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序章
シェイルからの手紙
しおりを挟むローランデは羊皮紙から顔を上げ、吐息を吐き出した。
近衛を辞職し、この北領地[シェンダー・ラーデン]に護衛連隊長として就任する為戻って来たのはたったの十日前。
北領地[シェンダー・ラーデン]大公で護衛連隊長である父は、就任間も無いのに十分な引き継ぎもせず、すまない。と言うのを振り切って
「大丈夫ですから。
母様に付き添ってあげて下さい」
と母の居る中央テールズキース南部の療養所へと父を送り出し、毎日慌ただしい時を過ごし、忙殺されていた。
父が居た頃あれ程礼儀正しかった護衛連隊騎士達は、自分と相対すると途端、中肉中背で軟弱で優しげな風貌だ。と自分を目前に嗤った。
長(おさ)に値(あたい)しなければ、引きずり下ろしてやる。
猛禽のような瞳で皆そう、語っていた。
恒例の就任挨拶は、剣の練習試合だった。
手荒い猛者達が出迎える、地方護衛連隊特有の荒っぽい歓迎。
だがこれで長たる実力を示せなければ程なく、彼らが認め従う“強き者”に、取って代わられる。
父もこの歓迎を乗り越えたし、自分にもそうあるべき。と、幼い頃から心を砕き、その腕が劣らぬように。と幾人もの優秀な剣の講師を付けてくれていたし時には自身で剣を取り、相手にも成ってくれた。
父と触れあう時間の殆どが剣を交えていたか、もしくは父の仕事に付き添い、北領地[シェンダー・ラーデン]を中を父と護衛連隊騎士達と共に、領地見回りの旅に出ていた。
交える父の剣先から、息子を思う情愛が痛い程感じられ、普段穏やかで優しい父が厳しければ厳しい程、世間の壁はそれ程厚く、高いのか。と、歯を喰い縛り、父の情けに報いようと必死で剣を振り続けた。
その甲斐あってか、教練(王立軍事訓練校)でも最上級のカリスマと呼ばれた現左将軍のディアヴォロスと、入学したてで学校一の座を、争う程の腕前と成った。
だから…。
護衛連隊の猛者等、今世紀最強と詠われた剣士、ディアヴォロスに比べればまるで訓練を受けていない夜盗のように、簡単にあしらえた。
剣を振り終わって見据えると、猛者達の目は驚愕に見開かれ、その居ずまいを正し一斉に礼儀正しく、そして父同様自分に敬意を払うようになったしその後、誰一人として自分の容姿を女にだけ受けのいい、柔なツラの坊ちゃん。と嗤う者は出なかった。
やっと父の、期待に応えられた…!
全てはこの日の為の、修練だった。
椅子に頭を上げ、目を閉じて掛けていると、雪深い真冬ですら休まず剣を振り続けた毎日が思い出され、それが報いられて安堵する。
が、中央テールズキース南の療養所に居る母の容態は芳しくない。
父が護衛連隊長の地位を自分に譲り、療養所迄駆け付けたのはそのせいだった。
…本当は自分も、飛んで行きたかった!
優しい青の瞳。いつも少し青冷めやつれた、けれどとても優しいお方。
母の事を思うと胸が締め付けられる程悲しい。
護衛連隊長の責務を果たす為、北領地[シェンダー・ラーデン]に居続けなければならない父にいつも付き従い、が彼女の健康を願わなかった日は、一日として無い。
飛んで行って…その膝に顔を埋め、つぶやきたかった。
「私は立派にやっていますからどうか…どうかお願いです。
逝って…しまわないでください」
そう………。
幸い、父が母の元で看病を始めてから、母の容態はみるみる内に回復に向かったと………。
ローランデはその書状を受け取った時つい、口元を手で、押さえて崩れそうに安堵した。
が、部下の手前だった。
必死で自分の泣き出しそうな感情を抑え、極力冷静さを保ち、無表情を作り、指示を伝えた。
父の腹心、副隊長デズモンは頼りに成る男で、長と認められた今、隊の全ては彼に任せておけば安心だった。
だから…毎日、忙しく報告を受け指示を送るさ中、窓の外を見ていた。
母に…彼女に会いたい。と、そればかり考えながら…。
でも屋敷に帰ると、妻デルアンネと四歳に成る息子マリーエルが出迎えてくれる。
自分が中央テールズキースの近衛に居る間、デルアンネはマリーエルを乳母に預け、毎晩舞踏会を渡り歩き、昔のように華やかな取り巻きに取り囲まれ、毎日帰りが遅かったようだ。
が、自分が北領地[シェンダー・ラーデン]に帰郷すると妻よろしく幼い息子と帰りを出迎えてくれるものの、毎晩そわそわし、テーブルの下でダンスのステップを踏んでいる。
元々、彼女の妊娠で仕方無く結婚したのだし、教練時代から関係のあるギュンターに暴露されたが、男がその気に成るような薬を酒に混ぜて飲ませられ(ギュンターに教えられる迄、彼女が時折勧める彼女の実家の秘蔵の酒に、その薬が混ざっている事を知らなかった)、誘われるまままだ15の彼女と16の年に関係を持ちそして…マリーエルが出来て、結婚せざるを得なくなった。
ギュンター曰く
「家柄のいい男を捕まえて玉の輿に乗りたい、淑女で無い女が大抵やる手段だ」
そうだった。
確かに自分は北領地[シェンダー・ラーデン]で一番身分の高い大公子息で、一貴族の娘デルアンネとその親族達にとっては、『でかした』事だったのかもしれない。
美人だが派手好きな彼女とは気が合わなかったし、面と向かって本人に
『君を愛していない』と言い更に…。
教練時代から成り行きで関係を持ったギュンターとの事も話し
『彼と別れられない』
そう…告げたにも関わらず、彼女は離婚に応じなかった。
それに…産まれたばかりのマリーエルも居る。
年若い自分には体面が必要だと、周囲の者にもギュンターにさえも言われ、仕方成しに彼女との結婚生活を続けざるを得なかった。
だが結局派手好きな彼女の貞淑な妻ぶりは三日が限界で、四日目の朝、護衛連隊に出向く際彼女に尋ねられた。
「今夜の舞踏会に、出かけても構わないかしら?」
「私が一緒に出かけなくてもいいなら、構わない」
彼女は嬉しそうに腕を取り、弾けるような微笑を浮かべ、言った。
「勿論、一人で出かけられるわ!」
…だが息子マリーエルはそれは可愛らしく、ローランデは屋敷に、マリーエルと二人で残される事に何の異論も、無かった。
暖炉の火を前に、小さなおもちゃの剣を振り回し無邪気な笑顔を向けるマリーエルと過ごしていると、全てが忘れられた。
母の事…彼女に会えない寂しさともどかしさ…。
そして…………。
近衛で過ごした日々………。
教練を卒業後進んだ近衛では、激烈な日々を過ごした。
ディアヴォロスが異例で19もの若さで左将軍に就任。
彼の入隊以前に左将軍候補として名高いディアヴォロスの年上のいとこ、ムストレスがそれに腹を立てない訳が無く、近衛でも一大勢力を誇るムストレス派は、若いディアヴォロスを失脚させようと、常に年下のいとこ、ディアヴォロスに嫌がらせを仕掛けてきた。
やはり若い右将軍アルフォロイスが、ディアヴォロスを自分の片腕として左将軍に指名したものの、アルフォロイスさえも近衛を制圧する程の十分な勢力は無く、ムストレスの嫌がらせを完全にたしなめる事が出来ずに居た。
ディアヴォロスはその側近に、教練の後輩オーガスタスを据え、そして配下の隊長らにやはり後輩のローフィス…ギュンターら、入隊したての若い人材を配置。
それが更にムストレス派を刺激した。
ローフィスもギュンターも、年若いだけで無く、隊長の任を受けるだけの十分な身分では無いと…。
更にギュンターより一つ年下の自分でさえ、隊長の任を受けた。
つまり…矢表に立った。と言う事だった………。
ギュンターは金髪の美貌で売られた喧嘩は全て買う。と言う程負けん気の強い目立つ男だったし、奴らにとっては恰好の餌食で…そして、ギュンターと自分との関係がバレると今度矛先は、全て自分に集中した。
幾度……ムストレス派の男達に、ギュンターの居ない野戦のテントで“夜付き人"の代わりをしろ。と関係を強要された事か。
自分の身分の高さも、奴らを喜ばせる材料だった。
高貴な身分の男を平伏させて侮蔑するのが、心の底から楽しいらしく、更にギュンターの怒りを買えば一石二鳥だからだ…。
だが結局一度も、奴らの要求道理に応じる必要が無かったのは…。
同じディアヴォロス派のオーガスタスやローフィス、年下のアイリスらがギュンターの居ない場でいつも、気を配っていてくれていたから…。
オーガスタスはその体格と、柔和な笑みを湛えながら大物の風格漂う威風で正面切って相手を引かせてくれ…ローフィスはこっそりその場に顔を出しては素知らぬ振りして居座り…自分ですら矢面に居てひどい嫌がらせを受けているのに、それが更に…激化するのも恐れず居座り続けて邪魔を、してくれていた。
アイリスは大公の叔父を持つ大貴族だったから、年若い。と侮る相手をそれは柔和に受け流し、自分と約束があるから。と毎度その理由を言葉巧みにすり変えながらも、相手に丁重で有無を言わせぬ断りを、入れてくれた。
奴らがギュンターの居ない隙を突き始めたのは始めの頃、ギュンターの目前でそれを要求し、突然ギュンターに殴りかかられ、重傷を負わされたので。
彼には計算等無く、どんな場でも、また相手がどれ程自分より身分も地位も高かろうが、関係無しに殴り倒すし、処罰として一番危険な囮部隊に配属されても、命を落とすどころか部下を一人も零さず庇い、必ず生還する。
幾度も。幾度も………。
一番危険な場所へ…死地へ向かうようなその隊務を、だがギュンターはいつでも
「大丈夫だ」
と…不安を微塵も垣間見せず、言い切って出かける。
自分も戦闘で敵と剣を交えているさ中でも…彼の安否を気にし続け……そして無事な姿を見つけると、心が張り裂けそうに安堵する。
それが…どれ程続いた事だろう?
奴らは隙を見つけ、それを要求し続け、ギュンターは……機会あらばそれを、拳で拒絶し続けた。
激戦は続き、ギュンターは死地に、送られ続け……。
もう……。
本当に、奴らに自ら差し出そうか。と考える程………。
ギュンターの命の心配をするのに、疲れ切っていた………。
彼との、関係を自ら一度だって、望んだ事が無い。
それを望んだのはギュンターでそして……自分は経験が無かったから……ギュンターの手慣れた扱いで起こる自分の体の反応に戸惑い続け、結局それが理由で彼から離れられなく成っていた。
全く正常だと自分では思っていたし、心から女性が好きだったし…男を望む等、念頭にすら無かったのに………。
親友シェイルは、ギュンターは床上手だし、扱い成れてるから、初な君相手じゃ太刀打ち出来なくても当たり前だ。と言っていたけれど………。
でも時折見せる真剣に乞う瞳はこちらが切なくなる程で…。
どれ程拒絶したくとも…結局出来ず、ずるずると関係を続けてしまった。
それに…二人切りの時の激しい時間と違いそれ以外は…彼はとても面倒身のいい、どんな事でも親身に相談に耳を傾け、頼りに成る男で…それは彼の隊の騎士達全員が骨身に染みて、解っていた。
どれ程激しい激戦のさ中でも負傷した自分を、ギュンターは決して見捨てず、敵に取り囲まれ止めを刺されようとした時ですら飛び込んで来て助けてくれた。
と…涙ながらに語る隊員と、話した事があったから……。
隊の騎士の為に彼は体中に…本当に多くの傷を負ってもそれでも…必ず彼らを自ら担いで…帰還した。
どれ程自分が負傷し…辿り着いた途端気絶する程の重傷でも。
だから…いつの間にか彼には『金髪のガーディアン(守護者)』の異名が付き…近衛の騎士らだけで無く、多くの者達に(父大公ですら、知っていた)その名を知られていたし、ムストレス派以外の近衛の騎士達からも、深い尊敬を集めていた。
外見は鮮やかな金髪の、そこらではお目にかかれない程整いきった美貌でとても目立つ容貌の…けど話すとぶっきら棒で、とても素っ気ない男だったけれど。
けどいつもさり気無い気遣いを見せる、心の暖かい男だったから…。
彼の事が好きかと言われたら、多分とても好きだ。
シェイルはいつも、言っていた。
アイリスも。
『きっぱり振るのが、相手への思いやりだと思う』
でも…彼の事は、好きだった。
『恋人しとて?違うだろう?
先輩として、騎士として彼の姿勢が好きなんだ。
が、ギュンターの方は違う。
君に熱烈にイカれてる』
自分と彼との温度差はいつも…感じていた。
でもどうしても……きっぱりとした態度が取れない。
あの、熱烈に乞う紫の瞳を見るとどうしても……。
あれ程…全てを嘲笑う程、容貌と体格(彼はとても長身だった)に恵まれ、強く、何でも軽やかに身をかわし、誰にも掴まったりしない勇猛で美しい猛獣が…自分の時だけ傅(かしづ)いてそして…乞う。
切なげに…熱烈に。
どうしていいのか…解らないまま彼に抱かれそして…その行為はどうしても…許容出来たりはしない筈なのに…なのにその温もりが…どうしても、忘れられなく成ってしまう。
『奴の、思うつぼだ。
君が隙を見せるから…奴は付け入る』
きつい顔でシェイルは言う。
けれど……。
初めて強引に奪われた時の彼の言葉が幾度も耳に蘇る。
彼の行為に泣いて許しを乞う自分に向かって…彼は、それでもどうしても欲しいと言いそして…言った。
瞳を真っ直ぐ見つめ、驚く程真剣な紫の瞳で。
「お前を泣かせた償いは必ず、する。
どんな事があってもお前が大変な時は必ず駆けつけて、力になる。
それは、この先一生だ………。
この約束を違(たが)えたら、俺は自分の命を断つ。
それだけは、覚えて置いてくれ……。
そしてそんな時、俺が姿を現さなかったとしたら…。
頼むから俺を、軽蔑する前に俺の消息を訪ねてくれ…。
もし、生きていたら唾を吐いてくれて結構。
だが死んでいたら……。
約束を違えたのでは無いと、悼(いた)んでやってくれ……」
そして…その言葉を証明するかのように何度も…!
彼は幾度も自分を庇い、代わりに死地に送られそして一度もそれを、恩に着せた事が無い………!
むしろ…まるで償いのように…。
その身を危険に曝し一度等は本当に血塗れで…助けに駆け付けたオーガスタスに担がれ…死にかけて生還を果たした。
誓いは、本物だと…彼は幾度もその身で証明を立てる。
幾度…もういい。もう十分だから…!と……彼に言った事か。
だが……。
ギュンターは言った。
「俺の誓いは永遠だ。
お前は信じないかも知れないし、俺もそんなつもりは無かったが、俺は到底言葉にした誓いを、破れはしない…」
誓いを果たす為には彼は…死さえも厭わない…。
それに気づいた時、もう…駄目だ。と思った。
耐えられなかった。
彼の屍を見る日を迎えるのは………。
そんな時…母の容態急変の知らせが入り…ディアヴォロスは私を呼び出し、告げた。
「故郷に帰り、父の後を継ぐといい」
『光の国』の聖なる『光竜』をその身に宿す千里眼のディアヴォロスの言葉に弾かれるように決意し、辞職を、差し出した。
ディアヴォロスは黙ってそれを受け取り、微笑んだ………。
ギュンターは………。
行くな!とは言わなかった。
ただじっと………泣き出しそうな紫の瞳を、注ぎ続けた。
涙は零れはしなかったが………。
無言で私の身支度を見守り、北領地[シェンダー・ラーデン]に帰る日荷物を馬車に積むのを手伝いそして…顔を覗き込んで、ただ言った。
「必ず、会いに行く」
その時の彼の瞳を思い出すと、涙が止まらなく成りそうになる。
彼は感情をいつも抑える。だから………。
本当は、泣きたいのは彼じゃないかと思う。
もし彼が泣いてくれていたら…。
彼を抱きしめて言えた筈だった。
「私を忘れて、幸せに成れる相手と一緒になってくれ」と。
けれど彼は…泣きはしなかった。
ただじっと………。
その悲しげな瞳を、向け続けていた。
シェイルからの手紙には、近衛では命迄賭けて守った相手に振られた男。と、近衛中の男達の噂の的に成っている。と………。
みっともない事が大嫌いな、誇り高い男に自分は、何て事をしてしまったんだろう…。
そう…彼の身を心配したけれど……。
数日前突然、ギュンターは北領地[シェンダー・ラーデン]に現れた。
その場に居合わせたデルアンネはぷりぷりと怒り、だがギュンターに、父大公に、ローランデに薬入りの薬酒を盛ってハメた事をバラす。と脅されてる彼女は、ギュンターを迎えざるを得なくて更に彼女を怒らせ、彼女はさっさと友達の屋敷に遊びに出かけた。
私は……心配で言った。
「シェイルからの手紙で……君が振られたと…そう近衛中で陰口を叩かれていると……」
ギュンターは、余計な事を…!と言うように舌打って、唸った。
「陰口だろう?
俺に面と向かって言える奴が居たら、顔が腫れるか顎が割れるから、滅多な奴は口にしない」
「だって…君は平気なのか?」
問うが彼は何でもないように肩をすくめる。
「お前の姿が見られない辛さに比べれば、別に」
「だって…みっともない事は嫌いだろう?」
ギュンターは真顔で言った。
「お前に真剣に惚れた時点でとっくに無様(ぶざま)だから、今更だ」
「だぁ……!
…どう…したの?」
ローランデは覗き込むマリーエルの、くっきりとした青紫の瞳を見た。
この意志の強そうな大きな瞳は、母デルアンネ譲りだ。
その、小さくて整った、小作りな可愛らしい顔立ちも。
けれど…肩迄伸びた彼の髪は間違いなく、自分と同じ。
濃い栗毛と淡い栗毛が交互に混じった、独特の髪の色。
これは母から私が譲り受けた。
母の姿がとても優しく、彼女を倍美しく見せて大好きだった。
…自分だと、男達に“軟弱”と嗤われたが、気にした事が無い。
ローランデはそっとマリーエルの小さな頭に優しく触れた後、そっと手を滑らし、小さな手に握られた剣の構えを直し、ささやく。
「こうだ。
もっとしっかり握って…。
でも握り込んでは、駄目だ。
手から離さないように…けれどいつでも、握りを返せるように軽く…持つ」
父もこうして、教えてくれていた。
マリーエルは嬉しそうに笑うと、咄嗟に右足を前へと踏み出し、剣を前へと思い切り突き出す。
そのしなやかさと素早さ…!
彼には素質がある。たった四つだったけれど。
それに…自分と違い、彼はその母親譲りの可愛らしい顔立ちとは裏腹に、年の割には体が大きく生育がいい…。
きっと…体格に恵まれるだろう。
騎士はそれが、何よりだった。
父は母親似であまり体の大きく無い自分をどれ程…心配していた事か………。
マリーエルを寝かしつけ、書斎でシェイルの書状を再び紐解く。
教練入学当初から、同学年だったシェイルの美貌は注目の的だった。
銀の巻き毛にエメラルドの大きな瞳。
小さな赤い唇の整いきった、女性でも見ない程の美貌の、類希(たぐいまれ)な美少年で、更に自分よりも小柄。
ひっきり成しに…彼を自分の戦利品のように手に入れ、ペットにして自慢しようとする男達に襲われ…彼の事をいつも心配していたけれど、そんな彼にディアヴォロスは手を差し伸べ、大勢の前で彼に“愛の誓い”を捧げて彼の身をその暴客の輩から、護った。
シェイルはでもずっと血の繋がらない兄ローフィスの事を思い続け…ローフィスはシェイルが気に成りずっと同じ近衛で…頑張り続けていた。
ローフィスは…義弟シェイルの思いについて、素っ気なく言った。
「あいつは本当の恋愛が、解っちゃいない。
子供の頃からずっと…俺が護ってきたから、俺が居ないと不安でいられないだけだ」
ローフィスのその遠い青の瞳は、シェイルが一人前の青年として独り立ちする日を望んでいた。
『ローフィスが…とうとうずっと望んでいた神聖神殿隊付き連隊へと希望を出し、ディアヴォロスはそれを受理した』
手紙には書かれていないが、ディアヴォロスの裏切りに、シェイルは怒っているようだった。
まるで自分をディアヴォロスに託すかのようなローフィスの判断にも。
『ディアヴォロスが居れば俺は大丈夫だし、しっかり仕込んだ短剣の腕で襲って来る奴がいたとしても、気づかぬ内に喉か心臓を突く。と皆に知れ渡って一目置かれるように成ってるから、自分の身はもう、自分で守れて子守は要らないだろう?とぬかし、こっちの言葉なんて全然聞かない』
シェイルの、憮然(ぶぜん)。とした顔が思い起こされ、ローランデはくすり…。と笑った。
でもローフィスは…あれでとてもシェイルを愛してる。
ギュンターとは正反対で、顔にも態度も出さないけれど…とても深く…心から。
でもいつだって…誰の前でもシェイルの兄で居続けようと、その態度を変えた試しが無い…。
シェイルの気づかない場でシェイルを見つめるローフィスの瞳を思い返すと、時折胸が痛む。
とても…熱烈に見つめていた。
ギュンターのようにやっぱり…熱い想いを湛(たた)えた、とても切なげな、青の瞳で。
なのにシェイル本人の前ではいつも義兄に戻る。
態度に微塵も、出したりはしない。
それを…ローフィスの為に言う気も無いが…シェイルに時々、教えたいと無性に思う。
ローフィスにそれを言った時、彼は顔を傾け、首を竦めた。
「無駄だ。男の恋心なんて、シェイルに解るか?
あいつ、中身は四・五才で止まってる。
恋しい相手より、安心する肉親と居たいんだ。
それで引き止められてもな」
笑う、彼の笑顔に胸が…痛くなった。
何でも無い風に笑う…けれど……。
何でも無い筈が、無い。
『ギュンターが、随分思い詰めてるし、がっくり落ち込んでる。とローフィスもディングレーも…アイリス迄もが言っている。
でもいつも道理、全然表情には出てないけれど。
オーガスタスですら心配してる。
暴れ出さないかって。
ムストレス派の奴らと自棄(やけ)になって派手な喧嘩でもし、弾みで刺し殺されないか。なんて。
けどこの俺の短剣を全部避ける憎たらしい奴が、弾みなんかで命を落とされちゃこっちの名折れだから、そんな機会があればムストレス派の奴の剣が突き刺さる前に、俺の短剣で奴を仕留めてやる』
顔の割に、相変わらず物騒だな。
と思ったけれど、どうやら本気らしい。
ローランデはようやく…ゆっくり、ギュンターが突然尋ねて来た時の事を、思い返した。
シェイルの言葉を伝え…大丈夫か?と聞いた時…ギュンターは、でも青冷めていたしそれに……。
確かに、思い詰めた表情を一瞬、甲斐間見せた。
だから、シェイルが先に仕留める。と告げた途端、顔を上げた。
まるで、私の親友に自分が殺されると、私が大層心を痛めるだろう。と言うように…労るように柔らかく見つめ…そして言葉は相変わらず素っ気なく言った。
「シェイルの短剣で殺される程、俺は腑抜けて無い」
安心したように吐息を吐くと彼はほっとし…そして少し、嬉しそうに笑った。
「元気そうだ」
「マリーエルと時を過ごせて、楽しいからかな?」
「デルアンネは?」
「毎晩、舞踏会だ」
彼は肩を、竦めた………。
「ラウンデルⅢ世は、アースルーリンド侵攻を諦めたのかな?」
尋ねると、また肩をすくめる。
「甥のヨーデッツが失脚を狙って反乱を始め、自国の鎮圧に手一杯でこっちに攻め込めない」
「じゃあ…近衛の皆は今、平和で安心だろう?」
「戦闘続きで…いきなり暇になってもな…。
ムストレス派の猛獣共も…ディングレーも、元気を持てあましてる」
「君も…?」
ローランデはその後の事を思い返し、一瞬頬を、赤らめた。
ギュンターは手が早い。と皆が言う。
そして機会あれば逃がさない。とも。
それは…そうだと思った。
次の日の早朝…寝室に使者が訪れ、ギュンターは隣で書状を開け、布団をめくって飛び起きて衣服を付け始めたからつい…尋ねた。
「侵攻が始まったのか?」
「俺の隊のダウンゼストが酒場でムストレス派とやり合って重傷だそうだ!糞!」
怒鳴り、衣服を着ると戸口で振り向き、すまし返って言った。
「野暮用を済ませたらまた直ぐ、会いに来る」
言って扉を開け…。
窓の下を見たらもう彼は、見慣れた金の髪を馬上に靡(なび)かせ、駆け去って行った。
シェイルの返事にそれを書こうかどうしようか?
そう悩み…結局、伏せた。
ただ、ローフィスの門出を君も祝うべきだと。
彼は…必要以上に戦うのを、嫌う男だから。
でもきっとそれでもシェイルは、口を尖らせるだろう。
ローフィスの姿を見かけないと途端、落ち着きを無くす男だから。
ローフィスもそれを知っているからこそ…離れよう。と思ってるに違いない。
ローフィスの望みは例え偲ぶ、自分の思いが裏切られ、振られたとしても…シェイルが一人前の青年に成っていつか…惚れた、女性の手を取る日が来る事を望んでいるのだから…。
「例え、振られたとしても、それが何だ?
恋はまた出来る。
だが…兄貴として胸を張れるのは、多分一生に一度だからな!」
その時を迎えたら多分最高に誇らしげなローフィスの、笑顔が見られるに違いない…。
けど…シェイルがどうしても…ディアヴォロスとローフィスの庇護から抜け出せる日が来るとは思えず、どんなに頑張っても頭に思い描けない。と言う事は、ローフィスには絶対伏せて置こう…。
彼の、見果てぬ夢だ。と…言うのはあまりにも…彼が、気の毒だから………………。
END
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