魔女の剣

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第三話 辻風1

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 少女にとって地獄の光景が眼前に広がっていた。

 家族の団らんの象徴である居間には、少女と彼女の父母の写真がいくつも飾られている。その一室には愛があった。家族の紛れもない絆で溢れていた。
 しかし今、家族の愛と絆を彩る一室は、血肉に塗れていた。楽しく話し合う家族の元に、突如得体のしれないものが乱入してきたのだ。

 呆然とする少女の目の前で、父と母があっという間に殺された。家族の絆の前に乱入した存在は、少女にとって理解が及ばぬ化け物である。それは犬か狼のように見えたが、どこか黒い霧に包まれたようで姿形がはっきりとはとらえられない。そんな異常存在が父母の死体を貪り食っていた。

 少女は訳も分からず目から涙を零し、唇をわななかせながら静かに怯え泣いていた。震える体を自らきつく抱きしめ、恐怖に耐えていたのだ。
 もはや少女には他にどうすることもできない。死を予感して、残り僅かな生の時間を恐怖を抱いて過ごすのは、どれほど辛いことだっただろうか。

 しばらくして両親を食い終えた化け物が、少女を見た。ついに自分の番が来たと少女は察し、小さく悲鳴をあげた。
 その悲鳴に吊られたのか、黒霧に包まれた化け物が跳び上がる。少女に向かって牙をむき出しにし、食らいつこうとしたのだ。

 絶体絶命の最中にきらめいたのは、はたして何だったのか。少女に跳びかかった化け物の体が両断され、地に崩れ落ちた。
 少女の目に映ったのは、刃の輝きであった。
 いつの間にか、忽然と現れた何者かが少女の前に立っている。その者が今少女を助けたのだ。

 少女は涙で霞む視界でその者を見た。不思議な格好をした女性だった。彼女はおとぎ話で語られるような魔女のような意匠の服を纏い、その手に刀をさげている。
 魔女でありながら、刀剣を操る。そんな者が、今少女を助けたのだ。

 魔女の格好をした女性の顔をもっとはっきりとらえようとして目を凝らした時、少女の視界にうつるものが別のものに変わった。
 次に少女の目に映し出されたのは寂れた公園だった。
 今のは夢だったと気づいて、少女は軽く溜息をついた。

 ――私は寝ていたのか……うかつな。

 少女は、浅くとはいえこんな所で眠りについていた己を叱咤した。彼女は今、人気のない公園のベンチで一人寂しく座っていたのだ。空はもう夕焼けに包まれている。
 寝起きの気分はいつもと変わりなく最悪だった。意識が闇に落ちる時見る夢はいつだって、二年ほど前に最愛の家族を失った時の光景と決まっている。
 しばしの眠りから冷めた少女の意識は、まだはっきりとはしない。そんな消沈した意識がある気配を感じて一気に覚醒した。

 ――近くにラピスを持ったものがいる……いかなければ。

 少女……朝比奈楓は立ち上がり、背にかかる程の髪を纏め上げ、髪留めを使って後頭部で留めた。長い髪は斬り合う時に邪魔になるため、彼女は戦いに望むときいつもこうしていた。
 邪魔ならば切ればいい。多くの者がそう思うように、楓も何度かそれを考えた。しかし、この髪留めは亡き母の事実上の形見であった。家族を失うあの事件の少し前に、楓が母から貰い受けたのだ。

 まだ幼く、十を少し超えた頃合いの朝比奈楓の顔立ちは、その年頃に比べてどこか大人びているように見える。そんな彼女がわずかに見せる子供らしさが、長髪とそれを留める髪留めであった。
 失った母との繋がりを求める様に、彼女は頑なに髪留めを使っていたのだ。

 そのような子供らしさを見せながら、だが彼女は冷たい表情になっていた。
 今から楓は生死を賭した斬り合いに挑むつもりだった。真剣勝負など彼女自身が心から望んでいることではなかったが、やるしかなかった。
 責任、というものがある。楓は凄惨な斬り合いに挑む時、いつも己の責任を考えていた。

 ――私がやらなければいけないんだ。

 心を硬く律し、確かな決意を抱く。それは悲壮な決意だった。
 すでに楓は、彼女自身の責任と決意の元に何人も斬っている。ついこの間も武田善之という名の殺人快楽者を斬っていた。
 楓は懐から宝石を取り出し、それに意気を込めた。すると足元から一筋の闇が湧き上がり、それが楓の体を包み込んだ。

 次の瞬間には、楓の衣服は黒を基調とした魔女服へと変貌していた。頭には三角帽子を被り、他者から見れば仮装に見えることだろう。
 しかしその姿は伊達ではない。朝比奈楓は、その衣装が表す通り魔女であった。魔女でありながらも、彼女は戦う時その手に刀を握るのだ。

 赤く染まる空を少しばかりあおぎ見た後、楓は公園を後にした。わずかに感じる気配を追って、彼女は早足になった。
 ほどなくして、楓は目的の人物を探し当てた。その者は老人であった。老いた身でありながらも確かな足取りは、その鍛えられた肉体を誇示しているかのようであった。

 確かに彼からラピスの気配が放たれていると確認した楓は、ひとまず彼の動向を見守ることにした。ここは人気が全くない寂れた裏路地だったが、こんな所ですぐさま斬り合いを仕掛ける訳にはいかない。
 老人が振り向いても発見されないように、楓は電柱やブロック塀の影に慎重に身を隠した。そして老人の様子を伺うと、彼は少しだけ足を止めて、何やら思案するように地面を見た。

 だがそれはわずかな時間の間だけのこと。すぐに気を取り直した老人は、少しばかり足早に歩を進めていく。楓も少し時間を置いて彼の後を追った。
 老人の歩みに迷いはない。彼は段々とより人気のないだろう場所へ進んでいく。裏路地を抜け、道とも言えない荒れた赤土とわずかにしげる草を踏みしめ、更に先へ。

 ようやく老人が歩みを止めた場所は、若草が生えるに任せた空き地であった。辺りには廃屋や樹木がぽつりぽつりと立っている。
 その頃には、夕焼けが空を一層赤く彩り、地に長い影を落としていた。もうわずかな時間で日は落ち夜となる時間帯だ。

「そろそろ出てきたらどうだ?」

 老人は振り返って、ごく自然にそう言った。
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