上 下
66 / 167
第3章

066.不機嫌なお姫様

しおりを挟む
 乗り込んだタクシーは学校からもラーメン屋からもグングンと距離を取り、国道をひたすら走り続ける。
 そのスピードは誰をも追いつけぬもうスピード……なんてことはもちろんなく、タクシーらしい交通安全の快適な運転だ。
 むしろ快適すぎて、程よい揺れと泳いでいた疲労感から眠れと言われれば一瞬で眠れる自信がある。

 車内の人間は三人。運転手さんにエレナ、そして俺だ。
 けれど三者とも会話なぞ一言たりともなく、エレナも発進を宣言して以降窓に頬杖ついて外の景色をボーッと眺めていた。

 俺から車内を盛り上げようとも思ったが……どんな会話していたっけ?
 そういえば空気を作るのも話題のベースを整えるのもずっと彼女がやっていて、俺から動くなんて事はほとんど無かったかもしれない。
 そんなこんなで語りかけようとするも話題が思いつかず、尻込みしては引っ込んでしまうのを何度か繰り返していた。

「ふふっ……」

 と、何度目かも知れない尻込みをした時だった。
 俺が意を決してエレナの方を向き、会話を諦めて再度顔を伏せると車内に小さな笑い声が渡った。
 その声の方向へ顔を向けると会社の制服に身を包み、正面から目を逸らすことなく安全運転を続けている運転手さんが片手を口元にやり小さく微笑んでいるのが見て取れた。

「エレナさん、もうちょっと優しくしてあげてもいいんじゃないです? 彼、困ってますよ?」

 チラリと微かな視線を感じて少し視線を上にずらせばルームミラー越しに運転手さんと目が合う。
 あぁ、そっか。俺がずっと話しかけようとしていたのをミラー越しにずっと見られていたわけだ。彼女は運転に気を配りつつもチラチラとミラー越しに俺とエレナへ意識を向ける。

「………………ふんっ!」
「エ、エレナ?」

 対して呼ばれたエレナはどうにも虫の居所が悪いようだ。ミラーに視線を向けるよう少し顔を動かしたと思ったら、わかりやすく怒っていることを主張しながらまたもや顔を外へと向けさせる。

「ツーン」
「……エレナ?」
「ツーンッ!」

 俺の呼びかけにも一切応答する様子が見られない…………いや、これはどうなのだろうか。
 確かに応答はしてくれないがわかりやすく「ツーン」って言ったりしてアピールしているようにも見える。俺、何か怒らせるようなことしたっけ?

「最年長って言ってもまだまだですねぇ」

 彼女の不可解な行動にお手上げ状態になっていると、助け舟を出すように声を発したのは運転手さんだった。
 その声は助けるというより、正確にはからかうような、楽しげな様子だ。

「――――たしか、前坂さんでしたよね?」
「あ、はい」
「エレナさんは怒ってるんですよ」
「それはまぁ……見れば……」

 見ればわかる。言葉付きで怒ってくれるのだからわかりやすいことこの上ない。

 問題はその原因だ。怒らせる原因は……無いこともないな。
 俺のからかいが度を超えた、夏祭りの紗也の件、泊まりで気に食わない事があった等。列挙してみればその可能性となりうるものはなくもないが、乗る直前まで普段どおりだったのに乗った途端豹変するのは不可解だ。むしろ怒っているならああやって呼ばないだろう。

「その様子ですと心当たりが無いみたいですね?」
「……すみません」
「仕方ありません。特別に私が答えをお教えしましょう」
「ちょっと奏代香そよか!」

 奏代香……運転手さんの名前か。
 エレナは気を利かせたであろう彼女の言葉に噛み付くように声を上げ手をのばすも、相手は運転中の身。伸ばしかけた手は空を切り自らの膝の上へと落ちていく。
 そんな様子すらもミラーで把握していた彼女は軽く微笑んでから弾んだ声で話を続ける。

「エレナさんはですね、乗車前にアイさんの名前を出した途端心変わりしたのが気に入らなかったみたいなんですよ。ほら、最初は少し乗り気じゃなかったでしょう?」
「…………あっ」

 確かにさっき、空腹が先行しすぎてラーメンのことで頭がいっぱいだった。
 それから目の前でラーメンが遠ざかる気がしたから確かに嫌な顔をしてしまったのかもしれない。そんなのを見たらいくらエレナでも嫌な気持ちになるだろう。

「エレナ……俺――――」
「それでですね、私よりもアイさんのほうが優先度は上なのかって怒っちゃったみたいなんですよ。 可愛いですよね?だってエレナさんは嫉妬しちゃってたんですよ?前坂さんに」
「ああああぁぁぁぁぁぁぁ……………」

 俺の言葉を遮って、微笑みながら止めを刺す運転手さんに座ったまま上半身だけ崩れ落ちるエレナ。

 嫉妬? 誰が?誰に?

 まさかと信じられなかったが、この惨状からそれは本当のようだ。
 なんだろう……エレナが聞いたら更に怒るかもしれないけど……嬉しい。

「エレナ……その……ごめん」
「謝るんじゃないわよぉ…………傷に塩を塗り込んじゃうでしょぉ…………」

 さっきまでの怒りからとはまた違うベクトルの、今度は羞恥か、はたまた後悔かの感情に顔を伏せってしまって未だに顔を合わせてくれないエレナ。
 俺は両扉に座っていた状態から身体一つ分彼女に近づき、すぐ隣まで移動してから伏せった頭にそっと手を乗せる。

「えっと、こう言ったら更に怒るかもだけど……嬉しかった」
「…………なんでよ?」

 数泊置いて返ってきた返事はとても簡素なものだったが、その言葉に嫌悪のたぐいは一切含まれていなかった。どちらかと言うと紗也が母さんに怒られて慰めている時のソレに近い。少しだけ拗ねているような、けれど離れたら怒る時の。

「その……エ、エレナに……俺を大事に思ってくれてるって実感できて……」
「慎也…………」

 今まで伏せていた頭が浮かび、こちらへと向けられる。
 その時見えた彼女の大空を思わせる瞳の端には小さく涙が浮かんでいた。どんな感情から生まれてきたのかはわかりっこないが、今は完全に止まっていて俺も笑いかけながら心の奥底で安堵する。

「だって――――」
「だって?」
「だって、エレナは俺の姉だもんね。俺も紗也にほったらかしにされたら嫉妬しちゃうし」

「――――あちゃー……」

 何か前の方から小さく残念がるような声がした。その上空気が凍りついたような妙な感覚も。
 けれど今の俺にはそこまで意識を向ける余裕なく、エレナに言葉を続ける。

「夏休みの時だって、紗也が求めてくれて本当に嬉しかったけど、俺もみんなと話してるとき少しだけ嫉妬しちゃ――――」
「――――ふんっ!」
「あだぁ!」

 痛……くない?

 何?何されたの!?
 影が俺の目の前を掠めていったと思ったら突如襲われるのは額に走る衝撃音。痛みは無かったものの、ダイナマイトが爆発したみたいな音が車内隅々まで響き渡った。
 突然の出来事に片手で額を押さえながら目の端に涙を浮かべてエレナを見ると、その手は人差し指と親指で輪っかを作っては弾く動作を繰り返している。

 どうやらあの一瞬でデコピンをされたみたいだ。
 音は爆発レベルなのに傷みはないとか器用なことをする。

「奏代香、慎也にはかまわないでいいから早く行っちゃって」
「これは私でも擁護できませんねぇ…………わかりました。安全運転で急ぎますね」
「……?」

 痛みから復帰出来たと思ったらエレナはまたもや頬杖をついてさっきまでと同じ体勢になってしまった。
 ミラー越しに運転手へ助けを求めるも苦笑いをしながら視線を外される。

「ベーっだ!慎也なんて知らない!」
「えぇ!?」

 そこからまた彼女の機嫌がもとに戻る頃には、とっくに目的地にたどり着いているのであった――――
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

催眠アプリで恋人を寝取られて「労働奴隷」にされたけど、仕事の才能が開花したことで成り上がり、人生逆転しました

フーラー
ファンタジー
「催眠アプリで女性を寝取り、ハーレムを形成するクソ野郎」が ざまぁ展開に陥る、異色の異世界ファンタジー。 舞台は異世界。 売れないイラストレーターをやっている獣人の男性「イグニス」はある日、 チートスキル「催眠アプリ」を持つ異世界転移者「リマ」に恋人を寝取られる。 もともとイグニスは収入が少なく、ほぼ恋人に養ってもらっていたヒモ状態だったのだが、 リマに「これからはボクらを養うための労働奴隷になれ」と催眠をかけられ、 彼らを養うために働くことになる。 しかし、今のイグニスの収入を差し出してもらっても、生活が出来ないと感じたリマは、 イグニスに「仕事が楽しくてたまらなくなる」ように催眠をかける。 これによってイグニスは仕事にまじめに取り組むようになる。 そして努力を重ねたことでイラストレーターとしての才能が開花、 大劇団のパンフレット作製など、大きな仕事が舞い込むようになっていく。 更にリマはほかの男からも催眠で妻や片思いの相手を寝取っていくが、 その「寝取られ男」達も皆、その時にかけられた催眠が良い方に作用する。 これによって彼ら「寝取られ男」達は、 ・ゲーム会社を立ち上げる ・シナリオライターになる ・営業で大きな成績を上げる など次々に大成功を収めていき、その中で精神的にも大きな成長を遂げていく。 リマは、そんな『労働奴隷』達の成長を目の当たりにする一方で、 自身は自堕落に生活し、なにも人間的に成長できていないことに焦りを感じるようになる。 そして、ついにリマは嫉妬と焦りによって、 「ボクをお前の会社の社長にしろ」 と『労働奴隷』に催眠をかけて社長に就任する。 そして「現代のゲームに関する知識」を活かしてゲーム業界での無双を試みるが、 その浅はかな考えが、本格的な破滅の引き金となっていく。 小説家になろう・カクヨムでも掲載しています!

ネットで出会った最強ゲーマーは人見知りなコミュ障で俺だけに懐いてくる美少女でした

黒足袋
青春
インターネット上で†吸血鬼†を自称する最強ゲーマー・ヴァンピィ。 日向太陽はそんなヴァンピィとネット越しに交流する日々を楽しみながら、いつかリアルで会ってみたいと思っていた。 ある日彼はヴァンピィの正体が引きこもり不登校のクラスメイトの少女・月詠夜宵だと知ることになる。 人気コンシューマーゲームである魔法人形(マドール)の実力者として君臨し、ネットの世界で称賛されていた夜宵だが、リアルでは友達もおらず初対面の相手とまともに喋れない人見知りのコミュ障だった。 そんな夜宵はネット上で仲の良かった太陽にだけは心を開き、外の世界へ一緒に出かけようという彼の誘いを受け、不器用ながら交流を始めていく。 太陽も世間知らずで危なっかしい夜宵を守りながら二人の距離は徐々に近づいていく。 青春インターネットラブコメ! ここに開幕! ※表紙イラストは佐倉ツバメ様(@sakura_tsubame)に描いていただきました。

大好きな彼女を学校一のイケメンに寝取られた。そしたら陰キャの僕が突然モテ始めた件について

ねんごろ
恋愛
僕の大好きな彼女が寝取られた。学校一のイケメンに…… しかし、それはまだ始まりに過ぎなかったのだ。 NTRは始まりでしか、なかったのだ……

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

[完結済み]男女比1対99の貞操観念が逆転した世界での日常が狂いまくっている件

森 拓也
キャラ文芸
俺、緒方 悟(おがた さとる)は意識を取り戻したら男女比1対99の貞操観念が逆転した世界にいた。そこでは男が稀少であり、何よりも尊重されていて、俺も例外ではなかった。 学校の中も、男子生徒が数人しかいないからまるで雰囲気が違う。廊下を歩いてても、女子たちの声だけが聞こえてくる。まるで別の世界みたいに。 そんな中でも俺の周りには優しいな女子たちがたくさんいる。特に、幼馴染の美羽はずっと俺のことを気にかけてくれているみたいで……

幼なじみ三人が勇者に魅了されちゃって寝盗られるんだけど数年後勇者が死んで正気に戻った幼なじみ達がめちゃくちゃ後悔する話

妄想屋さん
ファンタジー
『元彼?冗談でしょ?僕はもうあんなのもうどうでもいいよ!』 『ええ、アタシはあなたに愛して欲しい。あんなゴミもう知らないわ!』 『ええ!そうですとも!だから早く私にも――』  大切な三人の仲間を勇者に〈魅了〉で奪い取られて絶望した主人公と、〈魅了〉から解放されて今までの自分たちの行いに絶望するヒロイン達の話。

勝負に勝ったので委員長におっぱいを見せてもらった

矢木羽研
青春
優等生の委員長と「勝ったほうが言うことを聞く」という賭けをしたので、「おっぱい見せて」と頼んでみたら……青春寸止めストーリー。

処理中です...