、そんなに見つめていてはカルロスに穴が空いてしまうよ」
「――はっ!も、申し訳ありません!」
「っ、おいラサエル…!」
「アメリア、殿方をそのように見つめるなんてはしたないですわよ」

 ラサエルとエルラに注意され、アメリアは羞恥に顔を染めた。カルロスもそこはかとなく頬が赤く、瞳がきょろきょろと忙しなく漂っている。どうやら、居心地を悪くさせてしまったらしい。
 アメリアは憧れのカルロスを困らせてしまったことを猛省し、その後は出来る限りカルロスを視界に入れないよう気を配った。極端かもしれないが、一度視界に入れてしまえばまたカルロスを困らせるレベルで見つめてしまう自信さえあった。今度は逆にカルロスからの視線を感じたような気がしたが、カルロスを視界に入れまいとするアメリアに真偽は分からなかった。カルロスからの視線を受けているかもしれないという緊張で変な汗をかいたし、恐らく変な顔をしていたのだろう、エルラには呆れたような表情をされた。それでも見捨てず時折話題を振ってくれたエルラは、本当に優しい。アメリアは改めてエルラを尊敬した。






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