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041.夜帰り
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「ただいまぁ…………」
キィィィ…………。
音を立てないようゆっくりゆっくり扉を開けていく。
小さく、言ったかどうかもわからないほど微かな声で伺うように向こう側を覗き込むと、一寸先は暗闇だった
右も左も前もわからないほどの暗闇。扉を開くにつれて廊下から伸びる光が徐々に室内を照らしていき、部屋の先数メートルを僅かながら照らしてく。
見覚えのある景色たち。朝と変わらぬ光景に安堵感を覚えながら入る光が奥まで到達吸える前に、滑り込むように身体を入れて大急ぎで扉を閉める。
再び訪れるは眼の前すらわからない暗闇。
今度は漏れ入る光すら無く何も見えない状態。360度闇に覆われた部屋で俺はさっき見た記憶を頼りに一歩一歩慎重に奥まで進んでいく。
あれから――――
パーティーのために訪れた隣国、アスカリッド王国を発って数時間。日付が変わる前になんとか無事に我が家へと帰還を果たした。
まさにちょっとした遠出。日帰り旅行。そんな印象の小旅行を終えて家に入ると、夜遅いというのにお父さんもお母さんも部屋の火を灯して待っていてくれていた。
そこで夕食を食べて暖かなお風呂に入った今。ようやく俺は一日を終わらせる寝室へとたどり着いた。
真っ直ぐ歩いていけば到達するベッド。さっきの漏れ入る光で障害物などはないことを把握済み。あとは余計なミスをしないよう慎重を期しながら、既に眠っているであろうシエルを起こさないよう進んでいた。
ふと、忍者の如くゆっくり歩いていると脚がなにか硬いものに触れる感触がした。
それこそ目的地であるベッド。そのフレーム。
ようやく目も慣れて来たところで様子を伺うと、誰かが潜り込んでいるようにこんもりとした山が出来上がっていることに気がついた。
シエルが既に眠っているのだろう。彼女の気配を認識しフッと肩の力を抜きながら足元から側面まで移動する。
「………………」
ベッドの側面にたどり着くと、ようやくシエルの様子もわかるようになってきた。
いつも通りベッドの右半分どころか3分の1程度程度を使って横向きで寝ている彼女は、穏やかな寝息を立てていた。
ようやく彼女の顔を見たことで帰ってきた実感を得ていると、ふと触れたサイドテーブルに覚えのない感触が指先を触れた。
「これは……」
そっと拾い上げてみると鉢巻よりも短いアクセサリー。両端には金具がついていてほんの少し温もりが残っている。
どうやら今朝シエルに渡したチョーカーみたいだ。手元に置いてくれているとは、大事にしてくれているみたいで贈った俺としても嬉しく思う。
「んん……」
拾い上げたチョーカーをテーブルに戻すと、眼の前の少女からそんな唸り声が上がった。
しまったと思い様子を伺うと、その端正な目がゆっくりと開いていく。
「ん……帰られたんですね。ご主人さま」
「ごめん、おこしちゃった?」
「起きていようと頑張っていたんですがいつの間にか眠ってしまってました。お帰りに合わせて起きることができて良かったです」
そう言って眠たい目を擦りながらゆっくりと身体を起こすシエル。
どうやら起きて待とうとしていてくれたらしい。さっきのチョーカーの温もりから眠ってしまってからさほど経っていないだろう。
そこまで待たせてしまったことに申し訳なく思いつつベッドに潜り込んでいく。
「待っててくれてありがと。でもいつ帰ってくるかわからなかったんだし寝てもよかったのに」
「いえ、ここはご主人さま専属メイドとして『おかえりなさい』と言いたかったので。……随分格好悪くなっちゃいましたけど。えへへ」
そう言って笑いかける彼女の目はもうすっかり起きたようで眠気を感じさせないものだった。
ベッドのフレームに身体を預けると彼女もまた肩を並べるようにピッタリくっついてくる。
「どうでした?パーティーは楽しかったですか?」
「楽しかったと言うより、ドタバタだったかな?食事も全然できなかったし」
「ふふっ。ご主人さまらしいですね。でもお貴族様のパーティーってそんなものですよ」
そんなものなのか。
部屋に届く光は月明かりのみ。その明かりに照らされて笑うシエルは大人びて見える。
なんだか精神15年生きた俺よりも手慣れたような、そんな積み重ねの片鱗が見えた気がした。
「シエルは今日一日どうだった? 何して過ごしてたの?」
「今日私は一日読書をして過ごしてました。あとは課題の見直しをしたりお洋服を本格的に洗ったり……休日なりに色々しましたけど、やっぱりご主人さまと一緒に居たかったです」
「…………ごめんね」
コテンと、俺が謝ると同時に彼女は頭を肩に乗せてくる。
今日はシエルの誕生日だった。それがエクレールの件で彼女一人過ごすことに。寂しかっただろう。
「いえ、いいんです。 仕方がなかったことですし、ご主人さまだって埋め合わせしてくれるって言ってくれましたから」
「でも何か埋め合わせを……。またメイド長に掛け合って休みを取ってもらうよう――――」
誕生日という大切な日。それを1人孤独で過ごしてしまったのならすぐに埋め合わせしなければならない。そう思って顔を上げたところで俺の言葉は途中で言葉を失ってしまった。
口元に添えられた細い指。シエルは俺の言葉を遮るように指を唇にチョンとひっつけてくる。
「お心遣いありがとうございます。でしたらご主人さま、今の時刻を教えてもらえませんか?」
「今……?11時過ぎたところ?」
突然の笑顔の問いに戸惑いながらもチラリと時計を見ればハッキリとした時刻が目に入る。
時計は蓄光式。真っ暗闇の中でも時間の確認くらいは問題ない。
あと1時間もすれば日付も変わるころだろう。それが一体どうしたのか。
「でしたら、まだ私の誕生日は残ってますよね。ご主人さまとして、ご主人さまに一つ……いえ、二つ命令をしたいのですが、いいですか?」
「…………!」
そういうことか。
彼女の言葉にようやく得心がいった。
誕生日は一日シエルの従者になること。それが俺からのプレゼントだった。
そしてまだ日付変更には1時間弱残っている。まだ俺の執事は続行ということだろう。
上目遣い気味に問いかける彼女に自らの胸を叩き、何でも来いとウインクして見せる。
「もちろん。なんでも仰ってくださいシエルお嬢様」
「ありがとうございます。――――では、私にキスしてくれませんか?」
「――――へ?」
――――言葉を失ってしまった。
意気揚々と身体を捻って彼女と向き合ったはいいが、小さな口から飛び出た言葉は耳を疑うものだった。
思わず脳がフリーズして問い返すと、彼女は「あぁ」と思い出したように言葉を更に続けていく。
「キスと言ってもこちらにです。頬に構いませんか?」
「頬……それなら………」
ンっと……。
早速心待ちにするかのように彼女は目をつむり横を向く。
俺がキスしやすいように、頬を正面に捉えられるように。
いつも以上に大人びて見えるシエル。その姿は7つと思えないほどだった。
差し出される何の傷もシミもない綺麗な頬。そんな白い頬を前にして俺は思わず息を呑む。
「ご主人さま……まだですか?」
「あ、あぁ! 今!」
ゴクリと。催促する声に喉を鳴らしてゆっくり顔を近づけてく。
そっと唇に感じる彼女の頬の感触。柔らかくもちもちで、いつまでも触っていられる頬にキスを落とす。
「……ありがとうございます。ご主人さま」
「いえ…………。それで、次の命令って…………」
何も疲れてないのに出てしまう息切れ。しかし一方で彼女はかなり満足げだ。
一つ目でこの命令……。二つ目はどうなるというのだ。
「はい。二回目は私と一緒に寝てください」
「寝る?いつもやってるように?」
ゴクリと息を呑んで待ち構えた二つ目。それは逆の意味で思いもよらぬものだった。
溜めも一切なく出した次の要望は寝ること。しかし一緒に寝るだなんて毎日このベッドでともにしている。
シエルが俺に抱きついてくるおまけ付きなのに。なぜわざわざ改まって命令にしたのだろう。
「もちろんただ寝るのではなく、私をギュッと抱きしめて眠らせてくれませんか?」
「それも……いつもやってない?」
「いつもは私からでしたが、今日はご主人さまから抱きしめてほしいのです。……嫌ですか?」
「いやなわけ……」
嫌なわけあるものか。
けれどその程度のお願いで安堵する。年齢制限付く系だったらどうしようかと。
案外簡単なお願いに安堵していると、彼女は潜り込むように身体を滑らせ『早く』とせがむように視線でこちらを見つめてくる。
「えと、こんな感じ?」
「そんな感じです。でももうちょっと強く」
「こう……?」
「……はい。ありがとうございます」
再びシエルと共に横になった俺は、彼女の首下から片腕を、そして脇下あたりを通るようにもう片腕を伸ばして彼女をそっと抱きしめる。
シエルもまた俺の背中に手を添えて互いに抱きしめ合うような体勢に。そういえば俺から抱きしめて寝ることってなかったな……。
「ありがとうございます。命令を聞いてくれて。私はこれだけで、最高の誕生日に…………」
「……? シエル? ……もう寝ちゃった?」
強く抱きしめたまま彼女の言葉を待つも、それが最後まで続くことはない。
どうやら眠気が限界に達して眠ってしまったようだ。無理もない。ずっと横になって俺を待っていたらそうもなるだろう。
「お休み。シエル。 いい夢を」
同時に限界になっていた俺も強く抱きしめるような体勢で目を瞑る。
そして翌朝、またも寝坊した俺たちを母さんが見て、何も言わずに笑みだけを残して去っていくのであった。
―――――――――――――――――
―――――――――――
―――――――
後日。
「なんだこの袋」
それは何処かからの郵便だった。送り主のない、謎の袋。
アスカリッド王国のパーティーから帰って数日後の朝。突然家に届いたのは大人の掌大ほどある袋だった。
隣国で出たという『漂流者』についての噂。
結局エクレールに引っ張られるがままに帰ってきた日帰り弾丸パーティーだったものだから聞くどころじゃなくなってしまった。
せっかくのチャンスを不意にして、さてどうしたものかと一日の朝を迎えると、早々にシエルから小包を渡された。
日本で当てはまるのといえば500ミリ缶サイズの不思議な物体。
それは地味に大きく、振ってみるとガチャガチャと音が鳴る。硬い粒が何個も詰まったような食感は、まるで小さな小さな砂袋のよう。
「ご主人さま、一緒に手紙も届いてましたよ」
「ありがと。どれどれ……」
手渡してくれたのは普段のメイド服に身を包んだシエル。
俺に宛てられた謎の荷物。どうやら届いたのはこれだけじゃなく手紙もあるようだ。
よく見れば袋と手紙の柄が同じ。これはどう考えても同じ送り主だろう。俺は迷うことなく封を切り手紙を広げる。
「こ……これは…………!!」
「? ご主人さま、なんて書いてあったのです?」
思わず、記載されていたまさかの内容に声を発してしまった。
それは一瞬で何者からかわかる手紙。全く無警戒で開けてしまった手紙。更に不用心なことに、俺の驚く様子を疑問に思った彼女も覗き込むように手紙を見る。――――いや、”見てしまった”。
『あの時気になってたコーヒー豆、あげる。気に入ったら言ってね。あなたにならいくらでも送ってあげるわ。
P.S.
婚約者になりたいのならいつでも大歓迎よ』
間違いない。コレはラシェル王女からだ。
気になっていたコーヒーなんて心当たりはあの時しか無い。しかもご丁寧に最後はハートマークも添えてある。
「…………ふぅん。ご主人さま、また女の子を引っ掛けてきたんですね」
「シエル!これは……!」
俺の横で手紙を目にしたシエルは一段と声が低くなり、目が普段の半分になってしまっていた。
これはマズイ。いくら人の機敏に疎い俺でも即座に察する事ができた。
目が据わって完全にお冠モード。どうにか説明しなければ……誤解が加速する……!
爆発する前にどうにかして鎮めなければ……!
「え~っと……え~っと……そうだ! シエルも一緒にコレでカフェオレ作ろう!シロップいっぱい入れてさ!きっと美味しいよ!」
「知りません!一人で作っててください!」
必死で選び抜いた返答は完全に地雷を踏み抜いたものだった。
フンッ!と鼻を鳴らして俺を置いて一人去って行くその姿は、さながら夫婦喧嘩して実家に帰る妻のよう。
「シ……シエルーーー!」
部屋を出ていく彼女を呼び止めようと、屋敷中に響き渡るほどの声で名を呼ぶ俺。
その必死の姿は、今日一日父母から笑い種にされるのであった
キィィィ…………。
音を立てないようゆっくりゆっくり扉を開けていく。
小さく、言ったかどうかもわからないほど微かな声で伺うように向こう側を覗き込むと、一寸先は暗闇だった
右も左も前もわからないほどの暗闇。扉を開くにつれて廊下から伸びる光が徐々に室内を照らしていき、部屋の先数メートルを僅かながら照らしてく。
見覚えのある景色たち。朝と変わらぬ光景に安堵感を覚えながら入る光が奥まで到達吸える前に、滑り込むように身体を入れて大急ぎで扉を閉める。
再び訪れるは眼の前すらわからない暗闇。
今度は漏れ入る光すら無く何も見えない状態。360度闇に覆われた部屋で俺はさっき見た記憶を頼りに一歩一歩慎重に奥まで進んでいく。
あれから――――
パーティーのために訪れた隣国、アスカリッド王国を発って数時間。日付が変わる前になんとか無事に我が家へと帰還を果たした。
まさにちょっとした遠出。日帰り旅行。そんな印象の小旅行を終えて家に入ると、夜遅いというのにお父さんもお母さんも部屋の火を灯して待っていてくれていた。
そこで夕食を食べて暖かなお風呂に入った今。ようやく俺は一日を終わらせる寝室へとたどり着いた。
真っ直ぐ歩いていけば到達するベッド。さっきの漏れ入る光で障害物などはないことを把握済み。あとは余計なミスをしないよう慎重を期しながら、既に眠っているであろうシエルを起こさないよう進んでいた。
ふと、忍者の如くゆっくり歩いていると脚がなにか硬いものに触れる感触がした。
それこそ目的地であるベッド。そのフレーム。
ようやく目も慣れて来たところで様子を伺うと、誰かが潜り込んでいるようにこんもりとした山が出来上がっていることに気がついた。
シエルが既に眠っているのだろう。彼女の気配を認識しフッと肩の力を抜きながら足元から側面まで移動する。
「………………」
ベッドの側面にたどり着くと、ようやくシエルの様子もわかるようになってきた。
いつも通りベッドの右半分どころか3分の1程度程度を使って横向きで寝ている彼女は、穏やかな寝息を立てていた。
ようやく彼女の顔を見たことで帰ってきた実感を得ていると、ふと触れたサイドテーブルに覚えのない感触が指先を触れた。
「これは……」
そっと拾い上げてみると鉢巻よりも短いアクセサリー。両端には金具がついていてほんの少し温もりが残っている。
どうやら今朝シエルに渡したチョーカーみたいだ。手元に置いてくれているとは、大事にしてくれているみたいで贈った俺としても嬉しく思う。
「んん……」
拾い上げたチョーカーをテーブルに戻すと、眼の前の少女からそんな唸り声が上がった。
しまったと思い様子を伺うと、その端正な目がゆっくりと開いていく。
「ん……帰られたんですね。ご主人さま」
「ごめん、おこしちゃった?」
「起きていようと頑張っていたんですがいつの間にか眠ってしまってました。お帰りに合わせて起きることができて良かったです」
そう言って眠たい目を擦りながらゆっくりと身体を起こすシエル。
どうやら起きて待とうとしていてくれたらしい。さっきのチョーカーの温もりから眠ってしまってからさほど経っていないだろう。
そこまで待たせてしまったことに申し訳なく思いつつベッドに潜り込んでいく。
「待っててくれてありがと。でもいつ帰ってくるかわからなかったんだし寝てもよかったのに」
「いえ、ここはご主人さま専属メイドとして『おかえりなさい』と言いたかったので。……随分格好悪くなっちゃいましたけど。えへへ」
そう言って笑いかける彼女の目はもうすっかり起きたようで眠気を感じさせないものだった。
ベッドのフレームに身体を預けると彼女もまた肩を並べるようにピッタリくっついてくる。
「どうでした?パーティーは楽しかったですか?」
「楽しかったと言うより、ドタバタだったかな?食事も全然できなかったし」
「ふふっ。ご主人さまらしいですね。でもお貴族様のパーティーってそんなものですよ」
そんなものなのか。
部屋に届く光は月明かりのみ。その明かりに照らされて笑うシエルは大人びて見える。
なんだか精神15年生きた俺よりも手慣れたような、そんな積み重ねの片鱗が見えた気がした。
「シエルは今日一日どうだった? 何して過ごしてたの?」
「今日私は一日読書をして過ごしてました。あとは課題の見直しをしたりお洋服を本格的に洗ったり……休日なりに色々しましたけど、やっぱりご主人さまと一緒に居たかったです」
「…………ごめんね」
コテンと、俺が謝ると同時に彼女は頭を肩に乗せてくる。
今日はシエルの誕生日だった。それがエクレールの件で彼女一人過ごすことに。寂しかっただろう。
「いえ、いいんです。 仕方がなかったことですし、ご主人さまだって埋め合わせしてくれるって言ってくれましたから」
「でも何か埋め合わせを……。またメイド長に掛け合って休みを取ってもらうよう――――」
誕生日という大切な日。それを1人孤独で過ごしてしまったのならすぐに埋め合わせしなければならない。そう思って顔を上げたところで俺の言葉は途中で言葉を失ってしまった。
口元に添えられた細い指。シエルは俺の言葉を遮るように指を唇にチョンとひっつけてくる。
「お心遣いありがとうございます。でしたらご主人さま、今の時刻を教えてもらえませんか?」
「今……?11時過ぎたところ?」
突然の笑顔の問いに戸惑いながらもチラリと時計を見ればハッキリとした時刻が目に入る。
時計は蓄光式。真っ暗闇の中でも時間の確認くらいは問題ない。
あと1時間もすれば日付も変わるころだろう。それが一体どうしたのか。
「でしたら、まだ私の誕生日は残ってますよね。ご主人さまとして、ご主人さまに一つ……いえ、二つ命令をしたいのですが、いいですか?」
「…………!」
そういうことか。
彼女の言葉にようやく得心がいった。
誕生日は一日シエルの従者になること。それが俺からのプレゼントだった。
そしてまだ日付変更には1時間弱残っている。まだ俺の執事は続行ということだろう。
上目遣い気味に問いかける彼女に自らの胸を叩き、何でも来いとウインクして見せる。
「もちろん。なんでも仰ってくださいシエルお嬢様」
「ありがとうございます。――――では、私にキスしてくれませんか?」
「――――へ?」
――――言葉を失ってしまった。
意気揚々と身体を捻って彼女と向き合ったはいいが、小さな口から飛び出た言葉は耳を疑うものだった。
思わず脳がフリーズして問い返すと、彼女は「あぁ」と思い出したように言葉を更に続けていく。
「キスと言ってもこちらにです。頬に構いませんか?」
「頬……それなら………」
ンっと……。
早速心待ちにするかのように彼女は目をつむり横を向く。
俺がキスしやすいように、頬を正面に捉えられるように。
いつも以上に大人びて見えるシエル。その姿は7つと思えないほどだった。
差し出される何の傷もシミもない綺麗な頬。そんな白い頬を前にして俺は思わず息を呑む。
「ご主人さま……まだですか?」
「あ、あぁ! 今!」
ゴクリと。催促する声に喉を鳴らしてゆっくり顔を近づけてく。
そっと唇に感じる彼女の頬の感触。柔らかくもちもちで、いつまでも触っていられる頬にキスを落とす。
「……ありがとうございます。ご主人さま」
「いえ…………。それで、次の命令って…………」
何も疲れてないのに出てしまう息切れ。しかし一方で彼女はかなり満足げだ。
一つ目でこの命令……。二つ目はどうなるというのだ。
「はい。二回目は私と一緒に寝てください」
「寝る?いつもやってるように?」
ゴクリと息を呑んで待ち構えた二つ目。それは逆の意味で思いもよらぬものだった。
溜めも一切なく出した次の要望は寝ること。しかし一緒に寝るだなんて毎日このベッドでともにしている。
シエルが俺に抱きついてくるおまけ付きなのに。なぜわざわざ改まって命令にしたのだろう。
「もちろんただ寝るのではなく、私をギュッと抱きしめて眠らせてくれませんか?」
「それも……いつもやってない?」
「いつもは私からでしたが、今日はご主人さまから抱きしめてほしいのです。……嫌ですか?」
「いやなわけ……」
嫌なわけあるものか。
けれどその程度のお願いで安堵する。年齢制限付く系だったらどうしようかと。
案外簡単なお願いに安堵していると、彼女は潜り込むように身体を滑らせ『早く』とせがむように視線でこちらを見つめてくる。
「えと、こんな感じ?」
「そんな感じです。でももうちょっと強く」
「こう……?」
「……はい。ありがとうございます」
再びシエルと共に横になった俺は、彼女の首下から片腕を、そして脇下あたりを通るようにもう片腕を伸ばして彼女をそっと抱きしめる。
シエルもまた俺の背中に手を添えて互いに抱きしめ合うような体勢に。そういえば俺から抱きしめて寝ることってなかったな……。
「ありがとうございます。命令を聞いてくれて。私はこれだけで、最高の誕生日に…………」
「……? シエル? ……もう寝ちゃった?」
強く抱きしめたまま彼女の言葉を待つも、それが最後まで続くことはない。
どうやら眠気が限界に達して眠ってしまったようだ。無理もない。ずっと横になって俺を待っていたらそうもなるだろう。
「お休み。シエル。 いい夢を」
同時に限界になっていた俺も強く抱きしめるような体勢で目を瞑る。
そして翌朝、またも寝坊した俺たちを母さんが見て、何も言わずに笑みだけを残して去っていくのであった。
―――――――――――――――――
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後日。
「なんだこの袋」
それは何処かからの郵便だった。送り主のない、謎の袋。
アスカリッド王国のパーティーから帰って数日後の朝。突然家に届いたのは大人の掌大ほどある袋だった。
隣国で出たという『漂流者』についての噂。
結局エクレールに引っ張られるがままに帰ってきた日帰り弾丸パーティーだったものだから聞くどころじゃなくなってしまった。
せっかくのチャンスを不意にして、さてどうしたものかと一日の朝を迎えると、早々にシエルから小包を渡された。
日本で当てはまるのといえば500ミリ缶サイズの不思議な物体。
それは地味に大きく、振ってみるとガチャガチャと音が鳴る。硬い粒が何個も詰まったような食感は、まるで小さな小さな砂袋のよう。
「ご主人さま、一緒に手紙も届いてましたよ」
「ありがと。どれどれ……」
手渡してくれたのは普段のメイド服に身を包んだシエル。
俺に宛てられた謎の荷物。どうやら届いたのはこれだけじゃなく手紙もあるようだ。
よく見れば袋と手紙の柄が同じ。これはどう考えても同じ送り主だろう。俺は迷うことなく封を切り手紙を広げる。
「こ……これは…………!!」
「? ご主人さま、なんて書いてあったのです?」
思わず、記載されていたまさかの内容に声を発してしまった。
それは一瞬で何者からかわかる手紙。全く無警戒で開けてしまった手紙。更に不用心なことに、俺の驚く様子を疑問に思った彼女も覗き込むように手紙を見る。――――いや、”見てしまった”。
『あの時気になってたコーヒー豆、あげる。気に入ったら言ってね。あなたにならいくらでも送ってあげるわ。
P.S.
婚約者になりたいのならいつでも大歓迎よ』
間違いない。コレはラシェル王女からだ。
気になっていたコーヒーなんて心当たりはあの時しか無い。しかもご丁寧に最後はハートマークも添えてある。
「…………ふぅん。ご主人さま、また女の子を引っ掛けてきたんですね」
「シエル!これは……!」
俺の横で手紙を目にしたシエルは一段と声が低くなり、目が普段の半分になってしまっていた。
これはマズイ。いくら人の機敏に疎い俺でも即座に察する事ができた。
目が据わって完全にお冠モード。どうにか説明しなければ……誤解が加速する……!
爆発する前にどうにかして鎮めなければ……!
「え~っと……え~っと……そうだ! シエルも一緒にコレでカフェオレ作ろう!シロップいっぱい入れてさ!きっと美味しいよ!」
「知りません!一人で作っててください!」
必死で選び抜いた返答は完全に地雷を踏み抜いたものだった。
フンッ!と鼻を鳴らして俺を置いて一人去って行くその姿は、さながら夫婦喧嘩して実家に帰る妻のよう。
「シ……シエルーーー!」
部屋を出ていく彼女を呼び止めようと、屋敷中に響き渡るほどの声で名を呼ぶ俺。
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