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第3章
066.不機嫌なお姫様
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乗り込んだタクシーは学校からもラーメン屋からもグングンと距離を取り、国道をひたすら走り続ける。
そのスピードは誰をも追いつけぬもうスピード……なんてことはもちろんなく、タクシーらしい交通安全の快適な運転だ。
むしろ快適すぎて、程よい揺れと泳いでいた疲労感から眠れと言われれば一瞬で眠れる自信がある。
車内の人間は三人。運転手さんにエレナ、そして俺だ。
けれど三者とも会話なぞ一言たりともなく、エレナも発進を宣言して以降窓に頬杖ついて外の景色をボーッと眺めていた。
俺から車内を盛り上げようとも思ったが……どんな会話していたっけ?
そういえば空気を作るのも話題のベースを整えるのもずっと彼女がやっていて、俺から動くなんて事はほとんど無かったかもしれない。
そんなこんなで語りかけようとするも話題が思いつかず、尻込みしては引っ込んでしまうのを何度か繰り返していた。
「ふふっ……」
と、何度目かも知れない尻込みをした時だった。
俺が意を決してエレナの方を向き、会話を諦めて再度顔を伏せると車内に小さな笑い声が渡った。
その声の方向へ顔を向けると会社の制服に身を包み、正面から目を逸らすことなく安全運転を続けている運転手さんが片手を口元にやり小さく微笑んでいるのが見て取れた。
「エレナさん、もうちょっと優しくしてあげてもいいんじゃないです? 彼、困ってますよ?」
チラリと微かな視線を感じて少し視線を上にずらせばルームミラー越しに運転手さんと目が合う。
あぁ、そっか。俺がずっと話しかけようとしていたのをミラー越しにずっと見られていたわけだ。彼女は運転に気を配りつつもチラチラとミラー越しに俺とエレナへ意識を向ける。
「………………ふんっ!」
「エ、エレナ?」
対して呼ばれたエレナはどうにも虫の居所が悪いようだ。ミラーに視線を向けるよう少し顔を動かしたと思ったら、わかりやすく怒っていることを主張しながらまたもや顔を外へと向けさせる。
「ツーン」
「……エレナ?」
「ツーンッ!」
俺の呼びかけにも一切応答する様子が見られない…………いや、これはどうなのだろうか。
確かに応答はしてくれないがわかりやすく「ツーン」って言ったりしてアピールしているようにも見える。俺、何か怒らせるようなことしたっけ?
「最年長って言ってもまだまだですねぇ」
彼女の不可解な行動にお手上げ状態になっていると、助け舟を出すように声を発したのは運転手さんだった。
その声は助けるというより、正確にはからかうような、楽しげな様子だ。
「――――たしか、前坂さんでしたよね?」
「あ、はい」
「エレナさんは怒ってるんですよ」
「それはまぁ……見れば……」
見ればわかる。言葉付きで怒ってくれるのだからわかりやすいことこの上ない。
問題はその原因だ。怒らせる原因は……無いこともないな。
俺のからかいが度を超えた、夏祭りの紗也の件、泊まりで気に食わない事があった等。列挙してみればその可能性となりうるものはなくもないが、乗る直前まで普段どおりだったのに乗った途端豹変するのは不可解だ。むしろ怒っているならああやって呼ばないだろう。
「その様子ですと心当たりが無いみたいですね?」
「……すみません」
「仕方ありません。特別に私が答えをお教えしましょう」
「ちょっと奏代香!」
奏代香……運転手さんの名前か。
エレナは気を利かせたであろう彼女の言葉に噛み付くように声を上げ手をのばすも、相手は運転中の身。伸ばしかけた手は空を切り自らの膝の上へと落ちていく。
そんな様子すらもミラーで把握していた彼女は軽く微笑んでから弾んだ声で話を続ける。
「エレナさんはですね、乗車前にアイさんの名前を出した途端心変わりしたのが気に入らなかったみたいなんですよ。ほら、最初は少し乗り気じゃなかったでしょう?」
「…………あっ」
確かにさっき、空腹が先行しすぎてラーメンのことで頭がいっぱいだった。
それから目の前でラーメンが遠ざかる気がしたから確かに嫌な顔をしてしまったのかもしれない。そんなのを見たらいくらエレナでも嫌な気持ちになるだろう。
「エレナ……俺――――」
「それでですね、私よりもアイさんのほうが優先度は上なのかって怒っちゃったみたいなんですよ。 可愛いですよね?だってエレナさんは嫉妬しちゃってたんですよ?前坂さんに」
「ああああぁぁぁぁぁぁぁ……………」
俺の言葉を遮って、微笑みながら止めを刺す運転手さんに座ったまま上半身だけ崩れ落ちるエレナ。
嫉妬? 誰が?誰に?
まさかと信じられなかったが、この惨状からそれは本当のようだ。
なんだろう……エレナが聞いたら更に怒るかもしれないけど……嬉しい。
「エレナ……その……ごめん」
「謝るんじゃないわよぉ…………傷に塩を塗り込んじゃうでしょぉ…………」
さっきまでの怒りからとはまた違うベクトルの、今度は羞恥か、はたまた後悔かの感情に顔を伏せってしまって未だに顔を合わせてくれないエレナ。
俺は両扉に座っていた状態から身体一つ分彼女に近づき、すぐ隣まで移動してから伏せった頭にそっと手を乗せる。
「えっと、こう言ったら更に怒るかもだけど……嬉しかった」
「…………なんでよ?」
数泊置いて返ってきた返事はとても簡素なものだったが、その言葉に嫌悪のたぐいは一切含まれていなかった。どちらかと言うと紗也が母さんに怒られて慰めている時のソレに近い。少しだけ拗ねているような、けれど離れたら怒る時の。
「その……エ、エレナに……俺を大事に思ってくれてるって実感できて……」
「慎也…………」
今まで伏せていた頭が浮かび、こちらへと向けられる。
その時見えた彼女の大空を思わせる瞳の端には小さく涙が浮かんでいた。どんな感情から生まれてきたのかはわかりっこないが、今は完全に止まっていて俺も笑いかけながら心の奥底で安堵する。
「だって――――」
「だって?」
「だって、エレナは俺の姉だもんね。俺も紗也にほったらかしにされたら嫉妬しちゃうし」
「――――あちゃー……」
何か前の方から小さく残念がるような声がした。その上空気が凍りついたような妙な感覚も。
けれど今の俺にはそこまで意識を向ける余裕なく、エレナに言葉を続ける。
「夏休みの時だって、紗也が求めてくれて本当に嬉しかったけど、俺もみんなと話してるとき少しだけ嫉妬しちゃ――――」
「――――ふんっ!」
「あだぁ!」
痛……くない?
何?何されたの!?
影が俺の目の前を掠めていったと思ったら突如襲われるのは額に走る衝撃音。痛みは無かったものの、ダイナマイトが爆発したみたいな音が車内隅々まで響き渡った。
突然の出来事に片手で額を押さえながら目の端に涙を浮かべてエレナを見ると、その手は人差し指と親指で輪っかを作っては弾く動作を繰り返している。
どうやらあの一瞬でデコピンをされたみたいだ。
音は爆発レベルなのに傷みはないとか器用なことをする。
「奏代香、慎也にはかまわないでいいから早く行っちゃって」
「これは私でも擁護できませんねぇ…………わかりました。安全運転で急ぎますね」
「……?」
痛みから復帰出来たと思ったらエレナはまたもや頬杖をついてさっきまでと同じ体勢になってしまった。
ミラー越しに運転手へ助けを求めるも苦笑いをしながら視線を外される。
「ベーっだ!慎也なんて知らない!」
「えぇ!?」
そこからまた彼女の機嫌がもとに戻る頃には、とっくに目的地にたどり着いているのであった――――
そのスピードは誰をも追いつけぬもうスピード……なんてことはもちろんなく、タクシーらしい交通安全の快適な運転だ。
むしろ快適すぎて、程よい揺れと泳いでいた疲労感から眠れと言われれば一瞬で眠れる自信がある。
車内の人間は三人。運転手さんにエレナ、そして俺だ。
けれど三者とも会話なぞ一言たりともなく、エレナも発進を宣言して以降窓に頬杖ついて外の景色をボーッと眺めていた。
俺から車内を盛り上げようとも思ったが……どんな会話していたっけ?
そういえば空気を作るのも話題のベースを整えるのもずっと彼女がやっていて、俺から動くなんて事はほとんど無かったかもしれない。
そんなこんなで語りかけようとするも話題が思いつかず、尻込みしては引っ込んでしまうのを何度か繰り返していた。
「ふふっ……」
と、何度目かも知れない尻込みをした時だった。
俺が意を決してエレナの方を向き、会話を諦めて再度顔を伏せると車内に小さな笑い声が渡った。
その声の方向へ顔を向けると会社の制服に身を包み、正面から目を逸らすことなく安全運転を続けている運転手さんが片手を口元にやり小さく微笑んでいるのが見て取れた。
「エレナさん、もうちょっと優しくしてあげてもいいんじゃないです? 彼、困ってますよ?」
チラリと微かな視線を感じて少し視線を上にずらせばルームミラー越しに運転手さんと目が合う。
あぁ、そっか。俺がずっと話しかけようとしていたのをミラー越しにずっと見られていたわけだ。彼女は運転に気を配りつつもチラチラとミラー越しに俺とエレナへ意識を向ける。
「………………ふんっ!」
「エ、エレナ?」
対して呼ばれたエレナはどうにも虫の居所が悪いようだ。ミラーに視線を向けるよう少し顔を動かしたと思ったら、わかりやすく怒っていることを主張しながらまたもや顔を外へと向けさせる。
「ツーン」
「……エレナ?」
「ツーンッ!」
俺の呼びかけにも一切応答する様子が見られない…………いや、これはどうなのだろうか。
確かに応答はしてくれないがわかりやすく「ツーン」って言ったりしてアピールしているようにも見える。俺、何か怒らせるようなことしたっけ?
「最年長って言ってもまだまだですねぇ」
彼女の不可解な行動にお手上げ状態になっていると、助け舟を出すように声を発したのは運転手さんだった。
その声は助けるというより、正確にはからかうような、楽しげな様子だ。
「――――たしか、前坂さんでしたよね?」
「あ、はい」
「エレナさんは怒ってるんですよ」
「それはまぁ……見れば……」
見ればわかる。言葉付きで怒ってくれるのだからわかりやすいことこの上ない。
問題はその原因だ。怒らせる原因は……無いこともないな。
俺のからかいが度を超えた、夏祭りの紗也の件、泊まりで気に食わない事があった等。列挙してみればその可能性となりうるものはなくもないが、乗る直前まで普段どおりだったのに乗った途端豹変するのは不可解だ。むしろ怒っているならああやって呼ばないだろう。
「その様子ですと心当たりが無いみたいですね?」
「……すみません」
「仕方ありません。特別に私が答えをお教えしましょう」
「ちょっと奏代香!」
奏代香……運転手さんの名前か。
エレナは気を利かせたであろう彼女の言葉に噛み付くように声を上げ手をのばすも、相手は運転中の身。伸ばしかけた手は空を切り自らの膝の上へと落ちていく。
そんな様子すらもミラーで把握していた彼女は軽く微笑んでから弾んだ声で話を続ける。
「エレナさんはですね、乗車前にアイさんの名前を出した途端心変わりしたのが気に入らなかったみたいなんですよ。ほら、最初は少し乗り気じゃなかったでしょう?」
「…………あっ」
確かにさっき、空腹が先行しすぎてラーメンのことで頭がいっぱいだった。
それから目の前でラーメンが遠ざかる気がしたから確かに嫌な顔をしてしまったのかもしれない。そんなのを見たらいくらエレナでも嫌な気持ちになるだろう。
「エレナ……俺――――」
「それでですね、私よりもアイさんのほうが優先度は上なのかって怒っちゃったみたいなんですよ。 可愛いですよね?だってエレナさんは嫉妬しちゃってたんですよ?前坂さんに」
「ああああぁぁぁぁぁぁぁ……………」
俺の言葉を遮って、微笑みながら止めを刺す運転手さんに座ったまま上半身だけ崩れ落ちるエレナ。
嫉妬? 誰が?誰に?
まさかと信じられなかったが、この惨状からそれは本当のようだ。
なんだろう……エレナが聞いたら更に怒るかもしれないけど……嬉しい。
「エレナ……その……ごめん」
「謝るんじゃないわよぉ…………傷に塩を塗り込んじゃうでしょぉ…………」
さっきまでの怒りからとはまた違うベクトルの、今度は羞恥か、はたまた後悔かの感情に顔を伏せってしまって未だに顔を合わせてくれないエレナ。
俺は両扉に座っていた状態から身体一つ分彼女に近づき、すぐ隣まで移動してから伏せった頭にそっと手を乗せる。
「えっと、こう言ったら更に怒るかもだけど……嬉しかった」
「…………なんでよ?」
数泊置いて返ってきた返事はとても簡素なものだったが、その言葉に嫌悪のたぐいは一切含まれていなかった。どちらかと言うと紗也が母さんに怒られて慰めている時のソレに近い。少しだけ拗ねているような、けれど離れたら怒る時の。
「その……エ、エレナに……俺を大事に思ってくれてるって実感できて……」
「慎也…………」
今まで伏せていた頭が浮かび、こちらへと向けられる。
その時見えた彼女の大空を思わせる瞳の端には小さく涙が浮かんでいた。どんな感情から生まれてきたのかはわかりっこないが、今は完全に止まっていて俺も笑いかけながら心の奥底で安堵する。
「だって――――」
「だって?」
「だって、エレナは俺の姉だもんね。俺も紗也にほったらかしにされたら嫉妬しちゃうし」
「――――あちゃー……」
何か前の方から小さく残念がるような声がした。その上空気が凍りついたような妙な感覚も。
けれど今の俺にはそこまで意識を向ける余裕なく、エレナに言葉を続ける。
「夏休みの時だって、紗也が求めてくれて本当に嬉しかったけど、俺もみんなと話してるとき少しだけ嫉妬しちゃ――――」
「――――ふんっ!」
「あだぁ!」
痛……くない?
何?何されたの!?
影が俺の目の前を掠めていったと思ったら突如襲われるのは額に走る衝撃音。痛みは無かったものの、ダイナマイトが爆発したみたいな音が車内隅々まで響き渡った。
突然の出来事に片手で額を押さえながら目の端に涙を浮かべてエレナを見ると、その手は人差し指と親指で輪っかを作っては弾く動作を繰り返している。
どうやらあの一瞬でデコピンをされたみたいだ。
音は爆発レベルなのに傷みはないとか器用なことをする。
「奏代香、慎也にはかまわないでいいから早く行っちゃって」
「これは私でも擁護できませんねぇ…………わかりました。安全運転で急ぎますね」
「……?」
痛みから復帰出来たと思ったらエレナはまたもや頬杖をついてさっきまでと同じ体勢になってしまった。
ミラー越しに運転手へ助けを求めるも苦笑いをしながら視線を外される。
「ベーっだ!慎也なんて知らない!」
「えぇ!?」
そこからまた彼女の機嫌がもとに戻る頃には、とっくに目的地にたどり着いているのであった――――
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