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4章 おじさんと赤ちゃん

第49話 俺は告白する

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 食堂で赤ちゃん用の粉ミルクを手に入れ、赤ん坊フィアットに飲ませるとやっと泣きやんでくれた。
 お腹一杯になって、今は絵里の腕の中でスヤスヤと天使の寝顔を見せている。

 だが、現状は地獄のようだった。

「せっかく転生したのに、なんでおっさんなんかに……」
「うっさいわね」

 食堂の隅のテーブルでは、絵里の他にも柴田が一緒に座っていた。来なくていいと言ったのに、部屋からついてきたのだ。

(ああ、最悪だわ。正体がこいつにバレるなんて)

 絶対にバカにしてくると思い、絵里はうんざりする。

 食堂に来る前、オージンの姿は前世の絵里の姿になってしまった。これがフィアットの時間を操る魔法であることは疑いようもない。
 まさか前世まで巻き戻されるなんて、フィアットの底知れない魔力に驚愕する。

「あんただって、男の欲望丸出しって感じのビッチで安直過ぎるわ」
「別にいいだろ。俺の勝手だ」
「はいはい。じゃあ私がおっさんなのも、私の勝手だから何も言わないで」

 二人が少し大きな声を出したせいか、フィアットが「うぅぅ」とぐずったので、慌ててぽんぽんと背中を叩いてあやした。
 すぐにまたスヤスヤと眠りに落ちる。

(いつになったら元に戻れるのかしら……)

 一難去ったが、現状何も解決していないため絵里は途方に暮れる。

 今の絵里には神様からのギフトも何もなく、こんな異世界に無防備に放り出されて不安しかなかった。しかも、赤ん坊を抱えてこれからどうすればいいのか。

「なぁ、ちょっと俺にも赤ちゃん抱かせてくれよ」
「え、いやよ。乱暴にするでしょ」
「しないよ。ずっと抱っこして腕が疲れただろ? ちゃんと抱くから貸せって」

 確かに腕が痺れていたため、「絶対に落とさないで」と何度も言ってから、絵里はおくるみに包まっているフィアットを渡した。

 柴田は恐る恐る受け取り、落とさないようしっかり胸に抱く。

「ふふ……可愛い」

 意外にも柴田はフィアットを優しい目つきで見つめて、微笑んだ。指先で頬をつついてあやしている。

「へー、柴田って子供好きなんだ?」
「別に……」

 否定するが、赤ん坊を胸に抱く柴田は嬉しそうだ。

 しばらく天使の寝顔で癒されていた柴田は、急に暗い顔をして口を開く。

「……俺、もう何度もおろしたから、子供が産めない体になっちまったんだ……」
「なんでまた娼婦なんて……」

 神様に頼んでまで美女になったのに、わざわざ苦しい道を選ぶなんて絵里からすれば理解できなかった。

「楽して稼げると思ったんだよ。その通り最初は順調で、贅沢な暮らしもしてたけど……中絶があんなに体の負担になるなんて思ってなかった。生理が来るたびあんなに苦しいなんて……」

 いつも柴田は「女はズルい、楽してる」と嫌味を言っていたが、自分が女になってみてその大変さを身をもって知ったのだろう。

「貴族たちの乱交パーティーに呼ばれた時に、岡部先輩が現れたんだよ。それでヤッた後に正体バラしたら、めちゃくちゃキレてた。最中は歯の根が浮くようなクサい言葉を連呼してたのに、手のひらクルーだぜ? あいつマジ女の敵だな」

 子供の前で話す内容ではないが、フィアットは寝ているし、きっとまだ言語も理解できない歳なのでいいだろうと、絵里はこの話に乗ることにした。

「というか、よく岡部とヤれたわね。そもそも、男のあんたが男に抱かれるってどういう気分なの?」
「俺、ゲイだから」
「!?」

 寝耳に水のカミングアウトに、絵里は飲みかけの水を吐き出しそうになった。

 今まで、柴田が同性愛者だったなんて微塵も感じたことはない。逆に、いつも岡部と一緒に合コンに行くくらいの女好きだと会社では思われている。

 柴田は少し目を伏せて、気まずそうに絵里から視線をそらした。

「だから……俺、女になりたかったんだ」
「あ……そ、そうなの……」

 なんと言っていいか言葉に詰まる。

 だが、柴田が女になりたくてもなれなくて「女はズルい」と嫉妬していたのならば、これまでの彼の言動に納得がいく。

「俺……岡部先輩のことがずっと好きで……何年も片思いしてて……やっとこの世界で女になって夢が叶ったのに、俺だと知った途端に冷たくされてさ……キモイを連呼されて、なんかすげぇ情けなくなって、強がって言い返して……財布奪って逃げたんだ」

 岡部が最悪な男だというのは同感だが、財布を盗むのは普通に窃盗罪だ。

(その時の光景が目に浮かぶ……今日だけは柴田に同情するわ)

 まさか柴田と共感できる日がくるなんて――本当にどうでもいい収穫だ。

「愛が一気に憎悪に変わったってわけね。そもそも、なんで岡部なんか好きになるのよ。あれだけ近くにいたんだから、あいつがヤリチンだって知ってたでしょ?」
「それを言うならお前だって、岡部先輩に処女奪われてんじゃねぇよ」
「な、なんでそれ知ってるのよ!」

 人生の汚点をまさか柴田が知っているなんて、絵里は今すぐ甲板から身を投げて深海に沈みたい気分になった。

「あの男が黙ってると思うか? 久保田と寝た翌日に、嬉しそうに報告してきたぜ」
「うぐっ……お願い、誰にも言わないで……人生最大の過ちよ……」

 心の底から、あの時に戻ってやり直したいと願う。

「どうせお前も、白い家で一緒に暮らそうとか言われたんだろ? マジでワンパターンすぎだよな。そんなのに女どもは簡単に騙されて――俺も、耳元で囁いてくれた時は、本当に愛してくれると信じた馬鹿な女の一人だ……」

 うな垂れる柴田。
 愛おしそうに赤ん坊を抱く彼女は、岡部との幸せな家庭を夢見ていたのだろうか。その切なそうな顔には未練が見え隠れしている。

「俺、ずーっと久保田に嫉妬してたんだよ。岡部先輩は何年もお前のこと狙ってて、俺に手を出すなって何度も言ってたんだぞ?」
「処女を奪われた翌日に、他の女との婚約発表された私の身にもなってよ! あの場で舌噛んで死にたかったわ……」

 結局、死んだ今でもこの異世界で岡部と再会してしまったのは不本意の極みだ。
 やはりあの時、去勢しておけばよかったと後悔する。

「岡部先輩が婚約者した美人作家って、専務の姪っ子だって知ってたか? たいして面白くない小説を『重版出来!』とか煽って、コネで有名作家に帯を書かせて、ゴリ押しで売ったんだ。婚約も専務からの紹介で断り切れなかったって言ってたけど、ヤることはヤってるから、やっぱりクソ野郎だよ」
「でも、好きなんでしょ?」

 湯水のように柴田の口からは岡部に対する恨みつらみがこぼれるが、絵里がそう聞くと押し黙り、顔を赤くした。

 恋は盲目と言うが、岡部の本性を知ってもまだ柴田は彼のことが好きなようだ。

「このこと、岡部先輩に言わないでくれ」
「言わないわよ。そっちも、私のことは言わないで。岡部とはこの姿で会わないようにするから」
「わかった。約束する」

 すんなりと約束は交わされた。

 もっと色々言われることを覚悟していたが、柴田が抱える問題の方が衝撃的すぎて、絵里の正体のことなど彼にはどうでもいいのだろう。

「じゃあ、久保田がここにいるなら、あの聖女の中身は誰なんだ?」
「私も知らないわ。でも、社内の人間である可能性は高そうね」

 一晩経ったが、まだ聖女たちは見つかっていない様子だ。
 さっさと自国に帰ったのだろうか。

「うぅ、うぅ~まぁまぁ」

 フィアットがまたぐずりだしたので、絵里は両手を出して柴田から受け取った。絵里の腕に抱かれると、安心するかのように静かに眠る。

「で、その子は久保田が産んだのか?」
「まさか。ちょっと訳ありなの。説明するのが面倒だから訊かないで」
「なんだよ、教えろよ……まぁいいや。こんなに可愛い赤ちゃんに何の罪もないよな」

 これからどうするか考えると気が重くなるが、腕の中の小さな命に温かな気持ちになる。
 何があってもこの子だけは守ろうという、強い力が自然と体から湧いてきた。
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