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第6章

142.海の中の光

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 ギシッ――――。
 と、広くシンプルな部屋にベッドのたわむ音が聞こえる。

 広く……あまりにも物がない部屋。
 以前家主が風邪を引いた日に来た、エレナの部屋だ。
 ベッドの縁に腰掛けた俺は何気なしに辺りを見渡す。

 あの風邪の日に来た得にはベッドはもちろんタンスや鏡、本棚など必要最低限の物は揃っているが、それ以上の娯楽といえる物がここからは見つけられなかった。
 しかし今はほんの少しだけ変わっている。何もなかった部屋で新たに棚が生まれ、そこには夏祭りの写真やレッスン中に撮った写真、他にも当時を想起させる思い出の品が少しではあるが仲間に加わっていた。
 それは、毎日多忙な彼女にとっての心境の変化。無趣味と主張していた部屋に彩りが加えられたようで、ほんの少し笑みがこぼれる。

 今日――――クリスマスパーティーも終わった夜更け。
 彼女たちのマンションに泊まる事となった一行はそれぞれ部屋を分かれることとなった。
 母さん含む大人組はリオの部屋、紗也を含む女性学生陣はアイさんの部屋、そして俺は1人エレナの部屋にお邪魔することとなった。

 もはや何度も来て勝って知ったるというレベルの一室。
 慣れた手つきでお風呂も入り、暖か身体を伴ってベッドに倒れ込む。

「……すごい。エレナを感じられる」

 倒れ込む俺を優しく包み込むマットレスと掛け布団。毎日エレナが愛用し、すっかり彼女色に染まったそれは倒れ込むと同時に彼女の香りを全身で味わっている気にさせた。
 まるでエレナに抱きしめられているような、そんな感覚。甘い、そして安心感を覚えさせるエレナの香りにウトウトと一瞬のうちに眠りの世界へと誘われ――――

「―――って、だいぶ変態だなっ!!」

 眠りに落ちる寸前、絶叫にも似たツッコミが部屋に響き渡った。
 客観して先程の独り言を思い返せばなかなかに変態チックなヤバい発言。俺以外の誰かが聞いていればたとえ優しいアイさんでも通報コースとなってしまうだろう。
 随分と思考が侵されていると上半身を持ち上げて頭を抱える。

「ダメだダメだ。水飲んでこよ」

 思考がやばくなっているのをリセットするために柔らかなベッドから立ち上がる。
 きっとさっきまで楽しいパーティーの渦中にいたから引っ張られて思考がフワフワしてるのだろう。それこそ匂いで酔ってしまったかのように。
 そう結論付けてキッチンに向かおうとすると、ふと目の端に映ったタンスが気になった。

『そこのタンス、一番上に下着が入ってるから。"好きな時に""好きなように"使ってくれていいわよ』

 今から1時間ほど前のこと。この部屋に泊まるにあたってエレナから説明を受けていると、そんなことを言っていた。
 改まって言われたからだろうか。あの時はすかさず『するわけない』とツッコミをいれたが、今になって目が離せないでいた。
 この部屋には誰も居ない。この引き出しを明けたらエレナの…………

「…………」

 ゴクリと。
 喉を鳴らしながらいつの間にかタンスの前まで来て一番上の引き出しに手をかける。
 たった木の1枚挟んだ先にある未知の世界。そう考えると自然と握る手に力が入っていく。
 俺達は付き合ってはいないけれど好き合っている。別にこのくらい、彼女から言い出したのだし非難されることはないだろう。
 そんな言い訳を頭の中で並べながら、力を込めた取っ手を引っ張ろうとして―――――やめた。

「……ふぅ」

 ダランと一気に腕の力が抜けていき取っ手から滑り落ちる。
 魔性の誘惑。それになんとか打ち勝った。理由は単純、俺は下着に興奮するような性癖は持ち合わせていない。
 それにあのエレナだ。あのちんちく……小学生みたいな体躯の少女、見たところで対したアレもない。
 なにより、一度負けてアイさんの部屋の扉を開けた前科がある。もう二度と同じ轍を踏まない。

 もしエレナが見ていたら……なんて想像もして見渡したが辺りには誰も居ない。ホッと一息ついて、当初の目的を果たそうとキッチンへと向かっていった。


 ―――――――――――――――――
 ―――――――――――
 ―――――――



 「んくっ……んくっ…………ふぅ」

 水を一杯ついだ俺は一息に喉へと流し込む。
 さっきまでお風呂に入っていたから冷たい飲み物が身体に染み渡る。

 カラになったコップをシンクに置いて、チラリと時計に目をやれば時刻は日付変更の0時を越す手前。
 夕方から始まったパーティ、それは公園から戻ってきてもしばらく続き、それぞれの部屋に別れてからお風呂まで入ったのだ。これくらいの時間にはなろう。

 リビングにある大きな窓に近づいて外の景色を伺う。
 夜も更けてきたから思ったより明かりが少ない。けれども、所々に見える建物や街灯の光、ちらほらと動く車のヘッドライト。更に遠くに目をやれば、まるで暗い海に照らされる深海魚の灯りのように光が浮かんでいて、この世とあの世の境目にいるのかのような錯覚にとらわれる。

 きっとこの光一つ一つにそれぞれの人生があり、辛いことも嬉しいこともあるのだろう。
 そんな尊い光をはるか高いところから見下ろしている事実に、俺は一体何故ここに居るのだろう。そんな疑問が浮かんできた。

「エレナが……みんなが誘ってくれたから」

 誰も居ない部屋で一人つぶやく。
 
 有り体に言えばそうだろう。みんなで楽しむため、賑やかなパーティーにするため。
 けれども事実ではあり本質ではない。もっと近づくのならば彼女らの厚意……いや、好意によるものだ。

 ――――そう、好意。好意を寄せられている。
 あの三人全員から。俺も彼女たちの事が好きだしそれでもいいと言ってくれている。
 けれども本当にそれでいいのだろうか。本来住む世界が違う三人が、こうも良くしてくれて更に仕事さえも都合を付けてくれるなんて。

 そこまで考えて思考が以前と同じになっていると気づき、首を横にふる。

「ダメだ……こんなんじゃまたエレナに怒られるな」
「な~にが怒られるの?」
「えっ……うわぁ!!」

 突然の第三者の声。
 誰も居ない部屋に居るはずの無い人物がいた事実に思わず俺は声を上げてしまう。
 俺しかいないはずなのに誰か。慌てて飛び退き声の方向へ目を向けると、すぐ隣には俺の肩辺りに頭のテッペンがくる小さな少女が。

「なによ。そんな幽霊に会ったような驚き方して」
「……なんだ、エレナか。いきなり隣にいたらそりゃ驚くよ…………」

 真下からかかる文句の声。をよく見ると数時間前まで話していたエレナその人だった。
 彼女はお風呂上がりのようで髪は湿気っており、その綺麗な金髪をストレートに垂らしている。

「どうしたの?エレナ。アイさんの部屋にいるはずじゃ?」
「あら、ここは私の部屋なのに居ちゃダメなのかしら?」
「いや…………」

 それを言われちゃ何も言えない。
 そもそも俺はこの部屋を借りているだけなのだ。家主のエレナが何をしようと自由だろう。
 一方で恐怖もあった。もしさっきのエレナの部屋での言葉を聞かれてたら……なんて思うと恐怖で眠れない。

「まぁ、それはいいのよ。 で、何が私に怒られるって?」
「聞いてたの?」
「その一言だけね。 まぁた変なこと考えてたんでしょ?『ボクはこんな見目麗しいエレナ様に好かれていいんだろうか。ふさわしくないんじゃないだろうか』って」
「…………」

 色々とツッコミたかったが方向性として間違ってないから何も言えない。
 そんな何も答えない俺を催促するかのように、「でしょ?」と念押しする彼女に小さく首を縦にふる。

「当たらずとも遠からず、かな」
「つまり大正解ってわけね。だろうと思ったわ」

 なんともポジティブシンキング。
 ここまでポジティブじゃないとアイドルなんてやっていけないのかなと漠然と考えていると、彼女はハァ、と一つため息を吐きながら大きく安堵した。
 よかった、エレナの部屋での言葉は聞かれていない。

「あのねぇ、私たちはそんなの気にしない……って言ってもあの日と一緒の答えになっちゃうわね」

 同じく窓から夜景を見ながら考える素振りを見せるエレナ。
 それは俺もわかっている。けれどやはり、こうも住む世界が違うことを突きつけられると考えてしまうのだ。
 彼女もそれをわかっているからか考える。そしてしばらく後に「そうそう!」と声を上げて俺へと向き直った。

「ねぇ慎也。 話は変わるけどお正月は何する予定?」
「え? 正月は……普通にウチでノンビリするけど……」

 なぜ相応しい相応しくないの話題からいきなりそっちへ……。
 突然の話題変更に戸惑いながらも答えを出す。

 正月は毎年そうだ。
 誰かと遊ぼうにもみんな家族の付き合いで誰とも会えない。ならばと家で紗也と二人、おせちを食べながらゲームをするのが通例だった。今年もそうなると思っていたが……

「そう。 なら問題なさそうね」

 息を吐いて安堵したエレナは俺の両肩を持って見上げる。
 顎を下げて見えた彼女の碧い瞳は、イタズラっ子のような、何かのゲームに勝ったような、楽しげに瞳を輝かせて俺を見やっている。

「慎也、キミもお正月、私たちと一緒に来なさい」
「行くってどこに?」
「そりゃ決まってるじゃない!」

 彼女は満面の笑みで告げる。
 ドッキリをバラすかのように。サプライズプレゼントをするかのように。

「私たちの田舎…………私たち三人の実家よ!!」
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