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028.この世界に無いもの

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「うぅ……ひどい目にあった……」

 フラフラと暗くてジメジメした牢から抜け出した俺は、暖かな日差しが降り注ぐ庭へとたどり着いた。
 足は生まれたての子鹿のように震え、気を抜けば倒れてしまいそうなところをなんとか気合で支え歩いていく。

 壁や木を支えにして牢から屋敷へと。
 穏やかな風が吹く庭で俺は誰の助けも借りることも出来ず、自室に帰ろうと足を動かしていた。

 あれから……マティとシエルに牢へ拉致されてから暫く。
 俺は今までの間ずっと冷たい牢で二人の手にかかり、くすぐり地獄に遭っていた。
 いくら大声を出そうと助けなんて来るはずなく。ただただ伸びてくる二人の手に抵抗出来ず笑い転げていた。
 笑いすぎて足も手も動かなくなり痺れたカエルのようにピクンピクンとしている間に二人は屋敷に戻り、なんとか復活した俺が牢から出る頃には太陽は赤くなり、森の向こうへと隠れようとしていた。

 俺が拉致られてからエクレールはどうしたのだろう。
 おそらくもう帰っているだろう。笑い疲れて息も絶え絶えの中ようやく屋敷の扉前にたどり着くと、ふと何者か影が経っていることに気づく。

「お疲れさまでした」
「あなたは……」

 一体誰が来てくれたのだろう。
 逆光で目を細め眼の前の人物が認識できない。
 シエルかマティか、もしくはエクレールか。
 しかし逆光の中でもその誰でもないということはすぐに理解できた。どう見ても背の高さが違う。ならば母かメイド長あたりかと雲に隠れて開けた視界に顔を上げると、思わぬ人物に目を丸くしてしまう。

「レイコ……さん」
「くすぐり地獄、お疲れさまでした。お水ご用意しておりますよ」

 両の踵を合わせながら背筋を伸ばし、ねぎらいの言葉を送るのはスーツを着こなすエクレールの従者、レイコさんだった。
 彼女は無表情で凛とした雰囲気を醸し出しながら1杯のコップをこちらに差し出してくる。

「ありがとうございます。ここまで気が利くのは……シエルからですか?」
「さすがはご主人さまですね。只今シエル様はエクレール様に捕まって婚約者発言の真意を聞いております。なので代わりに渡しておいてほしいと」

 謎に怒っていたシエルだったが、なんだかんだ気にかけてくれているみたいでホッとする。
 思い出されるのは連行前に最後の舌を出した姿。仕返しのつもりだったのだろう。これで誤解も解けそうだとホッとして小さな口をコップにつける。

「――――ちなみに、そのお水を命名しますと"カミング家自慢の冷却水~タバスコマシマシ~"となっております」
「ブゥゥゥ!!!」

 吹いた
 容赦なく吹いてしまった。
 むしろレイコさんではなく庭の草花に向けて吹いた事を褒められるべきだろう。
 勢いよく吹き出したそれは雲から抜けた夕日に照らされて綺麗に輝いている。

「タバスコ!?うそっ!?なんでっ!?辛っ!!」

 飲み込む前で助かった。
 口に含んだものを全て吐き出し残り6割ほどのコップを目線まで上げるも、夕日のせいで赤みの度合いがわからない。一体どれだけ入れたんだ。

「…………まぁ、ウソなんですけど」
「ウソなんかいっ!!」

 どうも辛いと思ったのはブラシーボ効果思い込みだったみたいだ。
 一安心するとともにこの世界に来て一番の全力ツッコミをかます。

「大丈夫です。ちゃんと口にしても安全な安全なイソジンを入れてますので」
「えっ………」
「もちろん、ウソですけどね」
「…………」

 ゾッとした。
 もはやそれは薬だ。そんな物入れられてたら飲み物としての役割でなくなってしまう。
 けれどもそちらもウソということで俺の肩は一気に脱力する。

「何なんですか、全くもう……」
「ちょっとした王族ジョークですよ。本当は普通のお水です」
「……本当ですよね」
「何なら先に試飲いたしましょうか?」
「いえ……」

 そこまで言うのならば本当に何も余計なものを入れていないただの水なのだろう。
 恐る恐る、残った水をペットボトルのキャップ程度の量を口に含んだ。

 ――――何も無い、無味無臭だ。
 結局何も細工されていない水だと確かめて残りを一気に流し込む。

「……本当にただの水なんですね」
「何か入っていると思ってましたか?」
「いえ、本当にタバスコとかが入ってて辛いないし苦いかと」

 驚くほどの普通の水だった。
 逆にあの流れでもう一回ドンデン返しかと思っていたから拍子抜け感もなくはない。
 カラになったコップを眺めていると、ふとレイコさんの手が伸びてきて促されるままにそれを渡す。

「ありがとうございます」
「いえ、こちらこそお水ありがとうございます。それで、わざわざボクを出迎えなんてどうしたんですか?」
「……少し、二人でお話をと思いまして」

 彼女の色の違う目が俺を見下ろす。
 無表情……いや、この場合は鉄面皮が正しいのかもしれない。
 そこにさっきまでエクレールと話していたときのような笑顔はない。ただ真っ直ぐ見定めるように俺を見ている。

「お話?ここで?」
「はい。先日は本当にお疲れさまでした。誘拐されたなか自力で脱出とは、報告を聞いて耳を疑いました」

 ポンポンと、先に腰を下ろした玄関ポーチにあたる庇の下へ俺を誘導した彼女はそう語り始めた。

 続くように俺も隣に座りながら、あの時のを思い出す。
 そういえばあの事件の日、彼女が解決に動いてくれたんだなと。

「たまたまですよ。マティがいてくれたお陰です。彼女も頑張ってくれました」
「お二人ともですよ。……そこで実際に担当した私をして一つ解けない謎がありまして」
「謎、ですか」

 「えぇ」と言うように空を見上げ、スーツの内ポケットからジャラリとしたあるものを取り出した。

「それは……!」
「安心してください。レプリカです」

 取り出したそれは憎きロザリオだった。
 あの日見たものと全く同じもの。しかしエクレールがケースに入れているはずなのに何故。
 そう思ったのもつかの間、すぐに回答が示されて俺の浮きかけた腰は再び降ろされる。

「なんでレプリカなんかを?」
「各所へ注意喚起や報告のために。万が一同じ魔道具があって街で拾う者が出てきたら大変でしょう?」

 確かに。
 彼女の説明は理にかなっていた。
 もし同じものがあってそれを拾えば先日と同じことが起こる。その時は無事解決できるとも限らない。
 チェーンに垂らしながら眺める彼女の目はどことなく説明時の苦労を表しているのか遠い目をしている。

「それと謎にどう関係が?」
「このロザリオ……本物の魔道具を以前調査したのですが、どうやら発動したときに触れていた者の魔力を根こそぎ奪うものらしく――――」
「もしかして"祝福ギフト"だと疑っているんです?」
「……流石です。話が早くて助かります」

 やはりか。
 先回りして問いかけた俺に彼女の口角は僅かばかりに上がった。
 彼女は前にメイド長から聞いたことと同じ結論に至ったのだろう。しかし俺の答えは決まっている。

「そんなものありませんよ。ボクの両親を知っているでしょう?」
「勿論です。お二人とも優秀な方ですから。ご両親を調べさせていただきましたがスタン様に"祝福"は発現しえません」

 肩を竦める俺に彼女は肯定しつつ再び無表情で俺を見つめる。
 見つめる……いや、その瞳は値踏みしているように思えた。

「でしょう?多分祝福とか関係なく、上手いこと魔道具が作動しなかったんじゃないですか?それとも、もしかしたらちょっとだけ人より耐性があるとか――――」
「ですが、王族以外にも"祝福"を発現する例がございます」

 俺の言葉を遮るように答えたのはさらなる選択肢だった。
 その目には確信めいたものが浮かんでいる。

「王族以外に……」
「祝福持ち。それは"日本から来た者"に総じて与えられるもの。ご存知ですよね?」
「……えぇ」

 魔王を討つ為に与えられた力。同種かどうかは確信がなかったがやはり同じもののようだ。
 小さく首を傾げる彼女に、努めて平静を保ちつつ言葉少なく首肯する。

「それがなにか?ボクは"スタン"ですよ?」
「以前、馬車から飛び出した事故でスタン様は人が変わったようだと伝え聞いております」
「………………」

 ダラダラと背中に嫌な汗が流れ出る。
 その言葉が何を意味しているのか、未だに察せないほど馬鹿ではなかった。
 まるで詰将棋のよう。グッと唇を噛む俺に彼女は淡々と無表情で俺に言葉を重ねていく。

「これ、何が入っておりましたか?」
「……水」
「そのとおりです」

 唐突に彼女が掲げたのはさっき俺が手にしていたコップ。
 もうすっかりカラになったそれを夕日に当てて地面に光を落とす。

「その時、冗談で私はあるものを入れたと言いました。覚えてますか?」
「タバスコと……イソジン………」
「その通りです。そしてこの世界にはタバスコもイソジンもございません」
「――――」

 ――――詰み、だった。
 この世界には日本から持ち込まれたものが大量にある。その中で"無いもの"を探り当てるのは非常に困難だった。

 まさかあげつらえた冗談がブラフだったとは。
 彼女の確信めいた言葉により俺は立ち上がって距離を取る。
 それでも彼女は捕まえる自信があるのか座ったまま動こうとしない。

「最後の質問です。スタン様は――――日本からいらっしゃいましたね?」
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