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035.精一杯のワガママ

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「…………久しぶりに着たな。こういう服」

 鏡の前で自らの服を眺めながら小さく呟く。
 袖を通すのは子供用の燕尾服。真っ黒のパンツに真っ黒のジャケット。白のタイにポケットから出たチーフ。
 まさしく典型的な、大人でもそうそう着ることの無い召し物だ。

 これを最後に着たのはいつだっただろうか。
 前世のいつかという事は記憶に残っているが、まだ精神的に1年も経ってないのに随分の昔のことのよう。
 しかし世界は変わっても形式的な服装は同じなようで、神山の経験を活かしつつ着こなしに問題ないかを確認する。

「ご主人さま……着替え、終わりましたか?」

 最後のチェックを終えるとふと扉がノックされ、朝と同じ俺の服に身を包んだシエルが姿を表す。
 その様子はすっかり従者モードの戻っていて、朝食時のテンションの高さは鳴りを潜めてしまっていた。

「……えぇ、おかしなところもございません。お似合いですよ。ご主人さま」
「シエル……ゴメンな。せっかくの誕生日なのに」

 いつもどおりの冷静なシエル……いいや、それ以上にテンションの低い様子がありありと見て取れた。
 無理もない。せっかく誕生日が午前中で頓挫してしまったのだ。彼女も思うところはあるだろう。

「いえっ、エクレール様にも頭を下げられましたし……色々と事情があるようですから……仕方ないですよ」
「そう……だね」

 困り眉を作りながら無理やり笑顔を作り、『仕方ない』と受け入れる彼女にグッと下唇を噛む。
 確かに仕方ない。その通りなのだが……シエルも子供らしく、もっと素直に悔しがってもいいのにと。



 朝、突然家にやってきた王女様ことエクレール。
 彼女はここに来るやいなや真っ先に俺へパーティーの参加依頼を出してきた。
 当然最初は断ったがエクレールものっぴきならない事情があったらしい。

 今夜行われるパーティー。
 どうやらそれはエクレールにとっても寝耳に水の出来事だったらしい。
 事の始まりは昨晩遅く。突然やってきた隣国の王家から誘いの報。
 国対国の立場として面子もあって断ることもできず、向こうの王女から直々に指名されたエクレールも向かわざるを得なくなったとのこと。
 更に詳しいことは後ほどということらしいのだが、どうも婚約者が必要らしくダミーとして友人である俺が選ばれたらしい。



 そんなこんなで用意された服を押し付けられた俺はこうして執事服から燕尾服へクラスチェンジ。
 早くも身を整え終わった俺は自室のベッドへ腰を下ろすと彼女もピッタリと肩をくっつける形で隣に座ってきた。
 いつもなら少し離れるところだが、今回ばかりは何も言わずにそれを受け入れる。

「……ねぇ、ご主人さま」
「うん?」
「私も着いていったら、ダメですか?」
「エクレールも言ってたでしょ?今回は従者であっても招待制だって」
「…………」

 遊び然り学校然し。俺が行くところには基本的にシエルがついていく。それは春の街での騒動で一層顕著になった。
 もちろん俺としても身の回りのことをフォローしてくれてるから連れていきたいが、今回は行ったところで追い出されてしまうだけだろう。

 それに行くと決めた理由はもう一つある。
 以前レイコさんから聞いた『見知らぬ漂流者が出た』という噂。
 もしかしたらあの時出た隣国がこれから行く国かもしれない。日本につながる可能性。それは俺の自身の手で見つけたかった。

「………はい」

 長い長い沈黙の末の了承。
 街での事件を引きずっているのだろうか。普段は聞き分けの良い彼女だが、俺と離れることにはどうしても執着を見せることがしばしばある。

「大丈夫、ちょっと挨拶すれば帰っていいらしいから。長居せずに帰ってくるよ」
「そうだとしたら……嬉しいです」
「ボクはそれよりも知らない国で粗相をしないのが心配だけどね」

 冗談めかしてクスリと笑う。

 目下問題はそれである。
 国が変われば作法や常識変わるなんてザラにある話。この国のルールについては熟知した俺でも外国については網羅していない。粗相をしてエクレールの顔に泥を塗らないかが悩みどころだ。

「大丈夫ですよ。だってご主人さまはあのか――――」
「…………? あのか?」
「……いえ、なんでもありません。 ご主人さまなら、絶対大丈夫です」

 そう、笑みを向けてくれる彼女だがほんの少し困るかのように眉を潜めていた。
 少し体重をかけつつ寄りかかってくるシエルの肩をそっと抱くと、彼女もなにも言わずそれを受け入れる。これで少しは安心してくれるだろうか。

「……帰ってきたらさ」
「えっ?」
「帰ってきたら一緒に服を見に行こう」
「服、ですか?」

 彼女を抱き、天蓋を見上げながらこの先を思い浮かべる。
 せめて、今日は悔しさだけじゃなく楽しみの気持ちも持っていてほしいから。

「シエルの私服が全然数ないからさ。二人で服を見に行こう」
「服……。それはもしかしてデートのお誘いでしょうか?」
「そうだね。デートだ」

 きょとんとする彼女に俺は笑みを浮かべてみせる。
 ちょっとしたデートだ。二人で一張羅を着て街に出かけよう。

 だが自信満々に応えたはいいが彼女は無言のままで止まってしまい、微妙な空気が部屋に流れる。
 もしかして嫌だったろうか。それとも『死亡フラグ』みたいって笑われたりしないだろうか。

「駄目、かな?」
「……いえ、喜んでお供します」

 恐る恐る伺うと、シエルはクスリと笑って見せる。
 どうやら不安は杞憂だったみたいだ。俺はそんな彼女に小指を立ててみせる。

「これは……?」
「指切り。約束だよ。ほら、シエルも」
「約束……。はい。約束ですね」

 最初は何のことか分かっていなかったシエルだが、俺が促すと小さな指が伸びてきて絡ませてくれた。
 小さな約束。けれどデートの約束だ。フラグと言われようと絶対に帰らなければならない。

「ご主人さま、まだ……時間はありますよね?」
「そうだね。出発は午後イチって言ってたし」

 ふと、指をほどいたシエルがチラリと時計を見ながら問いかけた。

 今朝彼女はここに訪れたのは第一報。
 本格的な出発は午後入ってすぐ。つまりまだ3時間ほどある。

「でしたらまだ私の誕生日を……私がご主人さまって約束は、生きておりますか?」
「もちろん。なにかフォローしてほしいことでもあった?」

 たった3時間。されど3時間。
 今日できなかった分は後日やるとして、今はちょっとでもシエルが寂しい思いをしないようにするべきだろう。
 なんだろうか。宿題の答え合わせとか?もしくはお昼ごはん作れとか?それくらいなら全然やってあげられる。

「はい。 その……主人として命じます!ご主人さま……横になってください!」
「横に?」

 真っ赤な顔をして告げた命令はなんとも不思議なものだった。
 ベッドに座る俺達。ここで横になれということだろうか。

「ダメならいいんです……!ダメでしたら全然……」
「いいや、平気。もちろんいいよ」

 何故かと不思議に思いはしたが、彼女のことだ。何らかの狙いがあってのことだろう。
 それに今は俺が執事。従者として主人の命令には従わなければならない。

「こんな感じ?」
「いえっ、足もベッドに乗せて仰向けになって頂ければ……そう、そのような体勢です。それでは……えっと……失礼します!」
「へっ―――――シ、シエル?」

 言葉の通り脚を上げて普段寝るような体勢になる。

 ――――それからの彼女の行動は思い切ったものだった。
 ベッドに寝転がるよう仰向けになった俺。その上に覆いかぶさるような形でシエルは自らの身体を上から倒れ込ませた。
 ベッドとシエルのサンドイッチになるような形で抱きしめられた俺。背中には自らの行動に間違いはないのだというように手が回り込まれる。
 一緒に寝ている都合上抱きつかれることは時々あれど、こうして覚醒している時にされたのは初めてだった。彼女の思いもよらぬ行動に目を何度も瞬かせる。

「その……ご主人さまとして命じます。これからしばらく、ご主人さま分を補給させてください!」
「ご主人さま分……」

 耳元で告げられる彼女の顔は火が吹くほど真っ赤だった。
 ゆでダコのように恥ずかしさと緊張の入り交じるシエル。しかし背中に回された腕からは決して離すまいとする意思が感じられる。
 ギュウと強く強く、全力で抱きしめるのは彼女なりの精一杯のわがままだった。

「あぁ、もちろん。いくらでも」

 そんな彼女に応えるよう、そっと小さな背中に手を回した。
 彼女はきっと甘えたかったのだろう。まだ小さい、日本ならランドセルを買ってもらって両親に名一杯甘える年頃だ。それなのに何の因果かスラムに行き、カミング家に捕まって迎え入れられ、今こうして従者として働いている。
 同い年の兄として、主人として、小さなわがままに目一杯応えたかった。

「ありがとう、ございます」

 小さくて細い身体。身長は……少し伸びただろうか。もしかしたら追い抜かされているかも知れない。
 スッと首元のチョーカーを撫でる。今朝送った彼女へのプレゼント。一瞬だけ驚いたシエルもすぐに受け入れて首元を開けてくれる。

「ご主人さま……無事に帰ってきてくださいね」
「もちろん。護衛もつくし怪我一つなく返ってくるよ」
「……そういう意味じゃないのですが。"変なの"を付けて帰って来ないでくださいね?」
「変なの……?まぁ、うん。そりゃあ草原駆け巡るわけないけど……」

 変なのとは一体なんだろうと考える。
 付ける、と言ってきた時点で物理的なものは明白だ。しかし虫や植物くらいしか思い当たるものは出てこない。
 それとも付くではなく憑く。幽霊的な意味合いだったりするのだろうか。
 まさかシエルに霊感なんてものが備わっているのかと慄いていると、俺の頭の中を除いたかのように「むぅ」と唸り声が聞こえてくる。

「むぅ……ご主人さまはわかってないです」
「わかってないって、なんのこと?」
「全部です……全部…………。私のこと……だって…………」

 だんだんと。
 尻すぼみするようにシエルの言葉が弱くなっていき、言い切ることなく口が止まってしまった。

「……シエル?」
「すぅ……すぅ……」

 突然どうしたのかと様子を伺えば、その後聴こえてくるのは穏やかな寝息。
 どうもベッドの上で俺に抱きついたまま眠ってしまったようだ。しかし背中に回った腕はギュッと強く握られていて離れたくないとする気持ちが身体全体で伝わってくる。

 さてどうしよう。
 拘束したまま眠ったシエル。このまま俺も寝てしまおうか。
 そんな事を考えていると、ふと扉がノックされる音に気づく。

「スタンちゃ~ん! 着替え終わっ――――あら?」
「お母さん、ギリギリまで部屋に居させてもらえない?できるだけ一緒に居たいから」
「……えぇ。まだ出発には時間あるもの。王女様には言っておくからゆっくりしておきなさい」

 勢いよく扉を開けたのは母だった。
 俺の着替えを待ちきれなかったかのように開かれる扉。そしてベッドの様子を確認するやいなや全て察してくれたようで小声のままゆっくりと扉を閉めて去っていく。

 次第に俺も目を閉じて眠りの世界へと誘われる。
 その後目を覚ましたのは母の目覚ましの声。俺もシエルも、出発ギリギリに大慌てで起きるのであった。
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