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第5章

105.私だけを見て

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「はぁ……ひどい目にあった……」

 アイドルたちの包囲網に囲まれてから数十分。
 結局、俺は彼女たち3人の攻勢に耐えることは出来なかった。
 逃げようにも脱出口を失い、前後から迫ってくる者になすすべもなく捉えられ、後ろからリオの持っていたウィッグを被せられてされるがままとなってしまった。

 説得できなかった時点で勝ち目などない。潔く諦めのついた俺がされるがままでいると、あれよあれよと伸びてくるのは6本の腕。
 顔全体にむず痒い思いをしながら目を閉じて嵐を過ぎるのを待つと、気付けば化粧の終えた俺の顔が鏡の向こうで向かい合っていた。

 そこで「これが……私……!? 俺じゃないみたい!!」なんてことがあればよかったのだが、そんなこともなく……
 見た目は普通に女装した俺の姿だった。むしろ気持ち悪い出来にならず嫌悪感を抱かないレベルの出来にしたのが凄い。

 彼女たちは可愛いと絶賛してくれたがそんな姿に耐えることもできず、洗面所にて化粧を落としていく。

「これはさすがに……酷い顔……」

 適当にバシャバシャと水で洗い流し、ふと顔を上げると化粧が微妙に溶けてグチャグチャになった顔がそこにあった。
 シャドウやライナーなどが混ざりあって形容し難い色のまま頬に集まり、ポタポタとファンデが溶けて水滴となって落ちていく。
 女装状態は見るに耐えられたが、これはさすがに見てられない。

 きっと化粧を落とすのに何か道具が必要なのだろう。漠然とそんな理解はあるが実際に必要な道具はわからない。
 母さんが何かのオイルを使ってた覚えがあるけど、オイルなんてサラダ油とかサンオイルくらいしか知らない。
 棚を見渡しても似たような容器いっぱいあってどれが正解かルーレット状態。

 適当に手にとって見るもなかなかそれっぽいのにたどり着かない。
 そもそも、化粧水や乳液はわかる。他の、美容液とかBBクリームとかマッサージ料でもう理解を超えている。違うメーカーの化粧水が複数あって棚は魑魅魍魎だ。
 一体どれが正解の道具かさっぱりで洗面台の上で1人うなだれる。

「もう、このまま……このドロドロの顔のまま3人のとこに戻ろうかな……」
「なにブツブツ言ってんのよ?」
「―――おわぁ!?」

 探しものに夢中で人が来ていたことに気付けなかったようだ。
 突然の声に慌てて振り向くと、扉のほうには壁に肘をつくエレナの姿が呆れ顔で立っていた。きっと遅いから様子を見に来たのだろう。

「酷い顔ね。もしかして落とし方わからない?」
「うん……種類多すぎるでしょこれ。どれ使えばいいの?」
「だろうと思ったわ。ちょっと待ってなさい」

 エレナは手を洗ってからクレンジングオイルと書かれたボトルを一本取り出す。
 それを使うのか。たしかに言われてみれば母さんもそれを使ってた……気がする。

「ほら、こっち向いて」
「う、うん……わぷ!」

 言われるがまま向かい合うように顔を向けると、突然頭に何か被せられて声を上げてしまう。
 手で触れると何か布製で伸縮性のあるもの。鏡を見てようやく理解できた。ヘアバンドだ。

「じゃあやっていくわよ。じっとしててね」
「お願いします……」

 彼女は手にとったオイルを薄く伸ばして俺のおでこから鼻、鼻から頬へと順々に広げていく。
 その触れる手はとても優しく、まるで割れ物を取り扱うかのようにゆっくりだ。

 そして行き場に困った俺の顔は自然と正面にあるエレナの顔へ。
 彼女は全くこちらの視線を気にしていないのか、真剣な表情で化粧の濃いであろう場所を見ている。

 場所と使い方を教えてもらえれば良かったのに、こうやってオイルを塗ってもらうのは恥ずかしい。
 触れるほど近くに見える綺麗な瞳と長いまつ毛。普段幼いとからかいはするが、真剣な時はまさに美しいという言葉が適当だ。そんな彼女の綺麗な顔がすぐ目と鼻の先にあって俺の心はドキドキしっぱなし。

 ……姉がいたらこんな風に手伝ってもらうことがあるのだろうか。
 例えば前髪を切ってもらったり、眉を整えてもらったり……
 そう考えると、こうしてもらってると、エレナが姉なのはなかなか頼りがいがあるし悪くないかもという感覚にさせる。

 ……しかし長い気もする。もう終わったのだろうか。そう思って少しだけ鏡を見て――――

「こら、横向かない!」
「ご、ごめん」

 視線だけを動かそうとした結果、顔までも動いていたようだ。
 小さな手が両頬を包み向きを修正される。

 強制的に正面を向いた視線はまたも碧色の瞳へ。

 やっぱり綺麗な瞳だ。日本人離れしてるのはもちろん、それでも宝石のよう。
 全てを見透かすような。それでいて魅了するような。

 吸い込まれそうな瞳からつい逸しそうになると、ふと小さな口が動き始めるのが目に入る。

「慎也は私だけを見てればいいのよ。よそ見しないで」
「…………」

 それは俺に対して言った言葉なのか、それとも自然と出た独り言なのかはわからない。
 私だけ……とは、どういう意味だろう。

 姉妹?先輩後輩?それとも――――。
 ……いや、きっと他意なんてない。動かさず、ただされるがままでいろということだ。
 口元に手を当てられているため答えることはないが、従うように前後に揺れる金色の毛先を眺めながら終わるのを待つ。



「――――はい!出来たわよ。 あとはぬるま湯で落としてもらえばシッカリ落ちるわ」
「えっ!? あ、うん。ありがと……」

 毛先を見ていたら少しボウっとしていたようで、その言葉によって現実へと引き戻された。
 俺は指示されたとおりぬるま湯でオイルを落とし、差し出されたタオルで顔を拭いていく。

「おぉ……凄い。ホントに落ちた……」
「でしょう? 今度からは化粧の落とし方も覚えたほうがいいわよ」

 今度だなんて、もう二度と化粧する予定ないんだけど思いながらも聞き流す。
 しかし今回は助かった。今冷静に考えると、あのまま戻ってたらリオあたりに写真を撮られかねない。

「ありがとう。助かったよ。 じゃあ、掃除の続きを――――」
「待ちなさい」
「!?」

 今度こそ本題である掃除に戻ろうかと彼女の横を通り過ぎようしとしたところで腕を掴まれた。
 何事かと様子を伺うとその手にはまた別の容器が。

「次はこれよ。化粧水と乳液」
「えー。 別にいいんじゃない?家でもやってないし……」
「ダメ!いくら男の子でもこれくらいは必須なんだから!ほら、戻って戻って!!」
「えー……」

 まだ何かあるかと思いきや、二本の謎の液体までセットのようだ。
 逃げようにもギュッと腕を掴まれているから逃げようがない。
 どうしようかと一瞬考えたが、適当につけるだけだし大人しく従ったほうがよさそうだと結論付け、彼女の持つ容器を受け取ろうとする。

「…………?エレナ?」
「なぁに?」
「いや、容器貸してくれない? そうじゃないとつけられないんだけど」

 手を伸ばしたはいいが、彼女が容器を差し出してくれなかった。
 思わず口に出すとエレナは首を横に降ってそれを否定された。

「ダメよ。私がつけるんだから」
「!?」

 まさか1人でできることでさえも彼女がやると言い出した。
 それはさすがにと遠慮しようと思ったが、彼女の性格を考えて寸前で思いとどまる。

 言い出したら聞かないエレナ。さっきの例もあって何を言っても無駄だろう。
 もう化粧落としてもらったし、今更か。

「あら、案外素直ね」
「もうエレナが意見を曲げないことは知ってるから」
「殊勝な心意気よ。準備するからちょっと待って頂戴」

 そう言って棚からコットンをいくつか取り出していく。
 どうやらここには何でもあるらしい。

「……って、やりにくいわね。 しゃがんでもらえない?手が届かないわ」
「ねぇ、自分でつけちゃだめ?」
「ダメ。任せたら絶対適当にやるでしょ? ちゃんと適量とやり方ってのがあるんだから、お姉ちゃんがやるのよ!」
「えぇ…………」
「じゃないと紗也ちゃんにあること無いこと言いつけるわよ?」
「ズルい!!」

 一体紗也に何を言うのかと戦々恐々となる。
 紗也はアイさん以上に天使だから大抵のことは流してくれると思うが、まかり間違って「気持ち悪い……」なんて言われたらショックで寝込む自身がある。
 そんな脅しをされたらもうどうしようもない。諦めてさっきと同じように向かう形で中腰になると、今度は肩を掴まれて洗面台の方に向けられた。エレナに背を向ける格好だ。

「こっち向くの?」
「さっき思ったのよ。向かい合ったら相当やりにくいって。 だから…………こうっ!」
「!!」

 エレナは何を思ったのか――――
 俺が中腰で洗面台に身体を向けていると背中に柔らかな感触が襲いかかってきた。

 ――――後ろからあすなろ抱きの要領で腕を回してきたのだ。
 そのまま器用に化粧水を適量とり、俺の顔へと近づけていく。

「エレナ……これ、恥ずかしいんだけど……」
「慎也が横着するから悪いのよ。大人しくお姉ちゃんに従ってなさい」

 そうは言うものの彼女の顔もなかなかに紅い。
 体躯は小学生そのものではあるが、ここまで思い切り密着されると背中に柔らかな感触がほのかに伝わってくる。
 きっと彼女も自覚しているのだろう。証明とばかりに動きはぎこちない。けれど決して手を止まる様子はなかった。



「……よしっ!今度こそ終わったわ!」

 彼女から漂ってくる香りと柔らかさを堪能……じゃなかった。耐えているといつの間にか化粧品を付け終えたようでそっと暖かな感覚が遠のいていく。

「今度こそ終わったか……」
「えぇ。寂しい? 寂しいならまた今度お姉ちゃんがやってあげましょうか? 全く、いくつになっても甘えん坊な弟なんだから……」
「…………」

 今のエレナの表情を擬音にすると「むふー!」となっていた。

 何故か誇らしげな表情を浮かべるエレナ。 
 唐突に、無性に仕返しがしたくなった。
 といっても仕返しできる道具なんて……あぁ、化粧水を借りよう。
 これで後ろからいきなり頬へと当てたらびっくりするぞ。

 即興で仕返しの計画を立てた俺は、近くに置かれた化粧水を適量つけて洗面所を出ようとするエレナにそっと近づいていく。

 一歩……二歩…………いまだっ!

「さっきまでの……お礼!」
「ひゃぁ!!」 

 背後から一発。
 彼女の両頬を包み込むように化粧水をつけると期待通りの反応をしてくれた。
 肩をビクンと大きく震わせ、甲高くも可愛い声を発してくれる。これだよ。この反応が見たかったんだよ。
 まぁ、大した事もしてないしすぐ許してくれる――――

「…………やったわねぇ…………」

 って、あれ?ちょっと怒りのボルテージ高くない?

「これは乳液までじゃ足りなかったようね……さらなる美容改造をご所望と見たわ」
「えっと、決してそんなことはなくってですね……その……」
「問答無用!!」

 一度スイッチ入った彼女を止めることは俺には出来ないようだ。
 そのままドタバタと騒ぐ俺たちをリオが聞きつけるまで、二人の攻防は続くのであった――――
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