赤い獅子と淑女

あーす。

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プロローグ0 俺の死んだ日

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 ぴちょん…。

その水滴滴り落ちる音で、目が覚める。

左目は塞がっていた。
じんじんと熱く、腫れ上がって瞼を塞ぐ。

そして…体のあちらこちらに切れた痛みが沸き上がり…右の踝(くるぶし)と…腿がひどく、痛んだ。

そこら中の傷が痛み出し、耐えられない程で、必死にぶるぶると体震わせ、耐える。

その痛みは相変わらず在ったが…落ち着いたと思った途端、今度は強烈な、喉の渇きだった。

喉がひりつき…口が喘ぐ。

水を欲し…耐えがたい灼熱から潤いを望み………。
そして、その時気づく。

腕が痛いのは…後ろに回され椅子に、括り付けられてるせいだと………。

足が痛むのは…奴を、蹴ったからだと………。

そしてふうっ…と意識が途切れる。
瞼の奥に浮かぶ。

二人の…死体が。

どうして…生前知っていた筈の人間が、死ぬとこんなに…余所余所しくなるんだろう…?

最も俺は二人の死体に縋り付いて叫んだ。
「どうして…!」

どういう訳だか、自分の声なのにはっきり聞こえる。
他人の、声のように……。

そうだ俺は…あの日の事を…上空から見ている。
俺も…死んだのか?
それともこれは、ただの記憶か……?

忘れがたく辛い………。
俺の、終わった日。

二人の死で今は俺にも解る。
あの日死んだのは二人だったが本当は…俺も、死んでいたのだと………。


椅子に括り付けられたまま…六歳になったオーガスタスは首垂れ意識を…混濁させた。

耳に響く…街の喧騒…。
狭い地に密集した建物。
道は真っ直ぐじゃなくどの道も湾曲していた……。

左右に並ぶ、粗末な家々…。
けれどそれですら今は…天国に感じる………。

その外れに…奴隷小屋はあった…。
親父は…親方と呼ばれる、奴隷商をそれは…嫌っていた………。

靴音。馬車の音…。
常に響きいつも…賑やかだった。

子供の笑い声…。
飲んだくれの親父に悪態付く女将さんの声………。

笑いと喧噪がそこには常に有り…貧しいからこそ…活気に満ちていた………。

お袋は赤毛の優しい女だった…。
俺の卵形のつるんとした顔はお袋似だと、親父は笑った。

親父は鷲鼻だったから…お袋はつん!として言った。
「私に似て正解なのよ!」

………今でも…思い出せる。
紫と赤の混じった…くすんだ色のドレスを着…髪を布で巻いて…家事をこなしてた…。

お袋の料理は…たまにまあ、凄い失敗やらかすが…殆どが絶品だったな………。

近所に分けた後皿を返されながら
「とても美味しかったわ」
と礼を言われた時の、お袋の自慢げな顔が今も…目に浮かぶ。

口の中に苦味ある血の塊を、ぺっ…と吐き出す。

喉の渇きは消え去った…。
それは…俺がここから消え去ろうとしているせいか………?

罰…そう、罰だ。
反抗した。
逆らった………。

少しの自由も無い。

ほんの少し…喉が渇いたからほんの少し………馬桶の水をすすろうとしただけだ…。
たった…………それだけ……………。

俺をここに引き渡した、隣の飲んだくれ親父を…この奴隷小屋に入った当初、恨もうとした………。
はした金せしめる為…そして嫌ってた親父に復讐する為…親父の宝の俺をここに、売った………。

奴隷商の親方はどう言ったっけ?
薄ら笑い浮かべ………せせら笑い………。

こんな…こんな親父が敵としていた奴らの所に俺を、売るなんて………!

俺は両腕前で縛られ…が、寄り来る男達を全部蹴り倒し、逃げ出そうと掴まり………。

棒で叩かれた。
そこら中。

腫れ上がり痛みで呻き…それでも…水汲みさせられ荷物を運び…。
ヨロめくと蹴られ…傷の上から幾度も殴られ………。

気絶して水をかけられ…もうろうとする意識で水桶担ぎ…よろけて地にぶちまけそしてまた…殴られた………。

食事は豚の餌………。
糞マズイスープに僅かに…野菜の欠片が浮かんでるだけ………。

俺は藁の上、両腕で自分抱きしめ、小さく丸まって傷の痛みに耐えている…。

そっと…這い進み来たそいつは…栗毛で空色の瞳の、やせっぽちの………。

一度盗みを働いた所を肉屋の親父に掴まって………棒で殴られた所を親父が…助けた。

肉屋に金払い…容赦してやれ。と……。
親父は久々に入ったちょっとした小金に浮かれ…俺に、前から欲しがってた木の組み枠を買ってくれると言い…。

が結局金はそいつの盗みの代金に消えた。
俺は下向いた。
下向き続けた。
それしか…親父に抗議する術が、無かったからだ。

親父が屈んで言う。
「…解って…くれるな?」

顔、上げたその時…薄汚れた…殆ど土塊のような衣服着、顔の汚れた…そいつの空色の瞳が真っ直ぐ俺を…見ていた。

何も…言えなかった。

そいつの姿が消えた後俺は…自分の衣服見た。
白いシャツは生成りだったがちゃんと…白く、ズボンも継ぎ当てが幾つもあったがそれでも…洗濯されて石けんの臭いがした。

…………俺は、親父の大きな手を、握った。
親父は微笑って振り向くと…頭をぐりぐりと、なぜてくれた。

俺が親父の行為を理解した事が…嬉しいように………。



空色の瞳をしたそいつは…固く自分抱きしめる俺の腕掴み、広げようとするから、俺はそれを、振り払った。
けどまた…広げようとする。
そして…手に持った、壺見せる。

腕の傷口にその中の…薬草を掬い、塗った。

だから広げろ…と?

彼を見ると、誰にも気づかれてないか、始終周囲を…気遣いながらでも…俺の胸の…深い傷にそれを塗った。

黄色の…膿みが傷から溢れ、臭かった……。

その場所にその薬を塗り込む……。
そいつは手早く数カ所薬塗り込むと…何も言わず空色の瞳で俺を見…そして自分の寝床へ、戻って行った………。

じくじくといつ迄も痛むその膿んだ場所が……その日は痛みが少なかった……。


ぴちゃん………。

オーガスタスはその水滴滴る音で再び顔、上げる。
二人と一緒でいつも…楽しかった…。

赤い縮れ毛のべっぴんのお袋はいつも陽気で元気…。
親父は太陽のような笑顔浮かべ……一際大きくて…お袋は小鳥のようにそんな親父に…駆け寄っては抱きついてた………。


涙が、こみあげるのに泣けない。

あの次の日俺は…独りぼっちで動かぬ二人が横たわった寝台の前に、立っていた。

もうそこに居るのは…俺の知ってる二人なんかじゃ無かった……。

その晩だ。
あの飲んだくれが俺を奴隷小屋に、売ったのは………。

俺は次の日、奴隷小屋の格子窓の中から、それを見た。

布ははだけ、お袋の青い…顔が剥き出しだった。
横の…一際大きな布袋は……親父だろう………。
覆いの無い剥き出しの馬車に乗せられ…。
馬車が止まったのは、土を掘った大きな穴の前……。

布が巻き付けられた死体は……その穴の中に…放り投げられた………。

その時俺は、大声で泣いた。
声は、出なかった。

心の中で…ありったけの声上げて………俺は泣き続けた……。



そうだ…。
俺を売った、隣の飲んだくれのロクデナシ…。
そして親父を偽善者と罵り…親父も毛嫌いしていた奴隷商の親方………。

こいつらを…一生恨んでやろうと思った……。

ぴちゃん………。

…けど………二人は駆け落ちだった。
お袋は良家のお嬢さんで…親父は剣士崩れ。

もっといい家の婚約者を嫌って親父と…逃げた。
だから…親戚も居ないし俺の引き取り手も居ない…。

二人が死んだ後…俺には行く先が無い………。

もしここに居なければ…家も追い出され食う物も無く…物乞いするより他に無い……。

どっちがマシなんだろう………?

……だから…オーガスタスは思った。
自分は二人が死体で返って来たあの日…一緒に死んで、しまったのだと………。

そう思った途端、痛みが消えた。
辛さも苦しさも…先の悩みも今の境遇も、全部消えた。

何も無く…空っぽだったがそれが…こんなに幸せな事だと、オーガスタスは思わなかった………。

何も無い。
だから…何にだって成れる。
空気にも。
水にも………。

そして土掘った穴に落ちていった二人の、死体思い出す。

………そう、土塊にも…………。

心が…暖かかった。
親父が、好きだった。

親父は鍛冶屋だった。
どうして剣士を止めたのか?と聞いたけど…。
人を殺すのはもう、うんざりだ。

ただ、そう言った。

俺を売ったあの隣の飲んだくれが奥さんと子供に手を上げ、悲鳴に駆けつけた時親父は…飲んだくれを一発で沈めた………。

強かった!
誇らしかった!

酒場の親父にも、タチの悪いごろつきを追っ払ってくれと頼まれ…拳骨握り、殴りつける親父は本当に…格好良かった。

…けど酒場の親父の礼も受け取らず…目を輝かす俺に親父は苦笑した。

「強いのは、悪い事じゃ無い。
だが、覚えとけ。
敵は消えない。
強ければ強い程…挑む相手と目付けられる。
キリが無い。
もしお前が…戦いを選ぶなら…いつか敵に殺される最期を覚悟しろ」


親父が…大好きだった………。

泣き…たかった………。
けど涙が出る度…あの布に包まれた、穴に放り投げられた死体を思い浮かべる。

どこに…行ったんだろう?あの…親父は。

あれは…あんな塊は親父なんかじゃ無い。
俺の…頭なぜ、笑う親父は………。

小さなハンマー俺に握らせ…小さな鋳物を叩かせてくれた…大きな手をしたあの親父は………。
一体どこに消えたんだろう…………。

あかぎれと…傷だらけの…それでも華奢な指のお袋は……?
時々見惚れる程綺麗に見えて…惚けていると、微笑って…腕絡ませ…顔見て言った。
「美人に…見とれた?」

頷くと、さっと立ち上がり缶を、明けてくれた。
僅かな…大切なクッキー。

滅多な時には振る舞われない、それ………。
お袋はそれを、俺の手に握らせて、言った。

「色男さん。
覚えて置いて。
いつか貴方が好きな女を口説く時は、恥ずかしがらずに言わなきゃ駄目。
…とても…綺麗だよ。って…。

どんなにたくさんの薔薇よりも宝石よりも…女は心から言われた“綺麗”が嬉しいのよ」

優しく…柔らかいお袋の胸………。
温かく…いい匂いがして………。

いつ迄も、そうしていたかった。
ずっとお袋の胸に顔埋め………。

どうして…置いて行ったりしたんだ!
俺は…あの時一緒に行くって…行くって言ったのに!!!

馬車は片輪が外れ、道歩く親父とお袋に突っ込んだと…。
親父はお袋を抱いて庇ったけれど…車輪は親父の背を踏みお袋をも潰し……。

お袋は虫の息で最後の最期迄俺の名を…呼び続けたと……………。


ぴちゃん…………。

傷から…血は滴っているだろうか……?
もう…逝けるだろうか……。
親父とお袋は……俺を迎えに、来てくれるだろうか………。

だが俺は耳元で怒鳴り声聞いた。
「こいつはお宝だ!
解らないのか?
高値で売れる大事な商品に、なんて扱いだ!!!」

薄目開けて見た時…叫んでいたのはもう一人の…親父の嫌ってる男だと、解った……。

黒髪で黒い目…。
鋭い顔付き………。

戦士を鍛え、見せ試合で、高値で貴族に奴隷護衛を売りつける小狡い男………。

だか親父はこいつとも殴り合った。
親父が勝ったが…こいつは他の奴らと違った。

殴られて悔しがるどころか…親父の強さに、身震いしていた。

…そうだ…仕事が減って金の無い時…奴が家の裏口で親父に囁いていた。

「試合に出れば、金を払う…!」

…親父はどれだけひもじくても、それを断った………。
そして野菜を運び荷を運び…小金を稼いでその場を凌いだ………。



 こざっぱりした布団で目が覚め、傷の手当てがしてあるのを見…その男が
「よぉ…」
と俺に笑いかけた時…この奴隷小屋に俺が来るよう仕向けた張本人は奴だと…解った。

が………俺の中から何かが…抜け落ちていた。

それは…あの物言わぬ硬い二体の死体が、穴に落ちていくのに似ていた。

それはそこに居る。
穴の中に。
埋められて。
土塊になるのを待つだろう。

だから…俺も同様だった。
土塊に…成るのを待つだけだ………。

唯一の願いはその時…消えたはずの親父とお袋が…再び姿見せ、迎えに来てくれる事だけ………。

たったの…それだけだ。
だから俺はその時から…神祭る祭壇見つけると祈った。
ただそれだけを、ひたすら。

頼むからもう一度……。
もう一度、人生の最期でいいから二人に、会わせてくれと……………。

俺は傷が癒えるまで…他と離され…豚小屋のように汚い、奴隷宿舎に戻らす、そのこざっぱりした質素な部屋で寝かされた。

少しは肉も入ってるスープと…固いパンも出た。

傷が治ってその男…ラドカインは言った。
「戦いを覚えろ…!
お前の体格は親父譲り…。
餓鬼ばかりの見せ試合だろうが…強い奴は居る!

そして…そんな奴は早くから大臣共が目を付け、立派に育ったその時に、大金払って護衛に雇ってくれる。
忘れるな…!
お前には必ず、大臣家が高値付ける。

そうしてな…!
手柄立てれば褒美も出る。
その時、好きな生活が出来、好きな物がたらふく食えるんだ!!!」

餓鬼の…俺釣るには十分な言葉だと、奴は思ったんだろう…。
俺には何の、意味も無かった。
が、やる事が無かった。

だから…下働き免除でその代わり、闘技場で戦う訓練始めた時…そこは自分の居場所だと…しっくり来た。

親父は言った。
戦い続け…強ければ敵は消えない。
そしていつか……敵に殺され死ぬ。

それは…最高だった。
俺は押さえつけられ自由奪われ言われなく殴られ続けた鬱憤晴らしまくった………。

死にかける程の傷体中に負ったせいか…傷は怖く無いし暴れていれば痛みも平気だった………。

むしろ………むしろ、殴られれば殴られる程…血が、流れれば流れる程………心が落ちたあの穴に…この肉体も落ちるのだと…わくわくした。

俺は夢の中で、穴の中の固くなった死体に微笑んだ。
待っててくれ。
俺ももうじきそこに、行くから………。

いつも…傷負っていたから…傷が、在るのが当然だった………。
痛みも熱もがまるで親しい友のように、有り前に常に在った………。

 隣町の…見せ試合に出かける時…俺は小屋を出て荷馬車に乗せられた……。
他の…試合に出る年上の奴隷戦士達と共に………。
木の箱のようなその馬車に詰め込まれ、自分の場所に腰下ろす。
馬車は坂、下り始める…。

石畳の上を車輪がゆっくり…滑り降りて行く。

街角に…見知った顔を見つけた…。
幾つも…幾つも………。

オーガスタスは残像を、見た。
消えた…両親と共に過ごした…親しかった人達……。
左隣の後家さん…。
向かいの…いつも優しいお姉さん…。

斜め向こうの家の…親父にいつも護って貰ってた娼婦…。
鍛冶屋仲間の…背の曲がったじいさん………。

みんな…貧しかった…。
こっそりと…通り過ぎる馬車から離れた街角で…。
それでも…必死に俺を………見ていた………。

どうしてだか…俺は、微笑った。

みんなに、俺は不幸じゃ無いと…微笑ったのだ。

優しいお姉さんは…娼婦も…後家さんも泣いていた。
鍛冶仲間の背の曲がったじいさんが……あんまり悲しげな表情をしてて、忘れられなかった……。

俺は…もう一度遠ざかるその懐かしい人達に……過去の幻影の彼方に消え去った人々に…微笑った。

二人が消え彼らとの絆も消え…これでお別れだけど、でも…変わらず貴方方が好きだと………。

貴方方も俺に取ってはもう幻影だけど………それでも大切な…とても大切な、幻だと…………。

その見せ試合で俺は最年少で……四度勝ち上がり、14才の相手を迎えた時…俺は、滅多打ちにされた。

俺の年齢を考慮して…武器は持たされなかった。

だが俺は、殴られ続けた。
足を折られ、腹を蹴られ……俺は、微笑っていたと思う……。
今思えばあの懐かしい人達に、最期に会えて別れを言えて良かったと………。

戻った時俺は…多分貴方方が目にする時布に巻かれ固く成ってるだろうけど……。

それでも…微笑んで別れを言えて良かったと……。

荷馬車の途中見た、神を讃える館見かけ俺はまた、心の中で祈った…。
今も、祈り続けてる。
どうか最期…二人が迎えに来てくれますように………。

だが…がつん!と頭に喰らい、肩を殴られた時…俺はとうとうかっと来てしまった………。

俺が怒ると…近所のチビが怖がる。
いつも、子守頼まれてた。
年上の奴が寄って来ても…俺が睨むと逃げ出すから…。
けど…護ってる筈の、チビ迄もが怖がる。
だから………。

俺は腹を立ててしまった。
何に?
突然逝った、親父とお袋に?

…二人は布に巻かれ暗い穴に居る。
これ以上の罰が、必要か……?

じゃあ、何に…………!

…俺は三発殴られ一発返し、殴られ続けながらそれでも猛烈に、腹を立てていた…。
そして…腹に一撃!

そして二撃目を喰らい動けなくなった時…それに、思い当たった。
何て事だ!
俺は最期の希望、死んだ時親父とお袋にもう一度会える事だけを必死に祈ってた………その神に、怒ってた……。

そんな…最低な願い事に縋り付くしか無い境遇に俺を追いやった、神に…!

…どうしてあの時車輪を片方壊した?
両方なら二人は死ななかった……!

誰のせいだ?
あんたのせいじゃないのか?!

まるで…罠のように感じた。
縋るような…惨めな願い事を俺にさせる為に…俺に命を捨てさせる為に…巧妙に仕組まれた罠のように………。

左足は折れていたが、構わなかった。
激痛が、何だって言うんだ?!

大切な…大切な二人を亡くす以上の痛みがあるってのか?!
いいや断じて無い!

後で言われた。
俺が…どれだけ傷負っても反撃するから…敵は俺を殴り続けたのだと………。

だがどうしてか…腹の底から、沸き上がって来る…!
どれだけ殴られても、倒れるもんか…!
振れる限り、拳振ってやる!!!

親父の戦う姿思い浮かべたが…違う…そうじゃ、なかった………。

そうだ…あの、時だ………。
馬具や…時には親父は剣も作ってた。

金持ちで身分高い男に剣の製作依頼され…親父は大金が入ると喜んでた……。
が、出来た剣を、男は突き返す。
「これは思ってた、出来じゃない…」

親父はその男を睨め付け…作り直す。
また…突き返される。
だが親父は作り続けた。

大金どころか…出費がかさみ、大損だ。
けど…親父は作り続ける。
あの…男が来る期日迄に。

幾度…突っ返されても作り続ける………。

剣を作る為…荷運びや家の組み立てをしながらそれでも…作り続ける………。

お袋は…親父の作業する背見つめ、囁く。
「好きに…させてあげて…。
貴方にまた…あげられるクッキーが減るけれど………」

それは…構わないと言えば嘘になる。
けど…解らなかった。どうして…突き返されたらそれで…終わりにしないのか………。

親父の黄金に見える目はきっ!と剣見つめ、振る腕は休まず鍛え続ける………。

どうして………!

また…駄目だった。
今度こそ…親父は諦めるだろう。
もう…項垂れ、吐息吐き、次は言うだろう。

「もう、次は作りません」と………。

だが親父の瞳の輝きは、消えない。
俺が寄ると…親父は頭をぐりぐりなぜて、言った。
「…悪かったな…。
お前、クッキー好きなだけ食いたいだろう…?」

だが俺は聞いた。
「なんで…止めないんだ」

親父の瞳はやっぱり…火に照らされ黄金に、見えた。
「…なあ…これは戦いだ。
戦いはな。負ける訳に行かない。
勝たないと…意味が無い」

「だってもう…負けてる!
あいつは金払わないし、材料費はかさむばかりだろ?!!」

親父は、黙って俯き…そして、微笑った………。

次も次も駄目で……でも、とうとうその日が来た。
男は剣を見る。
まるで…自分の片割れ見るように……。

そして、脇に下げて、言った。
「…いい出来だ」

そして…金を、置いて行った………。

親父はほっ…と吐息吐き、その金を全部、借りてた材料費に払い、男に駄目出しされた剣を全部…売り払った。

お袋は俺に山程クッキーを作ってくれたが…味が、しなかった。

ある日親父は俺を連れて…ある屋敷の剣士募る試合に俺を、連れて行った……。

男が、居た。
親父の鍛えた剣で…勝ち進んだ。
が、最期の対戦相手は強かった。

最後紙一重………男が速さで勝り、剣振りきって敵倒し、剣士の地位を、勝ち取った。

男は見物人席の親父に振り向き…そして誇らしげに剣掲げ、微笑った。


……………親父は言った。
「なぁ?オーガスタス。
戦いに勝つ。ってのは、こういう事を言うんだ」

…どうしてだか、わからない………。
今度こそ…俺は死にかける程の怪我負った。

足のびっこは、治らないかもと言われ…高熱出して帰りの馬車の荷台で、くたばりかけた…。

が、帰り通りかかった神の家の前で俺はもう…祈らなかった。

考えたら凄く馬鹿馬鹿しくなったからだ…。

俺は、知っていた筈だ。
布に巻かれた、穴に転がる死体。
あれがもう…親父でもお袋でも無い事を。

なのに…俺は何馬鹿やってたんだろう?
俺も死んでそこに並んだら…二人に会える権利がある筈だなんて…!

大体、大事な二人奪い奴隷小屋に売っちまうような運命くれる神だぞ?

俺は何しおらしくまだそんなロクデナシに媚び、縋ってるんだ?!

意識が遠のく。
が、どうしてだか気分は最高だった。
親父は、居た。
俺の、中に………。

それは過去で思い出だったが、あの布に巻かれた冷たい死体より数倍…俺の知ってる懐かしい親父だった。

消えてない。
俺の血の中に、二人は生きてる。

二人が死のうが…俺が二人の子供だって事実はどうにも…曲げられないんだ………。


どういう訳だか、俺は朝を迎えた。
くたばって無かった。

目を開けた俺を見て、ラドカインは怒鳴った。
「たらふく食わせてやれ!
倍年上の相手にあれだけの戦い振りを見せたと、評判取った餓鬼だ!
生還した以上いずれ高値は必ず付く!」


…だが俺はしばらく足を、引きずった。
それでも訓練は休まなかった。

戦うしか他に…術が無かった。
足のせいで動きが鈍くどれだけ…殴られようが……殴り返した。

それしか…出来る事は無かった。
神に、祈るのを止めた今は。

強くなろうと…思った事が無い。
が、どれだけ殴られようが最後迄…殴り返そうと決めていた。
もうどうにも体が、動かなく成るまで。


粗末な椅子にかけて休む。
目前の小汚い木のテーブルの上の…カップですら、持てなかった。

疲れ切って、腕が上がらず…。

やっと…ぶるぶる震える腕を伸ばしカップを…掴もうとした時、手からはたかれその水は…飛んで床に散った。

喉はからからだった……。

顔上げた時見た顔は…やはり親父が庇った子供だった。
パンを盗んだと言いがかり付けられ、奴隷小屋の子は汚くて盗人だと罵られ…とうとう親父はパン屋の親父、殴り倒して言った。
「好きで奴隷小屋に売られるか?!
罵り言葉も大概にしろ!」

俺は親父が、誇らしかった………。

が、その時親父に庇われた子供は微笑う。
「…みじめだな?
俺を奴隷と下に見て、自分には頼もしい親父が居ると…微笑ってた奴が今、このザマか!

いいか!
お前の親父はな!英雄面したくて俺をダシにしたんだ!
俺の為になんか、これっぽっちもなっちゃいないんだ!」

その言葉はまるで、ナイフのようだった。

生きてた頃の親父を思い出す前…布にくるまれた動かぬ死体を親父だと思い込んでた時、それを言われてたら俺は随分、堪えてたろう………。

だが…不思議だった。
底から底から…戦意がわき上がる。

“勝つ…ってのは、こういう事を言うんだ…”

親父の言葉が心に蘇る。
俺はつい…微笑って言った。
「…だろうが、親父の好きにしたさ!
同情しようが英雄扱いされようが、親父は親父だ。
お前がどう思おうが、知った事か!」

他人がどう思う事が重要?
それがどれ程大事だ?

顔色伺う事が、そんなに必要か?
最終的に人は結局勝ち負けでものを見る。

現に親父はその後…高名なたくさんの剣士達に、剣の依頼を受けた。

「そうとも親父はお前なんか、どうでも良いんだ!
あのパン屋の親父の罵りに腹立って、殴りたかっただけさ!」

がそいつは、目に涙浮かべ殴りかかって来た!
なんでだ?
お前が言ったんじゃ無いか!
親父が偽善者だと!
認めてやって、どうして殴りかかる?!

幸い俺はくたくたで、ロクに腕も上がらなかったから、そいつを殆ど殴れなかった。

が、非力なのに俺を組み敷いて殴り続け、離れなかったので…そいつは一晩檻に入れられた。

俺はまた軽く熱出し、その夜は意識無くしたように眠った。

早朝だった…。
そいつが枕元に居た。

躊躇うように…けど寄って来て、言った。
「…羨ましかったんだ…お前が。
あんな親父が居て…。
だから…亡くして俺と一緒の境遇になって…いい気味だと…思ったんだ」

その時そいつは泣いていたから…俺はまだ引かぬ熱に浮かされ、思った。

ああこいつ…親父の事が凄く…好きだったんだな………。


熱が下がりきらぬまま…朝食の席に付く。

暗い、汚い部屋で、それでも戦士候補は少しはマトモなメシが貰える。

試合に、勝てばかなり豪勢な。

試合が無いと途端質が落ち…美味いもんが食いたきゃ試合に勝て!と焚き付けられる………。

そして…その日朝見た奴は、屋敷に性奴隷として売られたと…聞いた。

暫く…後味が、悪かった。

そして…次の見せ試合で俺が奴隷宿舎を出る時………やはりそこに、懐かしい人達が姿を見せる。

次の試合の時も…その次も………。
皆がせめて出来る事と…俺を見送ってくれる。

優しかった…向かいのお姉さんは…その日突然俺に駆け寄って来た。
「…結婚するの…もう………」
「遠くへ…?行くの?」

彼女は頷いて…綺麗な飾り糸で編んだ腕輪を手首に巻いてくれた。
「お守り…!」

それだけだった…。
監視が彼女を突き飛ばし馬車は動き出し………。
その時俺はようやく…自分を見た。
腕もどこもそこらかしこ、傷だらけだった………。


後で、聞いた。
彼らは…いつも見送ってくれた彼らは、なけなしの金かき集め俺を…買おうとしたのだと…。

けれど足りず…引き取れなくて…自分のふがいなさを、悔やんで悔やんで…それでも何かしたいと…試合で、死なないでくれと……その祈り込めて見送ってくれたのだと……………。



ローフィスは、たき火の灯り見た。
炎でオーガスタスの影は顔の上で揺れていた…。

「今思えば………」

奴は言った。

「今思えば…最初の見せ試合の時、死ぬつもりなのに死ななかったのは………多分、見送りに来てくれた人達の祈りの方が、神に通じちまったんだな。
だってほら…俺の祈りっててんで…馬鹿げた祈りだったしな………」

その…たった一つの、幼い両親亡くした少年の縋るような希望を“馬鹿げた…”と言うオーガスタスが、ローフィスは好きだった。

死人よりも…生きてる人間の、温かい情を取る、オーガスタスが…………。

だから、言った。
「まあ…半端なく馬鹿げてるよな………」

オーガスタスはぷっ!と吹き出し、背丸め屈めて笑い、言った。
「お前なら、絶対そう言うと思ったぜ!」

ローフィスは…本当は顔が、上げられなかった。
が、上げて微笑った。
目が、潤んでた。
本当は…思いっきり奴(オーガスタス)を、抱きしめたかった。

何も…言えなかったからせめて…抱きしめて示したかった。

お前が生きてここに居るのが、嬉しいと……。
だかそんな事したら………。
奴(オーガスタス)は言うだろう。
「気色悪いな。俺にそんな趣味無いぞ?」

それに多分…とても女々しい…。

が、ローフィスは同時に思い出していた。
人がどう思おうが…それが、何だ?

のくだりを。
だから…そっと手を、伸ばした。
抱きしめようにもオーガスタスの方がデカかったから、抱きつく格好になって締まらない無いな。
ローフィスは苦笑したが…オーガスタスを思いっきり…抱きしめないと気が済まなかった。

オーガスタスは何も言わなかった。
結果、やっぱり抱きつく格好で…それでもオーガスタスを抱きしめられた時、ローフィスは心底、ほっとした。

彼を毎試合、見送っていた人々の、気持ちが解った。

せめて…何も出来はしないから、だからせめて………。

オーガスタスの、温もりにほっとした。
オーガスタスがもぞ…と動くので言った。
「解ってる!俺の自己満足だ!
これっくらいしかお前の為に出来ない!
だがそれで俺が!救われるんだ!」

「……………俺が…お前、救ってんのか?」
「そうだ!」
「…なんで抱きつくと救われるんだ?」
「…俺に泣きわめかれるのと、どっちがマシだ?!」
「……………………」

ローフィスは“どっちも嫌だ”と思ってるオーガスタスを感じ、まだ言った。
「俺は!
みっともなく泣くよか絶対こっちがいい!」
「……………まあ……そう思うんなら……それでもいい。
どうせ夜で野原で、誤解する通行人も居ないしな…。
で………………」
「で?!」
「…俺に抱きつくと…何かいい事あるのか?」
「…何となくお前に、お前が一人じゃ無い。と示せる気がするし、温もりにお前がほっとする気がする」

「……………」
ローフィスは沈黙からオーガスタスが口開こうとする、前に言った。
「お前の感想は聞いてない」
「…………なるほど。
実際俺が、ほっとするかどうかは関係無いって訳か?」
「そうだ」

ローフィスが、あんまりきつく…本当に自分がここに居るのか確かめるようにきつく…抱くので、言った。

「ほっとしてるのは確かにお前の方だが…本当に、俺の感想聞きたくないのか?」
ローフィスは…気づいて尋ねた。
「…言いたいのか?」
「…まあ…どうしても聞きたくないなら…」
「言えよ」
「………………俺は…嬉しいな。
お前に抱きつかれて」

思った通り、ローフィスは一瞬で身を離し、顔を凝視した。
「…普段のはフリで、実は男が好きだとかか?」
「普段のはそのまま俺で、俺はお前が友達として好きだから抱きつかれて嬉しい」

ローフィスはじっ…と顔見て、安堵の吐息を、吐き出した。






                END









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