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第4章

097.枕上の叫び

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「あーーー! あーーーー!!」

 叫ぶ。
 力いっぱい心の底から沸き上がってくる衝動をぶちまけるかのように叫ぶ。

「あーーーーー!あ゛ーーーーーー!!!」

 持ち前の肺活量を使って合唱部も目を見張るほどの声量叫ぶ。
 言葉に段々と濁りが混じってきて、力いっぱい叫ぶにも関わらずその声は自室の外には届かない。

 ひとりきりの自室、俺はベッドの上で枕に顔を押し付けながら感情のままに叫び続けていた。
 バタ足のように足を動かしているものだからきっと顔を上げたら埃がとんでもないことになっているだろう事にも顧みず、ひたすら感情に身を任せている。

 ひたすら脳内で反芻するのはつい数時間程前のこと。
 突然アイさんから誘われたお出かけ。俺はまさかカラオケでキスをしてしまった。
 相手はあの"ストロベリーリキッド"のアイさんと。

 事故とはいえキスはキス。驚きも大きかったが歓びも嬉しい。
 本来ならビンタでは軽く損害賠償と問われてもおかしくない事故。しかし嫌われるどころか許してくれ、まさかキス以前と変わらない距離感でいてくれた。……もしかしたら前より距離が近くなったのかもしれない。

 彼女が歌っている間中ずっと手を握っていてくれたし、ポテトでケチャップがついているからとハンカチで口元を拭ってくれたし、まさかあーんをしてくれるとは思いもしなかった。
 あちらにとっては持ち前の優しさの延長線上なのかもしれないが、その部分だけを切り取れば付き合っていると言っても過言ではないんじゃないか……と思う。

 そういった思い返せば頬が緩みに緩むエピソードの数々だが、けれど一方でまだ懸念する事項があった。
 その懸案事項もあって無邪気にはしゃぎ続けることもできない。俺はそんな思いを引き起こす少女の名をそっと呟く。

「リオ…………」

 そう、リオ。
 一つ年下で茶髪の少女。
 飄々とマイペースで自分を貫き通しながらも、アイドルとしての人気も実力も群を抜いている彼女。
 そんな彼女が俺に好意を抱いてくれている。それは初対面だと思ったあの日から……先週にも重ねて伝えてくれた。

 別に彼氏彼女とかそういった関係にはなっていないのだが、それでも一途な思いを伝えられた以上、事故とはいえキスをしてしまったことに罪悪感を感じていた。
 このまま彼女に連絡し、今日あったことを丸々話したらどうなるだろうか。きっと許してくれるとは思うが内心は穏やかじゃないだろう。

 頭の片隅に避けていた悩みがどんどんと膨れ上がっていき、スッと手がスマホに伸びて仰向けになりながら頭上に持ち上げる。
 この夏新調したアイさんとおそろいのスマホ。彼女は今何を思っているのだろうか……そんなことを考えていると、突然手にしていた物が振動を始めて思わず手の力を緩めてしまう。

「――――つっ!!」

 突然のバイブレーションで宙に浮いてしまったスマホ。
 重力に従ったスマホは無事俺の鼻へ。
 なんとも情けない声を上げながらぶつけた場所をさすり、再度転がったスマホを拾い上げると未だにバイブレーションが鳴り続けていた。

 振動が鳴り続けるところからみるに、どうやら着信が来たみたいだ。

 ……もしや、リオ?
 俺の悩みを第六感で感じ取って電話してくれたのだろうか。
 しかし彼女だったら……何を話したらいいだろう。緊張した面持ちで裏返ったスマホを裏返すと画面に表示されていたのは『エレナ』という三文字。

『……もしもし』
『ハァイ。元気?……って、なんか元気なさそうねぇ』
『ちょっと電話に驚いて鼻ぶつけちゃって』
『あら大丈夫? 気をつけてよね。怪我したらお見舞いに行くわよ?』

 画面に表示された名前、そして聞こえてきた声は偽姉であるエレナだった。
 冗談交じりの提案に思わず苦笑する。たかがスマホ落下の怪我でお見舞いされたらこっちが恥ずかしい。

『怪我もないから大丈夫だよ。それにしてもこんな時間に電話なんて何かあったの?』
『全然、ただの雑談よ。ちょっと仕事の愚痴でも聞いてもらおうかなぁって。……今平気かしら?』

 チラリと時計を見れば時刻はまだ夜の始まり。
 夕食も食べて時間は問題ないことを確認し、肯定の言葉をかける。

『それで愚痴って?』
『そうなのよ。どうしても今日の仕事出会ったことをキミに聞いてほしくって……。今日リオとの仕事終わりに出待ちされたのよ』
『出待ち…………何かあったの?』

 出待ちとは。やはりアイドルはそういうこともあるのか。一体どこからスケジュールが漏れているのだろう。
 そんな疑問を持ちつつ少し真剣な声色で問いかける。もしかして……ストーカーとかそういう?

『あぁ!心配する必要はないわよ!不穏なことなくコミカルな話だから!』

 彼女も声色から察したのだろう。慌てたようにそんな補足が聞こえてきて心底ホッとする。

『それはよかったけど……コミカル?出待ちで?』
『えぇ。その出待ちしてきた子だけど、私と同じくらいの女の子でね。出会った瞬間私に手紙を渡してきて――――』
『ちょっとまって。同い年って…………どっち?』

 ついつい先程の言葉が気になって話を遮ってしまった。
 『私と同じくらい』……それは見た目年齢だろうか。それとも実年齢年齢だろうか。
 見た目年齢なら小学生が出待ちしたということになる。それは確かに微笑ましい話だ。

『慎也……後日くすぐりの刑ね。……その子は高校生くらいの女の子よ。目元は髪で見えなかったけど、金髪に染めてたわ』
『……すみませんでした』

 どうやら実年齢の方であっていたようだ。
 本気トーンで放たれる判決についつい謝ってしまう。

『ま、いいわ。それで中身は私へのラブレターでね。その場で返事をって言われたから丁重にお断りしたんだけど、今度はそれに逆上したのかカッターナイフを向けてきてね』
『え!?大丈夫だったの!?』

 コミカルな話のさなか、突然凶器が出てきて思わず声を荒げてしまう。
 それはまったく穏やかじゃない。以前にもエレナにはそういうこともあったみたいだし、アイドルとはそういうリスクも抱えるのだろうか。

『もちろんよ。じゃなきゃこうしてないじゃない。「向いてくれないのなら私の手で」とか何とか言ってたけど、横から飛び出してきたリオに取り押さえられたわ。知ってた?リオって力強い上に護身術も一番強いのよ?』
『よかった……』

 なんてことなく応えるエレナにホッと息を吐く。
 リオの力強さはなんとなく知っていた。
 先週泊まった日も重そうな荷物を軽々と持ってたし。けれど護身術もできるとは……

『そんなこんなで今日は大変だったのよぉ。キミも気をつけなさい?どこでヤンデレが見てるかわからないわよ?』
『それはないよ。アイドルじゃないし、俺そうそうモテないし』

 告白された経験なんてリオくらいだ。
 彼女は昔からの知り合い補正からくるイレギュラーとして、俺がモテることなんてあるわけ無いだろう。

『……どうかしら?ま、愚痴はこのくらいにしましょ。そうそう、あの時のレコーディングがようやく終わったのだけれどディスクいる?』
『え、くれるの?』
『ホントはダメだけどマネージャーがきっとどうにかしてくれるわ。私が主役の曲だもの。ちゃんと味わって聴いてよね?』

 あのときのレコーディングは夏祭りに聴いた曲のことだ。彼女が作り、センターに立って歌った曲。
 アップテンポでテンションが上がり、紗也たちと一緒に凄く興奮したのを覚えている。

『もちろん。聴けるのを楽しみにしてるよ』
『ならいいわ。 それじゃあ明日も早いし私はここらで寝るわ』
『え、早くない? まだ9時前だよ?』
『明日は会社の大掃除で朝早いのよ。それに……大掃除にかこつけて来週はウチを掃除しなさいってアイに怒られちゃってね…………』

 通話口の向こうから項垂れるような声が聞こえてくる。
 同時に思い出されるは彼女の部屋の散乱よう。風邪を引いていた日なんか相当だった。足の踏み場もなく、放っておいたら虫が湧いてもおかしくないレベル。
 それだけ放置していたということだろう。エレナは掃除スキルもアレだし掃除できるかが心配だ。

 一瞬だけスマホを通話画面からカレンダーを立ち上げ予定を見る。
 来週は予定もなさそうだ。

『エレナ、よければ俺も手伝おうか?』
『それは嬉しいけど……いいの?力仕事だし、細かいところまで掃除するから大変よ?』
『別にそのくらい平気だよ。来週だよね?土曜?』

 アイさんに怒られたのなら手を貸してくれない可能性がある。
 しかしだからといってエレナ一人に任せたら逆に悪化しそうで怖い。そうなったら次回彼女の家に行った際には俺が虫とか足の踏み場的な意味で大変な思いをするのは目に見えていた。
 
『そうね、ならお願いしようかしら。言ったからにはいっぱい働いてもらうわよ!』
『了解。当然エレナも働くんだよ?』
『も………もちろんよっ!』

 完全に不意打ちだったのか若干裏返ったその返事に小さく笑みをこぼす。

『それじゃ、来週はよろしくね慎也。 お礼にキスでもしてあげようかしら?』
『っ――――! う、うぅん。俺がしたいだけだから気にしないで!!』

 突然彼女から発せられた『キス』の言葉に思わず動揺してしまう。
 アイさんとのあの1件の後だ。どうにも敏感になっている。

『ふふっ、冗談よ。掃除、お願いね』
『わ、わかったよ……』

 それからは一言二言短く言葉を重ねてエレナとの通話を切る。
 再び訪れた静寂の部屋。俺は耳に当てていたスマホを放り投げてベッドの上で仰向けになる。

「キス、か――――」

 最後の言葉によって嫌でも思い出さざるを得なかった今日のこと。
 彼女はアイさんとの一件のことを知っていたのだろうか。いや、それならあんなトーンで話さないと自らの思考を否定する。
 それでも、いずれはみんなと向き合わなければならないんだろうなと、今日は1日中悶々とした時を過ごすのであった。
 
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