19 / 185
19話、リネットの作り置きシチュー
しおりを挟む
「師匠が旅をしているなんて正直信じられないんですけど」
リネットが淹れてくれた紅茶を飲みながら、彼女が独り立ちしたすぐ後に旅を始めたことを告げると、そんな反応が返ってきた。
「というか、師匠って食事に興味があったんですね」
「……え、なにその言い方。私を何だと思ってたの?」
おいしいごはんを食べたいというのは人として普通の欲求ではないだろうか。
リネットは今まで私と過ごしてきたことを思い返しているのか、小首を傾げていた。
「うーん……だって師匠いつもスープとパンさえあれば十分って言っていたような」
「いや、それはスープにひたしたパンが私の好物だからそう言っていただけで……もっと色々なごはんを食べてみたいって気持ちはあるんだよ?」
「へー……知らなかったです」
本当に意外だったのか、リネットは驚きから元から大きい目を更に大きく見開いていた。
……なにこの子。私のこといったいどう思ってたの。
「でも、やっぱり簡単には信じられません。師匠の話が本当だとすると、ここ最近この地域でごはんを食べてたんでしょう? ここ、主食がお米ですよ? 師匠はお米が苦手だったはずです」
「ああ、何回か食べてたら慣れた。もう炊いたお米も普通に食べられるよ」
「ええー嘘だぁ……私が作った時はあんなにごねてたのに」
「それは本当にごめん。でもさ、ほら、環境が変われば味覚も変わるってことなんだよ、多分」
「……確かに旅をするならごはんに文句は言えませんものね。うーん、でもイメージ浮かばないなぁ」
リネットの中で私は大分偏食家のイメージだったようで、土地土地ごとの個性的な食べ物を受け入れているのが簡単に信じられないようだ。
「おいしくない食べ物だったら私も受け入れられないけどさ、大抵の料理は食べてみれば結構おいしいものだったよ。この前なんてね、ワニ食べたよワニ」
「……ワニ?」
「そ、沼ワニ。あれ? リネット食べたことない?」
「ワニなんて普通食べませんよ。なに言ってるんですか?」
あれー? リネットのところでは食べないの、ワニ。
リネットは、食べないどころかありえないですよ、と言いたげな目で私を見つめている。
「やっぱり師匠はちょっと変です」
「へ、変じゃないって! ちょっと個性的なだけだから……」
なんだかリネットはちょっと不機嫌というか、いつもとは少し違った態度だった。
「なんだかなぁ……師匠にそういう面があったなんて、知らなかったなぁ」
どうやらリネットの中にあった私のイメージが齟齬を起こしているようだ。
「私、師匠のことなら何でも知ってると思ってたんですよ。好きな物とか、嫌いな物とか、そういうこと全部。でも本当は何も知らなかったんだなって思うと、ちょっと悔しいです」
「……そういうもんでしょ、普通。私だってリネットのこと全部知ってるわけじゃないし。エメラルダだって変な子だけど、時々妙に常識的なこと言ったりするし」
「それが普通……ですか」
「そうそう、私自身私のことを全部理解してるわけじゃないしね。いやー、まさかお米をおいしいと感じるなんて思ってもなかったよ」
「あはは……あんなに苦手でしたものね」
私の言葉に納得したのかどうかは分からないが、リネットの雰囲気はどことなく柔らかくなっていった。
リネットとは数年共に寝食を過ごした仲だ。
彼女の些細な機微を感じ取るくらい、鈍い私にだってできる。
独り立ちして、がんばって自分のお店を開こうとして、きっと無理をしていたのだろう。
その上今まで一緒に過ごしてきた私が柄にもなく旅をしていると知っては、少し感情が乱れるのも当然だ。
そこを気遣うのは、彼女の師である私としては当然のことだった。
「……あ」
なんて調子に乗って師匠っぷりを発揮していたのに、ふと気を抜いた瞬間お腹が鳴りだした。
そうだ、考えてみれば朝から何も食べてないんだった。
「お腹空いてるみたいですね?」
「うん、正直言うともう限界。なにか食べるものあったりする?」
するとリネットは困ったように眉根を寄せた。
「ごめんなさい、まさか師匠がこんなに早く来てくれるとは思っていなかったので、今日は何も準備してないんです。作り置きのシチューくらいならお出しできますけど……」
「え、シチューあるの? 食べても良い?」
申し訳なさそうなリネットとはうって変わって、私は目の色を変えた。
はっきり言ってリネットの作るシチューはおいしい。
作り置きだとしても、彼女のシチューは私にとって何よりのごちそうだった。
「じゃあすぐに温めてきますね」
がっつく私に呆れながらも、リネットは嬉しそうに台所へ向かった。
それから十数分が経った頃、リネットがバゲットとシチューを持ってきてくれた。
バゲットはやや硬めのパンで、皮の部分が香ばしく、小麦粉の良い匂いが楽しめる。そのままで食べても小麦の風味が楽しめるが、シチューと合わせると更においしくなる。
リネットお手製のシチューは、通常のシチューとそんなに変わるところは無い。具材は鶏肉やニンジンの他、かぼちゃも入っている。
作り置きしていたというシチューにかぼちゃが入っているのは、私にとってちょっと感慨深かった。
実は、かぼちゃが好物の私のためにと、リネットはよくシチューにかぼちゃを入れてくれていたのだ。
私に食べさせる予定がなかったシチューに好物のかぼちゃが当然のように入っているのは、彼女と一緒に過ごした年月が確かな物だったと確信させてくれる。
「いただきます」
リネットにそう伝え、シチューを食べていく。
いつもリネットが作ってくれていた、代わり映えのない味だ。そしてそれが何よりもおいしく感じる。
かぼちゃの甘みが溶け込んだシチューに、軽く焼いたバゲットの香ばしさがよく合っている。
夢中で食べていると、リネットが突然くすくすと笑いだした。
「どうしたの?」
「いえ……なんだか懐かしいなって思って」
「もう、懐かしいって言うほど日にち経ってないでしょ」
「そうですけど、やっぱり懐かしいんですよ」
私からすれば、弟子が私の元を巣立っていくのはリネットで三回目。正直慣れたものだ。
だけどリネットにとっては、長年同じ時を過ごした師と離れるのは初めてだったはずだ。
私だって、こうしてリネットと一緒にいるとかつての生活が懐かしいと思う。
ただ、その度合いが彼女とは違うのだろう。
郷愁を感じているのか憂いを帯びた表情のリネットを見ていると、開店祝いまでにちゃんと間に合ってよかったと思えてくる。
シチューを食べ終わり空腹を満たした私は、またリネットと会話を再開した。
彼女と話すことは、まだ尽きそうにない。
リネットが淹れてくれた紅茶を飲みながら、彼女が独り立ちしたすぐ後に旅を始めたことを告げると、そんな反応が返ってきた。
「というか、師匠って食事に興味があったんですね」
「……え、なにその言い方。私を何だと思ってたの?」
おいしいごはんを食べたいというのは人として普通の欲求ではないだろうか。
リネットは今まで私と過ごしてきたことを思い返しているのか、小首を傾げていた。
「うーん……だって師匠いつもスープとパンさえあれば十分って言っていたような」
「いや、それはスープにひたしたパンが私の好物だからそう言っていただけで……もっと色々なごはんを食べてみたいって気持ちはあるんだよ?」
「へー……知らなかったです」
本当に意外だったのか、リネットは驚きから元から大きい目を更に大きく見開いていた。
……なにこの子。私のこといったいどう思ってたの。
「でも、やっぱり簡単には信じられません。師匠の話が本当だとすると、ここ最近この地域でごはんを食べてたんでしょう? ここ、主食がお米ですよ? 師匠はお米が苦手だったはずです」
「ああ、何回か食べてたら慣れた。もう炊いたお米も普通に食べられるよ」
「ええー嘘だぁ……私が作った時はあんなにごねてたのに」
「それは本当にごめん。でもさ、ほら、環境が変われば味覚も変わるってことなんだよ、多分」
「……確かに旅をするならごはんに文句は言えませんものね。うーん、でもイメージ浮かばないなぁ」
リネットの中で私は大分偏食家のイメージだったようで、土地土地ごとの個性的な食べ物を受け入れているのが簡単に信じられないようだ。
「おいしくない食べ物だったら私も受け入れられないけどさ、大抵の料理は食べてみれば結構おいしいものだったよ。この前なんてね、ワニ食べたよワニ」
「……ワニ?」
「そ、沼ワニ。あれ? リネット食べたことない?」
「ワニなんて普通食べませんよ。なに言ってるんですか?」
あれー? リネットのところでは食べないの、ワニ。
リネットは、食べないどころかありえないですよ、と言いたげな目で私を見つめている。
「やっぱり師匠はちょっと変です」
「へ、変じゃないって! ちょっと個性的なだけだから……」
なんだかリネットはちょっと不機嫌というか、いつもとは少し違った態度だった。
「なんだかなぁ……師匠にそういう面があったなんて、知らなかったなぁ」
どうやらリネットの中にあった私のイメージが齟齬を起こしているようだ。
「私、師匠のことなら何でも知ってると思ってたんですよ。好きな物とか、嫌いな物とか、そういうこと全部。でも本当は何も知らなかったんだなって思うと、ちょっと悔しいです」
「……そういうもんでしょ、普通。私だってリネットのこと全部知ってるわけじゃないし。エメラルダだって変な子だけど、時々妙に常識的なこと言ったりするし」
「それが普通……ですか」
「そうそう、私自身私のことを全部理解してるわけじゃないしね。いやー、まさかお米をおいしいと感じるなんて思ってもなかったよ」
「あはは……あんなに苦手でしたものね」
私の言葉に納得したのかどうかは分からないが、リネットの雰囲気はどことなく柔らかくなっていった。
リネットとは数年共に寝食を過ごした仲だ。
彼女の些細な機微を感じ取るくらい、鈍い私にだってできる。
独り立ちして、がんばって自分のお店を開こうとして、きっと無理をしていたのだろう。
その上今まで一緒に過ごしてきた私が柄にもなく旅をしていると知っては、少し感情が乱れるのも当然だ。
そこを気遣うのは、彼女の師である私としては当然のことだった。
「……あ」
なんて調子に乗って師匠っぷりを発揮していたのに、ふと気を抜いた瞬間お腹が鳴りだした。
そうだ、考えてみれば朝から何も食べてないんだった。
「お腹空いてるみたいですね?」
「うん、正直言うともう限界。なにか食べるものあったりする?」
するとリネットは困ったように眉根を寄せた。
「ごめんなさい、まさか師匠がこんなに早く来てくれるとは思っていなかったので、今日は何も準備してないんです。作り置きのシチューくらいならお出しできますけど……」
「え、シチューあるの? 食べても良い?」
申し訳なさそうなリネットとはうって変わって、私は目の色を変えた。
はっきり言ってリネットの作るシチューはおいしい。
作り置きだとしても、彼女のシチューは私にとって何よりのごちそうだった。
「じゃあすぐに温めてきますね」
がっつく私に呆れながらも、リネットは嬉しそうに台所へ向かった。
それから十数分が経った頃、リネットがバゲットとシチューを持ってきてくれた。
バゲットはやや硬めのパンで、皮の部分が香ばしく、小麦粉の良い匂いが楽しめる。そのままで食べても小麦の風味が楽しめるが、シチューと合わせると更においしくなる。
リネットお手製のシチューは、通常のシチューとそんなに変わるところは無い。具材は鶏肉やニンジンの他、かぼちゃも入っている。
作り置きしていたというシチューにかぼちゃが入っているのは、私にとってちょっと感慨深かった。
実は、かぼちゃが好物の私のためにと、リネットはよくシチューにかぼちゃを入れてくれていたのだ。
私に食べさせる予定がなかったシチューに好物のかぼちゃが当然のように入っているのは、彼女と一緒に過ごした年月が確かな物だったと確信させてくれる。
「いただきます」
リネットにそう伝え、シチューを食べていく。
いつもリネットが作ってくれていた、代わり映えのない味だ。そしてそれが何よりもおいしく感じる。
かぼちゃの甘みが溶け込んだシチューに、軽く焼いたバゲットの香ばしさがよく合っている。
夢中で食べていると、リネットが突然くすくすと笑いだした。
「どうしたの?」
「いえ……なんだか懐かしいなって思って」
「もう、懐かしいって言うほど日にち経ってないでしょ」
「そうですけど、やっぱり懐かしいんですよ」
私からすれば、弟子が私の元を巣立っていくのはリネットで三回目。正直慣れたものだ。
だけどリネットにとっては、長年同じ時を過ごした師と離れるのは初めてだったはずだ。
私だって、こうしてリネットと一緒にいるとかつての生活が懐かしいと思う。
ただ、その度合いが彼女とは違うのだろう。
郷愁を感じているのか憂いを帯びた表情のリネットを見ていると、開店祝いまでにちゃんと間に合ってよかったと思えてくる。
シチューを食べ終わり空腹を満たした私は、またリネットと会話を再開した。
彼女と話すことは、まだ尽きそうにない。
0
お気に入りに追加
252
あなたにおすすめの小説
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
ボロ雑巾な伯爵夫人、旦那様から棄てられて、ギブ&テイクでハートフルな共同生活を始めます。
野菜ばたけ@既刊5冊📚好評発売中!
ファンタジー
――貧乏だから不幸せ❓ いいえ、求めているのは寄り添ってくれる『誰か』。
◆
第二夫人に最愛の旦那様も息子も奪われ、挙句の果てに家から追い出された伯爵夫人・フィーリア。
両親も既に事故で亡くなっており帰る場所もない彼女は、なけなしの餞別だけを持って大雨の中を歩き続けていた。
しかし目的地も希望も生きる理由さえ見失いかけた時、とある男の子たちに出会う。
言葉汚く直情的で、だけど決してフィーリアを無視したりはしない、ディーダ。
喋り方こそ柔らかいが、その実どこか冷めた毒舌家である、ノイン。
10歳前後に見える彼らにとっては、親がいない事も、日々食べるものに困る事も、雨に降られる事だって、すべて日常なのだという。
そんな彼らの瞳に宿る強い生命力に感化された彼女は、気が付いたら声をかけていた。
「ねぇ君たち、お腹空いてない?」
まるで野良犬のような彼らと、貴族の素性を隠したフィーリアの三人共同生活。
平民の勝手が分からない彼女は、二人や親切な街の人達に助けられながら、自分の生き方やあり方を見つけて『自分』を取り戻していく。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
当然だったのかもしれない~問わず語り~
章槻雅希
ファンタジー
学院でダニエーレ第一王子は平民の下働きの少女アンジェリカと運命の出会いをし、恋に落ちた。真実の愛を主張し、二人は結ばれた。そして、数年後、二人は毒をあおり心中した。
そんな二人を見てきた第二王子妃ベアトリーチェの回想録というか、問わず語り。ほぼ地の文で細かなエピソード描写などはなし。ベアトリーチェはあくまで語り部で、かといってアンジェリカやダニエーレが主人公というほど描写されてるわけでもないので、群像劇?
『小説家になろう』(以下、敬称略)・『アルファポリス』・『Pixiv』・自サイトに重複投稿。
冷遇妻に家を売り払われていた男の裁判
七辻ゆゆ
ファンタジー
婚姻後すぐに妻を放置した男が二年ぶりに帰ると、家はなくなっていた。
「では開廷いたします」
家には10億の価値があったと主張し、妻に離縁と損害賠償を求める男。妻の口からは二年の事実が語られていく。
異世界でのんびり暮らしてみることにしました
松石 愛弓
ファンタジー
アラサーの社畜OL 湊 瑠香(みなと るか)は、過労で倒れている時に、露店で買った怪しげな花に導かれ異世界に。忙しく辛かった過去を忘れ、異世界でのんびり楽しく暮らしてみることに。優しい人々や可愛い生物との出会い、不思議な植物、コメディ風に突っ込んだり突っ込まれたり。徐々にコメディ路線になっていく予定です。お話の展開など納得のいかないところがあるかもしれませんが、書くことが未熟者の作者ゆえ見逃していただけると助かります。他サイトにも投稿しています。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
実家から絶縁されたので好きに生きたいと思います
榎夜
ファンタジー
婚約者が妹に奪われた挙句、家から絶縁されました。
なので、これからは自分自身の為に生きてもいいですよね?
【ご報告】
書籍化のお話を頂きまして、31日で非公開とさせていただきますm(_ _)m
発売日等は現在調整中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる