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第3章
034.堕ちていく心
しおりを挟む「お前……なんで俺が見え……?」
衝動のままに病室へと突撃し、相対した実の父親。
俺の病室で邂逅を果たした彼は、間違いなく俺を見ていた。
嫌らしい笑みを浮かべ、歓迎するかのように両手を広げて笑いかける。その姿に嫌悪感を覚えるも、それ以上に驚きが勝った。
なんで俺の姿が見えている。なんで声が聞こえている。堂々巡りとなって解決することのないその疑問。
しかしその問いは案外早く分かることとなった。
『もしかしてお前…………。フッ――――!』
「なっ……!? っ……!?」
何かを口にしたかと思えば、奴から放たれた"何か"が頭に向かって飛び込んできた。
反射的に目を閉じると後方からパリン!!となにかが割れるような音がすぐ後ろから聞こえてくる。
何事かと思って振り向くと、床には割れた花瓶が広がっていた。小さな瓶だったものと黄色の花、そして液体。もう一度振り返ってやつの方向へ目を向ければ、台に置かれていたハーバリウムが一つ無くなっていて、何かを投げたかのように右手を前に突き出していた。
『やっぱり透けたか……。お前、生きてないな?』
「!? なんでそれを……」
何かを理解したかのように目の前の男は頭をかきながら問いかける。
一方で俺は驚きの声を上げるほかなかった。何故それを知って……何故見えて……!?
『すまんなぁ。俺にはどっちも鮮明に見えて生きてるのと死んでるの、区別つかねぇんだわ。……まぁ、よく見りゃベッドのお前が眠ってるから俺が耄碌しただけか』
ヤツが目を向けた先にはこの部屋唯一のベッドがあった。
こちらからは死角で見えないが、きっとそこに眠っているのは俺だ。
辺りを見渡してようやく思い出した。ここは以前マヤに連れて来てもらったあの病室だ。
「俺が……見え……?」
俺が見えていたという事実に目を丸くする。
奴の言い分だと奴は死者が見えていて当然というような口ぶりじゃないか。
たまに見える人が存在するというのは聞いたことがある。まさかコイツもなのか?
『その反応……知らなかったみたいだな。20年前……だったか? 昔ちょっと事故に遭ってな。それ以来変なのが見えるようになってなぁ。見えないものが見えるって結構不便だぞ』
「20……年前……」
まるで酒にでも酔っているのか、今日は随分と舌が回る。
20年前……マヤが以前言っていた時期と丁度合致する。
人は死の淵に立つと不思議な力が備わるとどこかで聞いたことがある。もしそれが正しいのであれば、奴はその事故の際見えるようになったということか。
『んなこたどうでもいい。煌司、お前はどうしてここに来た?まさか決行の時に限って……。珍しくアイツが姿見せてたし、それが関係してるのか?』
「アイツ……?それは――――」
「煌司君!!大丈夫!?」
「何か凄い音がしましたが平気ですか!?」
アイツとは誰だ。そう思って問いかけたものの、俺の言葉を遮るように二人の少女が扉を抜けて姿を現した。
俺と一緒にこの世界に来た蒼月と瑠海さん。二人は床に散らばったハーバリウムと奴を見比べ、警戒するように奴を睨みつける。
一方、睨まれた奴は二人の姿を捉えるやいなやその口元が大きく歪んでいった。
『………あぁやっぱり。お前、さっきも家で見てたもんなぁ。それで煌司にチクったってわけか』
「お前って私!?煌司君、これ見えてるの!?」
ヤツがそう言って指さしたのは蒼月だった。
まさか見られているとは露にも思っていなかったのか驚きの声を上げている。"見ていた"とはナイフを持ち出した時のことだろう。そういえばあの時、俺と瑠海さんは押し入れに隠れていたな。だから気付かれなかったのか。
『あぁ、よぉく見えてるぞ。数ヶ月ぶりだな。この10年嫌というほど見てたのに、コイツが倒れてから急に見えなくなったもんだからどうしてるかと思っていたぞ。………なぁ、蒼月の娘よ』
「…………」
「……はっ?蒼月、お前コイツのこと知ってるのか?」
奴は一体なにを言っているんだ?
その口ぶりは間違いなく蒼月のことを知っているようだった。
蒼月の……娘?つまり母親のことを知っているのか?しかし蒼月本人のことも一目で気づいたし、どういうことだ?しかも10年って?
そう思って蒼月に目を向けたものの、彼女は急に温度が冷えたかのようにスッと俺と目を逸らす。
「どういうことだよ蒼月?コイツと知り合いなのか?」
「…………」
再びの問いにも決して口を割ろうとしない蒼月。
一体どういうことなんだよ……。
「蒼月……」
『なんだ?お前何も聞いてないのか?それとも忘れたか?』
「…………あっ?」
そんな俺の疑問を解消するように口を開いたのはまたしても奴だった。
俺の威嚇にも意に介さず楽しそうに、嬉しそうに語る様はまるで舞台俳優のよう。手でナイフを遊ばせながら最終的にその切っ先を蒼月に向ける。
『煌司、お前が生涯大事そうに抱いてた罪の意識、その原因の妹はコイツだよ。忘れたのか?蒼月 祈愛の名前を』
「なん……て…………?」
『だから、コイツがあの妹だよ。あの時のことはよく覚えてる。事故にあった翌日からコイツの霊はずっとお前の側を離れなくってなぁ。まるでお前に付き従う守護霊のようだったぞ?』
「いもう……と? そんな事……一言も……」
一言も言ってこなかった。
それじゃあ、俺が会いたかった、謝りたかった妹はあの時からずっと側に……。
震える手で彼女に手を伸ばす。しかし、なんて声をかければ良いんだ。なんて謝れば良いんだ。
今更会って何を喋れと。置いて行って事故を引き起こした原因である俺が何を。
失ってしまった言葉に伸ばした手は行き場をなくし、引っ込もうとしたところで突然、蒼月から伸ばした手によって下がりかけた腕は途中で引き戻される。
「言えるわけ無いよ!あの時からずっと私のためにって何をされても耐えて頑張ってくれて……。私のせいなのに合わせる顔がない!!」
「蒼月…………」
「だからマヤに頼んだの!!煌司君がこの世界に来た時に私の記憶だけ消してくださいって!なんて話せばいいかわからないから!!」
慟哭。
その言葉は俺の心と同じものだった。
……・あぁ、彼女も俺と同じ思いを抱いていたのか。何を言えばいいか分からず、どういう顔をすればいいか分からず、彼女も悩んでいたのだ。俺と同じように。
掴んだ手を引っ張って俺と向き合った彼女は逡巡しながらも俺と目を合わせた。
面影の有る顔。甘えたがりを隠すことのない瞳。あぁ、段々と頭の中に掛かっていた霧が晴れていくような気がする。そうだ。この顔は間違いない。俺の妹の祈愛だ。
「祈愛……俺……」
「ごめんねおにいちゃん……今まで黙ってて。それと、ずっと頑張ってきてくれてありがとう」
「そんな……俺こそあの時置いていったから……祈愛は事故に……」
「ううん、あれは全部私が悪いの。おにいちゃんが嫌がってるのをわかっててついていって、不注意で車にも気付かなくって……。全部私自身の責任」
「なんで……」
なんで彼女は笑っていられるのか。
そんな事無いはずだ。俺が悪い。俺の責任だ。そう言葉を尽くしても彼女は優しい笑みでそうではないと否定する。俺は何も悪くないと優しい言葉をかけながら。
段々と俺の身体も力が抜けていく。懺悔するように跪き、顔を伏せようとしたその瞬間――――背中に瑠海さんの手がそっと置かれた。
「煌司さん、すみませんが立ってください。今はそれどころではありません」
「瑠海……さん?」
彼女の瞳はただ真っ直ぐを見つめていた。
一挙手一投足をも見逃さないように真剣な顔で奴の姿を射抜いている。
『……なんだよ、せっかく感動の再開ってところでサクッとやろうと思っていたのによ。お前は……見ない顔だな。どこのどいつだ?』
「初めまして煌司さんのお父様。死者に名前はいらないでしょう?敢えて言うなら……そうですね、煌司さんの妻、とでも名乗りましょうか」
「ちょっ……!?」
あまりに大胆にありえない名乗りを上げる瑠海さんに俺は逆の意味で言葉を失ってしまう。
この流れでそれを言うのか!?肝が座っているというかなんというか……。
あまりの爆弾発言に奴も目を丸くする。けれど今度は笑みに変わってその視線が俺に向けられた。
『ほぉ。よかったじゃねぇか煌司。死んで妹にも会えたし嫁にも恵まれた。万々歳だな』
「……死んでる時点で意味もねぇよ。んで、お前はここで何しようとしてる?」
『あん?わかってんだろ? お前をサクッと殺すためだよ』
「なんで……」
瑠海さんから疑問の声が上がる。
一方で俺はと言うと、その言葉には"やはり"という感想が第一に浮かんだ。
物騒なナイフを持ち出した時点で誰かを刺すとは思っていた。まさか俺だったのは予想外だが。
しかしその理由には疑問を持たざるをえない。そんな事をして何の意味があるのか。
『そんなの、復讐だよ』
「復讐……?」
『わからないか?お前が倒れたことによって俺たちのことが世に広まり、俺は詐欺や暴行犯として見事指名手配だ。なんとか逃げおおせたが捕まるのも時間の問題だろうな。だったらせめて道連れとして、お前をきちんとあの世に送ってやろうとな』
「そんなの……ただの八つ当たりじゃ……」
『違うっ!!』
病院の一室に男の叫びがこだまする。
それは奴の心からの言葉。顔を上げた瞳には恩讐が宿っており、今にも飛びかかりそうな目で俺を睨んでいた。
『これは復讐だ!蒼月の娘が事故に遭ってから俺は金に追われ、虐待を疑われて世界の敵になった!お前は知らないだろうなぁ!ネットでは有ること無いこと書かれて全世界の嫌われ者!全てはお前!煌司が引き起こしたことなのに!!』
「っ…………」
怨念をぶちまけるようなその言葉に、俺は何も言い返すことができなかった。
事実だからだ。俺があの事故を引き起こした。それで全ての歯車が狂ったのだという自覚があったから。
奴の向けられたナイフの切っ先を見て俺は構えていた力を解く。
そうか、俺のせいか。間違いないだろう。だったら俺はもう、この場で殺されてしまっても――――
『だから今日!こんな人生を引き寄せたお前を殺す!そして蒼月の家に行ってアイツも殺してみせる!!』
「――――あっ?」
――――奴の言葉を受け入れることは、できなかった。
この命で祈愛へ罪滅ぼしになるのなら構わない。けれど奴の狙いはそれだけじゃなかった。
ここに来て新たな計画、祈愛の命も狙っていると知った。それは………それだけは看過することができない。
「祈愛も殺す……だと?」
『そうだ!奴の家の守りは厳重だがようやく抜け穴を見つけた!今日こそ捕まる前にお前らを殺してみせる!』
「………俺がそれを、許すとでも?」
『やってみろよ! お前らはどうせタダの亡霊!触ることもできなけりゃ妨害することなんてできっこない!なんなら今ここで自分が死ぬ様子でも眺めてるんだな!!』
そう言って高らかにナイフを掲げてみせる奴は、まるで勝ち誇ったかのような表情をしていた。
勝ちを確信した、疑いようのない笑み。その瞳がグルンと動いて横になっているベッドに向かった後、掲げたナイフを逆手に持つ。
もうあと10秒も待てば俺の心臓にナイフが突き刺さっていることだろう。死の淵。しかし俺の頭は冷静になっていた。
しかし俺より早く、瑠海さんが一歩前に出る。
「っ……!煌司さん!私がやります! もう一度あの時のことができればナイフを奪うことくらい――――!」
手を前に掲げてグッと力を込める瑠海さん。
あの時の……そうか。彼女は以前も見せた物を動かす力を使おうとしているのか。しかしそれには大きな代償が伴う。
彼女が力を使えば今度こそ成仏してしまうだろう。でも、マヤが再び彼女をすくい上げてくれるとは思えない。そんなの……そんなの祈愛を事故に巻き込んだときと変わらないか。
だから今度は俺の番だ。いや、俺がやらなきゃならない。
そう確信を持ちながらそっと彼女の肩に手を添える。
「大丈夫。瑠海さん。ありがとう」
「―――でもっ!」
振り返った表情は今にも泣きそうな顔。そんな彼女にめいっぱいの笑顔を見せながら片腕を上げた。
途端、夢の世界から目覚めて現実での記憶を思い出していくように、まるでこの力を使えるのが当たり前かのようにどうすればいいかがすっと頭の中に入っていく。
あぁ、これがあの感覚か。初めて感じた。
どす黒い感情が腹の内を満たしていく。タールよりも黒い、マリアナ海溝よりも深いこの感情。
これが全能感というやつか。今なら何でもできる。全てが自分の思いのままのような気がする。
後ろから祈愛の気配がする。フッと目を閉じれば幼き日の顔が浮かぶ。
やっと思い出せた。今まで忘れててゴメンな。それと、見守ってくれてありがとう。
気付けば奴はこちらを見向きもせずにナイフを高らかに上げていた。
あとは振り下ろせば全てが終わる。そのためには1秒もかからない。しかしその1秒が経過するよりも早く、俺の手は奴を捉えてグッと強く握りしめた。
その瞬間、振り下ろそうとした身体が強く痙攣し、1秒経っても腕が振り下ろされることはなかった。
いや、身体そのものがが動いていない。奴は何事かと顔に怒りを滲ませながら声を荒らげる。
『グッ……!?動けねぇ……。何しやがった!!』
「別に何も。ただ止まってくれって願っただけだよ。ただ……」
『!? モノが……浮いて……!?』
奴とは対象的に俺はつまらなそうに告げる。
ゆっくりと浮かび上がるはこの部屋の道具たち。椅子に台にバッグに……あぁ、バッグにはこんな物も隠し持っていたのか。中に入っていた包丁やハサミをも引き寄せて周りに浮遊させる。
「お前が俺を殺すっていうんなら、逆に殺されても文句言えねぇよなぁ!?」
俺の中ではただひたすらに黒い感情が湧き上がり、濁流のような渦が巻き起こる。
辺りの視界が黒く塗りつぶされていく。
見えるのは奴の姿のみ。どう殺そうか。その思い以外頭の中には浮かばなかった。
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