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ローフィスの手伝いに自主参加する面々
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ディングレーは、美少年三人が使ってる部屋をノックし、そっと扉を開けた。
ただ一人残ってるマレーは寂しげに窓辺で、帰郷にごった返す宿舎前の道を見下ろしている。
「(…なんとかしてやりたいが…ローフィスに相談したくても、今忙しいしな…)」
振り向くマレーは寂しそうに笑うから。
ディングレーはそっと側に近づくと、ささやく。
「…肉親は…父君だけ…だっけ?」
マレーは縦カールした栗毛に顔を隠すように俯き、ささやき返す。
「…母は、男と逃げたので…。
私と父は、捨てられました。
父も…後妻を迎え、私を見捨てました…」
ディングレーは直立姿勢で顔を一瞬、揺らす。
正直、両親を亡くしたアスランよりずっと重い家庭環境を改めて聞き、どう慰めて良いのか固まる。
「…後妻とは…折り合いが良くないんだな?」
「後妻の弟が…ここに来るには必要だと…。
無理矢理男を覚えさせたので。
父は私がされてる事を知っていても…止めません」
そこまで告げるとマレーは、心臓に衝撃が走ったように、身をがくん!と揺らした。
気づくと…ディングレーは抱きしめていた。
腕の中に包み、出来るだけ辛さを和らげようと。
マレーは一瞬、身から感覚が滑り落ちたように、放心したけど…。
大きくて逞しくて、温かな…ディングレーの身体に縋り付く。
気づくと夢中で…腕を回しきつく、抱きついていた。
その時、ギュンターが突然扉から顔を出して言う。
「四年の調教仲間でみそぎをすると誘われたが、あんたも…」
が、マレーを抱きしめてるディングレーに気づき
「ああ、悪い。邪魔したか?」
と顔を引っ込める。
正直この先どう慰めようか、言葉の出ないディングレーは行き詰まってたから。
ギュンターに告げた。
「…いいから入って来て、相談に乗ってくれないか?」
ギュンターが、入って来る。
その時金髪美貌の男の中身が、自分と同様、単純明快人間だったと思い出し。
「(…相談相手を間違ったかも…)」
と、ディングレーは軽く後悔した。
が、ギュンターは入って来ると、気さくに言った。
「…何の相談だ?
俺で良ければ力になる」
椅子に座り、一通りマレーの境遇を聞いたギュンターは、頷く。
ディングレーは内心
「(…ギュンターも、困ってないか?)」
と、表情を覗った。
が、ギュンターはつぶやく。
「つまり後妻が。
奥さんに捨てられた傷心の親父を、操ってるんだな?
俺の地元じゃ、後妻が来て子供を邪険に扱う親父の性根を叩き直すのに、別の女を宛がった」
斜め横の椅子にかけてたディングレーは、それを聞いて目を見開く。
ギュンターの正面に座るマレーは、顔を上げた。
ギュンターはマレーのヘイゼルの瞳を真っ直ぐ見て、言った。
「最も、子供を気の毒に思った女が、買って出たんだが。
それに別の女達が。
後妻を取り囲んで脅し、土地から去るよう強要した。
めでたく性根の腐った後妻は去り、後妻が去った後、傷心の親父は正気に戻った」
ディングレーは俯く。
「…それ…マレーの場合でも出来るか?」
ギュンターは斜め横のディングレーに視線を送る。
凍て付くような鋭い青の瞳を困惑に煌めかせ、真っ直ぐの黒髪に顔を埋めるようにして俯いてるディングレーを見、気づく。
ディングレーもマレーの境遇に、何も出来ず心を痛めてると。
「…俺の土地は、住民の団結心が強くて。
女達は、子供が虐待されたり辛い目にあってると、絶対放って置かない。
時には男達を焚きつけて、仲間の男に意見させたり殴らせたりする程だ。
…だがマレーの場合は、ともかく後妻を追い払うのが先決。
それで親父が正気に戻るかどうかは…心の傷の深さによる」
ディングレーは、頷く。
ギュンターはマレーを見つめ、言って聞かせた。
「こちらには、策略家のローフィスとそれに…アイリスもいる。
ただ、今は二人とも忙しいから、手が空き次第知恵貸してくれるよう、俺からも言ってみる」
ディングレーはそれを聞いた途端、マレーに笑顔で振り向く。
「俺達が、ギュンターの土地の女らに代わって後妻を追い出すから。
いつとは言えないが、必ず帰れる。だから…気を落とすな」
マレーは、こっくりと頷く。
けれどギュンターは眉根を寄せて言う。
「…だが、最悪だな。
要するに屋敷内で、後妻の弟に強姦されてるのに。
親父は無視か。
俺の土地ならその親父、顔の形が変わるぐらい殴られてる」
ディングレーが即答した。
「…それは俺と、オーガスタスがやる」
けれど顔を上げたマレーの表情に、喜びは見られない。
ディングレーもギュンターも同時に、マレーは報復を望んでいず、無くした…両親の愛情を取り戻したいんだと、分かった。
シェイルは最近ちっともローフィスと話せず、週末一緒に招かれてるフィンスの屋敷に行く話も上の空で、不安だった。
いつもならとっくに、ここに顔を出してくれるのに。
そっと同室のヤッケルに振り向くと、ささやく。
「四年宿舎へ行くの、付き合ってくれる?」
がヤッケルは、荷物を革袋に突っ込みながら告げる。
「…フィンスとローランデ、待ってるぞ?!」
「分かってる。けど…」
ヤッケルは詰め込んだ革袋の紐を絞り、口を閉じて肩に担ぐと、言った。
「さっさとローフィス引きずり出すぞ!」
けどシェイルは、不安げに囁いた。
「…ここに来ない…って事は、もしかしたら忘れてるかも…」
ヤッケルは呆れてシェイルを見た。
四年宿舎、ローフィスの部屋の戸口でヤッケルは再度呆れた。
シェイルはローフィスが張り付く机の横で、両手腰に当てて怒ってたから。
「…今週末は一緒に、皆でフィンスの所へ行くって…そう、約束してたよね?!」
ローフィスは羊皮紙だらけの机から顔を上げ、怒鳴り返す。
「いいから、お前だけ行け!」
けれどシェイルは困惑し、可愛らしく尋ねる。
「…もう…終わる?それとも夕方頃…?」
ローフィスは再び顔を上げ、怒鳴った。
「一人10課題で9人分!
借りて来た課題をそのまま提出できないから、書き写さないと駄目なんだ!」
ヤッケルは、血走るローフィスの目を見て『ダメだこりゃ…』とため息吐いた。
そしてチラと、シェイルを見る。
シェイルはどーしてもローフィスと行きたいらしく、必死で可愛らしく尋ねてる。
「…で、後どれくらい?」
「さあな!
一人分の10課題、写し終わった所だ!」
シェイルは、一課題で10枚以上あるのに目を、見開く。
「…まだ、8人分も残ってるの?!」
「だから今夜は徹夜だ!
いいからもう、邪魔するな!
とっととフィンスのお屋敷に出かけて来い!」
シェイルは怒った顔で、それでもローフィスの向かいに椅子を引いて腰掛け、白紙の羊皮紙とペンを取る。
「これ、写せばいいんだね?!」
ローフィスは顔も上げず、返事もせず。
その後ローフィスの部屋では、ペンを走らせる音しかしない。
ヤッケルはミイラ取りがミイラになるシェイルに呆れて叫ぶ。
「おい!
俺もローランデも待ってるし、フィンスは家からの馬車を、待たせてるんだぞ!!!」
ヤッケルに怒鳴られて、シェイルは慌てて振り向く。
「…ごめん。
だってこれ…凄い数だし。
とても放っておけない…」
ヤッケルは顔を下げ、ため息吐くと、バタン!と音立てて扉を閉め、だかだかとブーツを鳴らし四年宿舎を出て行った。
「ヤッケル!」
フィンスの家紋の入った馬車の前で、フィンスとローランデはヤッケルの背後にシェイルの姿が無くて、首捻る。
「…シェイルは?」
ローランデに聞かれ、ヤッケルは両手腰に当て、ぶすっ垂れた表情で言い放った。
「ローフィスの課題が死ぬほどあって。
結局シェイルは椅子に張り付きローフィスの課題を手伝い。
動かないから多分…行けない」
フィンスとローランデは、それを聞いて目を見開いた。
ヤッケルは尋ねようと口開く、フィンスとローランデを遮って宣言する。
「悪いが俺も、ローフィスを見捨てられない。
最悪に退屈な週末になると思うが、戻って手伝う。
だから君らは馬車に乗って、週末を楽しんでくれ」
言うだけ言ってさっさと背を向けるヤッケルに向かって、ローランデは駆け出す。
が、背後のフィンスに気づくと、振り向いて叫んだ。
「君のご両親に、謝っておいてくれる?!
今週末は行けませんと!」
ローランデのその声に、ヤッケルは気づいて振り向く。
ローランデは追いついて、ヤッケルに微笑って告げた。
「私も助っ人する!」
フィンスは皆の小さくなる背を見送る形となって、横に棒立ちになってる御者と一緒に、暫く呆然とした。
「…どういたします?」
御者に聞かれ、フィンスは思わず困惑の表情で彼を見つめ返した。
バタン!
フィンスが扉を開く。
その部屋では既にローフィスとシェイルの横で、ヤッケルとローランデまでもが羽ペン走らせていた。
二人は戸口のフィンスに振り向き、びっくりする。
「君まで来たの?!」
ローランデに聞かれ、フィンスは苦笑して、戸口の横にある椅子を持ち上げ、部屋へ入る。
「もう人手は要らないのかな?」
が、シェイルが顔を上げ、泣きそうな表情で思いっきり首を横に振る。
「きっと全員で徹夜しても、終わらない…!」
シェイルの泣き言を聞いて、フィンスは笑顔でヤッケルの横に椅子を下ろす。
「なら、詰めて。
もう一人加われば、もう少し早く仕上がるだろう?」
ヤッケルは座ったまま椅子に手を当て、横にずっずっ!と跳ねて、フィンスの場を開けた。
ディングレーはギュンターとマレーを伴って部屋を訪れ、沈黙の中皆が決死にペンを走らせる光景に、絶句した。
「…つまり、参加者の課題?」
ギュンターに尋ねられ、ディングレーは
「…多分…」
と頷く。
ローフィスが顔を上げ
「連中、今日打ち上げだろう?!
ギュンター連れて、さっさと出かけたらどうだ?!」
と叫ぶから。
ディングレーはローフィスにも見えるよう、小柄なマレーの背を、前へと押す。
ローフィスは気づいて、顔を横に背けた。
「…そうか。
それじゃ一緒に出かけられないな。
で?話なんだよな?」
マレーが呟く。
「えっと課題を…写してるんですか?」
シェイルが顔を上げ、呻くように告げた。
「死ぬ程あるんだ。
それに注文が五月蠅い」
即座にローフィスはがなる。
「そうだ!
綺麗な字で書くのは禁止!
豪快にはみ出し、丸写しで無く語句を同意語に変える!
意味が通じないほど変えるのも禁止!」
ヤッケルが、髪を掻き毟りながらぼやく。
「俺は元から字が下手だからいいが…。
ローランデとフィンスは字が綺麗だから、苦戦してる」
マレーは室内に入ると、課題の羊皮紙を見つめた。
背後のディングレーとギュンターに振り向く。
「僕…手伝います。
帳簿つけで、字を書くのは得意だし…。
それにお二人は、お出かけになる予定があるんですよね?」
ディングレーが言い淀んで、ギュンターを見る。
ギュンターも困った様に、ディングレーを見た。
ローフィスが
「マレーは引き受けた!
貴重な助っ人だ!
お前らはとっとと行け!」
と叫ぶので、ディングレーは項垂れて室内に入り、羊皮紙とペンを机の上から取ると、ソファに腰掛けてギュンターを見上げる。
「俺は行けないと。
連中に言ってくれ」
ギュンターは頷き、扉を閉める。
けれど見捨てたみたいで、罪悪感がひしひしと押し寄せるのを感じた。
間もなく、扉が開いてギュンターが戻って来るので。
室内の一同は目を、見開いた。
「…御予定は?」
フィンスに聞かれ、ギュンターはむすっ!として、ディングレーの横に腰掛け、ディングレーから羊皮紙と余分のペンを受け取り、告げる。
「悪筆の、書き手が必要なんだろう?」
間もなく仕上がりにチェックいれたローフィスは、ギュンターの書いた課題をひらひらさせ
「これが理想的な悪筆だ!
読めるか読めないかのギリギリ!
これを手本にして、字を変えて書いてくれ!」
と皆に見えるように吊したりするから、ギュンターは思いっきり、俯いた。
間もなくチエック入れた、ローフィスの声が飛ぶ。
「ディングレー!
まだ綺麗だ!もっと豪快に乱れさせろ!
マレー!字が揃いすぎ!
ローランデ、なんだその、優美な文字は。
そんな字書けるヤツは、一人も居ないぞ?!
フィンス、横に線も引いてないのになんで行間一緒だ!
もっと斜めに跳ね上がったり下がったり、行間めちゃめちゃにしろ!
シェイルは字が小さすぎ!」
皆、一斉に吊されたギュンターの文字を真剣に伺い見るので。
ギュンターは
「(要するに俺は行間めちゃくちゃ。
字が揃って無くて、デカかったり小さかったりし、ガサツで汚い字…ってコトか…)」
そう改めて思い知らされ、がっくり首垂れた。
ただ一人残ってるマレーは寂しげに窓辺で、帰郷にごった返す宿舎前の道を見下ろしている。
「(…なんとかしてやりたいが…ローフィスに相談したくても、今忙しいしな…)」
振り向くマレーは寂しそうに笑うから。
ディングレーはそっと側に近づくと、ささやく。
「…肉親は…父君だけ…だっけ?」
マレーは縦カールした栗毛に顔を隠すように俯き、ささやき返す。
「…母は、男と逃げたので…。
私と父は、捨てられました。
父も…後妻を迎え、私を見捨てました…」
ディングレーは直立姿勢で顔を一瞬、揺らす。
正直、両親を亡くしたアスランよりずっと重い家庭環境を改めて聞き、どう慰めて良いのか固まる。
「…後妻とは…折り合いが良くないんだな?」
「後妻の弟が…ここに来るには必要だと…。
無理矢理男を覚えさせたので。
父は私がされてる事を知っていても…止めません」
そこまで告げるとマレーは、心臓に衝撃が走ったように、身をがくん!と揺らした。
気づくと…ディングレーは抱きしめていた。
腕の中に包み、出来るだけ辛さを和らげようと。
マレーは一瞬、身から感覚が滑り落ちたように、放心したけど…。
大きくて逞しくて、温かな…ディングレーの身体に縋り付く。
気づくと夢中で…腕を回しきつく、抱きついていた。
その時、ギュンターが突然扉から顔を出して言う。
「四年の調教仲間でみそぎをすると誘われたが、あんたも…」
が、マレーを抱きしめてるディングレーに気づき
「ああ、悪い。邪魔したか?」
と顔を引っ込める。
正直この先どう慰めようか、言葉の出ないディングレーは行き詰まってたから。
ギュンターに告げた。
「…いいから入って来て、相談に乗ってくれないか?」
ギュンターが、入って来る。
その時金髪美貌の男の中身が、自分と同様、単純明快人間だったと思い出し。
「(…相談相手を間違ったかも…)」
と、ディングレーは軽く後悔した。
が、ギュンターは入って来ると、気さくに言った。
「…何の相談だ?
俺で良ければ力になる」
椅子に座り、一通りマレーの境遇を聞いたギュンターは、頷く。
ディングレーは内心
「(…ギュンターも、困ってないか?)」
と、表情を覗った。
が、ギュンターはつぶやく。
「つまり後妻が。
奥さんに捨てられた傷心の親父を、操ってるんだな?
俺の地元じゃ、後妻が来て子供を邪険に扱う親父の性根を叩き直すのに、別の女を宛がった」
斜め横の椅子にかけてたディングレーは、それを聞いて目を見開く。
ギュンターの正面に座るマレーは、顔を上げた。
ギュンターはマレーのヘイゼルの瞳を真っ直ぐ見て、言った。
「最も、子供を気の毒に思った女が、買って出たんだが。
それに別の女達が。
後妻を取り囲んで脅し、土地から去るよう強要した。
めでたく性根の腐った後妻は去り、後妻が去った後、傷心の親父は正気に戻った」
ディングレーは俯く。
「…それ…マレーの場合でも出来るか?」
ギュンターは斜め横のディングレーに視線を送る。
凍て付くような鋭い青の瞳を困惑に煌めかせ、真っ直ぐの黒髪に顔を埋めるようにして俯いてるディングレーを見、気づく。
ディングレーもマレーの境遇に、何も出来ず心を痛めてると。
「…俺の土地は、住民の団結心が強くて。
女達は、子供が虐待されたり辛い目にあってると、絶対放って置かない。
時には男達を焚きつけて、仲間の男に意見させたり殴らせたりする程だ。
…だがマレーの場合は、ともかく後妻を追い払うのが先決。
それで親父が正気に戻るかどうかは…心の傷の深さによる」
ディングレーは、頷く。
ギュンターはマレーを見つめ、言って聞かせた。
「こちらには、策略家のローフィスとそれに…アイリスもいる。
ただ、今は二人とも忙しいから、手が空き次第知恵貸してくれるよう、俺からも言ってみる」
ディングレーはそれを聞いた途端、マレーに笑顔で振り向く。
「俺達が、ギュンターの土地の女らに代わって後妻を追い出すから。
いつとは言えないが、必ず帰れる。だから…気を落とすな」
マレーは、こっくりと頷く。
けれどギュンターは眉根を寄せて言う。
「…だが、最悪だな。
要するに屋敷内で、後妻の弟に強姦されてるのに。
親父は無視か。
俺の土地ならその親父、顔の形が変わるぐらい殴られてる」
ディングレーが即答した。
「…それは俺と、オーガスタスがやる」
けれど顔を上げたマレーの表情に、喜びは見られない。
ディングレーもギュンターも同時に、マレーは報復を望んでいず、無くした…両親の愛情を取り戻したいんだと、分かった。
シェイルは最近ちっともローフィスと話せず、週末一緒に招かれてるフィンスの屋敷に行く話も上の空で、不安だった。
いつもならとっくに、ここに顔を出してくれるのに。
そっと同室のヤッケルに振り向くと、ささやく。
「四年宿舎へ行くの、付き合ってくれる?」
がヤッケルは、荷物を革袋に突っ込みながら告げる。
「…フィンスとローランデ、待ってるぞ?!」
「分かってる。けど…」
ヤッケルは詰め込んだ革袋の紐を絞り、口を閉じて肩に担ぐと、言った。
「さっさとローフィス引きずり出すぞ!」
けどシェイルは、不安げに囁いた。
「…ここに来ない…って事は、もしかしたら忘れてるかも…」
ヤッケルは呆れてシェイルを見た。
四年宿舎、ローフィスの部屋の戸口でヤッケルは再度呆れた。
シェイルはローフィスが張り付く机の横で、両手腰に当てて怒ってたから。
「…今週末は一緒に、皆でフィンスの所へ行くって…そう、約束してたよね?!」
ローフィスは羊皮紙だらけの机から顔を上げ、怒鳴り返す。
「いいから、お前だけ行け!」
けれどシェイルは困惑し、可愛らしく尋ねる。
「…もう…終わる?それとも夕方頃…?」
ローフィスは再び顔を上げ、怒鳴った。
「一人10課題で9人分!
借りて来た課題をそのまま提出できないから、書き写さないと駄目なんだ!」
ヤッケルは、血走るローフィスの目を見て『ダメだこりゃ…』とため息吐いた。
そしてチラと、シェイルを見る。
シェイルはどーしてもローフィスと行きたいらしく、必死で可愛らしく尋ねてる。
「…で、後どれくらい?」
「さあな!
一人分の10課題、写し終わった所だ!」
シェイルは、一課題で10枚以上あるのに目を、見開く。
「…まだ、8人分も残ってるの?!」
「だから今夜は徹夜だ!
いいからもう、邪魔するな!
とっととフィンスのお屋敷に出かけて来い!」
シェイルは怒った顔で、それでもローフィスの向かいに椅子を引いて腰掛け、白紙の羊皮紙とペンを取る。
「これ、写せばいいんだね?!」
ローフィスは顔も上げず、返事もせず。
その後ローフィスの部屋では、ペンを走らせる音しかしない。
ヤッケルはミイラ取りがミイラになるシェイルに呆れて叫ぶ。
「おい!
俺もローランデも待ってるし、フィンスは家からの馬車を、待たせてるんだぞ!!!」
ヤッケルに怒鳴られて、シェイルは慌てて振り向く。
「…ごめん。
だってこれ…凄い数だし。
とても放っておけない…」
ヤッケルは顔を下げ、ため息吐くと、バタン!と音立てて扉を閉め、だかだかとブーツを鳴らし四年宿舎を出て行った。
「ヤッケル!」
フィンスの家紋の入った馬車の前で、フィンスとローランデはヤッケルの背後にシェイルの姿が無くて、首捻る。
「…シェイルは?」
ローランデに聞かれ、ヤッケルは両手腰に当て、ぶすっ垂れた表情で言い放った。
「ローフィスの課題が死ぬほどあって。
結局シェイルは椅子に張り付きローフィスの課題を手伝い。
動かないから多分…行けない」
フィンスとローランデは、それを聞いて目を見開いた。
ヤッケルは尋ねようと口開く、フィンスとローランデを遮って宣言する。
「悪いが俺も、ローフィスを見捨てられない。
最悪に退屈な週末になると思うが、戻って手伝う。
だから君らは馬車に乗って、週末を楽しんでくれ」
言うだけ言ってさっさと背を向けるヤッケルに向かって、ローランデは駆け出す。
が、背後のフィンスに気づくと、振り向いて叫んだ。
「君のご両親に、謝っておいてくれる?!
今週末は行けませんと!」
ローランデのその声に、ヤッケルは気づいて振り向く。
ローランデは追いついて、ヤッケルに微笑って告げた。
「私も助っ人する!」
フィンスは皆の小さくなる背を見送る形となって、横に棒立ちになってる御者と一緒に、暫く呆然とした。
「…どういたします?」
御者に聞かれ、フィンスは思わず困惑の表情で彼を見つめ返した。
バタン!
フィンスが扉を開く。
その部屋では既にローフィスとシェイルの横で、ヤッケルとローランデまでもが羽ペン走らせていた。
二人は戸口のフィンスに振り向き、びっくりする。
「君まで来たの?!」
ローランデに聞かれ、フィンスは苦笑して、戸口の横にある椅子を持ち上げ、部屋へ入る。
「もう人手は要らないのかな?」
が、シェイルが顔を上げ、泣きそうな表情で思いっきり首を横に振る。
「きっと全員で徹夜しても、終わらない…!」
シェイルの泣き言を聞いて、フィンスは笑顔でヤッケルの横に椅子を下ろす。
「なら、詰めて。
もう一人加われば、もう少し早く仕上がるだろう?」
ヤッケルは座ったまま椅子に手を当て、横にずっずっ!と跳ねて、フィンスの場を開けた。
ディングレーはギュンターとマレーを伴って部屋を訪れ、沈黙の中皆が決死にペンを走らせる光景に、絶句した。
「…つまり、参加者の課題?」
ギュンターに尋ねられ、ディングレーは
「…多分…」
と頷く。
ローフィスが顔を上げ
「連中、今日打ち上げだろう?!
ギュンター連れて、さっさと出かけたらどうだ?!」
と叫ぶから。
ディングレーはローフィスにも見えるよう、小柄なマレーの背を、前へと押す。
ローフィスは気づいて、顔を横に背けた。
「…そうか。
それじゃ一緒に出かけられないな。
で?話なんだよな?」
マレーが呟く。
「えっと課題を…写してるんですか?」
シェイルが顔を上げ、呻くように告げた。
「死ぬ程あるんだ。
それに注文が五月蠅い」
即座にローフィスはがなる。
「そうだ!
綺麗な字で書くのは禁止!
豪快にはみ出し、丸写しで無く語句を同意語に変える!
意味が通じないほど変えるのも禁止!」
ヤッケルが、髪を掻き毟りながらぼやく。
「俺は元から字が下手だからいいが…。
ローランデとフィンスは字が綺麗だから、苦戦してる」
マレーは室内に入ると、課題の羊皮紙を見つめた。
背後のディングレーとギュンターに振り向く。
「僕…手伝います。
帳簿つけで、字を書くのは得意だし…。
それにお二人は、お出かけになる予定があるんですよね?」
ディングレーが言い淀んで、ギュンターを見る。
ギュンターも困った様に、ディングレーを見た。
ローフィスが
「マレーは引き受けた!
貴重な助っ人だ!
お前らはとっとと行け!」
と叫ぶので、ディングレーは項垂れて室内に入り、羊皮紙とペンを机の上から取ると、ソファに腰掛けてギュンターを見上げる。
「俺は行けないと。
連中に言ってくれ」
ギュンターは頷き、扉を閉める。
けれど見捨てたみたいで、罪悪感がひしひしと押し寄せるのを感じた。
間もなく、扉が開いてギュンターが戻って来るので。
室内の一同は目を、見開いた。
「…御予定は?」
フィンスに聞かれ、ギュンターはむすっ!として、ディングレーの横に腰掛け、ディングレーから羊皮紙と余分のペンを受け取り、告げる。
「悪筆の、書き手が必要なんだろう?」
間もなく仕上がりにチェックいれたローフィスは、ギュンターの書いた課題をひらひらさせ
「これが理想的な悪筆だ!
読めるか読めないかのギリギリ!
これを手本にして、字を変えて書いてくれ!」
と皆に見えるように吊したりするから、ギュンターは思いっきり、俯いた。
間もなくチエック入れた、ローフィスの声が飛ぶ。
「ディングレー!
まだ綺麗だ!もっと豪快に乱れさせろ!
マレー!字が揃いすぎ!
ローランデ、なんだその、優美な文字は。
そんな字書けるヤツは、一人も居ないぞ?!
フィンス、横に線も引いてないのになんで行間一緒だ!
もっと斜めに跳ね上がったり下がったり、行間めちゃめちゃにしろ!
シェイルは字が小さすぎ!」
皆、一斉に吊されたギュンターの文字を真剣に伺い見るので。
ギュンターは
「(要するに俺は行間めちゃくちゃ。
字が揃って無くて、デカかったり小さかったりし、ガサツで汚い字…ってコトか…)」
そう改めて思い知らされ、がっくり首垂れた。
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