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王都軍が撤退し、辺境の地には再び静けさが戻った。
クロエは、治療を終えた兵士たちを見回しながら深く息をつく。彼女の癒しの力はすでに限界に近かったが、それでも皆の命を救えたことに安堵していた。
「聖女様……ありがとうございます……」
「本当に、助かりました……」
傷ついた兵士たちが感謝の言葉を口にするたびに、クロエの胸は温かくなった。
(王都では必要とされなかった私の力が、ここでは誰かのためになっている……)
それが、何よりも嬉しかった。
しかし――
「……クロエ」
低く、けれど確かに優しい声が響いた。
振り向くと、そこにはゼノスがいた。
「ゼノス様……!」
彼の鎧には敵の血が飛び散っていたが、大きな傷はないようだった。
だが、クロエは思わず駆け寄る。
「お怪我は……?」
「大したことはない」
ゼノスはそう言ったが、クロエの手が彼の腕に触れた瞬間、小さく息をのむ音が聞こえた。
「痛いのではありませんか……!」
「……」
ゼノスは何も言わなかったが、クロエにはわかる。
彼は常に冷静で、決して弱みを見せない。だが、それでも彼は人間だ。痛みを感じないわけではない。
クロエは優しく微笑み、彼の手をそっと握った。
「癒しますね」
「いや、俺のことはいい。お前の力は、すでに多くを癒している。これ以上無理をすれば、お前の身体が――」
「ゼノス様」
クロエは静かに彼の名前を呼び、まっすぐに見つめた。
「私があなたを癒したいのです」
ゼノスはわずかに目を見開いた。
そして、ゆっくりと息をつき、観念したようにクロエに身を任せた。
「……好きにしろ」
クロエは微笑みながら、彼の腕にそっと手をかざす。
癒しの力が淡い光となり、ゼノスの傷を包み込む。
「……どうでしょう?」
ゼノスは腕を軽く動かし、痛みが消えたことを確かめると、満足そうに頷いた。
「さすがだな」
「それはどうも」
クロエは冗談めかして微笑む。
ゼノスはふっと笑い、小さく首を振った。
「……やはりお前は、俺のものだ」
「え?」
不意に手を引かれ、クロエはゼノスの胸に引き寄せられた。
「ゼノス様……?」
彼の腕が、彼女の腰に回される。
「俺の元を離れるな」
「……」
ゼノスの言葉は、まるで誓いのようだった。
クロエはそっと目を閉じ、彼の胸に顔をうずめる。
「……はい」
この人の傍にいられるなら、それだけでいい。
彼女はもう、捨てられた聖女ではない。
辺境の地で愛され、必要とされる存在になったのだから。
◇
それからしばらくの間、王都からの干渉はなかった。
ラインハルト王子が敗れたことで、王都はゼノスの力を警戒し、迂闊に手を出せなくなったのだろう。
クロエはゼノスの領地で穏やかに過ごしながら、人々を癒す日々を送っていた。
そんなある日――
「クロエ様!」
慌てた様子の侍女が駆け込んできた。
「どうしました?」
「王都から使者が……!」
クロエの表情が固くなる。
(また……?)
ゼノスのもとに向かうと、そこには一人の使者がひざまずいていた。
「ゼノス・ルヴェイン公爵、クロエ・エヴァンス様。陛下よりの伝言をお伝えします」
ゼノスは興味なさそうに腕を組み、使者を睨む。
「今度は何だ?」
「……陛下は、クロエ様を正式に聖女として復帰させたいと」
クロエは驚き、ゼノスは嘲笑した。
「追放した女を、今さら聖女に戻すと?」
「は、はい……」
「ふざけるな」
ゼノスの冷たい声が響く。
「王都はクロエを捨てた。必要ないと切り捨てた。今さら何のつもりだ」
「で、ですが……!」
ゼノスはゆっくりと立ち上がり、使者を見下ろした。
「答えは決まっている」
「ゼノス様……」
クロエは彼の手をそっと握る。
彼は、変わらず強く、そして彼女を守ろうとしてくれている。
だが、クロエはふと考えた。
(もし……私が王都に戻れば、ゼノス様の領地が狙われることはなくなる……?)
だが、その考えをゼノスはすぐに見透かした。
「バカなことを考えるな」
「え?」
「お前が王都に戻るなど、俺が許すと思うか?」
彼の瞳は真剣だった。
「……ゼノス様」
「俺の傍にいろ」
クロエは、ふっと笑った。
「……はい」
彼の言葉を疑う理由なんて、もうどこにもなかった。
クロエは王都に戻ることはない。
彼女の居場所は、もうここにあるのだから。
使者はしばらく沈黙した後、震える声で言った。
「……それでは、このことを王に報告いたします……」
使者が去った後、ゼノスは小さく息をついた。
「……まったく、しつこい連中だ」
クロエはクスリと笑い、ゼノスの袖をそっと引いた。
「ゼノス様」
「なんだ?」
「……これからもずっと、あなたの傍にいさせてくださいね」
ゼノスは目を細め、クロエの髪を優しく撫でた。
「お前は、俺のものだ」
その言葉に、クロエは微笑んだ。
もう、迷うことはない。彼女の幸せは、ゼノスの傍にある。
辺境の地で生きる彼女の未来は、これからも温かな光に包まれていくのだった。
クロエは、治療を終えた兵士たちを見回しながら深く息をつく。彼女の癒しの力はすでに限界に近かったが、それでも皆の命を救えたことに安堵していた。
「聖女様……ありがとうございます……」
「本当に、助かりました……」
傷ついた兵士たちが感謝の言葉を口にするたびに、クロエの胸は温かくなった。
(王都では必要とされなかった私の力が、ここでは誰かのためになっている……)
それが、何よりも嬉しかった。
しかし――
「……クロエ」
低く、けれど確かに優しい声が響いた。
振り向くと、そこにはゼノスがいた。
「ゼノス様……!」
彼の鎧には敵の血が飛び散っていたが、大きな傷はないようだった。
だが、クロエは思わず駆け寄る。
「お怪我は……?」
「大したことはない」
ゼノスはそう言ったが、クロエの手が彼の腕に触れた瞬間、小さく息をのむ音が聞こえた。
「痛いのではありませんか……!」
「……」
ゼノスは何も言わなかったが、クロエにはわかる。
彼は常に冷静で、決して弱みを見せない。だが、それでも彼は人間だ。痛みを感じないわけではない。
クロエは優しく微笑み、彼の手をそっと握った。
「癒しますね」
「いや、俺のことはいい。お前の力は、すでに多くを癒している。これ以上無理をすれば、お前の身体が――」
「ゼノス様」
クロエは静かに彼の名前を呼び、まっすぐに見つめた。
「私があなたを癒したいのです」
ゼノスはわずかに目を見開いた。
そして、ゆっくりと息をつき、観念したようにクロエに身を任せた。
「……好きにしろ」
クロエは微笑みながら、彼の腕にそっと手をかざす。
癒しの力が淡い光となり、ゼノスの傷を包み込む。
「……どうでしょう?」
ゼノスは腕を軽く動かし、痛みが消えたことを確かめると、満足そうに頷いた。
「さすがだな」
「それはどうも」
クロエは冗談めかして微笑む。
ゼノスはふっと笑い、小さく首を振った。
「……やはりお前は、俺のものだ」
「え?」
不意に手を引かれ、クロエはゼノスの胸に引き寄せられた。
「ゼノス様……?」
彼の腕が、彼女の腰に回される。
「俺の元を離れるな」
「……」
ゼノスの言葉は、まるで誓いのようだった。
クロエはそっと目を閉じ、彼の胸に顔をうずめる。
「……はい」
この人の傍にいられるなら、それだけでいい。
彼女はもう、捨てられた聖女ではない。
辺境の地で愛され、必要とされる存在になったのだから。
◇
それからしばらくの間、王都からの干渉はなかった。
ラインハルト王子が敗れたことで、王都はゼノスの力を警戒し、迂闊に手を出せなくなったのだろう。
クロエはゼノスの領地で穏やかに過ごしながら、人々を癒す日々を送っていた。
そんなある日――
「クロエ様!」
慌てた様子の侍女が駆け込んできた。
「どうしました?」
「王都から使者が……!」
クロエの表情が固くなる。
(また……?)
ゼノスのもとに向かうと、そこには一人の使者がひざまずいていた。
「ゼノス・ルヴェイン公爵、クロエ・エヴァンス様。陛下よりの伝言をお伝えします」
ゼノスは興味なさそうに腕を組み、使者を睨む。
「今度は何だ?」
「……陛下は、クロエ様を正式に聖女として復帰させたいと」
クロエは驚き、ゼノスは嘲笑した。
「追放した女を、今さら聖女に戻すと?」
「は、はい……」
「ふざけるな」
ゼノスの冷たい声が響く。
「王都はクロエを捨てた。必要ないと切り捨てた。今さら何のつもりだ」
「で、ですが……!」
ゼノスはゆっくりと立ち上がり、使者を見下ろした。
「答えは決まっている」
「ゼノス様……」
クロエは彼の手をそっと握る。
彼は、変わらず強く、そして彼女を守ろうとしてくれている。
だが、クロエはふと考えた。
(もし……私が王都に戻れば、ゼノス様の領地が狙われることはなくなる……?)
だが、その考えをゼノスはすぐに見透かした。
「バカなことを考えるな」
「え?」
「お前が王都に戻るなど、俺が許すと思うか?」
彼の瞳は真剣だった。
「……ゼノス様」
「俺の傍にいろ」
クロエは、ふっと笑った。
「……はい」
彼の言葉を疑う理由なんて、もうどこにもなかった。
クロエは王都に戻ることはない。
彼女の居場所は、もうここにあるのだから。
使者はしばらく沈黙した後、震える声で言った。
「……それでは、このことを王に報告いたします……」
使者が去った後、ゼノスは小さく息をついた。
「……まったく、しつこい連中だ」
クロエはクスリと笑い、ゼノスの袖をそっと引いた。
「ゼノス様」
「なんだ?」
「……これからもずっと、あなたの傍にいさせてくださいね」
ゼノスは目を細め、クロエの髪を優しく撫でた。
「お前は、俺のものだ」
その言葉に、クロエは微笑んだ。
もう、迷うことはない。彼女の幸せは、ゼノスの傍にある。
辺境の地で生きる彼女の未来は、これからも温かな光に包まれていくのだった。
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