魔女の剣

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第二十六話 澄み渡る空、彼女の戦い

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 互いに向かい合う天坂と楓の視線が絡み合う。天坂の瞳は、憤怒と絶望に染まっていた。

「おのれ……楓ぇぇっ!」

 激情を携えた天坂が、楓に走り向かって一刀を放とうとする。
 楓を守ろうと紅音と武辺の魔女たちが動こうとするが……他ならぬ楓がその動きを制した。

 ――これは、私の戦いだ。私と……天坂夕月だけの。手出しは無用。

 天坂の一刀が閃いた。楓は、あえてそれを己の一刀で受け止める。
 刃と刃が噛みあう音が響いた。敵方の一刀を噛みあうように受け止めるなど、甚だ悪手ではあるが、楓はあえてそうしていた。

「お前さえ……お前さえいなければ……」

 交差する刃と刃の先で、楓と天坂の視線も鋭く噛みあっていた。
 楓が天坂の一刀を受け止めた理由は、彼女の全てを受け入れるためであった。彼女の怒りを、悲しみを……受け止め、それを斬るために。

「お前など助けるべきではなかった! あの時助けなければ、こんなことには……!」

 悔恨と慟哭が天坂の口から漏れ出た。悲痛に唇を噛みしめ、彼女は己の半生を費やした計画が無に散ったことを嘆いていた。

「私は、あなたに助けていただいたことを感謝しています」

 いつか遠くない昔に言った言葉を、楓は天坂に投げかけた。

「……!」

 天坂の怒気が膨れ上がった。天坂の刀に力が込められ楓の一刀を押してくる。
 楓も合わせて力を込め、力が拮抗した。
 その時、ほんの一瞬天坂の一刀に込められた力が無くなった。楓の一刀は天坂の一刀を押し込みその先にある体を斬ろうとして……天坂の体が翻った。
 鍔迫り合う最中に相手が押し込んでくる力を流し、己の体を左右どちらかに転化して体が泳いだ相手を斬る秘太刀である。この時天坂は左に転化し楓の右手首を斬りにかかった。

 しかし、刀を握りそこにあるはずの楓の右手はすでに外されており、天坂の一刀は空を切っていた。
 渾身の一刀を空ぶった天坂は大きく身を引き、また楓も天坂に向き直りながらわずかに身を引いていた。
 かつて楓が天坂に師事していた時、数度だけ彼女の実践的な太刀技を見せてもらったことがあった。そのことを楓はしかと記憶していたのだ。
 己の技が見切られていると、天坂は歯を食いしばった。

 師弟対決というものは、互いに手の内をさらし合っているようなものである。ならば勝負は見切り合い。どちらの剣碗が優れているのか、純然たる勝負となる。
 このような場合、まだ相手に知られていない手の内を出すのが勝利に近づくための方策であった。
 間合いはやや遠間となった。天坂が慎重に間合いを詰めにかかる。

 楓が突如間合いの外で動いた。両手にさげていた刀を一転、左片手に持ち、踏み込むと同時に喉を狙った水平切りを放った。
 片手打ちの一刀は間合いが伸び、遠間から間合いの外と見せかけ機先を制す恐るべき術技であった。
 特にこの時、楓は物打ちどころではなく切っ先で喉をかき斬るつもりであったため、間合いは更に伸びる。

「ちぃっ!」

 あわやというところで天坂は楓の切っ先を避け、喉への一撃をやりすごした。そのまま崩れかけた体勢を器用に持ち直す。
 対して楓は、必殺を期した片手打ちの一刀をしのがれて舌打ちをした。

 今ので片手打ちによる奇襲は天坂に見切られてしまった。もう二度とは通用しないだろう。
 片手打ちは、見切ってしまえば対処は容易であった。この術技は間合いの外から虚をつくことこそが肝要であり、虚をつけなければ刀身を強く弾かれて刀を取りこぼす恐れもある。見切られてしまった今、やすやすと使える技ではなかった。

「小娘が……小癪な曲技を」

 言葉に秘める怒気とは裏腹に、天坂は先ほどよりも慎重な進退にうつっていた。
 朝比奈楓は、小鴉隼人を、伏倉響を、そして夜魔を屠って今ここに立っている。その事実が怒りに燃える天坂の心にようやく染み込んできたようだ。

 気が付けば、歓喜に沸いていた正調の魔女たちが楓たちの様子を静かに伺っていた。
 彼女たちからすれば、天坂は夜魔を呼び出した張本人であり看過できない存在である。できることなら今ここで屠っておきたいところだろう。
 しかし、彼女たちはただ黙して楓たちを見ていた。

 ――きっと紅音が、美景さんに手出し無用と伝えたのだろう。

 楓は遠間にいる天坂を視界に入れながら、紅音のいる場所を瞳にうつした。紅音の傍には心配そうな顔をした美景が立っていた。
 これは魔女の戦いではない。道を違えた師弟の対決なのだ。魔女たちは皆、無言の内でその事実を理解していた。
 朝比奈楓が勝つにしろ負けるにしろ、決着がつくまでは静観するのが魔女らの総意であった。

 天坂からすれば、今この地は逃れようがない死地であった。仮に彼女が楓に勝利を収めたとしても、他の魔女が天坂を見逃す道理がない。
 天坂は不快そうに周りを見渡した。そこに死への恐怖は無い。おそらくそんなものは夜魔が葬られた時にすでに意中にないのだろう。

 彼女はその人生を夜魔の復活のために賭したのだ。その夜魔が死した今、彼女は死んだも同然である。
 死を覚悟した天坂は、夜魔を切り裂いた楓をせめて道連れにしようとでも考えているのだろう。

 死を受け入れた剣客は恐るべき相手である。今や天坂と同等の実力を手にした楓といえど、後れを取る可能性はあった。
 まだ天坂には、魔技が残されているのだ。

「……ここは見物人が多い。ついて来い楓、我が真の一刀を見せてやる」

 突如天坂は背を向け、森の奥に走っていった。
 魔女たちが一瞬ざわめいたが、この期に及んでこの地から逃げることはできないと、すぐに鎮静する。
 楓は黙って森の奥へ消えゆく天坂の背を見ていた。彼女の考えは分かる。空澄の太刀を活かす地の利を得ようとしているのだ。

「楓ちゃん」

 天坂の後を追いかけようと一歩進んだ楓の背に、美景が声をかけた。楓は足を止めて、背後を振り返る。

「天坂の誘いに乗ってはダメよ。彼女はあなただけでも斬るつもりだわ……その命に代えてでも」
「……ええ、私もそう思います。でも、行かないと」

 静かに答える楓の顔を見て、美景は痛切な表情を浮かべた。

「もう、いいじゃない。あなたは英雄よ。ここにいる魔女は皆、あなたに命を救われたの。もう、戦わなくていい。天坂のことは、他の魔女に任せればいいわ。何もあなたが命を賭けて……彼女を斬らなくてもいいのよ」
「……」

 ――私が、英雄か。

 微かに楓は自嘲した。剣鬼と言われ、英雄と言われ、どうにも身に余る評価を受けることが多い。
 楓はただ、自分の意志に従っただけなのだ。結果として、小鴉を、伏倉を、夜魔を斬ったことになったが、それはただの偶然である。別に剣鬼になろうとも英雄を目指した訳でもなかった。
 そもそも、心半ばで倒れる可能性の方がずっと高かったのだ。それを理解しながらも一人で戦うことを決めたのは、やはり……それが、楓の望んだことであるからだ。

 ――小鴉がラピスを奪いに来たあの時から私の戦いは始まっていた。……いや、違う。始まりはもっと前だ。家族を失ったあの時こそが、私の戦いの始まりなんだ。そして、その戦いを終わらせるには……私が、斬らなければ。

「天坂と自ら決着をつけて、どうなるの。それであなたは救われるの?」
「……私がやらなければいけないことなんです。彼女のただ一人の弟子として」
「どうしてそんな風に背負ってしまうの……あなたは、真面目すぎるわ」

 美景はひどく悲しそうな顔をしていた。悲しいのはきっと、楓がひどく不器用で辛い生き方ばかりを歩もうとするからなのだろう。

 ――どうしてこの人はいつもこんなに優しいのだろう。

 楓はふと疑問に思った。美景と知り合ってからずっと、彼女は楓のことばかりを心配していたような気がする。
 美景だけではない。紅音もそうだ。口にはしないが楓を心配するその気持ちは、なんとなくではあるが伝わっていた。

 楓は少しだけ、周囲をうかがった。地に足をつける魔女も、箒に乗り空を漂っている魔女も、どこか心配そうに楓を見つめていた。
 彼女たちは楓が名も顔も知らない魔女たちである。きっと彼女らとしてもそうなのだろう。楓のことを先ほど夜魔を斬った少女としか認識していないはずだ。
 それなのになぜ、そんな顔をするのだろうか。

 楓には分からなかった。しかし、彼女たちの表情には嘘偽りの感情は一つとしてなかった。
 それだけで、楓には十分だった。

「大丈夫、安心して」

 音調は高くとも、静かな、落ち着いた楓の声は、その年頃には不釣り合いである。もっと笑ったり泣いたりと素直に感情を表すのが相応しい子供の様な声で、楓は言う。

「私は、負けない」

 それだけを言って、楓は駆け足で森の奥へ走っていった。
 美景も、紅音も、その他多くの魔女たちも……誰も、この後のことを目にしたものはいない。
 なぜならばこれは、朝比奈楓の戦いであるからだ。

 夜魔が滅びて、森の奥はひどく静かだった。
 風に吹かれて揺れる木々が、虚しく歌っているようだ。色あせた木の葉を踏みしめながら、楓は走り続けた。
 そして、楓と天坂は再度対面しあった。

「来たか……」
「ええ。私は逃げません」

 楓の不敵さに天坂は舌打ちを返した。

「見てみろ、これを」

 天坂にうながされ、彼女の視線を追ってみる。彼女はすぐそこの大地を見ており、そこには歪な魔法陣がいくつもあった。
 おそらくこれが夜魔を復活させるための魔法陣なのだろう。所々、血が乾いたような赤黒い跡が残っている。
 楓は夜魔を復活させる儀式を詳しくは知らないが、そのためにおそらく幾人もの血を使ったのだろうと悟った。

「これが私の人生に残った絞りカスだ。夜魔が死んだのなら、こんな魔法陣などもう何の役にも立たん」

 天坂は自嘲した。

「一つ、聞かせてください。どうして、あなたは夜魔を復活させようと思ったのですか?」
「……それを聞いて、どうする?」
「どうにもしません。……今さら、どうにもなりません。しかし、理由を知る意味ならあります」
「意味があるだと?」
「ええ、あなたが狂った理由が知りたい。その理由を見据えて……私は、それを斬りたいのです」

 天坂にこびりつく影を。因縁を。もろともに断つ。
 それこそが今、天坂の弟子であった朝比奈楓が遂げなければいけないことであった。

「伏倉は夜魔を復活させることこそが魔女の本懐と言っていました。彼女の発言から三魔女の正体も知っています。あなたも、伏倉と同じ理由ですか?」
「……私は伏倉とは違う。そんな大層な考えではない」
「では?」
「……復讐だ。私の母は魔女だった。だが母は、夜魔を復活させようと企てる魔女らと繋がりがあるとされ、正調の魔女に殺された。私の目の前でな」
「……」

「くだらないだろう。母が実際に夜魔を復活させようとしていたのかは知らん。しかし、彼女の無念は伝わった。目の前で死んだ母の色あせた目を見れば、そんなことくらいは分かる」
「母の無念を晴らそうと、夜魔を復活させようとした、と?」
「……言っただろう、復讐だと。もっと分かりやすくいえば、八つ当たりだ。母を殺して夜魔の復活を阻止したとでも思っている魔女共らに、目にものを見せてやろうとな」

 天坂は馬鹿馬鹿しいとばかりに笑った。

「我ながら、くだらんことに人生を賭けたものだ……だが、後悔はない。いずれ破滅することなど知っていた」
「分かっていたのなら、なぜ……」

 なぜこんなことを。そう言いかけて、楓は言葉を飲み込んだ。
 もはや何を言おうが遅い。天坂は破滅を感じながらもこの道を歩む決意をしたのだ。
 楓もまたそうである。この修羅場に向かう時、彼女は己の死を覚悟していた。死を覚悟して、だが楓は戦う道を選んだのだ。
 天坂と楓は本質的には何も変わらない。ただ、向かった道が違うだけのことだった。

「くだらん問答で時間を取ったな。楓、お前には悪いが……私はお前だけは生かしてはおけん。私の全てを無に追いやったお前だけは……この手で斬る」

 楓は、鋭く睨んでくる天坂の憎悪と殺意を静かに受け止めた。
 天坂と楓の最後の斬り合いがついに始まった。
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