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006.朝のルーティーン
しおりを挟む神山 慶一郎……もとい、スタン・カミングの朝は早い。
日が昇ってしばらくしないうちに目を覚まし、着替え、早々に朝食をとり、辺りを軽く走る。
なんてことのない日常のルーティーン。それは神山家でもこの家でも変わることがなかった。
人によってはまだ寝ていたい。起きたところで時間に追われるほど慌ただしい時間となるが、俺はこの世界に来て朝が好きになった。
日常の一コマである何気ないルーティーン。それは向こうの世界でもこちらの世界でも変わらないもので、見知らぬ土地に飛ばされた不安感を和らげてくれる。
個人的に寝起きは良くないほうだったが、こちらに来てからは何故か気持ちよく起きることができていた。
早起きなほうだと自負している自分だが、それでも目を覚ました時には隣で眠っているシエルの姿はない。どうやら今日も早くから働いているようだ。
日が昇る前から活動しているシエルだが、俺の起床には敏感だ。彼女は起きたことに気づいたら一目散に駆け寄ってきて着替えの手伝いを手伝おうとする。
……手伝おうとしてくれるのだが、正直コレだけは勘弁して欲しい。高校目前の精神年齢にとって恥ずかしすぎる。
そんなこんなで着替えの手伝いをどうするかの攻防を終えての朝食。
どうやら過去に現れたと言われる日本人は想像以上の働きをしてくれたそうだ。
朝食はパンを筆頭に、スクランブルエッグやベーコンのようなものは並べられている。まさに向こうでも食べてきた洋食そっくりのメニューだ。
未だ和食は確認できていないが、随分と向こうの食文化が浸透していることに感謝を捧げる。
しかし肉が…………肉が鶏でも牛でも豚でも無いナニカというのが怖いけれど、きっと大丈夫だろう。
父も交えた楽しい食事も終わり軽くランニングを終えてから本格的な今日の予定へと入る。
――――といっても、正直予定なんて一切無い。
どうもスタンという人物はまだ学校に行っていないらしく、この秋から入学予定らしい。
それまでは年中休み状態。夏休みにすることが無くなった子供のようなものだ。
向こうではひたすら受験勉強で時間が足りないほどだったが今は意味が無く、この世界についても調べつくした今日は頭を悩ませる。
今日からはどうしよう。家の物は調べ尽くしたし昼寝に洒落込むにも早すぎる。だからといって一人で敷地外に出かけるのは年齢を考えて却下されるだろう。
そんな事を考えながら運動後の紅茶を嗜んでいると、ふとシエルがお皿を取り下げるために横切ったことでふと思いつく。
そうだ。
今日の予定はシエルと一緒に庭へ遊びに行くなんてのはどうだろうか。
天気もいいし、サンドイッチやお菓子なんかを用意して開けたところでちょっとしたピクニックなんて。
思い返せば彼女はこの一週間休みなんてなかったじゃないか。
俺が毎日調べ物をしている間にも彼女はずっとメイド長の元でお仕事。今日くらいは羽を伸ばすことくらい許してくれるかもしれない。
「ねぇ、シエ――――」
「ご主人さま」
俺がピクニックをしようと声をかけようとしたところ、同時に彼女も喋りかけてきて思わず口を紡ぐ。
幸いにもこちらの声は届いていなかったようだ。「なに?」と問いかけると彼女はフッと笑いつつ窓の外へと目を向ける。
「今日は随分といい天気ですね。太陽も明るくて、草花も喜んでるようです」
「そうだね」
同じく立ち上がって窓から外を見下ろせば、綺麗に手入れされた草花が目に入る。
赤や黄色、紫や白など、色とりどりの花がそこら中に咲き乱れた貴族の名に恥じない様相だ。
迷路のように配置された草花とレンガたたみの庭を抜けた先に見えるのは大きな森の入り口。
あの先は街に続いているのだろうか。その道中で俺は事故に遭ったのかもしれない。
「それで……ですね……差し出がましいのは承知の上なのですが…………」
「……?」
モジモジと。
手元を弄りながら視線をせわしなく動かして何かを言い淀んでいるシエル。
これまで見なかった彼女の様子に思わず首をかしげてしまう。
「そのっ……。もしよければ、なのですが……今日、私と一緒にピクニック……!なんて……どぅ……でしょうか…………」
数度ためらってからの勢いに任せた言葉。彼女から出た言葉は驚きの一言だった。
力いっぱい告げたものの最後の最後に力を無くし、聞き取るので精一杯の声量になってしまうシエル。
顔は真っ赤、目はキュッとつむりこちらの言葉を待つように両手でキュッと腰回りのエプロンを握っている。
「――――」
「だ……ダメ……で、しょうか…………」
「――――あっ!ゴメン! ちょっと驚いてた」
驚きの一言に思わずあんぐりと口を開け、気づいた頃には思わず笑みがこぼれてしまう。
どうやら俺も彼女も同じ考えに至っていたらしい。
よくよく見れば彼女が押しているカートにはピクニックでよく見るバスケットが乗っている。
もしかしたら無意識で目に入って俺もピクニックと思いついたのかもしれない。でも、なんだかテレパシーが通じ合ったような気持ちよさがあった。
「ご主人さま……?」
「ううん。ボクもピクニックに誘おうと思ってたから。シエル、よかったら今日一緒にピクニック行かない?」
「――――! いいん……ですか……?ただのメイドですのに……」
「”専属”メイドなんでしょ?だったらボクが行くところに着いて来て貰わないと困るよ」
むしろ一人だと不安でいっぱいだ。
迷子とかそういう意味なんかじゃない。たとえ庭でも異世界ならではの虫とか危険なものが無いとは限らない。
なら専門ではないにせよ、こちらの世界で先輩の彼女には是非着いてきてもらいたい。
「専属……。着いてきてもいいん……ですか?」
「むしろこちらからお願いしてるしね。でも仕事とか大丈夫?メイド長になにか言われてたりは……」
「大丈夫です……!今日はお休みを、頂いたので……!」
フンス!
と、さっきの不安げな表情とは一転。元気いっぱいになった彼女はうんと胸を張る。
そして気づいた時には彼女の手が俺の手首を掴んでおり、まさしく善は急げといわんばかりに引っ張られる。
「それじゃあ早速……!ご主人さま、行きましょっ!!」
「えっ!?もう!? まだ紅茶最後の一口が…………!」
そんな引き止める声も届いていないようで、テンションが最高潮に達した彼女はズンズンと部屋を出て廊下を突き進んでいく。
道中見えたのはシエルに引っ張られる俺というこの状況に驚きを隠せずにいるメイドたち。そして建物を出る直前、にこやかに手を振るメイド長の姿が見えるのであった。
◇◇◇◇◇
「全くシエルさんも坊ちゃまも、随分と慌ただしい……まるで事故前の坊ちゃまのようでしたね」
少年少女2人を手を振りながら見送ったメイド超は誰もいなくなった部屋で小さく呟く。
同時に想起するのは1週間以上前のこと。事故前のスタン。スタンがスタンでなくなる前の時のこと。
彼女は当然以前のスタンを知っている。毎日好きに動き回っていた彼のことを。
当時のことに目を細め、向いたテーブルには片付け損ねたティーセットが放置されていた。彼女はそれを「もう」と苦笑しながら一つ一つカートに戻していく。
「スタンはピクニックか。それも、あの子と一緒に」
「……旦那様」
黙々と片付けていくメイド長に後ろから声をかけたのは、ここの当主であるセルジュ・カミング。
彼は窓から庭に駆け出す二人の様子を見守りつつ、小さく微笑みながら手にしていたカップを口に運ぶ。
「随分と楽しそうな2人だ。でもこれも全部ヴィジー、キミの差し金だろう?」
「あら、なんの話です?確かに私はずっと頑張っていたシエルさんにお暇を命じただけですが」
真実を突くセルジュの言葉にメイド長……ヴィジーは肩をすくめる。
二人して閉口した無言の時間。両者はただ窓から見える2人の姿を目で追っている。
「……あの事故以来、変わられましたね。坊ちゃまは」
「あぁ、本当に。メイドを迎えると聞いた時は耳を疑ったぞ。まさかあの我儘スタンが事故の原因を……とな」
「それだけではありません。 私達に対する態度やここ1週間の勤勉さ。メイドたちも戸惑っております……”まるで別人”だって」
まるで別人――――
それはまさしく真実なのだが、2人がそれを感知することなどできやしない。
そもそも魔法は魔道具以外失われ、書物に記された異世界転生も人へ乗り移る事例など無かったのだから。
父ならば……肉親ならスタンが本物かわかっているだろう。そんなカマかけとともにチラリとセルジュを見たヴィジーだったが、彼は彼女の言葉を一笑するように大きく口を開けて笑い出す。
「ハッハッハ!ヴィジー、キミもユーモアというものがわかってきたじゃないか!」
「旦那様……これは冗談なんかじゃ……」
「――――かまわないさ」
大きな声で笑い飛ばしたセルジュだったが途端に優しい口調に戻り、もう一度窓から2人の姿を目に収める。
楽しそうに二人で走る子どもたち。その姿を見ただけで彼の心は暖かいものに包まれていく。
「たとえ別人に成り代わったとしてもスタンはスタンだ。その事実は変わらない。以前と変わらず愛し続けるさ」
「いいのですか?もし魔物に乗っ取られていたら……」
「その時はその時さ。もしそうだとしたらヴィジー、キミがなんとかしてくれるだろう?」
「それは……そうなのですが……」
何の疑いの無い男性の視線に、女性は目を逸してモジモジと腕をこする。
当然、そんな魔物なんて存在しない。
けれどあえてそう言ったのは冗談であると同時に信頼の表れでもある。だからこそヴィジーは不意の信頼を示す言葉に恥ずかしくなった。
「だったら良いじゃないか。 それに見てご覧、あの女の子へのリードの仕方。きっと将来はすごくモテるぞ」
「旦那様みたいに……ですか? 将来坊ちゃまが女の子に刺されても知りませんよ?」
「それはキミみたいにかい?」
「さぁ、どうでしょうね。 ほら、仕事が山のようにあるのですから旦那様は早く戻ってください」
ニヤリと意趣返しをするかのように笑う男性を追い出すかのように背中を押して部屋の外へと持っていく女性。
そんな二人の話など、少年少女二人には知るよしも無かった。
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