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第4章

091.電池切れ

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 いつもの夜。
 静かな時が流れていく。

 いつも賑やかしに付けるテレビも光を無くし、音楽も、話し声だってこの場には流れない。
 ただ、コツコツとした机に硬いものが触れる音だけが響いてく。

 しかし決して不快なんてことも無い。
 むしろ、目の前のことに集中することができるから万々歳な環境である。
 たまに動かしていた手を止め、机に広げられた本に目を移す。底に書かれた公式、その例題から現在立ち止まっている位置を確認し、再び手を動かす。

 常日頃から行われている日課。
 机に向かい始めて15分。今日は随分と進みが早いなと思いながらノートに数式を書き込んでいく。
 正答率も問題ない。きっと程よい緊張感が脳をクリアにしてくれているんだろうと理解する。

 このまま後ろで座っている緊張感を生み出している人物も、寝る時間まで大人しくしてくれれば――――

「ねぇ~」
「……………」

 時が過ぎるのを待って――――

「ねぇ~。ね~ぇ~。 し~んやク~ン」
「…………リオ」

 待ってはくれなかった。
 後ろから退屈そうな声が聞こえてくる。
 背中を向けていて姿こそわからないものの、退屈そうにゴロゴロしている事は想像に難くない。

「ね~、イチャイチャしよ~よ~」
「…………はぁ」

 後ろから聞こえる声に耐えきれなくなった俺は、一つため息をついてクルリと椅子を回転させる。
 後方にあるベッド。その上で一人枕を抱いたままコロコロとしているのは今日泊まりに来たリオだった。

 退屈そうに回っている彼女の姿は俺と同じく寝間着姿。
 薄い青色の生地に所々ハートがあしらわれた綿製のパジャマで、角度的に見えそうな胸元を知ってか知らずか抱いた枕で隠している。
 いつもはゆるふわで少しウェーブのかかった茶色い髪もストレートへと変貌しており、お風呂上がりだということを意識させて少し色っぽい。

「しんやク~ン」
「……学校の課題あるから。ちょっとまってて」

 猫なで声で甘えてくるアイドルを適当にあしらって机に向き直る。
 
 こちらはイチャイチャする気などまったくない。
 いや、全くは言い過ぎか。血の涙を飲んそういった事はまだ早いと結論づけたのだ。

 据え膳。鴨が葱を背負って来るようなシチュエーションだが、このまま手を出せばエレナやアイさんに死より恐ろしい目にあわされるだろう。
 リオはアイドルを辞める覚悟があると以前言っていたが、グループで活動する以上それは生半可なことではない。それにマネージャーの神鳥さんも俺を信頼してくれているのだろうから、その信頼を裏切りたくない。
 その為、課題が終わればすぐに紗也か母さんたちの部屋に逃げ込む計画を立てている。この部屋は明け渡そう。

「さっきそれ言って何分経ったと思う~?」
「…………10分くらい?」
「1時間だよ~ 暇~!」
「……あら」

 体感15分。
 けれど蓋を開けてみれば1時間と、自らの感覚の差異に小さく驚きの声を上げる。
 時計を見れば11時。ちょっと集中してしまえば時間が過ぎるのは早いものだ。

「リオもいい時間だし、そろそろ休んじゃえば?」
「全然眠くないし、泊まりに来た意味がなくなるじゃん」

 枕を抱きながら首をふる彼女に、そんなこと言われてもと小さく言葉をこぼす。

 けれど確かに、ある意味では彼女の言うことには一理ある。
 仕事の合間を縫って来てくれてるのに邪険にしすぎるのもダメか。そもそも客人を放っておいて勉強というのも正直やりづらい。
 その結論に至った俺は黙って立ち上がり、リオがゴロゴロしているベッドの横へと足を動かす。

「おっ、ようやくその気になった? じゃあ早速イチャイチャしよう――――」

 ドンッ――――――――!!

「えっ…………」

 小さな彼女の口から、事態を理解できない呆けた声が漏れ出てきた。
 
 すぐ目と鼻の先には彼女の小さな顔。
 俺は寝転がっている彼女の頭のすぐ隣に片手を優しく叩きつけた。
 いわゆる壁ドンのベッドバージョンだ。隣人への嫌がらせ目的ではなく、少女漫画的な意味のほう。

 彼女もまさか俺が行動に移すと思っていなかったのだろう。その大きな目は更に見開き、言葉も中断されて互いに視線が交差する。

 小さな丸顔に大きな茶色の瞳。
 傍目からは汚れなど知らないその瞳の奥に、どれだけの苦労を写してきたのだろう。
 トップアイドルにまで上り詰めたのだから相当苦労してきたはずだ。
 今日だって、もしかしたら仕事をキャンセルしたり無理して会いに来てくれたのかもしれない。
 そんな彼女の柔らかな髪を手でそっと梳いていく。

「俺だって色々と我慢してるんだ。あんまりからかうと酷い目に遭うぞ」


 なんて、ちょっとした脅しの言葉を投げかける。

 少しらしくないこと言ってしまったが、これくらい言っとけばある程度わかってくれるだろう。
 好いてくれるのは嬉しい。信頼してくれるのもわかるから凄く嬉しい。
 でも、それだと俺の心臓も持たないし、保護者でもある神鳥さんに申し訳が立たない。何よりまだ俺が身を固められるような環境じゃない。だからわかってほしい。

「……なんてね。驚かせてごめん」
「しん……や………」
「でも、無防備なリオも悪いんだよ。これに懲りたらもうちょっと警戒し――――」

 ベッドに置いた手を離し、立ち上がろうとベッド縁に腰掛けたその時だった。
 俺がリオから目を離した瞬間だった。突然後ろからその細い手が俺の首に伸びてきて、力いっぱい引っ張られる。

 その体重すらかかった引き込みに不意を突かれた俺はなすすべもなく、二人揃ってベッドに倒れ込んでしまう。

「リ……オ……?」

 気づいた時には俺の首には彼女の腕が絡みついていて、思い切り抱きつくようにベッドに横になっていた。
 ちょうど首と肩の間に俺の頭が入り込んでいるものだから彼女の表情が全く見えない。
 わかるのは力いっぱい抱きしめられていて、彼女の柔らかくも小さな体躯を全身で感じ取れることくらいだ。


 まるで堪能するかのような数分間。
 しばらくしてようやく腕の力を緩めた彼女は、まるで悪戯に成功したかのような無邪気な笑顔をこちらに見せつける。

「慎也クン、つーかまーえたっ!」
「怖く、ないの……?」

 見せた表情は強さとは真逆の感情だった。
 経験の浅い俺からしたら渾身の脅し。怖がるという自らの予想とはまったく違う表情に今度は俺が目を瞬かせる。

「私がどれだけ押し倒されることを妄想したと思ってるの?そのまま純潔を散らすとこまでは毎日妄想してたんだからっ!」
「純っ……!?」

 彼女のその言葉は全て想定内……いや、妄想内であることを示していた。
 驚きの余り離れようとするがしっかりホールドされていて身動き一つ取ることが出来ない。

 驚くと同時に理解も出来た。
 それならアレくらいで怯むわけもない。……逆にこちらがが捉えられたということはミイラ取りがミイラだなと胸の内で笑う彼女を見て理解する。

「さぁって、これで朝までイチャイチャ……しよ?」
「でも、まだ課題だって残ってるんだし……」
「…………しないの?」
「?」

 いつもの通り返事をしたら今度は彼女の声が高く、小さくなりその絡みついていた手の力が緩んでいく。
 その隙に距離を取り、はたから見れば押し倒すように腕で支えを取りながら彼女の表情を伺うと、目を伏せながらチラチラとこちらの様子を伺っているリオの姿があった。

「リオ……?」
「しないん……ですか?慎也さん……。 私、恥ずかしいのを堪えて、こんなに頑張ってますのに……」
「っ――――!!」

 それはリオの豹変。
 気づけばいつもの彼女とは打って変わってしおらしく、儚げな様子へと変貌していた。
 目の縁には薄っすらと涙が浮かんでいていつもの射抜くような視線も今は合わせようとはしない。

 もしかしたらリオもずっと心を抑えていたんじゃないかと今更ながらに後悔する。
 リオだって普段から頑張っている。今だって恥ずかしいのに頑張ってる。
 そんなことも知らずに俺はずさんな返事を……

「ごめ……そんなに傷つくとは、知らずに…………」
「――――っ!隙ありぃ!!」
「えっ…………なぁっ――――!!」

 自らの言動を反省して目を伏せた、その時だった。
 彼女はまたもや俺の腕に絡みつき、力いっぱいこちらに引き寄せてきた。

 その勢いのまま留まることを知らないまま二人の顔の距離は近づいてき…………そっと唇のすぐ横に柔らかな感触が触れてくる。

「これ……は……」

 ようやく解放されてから自らの頬に手を触れると、鮮明に記憶してしまった頬に触れたもののの記憶。
 あとほんの数センチ。狙ってか狙わずか、彼女は俺の頬にキスしたのだ。

「ふっふっふ……アイのマネをしてみたけど、案外できるものね」
「……やられた」

 そう腰に手を当て笑う彼女は勝ち誇った様子。
 リオ……一瞬でアレほど空気を変えられるなら名女優になれるよ。顔真っ赤だけど。

「アイさんの真似だったのか……すっかり落ち込んでると思ってた」
「ごめんごめん……でも、慎也クンも、避けようと思えば避けれたのに……ありがと。私はイチャイチャできて……満足…………」

 段々と彼女の言葉が跡切れ跡切れになっていき、最後の言葉を振り絞ったかと思いきやその顔が伏せっていき動かなくなってしまう。

「……リオ?ちょっと……?」

 突然の黙り込みに軽く揺らすも反応はない。
 しかし背中は上下に動いている。これはまさかとそっと体を持ち上げて彼女の様子を伺ってみる。

「もしかして……寝ちゃった?」

 ひっくり返した彼女は案の定、スゥスゥと規則正しい寝息を立てるリオがあった。

 完全に寝ている。まるで電池切れのように。
 きっと、リオもなんだかんだ疲れてたんだろう。

 まるで勝ち逃げされた気分。このままではしてやられっぱなしで悔しい俺は少し卑怯だと思いつつ、その垂れて隠れた髪を分けつつ、頬に自らの顔を近づけて――――

「――――おやすみ、リオ。今日はありがとね」

 チュッと、微かなリップ音が部屋の中に響いた。

 課題はまた明日でいいだろう。
 リオに脇へと追いやられていた布団を掛け、そっと離れて電気を消す。

 彼女に触れた瞬間、ビクンと大きく彼女の身体が跳ねたのはきっと気のせいだろう。
 だってそうじゃなきゃ、そうじゃなきゃ今の俺の顔は真っ赤どころでは収まらないから――――。
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