アグナータの命運

あーす。

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戦うべき敵

19 襲い来るキーナン《化け物》

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 暫くは静寂。

微かに下方から、ざわめく気配。

だが周囲はぴりぴりとした緊張が襲う。

ざっっっ!

突然、激しい剣の振り切る音。

「ぎゃっ!」

護衛の叫び声。

ファオンは毛皮から、瞬時に身を起こした。

アリオンと愛し合った蕾から液が一筋滴り、腿に落ちる。

甘い疼きが残像として残る。

だが…。

ばさっ!

襲い来る影がテントの向こうで透けて見える。

テスが咄嗟に剣を振り上げる姿が、シルエットとして布の向こうに見える。

ファオンはもう、入り口の布を払って飛び出していた。

「危ない!」

ファオンの左から、素早く襲い来る黒い影。

その背後、アランが剣を背に被り、思い切り振りきる。

ざっっっっ!
どっ!

血が飛び散り、狂気を赤い眼に宿した大猿がファオンの目前に倒れる。

アランは直ぐ横に来て、ファオンの腕を掴む。

「後ろにいろ!」
そう怒鳴ってファオンを背に回す。

ファオンの右手に立つテスは、腕から血を滴らせながら、足を広げ剣を構える。
足元には《化け物》キーナンの死体。

だがテスのいる右手から、二体の《化け物》キーナン

今やファオンにもはっきりその姿が見えた。
黒い剛毛。
毛深く下卑た猿に似た、凶悪な顔。

肩で縛ったボロ布で身を覆い、剣を持たずその両手の鋭い爪かざして牙を剥き、腐った死体の匂いを漂わせながらテスに素早く詰め寄る。

ざっっっ!

テスの目前に滑り込む、大きな背。
流れる真っ直ぐな銀の髪…。

ファルコン…!

ファオンは目を見開く。

《勇敢なる者》レグウルナスらの中で一番長身のファルコンは、テスを背に回すと、一気に右左へと、剣を豪快に振り切った。

「ぅぎゃっ!」
「ぐぇっ!」

どさっ!
どさっ!

二体はほぼ同時に崩れ落ちる。

テスはほっとしたように、ファルコンを見上げる。

ファオンは、ファルコンの強さと圧倒される存在感に目を見張った。

ファルコンは直ぐ視線を護衛に襲いかかる《化け物》キーナンに向け、突っ走って行く。

大きな体躯。
が、振り切る剣は見えない程早い…!

「!」

アランはファオンを背に庇いながら、向かって来る《化け物》キーナンに剣を振り被り、《化け物》キーナン目がけて一気に駆け寄る。

アランが剣を縦に振り下ろす。
が、《化け物》キーナンは避けてアランの横を通り過ぎ、振り向いてアランの背に飛びかかろうと腰を屈めた。

「…!」

ファオンは空の剣の柄を握る。
ここから振れば、アランの背に飛び付く前に《化け物》キーナンの背を斬れる!

だが剣は空想。
手には無いのだ…。

アランは一瞬で身を返す。
背に飛びかかろうとした《化け物》キーナンを、真正面から剣を振り切り、額から胸にかけて一直線に切り裂く。

テスの、安心したような吐息が洩れる。

ファオンがファルコンへと振り向くと、護衛に襲いかかる二体を既に斬り捨て、剣を下げてこちらを見ていた。

顔はとても整った…どちらかと言えば綺麗な顔立ちの、美男に見える。
だが誰よりも長身の逞しい体格。
強さと豪快さは、卓越していた。

振り向き、岩の向こうから戻って来るセルティスと、その後に続くデュランに視線を送る。

「レオは?」
ファルコンの問いに、セルティスが肩で荒い息をし、唾を飲み込んだ後、返答する。

「…まだ雑兵アルナらと残りを片付けてる」

アランが振り向いて尋ねる。

「アリオンらもか?」

セルティスは頷く。

デュランがやっとセルティスの背後に来て立ち尽くし、両手を膝に付いた。
その手は震えていて、顔色は真っ青。

ファルコンはその姿を見て、デュランに顎をしゃくり、セルティスに尋ねる。

「誰か喰われたのか?」

雑兵アルナの一人が捕まって…そのまま奴らに連れて行かれそうになったのを、レオが予備の剣を投げて殺した」

デュランは俯いたまま唇を噛み、そして叫ぶ。

「死体を奴ら…!
戦いもせず俺の目の前で喰らった!」

ファルコンは冷静に囁く。
「なら、殺し放題だったろう?」

セルティスはファルコンにそう問われた、背後のデュランに振り向く。

だがデュランはまだ、震えながら俯いていた。

セルティスはファルコンに顔を向け、デュランに代わって返答する。

「アリオンとシーリーンが片付けた。
…デュランは味方の死体を囮として、《化け物》キーナンを殺すやり方が気にくわないようだ」

アランはまだ、襲い来る《化け物》キーナンがいないか。
警戒した視線を前にくべながら、背後に声かける。

「どのみち《化け物》キーナンに洞窟に連れて行かれたら、生きたまま喰われる。
死んだ雑兵アルナはレオに感謝したさ」

デュランは身を、びくん!と大きく揺らした。
そして問う。

「…もし俺が…」

ファルコンは吐息と共に言葉を吐き出す。

「掴まればこの中の誰かが同じ事をする。
死にたくなければ掴まるな」

「…もし…捕まれば…」

デュランの絞り出すような声に、セルティスも俯く。

「剣を出来るだけ振り切って少しでも敵を殺すか…。
自分の身に剣を突き刺す。
楽に死ねるように」

デュランがまた、大きく身をびくん!と揺らすのを、ファオンは切なげに見た。

デュランはゆっくりと、顔を上げて年上の男達に問う。

「…捕まっても助けないと?」

ファルコンは面倒くさげに呟く。
「隠れ家の洞窟が見つかれば、こちらからも奇襲をかける。
が、運良く息があっても、あちこち喰われれば不具だ。

…それでも生き続けたいか…?」

デュランはファルコンを見上げた。
絶望をその瞳に宿して。

デュランの問う声は震えていた。
「息有る者をもし、洞窟で見つけたら…止めを刺すのか…」


アランは背を向けたまま言った。
「それが親切だろう…?」

デュランはもう言葉を失ったように、俯いた。

ファルコンはファオンに視線を向ける。
が、顔を背けた。

それに気づいてテスが、そっとファオンに近寄り囁く。
「…戦士を慰めるのが、《皆を繋ぐ者》アグナータの務めだ」

ファオンの声は震えた。
「どう…やって…?」

テスは途惑いながら小声で囁く。
《皆を繋ぐ者》アグナータはここでは…女と同じだ。
男達は皆厳しい。
だから…心が傷付いた《勇敢なる者》レグウルナスを慰めるのは…」

そこまで聞いて、ファオンには解った。

《皆を繋ぐ者》アグナータとは、男の姿をした女なのだと。

だがファルコンは素っ気無く言った。
「無理だろう…?」

そして、ファオンを見つめる。
「…まだあまり抱かれていない。
女になりきっていないし、戦士の目をしてる」

セルティスがそっと囁く。
「セスが突然廃された後釜だ。
準備期間も無い。
少しは同情してやれ」

ファルコンは振り向き、強い語調で言う。

「俺達《勇敢なる者》レグウルナスこそが、《皆を繋ぐ者》アグナータに同情される者だ!」

そして背を向け、立ち去っていく。

アランがようやく《化け物》キーナンの襲撃が途絶えたと、安堵の表情で振り向く。

「ファルコンとレオはもう何人かの《皆を繋ぐ者》アグナータらを見てる。
比べたくなくとも…セスの前にいた《皆を繋ぐ者》アグナータとお前と、どうしても比べてしまっている」

ファオンは俯いた。

つまりレオもファルコンも、《皆を繋ぐ者》アグナータに優しく、身も心も慰められ、勇気を貰って今まで戦って来たから…それをファオンに、無意識の内に求めているのだ…。


けれどファオンは拳を握った。

慰める者で無く、戦う者になりたかった…!

誰にも告げられぬその思いを、握り込んだ拳の中へと隠し、唇をきつく、きつく噛みしめながら、心の中でそう、呟き続けた。
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