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002.選択外の提案
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「ヴゥ…………」
獣のようなくぐもった声が、暗くてジメッとした空間を響かせる。
明らかに威嚇しているようなつり上がった目。格子の向こうでその子はこちらを睨みつつ、いまにも逃げ出しそうな体勢を取っていた。
「その身なりはスラムか。街道に出るなんてバカな真似をする……」
「スラム!?」
スラムという聞き慣れない言葉に思わず声を上げてしまう。
スラムなんてものが存在するのか……。少なくとも日本にはそういったものは表向きには存在しない。
ゆえに思いもよらぬ響きに耳を疑ってしまった。しかし金の髭を撫でる男性のそれは至って当たり前のような顔。まさかこの異世界ともしれぬこの場所にとっては身近なところだとでもいうのだろうか。
「あぁ。馬車で街道を通ってる時にコレが突然横切ってな。そのせいで馬が暴れだして運悪く窓から乗り出してたお前が放り出されたんだが……覚えてないのか?」
「……すみません」
そっか……そんなことが。
思わぬところで心配されていた原因を知ることができたが、全くもって記憶が湧き上がってなどきやしない。
自分の中に残っている記憶は日本のことのみ。馬車に乗っていたという記憶だなんてどこを探しても出てきやしない。
人違いかとさえ思ったが、自らの容姿が変わっている時点でその可能性は限りなく低いだろう。
情報を探るためにも相手方の言葉に合わせることを心に決める。
「そうか……頭も打ったみたいだし仕方ない。そちらについては呼んでいる医者が来次第診てもらうが、今はこちらだ。コレについてはどうしたい?」
「どうって……」
まるで獣を見るように”コレ”と吐き捨てる男性。
その視線につられるように檻の内へ目を向けると、少女はさっきと変わらず臨戦態勢を取っていた。
完全に警戒のさなか。今にも首元に飛びついて食いちぎらんとするその視線に戸惑っていると、ふと隣の男性が背に手を添えてきたことに気づく。
「まぁ、いつもと違ってヒトだからな。動物とは違って迷うのも無理はない」
まるで親が怖がっている子に魚のさばき方を教えるように。
決めあぐねている自分をフォローするように目線を合わせるためしゃがみ込んだ。
「スタンの好きにするといい。 きっとこの身なりじゃ親もいないだろう。気後れすること無いさ」
「好きにって……例えばどういう……?」
「そうだな……自警団に引き渡すなり街から追放するなり、気に入らないならこれまで動物たちにしてきたよう殺したっていい」
「ころ…………!?」
生まれてこの方15年。
その人生の中で初めて喉元に突きつけられる『死』という言葉に思わず言葉を失ってしまう。
魚なら捌いたこともある。動物だってイノシシや鹿なら猟について行って解体を手伝ったこともある。
だが今回ばかりはそれとはわけが違っていた。
牢の内側にいるのは動物や魚などではない。自分たちと同じ人間だ。
だというのに男性は何の感情も込めず淡々と言い放つ。
そんな簡単に人を……。そんなこと、できるわけ……。
「自警団に引き渡したらどうなるの?」
「そうだな……報告の仕方にもよるがスラムの住民だしな。よくて奴隷になるか、追放、又は死だろうな」
「…………」
彼の物騒な言葉に反応したのか、格子の向こう側にいる彼女は更に声を低くしてこちらを睨みつける。
よくて奴隷……スラムだから価値はないと?同じ人間なのに?
自分の知らない世界だった。
確かに日本の外……海外ではスラムなどもあるという。近しい地域に足を踏み入れたこともある。
しかし実際に行ったことはない。関わったこともない。家の者が徹底して遠ざけてきたからだ。
目が合う少女の瞳には怒りが滲んでいる。
彼女は決して自ら命を断とうと思って飛び出したわけではないだろう。
今だって彼の言葉に反応して威嚇を強めているのが良い証拠だ。
それに事故になった原因といえど、さっきの話を聞く限りじゃ窓から乗り出していたこの身体が悪いじゃないか。
ただの自業自得。たかがこんなことで相手の人生を破壊して良い道理はない。
『…………一時の感情に虚を映さず、曇りなき眼で真実を見極めよ』
ふと漏れ出た日本語が、伏せていた顔を表に上げていく。
そうだ。事故の原因だか知らないが、だからといって一時の感情に振り回されてはいけない。
神山家たるもの、虚を写してはならないのだ。
「ねぇ」
「決めたのか?」
先程呟いた日本語は聞き逃したのか聞こえなかったのはわからない。
しかし彼を呼ぶと、真剣な声色で聞き返してきた。
あぁ。もちろん決めたよ。
「この子を、ここで面倒見るのは?」
「……なんだって?」
そうだ。不幸しか招かない選択肢しか無いのなら、勝手に選択肢を増やしてしまえばいい。
どうせここは神山家じゃないんだ。提案を失敗したところでお父様に殴られることも怒鳴られることもない。
しかし彼にとってはあり得ない提案だったのか、その顔は驚きに満ちている。
「ここで面倒を見るの。ほら、メイドとして働かせるっていうのは!?」
どうせ自分の身体じゃないんだ。好き勝手言ってやれ。
知らない自分になってるのに加え、殺すとか追放とか物騒な選択肢という、混乱に混乱が重なる事態に若干自暴自棄になっていることは自覚している。
でもそれ以外にこの子を助ける方法が見つからなかった。無罪にするだけなら今は解決だが、後にきっと同じことになるだろう。ならば少しでも、幸せが示せそうな道を。
「い、いや……我が愛息子の提案でも、スラムの者をメイドに加えるというのは……!」
「覚えてないけど、話を聞く限り悪いのは身を乗り出して危険を晒してたこっちだよね?」
「それは……でも……」
「ダメ、かな? お父さん……」
「グッ…………!!」
手からすり抜けそうな提案を離してはたまるかと彼の袖を掴んでおねだりすると、長考状態に入る。
同時に得心がいった。この距離感、妙に似ている点から賭けに出たがやっぱりこの体の父親だったか。
「だが……もう家の事をする人員は一杯で……!」
「なら!個人に付けるメイドは!? ほら、ボクにとか!」
「た、確かに今までメイド長が面倒見ていたが……」
メイド長……真っ先に心配してくれたあの人かもしれない。
しかしこの様子だと脈はありそうだ。もう少し。
「っ――――!お父さん!お願いしますっ!!」
「なっ……!? スタン!?」
彼の前に立って90度ほど曲げる最敬礼をすると、彼はさっき以上に驚きの表情を見せつける。
頼み事といえばお辞儀。当たり前だ。
『全て己の力で切り開き、我道を究めよ』
我家の家訓。己の力とは人の力さえも含まれる。施しではなく自ら人の心を掴み、人を動かす。
それこそが神山家に伝わる能力の一端だ。
「ダメ……ですか?」
おねだりをするように。
目に涙を浮かべゆっくりと顔を上げて様子を伺うと、目を丸くしていた彼がふと顔を伏せて大きなため息を吐く。
「――――はぁ。 まさかあのスタンが、頭まで下げるとはな」
「じゃあ……!?」
「好きにするといいと言ったのは私なんだ。そうしたいなら、やってみせよう」
「っ――――!!」
彼の肯定の言葉は、目が覚めて一番の言葉だった。
9割方ダメ元での言葉だったが、まさか受け入れてもらえるなんて。
父親……父親とはこういうものもあるのか。提案し、任され、そして最後に受け入れる。こんな父親の姿が実在するとは。
受けてくれたた言葉に胸の奥が暖かくなっていると、ふと目の前にチャリと音を鳴らした鉄の物体が現れる。これは……鍵?
「受け入れるということは開ける必要がある。どうする、スタンが開けるか?引っかかれるかもしれないが……」
「もちろん開けるよ。言ったのは自分なんだから」
渡された鍵を手にしてからは、迷うこと無く牢の入り口へ。
多少詰まったもののカチャリと音を立てて解錠される音がすると、ギィ……と音を立てて入り口が開いていく。
気づけば彼女は威嚇に疲れてしまったのか、その場に座り込んでこちらを見上げるだけに留めていた。
さっきの話し声が聞こえていたのか、怒りの表情は消えているものの、信じがたいと言いたげに不安の表情を見せてくる。
「大丈夫。ボクがキミを守るから。 ほら、手を取って」
「…………」
笑顔で彼女に向かって手を伸ばすと、恐る恐るながらも確実に手と手の距離は短くなっていく。
それをじっと見ていた彼女の手も恐る恐るではあるが徐々に伸び、互いの距離は次第にゼロへ。彼女の手をそっとつかむと自然と溢れる自らの笑顔。
それが俺と彼女の、初めての出会い。
これが一生ものの付き合いになることなど、今はまだ知るよしもなかった―――――
獣のようなくぐもった声が、暗くてジメッとした空間を響かせる。
明らかに威嚇しているようなつり上がった目。格子の向こうでその子はこちらを睨みつつ、いまにも逃げ出しそうな体勢を取っていた。
「その身なりはスラムか。街道に出るなんてバカな真似をする……」
「スラム!?」
スラムという聞き慣れない言葉に思わず声を上げてしまう。
スラムなんてものが存在するのか……。少なくとも日本にはそういったものは表向きには存在しない。
ゆえに思いもよらぬ響きに耳を疑ってしまった。しかし金の髭を撫でる男性のそれは至って当たり前のような顔。まさかこの異世界ともしれぬこの場所にとっては身近なところだとでもいうのだろうか。
「あぁ。馬車で街道を通ってる時にコレが突然横切ってな。そのせいで馬が暴れだして運悪く窓から乗り出してたお前が放り出されたんだが……覚えてないのか?」
「……すみません」
そっか……そんなことが。
思わぬところで心配されていた原因を知ることができたが、全くもって記憶が湧き上がってなどきやしない。
自分の中に残っている記憶は日本のことのみ。馬車に乗っていたという記憶だなんてどこを探しても出てきやしない。
人違いかとさえ思ったが、自らの容姿が変わっている時点でその可能性は限りなく低いだろう。
情報を探るためにも相手方の言葉に合わせることを心に決める。
「そうか……頭も打ったみたいだし仕方ない。そちらについては呼んでいる医者が来次第診てもらうが、今はこちらだ。コレについてはどうしたい?」
「どうって……」
まるで獣を見るように”コレ”と吐き捨てる男性。
その視線につられるように檻の内へ目を向けると、少女はさっきと変わらず臨戦態勢を取っていた。
完全に警戒のさなか。今にも首元に飛びついて食いちぎらんとするその視線に戸惑っていると、ふと隣の男性が背に手を添えてきたことに気づく。
「まぁ、いつもと違ってヒトだからな。動物とは違って迷うのも無理はない」
まるで親が怖がっている子に魚のさばき方を教えるように。
決めあぐねている自分をフォローするように目線を合わせるためしゃがみ込んだ。
「スタンの好きにするといい。 きっとこの身なりじゃ親もいないだろう。気後れすること無いさ」
「好きにって……例えばどういう……?」
「そうだな……自警団に引き渡すなり街から追放するなり、気に入らないならこれまで動物たちにしてきたよう殺したっていい」
「ころ…………!?」
生まれてこの方15年。
その人生の中で初めて喉元に突きつけられる『死』という言葉に思わず言葉を失ってしまう。
魚なら捌いたこともある。動物だってイノシシや鹿なら猟について行って解体を手伝ったこともある。
だが今回ばかりはそれとはわけが違っていた。
牢の内側にいるのは動物や魚などではない。自分たちと同じ人間だ。
だというのに男性は何の感情も込めず淡々と言い放つ。
そんな簡単に人を……。そんなこと、できるわけ……。
「自警団に引き渡したらどうなるの?」
「そうだな……報告の仕方にもよるがスラムの住民だしな。よくて奴隷になるか、追放、又は死だろうな」
「…………」
彼の物騒な言葉に反応したのか、格子の向こう側にいる彼女は更に声を低くしてこちらを睨みつける。
よくて奴隷……スラムだから価値はないと?同じ人間なのに?
自分の知らない世界だった。
確かに日本の外……海外ではスラムなどもあるという。近しい地域に足を踏み入れたこともある。
しかし実際に行ったことはない。関わったこともない。家の者が徹底して遠ざけてきたからだ。
目が合う少女の瞳には怒りが滲んでいる。
彼女は決して自ら命を断とうと思って飛び出したわけではないだろう。
今だって彼の言葉に反応して威嚇を強めているのが良い証拠だ。
それに事故になった原因といえど、さっきの話を聞く限りじゃ窓から乗り出していたこの身体が悪いじゃないか。
ただの自業自得。たかがこんなことで相手の人生を破壊して良い道理はない。
『…………一時の感情に虚を映さず、曇りなき眼で真実を見極めよ』
ふと漏れ出た日本語が、伏せていた顔を表に上げていく。
そうだ。事故の原因だか知らないが、だからといって一時の感情に振り回されてはいけない。
神山家たるもの、虚を写してはならないのだ。
「ねぇ」
「決めたのか?」
先程呟いた日本語は聞き逃したのか聞こえなかったのはわからない。
しかし彼を呼ぶと、真剣な声色で聞き返してきた。
あぁ。もちろん決めたよ。
「この子を、ここで面倒見るのは?」
「……なんだって?」
そうだ。不幸しか招かない選択肢しか無いのなら、勝手に選択肢を増やしてしまえばいい。
どうせここは神山家じゃないんだ。提案を失敗したところでお父様に殴られることも怒鳴られることもない。
しかし彼にとってはあり得ない提案だったのか、その顔は驚きに満ちている。
「ここで面倒を見るの。ほら、メイドとして働かせるっていうのは!?」
どうせ自分の身体じゃないんだ。好き勝手言ってやれ。
知らない自分になってるのに加え、殺すとか追放とか物騒な選択肢という、混乱に混乱が重なる事態に若干自暴自棄になっていることは自覚している。
でもそれ以外にこの子を助ける方法が見つからなかった。無罪にするだけなら今は解決だが、後にきっと同じことになるだろう。ならば少しでも、幸せが示せそうな道を。
「い、いや……我が愛息子の提案でも、スラムの者をメイドに加えるというのは……!」
「覚えてないけど、話を聞く限り悪いのは身を乗り出して危険を晒してたこっちだよね?」
「それは……でも……」
「ダメ、かな? お父さん……」
「グッ…………!!」
手からすり抜けそうな提案を離してはたまるかと彼の袖を掴んでおねだりすると、長考状態に入る。
同時に得心がいった。この距離感、妙に似ている点から賭けに出たがやっぱりこの体の父親だったか。
「だが……もう家の事をする人員は一杯で……!」
「なら!個人に付けるメイドは!? ほら、ボクにとか!」
「た、確かに今までメイド長が面倒見ていたが……」
メイド長……真っ先に心配してくれたあの人かもしれない。
しかしこの様子だと脈はありそうだ。もう少し。
「っ――――!お父さん!お願いしますっ!!」
「なっ……!? スタン!?」
彼の前に立って90度ほど曲げる最敬礼をすると、彼はさっき以上に驚きの表情を見せつける。
頼み事といえばお辞儀。当たり前だ。
『全て己の力で切り開き、我道を究めよ』
我家の家訓。己の力とは人の力さえも含まれる。施しではなく自ら人の心を掴み、人を動かす。
それこそが神山家に伝わる能力の一端だ。
「ダメ……ですか?」
おねだりをするように。
目に涙を浮かべゆっくりと顔を上げて様子を伺うと、目を丸くしていた彼がふと顔を伏せて大きなため息を吐く。
「――――はぁ。 まさかあのスタンが、頭まで下げるとはな」
「じゃあ……!?」
「好きにするといいと言ったのは私なんだ。そうしたいなら、やってみせよう」
「っ――――!!」
彼の肯定の言葉は、目が覚めて一番の言葉だった。
9割方ダメ元での言葉だったが、まさか受け入れてもらえるなんて。
父親……父親とはこういうものもあるのか。提案し、任され、そして最後に受け入れる。こんな父親の姿が実在するとは。
受けてくれたた言葉に胸の奥が暖かくなっていると、ふと目の前にチャリと音を鳴らした鉄の物体が現れる。これは……鍵?
「受け入れるということは開ける必要がある。どうする、スタンが開けるか?引っかかれるかもしれないが……」
「もちろん開けるよ。言ったのは自分なんだから」
渡された鍵を手にしてからは、迷うこと無く牢の入り口へ。
多少詰まったもののカチャリと音を立てて解錠される音がすると、ギィ……と音を立てて入り口が開いていく。
気づけば彼女は威嚇に疲れてしまったのか、その場に座り込んでこちらを見上げるだけに留めていた。
さっきの話し声が聞こえていたのか、怒りの表情は消えているものの、信じがたいと言いたげに不安の表情を見せてくる。
「大丈夫。ボクがキミを守るから。 ほら、手を取って」
「…………」
笑顔で彼女に向かって手を伸ばすと、恐る恐るながらも確実に手と手の距離は短くなっていく。
それをじっと見ていた彼女の手も恐る恐るではあるが徐々に伸び、互いの距離は次第にゼロへ。彼女の手をそっとつかむと自然と溢れる自らの笑顔。
それが俺と彼女の、初めての出会い。
これが一生ものの付き合いになることなど、今はまだ知るよしもなかった―――――
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