アグナータの命運

あーす。

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二人きりの時間

50 ファオンの過去

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 ファオンは毛皮の上に横たわるシーリーンに振り向く。
シーリーンは横になったまま、右の肘を付いて頭を抱えて枕代わりにし、左腕を横に広げる。

ファオンは直ぐ毛皮に屈むと、シーリーンの広げた左腕の上に倒れ込む。
腕は直ぐ、ファオンの背を抱き寄せた。

シーリーンの顔が傾く。
もうそれだけでファオンは顔を寄せてシーリーンの被さって来る唇に唇を押しつける。

塩の中に叩き込まれた後の蜂蜜のように甘い唇。

ファオンはシーリーンに腕を回して抱きつく。
幼かった頃とは違い、シーリーンの肉体は引き締まりきって青年としての香りを放ち、顔を見上げると眩しいほど…。

《勇敢なる者》レグウルナスとしてストイックな生活を送ってきたシーリーンは、余分なものが削げ、真の強さと優しさとを身に纏い、輝きを放ってるように見えて、ファオンは見とれた。

シーリーンの美麗な顔が再び傾く。
ファオンはその唇を唇で受け止める。

幾度か、唇が触れあうだけのキスを繰り返す。

キースのようなどこか陽気な悪戯っぽさは無く、レオのような不動の頼もしさも無く、ファルコンの…鋼のような強さも無い。
けれど…独特な繊細さと優美さがあって、ファオンはシーリーンの唇をまた、甘い…と感じた。

口づけながらシーリーンが身を起こし、ファオンを下にして唇を深く重ねる。
ファオンはシーリーンの放香に酔いながら、思い返す。

“ああそう言えば…アリオンもそうだったけど、シーリーンも…人に弱味を見せたことが無かった…”

だから二人共が、どこか人間離れして強く見えた。

肉体では無く精神が。

男の子達はこぞって二人に憧れた。
決して引かず、奢らず、けれど突き進む二人に。

シーリーンはこんなに優美で繊細な部分もあるのに…いつもとても強く、強く見えた。

ファオンは顔を上げる。
そしてシーリーンに囁く。

「…レオが…これからは大勢と一辺にする事もあるから、口も使えと」

シーリーンの顔が動揺で揺れる。

「でも僕は…出来ればシーリーンの味を覚えていたい。
いつも…シーリーンがしてくれる。
とても気持ちが良い。
だから…僕も…シーリーンに口でしたい」

シーリーンは柔らかなプラチナの髪に顔を埋めて俯いた。

そして両手でファオンをきつく抱きしめ…耳元で掠れた声で囁く。

「…出来れば護ってやりたかった…。
お前を汚す、どんな男からも」

ファオンはその時、シーリーンのブルーグレーの瞳が揺れているのを見て察した。

“…だけど敵に回すのは誰もが…背を、命を預けてきた大切な仲間達…”

ファオンは切なくなった。
自分がシーリーンの目の前から去って、もう…六年も経ってる。

なのに彼の気持ちは、あの時よりも熱い…。

シーリーンは気づいたようにファオンに微笑む。
「…夜にしてくれ…。
今お前に咥えられたら、俺は正気を無くすから」

ファオンは冗談だと思った。
けれど笑えなかった。

シーリーンの瞳があんまり、真剣だったから。

「それより話してくれ。
六年の間、お前が何をしてどこにいたのか」

ファオンはその時、気づいて身体が震えた。

シーリーンは探した…!
消えた僕の行方を…!

きっと…事ある毎に首を振り、僕がいないかと…。
周囲を見回し続けて…。

ファオンの瞳が潤む。

“僕は必死で振り払ってきたのに…!
父様の望む、ファーレーン兄様のようになろうと!”

ファオンは顔を下げ、ぽつり…ぽつりと語り始めた。

「…父様が一人の…剣士を紹介した。
シリルローレル。
とても有名な剣士で…」

「知ってる。伝説の《勇敢なる者》レグウルナス
群れにたった一人で囲まれ、生還した男」

ファオンは顔を僅かに揺らす。

「シリルローレルは…肩まだあるウェーブのかかった栗毛の…ヘイゼルの瞳をしてた。
まだそんなに老けてない…。

けれど厳しい瞳をして僕を見て言った。
『鍛える価値が無いと解ったら引く』

…だから必死だった。
彼に見捨てられたら…父様に見放されたと同じ。

母様は…僕を産んで死んだ。
僕が産まれて、その引き代えに。

キリアンは…よく、言ってた。
『お前のせいじゃないのに』
って。

でも父様とファーレーン兄様には母様の記憶が鮮明にあって、僕を見ると…亡くした母様を思い出して辛いから…。

二人共僕に近寄れないんだって…キリアンは言った」

シーリーンはファオンの髪をなぜる。
「キリアンはきついだろう?
ファーレーンに似てる」

ファオンはふと…上の兄、キリアンとシーリーンは同い年だと気づく。
でもキリアンは北の尾根の子供達の集会には出ず…南の尾根の集いに毎回、出かけて行った。
…だから、あまりシーリーンとは面識が無い筈なのに。

「…ファーレーン兄様は父様に逆らわないけど、キリアンは平気で自分のしたい事をして、父様の言いつけなんて聞かない。
…僕はいつも凄いって思ってた…。
僕には…出来ない。
ただでさえ…嫌われてるのに。
もっと嫌われるなんて」

そして顔を上げてシーリーンを見つめ、訴える。

「キリアンはいつも僕を、“愚図”だとか“邪魔”って言う。
父様もファーレーン兄様も僕を構わなくて、キリアンに押しつけるから。

キリアンは仕方無く僕の面倒を見てた。
僕はいつも必死で…必死でキリアンの後を追いかけるけど、キリアンは素早くて…。
いつも転んで…怪我をして泣いていると、キリアンはどこからとも無く姿を見せて…。
やっぱり“愚図”だとか“馬鹿”だとか言いながら、手当てをしてくれる。

本当は…凄く優しいんだ」

シーリーンは苦笑する。
「…キリアンが好きみたいだな」

「家で本当に僕の事を心配してくれるのは、キリアンだけ…。
アリオンとの事が父様達に知られた時も、言ってくれた。
“ファオンはファーレーン兄様とは違う!
本人がいいのに、なんで目くじらたてるんだ!”
そう父様に…喰ってかかって…」

ファオンは顔を下げた。
「僕には絶対言えない…。
もし言って…」

シーリーンはその時ようやく、ファオンにとって怖いのは、父親に嫌われることなのだと解った。

「シリルローレルの話は?
お前は合格してシリルローレルを師に出来たのか?」

ファオンはようやく、嬉しそうだった。
湖水のような青の瞳を輝かす。

「まだ全然鍛えたり無いけれど、素質があるって…!」

そう言うと、シーリーンから顔を隠して呟く。

「…それで…シリルローレルと旅に出た………」

“それが…シーリーンとの別れの始まり…。

けれどシーリーンは言ってくれた。

「シリルローレルを師に出来て、個人教授が受けられるなんて、大したものだ」

そう…優しく微笑んで………”
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