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ヴィクトリアの恋
ヴィクトリアの恋
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そうね…。
私がギュンターと出会ったのは、舞踏会の席で。
彼ったら、会場中の視線を集め、でも窮屈そうだった…。
まるで…爆発する感情を必死で、なだめてるみたいに…。
隣の…もう一人の有名人、アイリスに時々顔を寄せては…眉間に皺を寄せて何か、ささやいてた。
アイリスが近衛を去り、神聖神殿隊付き連隊へ移ると言う話は、近衛婦人達の間で評判で…。
彼との別れを惜しもうとする貴婦人達が、早くこの下らない余興が終わらないかとそわそわしてアイリスの周囲を、覗っていた。
そう…。私の背後からふいに…。
一番年上の姉の子、甥のディンダーデンが、声を掛けて来たのよ…。
「ヴィクトリア」
「あら。来てたの?」
ディンダーデンはその幅広の肩を揺らして隣の椅子に、腰掛ける。
そして、広間中央の道化師達のその向こうの椅子に掛ける金髪美貌のギュンターと、その横の濃い栗毛を胸に背に流す気品溢れるアイリスをチラリと見、つぶやいた。
「お目当てはどっちだ?
栗毛か金髪か」
ヴィクトリアは笑いながら扇を振った。
「まるでここに来て居るご婦人達の目当ては、その二人しか居ないような口ぶりね?」
ディンダーデンは首を捻って肩をすかす。
その流れる栗毛も幅広の逞しい肩も、整いきった顔立ちの中、時折キラリと光る青い瞳の流し目も…。
その注目の二人と並んでも遜色無く、女性の注目を引いた。
がディンダーデンは滅多にこういう場に姿を現さない。
近衛の面子集う舞踏会を、心底嫌ってた。
煩わしく、堅苦しいから。と………。
ディンダーデンは見つめるヴィクトリアに、気づいたようにその青い瞳の流し目で、微笑をくべる。
「…それとも俺と、寝るか?」
ヴィクトリアは途端、笑った。
「貴方の、姉の腕に抱かれた赤ん坊の時の姿を見てる私に、そう言うの?」
ディンダーデンはでもたった四つしか年上で無い叔母を、見つめる。
明るい栗毛を結い上げ、それは色白な面の、つん、と先の尖った鼻をした素晴らしい美人を。
その鳶色の瞳は理知的で時に柔和で、神秘的で母性を感じさせる。
が、ディンダーデンは彼女が、自分の感情に時に驚く程素直に行動する事を、知っていた。
「今との違いを、試せばいいじゃないか」
ヴィクトリアは成長しきって、成熟した大人の男の魅力をたっぷり兼ね備えた今のディンダーデンを見つめる。
が、くすり。と笑った。
「貴方がおいたする度、いつも庇ってたのは誰か、お忘れ?
手に負えないやんちゃ坊主の貴方の姿が私の中から、消えると思ってるの?」
昔から…清冽だった…。
今でも柳の下でその濃い栗毛を揺らし…俯き加減で詫びを告げる彼の…まだ幼い少年の顔。なのにとても大人びた表情の、その月明かりに浮かぶ青白い姿を、思い出せる。
いつも…いつも叱られてたのは、彼。
彼の兄ライオネスは出来すぎな程、利発で礼儀正しく、そして両親の期待を決して、裏切らない子だったから…。
それに…二つ年下のディンダーデンはいつも…その兄と、比べられていた。
叱られては外庭の茂みに隠れ…そっと訪ねると…毎度彼は膝を丸め、つぶやく。
「兄貴と俺は、丸で違う」
比べられる事に、言い様の無い憤りを全身に滲ませて。
ヴィクトリアはその度に彼にささやいた。
「貴方は貴方よ…。
不幸はお母様に、似なかった事。
貴方のお母様は…姉様は、ライオネスそっくりだから」
ディンダーデンはますます顔を、膝に埋める。
母の直ぐ下の妹、叔母アンネッサはディンダーデン同様、それは奔放で…いつも彼に出会うと言ったものだ。
「私のお気に入りの、手に負えないやんちゃ坊主の悪戯っ子ちゃん!」
彼にとっての叔母は、ヴィクトリアを入れて五人居た。
女ばかりの六人姉妹。
内次女アンネッサとこの…末っ子のヴィクトリアが、いつもディンダーデンの味方だった。
母…彼女達の長姉に、ディンダーデンに厳しすぎる。と意見してくれていた。
ディンダーデンは相変わらず甘やかで、女性がつい見惚れる綺麗な微笑をその叔母に向ける。
「…大臣の夫は相変わらず、若い女に入れ込んでるのか?」
昔の自分同様、窮屈な相手に掴まった叔母を、心から労るように。
ヴィクトリアは肩をすくめた。
「貴方はすっかりライオネスともお姉様とも別れて、気楽そうね?」
ディンダーデンは、笑った。
「最高に気分がいい」
でも…ヴィクトリアは知っていた。
その出来すぎた優等生の兄の妻、ソフィスに彼が、心底惚れている事を。
「…ディンダーデン。思い切れたらそうすべきだわ。
アネッサ姉様も私も…思い当たるの。
決して手に入らない相手に…ひどく焦がれるのよ。
辛いと、解っているのに。どうしてだか」
ディンダーデンは弱味を突かれたように一つ、吐息を吐くとささやく。
「…どうしてそう思う?
俺は楽しくやってるように見えて無いのか?」
「両手両足の指を全部足した数を軽く超えているんでしょう?
貴方のお相手は。
でも…。解り過ぎて少し、辛いわ。
誰も彼女の代わりに成ったりはしないから。
どれだけの相手と過ごしても。決して」
ディンダーデンは少し、俯くと顔を上げ、斜めに彼女の綺麗な色白の横顔を見つめ、ささやく。
「俺が不幸だと?」
ヴィクトリアは曖昧に首を振った。
「胸の痛みが、解る程」
そして深い溜息を付きそうなディンダーデンの、その整いきった綺麗な顔を見つめる。
「誰にも…それが解ったりしないから、余計に…」
ディンダーデンが急いで後を継いだ。
「可哀相?」
ヴィクトリアはそっとその華奢な白い手で、ディンダーデンの頬の髪を、なぜるように触れる。
「でも同情は、嫌いね?」
私も、そう。
そんな笑顔に、ディンダーデンは首をすくめる。
「あんたと…アネッサは苦手だ」
ヴィクトリアはくすくす笑う。
「そうね。いつもの貴方が、通用しない相手ですもの」
だがディンダーデンは親しみを込めてヴィクトリアを見つめた。
ヴィクトリアはふいに、思い立ったように告げる。
「金髪の方よ。見てたのは」
ディンダーデンはいきなり眉間を寄せる。
「…栗毛より最悪だ。
世間じゃギュンターは北領地[シェンダー・ラーデン]の貴公子に振られた事に成ってるが、今でもマジで入れ込んでるんだぞ?」
「貴方のソフィス同様?」
ディンダーデンは躊躇った後、つぶやく。
「マジな話、あいつより俺と寝た方がマシだぞ?」
ヴィクトリアはディンダーデンを見た。
その青の瞳があんまり真剣で、つい笑った。
「自分はソフィスを忘れたりしないのに?
私に意見するの?」
ディンダーデンは彼女の性格を忘れていた。と言わんばかりに吐息を吐く。
「貴方のお友達でしょう?勿論、紹介して下さるわよね?」
ディンダーデンは思い切り、再び大きな溜息を、付いた。
「ギュンター」
ディンダーデンに背後から声を掛けられ、ギュンターは振り向く。鮮やかな金髪に囲まれた、優美で整いきった顔立ちの中、意志を示すように紫色の、宝石のような瞳がきらり…!と輝いた。
ディンダーデンはいつもこの悪友のツラについて、女が好む、宝飾品を思い浮かべた。
それは叔母アネッサが持っていた、お気に入りの金飾りの腕輪だと思い出す。
優美な金の飾り模様に、大きな紫色に透ける宝石(いし)が、付いて居た。
「(女のペットだな)」
内心鼻で笑ったものだったが、この男はその予想を見事に裏切り、同様柔なツラだと笑う近衛の猛者に、その新入りは拳で応えた。
あんまりびっくりし、良く、見ると背丈は自分と変わらない。
そして…しなやかで野生の獣のような体付きをしていた。
「(成る程。教練で揉まれ、近衛に迄進むだけの実力は、あるって事だ)」
がその後尽く出会った酒場で、目立つ新入りだとからかいのネタにされ、更にその場の女受けがいいのに嫉妬され、絡まれ続けるのを目撃する度、奴は跳ね除けるようにその全てに、拳で応えていた。
一瞬にして襲いかかる様は見事にしなやかで、野生の豹を彷彿とさせる。
「(なかなかやるじゃないか…)」
それを見てた時、きっと俺はニヤついてたんだろう。
連れの女がぼやく。
「喧嘩相手に、不足無さそう?
でも、ヴィアージ風情を伸したって、貴方の相手にはまだまだなんじゃなくて?」
俺の喧嘩好きを、咎めるような非難の籠もる茶の瞳。
「…まあ…いずれ俺の相手迄、昇格するさ」
「でも今夜は、しないでしょう?」
腕を絡ませ、口を尖らせる彼女に俺は顔を傾け、言った。
「お前をあいつが横取りしない限り、奴と今夜はやらないさ」
彼女はそう…なら、安心ね?と、俺に微笑んでた…。
だが…。
奴が相手を伸して女を手に入れる度、周囲は奴を叩こうと狙い澄ます。騒ぎはますます剣呑に成って行く。
奴が姿を見せる度、それ迄楽しげに酒を煽っていた近衛の男達の、目が一斉に鋭く成る。
女が寄って行くと途端、奴に意見しようとする男達が席を、立ち上がる。
俺はつい、物見のようにその様を、覗った。
取り巻く女達の一人がささやく。
「ディンダーデン。彼、新入りなんでしょう?」
「そうだ」
「貴方、この中の一番の“顔”じゃない。
…このままじゃ彼…あの綺麗な顔がいつか、台無しに成るわ」
「そうするつもりで奴らはあいつに喧嘩売ってる」
三人の男に取り囲まれ、だが一人が、その三人を押し退けて怒鳴った。
「三人かがりじゃないと倒せない相手だと、こいつを持ち上げる気か?!
近衛の名折れだぞ!」
俺はやっぱり…ニヤけてたらしい。
「…もう…!
貴方が出て行って、『酒を楽しく煽ってろ!』とか何とか言えば、たちまち騒ぎは収まる筈だわ?」
「俺に、止めろって?」
彼女達はあいつを取り巻く女同様、奴の柔な面が心配らしかった。
「たかが新入りのする事じゃないの!」
「毎晩彼の顔がいつ変わるか、はらはらするのはもう嫌だわ!」
取り巻く女達は皆が同意見らしかったが、俺はそっぽ向いた。
「…解ってないな。女は。
新入りだから…今の内に叩くんだ。
のさばった後じゃ遅い」
「じゃ、彼の顔が醜く歪むのを覚悟しろって事?」
「奴に跳ね除けて自分の顔を護るだけの、拳が無けりゃそうなる」
女達は、もう…!だとか男は野蛮だ。だとか…ぶつぶつ言ってたが。
俺の視線は今夜の見物に釘付けだった。
どうする?
今迄のサーフォラン。アンドゥトゥル。デリアング迄はたかが初級編だ。
が、今夜のロッドルトンは甘く無いぞ?
背はギュンターより、低かった。
がその、盛り上がり服の布地を破りそうな筋肉隆々の肩と腕。そして、俊敏な足。
ディンダーデンですらロッドルトンと喧嘩をし、沈めるのに時間を要する。
酒場の皆は今夜こそロッドルトンが、女達お気に入りの優美でスカした面を叩きのめし、次に奴が酒場に現れた時、女達は見る影も無く崩れた奴の顔に失望し、もう取り巻く事も無くなる。
そう…期待していた。
が…この目立つ金髪美貌の新入りは、ものの数秒でその男を沈めた。
向かい来る拳をぎりぎりでかわし様、一瞬で身を屈めて懐に入り、下から相手の顎を、殴り上げたのだ。
その時初めて近衛の男達はこの新入りに、驚愕の内に敬意を、払った………。
俺は腹の底から笑っていた。
あんまり、見事で。
相手を殴り倒した後でも奴は態度を変える事無く、離れていた女達に再び囲まれ、その長身を屈め彼女達の言葉に聞き耳を立てる。
…成る程。余程喧嘩慣れしてる。場数を、踏みまくってる様子だ。
面白い奴だ。が…いつか、自分とやりあう時が来る…。
そう…身構えた筈だった。
ある夜の酒場でここ数日口説こうと狙いを定めてた女が、来ていたギュンターに寄って行き、伺うように長身の彼を見上げ、零れるような笑顔を、長身のギュンターの優美な顔に向け口説いている様子が目に入った時、奴と俺がとうとうやりあう時がついに来た。
そう…思い着ていた上着を、脱いだ。
大抵奴は女の誘いを断らなかった。
少し退屈そうに、暇を持て余したようにたたずみながら…寄って来て腕を絡ませて来る女に頷き、毎度応えてた。
奴に向かって歩を進めると、近衛の男達の、注目が集まる。
とうとう…。
自分への期待とそして…対決の成り行きを見守ろうと固唾をのむ様子が、酒場中に漂う。
万一俺が返り討ちにあったなら、俺の地位は失墜し奴が俺に、取って代わる。そんな…気構えさえも、感じられた。
見えない緊迫感が俺を包んだが、俺はわくわくしていた。
情事以外で久し振りに思い切り暴れられる、絶好の機会だった。
が…俺が奴の横に辿り着く、その前に…ギュンターは口説いて来る女に、首を横に、振った。
俺は目を、見開いた。
彼女は落胆したように吐息を吐いて首を下げ、だがもう一度ギュンターを見上げ、やはり零れるような笑顔を見せる。
俺の目は奴で無く、彼女のそんな姿に吸い付いた。
…少し、ソフィスに似ていた。
鮮やかな、滅多に無い程艶やかな栗色の巻き毛。薔薇色の頬。はっきりとした目鼻立ち。
ダークブルーの透けた、理知的な瞳の…美しく意思の強い、兄嫁に。
美人だ。それに…はち切れそうな胸と、くびれた細腰。
スカートで隠れてはいてもラインで解る、豊かな尻。
…今まで奴に誘いを掛ける女の中でも上の部類に入るし、彼女自身もそれを知っている。
自分が、断られるだなんて。
だがギュンターは自分より背の低い彼女に顔を下げて見つめ、何かをささやきかける。
途端、彼女は苦く笑った。
そして二言三言言い返し…惜しそうにその場を離れ…一度、ギュンターに振り向いた。
ディンダーデンは彼女が目前を、通り過ぎようとするその、腕を咄嗟に掴んでいた。
「…どうして、奴に振られた?」
彼女は、びっくりしたようにその明るい青の瞳を見開いた。
目の色は少し明るくても…真正面から見つめる彼女はやはり…ソフィスに、似ていた。
甘い、幻影が広がる。
青空晴れ渡る午前の庭。
洗濯物を干していた、彼女の背。
風が干した衣類をはためかせ、ディンダーデンは衣服止めを取り付けようと手を伸ばす彼女の手からそれを取り上げ、風で飛びそうな衣服に付けて言った。
『女中の仕事だ』
彼女は振り向いて笑った。
『ライオネスの衣服は私が、洗いたいのよ』
…が直ぐに、腕を掴んだ女はディンダーデンに気のいい微笑みを浮かべると、言った。
「…私は彼の姉にそっくりだから、どうしても寝られないって!」
ディンダーデンは一瞬、ぐっ。と喉を詰まらせた。
伝い聞く噂で奴の境遇を知ったが、男ばかりの五人兄弟の、真ん中だ。と。そう。
『奴に、姉は居ない筈だぞ?』
口から出かかったが、飲み込んで彼女の、腕を放した。
つい…奴に詰め寄っていた。
口を、利くのも初めてなのに。
気づくと怒鳴ってた。
「どうしてあの女を振る!」
ギュンターは呆れ顔を向ける。
「どうして怒る?あんたが狙ってる女だろう?
俺が振って…礼を言われる筈だ。違うか?」
ディンダーデンは口を…ぱくぱく…させたと思う。
だってそんなに気が回る男とは思って無くて…本当に意外だったからだ。
が途端、そのこすっからい保身に眉根が寄る。
「俺と…殴り合うのが嫌で、姉が居ると嘘を付いたのか?」
ギュンターは肩を竦め、素っ気なく言った。
「あんたを殴って迄欲しい。と、俺は思ってないからな」
眉間を、寄せた気が、する。その言い様がプライドに障って。
「だから俺に、譲る。か?
俺にへつらって迄自分護る。か?
そんなに自分の面が、可愛いか!!!」
俺の怒鳴り声は、酒場中に響いてた筈だ。
近衛の男達は、奴が最強のディンダーデンと争う事を止め、二番手で幅を利かせる腹だ。とささやき合い、やれやれ。と首を横に振り一斉に項垂れていた。
ギュンターはだが、その時初めてその紫の瞳を真っ直ぐ、激昂する自分に投げた。
その顔に現れた表情は…優美にもう、見えなかった。薄っぺらい、女のペットにも。
少し…気の毒げな、真剣な表情で口を開く。
「俺が、見ている限りで三度…あんたは彼女に寄り掛けて止めた。
だからあの女には婚約者か夫が居て、口説けないのか。と、思ってたら俺のとこに来る。
…断るだろう?普通」
俺はその真剣な同情に腹を立てた。
「普通なのか?!」
がギュンターは、即答する。
「他の男がマジに入れ込む女に、遊びで手が出せるか?」
その言い様は…俺がかなり…かなり真剣に、女に入れ込んでる。
そんな…口振りだった。
俺は大きな溜息を吐き…顔を背けて俯き、奴を、見なかった。
丸で…誰にも見られたくない心の秘密を一瞬で…見抜かれたみたいな気がして。
だが奴はそんな俺に顔をそっと傾け、秘やかにささやく。
優しげな…そんな響きさえその口調に滲ませて。
「惚れてるんなら、とっとと口説いてきたらどうだ?
あんたに声かけたらどうだ?と聞いたら、あんたはいつも女に囲まれてるから、近寄りがたい。と言ってたぞ?」
ギュンターの心配げな言葉につい、顔が、揺れた。
「あんたに寄れないから、俺のとこに来たんだろう?」
その言葉で…ようやく顔を上げ、奴を、見る。
俺の近衛での評判を聞き、保身に走るんじゃなくマジに、心からの言葉でそう告げるその男に、俺はもう脱帽していた。
「美味しいものは、先に食べるタイプか?お前は」
聞くとギュンターは顔を下げ、訳知り顔で頷いた。
「あんたは後に、とっとくタイプのようだ」
俺は…やっぱりムキに成って、心の中で反論していた。
“幻影は…とっときたいだけだ。
寝たりしたら…もう彼女を見てもソフィスを、思い浮かべたりはしないだろう………?”
言いかけた。が…。
ギュンターの、視線を感じ、つい口をついて出た。
「惚れてる兄貴の嫁さんに似ている」
ギュンターは察したように頷く。
「寝ないで…兄貴の嫁さん。に彼女を、しときたいんだな?
兄貴の嫁さんには、滅多に会えないのか?」
俺は…頷いていたと、思う。
奴との戦意はそれで………綺麗に、消えていた。
素直な男だ。そう…思った。
見かけのチャラチャラした様子よりずっと…情が、あった………。
男兄弟も、一人で無く四人も居ると、こんなに…素直に成れるものなのか?
俺には解らなかった。
いつも…余裕で笑うライオネスに、俺はあんたと違う。と、その事を、自分と周囲に、示し続けなくてはならなかったから……………。
「…来てたのか?珍しいな」
ディンダーデンは一つ、頷く。
「そこのラデッシュが近衛を退く原因に成った噂の若造の顔を、拝みに来た」
ギュンターは一瞬顔を揺らし、隣のアイリスを、見た。
「…今日の気分は、ラデッシュか?」
ディンダーデンが、頷く。
アイリスは、聞こえたように広間中央の道化の芸を見つめたまま、眉間を寄せる。
そして低く通る小声でつぶやく。
「彼が私を退かせたんじゃなく、私が抜けても彼が居るから大丈夫だと思って退くのだと、君の副隊長に説明してくれないか?ギュンター」
ギュンターは隣のアイリスの、整いきった優美の横顔を見た。
声は冷静だが、怒ってる様子が滲んでいる。
ギュンターは首をすくめる。
「大丈夫な訳あるか?
入隊したての若造だ!
ローフィスもローランデも抜けたんだぞ?
お前迄抜けたら…」
アイリスはようやく振り向き、ギュンターを見る。
その微笑が明らかに冷笑で、ギュンターはつい二つ年下の、その美男の近衛の大物を見つめる。
「君の暴走を、止める役目が居なくなってオーガスタスとそこの君の副隊長が頭を抱えるか?」
ギュンターは思わず眉を寄せた。
「俺が厄介だから?手に負えなくて抜ける気か?
ディアヴォロス(左将軍)はお前を准将に。と考えてた矢先じゃないか!」
がアイリスは冷静さを崩さない。
「だから…成る前がチャンスなんだ。
准将に成ったら迂闊に抜けられないし…ディアヴォロスは私の気づもりを察してる。
第一アシュアークは入隊したてだが「右の王家」の出身の大貴族で、アルフォロイス(右将軍)と懇意な上君の事を凄く、気に入ってる。
確実に私より丹念に君の、フォローをしてくれる事請け合いだ」
ギュンターは思いきり眉間を、寄せる。
「…お前、拗ねてないか?」
アイリスはおもむろに振り向く。
その濃紺の瞳が笑って無くて、普段優美で気品溢れた笑顔を湛える男の、実際の性格が面に出たような厳しい冷徹さを覗かせた。
「拗ねて、無いし君の為に自分の判断を変えたつもりも、アシュアークの為に身を引いた覚えすら、無い。
これは私にとっては、チャンスなんだ!」
ギュンターはようやく、吐息を思い切り吐き出した。
「お前、本当に神聖神殿隊付き連隊に行きたいのか?」
アイリスは微笑をその口に湛えたまま、眉間を寄せた。
「だからさっきからずっと、そう言ってるだろう?」
「近衛の准将を振って…神聖神殿隊付き連隊の連隊長の座を射止める気か?」
アイリスは肩をすくめた。
「君は解ってないが…近衛は立て続けに戦が続く。
息子もそろそろ物が解ってきて、近衛での戦の様子を召使いや使者に毎度、尋ねてる。
明日をも知れぬ病気の妻と二人切りの幼い息子にこれ以上、私の命の心配迄させたくないんだ!心から!」
ギュンターはようやく、頷いた。
「…つまり…息子の為か?
その為なら自分の意志も、変える気か?」
アイリスはだが途端、悲しげな表情を、した。
「意志を本気で変える気なら、『光の塔』付き連隊に入ってる。妻や息子の為ならそこが一番いい。仕事が終わればずっと側に居られる。だが…」
アイリスの様子にギュンターはまた、吐息を吐く。
「宮仕事は苦手なんだな?
神聖神殿隊付き連隊は、両者の折半地点か?」
アイリスは気弱な表情を浮かべる。
「どう思う?
『光の塔』付き連隊に行けば息子や妻の側にずっと居られる…。けど宮仕事に付き物の宮中の陰謀に長けたりしたら、絶対私はもっと、性格が陰険に成る気がするんだけれど…」
ギュンターは請け負った。
「それ以上陰険に成ったら、化け物の域だ。
息子と妻の為にも、神聖神殿隊付き連隊に行け!」
アイリスは躊躇ったが、項垂れながらこっくりと頷いた。
ギュンターが顔を上げると、ディンダーデンは呆れたように、アイリスの横顔を見つめていた。
「…で?俺に用か?」
ディンダーデンはくい!と顎を上げて促す。
ギュンターは仕方成しに席を、立った。
途端、だった。
拍手が沸き起こり、道化が居たその場所に、金の長髪をたおやかに背に垂らすすらり。とした美青年がたたずんで皆の拍手を浴びていた。
右将軍アルフォロイスが彼の横に並び、一族の若き精鋭を皆に指し示す。
それは新たな隊長の披露目で、年若きその、近衛では小柄とも言える体付きの美青年が、そこに居る誰よりも獰猛な獣だと言う事を、既に近衛の男達は知り尽くして居たから、誰も彼の隊長昇進に、異議を唱える者等居ない。
更にその美青年は、「右の王家」と呼ばれる金髪の王族の血統の、近衛のサラブレッド。
准将への道を、確約されたとも言える隊長就任披露目で、どの隊長披露目よりも華やかな舞台が用意され、それがこの、近衛の殆どの大物が集う舞踏会だった。
「…あれが、そうか」
ディンダーデンが唸る。
が、ギュンターは背を向けるとぼそり。と耳元でささやく。
「まさか、俺に女を紹介する気なのか?」
ディンダーデンの背後の、彼らより少し年上の美女を顎で差す。
ディンダーデンはおもむろに頷くと
「俺の叔母のヴィクトリアだ。
お前を紹介しろとせっつかれた」
ギュンターは解った。と頷く。
「叔母じゃさすがのお前も、口説けないからな」
ディンダーデンはそう言うギュンターを、たっぷり見た。
「口説いたが、フラれた」
ギュンターが、ぷっ。と吹き出す。
「…マジな話、お前はローランデに首ったけだからやめとけと忠告したのに聞かない」
ギュンターは二度(にたび)、頷く。
「お前の、叔母だもんな。血は濃いらしい」
ディンダーデンは嫌そうに眉をしかめ、ギュンターを睨む。
「ほざけ…!」
だが、一層ギュンターに顔を寄せると、うんと声を落としささやく。
「…だから、こっぴどく振れ」
今度はギュンターが、眉間を寄せる。
「…逆じゃないのか?」
「いや?お前が酷い奴だと泣く彼女を俺が、慰める」
ギュンターが肩を竦めると、ヴィクトリアもささやく。
「…ディンダーデン。全部聞こえてるわよ?」
ディンダーデンはそう言う彼女を呆けて見つめ、ギュンターは吹き出した。
彼女がすかさず、言う。
「笑ってると、とても可愛いわ?」
ギュンターの、笑いがピタリ!と止まる。
ディンダーデンがほら見た事か。と肩をすくめ、呻く。
「…だからこっぴどく振れ。と言ったんだ」
「…でも、貴方は私に付き合うわ?
後腐れ無いし、楽しいし、うんと気楽だから」
ギュンターは小声で、その小柄な彼女にささやく。
「頼むから、喰い付かないでくれ」
ヴィクトリアは途端、笑った。
「あら?結構小心者なのね?」
ギュンターは隣の色男を見る。
「俺が女だったら、ディンダーデンとだけは付き合わない」
「どうして?」
「なぜだ?」
ヴィクトリアだけでなくディンダーデンに迄そう聞かれ、ギュンターは肩を竦めた。
「だって、深入りしそうで更に、思い切り振られそうだ」
ヴィクトリアは途端、朗らかに笑う。
「あら…!
同様な意見を、貴方と付き合ってた女性から聞いたわ?」
ディンダーデンがジロリ…!とギュンターを見る。
「人の事は言えないって事だ」
ギュンターは頭を、下げた。
が、気づくと噂の主は、椅子に掛けるアイリスに挨拶をしていた。
アイリスがにこやかにその礼を受けてささやく。
「ここは舞踏会の席にもかかわらず、近衛の上下関係をおもんばかって私に礼を頂けるなんて、光栄です。
この場で貴方は私より身分の高い、王族ですのに」
アシュアークはその顔を綻ばせる。
「貴方が居ない近衛は、光が消えたように寂しい」
が、アイリスは笑った。
「ギュンターが居れば貴方の闇は晴れるはずだ。違いますか?」
それを聞き、ディンダーデンがギュンターに肩を竦めてみせる。
がギュンターは背を向けたまま、振り向かず俯いている。
「ギュンター」
背後からその王族に、名を呼ばれても。
ヴィクトリアがつい、ディンダーデンに視線を送るが、ディンダーデンは内情は知らない。と肩を竦める。
「…失礼。ギュンター」
アシュアークは本当に失礼にも、ヴィクトリアの横をこじ開けてギュンターの前へと進み出る。
が、ギュンターが顔を背けるのを見て、ディンダーデンはつい、悪友の顔をまじまじと見た。
が、押し退けられたヴィクトリアはつい、その美青年に張り合うようにささやく。
「どういうご用かは窺い知れませんが、ギュンターはたった今、私と約束をしましたの」
アシュアークの、眉間が思い切り寄る。
が直ぐギュンターに振り向くと、言った。
「…今夜は私にとって特別な晩だ。
隊長就任祝いは君から、貰えないのか?」
その視線は色香を含んでいて、ディンダーデンにもヴィクトリアにも、それがギュンターと一夜を過ごす意味だと、解った。
ヴィクトリアがムキに成ってずい!とアシュアークを押し退ける。
「…私の後に成るわ。
多分遅い明け方近くに」
そして、一瞬ヴィクトリアとアシュアークの間に、火花が散った。
ディンダーデンが
『どうするんだ?』
とギュンターを見る。
ギュンターはチラ。とその悪友の顔をじっ。と真剣に見、そしてアシュアークにささやく。
「どうしても俺がいいのか?
俺より床上手で最高の気分にさせてくれる男が横に居るんだが」
アシュアークは瞬間、ギュンターの横に並ぶ近衛でも有名なアイリス並の美男の色男、ディンダーデンを見つめる。
そしてディンダーデンの男ぶりに、にっこり。と微笑を零してささやく。
「…勿論、彼を断ったりしない。
今夜以外なら」
ギュンターは途端、あくまでヴィクトリアと張り合おうとする、近衛の若き新鋭の顔を吐息混じりで見た。
「いくら王族でこの場で一番身分が高かろうが、それは年上のディンダーデンに失礼だろう?」
アシュアークは言われた途端素直に項垂れると、ディンダーデンを見つめてささやく。
「失礼をお詫びします。
私は儀礼に長けて無いので」
ディンダーデンが頷く。
「今夜だけはどうしてもギュンターがいいんだな?」
だがヴィクトリアは引く気が無いようで、その年若い美青年に告げる。
「就任祝いなら、今夜である必要は無い筈だわ」
だがここで再び、ヴィクトリアとアシュアークの間で火花が散った。
ギュンターはアシュアークの扱いに長けている、椅子に座るアイリスをチラ。と見たが、ディンダーデンが居るから私の出番は無い。と言う様に、そっぽ向いて知らん振りだ。
チラ。と周囲を伺うが、舞踏会に集まった女性達は、アイリスがいつ椅子から立ち上がるのかを伺い、同時にギュンターの様子も伺ったが、さすがにたった今紹介を受けた「右の王家」の若者を押し退ける訳にも行かず、待機して状況を見守っていた。
ギュンターはもう一度、アシュアークを眺める。
今夜の相手を誰にするかで、また会場を混乱に導く大騒ぎが起きる様子は無くなったが、たった今目前で二人が火花を散らし、つまりこの二人のどちらかを、選ばざるを得ない。という事だ。
チラ…。
ともう一人、「左の王家」の近衛の隊長、ディングレーの姿を集う者達の間に見つけ、しめた。と思った。
「…ディングレーも来てるぞ?
奴とも一度、寝てるんだろう?」
アシュアークに言ってやると、アシュアークは悲しげに顔を伏せる。
「彼にはとても、迷惑を掛けた」
ディンダーデンはついその、殊勝な猛者を見つめる。
「どう…迷惑を掛けたんだ?」
アシュアークが言い淀み、ギュンターが吐息混じりにつぶやく。
「彼がまだ教練に上がる前、惚れた相手を追っかけて教練宿舎に忍び込み、そこで一目惚れしたディングレーに迫ったんだ」
ディンダーデンは呆れた。
「…惚れっぽいのか?
お前、親衛隊を何人も抱えてるだろう?
若年とはいえあれだけ将来有望でなかなか見目もいい男達に囲まれて、まだギュンターや俺とも寝たいのか?」
ギュンターがこっそり、ディンダーデンの耳元で小声でささやく。
「アイリスを、受け側にしたような奴だ」
ディンダーデンがぼそっ。と感想を洩らす。
「美味しそうな相手は一通り賞味したいんだな?」
アシュアークはチラ…。と、ディンダーデンのご機嫌を損ねてないかを伺う。
が、ヴィクトリアが業を煮やし、ギュンターの腕に自分の腕を滑り込ませてアシュアークに言い放つ。
「子供のお守りは大変でしょう?
今夜は大人の、お付き合いをするわよね?」
そしてギュンターに、音楽鳴り響き人々が踊り始める広間へと目で促し、アシュアークの目前からギュンターを奪い去る。
取り残されてアシュアークを押しつけられた形のディンダーデンが、ギュンターの背にぼそっ。と洩らす。
「お前達の横の寝室に陣取るから、終わったら顔を出せ」
ギュンターは振り向かずに頷き、ヴィクトリアがさっ。と振り向いて『裏切りもの』とディンダーデンを睨むが、ディンダーデンに弱り笑顔で肩を竦められ、ヴィクトリアは仕方成しにギュンターの美貌を見上げ、つぶやく。
「まるまる一晩、貴方を独り占め出来る事は不可能なの?」
ギュンターは、困ったようにつぶやく。
「…俺の優美さは顔だけだ。
中身は粗雑だから、直ぐ飽きるぞ?」
だがヴィクトリアは異を唱える。
「優美なのに粗雑だから、女は惚れるのよ!」
解ってないわね。と叱られて、項垂れながら広間へ連れ去られ、ヴィクトリアと共に、踊りの輪の中に優雅に加わるギュンターを、ディンダーデンもアシュアークも見送る。
しょげた様子の、さっき迄中央で華やかに祝われた舞踏会一の注目株に、ディンダーデンはそっ。と声を掛ける。
「ギュンターを待つ間俺じゃなくてもいいぞ?」
だがアシュアークは咄嗟にすがるようにディンダーデンの腕にしがみつき、必死な眼差しで見つめ返した。
「…貴方まで、私を見捨てるんですか?!」
正直美青年だったし、可愛かったからディンダーデンは心がぐらり。と動いた。
親衛隊が、付く筈だ。例え浮気しまくったとしても。
「垂らしだな。天然か?」
アシュアークは悲しげに俯く。
「私を愛してくれる人は滅多に居ないし、相手してくれる人もあんまり居ない。いつも私は相手を困らせてる」
「俺は、困ってない」
ディンダーデンに言われた途端、アシュアークは嬉しそうに顔を上げて微笑んだ。
が、ディンダーデンは心の中で、言い聞かせる。
「(この笑顔を、俺に惚れた。とカン違いすると痛い目に合うんだな)」
一瞬、奴の若造の親衛隊に自分が肩を並べる図を想像して、ぞっ。とした。
いい恥さらしだ。
あの、ディンダーデン迄もがアシュアークの僕(しもべ)に成り下がった。等と噂されるのは。
後でギュンターにもっと奴の事を掘り下げて聞き出さないと。
心の中で自分に言い聞かせながら、戦い始めると猛虎のように成る、可愛らしい微笑を湛えた「右の王家」の高貴な王族を横に、ディンダーデンは彼の腕を取って人の少ないバルコニーへと誘った。
アイリスが椅子を立ち上がり、彼を取り巻こうとした女性達が一斉に目を光らせた途端、「左の王家」の王族、ディングレーが彼に寄り話しかける姿に、女性達は待機を再び強いられていらいらと爪を噛み、二人の様子を伺った。
舞踏会の重鎮らは、今夜は若い女性が騒がず、静かですな。と微笑み合ったが。
アイリスは別れを素っ気なく告げるディングレーに苦笑いを零し、不満たらたらだな。と内心思いながらその男前の手入れされ気品溢れかえる様を覗い見る。
「今夜は特別だと、召使い達に磨かれまくったのか?」
ディングレーの、眉が一気に寄る。
「いや。お前が居なく成るから俺はもう、舞踏会に出ない」
と言ったら奴らカン違いして、念入りに手入れした後
『貴方様は誰にも引けを取らぬ程の美男でございます!』
と抜かしやがった!」
アイリスはぷっ。と吹き出す。
「…つまりその男ぶりで、私を近衛に引き留めろ。と?」
ディングレーは人の悪い楽しげなアイリスの笑顔に憮然。と呻く。
「奴らにお前を見せたら、目をまん丸にしてこう言うぞ。
『旦那様。ご趣味が変わられたんで?』」
ぷぷぷぷっ…!
がその途端、背後から大きな手でアイリスは肩を掴まれ、振り向くとそこに、ディンダーデンが居た。
アイリスは心底ぎょっ。とした。
ギュンターの姿を探すが、彼は踊りの輪の中にいた。
「わ……私に何かご用が?」
滅多に、無い事だった。
ギュンターの居ない場で、ディンダーデンの方から話しかけるだなんて。
アイリスは動揺しまくったが直ぐそれを心の奥に引っ込めて、作り笑顔でそう言う。
「さっきギュンターがお前に視線を
投げたろう?
ディングレー、あんたも知ってる筈だ」
アイリスは一瞬何の事か呆けたが、直ぐにギュンターから救援要請の視線を受けたが無視し、ディンダーデンに押しつけた事を思い出してつぶやく。
「…アシュアーク………?」
ディンダーデンはたっぷり、頷く。
ディングレーは途端、大きな吐息を吐いて俯く。
ディンダーデンは二人の様子を見回し、言った。
「奴の事を俺は何も知らない。
ギュンターは奴の事に成ると口が重く成るが、なぜだ?」
ディングレーはまた、俯いたまま吐息を吐き出す。
アイリスが、そっとディンダーデンにささやく。
「ローランデが絡んでる。
アシュアークが一年の時、ローランデが最上級で、恒例の…学年無差別試合で、学校一の剣士(ローランデ)に新入生ながら勝ち上がったアシュアークは対戦を挑んだ。
勿論ローランデに破れたが、以来ローランデの私生活まで追求し、結果ギュンターに行き当たった。
学生なのに近衛公舎に迄押しかけて来てギュンターを探しに来ていて………」
その件(くだり)で、ディングレーが溜息混じりに告げる。
「入学前は、当時一年だったスフォルツァを追っかけて教練宿舎にやって来ては、俺の不良の兄貴の配下に掴まり、犯されそうになってローフィスに助けられてたな」
アイリスはふい。と姿を探し、その場を外す。
ディンダーデンは気づいたが、ディングレーに促す。
「お前とも寝た。とギュンターは言ったぞ?」
ディングレーは項垂れながら頷く。
「あんまりちょくちょく顔を出す。
終いに、剣の練習場に迄やって来て…俺は丁度その時、スフォルツァの相手で剣を、振っていた」
「スフォルツァ目当てだったのにお前に、目移りしたのか?」
ディングレーはディンダーデンをチラリと見つめ
「スフォルツァ本人に迄
『あいつは言い出したら諦めないから、相手してやってくれ』と言われてやけくそで………」
ディンダーデンは腕組んで、顔を傾け思案顔をする。
「…つまりお前が、アシュアークに口説かれたのか?」
ディングレーは訂正した。
「スフォルツァに説得された上、ローフィスに迄
『可哀相だろう?』と言われて……………。
どうして俺が、悪人だ?
恋人を追っかけて、たったの12の餓鬼がやって来てるんだぞ?
教練宿舎に夜!
……それでどうして俺が浮気相手をしなきゃ悪人に成る?!」
ディンダーデンはディングレーが今だ過去の混乱を引きずってるのが解ったが言った。
「だが結局、寝たんだろう?」
「一度だけだと、念を押してな!」
アイリスが、一人の男を連れて戻った。
ディンダーデンはその男がアシュアークの親衛隊の一人だと、気づく。
「ラフォーレン。こちらはディンダーデンだ」
栗毛をさらりと肩に流した、細面のなかなかのいい男で、ディンダーデンはその男をついじっ。と見る。
が俯く彼は、ディンダーデンに言いにくそうにつぶやく。
「アシュアークの、面倒をずっと見ている。
つまり彼は本家の者で俺の家系は彼の家の…」
「侍従のような関係か?」
ディンダーデンに言われ、ラフォーレンは頷く。
「じゃ、取り巻き。と言っても仕えてるのか?」
「子供の頃から世話役をしている」
「寝て無いんだな?」
が、ラフォーレンは顔を、揺らす。
「…惚れてるのか?」
ラフォーレンはもっと動揺した。
「ディンダーデン殿。これには説明がかなり、要る」
アイリスは促し、ディンダーデンも言った。
「聞こう」
吐息混じりにラフォーレンは、近衛の大物に取り囲まれ、萎縮しながらもぽつり…ぽつりと口を開いた。
「アシュアークは本当に幼い頃両親を事故で一度に失くし…その後祖母に育てられたがその祖母も他界し…結局家で面倒見る事と成った。
だから…マトモに愛情を知らない。
彼は綺麗だが、綺麗な子供にはありがちでつまり幼少期に…」
ディンダーデンは頷く。
「悪戯されたのか?」
ラフォーレンは頷き
「賊にさらわれて。
だがその賊はどうやら…アシュアークが可愛かったらしくその…普通暴行されたら、その行為を嫌いに成るモンだが…」
ディングレーも言った。吐息混じりに。
「アシュアークは嫌いに成るどころか、好きになったんだな?」
ラフォーレンは頷く。
「あいつは…アシュアークは小さかったし…。
どうかと思う程自分に素直だ。
そして…びっくりする程、度胸が据わってる。
結局…その後、男を必要とするように成ったが、面倒見てる俺だって餓鬼だったし、年頃だから女に興味を持って当たり前だろう?
………で………。
アシュアークは口説いて来るうんと年上の貴族と…そして、当時モテまくってたスフォルツァの二人とほぼ同時に付き合ってた」
ディングレーの、眉根が思い切り寄る。
「………それは奴が、いくつの時の話だ?」
ラフォーレンはほっとしてつぶやく。
「10には成ってたはずだ。多分」
アイリスもディンダーデンもディングレーも、うっ。と意見を飲み込んだ。
だがラフォーレンは三人の様子につぶやく。
「…二人と付き合う前は、ともかく抱いてくれる相手を渡り歩いてたし、俺にもその…………」
アイリスがぼそっ。と言う。
「せがんだ?」
ラフォーレンは頷く。
ディンダーデンが呻く。
「つまりお前は、アシュアークが二人と付き合ってくれて助かったんだな?」
「当然だろう?」
アイリスはぼやく。
「とても、可哀相な境遇の子供だったんだ。そうだろう?」
ディングレーもディンダーデンも見つめるが、ラフォーレンは眉間を寄せる。
「可哀相なのは認めるが…お騒がせ男だ。あいつは」
ディングレーがつぶやく。
「世話役泣かせか?」
ラフォーレンはたっぷりと頷く。
「自分がか弱い。と解ってないから…」
ディングレーを見上げ
「あんたにも迷惑かけたろう?
餓鬼の自分がホイホイ夜中に狼の巣(教練宿舎)に出向くのがどれだけ危険か解ってないし…あの乱暴者達にかなりひどい扱いを受けても…懲りない」
ディンダーデンはディングレーを見た。
「助けたんだろう?」
ディングレーは項垂れる。
「それでも二度目か三度目だ。
奴ら、アシュアークが直ぐ掴まるから、スフォルツァの所へ来るのを待ち構え、スフォルツァの前に摘み食いし…味を占めてた」
「言っても駄目なのか?」
ラフォーレンはつい怒鳴る。
「四六時中見張るのは無理だ!」
「…抜け出すのか………」
アイリスの言葉に、その場の空気は沈んだ。
ディングレーが顔を上げた。
「結局ローフィスがスフォルツァに注進し、スフォルツァの方がアシュアークの館に通うようになって、騒ぎは沈静化した」
ラフォーレンが付け足す。
「あんたに迷惑かけた事をスフォルツァは悪く思ってたから」
ディンダーデンが腕組みして促す。
「で、その追いかけられてたスフォルツァは、アシュアークに惚れてたのか?」
ラフォーレンが大きな吐息を吐く。
「アシュアークの気を引きたくてかなり、冷たいあしらいをしていたらしいが…。相当のぼせ上がってた」
よせばいいのに。と言うラフォーレンの様子に、ディングレーもディンダーデンも顔を見合わせる。
その二人の様子に、ラフォーレンは顔を上げて口を開く。
「あいつは惚れっぽいし…その上祖母を失くして愛情に飢えているから、抱き合って親密にされるとそれだけで有頂天だ。
だが直ぐ別の相手に目移りする。
タチが悪いのは、愛情に飢えているから、抱いてくれる相手は誰でも必死に引き留めようとする。
あいつとマジ恋愛なんてしたら、マトモな男は嫉妬で気が狂う」
ディンダーデンは思い当たって頷く。
「(やっぱり、そうか)」
ラフォーレンは顔を上げる。
「だが、ギュンター殿は別だ。
スフォルツァ目当てで教練に通った時、上級の剣捌きを見て以来、あいつ剣に目覚めて…元が好戦的な性格だったらしく、色事の合間に剣にのめり込んで…」
「それでローランデと対戦する迄の腕前に、成った?」
ラフォーレンはそう言うアイリスを見た。
「だがあんたも知っての通り、アシュアークは素晴らしく綺麗で可愛い。
剣を思い切り振る腕がつい…あいつの姿を目にした途端、鈍るのも確かだ。
余程見慣れてないと」
アイリスが肩を竦める。
「確かに」
「あいつが強いのは認める。
だがあいつは思い切り敵をばっさり殺るが、敵はあいつの綺麗な姿に怯んで…一瞬躊躇するのは確かだ」
ディンダーデンが思わず呻いた。
「ある意味、凄い武器だ」
ラフォーレンも、投げやりに頷く。
「始末が悪い」
が、顔を上げて言う。
「そのあいつは、ローランデ殿だけには勝てなかったから…。遺恨がある」
ディングレーがささやく。
「ローランデに仕返ししようと、ギュンターを奪う気なのか?」
ラフォーレンは首を横に振った。
「あいつにそんな計算は出来ない。
ただ、ローランデ殿の恋人だから、ギュンター殿が誰より輝いて見えてる事は確かだろう」
ディンダーデンが唸った。
「つまり“特別”なんだな?」
そしてラフォーレンは頷きながらつぶやく。
「相手に振り向いて貰える迄あいつは追いかけ続ける。
今迄の習性で」
全員が一斉に、深い吐息を吐き出し、だがディングレーが言った。
「だが災難はギュンターだな」
アイリスもつぶやく。
「私は近衛を遠ざかるし」
ラフォーレンは心からアイリスの除隊を惜しんでつぶやく。
「貴方に時々相手して貰ってから、あいつ、かなり落ち着いていたのに…。
もう、構ってやらないんですか?」
やっぱりとっくに手を出してるアイリスに、ディングレーもディンダーデンも揃ってそのちゃっかり美男を見つめる。
「別に、完全に放り出す。とは言ってない」
ラフォーレンは一気に安堵して吐息を、吐き出した。
「剣の腕はどんどん磨かれるのに、あいつの常識は外れたままだ」
ディングレーが吐息混じりにつぶやく。
「気違いに刃物。か…………」
ディンダーデンがささやく。
「だが寝室で可愛がってくれる相手の、言う事は聞くんだろう?」
アイリスが、にっこり。とディンダーデンに笑った。
「彼はそれは、色っぽくて可愛いぞ?」
ディンダーデンは内心
「(俺に押しつける気だな)」
とアイリスを睨む。
ラフォーレンは、ほっ。とした。
「寂しがり屋で…。
でもあの性格ですから…恋人なんかにしたら最後、嫉妬で何人も殺すか逆に、殺される羽目に成る。
あいつの惚れるのは、美男で剣の達人。と相場が決まってるので」
ディングレーもディンダーデンもつい、黙り込んだ。
「近衛にとっちゃ、爆弾だな」
ディングレーのつぶやきに、ラフォーレンは明るい顔を上げる。
「けど幸い身分は高いから、迂闊な男は寄って来ない。
ムストレス派の色男達は、好みじゃないようだし。
ただ、遊ぶだけ。はあいつの趣味じゃないんで」
アイリスは見つめる二人に顔を上げる。
「大事に抱かれるのが好きなんだ。
今迄、抱いてくれれば御の字。の生活をして来たから」
ディングレーもディンダーデンも、複雑な顔をした。
ラフォーレンが二人を後圧しする。
「同情すると、馬鹿を見ます。
俺が請け負いますから」
二人は、おもむろに頷いた。
アイリスがディンダーデンに顔を向ける。
「君と居たんじゃないのか?
アシュアークは」
「酒を取りに行く。と待たせてる」
そう言って、印象的な青の流し目を一同に投げ、ディンダーデンは背を向けて去って行った。
アイリスはその背を眺め、思った。
「(幸いギュンターに惚れてるから、時々摘み食いして都合が悪く成ったらギュンターに押しつけ世話させよう。
と思ってるな………)」
ディンダーデンの背には
(その通りだ)と書いてあった……………。
私がギュンターと出会ったのは、舞踏会の席で。
彼ったら、会場中の視線を集め、でも窮屈そうだった…。
まるで…爆発する感情を必死で、なだめてるみたいに…。
隣の…もう一人の有名人、アイリスに時々顔を寄せては…眉間に皺を寄せて何か、ささやいてた。
アイリスが近衛を去り、神聖神殿隊付き連隊へ移ると言う話は、近衛婦人達の間で評判で…。
彼との別れを惜しもうとする貴婦人達が、早くこの下らない余興が終わらないかとそわそわしてアイリスの周囲を、覗っていた。
そう…。私の背後からふいに…。
一番年上の姉の子、甥のディンダーデンが、声を掛けて来たのよ…。
「ヴィクトリア」
「あら。来てたの?」
ディンダーデンはその幅広の肩を揺らして隣の椅子に、腰掛ける。
そして、広間中央の道化師達のその向こうの椅子に掛ける金髪美貌のギュンターと、その横の濃い栗毛を胸に背に流す気品溢れるアイリスをチラリと見、つぶやいた。
「お目当てはどっちだ?
栗毛か金髪か」
ヴィクトリアは笑いながら扇を振った。
「まるでここに来て居るご婦人達の目当ては、その二人しか居ないような口ぶりね?」
ディンダーデンは首を捻って肩をすかす。
その流れる栗毛も幅広の逞しい肩も、整いきった顔立ちの中、時折キラリと光る青い瞳の流し目も…。
その注目の二人と並んでも遜色無く、女性の注目を引いた。
がディンダーデンは滅多にこういう場に姿を現さない。
近衛の面子集う舞踏会を、心底嫌ってた。
煩わしく、堅苦しいから。と………。
ディンダーデンは見つめるヴィクトリアに、気づいたようにその青い瞳の流し目で、微笑をくべる。
「…それとも俺と、寝るか?」
ヴィクトリアは途端、笑った。
「貴方の、姉の腕に抱かれた赤ん坊の時の姿を見てる私に、そう言うの?」
ディンダーデンはでもたった四つしか年上で無い叔母を、見つめる。
明るい栗毛を結い上げ、それは色白な面の、つん、と先の尖った鼻をした素晴らしい美人を。
その鳶色の瞳は理知的で時に柔和で、神秘的で母性を感じさせる。
が、ディンダーデンは彼女が、自分の感情に時に驚く程素直に行動する事を、知っていた。
「今との違いを、試せばいいじゃないか」
ヴィクトリアは成長しきって、成熟した大人の男の魅力をたっぷり兼ね備えた今のディンダーデンを見つめる。
が、くすり。と笑った。
「貴方がおいたする度、いつも庇ってたのは誰か、お忘れ?
手に負えないやんちゃ坊主の貴方の姿が私の中から、消えると思ってるの?」
昔から…清冽だった…。
今でも柳の下でその濃い栗毛を揺らし…俯き加減で詫びを告げる彼の…まだ幼い少年の顔。なのにとても大人びた表情の、その月明かりに浮かぶ青白い姿を、思い出せる。
いつも…いつも叱られてたのは、彼。
彼の兄ライオネスは出来すぎな程、利発で礼儀正しく、そして両親の期待を決して、裏切らない子だったから…。
それに…二つ年下のディンダーデンはいつも…その兄と、比べられていた。
叱られては外庭の茂みに隠れ…そっと訪ねると…毎度彼は膝を丸め、つぶやく。
「兄貴と俺は、丸で違う」
比べられる事に、言い様の無い憤りを全身に滲ませて。
ヴィクトリアはその度に彼にささやいた。
「貴方は貴方よ…。
不幸はお母様に、似なかった事。
貴方のお母様は…姉様は、ライオネスそっくりだから」
ディンダーデンはますます顔を、膝に埋める。
母の直ぐ下の妹、叔母アンネッサはディンダーデン同様、それは奔放で…いつも彼に出会うと言ったものだ。
「私のお気に入りの、手に負えないやんちゃ坊主の悪戯っ子ちゃん!」
彼にとっての叔母は、ヴィクトリアを入れて五人居た。
女ばかりの六人姉妹。
内次女アンネッサとこの…末っ子のヴィクトリアが、いつもディンダーデンの味方だった。
母…彼女達の長姉に、ディンダーデンに厳しすぎる。と意見してくれていた。
ディンダーデンは相変わらず甘やかで、女性がつい見惚れる綺麗な微笑をその叔母に向ける。
「…大臣の夫は相変わらず、若い女に入れ込んでるのか?」
昔の自分同様、窮屈な相手に掴まった叔母を、心から労るように。
ヴィクトリアは肩をすくめた。
「貴方はすっかりライオネスともお姉様とも別れて、気楽そうね?」
ディンダーデンは、笑った。
「最高に気分がいい」
でも…ヴィクトリアは知っていた。
その出来すぎた優等生の兄の妻、ソフィスに彼が、心底惚れている事を。
「…ディンダーデン。思い切れたらそうすべきだわ。
アネッサ姉様も私も…思い当たるの。
決して手に入らない相手に…ひどく焦がれるのよ。
辛いと、解っているのに。どうしてだか」
ディンダーデンは弱味を突かれたように一つ、吐息を吐くとささやく。
「…どうしてそう思う?
俺は楽しくやってるように見えて無いのか?」
「両手両足の指を全部足した数を軽く超えているんでしょう?
貴方のお相手は。
でも…。解り過ぎて少し、辛いわ。
誰も彼女の代わりに成ったりはしないから。
どれだけの相手と過ごしても。決して」
ディンダーデンは少し、俯くと顔を上げ、斜めに彼女の綺麗な色白の横顔を見つめ、ささやく。
「俺が不幸だと?」
ヴィクトリアは曖昧に首を振った。
「胸の痛みが、解る程」
そして深い溜息を付きそうなディンダーデンの、その整いきった綺麗な顔を見つめる。
「誰にも…それが解ったりしないから、余計に…」
ディンダーデンが急いで後を継いだ。
「可哀相?」
ヴィクトリアはそっとその華奢な白い手で、ディンダーデンの頬の髪を、なぜるように触れる。
「でも同情は、嫌いね?」
私も、そう。
そんな笑顔に、ディンダーデンは首をすくめる。
「あんたと…アネッサは苦手だ」
ヴィクトリアはくすくす笑う。
「そうね。いつもの貴方が、通用しない相手ですもの」
だがディンダーデンは親しみを込めてヴィクトリアを見つめた。
ヴィクトリアはふいに、思い立ったように告げる。
「金髪の方よ。見てたのは」
ディンダーデンはいきなり眉間を寄せる。
「…栗毛より最悪だ。
世間じゃギュンターは北領地[シェンダー・ラーデン]の貴公子に振られた事に成ってるが、今でもマジで入れ込んでるんだぞ?」
「貴方のソフィス同様?」
ディンダーデンは躊躇った後、つぶやく。
「マジな話、あいつより俺と寝た方がマシだぞ?」
ヴィクトリアはディンダーデンを見た。
その青の瞳があんまり真剣で、つい笑った。
「自分はソフィスを忘れたりしないのに?
私に意見するの?」
ディンダーデンは彼女の性格を忘れていた。と言わんばかりに吐息を吐く。
「貴方のお友達でしょう?勿論、紹介して下さるわよね?」
ディンダーデンは思い切り、再び大きな溜息を、付いた。
「ギュンター」
ディンダーデンに背後から声を掛けられ、ギュンターは振り向く。鮮やかな金髪に囲まれた、優美で整いきった顔立ちの中、意志を示すように紫色の、宝石のような瞳がきらり…!と輝いた。
ディンダーデンはいつもこの悪友のツラについて、女が好む、宝飾品を思い浮かべた。
それは叔母アネッサが持っていた、お気に入りの金飾りの腕輪だと思い出す。
優美な金の飾り模様に、大きな紫色に透ける宝石(いし)が、付いて居た。
「(女のペットだな)」
内心鼻で笑ったものだったが、この男はその予想を見事に裏切り、同様柔なツラだと笑う近衛の猛者に、その新入りは拳で応えた。
あんまりびっくりし、良く、見ると背丈は自分と変わらない。
そして…しなやかで野生の獣のような体付きをしていた。
「(成る程。教練で揉まれ、近衛に迄進むだけの実力は、あるって事だ)」
がその後尽く出会った酒場で、目立つ新入りだとからかいのネタにされ、更にその場の女受けがいいのに嫉妬され、絡まれ続けるのを目撃する度、奴は跳ね除けるようにその全てに、拳で応えていた。
一瞬にして襲いかかる様は見事にしなやかで、野生の豹を彷彿とさせる。
「(なかなかやるじゃないか…)」
それを見てた時、きっと俺はニヤついてたんだろう。
連れの女がぼやく。
「喧嘩相手に、不足無さそう?
でも、ヴィアージ風情を伸したって、貴方の相手にはまだまだなんじゃなくて?」
俺の喧嘩好きを、咎めるような非難の籠もる茶の瞳。
「…まあ…いずれ俺の相手迄、昇格するさ」
「でも今夜は、しないでしょう?」
腕を絡ませ、口を尖らせる彼女に俺は顔を傾け、言った。
「お前をあいつが横取りしない限り、奴と今夜はやらないさ」
彼女はそう…なら、安心ね?と、俺に微笑んでた…。
だが…。
奴が相手を伸して女を手に入れる度、周囲は奴を叩こうと狙い澄ます。騒ぎはますます剣呑に成って行く。
奴が姿を見せる度、それ迄楽しげに酒を煽っていた近衛の男達の、目が一斉に鋭く成る。
女が寄って行くと途端、奴に意見しようとする男達が席を、立ち上がる。
俺はつい、物見のようにその様を、覗った。
取り巻く女達の一人がささやく。
「ディンダーデン。彼、新入りなんでしょう?」
「そうだ」
「貴方、この中の一番の“顔”じゃない。
…このままじゃ彼…あの綺麗な顔がいつか、台無しに成るわ」
「そうするつもりで奴らはあいつに喧嘩売ってる」
三人の男に取り囲まれ、だが一人が、その三人を押し退けて怒鳴った。
「三人かがりじゃないと倒せない相手だと、こいつを持ち上げる気か?!
近衛の名折れだぞ!」
俺はやっぱり…ニヤけてたらしい。
「…もう…!
貴方が出て行って、『酒を楽しく煽ってろ!』とか何とか言えば、たちまち騒ぎは収まる筈だわ?」
「俺に、止めろって?」
彼女達はあいつを取り巻く女同様、奴の柔な面が心配らしかった。
「たかが新入りのする事じゃないの!」
「毎晩彼の顔がいつ変わるか、はらはらするのはもう嫌だわ!」
取り巻く女達は皆が同意見らしかったが、俺はそっぽ向いた。
「…解ってないな。女は。
新入りだから…今の内に叩くんだ。
のさばった後じゃ遅い」
「じゃ、彼の顔が醜く歪むのを覚悟しろって事?」
「奴に跳ね除けて自分の顔を護るだけの、拳が無けりゃそうなる」
女達は、もう…!だとか男は野蛮だ。だとか…ぶつぶつ言ってたが。
俺の視線は今夜の見物に釘付けだった。
どうする?
今迄のサーフォラン。アンドゥトゥル。デリアング迄はたかが初級編だ。
が、今夜のロッドルトンは甘く無いぞ?
背はギュンターより、低かった。
がその、盛り上がり服の布地を破りそうな筋肉隆々の肩と腕。そして、俊敏な足。
ディンダーデンですらロッドルトンと喧嘩をし、沈めるのに時間を要する。
酒場の皆は今夜こそロッドルトンが、女達お気に入りの優美でスカした面を叩きのめし、次に奴が酒場に現れた時、女達は見る影も無く崩れた奴の顔に失望し、もう取り巻く事も無くなる。
そう…期待していた。
が…この目立つ金髪美貌の新入りは、ものの数秒でその男を沈めた。
向かい来る拳をぎりぎりでかわし様、一瞬で身を屈めて懐に入り、下から相手の顎を、殴り上げたのだ。
その時初めて近衛の男達はこの新入りに、驚愕の内に敬意を、払った………。
俺は腹の底から笑っていた。
あんまり、見事で。
相手を殴り倒した後でも奴は態度を変える事無く、離れていた女達に再び囲まれ、その長身を屈め彼女達の言葉に聞き耳を立てる。
…成る程。余程喧嘩慣れしてる。場数を、踏みまくってる様子だ。
面白い奴だ。が…いつか、自分とやりあう時が来る…。
そう…身構えた筈だった。
ある夜の酒場でここ数日口説こうと狙いを定めてた女が、来ていたギュンターに寄って行き、伺うように長身の彼を見上げ、零れるような笑顔を、長身のギュンターの優美な顔に向け口説いている様子が目に入った時、奴と俺がとうとうやりあう時がついに来た。
そう…思い着ていた上着を、脱いだ。
大抵奴は女の誘いを断らなかった。
少し退屈そうに、暇を持て余したようにたたずみながら…寄って来て腕を絡ませて来る女に頷き、毎度応えてた。
奴に向かって歩を進めると、近衛の男達の、注目が集まる。
とうとう…。
自分への期待とそして…対決の成り行きを見守ろうと固唾をのむ様子が、酒場中に漂う。
万一俺が返り討ちにあったなら、俺の地位は失墜し奴が俺に、取って代わる。そんな…気構えさえも、感じられた。
見えない緊迫感が俺を包んだが、俺はわくわくしていた。
情事以外で久し振りに思い切り暴れられる、絶好の機会だった。
が…俺が奴の横に辿り着く、その前に…ギュンターは口説いて来る女に、首を横に、振った。
俺は目を、見開いた。
彼女は落胆したように吐息を吐いて首を下げ、だがもう一度ギュンターを見上げ、やはり零れるような笑顔を見せる。
俺の目は奴で無く、彼女のそんな姿に吸い付いた。
…少し、ソフィスに似ていた。
鮮やかな、滅多に無い程艶やかな栗色の巻き毛。薔薇色の頬。はっきりとした目鼻立ち。
ダークブルーの透けた、理知的な瞳の…美しく意思の強い、兄嫁に。
美人だ。それに…はち切れそうな胸と、くびれた細腰。
スカートで隠れてはいてもラインで解る、豊かな尻。
…今まで奴に誘いを掛ける女の中でも上の部類に入るし、彼女自身もそれを知っている。
自分が、断られるだなんて。
だがギュンターは自分より背の低い彼女に顔を下げて見つめ、何かをささやきかける。
途端、彼女は苦く笑った。
そして二言三言言い返し…惜しそうにその場を離れ…一度、ギュンターに振り向いた。
ディンダーデンは彼女が目前を、通り過ぎようとするその、腕を咄嗟に掴んでいた。
「…どうして、奴に振られた?」
彼女は、びっくりしたようにその明るい青の瞳を見開いた。
目の色は少し明るくても…真正面から見つめる彼女はやはり…ソフィスに、似ていた。
甘い、幻影が広がる。
青空晴れ渡る午前の庭。
洗濯物を干していた、彼女の背。
風が干した衣類をはためかせ、ディンダーデンは衣服止めを取り付けようと手を伸ばす彼女の手からそれを取り上げ、風で飛びそうな衣服に付けて言った。
『女中の仕事だ』
彼女は振り向いて笑った。
『ライオネスの衣服は私が、洗いたいのよ』
…が直ぐに、腕を掴んだ女はディンダーデンに気のいい微笑みを浮かべると、言った。
「…私は彼の姉にそっくりだから、どうしても寝られないって!」
ディンダーデンは一瞬、ぐっ。と喉を詰まらせた。
伝い聞く噂で奴の境遇を知ったが、男ばかりの五人兄弟の、真ん中だ。と。そう。
『奴に、姉は居ない筈だぞ?』
口から出かかったが、飲み込んで彼女の、腕を放した。
つい…奴に詰め寄っていた。
口を、利くのも初めてなのに。
気づくと怒鳴ってた。
「どうしてあの女を振る!」
ギュンターは呆れ顔を向ける。
「どうして怒る?あんたが狙ってる女だろう?
俺が振って…礼を言われる筈だ。違うか?」
ディンダーデンは口を…ぱくぱく…させたと思う。
だってそんなに気が回る男とは思って無くて…本当に意外だったからだ。
が途端、そのこすっからい保身に眉根が寄る。
「俺と…殴り合うのが嫌で、姉が居ると嘘を付いたのか?」
ギュンターは肩を竦め、素っ気なく言った。
「あんたを殴って迄欲しい。と、俺は思ってないからな」
眉間を、寄せた気が、する。その言い様がプライドに障って。
「だから俺に、譲る。か?
俺にへつらって迄自分護る。か?
そんなに自分の面が、可愛いか!!!」
俺の怒鳴り声は、酒場中に響いてた筈だ。
近衛の男達は、奴が最強のディンダーデンと争う事を止め、二番手で幅を利かせる腹だ。とささやき合い、やれやれ。と首を横に振り一斉に項垂れていた。
ギュンターはだが、その時初めてその紫の瞳を真っ直ぐ、激昂する自分に投げた。
その顔に現れた表情は…優美にもう、見えなかった。薄っぺらい、女のペットにも。
少し…気の毒げな、真剣な表情で口を開く。
「俺が、見ている限りで三度…あんたは彼女に寄り掛けて止めた。
だからあの女には婚約者か夫が居て、口説けないのか。と、思ってたら俺のとこに来る。
…断るだろう?普通」
俺はその真剣な同情に腹を立てた。
「普通なのか?!」
がギュンターは、即答する。
「他の男がマジに入れ込む女に、遊びで手が出せるか?」
その言い様は…俺がかなり…かなり真剣に、女に入れ込んでる。
そんな…口振りだった。
俺は大きな溜息を吐き…顔を背けて俯き、奴を、見なかった。
丸で…誰にも見られたくない心の秘密を一瞬で…見抜かれたみたいな気がして。
だが奴はそんな俺に顔をそっと傾け、秘やかにささやく。
優しげな…そんな響きさえその口調に滲ませて。
「惚れてるんなら、とっとと口説いてきたらどうだ?
あんたに声かけたらどうだ?と聞いたら、あんたはいつも女に囲まれてるから、近寄りがたい。と言ってたぞ?」
ギュンターの心配げな言葉につい、顔が、揺れた。
「あんたに寄れないから、俺のとこに来たんだろう?」
その言葉で…ようやく顔を上げ、奴を、見る。
俺の近衛での評判を聞き、保身に走るんじゃなくマジに、心からの言葉でそう告げるその男に、俺はもう脱帽していた。
「美味しいものは、先に食べるタイプか?お前は」
聞くとギュンターは顔を下げ、訳知り顔で頷いた。
「あんたは後に、とっとくタイプのようだ」
俺は…やっぱりムキに成って、心の中で反論していた。
“幻影は…とっときたいだけだ。
寝たりしたら…もう彼女を見てもソフィスを、思い浮かべたりはしないだろう………?”
言いかけた。が…。
ギュンターの、視線を感じ、つい口をついて出た。
「惚れてる兄貴の嫁さんに似ている」
ギュンターは察したように頷く。
「寝ないで…兄貴の嫁さん。に彼女を、しときたいんだな?
兄貴の嫁さんには、滅多に会えないのか?」
俺は…頷いていたと、思う。
奴との戦意はそれで………綺麗に、消えていた。
素直な男だ。そう…思った。
見かけのチャラチャラした様子よりずっと…情が、あった………。
男兄弟も、一人で無く四人も居ると、こんなに…素直に成れるものなのか?
俺には解らなかった。
いつも…余裕で笑うライオネスに、俺はあんたと違う。と、その事を、自分と周囲に、示し続けなくてはならなかったから……………。
「…来てたのか?珍しいな」
ディンダーデンは一つ、頷く。
「そこのラデッシュが近衛を退く原因に成った噂の若造の顔を、拝みに来た」
ギュンターは一瞬顔を揺らし、隣のアイリスを、見た。
「…今日の気分は、ラデッシュか?」
ディンダーデンが、頷く。
アイリスは、聞こえたように広間中央の道化の芸を見つめたまま、眉間を寄せる。
そして低く通る小声でつぶやく。
「彼が私を退かせたんじゃなく、私が抜けても彼が居るから大丈夫だと思って退くのだと、君の副隊長に説明してくれないか?ギュンター」
ギュンターは隣のアイリスの、整いきった優美の横顔を見た。
声は冷静だが、怒ってる様子が滲んでいる。
ギュンターは首をすくめる。
「大丈夫な訳あるか?
入隊したての若造だ!
ローフィスもローランデも抜けたんだぞ?
お前迄抜けたら…」
アイリスはようやく振り向き、ギュンターを見る。
その微笑が明らかに冷笑で、ギュンターはつい二つ年下の、その美男の近衛の大物を見つめる。
「君の暴走を、止める役目が居なくなってオーガスタスとそこの君の副隊長が頭を抱えるか?」
ギュンターは思わず眉を寄せた。
「俺が厄介だから?手に負えなくて抜ける気か?
ディアヴォロス(左将軍)はお前を准将に。と考えてた矢先じゃないか!」
がアイリスは冷静さを崩さない。
「だから…成る前がチャンスなんだ。
准将に成ったら迂闊に抜けられないし…ディアヴォロスは私の気づもりを察してる。
第一アシュアークは入隊したてだが「右の王家」の出身の大貴族で、アルフォロイス(右将軍)と懇意な上君の事を凄く、気に入ってる。
確実に私より丹念に君の、フォローをしてくれる事請け合いだ」
ギュンターは思いきり眉間を、寄せる。
「…お前、拗ねてないか?」
アイリスはおもむろに振り向く。
その濃紺の瞳が笑って無くて、普段優美で気品溢れた笑顔を湛える男の、実際の性格が面に出たような厳しい冷徹さを覗かせた。
「拗ねて、無いし君の為に自分の判断を変えたつもりも、アシュアークの為に身を引いた覚えすら、無い。
これは私にとっては、チャンスなんだ!」
ギュンターはようやく、吐息を思い切り吐き出した。
「お前、本当に神聖神殿隊付き連隊に行きたいのか?」
アイリスは微笑をその口に湛えたまま、眉間を寄せた。
「だからさっきからずっと、そう言ってるだろう?」
「近衛の准将を振って…神聖神殿隊付き連隊の連隊長の座を射止める気か?」
アイリスは肩をすくめた。
「君は解ってないが…近衛は立て続けに戦が続く。
息子もそろそろ物が解ってきて、近衛での戦の様子を召使いや使者に毎度、尋ねてる。
明日をも知れぬ病気の妻と二人切りの幼い息子にこれ以上、私の命の心配迄させたくないんだ!心から!」
ギュンターはようやく、頷いた。
「…つまり…息子の為か?
その為なら自分の意志も、変える気か?」
アイリスはだが途端、悲しげな表情を、した。
「意志を本気で変える気なら、『光の塔』付き連隊に入ってる。妻や息子の為ならそこが一番いい。仕事が終わればずっと側に居られる。だが…」
アイリスの様子にギュンターはまた、吐息を吐く。
「宮仕事は苦手なんだな?
神聖神殿隊付き連隊は、両者の折半地点か?」
アイリスは気弱な表情を浮かべる。
「どう思う?
『光の塔』付き連隊に行けば息子や妻の側にずっと居られる…。けど宮仕事に付き物の宮中の陰謀に長けたりしたら、絶対私はもっと、性格が陰険に成る気がするんだけれど…」
ギュンターは請け負った。
「それ以上陰険に成ったら、化け物の域だ。
息子と妻の為にも、神聖神殿隊付き連隊に行け!」
アイリスは躊躇ったが、項垂れながらこっくりと頷いた。
ギュンターが顔を上げると、ディンダーデンは呆れたように、アイリスの横顔を見つめていた。
「…で?俺に用か?」
ディンダーデンはくい!と顎を上げて促す。
ギュンターは仕方成しに席を、立った。
途端、だった。
拍手が沸き起こり、道化が居たその場所に、金の長髪をたおやかに背に垂らすすらり。とした美青年がたたずんで皆の拍手を浴びていた。
右将軍アルフォロイスが彼の横に並び、一族の若き精鋭を皆に指し示す。
それは新たな隊長の披露目で、年若きその、近衛では小柄とも言える体付きの美青年が、そこに居る誰よりも獰猛な獣だと言う事を、既に近衛の男達は知り尽くして居たから、誰も彼の隊長昇進に、異議を唱える者等居ない。
更にその美青年は、「右の王家」と呼ばれる金髪の王族の血統の、近衛のサラブレッド。
准将への道を、確約されたとも言える隊長就任披露目で、どの隊長披露目よりも華やかな舞台が用意され、それがこの、近衛の殆どの大物が集う舞踏会だった。
「…あれが、そうか」
ディンダーデンが唸る。
が、ギュンターは背を向けるとぼそり。と耳元でささやく。
「まさか、俺に女を紹介する気なのか?」
ディンダーデンの背後の、彼らより少し年上の美女を顎で差す。
ディンダーデンはおもむろに頷くと
「俺の叔母のヴィクトリアだ。
お前を紹介しろとせっつかれた」
ギュンターは解った。と頷く。
「叔母じゃさすがのお前も、口説けないからな」
ディンダーデンはそう言うギュンターを、たっぷり見た。
「口説いたが、フラれた」
ギュンターが、ぷっ。と吹き出す。
「…マジな話、お前はローランデに首ったけだからやめとけと忠告したのに聞かない」
ギュンターは二度(にたび)、頷く。
「お前の、叔母だもんな。血は濃いらしい」
ディンダーデンは嫌そうに眉をしかめ、ギュンターを睨む。
「ほざけ…!」
だが、一層ギュンターに顔を寄せると、うんと声を落としささやく。
「…だから、こっぴどく振れ」
今度はギュンターが、眉間を寄せる。
「…逆じゃないのか?」
「いや?お前が酷い奴だと泣く彼女を俺が、慰める」
ギュンターが肩を竦めると、ヴィクトリアもささやく。
「…ディンダーデン。全部聞こえてるわよ?」
ディンダーデンはそう言う彼女を呆けて見つめ、ギュンターは吹き出した。
彼女がすかさず、言う。
「笑ってると、とても可愛いわ?」
ギュンターの、笑いがピタリ!と止まる。
ディンダーデンがほら見た事か。と肩をすくめ、呻く。
「…だからこっぴどく振れ。と言ったんだ」
「…でも、貴方は私に付き合うわ?
後腐れ無いし、楽しいし、うんと気楽だから」
ギュンターは小声で、その小柄な彼女にささやく。
「頼むから、喰い付かないでくれ」
ヴィクトリアは途端、笑った。
「あら?結構小心者なのね?」
ギュンターは隣の色男を見る。
「俺が女だったら、ディンダーデンとだけは付き合わない」
「どうして?」
「なぜだ?」
ヴィクトリアだけでなくディンダーデンに迄そう聞かれ、ギュンターは肩を竦めた。
「だって、深入りしそうで更に、思い切り振られそうだ」
ヴィクトリアは途端、朗らかに笑う。
「あら…!
同様な意見を、貴方と付き合ってた女性から聞いたわ?」
ディンダーデンがジロリ…!とギュンターを見る。
「人の事は言えないって事だ」
ギュンターは頭を、下げた。
が、気づくと噂の主は、椅子に掛けるアイリスに挨拶をしていた。
アイリスがにこやかにその礼を受けてささやく。
「ここは舞踏会の席にもかかわらず、近衛の上下関係をおもんばかって私に礼を頂けるなんて、光栄です。
この場で貴方は私より身分の高い、王族ですのに」
アシュアークはその顔を綻ばせる。
「貴方が居ない近衛は、光が消えたように寂しい」
が、アイリスは笑った。
「ギュンターが居れば貴方の闇は晴れるはずだ。違いますか?」
それを聞き、ディンダーデンがギュンターに肩を竦めてみせる。
がギュンターは背を向けたまま、振り向かず俯いている。
「ギュンター」
背後からその王族に、名を呼ばれても。
ヴィクトリアがつい、ディンダーデンに視線を送るが、ディンダーデンは内情は知らない。と肩を竦める。
「…失礼。ギュンター」
アシュアークは本当に失礼にも、ヴィクトリアの横をこじ開けてギュンターの前へと進み出る。
が、ギュンターが顔を背けるのを見て、ディンダーデンはつい、悪友の顔をまじまじと見た。
が、押し退けられたヴィクトリアはつい、その美青年に張り合うようにささやく。
「どういうご用かは窺い知れませんが、ギュンターはたった今、私と約束をしましたの」
アシュアークの、眉間が思い切り寄る。
が直ぐギュンターに振り向くと、言った。
「…今夜は私にとって特別な晩だ。
隊長就任祝いは君から、貰えないのか?」
その視線は色香を含んでいて、ディンダーデンにもヴィクトリアにも、それがギュンターと一夜を過ごす意味だと、解った。
ヴィクトリアがムキに成ってずい!とアシュアークを押し退ける。
「…私の後に成るわ。
多分遅い明け方近くに」
そして、一瞬ヴィクトリアとアシュアークの間に、火花が散った。
ディンダーデンが
『どうするんだ?』
とギュンターを見る。
ギュンターはチラ。とその悪友の顔をじっ。と真剣に見、そしてアシュアークにささやく。
「どうしても俺がいいのか?
俺より床上手で最高の気分にさせてくれる男が横に居るんだが」
アシュアークは瞬間、ギュンターの横に並ぶ近衛でも有名なアイリス並の美男の色男、ディンダーデンを見つめる。
そしてディンダーデンの男ぶりに、にっこり。と微笑を零してささやく。
「…勿論、彼を断ったりしない。
今夜以外なら」
ギュンターは途端、あくまでヴィクトリアと張り合おうとする、近衛の若き新鋭の顔を吐息混じりで見た。
「いくら王族でこの場で一番身分が高かろうが、それは年上のディンダーデンに失礼だろう?」
アシュアークは言われた途端素直に項垂れると、ディンダーデンを見つめてささやく。
「失礼をお詫びします。
私は儀礼に長けて無いので」
ディンダーデンが頷く。
「今夜だけはどうしてもギュンターがいいんだな?」
だがヴィクトリアは引く気が無いようで、その年若い美青年に告げる。
「就任祝いなら、今夜である必要は無い筈だわ」
だがここで再び、ヴィクトリアとアシュアークの間で火花が散った。
ギュンターはアシュアークの扱いに長けている、椅子に座るアイリスをチラ。と見たが、ディンダーデンが居るから私の出番は無い。と言う様に、そっぽ向いて知らん振りだ。
チラ。と周囲を伺うが、舞踏会に集まった女性達は、アイリスがいつ椅子から立ち上がるのかを伺い、同時にギュンターの様子も伺ったが、さすがにたった今紹介を受けた「右の王家」の若者を押し退ける訳にも行かず、待機して状況を見守っていた。
ギュンターはもう一度、アシュアークを眺める。
今夜の相手を誰にするかで、また会場を混乱に導く大騒ぎが起きる様子は無くなったが、たった今目前で二人が火花を散らし、つまりこの二人のどちらかを、選ばざるを得ない。という事だ。
チラ…。
ともう一人、「左の王家」の近衛の隊長、ディングレーの姿を集う者達の間に見つけ、しめた。と思った。
「…ディングレーも来てるぞ?
奴とも一度、寝てるんだろう?」
アシュアークに言ってやると、アシュアークは悲しげに顔を伏せる。
「彼にはとても、迷惑を掛けた」
ディンダーデンはついその、殊勝な猛者を見つめる。
「どう…迷惑を掛けたんだ?」
アシュアークが言い淀み、ギュンターが吐息混じりにつぶやく。
「彼がまだ教練に上がる前、惚れた相手を追っかけて教練宿舎に忍び込み、そこで一目惚れしたディングレーに迫ったんだ」
ディンダーデンは呆れた。
「…惚れっぽいのか?
お前、親衛隊を何人も抱えてるだろう?
若年とはいえあれだけ将来有望でなかなか見目もいい男達に囲まれて、まだギュンターや俺とも寝たいのか?」
ギュンターがこっそり、ディンダーデンの耳元で小声でささやく。
「アイリスを、受け側にしたような奴だ」
ディンダーデンがぼそっ。と感想を洩らす。
「美味しそうな相手は一通り賞味したいんだな?」
アシュアークはチラ…。と、ディンダーデンのご機嫌を損ねてないかを伺う。
が、ヴィクトリアが業を煮やし、ギュンターの腕に自分の腕を滑り込ませてアシュアークに言い放つ。
「子供のお守りは大変でしょう?
今夜は大人の、お付き合いをするわよね?」
そしてギュンターに、音楽鳴り響き人々が踊り始める広間へと目で促し、アシュアークの目前からギュンターを奪い去る。
取り残されてアシュアークを押しつけられた形のディンダーデンが、ギュンターの背にぼそっ。と洩らす。
「お前達の横の寝室に陣取るから、終わったら顔を出せ」
ギュンターは振り向かずに頷き、ヴィクトリアがさっ。と振り向いて『裏切りもの』とディンダーデンを睨むが、ディンダーデンに弱り笑顔で肩を竦められ、ヴィクトリアは仕方成しにギュンターの美貌を見上げ、つぶやく。
「まるまる一晩、貴方を独り占め出来る事は不可能なの?」
ギュンターは、困ったようにつぶやく。
「…俺の優美さは顔だけだ。
中身は粗雑だから、直ぐ飽きるぞ?」
だがヴィクトリアは異を唱える。
「優美なのに粗雑だから、女は惚れるのよ!」
解ってないわね。と叱られて、項垂れながら広間へ連れ去られ、ヴィクトリアと共に、踊りの輪の中に優雅に加わるギュンターを、ディンダーデンもアシュアークも見送る。
しょげた様子の、さっき迄中央で華やかに祝われた舞踏会一の注目株に、ディンダーデンはそっ。と声を掛ける。
「ギュンターを待つ間俺じゃなくてもいいぞ?」
だがアシュアークは咄嗟にすがるようにディンダーデンの腕にしがみつき、必死な眼差しで見つめ返した。
「…貴方まで、私を見捨てるんですか?!」
正直美青年だったし、可愛かったからディンダーデンは心がぐらり。と動いた。
親衛隊が、付く筈だ。例え浮気しまくったとしても。
「垂らしだな。天然か?」
アシュアークは悲しげに俯く。
「私を愛してくれる人は滅多に居ないし、相手してくれる人もあんまり居ない。いつも私は相手を困らせてる」
「俺は、困ってない」
ディンダーデンに言われた途端、アシュアークは嬉しそうに顔を上げて微笑んだ。
が、ディンダーデンは心の中で、言い聞かせる。
「(この笑顔を、俺に惚れた。とカン違いすると痛い目に合うんだな)」
一瞬、奴の若造の親衛隊に自分が肩を並べる図を想像して、ぞっ。とした。
いい恥さらしだ。
あの、ディンダーデン迄もがアシュアークの僕(しもべ)に成り下がった。等と噂されるのは。
後でギュンターにもっと奴の事を掘り下げて聞き出さないと。
心の中で自分に言い聞かせながら、戦い始めると猛虎のように成る、可愛らしい微笑を湛えた「右の王家」の高貴な王族を横に、ディンダーデンは彼の腕を取って人の少ないバルコニーへと誘った。
アイリスが椅子を立ち上がり、彼を取り巻こうとした女性達が一斉に目を光らせた途端、「左の王家」の王族、ディングレーが彼に寄り話しかける姿に、女性達は待機を再び強いられていらいらと爪を噛み、二人の様子を伺った。
舞踏会の重鎮らは、今夜は若い女性が騒がず、静かですな。と微笑み合ったが。
アイリスは別れを素っ気なく告げるディングレーに苦笑いを零し、不満たらたらだな。と内心思いながらその男前の手入れされ気品溢れかえる様を覗い見る。
「今夜は特別だと、召使い達に磨かれまくったのか?」
ディングレーの、眉が一気に寄る。
「いや。お前が居なく成るから俺はもう、舞踏会に出ない」
と言ったら奴らカン違いして、念入りに手入れした後
『貴方様は誰にも引けを取らぬ程の美男でございます!』
と抜かしやがった!」
アイリスはぷっ。と吹き出す。
「…つまりその男ぶりで、私を近衛に引き留めろ。と?」
ディングレーは人の悪い楽しげなアイリスの笑顔に憮然。と呻く。
「奴らにお前を見せたら、目をまん丸にしてこう言うぞ。
『旦那様。ご趣味が変わられたんで?』」
ぷぷぷぷっ…!
がその途端、背後から大きな手でアイリスは肩を掴まれ、振り向くとそこに、ディンダーデンが居た。
アイリスは心底ぎょっ。とした。
ギュンターの姿を探すが、彼は踊りの輪の中にいた。
「わ……私に何かご用が?」
滅多に、無い事だった。
ギュンターの居ない場で、ディンダーデンの方から話しかけるだなんて。
アイリスは動揺しまくったが直ぐそれを心の奥に引っ込めて、作り笑顔でそう言う。
「さっきギュンターがお前に視線を
投げたろう?
ディングレー、あんたも知ってる筈だ」
アイリスは一瞬何の事か呆けたが、直ぐにギュンターから救援要請の視線を受けたが無視し、ディンダーデンに押しつけた事を思い出してつぶやく。
「…アシュアーク………?」
ディンダーデンはたっぷり、頷く。
ディングレーは途端、大きな吐息を吐いて俯く。
ディンダーデンは二人の様子を見回し、言った。
「奴の事を俺は何も知らない。
ギュンターは奴の事に成ると口が重く成るが、なぜだ?」
ディングレーはまた、俯いたまま吐息を吐き出す。
アイリスが、そっとディンダーデンにささやく。
「ローランデが絡んでる。
アシュアークが一年の時、ローランデが最上級で、恒例の…学年無差別試合で、学校一の剣士(ローランデ)に新入生ながら勝ち上がったアシュアークは対戦を挑んだ。
勿論ローランデに破れたが、以来ローランデの私生活まで追求し、結果ギュンターに行き当たった。
学生なのに近衛公舎に迄押しかけて来てギュンターを探しに来ていて………」
その件(くだり)で、ディングレーが溜息混じりに告げる。
「入学前は、当時一年だったスフォルツァを追っかけて教練宿舎にやって来ては、俺の不良の兄貴の配下に掴まり、犯されそうになってローフィスに助けられてたな」
アイリスはふい。と姿を探し、その場を外す。
ディンダーデンは気づいたが、ディングレーに促す。
「お前とも寝た。とギュンターは言ったぞ?」
ディングレーは項垂れながら頷く。
「あんまりちょくちょく顔を出す。
終いに、剣の練習場に迄やって来て…俺は丁度その時、スフォルツァの相手で剣を、振っていた」
「スフォルツァ目当てだったのにお前に、目移りしたのか?」
ディングレーはディンダーデンをチラリと見つめ
「スフォルツァ本人に迄
『あいつは言い出したら諦めないから、相手してやってくれ』と言われてやけくそで………」
ディンダーデンは腕組んで、顔を傾け思案顔をする。
「…つまりお前が、アシュアークに口説かれたのか?」
ディングレーは訂正した。
「スフォルツァに説得された上、ローフィスに迄
『可哀相だろう?』と言われて……………。
どうして俺が、悪人だ?
恋人を追っかけて、たったの12の餓鬼がやって来てるんだぞ?
教練宿舎に夜!
……それでどうして俺が浮気相手をしなきゃ悪人に成る?!」
ディンダーデンはディングレーが今だ過去の混乱を引きずってるのが解ったが言った。
「だが結局、寝たんだろう?」
「一度だけだと、念を押してな!」
アイリスが、一人の男を連れて戻った。
ディンダーデンはその男がアシュアークの親衛隊の一人だと、気づく。
「ラフォーレン。こちらはディンダーデンだ」
栗毛をさらりと肩に流した、細面のなかなかのいい男で、ディンダーデンはその男をついじっ。と見る。
が俯く彼は、ディンダーデンに言いにくそうにつぶやく。
「アシュアークの、面倒をずっと見ている。
つまり彼は本家の者で俺の家系は彼の家の…」
「侍従のような関係か?」
ディンダーデンに言われ、ラフォーレンは頷く。
「じゃ、取り巻き。と言っても仕えてるのか?」
「子供の頃から世話役をしている」
「寝て無いんだな?」
が、ラフォーレンは顔を、揺らす。
「…惚れてるのか?」
ラフォーレンはもっと動揺した。
「ディンダーデン殿。これには説明がかなり、要る」
アイリスは促し、ディンダーデンも言った。
「聞こう」
吐息混じりにラフォーレンは、近衛の大物に取り囲まれ、萎縮しながらもぽつり…ぽつりと口を開いた。
「アシュアークは本当に幼い頃両親を事故で一度に失くし…その後祖母に育てられたがその祖母も他界し…結局家で面倒見る事と成った。
だから…マトモに愛情を知らない。
彼は綺麗だが、綺麗な子供にはありがちでつまり幼少期に…」
ディンダーデンは頷く。
「悪戯されたのか?」
ラフォーレンは頷き
「賊にさらわれて。
だがその賊はどうやら…アシュアークが可愛かったらしくその…普通暴行されたら、その行為を嫌いに成るモンだが…」
ディングレーも言った。吐息混じりに。
「アシュアークは嫌いに成るどころか、好きになったんだな?」
ラフォーレンは頷く。
「あいつは…アシュアークは小さかったし…。
どうかと思う程自分に素直だ。
そして…びっくりする程、度胸が据わってる。
結局…その後、男を必要とするように成ったが、面倒見てる俺だって餓鬼だったし、年頃だから女に興味を持って当たり前だろう?
………で………。
アシュアークは口説いて来るうんと年上の貴族と…そして、当時モテまくってたスフォルツァの二人とほぼ同時に付き合ってた」
ディングレーの、眉根が思い切り寄る。
「………それは奴が、いくつの時の話だ?」
ラフォーレンはほっとしてつぶやく。
「10には成ってたはずだ。多分」
アイリスもディンダーデンもディングレーも、うっ。と意見を飲み込んだ。
だがラフォーレンは三人の様子につぶやく。
「…二人と付き合う前は、ともかく抱いてくれる相手を渡り歩いてたし、俺にもその…………」
アイリスがぼそっ。と言う。
「せがんだ?」
ラフォーレンは頷く。
ディンダーデンが呻く。
「つまりお前は、アシュアークが二人と付き合ってくれて助かったんだな?」
「当然だろう?」
アイリスはぼやく。
「とても、可哀相な境遇の子供だったんだ。そうだろう?」
ディングレーもディンダーデンも見つめるが、ラフォーレンは眉間を寄せる。
「可哀相なのは認めるが…お騒がせ男だ。あいつは」
ディングレーがつぶやく。
「世話役泣かせか?」
ラフォーレンはたっぷりと頷く。
「自分がか弱い。と解ってないから…」
ディングレーを見上げ
「あんたにも迷惑かけたろう?
餓鬼の自分がホイホイ夜中に狼の巣(教練宿舎)に出向くのがどれだけ危険か解ってないし…あの乱暴者達にかなりひどい扱いを受けても…懲りない」
ディンダーデンはディングレーを見た。
「助けたんだろう?」
ディングレーは項垂れる。
「それでも二度目か三度目だ。
奴ら、アシュアークが直ぐ掴まるから、スフォルツァの所へ来るのを待ち構え、スフォルツァの前に摘み食いし…味を占めてた」
「言っても駄目なのか?」
ラフォーレンはつい怒鳴る。
「四六時中見張るのは無理だ!」
「…抜け出すのか………」
アイリスの言葉に、その場の空気は沈んだ。
ディングレーが顔を上げた。
「結局ローフィスがスフォルツァに注進し、スフォルツァの方がアシュアークの館に通うようになって、騒ぎは沈静化した」
ラフォーレンが付け足す。
「あんたに迷惑かけた事をスフォルツァは悪く思ってたから」
ディンダーデンが腕組みして促す。
「で、その追いかけられてたスフォルツァは、アシュアークに惚れてたのか?」
ラフォーレンが大きな吐息を吐く。
「アシュアークの気を引きたくてかなり、冷たいあしらいをしていたらしいが…。相当のぼせ上がってた」
よせばいいのに。と言うラフォーレンの様子に、ディングレーもディンダーデンも顔を見合わせる。
その二人の様子に、ラフォーレンは顔を上げて口を開く。
「あいつは惚れっぽいし…その上祖母を失くして愛情に飢えているから、抱き合って親密にされるとそれだけで有頂天だ。
だが直ぐ別の相手に目移りする。
タチが悪いのは、愛情に飢えているから、抱いてくれる相手は誰でも必死に引き留めようとする。
あいつとマジ恋愛なんてしたら、マトモな男は嫉妬で気が狂う」
ディンダーデンは思い当たって頷く。
「(やっぱり、そうか)」
ラフォーレンは顔を上げる。
「だが、ギュンター殿は別だ。
スフォルツァ目当てで教練に通った時、上級の剣捌きを見て以来、あいつ剣に目覚めて…元が好戦的な性格だったらしく、色事の合間に剣にのめり込んで…」
「それでローランデと対戦する迄の腕前に、成った?」
ラフォーレンはそう言うアイリスを見た。
「だがあんたも知っての通り、アシュアークは素晴らしく綺麗で可愛い。
剣を思い切り振る腕がつい…あいつの姿を目にした途端、鈍るのも確かだ。
余程見慣れてないと」
アイリスが肩を竦める。
「確かに」
「あいつが強いのは認める。
だがあいつは思い切り敵をばっさり殺るが、敵はあいつの綺麗な姿に怯んで…一瞬躊躇するのは確かだ」
ディンダーデンが思わず呻いた。
「ある意味、凄い武器だ」
ラフォーレンも、投げやりに頷く。
「始末が悪い」
が、顔を上げて言う。
「そのあいつは、ローランデ殿だけには勝てなかったから…。遺恨がある」
ディングレーがささやく。
「ローランデに仕返ししようと、ギュンターを奪う気なのか?」
ラフォーレンは首を横に振った。
「あいつにそんな計算は出来ない。
ただ、ローランデ殿の恋人だから、ギュンター殿が誰より輝いて見えてる事は確かだろう」
ディンダーデンが唸った。
「つまり“特別”なんだな?」
そしてラフォーレンは頷きながらつぶやく。
「相手に振り向いて貰える迄あいつは追いかけ続ける。
今迄の習性で」
全員が一斉に、深い吐息を吐き出し、だがディングレーが言った。
「だが災難はギュンターだな」
アイリスもつぶやく。
「私は近衛を遠ざかるし」
ラフォーレンは心からアイリスの除隊を惜しんでつぶやく。
「貴方に時々相手して貰ってから、あいつ、かなり落ち着いていたのに…。
もう、構ってやらないんですか?」
やっぱりとっくに手を出してるアイリスに、ディングレーもディンダーデンも揃ってそのちゃっかり美男を見つめる。
「別に、完全に放り出す。とは言ってない」
ラフォーレンは一気に安堵して吐息を、吐き出した。
「剣の腕はどんどん磨かれるのに、あいつの常識は外れたままだ」
ディングレーが吐息混じりにつぶやく。
「気違いに刃物。か…………」
ディンダーデンがささやく。
「だが寝室で可愛がってくれる相手の、言う事は聞くんだろう?」
アイリスが、にっこり。とディンダーデンに笑った。
「彼はそれは、色っぽくて可愛いぞ?」
ディンダーデンは内心
「(俺に押しつける気だな)」
とアイリスを睨む。
ラフォーレンは、ほっ。とした。
「寂しがり屋で…。
でもあの性格ですから…恋人なんかにしたら最後、嫉妬で何人も殺すか逆に、殺される羽目に成る。
あいつの惚れるのは、美男で剣の達人。と相場が決まってるので」
ディングレーもディンダーデンもつい、黙り込んだ。
「近衛にとっちゃ、爆弾だな」
ディングレーのつぶやきに、ラフォーレンは明るい顔を上げる。
「けど幸い身分は高いから、迂闊な男は寄って来ない。
ムストレス派の色男達は、好みじゃないようだし。
ただ、遊ぶだけ。はあいつの趣味じゃないんで」
アイリスは見つめる二人に顔を上げる。
「大事に抱かれるのが好きなんだ。
今迄、抱いてくれれば御の字。の生活をして来たから」
ディングレーもディンダーデンも、複雑な顔をした。
ラフォーレンが二人を後圧しする。
「同情すると、馬鹿を見ます。
俺が請け負いますから」
二人は、おもむろに頷いた。
アイリスがディンダーデンに顔を向ける。
「君と居たんじゃないのか?
アシュアークは」
「酒を取りに行く。と待たせてる」
そう言って、印象的な青の流し目を一同に投げ、ディンダーデンは背を向けて去って行った。
アイリスはその背を眺め、思った。
「(幸いギュンターに惚れてるから、時々摘み食いして都合が悪く成ったらギュンターに押しつけ世話させよう。
と思ってるな………)」
ディンダーデンの背には
(その通りだ)と書いてあった……………。
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