赤い獅子と淑女

あーす。

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プロローグ

忘れ得ぬ出会い(取り戻したもの)

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 ゼッデネスは取り戻したヴィラヴィクス邸で、楽しそうに忙しく動き回る妻を見ていた。

書斎の明け放れた窓の外。
庭の手入れを庭師に指示してる…。

アレクサンダーの息子、ユージェニーが尻尾振り、まとわりついても、笑って「いけない」をし、尻尾振り続ける犬に屈み、尚も言い含めてる。
「駄目。よ。
貴方と遊んでいられないの!」

ゼッデネスは、目を細める。
母の姿が彼女にダブる…。

母もそれは…この館を愛していて…いつも楽しそうに、この館の重厚な美しさを保つ為、毎日召使い達に指示を与えていた。
母だけで無く…召使い達も皆、母の指示に従いヴィラヴィクス邸を美しく保つのに…誇りを感じ、楽しそうに仕事をしていた。

庭の彼女が、書斎で見つめてる彼に気づき、笑顔で手を振る。
「もう、お茶よ!
出ていらしたら?!」
「もう少し片付けたら、頂くよ!」

叫び返すと、彼女は笑顔で頷く。
そしてやっぱり…駄目。を聞かないユージェニーが纏わり付くのを、笑顔で阻止する。
「駄目よユージェニー!
する事がたくさんあるの!」

庭師がはしごの上で、作業の手を止め女主人に告げる。
「…こいつ…嬉しくて仕方ないんでさ…。
いや、わしらここでずっとお世話してる者みんな…以前のような…奥方様が帰ってきたと…喜んでるもんですからね。
奴にもそれが、きっと解るんでしょう…」

シュスーラはそれを聞くと…尻尾振ってるユージェニーの、頭をそっ…と撫でる。
「私…亡くなった奥様に似てる?
肖像画を拝見したけど…」

庭師ははしごの上で振り向く。
「お姿で無く…声の調子とか…そう、この館をとても愛していらして、その…いつも楽しそうな様子が………」

シュスーラは言われ、俯き…そして書斎から見つめてる俺に振り向く。

頷くと、シュスーラはそれを受け…頷き返した。

初夜の晩、寝室で彼女に散々言われた。
結婚式に来ていた客に、聞かされたんだろう…。
「私、この屋敷が目当てで貴方と結婚したんですって!
貴方がこの屋敷を取り戻した途端、貴方と結婚したから!」

微笑って言い返す。
「違うのかい?」
彼女は寝間着で鏡台の前で髪をとかしながら、怒った顔で言った。
「いいえ!その通りよ!
私はヴィラヴィクス邸が大好きだから、貴方と結婚したの!」

寝台の上で横たわり、彼女に腕を差し出す。
「…おいで」
彼女はやって来ると、身を寄せ…俺を見下ろし唇を開く。

だからその唇が声を発する前に…人差し指を当て、微笑って言った。
「…この館も俺も…愛してくれる人が必要で、君はそれを一辺に出来る人だから妻に迎えた」

彼女はそれを聞いて、じっ…と俺を見つめる。
そして少し、哀しそうな表情で呟く。
「私…足が動かない貴方でも平気…。
戦いに、出かけて死体で帰って来る不安に襲われなくて、済むもの」
俺は…言葉出ず、彼女はそんな俺に、口付けた。


庭で植え付けをする召使いに指示を出す彼女は、それでも見つめている俺に振り返りる。
彼女は幾度も尋ねる。
その瞳で。
表情で。

…あの、石のテラスでも、木々を背景に。
「この館と貴方は愛を二分しても平気なの?
この館はまるで貴方の…」
俺は幾度も微笑みかける。
この館を心から愛してる、君をとても愛してると。

母の幻影が見える。
母が生きていたらきっと…シュスーラに、この館について色々と教えたろう。
そして彼女達は…共に館を愛する者として…楽しげに徒党を組んだに違いない。

そして父はきっと…忙しく動き回る妻を見、同様の身となった息子の俺に、笑顔で呟く。
「お前も…ヘタしたら、館の次の二番目にされるぞ?」

だが楽しそうな妻達を見、そんな姿を幸せそうに見つめる父に、自分は頷く。
「…きっと、そうでしょうね…」

自分も父同様、幸せそうな妻をやはり…幸せそうに見つめているのだと、自覚して………。


ゼッデネスは溜息を吐き、シュスーラが午後のお茶に引っ張り出しに来ない内に…と、チェストからミニチュアの肖像画を取り出す…。

私物は…この館を出る時持ち出し…ほぼ全部、別邸の納屋に終われていた…。
もう…出す事も無いと思っていた、近衛時代のそれ…。

そしてゼッデネスは一つの…肖像画を取り上げる………。
小さな額に入っているその、姿………。

オーオールディーン…………。

幾つ年上だったろう…?
教練の上級生にいなかった。
だから…四つは確実に、上の筈だ。
近衛入隊時の…隊長だった………。

そして…ゼッデネスはその時初めて…あの、奴隷小屋でオーガスタスを見た時、なぜすんなり彼を受け入れられたのか、今突然理解出来た。

オーオールディーン…。
彼と同じ…髪色…………。
堂とした、立派な上背と体躯…。

新兵で大貴族の自分に、彼は手を焼いていたな。
大柄で誰よりも長身。
けれど…身分低い平貴族だった。

が、近衛ではいざ戦闘となると身分より実績………。
生意気は初の戦闘の時消えた。
戦場で、彼の戦い振りを見た時に…。

彼は圧倒的に強く、戦に不慣れな新兵を助け…振られた視線に自分は瞳でこう…答えた。
「(俺は助けは必要無い)」と…。

オーオールディーンはフイ…と顔背け別の…助けの必要な、新兵の元に走り、がつんがつん!と剣受け蹌踉めく新兵の、敵を背から斬りつけ…。
振り切り下げた剣先に滴る赤い血を今でも…思い出せる。

助けられた新兵はがそのオーオールディーンの姿に一瞬怯え…オーオールディーンが戦意解き、手を差し伸べた時、初めてほっとして…その手を、借りた。

強かった。
身分が低かろうが…准将迄上り詰めるんじゃ無いかと…噂されていた。

隊員の中で一番身分高い生意気な自分をいつも…ジロリ…と見…そんな彼に俺はいつも、反発していた。
けど…一度怪我を負った時、助けに入ってくれ、敵をやはり…一撃で殺し、俺を見た。
が俺は瞳で、彼に訴えた。
要らないと…!
そんな、情けない男じゃないと…!
俺はいきり立って彼を、睨め付けた。

が、彼は視線振る。
直ぐ斜め後ろから敵に斬りかかられ、俺は…蹌踉めいた。

オーオールディーンの、身が突進して俺を抱き止める。
同時に剣振り下ろし敵の血飛沫背に…浴びる。

抱かれたその腕は、大きな…獰猛な………けれど同胞には限りなく力強い温もりだった。

オーオールディーンは俺を腕から放し、そして無言で見つめ…背を、向けた。

その一瞬で彼の心が解った。
どれだけ生意気な態度取られようが…自分はまるで彼の子供のように心配な存在なんだと。

その大きさが悔しくて…子供のように思われてるのが腹立たしくて……けれど同時に、誇らしかった。

どれだけでもその誇らしさを否定した。
酒場で仲間達は皆、素晴らしい自分達の隊長を褒め称えている間中、ずっと…………。

皆、俺がオーオールディーンを、嫌ってると思ってたな………。
この肖像画は…どうして手に入れたんだっけ………。

その日の事を、ゼッデネスは思い返す。
苦い表情になってる。
自分でもそれが、解った。

オーオールディーンは准将へと推薦する多数の声を、裏切った。
恋に、落ちて………。

仲間達は皆、彼の駆け落ちを手伝った。
自分は…巻き込まれたんだ………。

彼に、会う気は無かった。
その…大公と結婚の決まった彼の想い女(ひと)を館から…連れ出す役に駆り出された。
自分は隊の中でも一番身分が高かったから…名乗れば家人も信用する。と言われ。

昼で扉が開き…彼女を目前に迎えた時…彼女は悦びに溢れていた。
着飾った彼女は美しく…だが愛に満ち、輝いていた………。

一切を捨て…何もかもを捨て………。
なのに彼女には迷いは一っ欠片も無く、愛する人と暮らす悦びしか、見い出せない。

彼女を…オーオールディーンの元に連れて行く手はずの、仲間に合流した時襲われた。
オーオールディーンの元へ彼女を導く仲間に、彼女を手渡せばそれで役目は終わる筈だった。
けど…そうならなかった。

彼女の婚約者、大公の付けた追っ手が急襲し…俺は彼女を連れ、大公の配下と戦いながら俺に叫ぶ仲間の声を聞く。
「頼む…オーオールディーンに!
彼に何としても彼女を………!」

怪我しながらそれでも、仲間達は大公配下の男らと戦い、俺は彼女を託され…華奢な手引き必死で駆けながら、それでも俺は…思ってた。
間違いじゃ無いのか。と。
この逃避行は。

オーオールディーンは全てを捨てる。
彼女と逃げれば。
輝かしい准将の椅子が目前。

だが…それが消える………。
必死な彼女の手を引きながら見つめる。

引き替えが…彼女か?
それ程…価値が、あるのか…?!

仲間が隠していた馬を見つけ、彼女を乗せ…そして…遠目で戦う、仲間らを見る。
皆、オーオールディーンの為…戦場で受けた彼の恩返そうと、必死で戦っていた。

けど…去って行く。
彼は、俺達から。

目が…潤んだ。
それでも奴らは必死で…彼の宝を彼に手渡せと………。

手綱を、引く。
拍車駆ける。

追っ手は三騎。
夢中で走らせ…木々の中で止める。

そして…彼女を下ろし剣持ち…叫ぶ。
「俺を殺さない限り、彼女は取り戻せないぞ!」


倒れ伏す三人を尻目に、彼女を再び馬に乗せる。
まだ手に剣を振った時の…手応えが残っていた。
三人の内…幾人かは死体に、成ってたかもしれん…。
それ程、思い切り振った。
俺はオーオールディーンの、子供じゃないと。
一人前の…立派な剣士だと…。

そう、言いたかった。ずっと。奴に。
けどこんな時…こんな時に………。
奴が去って行き、嫌でも俺達は…大きな庇護を無くす、こんな時に奴に言うなんて!

涙が出た。
悔しかった。
奴が居る時、言いたかった。

俺はあんたに助け借りなくても、やって行けるんだと!
突き付けたかった!
認めさせたかった…………!

……………彼女は…大きなオーオールディーンの腕に飛び込み…そう、文字道理、飛び込んだんだ。

オーオールディーンは途端高い背屈め、彼女を抱き止めた。
俺は、惚けていた。
未だに…信じられなかった。
見送りたくなんか、無かった………。

もしこの駆け落ちに参加していても…去る彼をこの目で見てなんていなかったら…。
家の事情で…そんな理由で、彼が消えた事を飲み込んだろう……。
けれど、違う!
彼は、自分の意志で俺達を捨てる!

腕に愛する女性を抱き…その男は身を、起こす。
戦場で見た…誇り高い仲間思いの…野獣の姿。

静かな瞳が、後悔は無いと、告げていた。
俺は………頬に涙が滴り…もう悔しくて…。
奴にそれを見られた事が悔しくて、拳握った。
握りしめた。

奴の、静かな声。
「アッデスタらは…?」
「大公の、追っ手で………」
「そうか………」

怪我してないな?
奴が言おうと顔上げ、声が発せられるその前に、俺は言った。
「怪我はした。
が、仮にもあんたの隊の近衛騎兵だ。
死にはしない」

オーオールディーンは微かに頷く。
そして…涙頬に伝わせる俺に、微笑う。

その…切なげな微笑は一生俺の心から消えないと…その時俺は、予感した。
叫んでた。
「准将だ!
あんた…解ってんのか?!
准将なんだぞ?!
あんたが棒に振るのは!!!」

だが彼の心にその言葉は…何の波紋も引き起こさない。
だからとうとう…背を向け去ろうとする彼に、俺は怒鳴った。
「俺達を…さんざ、戦場で庇い甘やかしてきた俺達を…捨てるのか!
あんた無しで戦えと俺達に………!」

もう…言えなかった。
認めたも同然だ。
認めたくなかったが、こんな…形でなんか、無い!
准将の椅子に座ったあんたに…俺は言いたかった!
あんた無しでも平気だと!
俺は立派にやれるんだと!

あんたに……………。

もう俺は…去って行く彼を見られなかった。
大きな…大きな翼だった。
あの血と刃と……そして殺意がぶつかりあう戦場であんたは…確かに俺達をその、大きな両腕で…護ってくれていた…。

あんたが居たから…どれだけでも強気で居られた。
あんたがいたからこそ俺達は…何も…怖くなかった。

どれだけの恐怖も……耐えて、行けたんだ…………。

俺は…その草たなびく丘の上で、あんたの去り行く…傍らに宝物を抱き、去り行くその背を見て…告げた。

“ありがとう…”
幾度も幾度も…絶対一生面と向かって言ったりしないはずの、その言葉を………。
ずっと呟き続けてた。


酒場で皆、怪我で呻き、それでも酒を、煽った。
祝杯の…筈だったが、皆沈黙していた。
誰もが…言えなかった。
失ったものが、大きすぎて。
良かった。とも…寂しいとすら口に出来ずに………。

酒場に職人が仲間に何か、手渡す。
それを持ちテーブルの上に置き…奴が、言った。
「…今頃、出来てきたか………。
准将に直成るから…」

それは…近衛で恒例の、内輪祝いだった。
隊長が准将に選ばれた時…隊員に配られる…隊長の栄えある小さな肖像画………。

それぞれが違う、表情でだがどれも…彼だった。
「ほら…好きなの、取れよ」

…それは奴の准将祝いの筈だ。
だが誰もが無言で、一つ取る。

一人がとうとう…手に取ったそれを見て、泣いた。
次々と皆、肩揺らす。
この中で、一人だって…疑わなかった。
准将に選ばれた彼のその…栄位式を迎える日の事を…。
残った二つの、一つを取る。そこには…。

准将の制服とペンダントを付けた彼の…晴れやかな姿が、描かれていた。
永久に、彼が着ず付けない…その印。

自分達のした事を、誰一人後悔してないのは解ってた。
ただ…切なかった。
誰もが…生意気言った、俺ですら彼が…彼の事が、好きだった………。

誰も…その後の彼の事は、知らない。
ただ彼は…迷っていたと。
自分の昇進で無く彼女の為に。

彼の…家族の事は知らない。
ただ…叔父と名乗る男が彼の、残った私物を取りに来た。
皆がその男を取り囲んだ。
オーオールディーンの母親は彼が産まれた時死に…父親は賊と戦い死んだと…。
だからオーオールディーンは近衛で民を護る騎士になりたいと…。

俺以外の隊員の、幾人かは知っていた。
そして必死で聞き耳立てる。
「…連絡は?」

彼は、首を横に振る。
「…ずっと…大公家の見張りが張り付いてます。
もう…三ヶ月も経った、今でも…………」

だから…仕方無かった。
その後の彼の消息が分からなくても。
皆、彼が…どんな所にでも配下の居る大公家に、彼女が見つからないよう…祈るので必死で…。

連絡が取れず、姿も噂も…無いのは良い事だと。
二人はどこか…大公家の手の届かない場所で、きっと幸せなんだと……………。
そう思うしか、俺達に術は無かった。


ゼッデネスは震える手でそのミニチュアの肖像画を持ち上げる。

目が潤み…まだ、泣ける。
若かった頃の…熱い思いが蘇る。
今だったら…あんたに言えたろう。
あんたがとても…好きだったと。
あんたの隊に居られて…最高に光栄で誇りに思ってる。と。

「(老けたな。ゼッデネス)」
ふ…とそんな声が聞こえた気がして…ゼッデネスは顔、上げる。

見ると戸口にオーガスタスが…こちらを見ていた。
瞳に涙が見えたのだろう。
顔、フイ…と背け、呟く。
「邪魔したか?」

その時…ゼッデネスは思い出した。
その…顔………。
オーガスタスの顔の上に、あの日………手を握り追っ手から共に逃げ続けた…彼女の面影が重なるのを。

「…お…前の…父親…の名を、聞いた無かったな?」
掠れた声で尋ねると、オーガスタスはぼそり…と告げる。
「…オーオールディーン………」

オーガスタスはそれをさりげなくその名を口にする。
が、ゼッデネスの息は一瞬、止まった。
そして突然、オーガスタスの境遇を思い出す。

駄目だった。
手で口を押さえても…涙が噴き出す。

死んだ…のか。馬車に轢かれて…。
彼女共々…!

涙が次々と滴り、止まらない。
身を屈めるゼッデネスにオーガスタスが駆け寄り、その肖像を………。

ゼッデネスは吹き出る涙を滴らせ、必死で手で、叫びそうになる口元抑え、心の中で呟く。

ああだから…。
俺はヴィラヴィクス邸を手放すのに何の後悔も無かったんだ…。
オーガスタスに同等の、価値があると心のどこかで、知っていた。

どうしてまだ少年のオーガスタスが庭で剣を振っている様見るのが楽しかったか…。
どうして…奴がただ、側に居る事がこれほど嬉しかったのか………。

「………………」
オーガスタスはその肖像を見、やはり俺同様口が聞けなかった様子だった。
が、言った。
「知って…たのか?
親父の事を?
だから俺を…?」

俺は声を絞り出してた。
「親父を、知っていた。
けどお前が息子だと…たったの今、知った………」

どうして…あの奴隷小屋で奴に一目で好感抱いたのか…。
生意気な口聞かれようが、所作が乱暴だろうが…不思議と奴の事を信頼出来たのは………。

全部、繋がる。
だが言いたかった。
どうしても。
オーオールディーンに。

どうしてあんたは…!
いつも俺を裏切る!

俺は…俺はもう一度あんたに会うつもりだった。
こんな風に足が動かなくても…どんな様でもあんたにもう一度………。
会ってそして…。
生きて…目前に居るあんたと…宝物の奥さんの…今はもう、落ち着いて幸せな家庭を…見るつもりだった!

その側で…坊主の、客としての俺を見るオーガスタスと、出会う筈だった!!!

どうして………!!!

…こんな…裏切りは酷い…!
酷いじゃ無いか…………!

椅子から崩れ落ちて泣き伏す俺の背にオーガスタスは手を添え………俺を、労り続けてた……………………。


知らせを受けて、かつての同僚、悪友達が次々に訪れる。
皆、今は殆ど近衛から抜けていた。

それぞれの役職に収まり…そして…近衛で歴代准将の、肖像画に飾られる筈だった男の息子に、会いに来る。

駆け落ちした…奴の母親の両親も、やって来る………。
振った相手は大公家。
彼らは侯爵だったから…それは肩身の狭い思いをした事だろう…。
が、娘の死を知らされ、母親は泣き崩れた………。

シュスーラが…そっと横に立つ。
そして…手を、握ってくれている。

途端…自分の手にしたものを思い出す。
その手を、握り返し思う…。

彼の最後の静かな瞳。
だから俺は言う。
「ヴィラヴィクス邸は…資産でも金でも無い…。
この館は…」
「知ってるわ。知ってる……もう一人の…貴方ね?
貴方はこの館と一つで初めて…貴方のなのよ」

「それでも…惜しくなかった。
オーガスタスの為なら。
売っぱらっても」

シュスーラが見てる。
俺は…オーガスタスの母方の祖母にあたる女性が娘の死を知らされ、床に膝付き…涙が止まらない姿を見つめるオーガスタスが、それは戸惑ってどう、声かけようか、困ってる姿を見続けた。

「つまり…つまり俺に取って俺は…オーオールディーンは…」
「それ位、価値のある人だったのね?」
「…酷い…本当に、酷い裏切り者だ………。
俺達を捨てて、女に走った。
ここに居る、みんな捨てて、たった一人の女に」
「でも貴方は、オーガスタスが憎くないのね?」

シュスーラに言われ、彼女に振り返る。
そして…俺は頷いた。
娘の死に泣き崩れる妻を夫が抱き止め…ほっとするオーガスタスに、かつての父親の部下達が声かける。
皆…嬉しそうにオーガスタスを、見つめ取り囲む。
次々に口開く。
オーガスタスに…オーオールディーンの思い出話が出来るのが、心から嬉しい様子で。

だが俺はシュスーラに呟き続けた。
「あいつ…は、あんな場所で出会う筈じゃ無かった…。
オーオールディーンと…アンナネスタに…
『息子よ』
そう…紹介されるはずだった……」
「でも、出会えたわ…」

彼女に、振り返る。
シュスーラは微笑んでいた。
「でも、出会えたのよ。
きっと喜んでるわ。
例え亡くなっていようが」

ゼッデネスは涙が溢れ出るのが解った。
が怒鳴った。
「それが…一番酷い裏切りだ!
俺は…もう一度会う気でいた!
年取って落ち着いたあいつの親父に…若くて言えなかった時の言葉を全部、言う為に………!」

そうして………顔伏せるゼッデネスに皆が、注視した。
シュスーラが優しく囁く。
「きっと全部…聞こえてるわよ。
彼はきっと聞いてる。
貴方の言いたい、言葉全部」

解っていた。
我が儘だと。
無理だと。
伝わろうが…そんな事どうだっていい。
目前の…生きてるあんたに言いたかった………!

オーガスタスが、そっと寄り来る。
「俺じゃ、駄目か?
代わりに、聞くぜ?」

目前に立つその面影に、アンナネスタの姿が重なり…その髪と長身の立派な体躯の上に…オーオールディーンが重なる。

「捨てられて、辛かった!
見送るのは、辛かった!
だがそれでも…伝えたかった。
あんたの隊員で居られて…嬉しかったと!
誇らしかったと!」
ゼッデネスは訪れた悪友共を指さし、尚も叫ぶ。
「奴らは…皆、素直にそれをあんたに言えた。
だが俺は最後迄…あんたにそれを、言えなかった!
認めたくなかった!
あんたに頼ってる事を!
俺は一人前だと………」

もう…ゼッデネスは顔を伏せた。
涙が…止まらなかった。
「一人前で怖くなんか無いと…思ってなきゃ、戦場になんて立てなかった………。
俺はあの時新兵で…………。
縋りそうで怖かった。
あんたが居なくなったら戦えなくなりそうで…凄く!
怖かった!
だから………うんと…あんたを遠ざけるような事を言った!散々………言い続けた。

だがあんたが愛する女を腕に抱き背を…向けた時……叫びそうだった。
「捨てるのか!」
そう…。
今更あんたに頼り切ってる俺達を、捨てるのか?!と!」

ゼッデネスの叫びに同様捨てられた…室内の誰もが無言で賛同していた。

だがゼッデネスは声を、絞り出した。
「それでも…知っていたから!
俺はあんたを許した!
あんたは誰よりも…彼女と居て幸せだと!
だからこれは!
酷い裏切りだ!
どうして…見せてくれない!
あんたが幸せな家族と共に粗末だろうが見窄らしかろうが…温かい我が家に招待してくれ…
『これが俺の自慢の息子だ』と!
どうしてオーガスタスを紹介してくれない!
俺は…見てない!
幸せそうなあんたを!
全て捨ててそれでも誇らしげに…愛する妻と大事な息子を………俺に………………」

ゼッデネスが崩れ落ち、オーガスタスは手を差し伸べようとし…そして…ゼッデネスは顔上げて絶叫した。
「あれが…最後か!
あれがあんたを見た、最後か!!!
そんなの、あんまり酷いじゃ無いか!!!」

オーガスタスが身を振るわすゼッデネスを、抱きしめる。
戦場で自分を抱いた同様のデカイ体躯…だがアンナネスタの、繊細な優しさを伴う…オーガスタスを、顔上げて見る。
「お前の親父は…なぁ?息子のお前には解るな?
みんなに…頼られてた。
慕われて…好かれてた」

オーガスタスは困ってた。
眉間を哀しげに寄せて…。
だから怒鳴り付けた。
「だから…俺みたいな奴にこんなに泣かれても、仕方無い奴だったんだ!
解るか?」

オーガスタスが、微かに頷く。
「見ろ!
その肖像画を!
あれが、実現したか?
…これだけ酷い、裏切り者だから…俺にこんなに…泣かれるんだ!
お前もそうだな?
あいつに死なれて………酷い裏切りを感じたろう?」
「だが親父は悪くない。
彼は生きたかった。
お袋もだ。
あんたに…会って妻と息子を、誇りたかったさ…………」

ゼッデネスはその言葉を聞きようやく…オーオールディーンの立場を思い出した。
その気持ちを。
想いを。

オーガスタスの肩を借り、痛めた足引きずり、椅子にかけた。
そして…横に立つオーガスタスを見上げる。
「無念…だったか?」
オーガスタスが、頷く。

ゼッデネスはようやく…潤んだ瞳で頷き、顔を下げた。



それ以降、三日は屋敷に居座る悪友達にゼッデネスは散々
「ゼッデネスはことある毎に、お前の親父に楯突いて困らせてた」
と聞かされる羽目になった。

ゼッデネスはオーガスタスを見る度、母親似の顔の上に、アンナネスタの面影を…そしてその髪色と体格に、オーオールディーンを見つけ、肩竦める。

「…解らなかったはずだ…。
お前、親父と違って綺麗な顔の、男前だもんな…」
それ聞くと、オーガスタスが眉寄せる。
「俺のどこが綺麗だ?」

途端、悪友達が声揃える。
「オーオールディーンにに比べてだ!
奴は凄い鷲鼻だった!」
「髪と瞳の色はそっくりだが、顔立ちはほぼ、母親似だな?」
「さ程ごつい顔と、思った事無かったが…お前と比べると確かにごつい気がする」

奴らはこの歴史ある美しいヴィラヴィクス邸とシュスーラのもてなしが気に入り、オーガスタスを、左将軍ディアヴォロスの呼び出しがかかるまで、引き留め滞在した。

オーガスタスの消えたヴィラヴィクス邸の、朝のテラスでの朝食で、皆ぼやく。
「行っちまったな」
「あいつ、雰囲気は親父そっくりだ…!」
「ここに居る間オーオールディーンの話ばかりして、それでもまだ足りないか?」
一人が言って、皆シン…とする。

皆、同様だった。
きっといつか…大公家が奪還と報復諦め、家族紹介するオーオールディーンに皆、招待される日を、待っていた。

「…今思うと…本当に、事故だったのか?」
「目前で片車輪飛んだんだぞ?
そんな事故、作れるか?」
「ああ…。
車輪外れなくても突っ込んで行ったんなら、大公家の暗殺だが…」
「車輪が片方飛んで突っ込んだんなら…事故だろうな………」

その時、朝の風に吹かれ、ゼッデネスは声が聞こえた気がした。

“…あの時、お前の無言の言葉は感じてた。
が、今度は俺が言う番だ。
『ありがとう』を。
息子を救ってくれたお前に”

…………ゼッデネスはその、美しい朝日の中の庭園を見回した。
風が草花を揺らしてる。

だが…確かに聞こえた。
無念だった。
死にたくなかった………。

あんたの、息子からそれが聞けて良かった。

だから、言った。
俺同様、オーオールディーンが死んだと聞かされて、声も無く落胆する悪友達に。
「オーオールディーンもきっと…残念だったさ…。
駆け落ち手伝ってくれたお前らに…胸張って家族紹介できなくて」
「だな」
「きっと…そうだろうな……」

そしてその場は無言の…彼への追悼で満たされた。
けれど皆、知っていた…。
彼は最後迄…彼の宝物を抱いていたのだと。

だから…決して哀しい死に様では無かったのだと………。

ゼッデネスはそれを感じ、手紙を書いた。
オーガスタスに宛てて。

オーガスタスは、同志だった。
結局オーオールディーンは最後迄…愛しい愛妻と最後を遂げた。
それは…准将の地位を捨て彼女を選んだ…奴の、運命だったのかも知れない。

“俺は、ありがとうを言われた。
奴はお前のお袋を取って死んだ。
俺達部下もお前の母親に勝てなかったが、お前も同様だ。
奴は、幸せだったと俺は確信出来る。
だから捨てられた者同士、俺はお前が訳も無く気に入った。

…だが俺達はお前のお袋には勝てなかったが…それでもあいつは俺達の事もちゃんと、好きだった。
だから…俺に『ありがとう』
奴のその言葉が届いた。
だが礼なんていい。
奴が去り、俺の両親も去り…俺は、置いて行かれるのに耐えられなかった。
とても大切な者に、置き去りにされるのが。
もう怖くてどうしようも無くなっていた。
勿論、そんな事認めたら、生きて行けなくなるから酒浸った。
だから…奴に、言われる必要も無い。
俺がお前に
「ありがとう」を言いたい。
同類の、お前が居たから俺は孤独から救われた”

オーガスタスはその手紙を読み、静かに泣いた。
が、父同様愛するシュスーラと愛する屋敷に住むゼッデネスを思い、そっと彼の上司、ディアヴォロスに礼を捧げた。

『(俺が礼を言うのは、あんたにだ。
俺は彼の恩に報いられた。
あんたの、お陰で…………)」

そして、ヴィラヴィクス邸に居たその時、椅子にかけるゼッデネスと寄り添うシュスーラの幸せそうな姿を思い浮かべた。

ディアヴォロスの中の光竜ワーキュラスが、さざ波のような光に溶けた言葉で返答をした。

『礼は君の、両親に…。
亡くなってからずっと君に寄り添っていた。
ゼッデネスを君に引き合わせたのも、彼らだ』

ワーキュラスの光が届くと、その時初めてオーガスタスは確かに、亡くなった両親が自分に寄り添うのを感じた。

母、アンナネスタがそっと言った。
『今でも…昔からもうずっと…愛してるわ』
オーオールディーンが囁いた。
『ゼッデネスに俺の気持ちを伝えてくれてありがとう…』

その時初めてオーガスタスは、ゼッデネスがなぜあれ程泣いたのかが、解った。

ゼッデネスはもうずっと…ずっと全てを無くし酒浸りの日々を送りながらどこかで…あんたに出会えないかと、探していた。

もう絶望でどうしようも無くて、自分で自分を立て直せなくて孤独で…どこかであんたに会えないかと………。
心の隅の、どこかで。

だから俺を見つけた………。

それでもまだ、探し続けてた。
俺の、馬車で轢かれ亡くなっていた父親が、あんたと知らずに………。

オーガスタスは、そっ…と父親に、頷いた。
『きっと…“会いたい”と言う強烈なゼッデネスの想いに応えられなくて、辛かったろうな…。
もう…とっくに亡くなって、どうする術も、無いのにな』

ワーキュラスがそっと…囁き返す。
『それでも、想いを伝える方法はある…。
心の中で意識の中で…いつでも会いたい人と、人は出会う事が出来る………』

それでも人は現実が全てだから…。
自分の目で見る事が出来ず、手で触れる事が出来ない事を辛く、感じるから………。

失う事が、怖いんだ…………。




 ゼッデネスは悪友達の去ったヴィラヴィクス邸を眺める。
やっぱり毎日、シュスーラがあちら。こちらと、召使い達に指示を出し、その都度彼らは嬉しそうに、館の手入れに奔走する…。

この館もいつか…時が来れば荒れ果て、人の住めない場所になる日が訪れる。

それでも…ここを愛した、人々の想いは永遠に、残るだろう…。
古い…不思議な美しい館、ヴィラヴィクス邸。

今では時折両親の幻影だけで無く、庭を愛妻と歩く、オーオールディーンの幻が見えたりする。

目が合うと、彼は微笑うから、ゼッデネスは笑い返す。
不思議と信じられる。
彼が本当にそこに、居るのだと。

そして…今、幸せなのだと感じられる………。
自分、同様に…………………。




          









 
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