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4 毒に侵されたギュンターの不幸とその波紋
銀髪の影の一族の頭領を、ゼフィスから寝取り返す算段をするアイリス
しおりを挟むアイリスは近衛隊長宿舎を出た足で、即座に叔父エルベスの大公邸へと向かう。
中央[テールズキース]の、王城のほぼ隣に位置する近衛宿舎とは、殆ど距離の無いほど近かった。
馬を走らせ大公家の門を潜り、広々とした玄関先で飛び降りて邸内に駆け込み、叔父エルベスの書斎へと向かう。
が、広い書斎の中は、幾人もの報告を携えた部下達でひしめきあっていた。
けれど戸口に、弟のような甥、アイリスの姿を見つけると、エルベス大公は報告の使者を押しのけ、嬉しそうにやって来る。
長身の美男。
アイリスとの血統を示す、濃い栗色の巻き毛と濃紺の瞳の、高貴なる貴人。
「…忙しそうだ」
アイリスが先に告げると、エルベスは愛しい甥に会えて、ゆったりとした歓喜の微笑を浮かべる。
「まあね。
結構、大事だ。
ニーシャ姉様が今必死に、打開策を探してる」
「相手は妖女、ゼフィス?」
アイリスの言葉に、エルベスは微笑み返す。
「そんな所だ。
ゼフィスはニーシャ姉様より先に、銀髪の影の頭領、サスベスを垂らし込み、その後厳しく会う人間を選別してる。
特に、余所者の女はまるっきりサスベスに近づけなくて…。
姉様は寝取り返す機会を奪われ、いらついてる」
アイリスは、少し俯く。
「銀髪の…影の頭領が敵方に付くと、大打撃?」
「…まあね。
銀髪の一族は知っての通り…厳しい鍛錬で鉄の意志を持つ、鋼の軍団。
表一族は正当に後継者を鍛えてそして…ちゃんと王立騎士養成学校に息子を送り込み、軍歴を上げて正当な地位を築いてるけど…。
裏の一族は王家に仕える事を嫌い、いつも影で隠密に動いてる」
「…今迄は、どこかの勢力に就くことは無かったって聞いたけど?」
「…頭領が代替わりしたばかりで、サスベスはまだたったの15。
銀髪の一族らしく、若年でも剣の腕は相当らしいけど…色事ではね。
ゼフィスにすっかり骨抜きにされて、言われるがまま。
若年の弱点をさらしてる。
だがこのまま、影の一族がロスフォールの大公家に就くとなると…」
「…こちらは苦戦?」
アイリスの言葉に、エルベスは微笑を消さないまま答えた。
「ヘタすれば滅亡」
アイリスは平静な微笑を保つ、叔父エルベスの高貴で整いきった若々しい顔を見つめた。
あまり年の離れていない、兄のような叔父。
ずっと守り、愛してくれた大切な大切な肉親。
エルベスは言い聞かすように囁きかける。
穏やかな口調で。
「暗殺集団が…ウチの領地の流通を、尽く邪魔してる。
採れたての作物を出荷した馬車は全て襲われ、ほぼ全滅に近い。
こちらの護衛も…訓練された敵に、歯が立たない。
負傷者は僅かで…他は皆、殺された。
今迄は金品を奪いはしても、彼らは殺しはしなかった。
だが大公家が背後につき、例えどれだけ殺しても、ロスフォールが役人を抱き込んでるから、摘発は難しい。
…隠密に動かれ、徹底的にこちらの領地を標的に…打撃を与え続けている。
このままでは…領民が飢えないために、私財を使うしか無い」
「…つまり、大赤字?」
「…私の領地は広い。
そのほぼ全部が赤字だと…。
幾ら私財をつぎ込んでも…数ヶ月で枯渇」
「全てを失っても…領民を守る?」
「…そうなる前に、助け手を見つける」
エルベスが、やはりゆったり微笑み…アイリスは胸が締め付けられた。
そんな恐ろしい敵相手にギュンターは三度も、命拾いをした。
先ほど会った近衛の男達や、剣聖ローランデに頼めば…。
馬車の護衛を、買って出てはくれるだろう。
が、広い領地の、全ての出荷馬車に、護衛を付けることは不可能…。
「女では…サスベスに近づけない?」
「どれだけ隙を探しても、難しい。
あの、ニーシャ姉様が毎度怒り狂ってるから」
エルベスは、大層妖艶で色香の塊の、一見上品だが中身はとても下品で気位の高い姉の、珍しく怒り狂う顔を思い浮かべ、くす。と笑った。
「でも、男なら?」
エルベスは、ため息を吐いた。
「アイリス。
君だってまだ、16になったばかり。
そんな君をたった一人で、とてつもなく危険な暗殺集団の本拠地には、送り込めない」
「…ニーシャ姉様は行くつもりだった。
違う?」
「姉様は幾らでも影で助けてくれる、強力な仲間もいる。
あちこちに顔が利くし、いざとなれば彼らは全力で、姉様を守るだろう」
けれどアイリスを良く知るエルベスはもう、甥の決意が固いことを知っていた。
「…サスベス閉じこもる城に既に、侍従としてある男を忍び込ませてる。
レスルの名を、聞いた事は?」
「…変装の名人で、素顔を誰も知らないという…滅多に仕事を依頼しない、超有能で万能な男?」
「…そう、滅多にしない。
が、とても大事で無いと依頼出来ない。
報酬が、法外な値段だから」
「…宝石の詰まったチェスト一つ分?」
「…私の領地、まるごと一つ分だから…チェストが四つは必要かな?」
絶句するアイリスを見つめ、エルベスはくすり。と笑う。
「…本当は、ニーシャ姉様が男装して潜り込む手筈だったんだけど。
チェックが厳しくて。
全裸で審査されるらしい」
アイリスはにっこり笑った。
「じゃ、侵入ルートは確保され、あとは入り込むだけだね?」
エルベスは呆れた。
「…一番肝心なのは、ゼフィスからサスベスを寝取る事なんだけど。
ニーシャ姉様は自信満々だったけど…。
男の君でも、落とす自信はあるのかい?」
「…髪は流石に、染めないとダメだね。
私はあなたに面影がとても似てるから。
ロスフォールの手の者に出会うと、あなたの血縁者だと直ぐバレる」
「そっちは…こちらの美容係がなんとか出来ると思うけど…。
本気で誘惑出来る?」
アイリスはその問いに、にっこり笑った。
「エルベスに迫られたら、私だってぐらぐら心が揺れそうだから。
きっと大丈夫だと思うけど?」
エルベスは、自分に顔立ちの良く似た…。
けれど自分より、華やかさと美しさを身に纏い、まだ青年の初々しさや瑞々しさを見せる、甥の微笑を見つめた。
言いたかった。
『それとこれとは違う』
けれど、知っていた。
アイリスが、言い出したら聞かない性格なのを。
アイリスが別室で美容係に髪を染められ、支度されてる最中、祖母と母、エライン。
そして母の姉、ニーシャが駆けつける。
「アイリス!
言っても聞かないでしょうけど、無茶よ?
大公家を例え失っても、あなたを失うよりはマシなのよ?!」
祖父無き後、大公家を切り盛りしてきた烈女の祖母にそう懇願され、アイリスは心から言った。
「そんなもったいないお言葉を頂けて、これ程嬉しいことはありません」
「まあ!
それは返答になっていないわ?!
止める。
って、どうして言ってくれないの?!」
「ムダよ、お母様。
でもあなたの母親として言わせて貰うわ。
あなたが死んだりしたら、二人の妹たちは悲嘆に暮れて喪服を脱がないわ。
妹たちにそんな思いをさせたいの?!
きっとずっと喪服だから、結婚も出来やしないのよ?!」
アイリスは自分同様、濃い栗色巻き毛で濃紺の瞳の、美女二人を見つめた。
祖母と言っても年よりうんと、若く見える。
昔から有名な美人で、皺が出来はじめはしても、相変わらず毅然として美しかったし、母は大公家ながらも飾り気が無く、素のままでもとても、光輝いていた。
「セフィリアとアリシャ(二人の妹の名)を使って脅してもムダです。
私は必ず、大公家から最高の結婚式を催し、妹たちを嫁に出しますから」
唯一、祖父似の明るい栗毛、ニーシャ伯母だけが。
戸口で腕組みし、アイリスの様子を見つめてる。
「できるだけ、ゴツくならないよう…。
警戒されるから。
男らしさを出すのは、いざと言う時だけにするのよ?
私の香水を、レスルに預けてあるから。
閨を共に出来そうなら、レスルから受け取って。
そうすればあなたでも、サスベスを簡単にモノに出来るわ。
第一彼、受け身なんて初めてだから。
うんと優しく蕩けさせたら…オンナなんて、メじゃない程メロメロに出来るでしょうね」
アイリスは、クス。と笑うと、妖艶な年上の美女、ニーシャに微笑みかけた。
「役立つ忠告、感謝いたします」
ニーシャはここに集う皆の中でただ一人の、明るい青紫の瞳をアイリスに向け、真剣な眼差しで告げた。
「…いいこと?
大公家の名誉に賭けて、サスベスを寝取り返すのよ?!
あの女もロスフォールも。
絶対地の底に引きずり落としてやるから!」
「…後の処理はお任せします」
祖母と母、エラインはそのやり取りに黙り込む。
ニーシャは二人に向けて、静かに言い諭す。
「大丈夫よ。
アイリスは私の甥で、お母様。あなたの孫で。
そしてエライン、あなたの息子なのよ?
信じなさい」
二人はため息交じりに互いを見つめ合い…やはり心配そうな瞳を、ニーシャに向けた。
が、アイリスはニーシャに言った。
「お言葉、感謝します。
必ずこの窮地から、大公家を救ってみせますから」
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