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第五章『冒険の旅』
大変な近道 崖と岩場
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先頭を走るローフィスは、遙か前方からの駒音にはっとして目を向ける。
黒ずくめの男一人が馬を蹴立てて一行に近づき、オーガスタスは眉を寄せ、ギュンターは腰の剣の柄に、手をそっと添える。
が、後方からアイリスが馬を飛ばして駆け付け、その男を出迎える。
男はアイリスの真正面でいななく馬を止め、アイリスも同時に手綱を引く。
アイリスの視線を受けてローフィスは一つ、頷き、速度を落とさず駆け抜ける。
オーガスタスもチラリと相手の男を確認し、拍車を掛けて通り過ぎた。
ギュンターは吐息を吐くと、剣の柄に添えた手を手綱へと戻す。
横を過ぎるローランデとシェイルの耳に、アイリスと男の会話が飛び込んで来た。
「後は我々が始末致します」
ローランデもシェイルもその男が、エリューデ夫人邸で出会った、赤黒ベストの男の部下だと、一瞬で察した。
顔に傷のある、隙無く油断ならない、若いごろつきに見えたから。
ファントレイユも、レイファスもが、濃い栗色の巻き毛で背を覆うアイリスを見つめた。
彼は無言で頷いていた。
テテュスは通り過ぎ様、アイリスの後ろ姿を、見る。
横顔、そして…。
再び目が合った時、自分に向けるその濃紺の瞳に一瞬、困惑と悲しみが浮かぶ。
テテュスは『大丈夫』とアイリスに送りたかったが、もうエリスはアイリスの横を通り過ぎて行った。
ローフィスが手綱を引き、馬の速度を緩めながら、手を振り脇道へ入るぞ!
と、後ろに合図を送る。
オーガスタスが、その赤毛を振って振り向き、叫ぶ。
「逸(そ)れるぞ!」
ゼイブンもディンダーデンも、アイリスもが、顔を上げる。
ローフィスはとっくにその道へと姿を消し、オーガスタスがその殆ど茂みにしか見えない道へと、突っ込んで行った。
ギュンターが続き、ローランデも迷い無くその後へと、突っ込んで行く。
シェイルはゼイブンが横に並び走るのを、見た。
ざざざっ!と丈の長い草を蹴倒し、列の横を凄まじい早さで駆け去って行く。
ローランデもギュンターもが。
彼らの横を、ゼイブンとコーネル(馬)が風のようにすり抜け、あっという間に先頭のローフィスの隣に追いつく、その背を呆然と見つめた。
ディンダーデンは、あんなマネは出来ない。
と、最後尾のアイリスの前に割り込んだ。
暫くして、ローフィスが馬を止める。
皆が一斉に、やれやれと手綱を緩め、速度を落として馬を、止めた。
ローフィスはオーガスタスに振り向くと、ささやく。
「足場が悪い」
ゼイブンが横で、止めた馬上で手綱を握る手を鞍の上に乗せ、もう片手をその手の上に置いて俯き、ほっ。と吐息を、吐く。
どうやらこの道を、知ってる様子で、ギュンターが金の髪を揺らし、そっと馬をローフィスに近づけ、その先を見る。
足下は抉り取られたように何も無い、崖だった。
夜目で、月明かりの十分届かないその急な岩場の坂は、底が無いように見えた。
内心、つぶやく。
『足場が悪いどころじゃない』
表情には微塵も見せなかったが。
ローフィスはオーガスタスに、そっと告げる。
「俺の後を、付いて来てくれ。
道から外れるな」
オーガスタスは大きく頷くが、ギュンターは
「どこに道がある」
とつい、声に出してしまった。
ローフィスが、その明るい青の瞳でじろりと見る。
が、拍車を駆けてその岩だらけの坂を、下り始める。
ゼイブンが、オーガスタスの横でローフィスの降り行く姿を、息を飲んで見つめる金髪の野獣(ギュンター)に顎をしゃくる。
「どんな場所も、攻略地点ってのは、あるもんなんだ」
ギュンターはその色男に金の髪を散らして振り向き、噛み付くように怒鳴った。
「嘘を付け!」
その紫の瞳の美貌の男に睨むように見つめられ、ゼイブンは吐息混じりにささやく。
「いいから、俺が通った、後に続け。
解ったか?」
ギュンターは暫くその、軽い美男の顔を見つめたが、しぶしぶ頷く。
オーガスタスが先に、両足を馬の脇に打ち付け、手綱を繰って崖を降りるよう馬を促し、ローフィスの後を追い始める。
ゼイブンは横のギュンターと、その後ろに姿を見せるローランデに振り向く。
ローランデの腕に背後から抱かれたファントレイユの、自分を見つめる幼い無邪気なブルー・グレーの瞳が飛び込んで来たが、二人に頷いて見せ、そっと馬を進め、崖を下り始めた。
暗くて、足下が悪い上、急な坂だった。
が、オーガスタスは迷い無くローフィスの後に続いて、ゆっくり馬を慎重に繰り、下(くだ)り行く。
確かに…上からは暗くて、よく見えなかったが、ローフィスの行く後にはかろうじて、道らしき細い通路が蛇行して続いていた。
右に…そして左に。
だが体が思い切り前に傾き、腿でしっかり挟み込んで無いと馬上から転がりそうになる。
オーガスタスは冷や汗が背に伝うのを、頭の片隅で意識しながら、慎重に馬を進める。
月明かりにくっきりと影を作る岩場の間を、通り抜けるように細い道が続き、夢中でローフィスの背を追いかけているとついに、底が無いと思われた道も終わりを告げ、平らな場所に無事、降り立った。
ゼイブンも真っ直ぐ降りず、右に、左に、少しずつ馬を促して進み行く。
ギュンターは吐息を吐いてゼイブンの背を見つめ、がローランデにそっと振り向くと、彼は背後のシェイルに、自分の後に続けと伝言していた。
ギュンターはゼイブンの降りた道筋を辿りながら、半分陰で月明かりの十分届かない、暗い崖を降り始める。
上から見たら大変急な坂だったが、ゼイブンの後を付いて行くと確かに、岩や小石の隙間に、細い、道筋らしきものがある。
蛇行して降りて行くせいか、この高さに関わらず馬はそれでも、怖がらずに歩を進め行く。
夢中でゼイブンの後を追うと、いつの間にか崖を、降りていた。
先に降り立つローフィスとオーガスタスが、顔を上げて皆の動向を見守る。
シェイルはローランデの後に続き、心配無いようだった。
ディングレーが崖の上に立つと、アイリスが背後からそっとつぶやく。
「降りられそうか?」
ディングレーは素っ気なく言った。
「エリスは、大丈夫だ」
アイリスは彼の、馬を見た。
確かにその見事な黒毛は、急な崖を怖がる様子が無かった。
アイリスはそっとテテュスに視線を送り、微笑む。
テテュスはさっきの『死に神』が、冬の氷の溶けた春のような柔らかで暖かい微笑みを浮かべるのに、心が震った。
アイリスにとって自分は春、そのものだと解って。
ディングレーはそっとテテュスの耳元でささやく。
「…行くぞ」
手綱を緩めるとエリスはそれが合図のように、そっとシェイルの辿った道筋を伝い行く。
ディンダーデンは暫く無言で、崖を見つめた。が、隣で覗うアイリスに、そっと告げる。
「…本気か?」
問うその年上の男に、アイリスは呆れたように先に降り立ち、崖下からこちらを見上げる仲間を、目で指し示す。
「あれを、どう取る?」
ディンダーデンは嫌そうに、アイリスの微笑を浮かべた顔を見つめる。
「可能だと、言う事だな」
アイリスはにっこり笑うと
「その、通りだ」
と言って、ディンダーデンに、とっても嫌われた。
「そんなに怖く、無かったろう?」
降り立った後アイリスにそう言われ、ディンダーデンは思い切り彼を、睨み付けた。
「怖かったのか?」
ギュンターとオーガスタス、そしてシェイルの声が揃い、皆が顔を見合わせる。
ローフィスが、ふっ。と吐息を吐く。
「この先の道は飛ばせない。
足元が、かなり悪いからな」
ローフィスの言葉に思わずギュンターは周囲を見回す。
だが月明かりに影を作る、岩場の平な場所が広がるばかりで、再び崖がある様子でもなく、ほっと安堵した。
ローフィスは察してギュンターに告げる。
「岩場だ。
馬が足を痛めないよう進まないと」
オーガスタスが頷く。
シェイルが、心配するように言った。
「ずいぶん、暗いぜ?」
レイファスはその心配が、ミュスの為だと気づいた。
ミュスのような馬を、傷つけたくないシェイルの気持ちが解り過ぎる程解って、つい俯く。
がローフィスは頷くと、つぶやく。
「だから、速度を落とすんだ」
ディンダーデンが思い切りぼやく。
「街道を、敵を片っ端から斬り殺して、ぶっ千切った方が早く無いか?」
オーガスタスが笑う。
「お前の性には、合ってるだろうな」
ゼイブンは近衛の色男に振り向く。
「こっちの方が早い。
直線距離だからな…!」
ディンダーデンは神聖神殿隊付き連隊の色男にぶすったれた。
「言ってろ!」
ローフィスが先に馬を進めながら、忠告した。
「口は、閉じてろ。
舌を噛むぞ」
岩場は起伏に富み、確かに崖より厄介だった。
ファントレイユはローランデが馬を傷つけないよう、慎重に歩を進めるのを見つめた。
下はごつごつしていて、岩と岩の間に足を滑らせたりしたら、馬の細い足を痛めそうだった。
「いい子だ…。無理するな」
ローランデの優しい声に、その柔らかな白に近い栗毛の馬は、応えるように慎重に歩を、進める。
ファントレイユは彼の馬は雌だと、感じた。
時々、その馬は主人が気遣うのと同様、背に乗せた小さなファントレイユを気遣うように優しく、背に包み込んでくれたので。
だから彼女が岩の上から一瞬、ずっ!と足を滑らせた時。
叫びはしなかったけれど、心が悲鳴を上げた。
が、馬は直ぐに足を持ち上げ、その先の岩の上に、乗せて振り向く。
大きく長い顔の彼女と目が合った時
『大丈夫』
と言われた気がして、ファントレイユはその白に近い栗毛の鬣を、そっとなぜた。
レイファスは、ローフィスの言う通り口を閉じてないと、舌を噛む…!とずっと、唇を上下離さないよう、気を遣い続けた。
がくん…!がくん!
と、馬の背が大きく上下したり、崖を登ってるのかと思う程高く斜めに成ったかと思うと、いきなり下ったり。
でも背後のシェイルは自分に見せる優しい気遣いを、ミュスにもして見せた。
決して急かしたりせず、馬に道行きを任せ、目を配り平らな岩を見つけると、ミュスに促して判断を、仰いだりした。
ミュスはシェイルの指し示す場を、吟味し行くのを止めたり、そちらに歩を進めたりして、慎重にローランデの馬の尻を、追いかけ続けた。
ディングレーは全く指示を、与えなかった。
エリスの進むに任せ、馬の背に、呼吸を併せて自然に跨ったままだった。
テテュスは幾度も揺れて前にいざっては、エリスにその重さを知らせたが、ディングレーは柔らかく上体を揺らし、まるでエリスの体の一部のようで、エリスにとって自分だけが、動く度重い荷物を背負ってる。
と感じさせて、恥じ入った。
必死で、腿に力を込め、上体がいきなり揺れたり動いたりしないよう、ディングレーを見習って柳のようにしなやかに揺れて、エリスの動きに合わせるよう、気を使い続けた。
オーガスタスが時折背後を振り向くのに、ディンダーデンは気づく。
オーガスタスが、二人分の重みのかかるローランデとシェイルとディングレーの馬を気遣ってるな。と感じたが、ギュンターに隣でそっとささやかれる。
「他に気を取られると、まずいぞ」
ディンダーデンは解ってる。と手綱を引いた途端、彼の馬は足を滑らせ、ディンダーデンは慌てて、その横の平らな岩に馬を、導いた。
大した距離でも時間でも無かった筈だが、ようやく転がる岩が小さくなり、とうとう小石の転がる道に出た途端。
皆が一様に、ほっとした。
そしてまた、まっとうな道に出くわすと、ゼイブンがローフィスの顔を、見る。
「どうする?
この分だと、ここも奴らの配下が張ってるぜ」
「近道を、知ってるのか?」
ローフィスの問いに、ゼイブンは頷くと、付いて来いと促し、道の横の少し坂に成った茂みへと入って行った。
ディングレーが吐息を吐く。
「この分だとまっとうな道は全然、進めないようだ」
テテュスはつい、そんな彼に振り向き、見上げた。
頑健で頼れる逞しい肩と胸が視界に入り、彼の艶のある黒髪が月明かりの下、その胸元で揺れていた。
黒ずくめの男一人が馬を蹴立てて一行に近づき、オーガスタスは眉を寄せ、ギュンターは腰の剣の柄に、手をそっと添える。
が、後方からアイリスが馬を飛ばして駆け付け、その男を出迎える。
男はアイリスの真正面でいななく馬を止め、アイリスも同時に手綱を引く。
アイリスの視線を受けてローフィスは一つ、頷き、速度を落とさず駆け抜ける。
オーガスタスもチラリと相手の男を確認し、拍車を掛けて通り過ぎた。
ギュンターは吐息を吐くと、剣の柄に添えた手を手綱へと戻す。
横を過ぎるローランデとシェイルの耳に、アイリスと男の会話が飛び込んで来た。
「後は我々が始末致します」
ローランデもシェイルもその男が、エリューデ夫人邸で出会った、赤黒ベストの男の部下だと、一瞬で察した。
顔に傷のある、隙無く油断ならない、若いごろつきに見えたから。
ファントレイユも、レイファスもが、濃い栗色の巻き毛で背を覆うアイリスを見つめた。
彼は無言で頷いていた。
テテュスは通り過ぎ様、アイリスの後ろ姿を、見る。
横顔、そして…。
再び目が合った時、自分に向けるその濃紺の瞳に一瞬、困惑と悲しみが浮かぶ。
テテュスは『大丈夫』とアイリスに送りたかったが、もうエリスはアイリスの横を通り過ぎて行った。
ローフィスが手綱を引き、馬の速度を緩めながら、手を振り脇道へ入るぞ!
と、後ろに合図を送る。
オーガスタスが、その赤毛を振って振り向き、叫ぶ。
「逸(そ)れるぞ!」
ゼイブンもディンダーデンも、アイリスもが、顔を上げる。
ローフィスはとっくにその道へと姿を消し、オーガスタスがその殆ど茂みにしか見えない道へと、突っ込んで行った。
ギュンターが続き、ローランデも迷い無くその後へと、突っ込んで行く。
シェイルはゼイブンが横に並び走るのを、見た。
ざざざっ!と丈の長い草を蹴倒し、列の横を凄まじい早さで駆け去って行く。
ローランデもギュンターもが。
彼らの横を、ゼイブンとコーネル(馬)が風のようにすり抜け、あっという間に先頭のローフィスの隣に追いつく、その背を呆然と見つめた。
ディンダーデンは、あんなマネは出来ない。
と、最後尾のアイリスの前に割り込んだ。
暫くして、ローフィスが馬を止める。
皆が一斉に、やれやれと手綱を緩め、速度を落として馬を、止めた。
ローフィスはオーガスタスに振り向くと、ささやく。
「足場が悪い」
ゼイブンが横で、止めた馬上で手綱を握る手を鞍の上に乗せ、もう片手をその手の上に置いて俯き、ほっ。と吐息を、吐く。
どうやらこの道を、知ってる様子で、ギュンターが金の髪を揺らし、そっと馬をローフィスに近づけ、その先を見る。
足下は抉り取られたように何も無い、崖だった。
夜目で、月明かりの十分届かないその急な岩場の坂は、底が無いように見えた。
内心、つぶやく。
『足場が悪いどころじゃない』
表情には微塵も見せなかったが。
ローフィスはオーガスタスに、そっと告げる。
「俺の後を、付いて来てくれ。
道から外れるな」
オーガスタスは大きく頷くが、ギュンターは
「どこに道がある」
とつい、声に出してしまった。
ローフィスが、その明るい青の瞳でじろりと見る。
が、拍車を駆けてその岩だらけの坂を、下り始める。
ゼイブンが、オーガスタスの横でローフィスの降り行く姿を、息を飲んで見つめる金髪の野獣(ギュンター)に顎をしゃくる。
「どんな場所も、攻略地点ってのは、あるもんなんだ」
ギュンターはその色男に金の髪を散らして振り向き、噛み付くように怒鳴った。
「嘘を付け!」
その紫の瞳の美貌の男に睨むように見つめられ、ゼイブンは吐息混じりにささやく。
「いいから、俺が通った、後に続け。
解ったか?」
ギュンターは暫くその、軽い美男の顔を見つめたが、しぶしぶ頷く。
オーガスタスが先に、両足を馬の脇に打ち付け、手綱を繰って崖を降りるよう馬を促し、ローフィスの後を追い始める。
ゼイブンは横のギュンターと、その後ろに姿を見せるローランデに振り向く。
ローランデの腕に背後から抱かれたファントレイユの、自分を見つめる幼い無邪気なブルー・グレーの瞳が飛び込んで来たが、二人に頷いて見せ、そっと馬を進め、崖を下り始めた。
暗くて、足下が悪い上、急な坂だった。
が、オーガスタスは迷い無くローフィスの後に続いて、ゆっくり馬を慎重に繰り、下(くだ)り行く。
確かに…上からは暗くて、よく見えなかったが、ローフィスの行く後にはかろうじて、道らしき細い通路が蛇行して続いていた。
右に…そして左に。
だが体が思い切り前に傾き、腿でしっかり挟み込んで無いと馬上から転がりそうになる。
オーガスタスは冷や汗が背に伝うのを、頭の片隅で意識しながら、慎重に馬を進める。
月明かりにくっきりと影を作る岩場の間を、通り抜けるように細い道が続き、夢中でローフィスの背を追いかけているとついに、底が無いと思われた道も終わりを告げ、平らな場所に無事、降り立った。
ゼイブンも真っ直ぐ降りず、右に、左に、少しずつ馬を促して進み行く。
ギュンターは吐息を吐いてゼイブンの背を見つめ、がローランデにそっと振り向くと、彼は背後のシェイルに、自分の後に続けと伝言していた。
ギュンターはゼイブンの降りた道筋を辿りながら、半分陰で月明かりの十分届かない、暗い崖を降り始める。
上から見たら大変急な坂だったが、ゼイブンの後を付いて行くと確かに、岩や小石の隙間に、細い、道筋らしきものがある。
蛇行して降りて行くせいか、この高さに関わらず馬はそれでも、怖がらずに歩を進め行く。
夢中でゼイブンの後を追うと、いつの間にか崖を、降りていた。
先に降り立つローフィスとオーガスタスが、顔を上げて皆の動向を見守る。
シェイルはローランデの後に続き、心配無いようだった。
ディングレーが崖の上に立つと、アイリスが背後からそっとつぶやく。
「降りられそうか?」
ディングレーは素っ気なく言った。
「エリスは、大丈夫だ」
アイリスは彼の、馬を見た。
確かにその見事な黒毛は、急な崖を怖がる様子が無かった。
アイリスはそっとテテュスに視線を送り、微笑む。
テテュスはさっきの『死に神』が、冬の氷の溶けた春のような柔らかで暖かい微笑みを浮かべるのに、心が震った。
アイリスにとって自分は春、そのものだと解って。
ディングレーはそっとテテュスの耳元でささやく。
「…行くぞ」
手綱を緩めるとエリスはそれが合図のように、そっとシェイルの辿った道筋を伝い行く。
ディンダーデンは暫く無言で、崖を見つめた。が、隣で覗うアイリスに、そっと告げる。
「…本気か?」
問うその年上の男に、アイリスは呆れたように先に降り立ち、崖下からこちらを見上げる仲間を、目で指し示す。
「あれを、どう取る?」
ディンダーデンは嫌そうに、アイリスの微笑を浮かべた顔を見つめる。
「可能だと、言う事だな」
アイリスはにっこり笑うと
「その、通りだ」
と言って、ディンダーデンに、とっても嫌われた。
「そんなに怖く、無かったろう?」
降り立った後アイリスにそう言われ、ディンダーデンは思い切り彼を、睨み付けた。
「怖かったのか?」
ギュンターとオーガスタス、そしてシェイルの声が揃い、皆が顔を見合わせる。
ローフィスが、ふっ。と吐息を吐く。
「この先の道は飛ばせない。
足元が、かなり悪いからな」
ローフィスの言葉に思わずギュンターは周囲を見回す。
だが月明かりに影を作る、岩場の平な場所が広がるばかりで、再び崖がある様子でもなく、ほっと安堵した。
ローフィスは察してギュンターに告げる。
「岩場だ。
馬が足を痛めないよう進まないと」
オーガスタスが頷く。
シェイルが、心配するように言った。
「ずいぶん、暗いぜ?」
レイファスはその心配が、ミュスの為だと気づいた。
ミュスのような馬を、傷つけたくないシェイルの気持ちが解り過ぎる程解って、つい俯く。
がローフィスは頷くと、つぶやく。
「だから、速度を落とすんだ」
ディンダーデンが思い切りぼやく。
「街道を、敵を片っ端から斬り殺して、ぶっ千切った方が早く無いか?」
オーガスタスが笑う。
「お前の性には、合ってるだろうな」
ゼイブンは近衛の色男に振り向く。
「こっちの方が早い。
直線距離だからな…!」
ディンダーデンは神聖神殿隊付き連隊の色男にぶすったれた。
「言ってろ!」
ローフィスが先に馬を進めながら、忠告した。
「口は、閉じてろ。
舌を噛むぞ」
岩場は起伏に富み、確かに崖より厄介だった。
ファントレイユはローランデが馬を傷つけないよう、慎重に歩を進めるのを見つめた。
下はごつごつしていて、岩と岩の間に足を滑らせたりしたら、馬の細い足を痛めそうだった。
「いい子だ…。無理するな」
ローランデの優しい声に、その柔らかな白に近い栗毛の馬は、応えるように慎重に歩を、進める。
ファントレイユは彼の馬は雌だと、感じた。
時々、その馬は主人が気遣うのと同様、背に乗せた小さなファントレイユを気遣うように優しく、背に包み込んでくれたので。
だから彼女が岩の上から一瞬、ずっ!と足を滑らせた時。
叫びはしなかったけれど、心が悲鳴を上げた。
が、馬は直ぐに足を持ち上げ、その先の岩の上に、乗せて振り向く。
大きく長い顔の彼女と目が合った時
『大丈夫』
と言われた気がして、ファントレイユはその白に近い栗毛の鬣を、そっとなぜた。
レイファスは、ローフィスの言う通り口を閉じてないと、舌を噛む…!とずっと、唇を上下離さないよう、気を遣い続けた。
がくん…!がくん!
と、馬の背が大きく上下したり、崖を登ってるのかと思う程高く斜めに成ったかと思うと、いきなり下ったり。
でも背後のシェイルは自分に見せる優しい気遣いを、ミュスにもして見せた。
決して急かしたりせず、馬に道行きを任せ、目を配り平らな岩を見つけると、ミュスに促して判断を、仰いだりした。
ミュスはシェイルの指し示す場を、吟味し行くのを止めたり、そちらに歩を進めたりして、慎重にローランデの馬の尻を、追いかけ続けた。
ディングレーは全く指示を、与えなかった。
エリスの進むに任せ、馬の背に、呼吸を併せて自然に跨ったままだった。
テテュスは幾度も揺れて前にいざっては、エリスにその重さを知らせたが、ディングレーは柔らかく上体を揺らし、まるでエリスの体の一部のようで、エリスにとって自分だけが、動く度重い荷物を背負ってる。
と感じさせて、恥じ入った。
必死で、腿に力を込め、上体がいきなり揺れたり動いたりしないよう、ディングレーを見習って柳のようにしなやかに揺れて、エリスの動きに合わせるよう、気を使い続けた。
オーガスタスが時折背後を振り向くのに、ディンダーデンは気づく。
オーガスタスが、二人分の重みのかかるローランデとシェイルとディングレーの馬を気遣ってるな。と感じたが、ギュンターに隣でそっとささやかれる。
「他に気を取られると、まずいぞ」
ディンダーデンは解ってる。と手綱を引いた途端、彼の馬は足を滑らせ、ディンダーデンは慌てて、その横の平らな岩に馬を、導いた。
大した距離でも時間でも無かった筈だが、ようやく転がる岩が小さくなり、とうとう小石の転がる道に出た途端。
皆が一様に、ほっとした。
そしてまた、まっとうな道に出くわすと、ゼイブンがローフィスの顔を、見る。
「どうする?
この分だと、ここも奴らの配下が張ってるぜ」
「近道を、知ってるのか?」
ローフィスの問いに、ゼイブンは頷くと、付いて来いと促し、道の横の少し坂に成った茂みへと入って行った。
ディングレーが吐息を吐く。
「この分だとまっとうな道は全然、進めないようだ」
テテュスはつい、そんな彼に振り向き、見上げた。
頑健で頼れる逞しい肩と胸が視界に入り、彼の艶のある黒髪が月明かりの下、その胸元で揺れていた。
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※表紙イラストはAIイラスト自動作成で作っています
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Retry 異世界生活記
ダース
ファンタジー
突然異世界に転生してしまった男の物語。
とある鉄工所で働いていた佐藤宗則。
しかし、弱小企業であった会社は年々業績が悪化。
ある日宗則が出社したら、会社をたたむと社長が宣言。
途方に暮れた宗則は手持ちのお金でビールと少しのつまみを買い家に帰るが、何者かに殺されてしまう。
・・・その後目覚めるとなんと異世界!?
新たな生を受けたその先にはどんなことが!?
ほのぼの異世界ファンタジーを目指します。
ぬるぬる進めます。
だんだんと成長するような感じです。
モフモフお付き合いおねがいします。
主人公は普通からスタートするのでゆっくり進行です。
大きな内容修正や投稿ペースの変動などがある場合は近況ボードに投稿しています。
よろしくお願いします。
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まさか転生?
花菱
ファンタジー
気付いたら異世界? しかも身体が?
一体どうなってるの…
あれ?でも……
滑舌かなり悪く、ご都合主義のお話。
初めてなので作者にも今後どうなっていくのか分からない……
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